高野家は代々医学者の家系であった。家系図が辿れる頃には既に漢方医であったが、徳川家八代将軍吉宗の蘭本輸入解禁に始まり、『解体新書』の和訳発刊、杉田玄白の天真楼などに強い影響を受け、その結果として、維新前夜までは蘭方医の一族と各方面に認められていた。
そして高野京也の祖父にあたる惟次であるが維新後、明治新政府の中でドイツ医学の採用を訴えていた相良知安へ与して、積極的にその運動に身を投じ、最新の医学を修める医師として次第に人の口へとのぼるようになっていた。特に数カ国語を堪能に操る彼は、日本へ立ち寄る外国船員の間で有名となり、その伝手で請われて住処を横浜へと移したほどである。
こうして、まずまずの人生を歩んだ惟次であったが彼には二人の息子がいた。一人は父の跡を継ぐべく医師としての道を選んだ京也の父、直道。そして京也の叔父に当たる直道の弟、秀道は海軍軍人の道を選んだ。
前者は、父の跡をまずまずよく継ぎ、横浜の開業医としての生を営み、一男三女の子をもうけた。
後者は、一九二一年欧州の海戦により若くして命を落とすが、その生き様は、深い憧憬を植え付けられていた医師の長女・雅の心に深く刻みつけられ、彼女から、色々と教育されていた京也に深い影響を与えることになる。彼が海軍兵学校へ入学したのも、長姉あればこそだった。
「京也」
「はい、姉様」
「おつとめご苦労様です」
「はい」
内面的にどうかはともかくとして、海では怖いモノ知らずの評価を受ける京也であったが、実のところ彼は姉達がなんというか苦手だった。
幼少の頃より直接的に肉体的言語でコミュニケーションを行ってくる三姉・勇子には脊髄反射的に全く頭が上がらないし、デンと閑かに控える次姉・静佳はなんというか精神的圧迫を強く感じていた。そして、長姉・雅であるが、彼女の場合苦手な理由は下の姉達とは違う方面の感情によるモノであった。簡潔に述べると肉親の情を超えたモノを感じていたためで、その気恥ずかしさから苦手意識を強くしていた。おかげで、彼女の前では、ぎこちなく、口調すら何というか普段の彼からは想像つかないモノだった。
「似合わねー」
「喧しい」
【雷】が修理のため、横須賀工廠へ回航され、乗員には待機を命じられていたことから、暇を持て余して京也と同席している弓削毅司機関中尉の一声を、一言で切って捨てて、彼は長姉への語らいを再開する。
「姉様もお変わりないようで、安心しました」
「京也達が守ってくれていますから」
「い、いえ……」
長姉の優しいまなざしにドギマギする京也。
「弓削さんもご苦労様でした。しばらくぶりですね、いかがされておりましたか?」
雅の言葉に、弓削は笑顔を深めてカンカラと答えた。
「いつも通りです。ボーボー蒸かしてガンガン回す。俺にできるのはそれだけですから。ハッハッハッハ!」
「そうですか。そういえば、お友達の帯刀さんも見えなくなって久しいですね」
「ヤツですか。ヤツはヤツで自分たちとは少し違う苦労をしているらしいですから。まぁ、その内ひょっこり顔出しにきますよ。確実です」
その言葉に雅は不思議そうな顔をした。
「どうしてですか?」
「え……、その」
そこで弓削は言い淀んだ。ふざけ半分の裏に隠された帯刀迅の純心を知っているためである。
「おい」
「なんだ?」
「もしかして、気付いていないのか?」
「……どうもそうらしい。少なくとも自分は妹たちのついでだと、思っている。多分」
「迅のヤツもかわいそうに」
「まったくだ」
と、答えつつ、テメーはどうなんだよと生暖かい目を京也へ向ける弓削。
「京也、弓削さん、どうしましたか?」
「「いいえ、特に何も」」
「そうですか。お仕事の方は、まだまた大変ですね。弓削さんは、どうですか?」
「はぁ、配置換えらしいんですが、まだちょっと見えないんですよ」
「そうですか、早く決まると良いですね」
「そう思います」
「京也。貴方は?」
「はい、姉様。これから、新しい艦に行くことになりそうですが、もうしばらくはこちらに居ることができそうです」
「そう」
童女のように喜びを表す雅
「ここは貴方の家なのだから、いつでも帰ってきなさい」
そして、意味深に告げた。
「私は待っているわ」
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「うわーっ、静佳姉見た? 京也のあのデレ顔。完全に雅姉の術中に嵌っているね」
「……」
「京也は優しいから? え~、アイツの何処が。構えば、憎たらしいだけじゃない。」
「……」
「勇子はやり過ぎなのよ? そうかなぁ、良いときも悪いときも、ちょっと、なでてやっているだけじゃないの」
「……」
「私は見守っているだけ? どうやって」
「……」
「いつも一緒に? 病めるときも健やかなるときも共にあらん……って、静佳姉ソレ違う。知っている? 姉弟って結婚できないんだよ」
「……」
「あら、かわいいこと言うわね? 姉小路さんのところとか、松崎さんのところとか、知らないの? って、もしかして……」
「……」
「その通りよ、だから私と京也が……? こりゃダメだ。ここは私がしっかりしないとダメだよね。京也の面倒は私が見るしかない」
つまるところ彼女たち全員、全然判っていなかった。