どうして、自分たちはこんなところで走っているのだろう? ドイツ帝国陸軍少佐にして軍内共産主義活動細胞オットー・アッカーマンは混乱する思考で現状を理解しようとしていた。自分たちは、来るべきドイツの主、エルンスト・テールマン同志の切っ先として、革命精神に邁進していただけなのに!
「「ハァ、ハァ」」
荒い息をする少佐達。彼らの向かう先にも、また数人の男達がいた。
「ハァハァ……、そっちはどうだ!?」
呼びかけられた彼、オランダ人、マリヌス・ファン・デア・ルッベは答えた。
「こっちもダメだ。帝国軍の奴らが!」
「こっちは正体不明だ。白人じゃない、有色人種だ!
なんで有色人種が出てくる!」
そういってアッカーマン少佐は、居並ぶ面々の内で異彩を放つ男へ目を向けた。
「同志アッカーマン、今は言い争うときではない筈だ」
視線にひるまずその男、野坂参三はそう答えた。
「そうか、そうだな。
そちらの奴らは、憲兵隊だったか?」
「いや、一般の陸軍部隊だった。中隊規模だ」
「ならば……」
「同志の階級が役に立つ」
「その通り」
中隊規模なら、指揮官は中尉あるいは大尉だ。このような騒ぎにその上が出てくることもないであろうから、階級のモノを言わせて押し通る。そのような暗黙の了解が成立したことを感じ取った彼らの空気が弛緩した、その時だった。
「全員動くな!」
厳しい叱咤がその場を貫いた。
ドイツ人らしい硬質な発音。しかし、彼女が発すると貴石が奏でるなにかだ。そう彼女だ。現れた兵が女性であることに一瞬驚きつつ、アッカーマン少佐は一歩踏み出して、小声で皆へ呼びかけた。
「落ち着け、ここは私が」
アッカーマン少佐は彼女に目を向けた。白銀の燦めきを持つ髪。どこか作り物めいた頤(おとがい)。ひどく改造された軍服に包まれた肢体は腰回りで引き締められ、振幅激しい曲線で形作られていた。だが、何よりもその赤い瞳が彼女を形作っていた。その瞳に引力を感じながら、アッカーマン少佐は、意識して強く命令した。
「貴様、官・姓名を名乗れ!」
アッカーマン少佐の言葉に、一瞬だけ反応した後、彼女は返答した。
「その前にそちらから名乗って貰おう」
彼女のあまりの威丈高しさに面食らいながらも、アッカーマン少佐は復讐するかのように名乗った。
「オットー・アッカーマン。しょ・う・さ、だ」
あくまでも丁寧に。しかし、階級を強調して言った。何せ、目の前の女は、せいぜい20代ぐらいだ。ならば、士官であっても少尉が精一杯。いや、女であるならば後方補助任務勤務であろうから、兵が妥当なところだろう。
さぁ、怯え、慌てふためき、そして許しを請え!
「よろしい、少佐。私はマイヤー大佐である」
度肝を抜かれた。
名誉大佐などではない。まごう事なき口調で彼女は現役大佐(Oberst)と名乗った。
何故だ!? こんな小娘がどうして!? なぜこんなところに連隊指揮官が!?
「私は現在特殊任務に就いており、皇帝陛下より権限が与えられている。
命令する!
全員そこへ跪け!」
ハッキリと、硬質な美声で脇に抱えた鉄塊を向けて、彼女は命じる。
アッカーマン少佐は混乱した。なんだ、これは? こんな銃など見たことがない。
小銃と言うには大きすぎた。小銃に弾帯など必要ない。小銃というモノは一発一発、棹桿(ボルトハンドル)を引いて、心を込めて撃つモノだ。その行為に、弾帯などと言うモノは無粋すぎた。
機関銃と言うには小さすぎた。機関銃というモノは、数十キロの鉄塊を三脚(トライポッド)に据えて、戦場を睥睨するモノだ。その勇姿を僅かに感じ取れる二脚(バイポッド)は、銃口近くで彼女の左手で握りしめられている。華奢なことこの上なかった。
だが、優秀な兵器だけが持つことを許される肉食獣のおもむきは、ソレがどういう代物であるか雄弁に物語っている。
残念なことに後ろの同志達には分からなかったようだが。
「ま、待て!」
どちらに対しての発言かは分からない。アッカーマン少佐はその全てを言い終えることが出来なかった。逃げようとした同志達もろとも、彼女が容赦なく発砲のである。まるで電気ノコギリの咆哮だった。
そして、男達が残らず倒れ伏した後、うっすらと微笑んで彼女は言った。
「フン、共産主義者共め、感謝しろ。
貴様らの目的は分かっている。国会議事堂への放火。皇帝陛下の権威を貶めよう目論見も。
本来、万死に値するが、皇帝陛下から殺すなと命じられている。
特製木製弾頭だ。しばらく、痛いぐらいで済む。その痛み、じっくりと味わえ。
独帝国軍防諜部の取り調べは……」
「厳しいのでしょうな、おそらく」
予想をしない合いの手に、彼女は銃口を向けた。
「私は独共産主義者細胞ではありませんよ、フラウ。
いつぞやの男爵亭以来ですな、再びお目にかかれて光栄次第」
手にした銃を向けてくる男。帯刀迅だった。
「貴様、なぜ此処にいる!」
「なぜか、と申される?
貴女が、私に
男爵家の侍女である貴女が、私に。
いや、失礼。独帝国陸軍大佐ですな、そのお姿は」
「フン、分かっていて銃を向けるか?
それとも撃ってみるか、私を」
迅は、手にした銃を親指に引っかけて両手を挙げてみせた。
「いやいや、皇帝陛下のメイドたる、セルベリア・マイヤー殿にそのようなことを……
なにせ、貴女は皇帝の家族だ。各種奉公人規定でそう規定されている。
皇族に手を出すなどと、そのような不敬。私には出来かねますな」
「貴様に不敬を云々されるというのは、実に不愉快だな。キョーヤの言った通りだ」
「ホウ、京也?」
彼女はしまったと小さく舌打ちした。迅はなにやら嬉しげに囁く。
「あぁ、京也?
ほら、京也?」
彼女は静かに青筋を立てた。
「……撃つ」
「はっはっは、冗談ですよ。フラウ」
「……一連射、喰らってみるか?
勿論、冗談だ」
彼女は見せつけるように、コッキングボルトを引いた。
「それはそれとして……」
「動くな!」
「私たちはこちらの……」
迅は、倒れうめいている東洋人の頭を蹴飛ばし、そして手づかみ、上げて見せた。
「……野坂参三君に小用がありまして」
「それで?」
「お引き渡しをいただけないかと」
「理由がないな」
「あぁ、そうでした。
理由、理由…… 例えば、日本の高野京也君のご自宅へ案内代としてとか」
「―、そのような」
一瞬の間へ滑り込むかのように、迅は言った。
「そのようなことは理由にならない?
ですが、近年不穏な動きをしているエルンスト・テールマン、マヌエル・アサーニャをはじめとする各国共産主義者達の資金がどこから出ているか、興味はありませんかな?」
最近、独仏で気勢を上げている共産主義者達の名は、すこしばかり彼女が扱うには重かった。
「しかし……」
「しかし、その程度のことは自分たちで十分だ?
よろしい、あなた達は、極東の小島出身者へ、微に入り細に穿つ念の入った話し合いが出来ると。
素晴らしい、非常に素晴らしい」
「……」
「我々は、この者を引き渡ししていただけるなら、必ず良い結果をあなた達へもたらすであろうと、ここに確約できます」
「……確証は?」
彼女の言葉に、当然のような顔をして、迅はいっそ歌い上げるかのように、朗らかであるかのように返答した。
「勿論、ありません」
「……よかろう。そいつ一人だけだ」
「感謝の極み」
「急げ、もうすぐ私の部下が来る。私はお前をかばう気はない」
「おお、怖い。それでは、私と野坂君はここで。
あぁ、そうそう」
「なんだ!?」
「高野君のご自宅への案内は、確約いたしましょう」
ほんの少しだけ、動きを止める彼女。だが、本当にそれは一瞬の刹那だった。
「無駄口を叩く時間は無いはずだが?」
迅はどこまでもマイペースに、彼女の言葉を聞いていなかった。
「皆には内緒ですよ?
では」