『ガチャ松』こと第二水雷戦隊司令・井上継松少将の指示は相変わらず、あれこれと煩い。
麾下駆逐隊へ突撃命令を出した後でも旗艦・軽巡【神通】から、頻繁に指令が飛ばされていた。もっともそれを気にする者は【雷】にはいなかった。【雷】の艦橋では、有賀幸作駆逐艦長が司令部以上の檄を飛ばしていたからだ。舵を任されている高野中尉は、駆逐隊僚艦の【響】の後に続き、急転舵。隣の第四水雷戦隊含めて、艦橋から見える特型駆逐艦八隊二四隻が一斉に突撃する様は、壮観として言いようがない。
『おや?』
高野中尉は自分にそれほど余裕があることに驚きつつも、水雷戦隊全てが同様の行動を取っていないことに気づいた。
残るもう一つの水雷戦隊、第五水雷戦隊が、旗艦・軽巡【名取】を先頭に、【睦月】級駆逐艦で構成される第二一、第二二、第二三各駆逐隊を引き連れ、自分たちの更に南方へ回り込もうとしている。敵退路を断ちに行くつもりだろうか。
日・水雷戦隊のこの行動は敵前衛の阻止に出会う。当然だ。特に最も前へ出ていた軽巡【オハマ】級四隻は、駆逐艦主砲の射程外二〇〇〇〇メートルから続々と六インチ砲弾を送り込んできた。
「旗艦【神通】、応戦しています」
取り敢えず冷静に聞こえる見張り員の報告。水雷戦隊旗艦の軽巡が一四センチ砲で応戦している。しかし砲門数差から、旗色は良くない。
「邪魔じゃあ、この腐れ巡洋艦がぁ」
名前をもじって『あれが幸作』と言われる名物将校だけあって、有賀駆逐艦長の戦意に不足があるようには見えない。しかし、それで三年式一二.七サンチ五〇口径砲の射程が増すわけではない。この時点で高野中尉の出来ることは単縦陣を維持して、統制雷撃を成功させることだけだった。先頭艦の【響】艦首で爆炎が上がる。被弾したらしい。第二水雷戦隊旗艦【神通】も火災が発生しているのか、煤煙と発砲以外の煙を上げていた。高野中尉には歯を食いしばり、前航艦に続航することしかできない。
『誰か、何とかしろ。このままだと』
自分たちの水雷戦隊も、機銃座据えた塹壕線へ銃剣突撃をした歩兵と同じ運命を辿ってしまう!
高野中尉が声を挙げずに絶叫したときだった。
敵巡洋艦を包み込むようにして水柱が上がる。戦艦のものほど大きくはないが、軽巡や駆逐艦のそれとは段違いだ。敵巡洋艦は慌てて、主砲を旋回させていた。敵巡洋艦の砲口先を見ると、前後甲板に単装砲をそれぞれ三基づつピラミッド型に配置するという特徴的な艦型を持つスマートさと大柄さを併せ持つ不思議な巡洋艦がいた。
事態を打開したのは、世界に九隻しかいない超一五.五サンチ砲を持つ稀少補助艦【古鷹】【加古】だった。彼女たちは、、戦前から評価されていた狭い散布界に物言わせて、的確に敵軽巡へ二〇サンチ砲弾を送り込み、次々に命中弾を出していた。当然、対六インチ防御しか持たない【オハマ】級では、それに耐えきることが出来ず、一艦、また一艦と脱落していった。
「よし、よくやった。
見張員、駆逐隊旗艦は何か言っていないか!?」
有賀中佐が言うまでもなく、日水雷戦隊は勢いづいた。
【雷】艦橋に見張員の声が響く。
「【響】より信号。
統制雷撃戦開始。全艦突撃セヨ。以下、後続ニ通達。
以上」
「よし。水雷、雷撃始め」
有賀中佐は水雷指揮所へいる水雷長へ発射命令発令の自由を与えると、急速に艦影を大きくする敵戦艦を睨み付けた。焦れるが、それを顔に出そうとはしない。ここで慌てても、ロクな事はない。【雷】は就役して一年も経っていない新鋭艦だからなおさらだった。
とはいえ、それだけに低気圧の影響で荒い波に揉まれ満足な操艦すら行えず、戦争するよりも航行する方が忙しい二〇年ものの旧式駆逐艦など障害にすらならなかった。オマケに彼らはマトモに集結すらしていない。日水雷戦隊は、文字通り目もくれず、一航過で適当な砲弾を叩き込むと、米戦艦目指して雷撃を行うべく襲撃運動に入っていた。
砲術長は主砲の最大射程一七六〇〇に滑り込んだ時点で敵戦艦に発砲を開始していた。駆逐艦の小さな測距儀でこの距離では、まともな照準など期待できなかったが、撃たないよりはマシだ。一方的に撃たれるばかりであった乗員の士気高揚にもつながる。米戦艦隊との距離は急速に縮まっていった。
まるで違うな。肉眼でもハッキリと見え始めた米戦艦を見て、有賀中佐はそう思った。米海軍は籠マストを殊の外、気に入っていたらしいが、さすがに強風雨とはいえ自然現象で倒壊しては見切りをつけざるを得なかったらしい。今の米戦艦は、どちらかというと英新型戦艦で見られるような塔型艦橋をその艦上へ建て付けていた。
【雷】に少し毛色の違う衝撃が走る。どこかで何か壊れたか?
「各部被害報告!」
「艦中央部に敵副砲らしき至近弾。弾片にて船体損傷。損害軽微。負傷者数名!」
「応急班、浸水対策急げ!」
距離一〇〇〇〇を切ると流石に戦艦副砲である五インチ砲弾が頻繁に周囲へ飛んでくるようになっていたが、悪魔のような日本大型駆逐艦を止めるには完全に威力と手数と技倆が不足していた。
更に六〇〇〇メートル砲弾の雨をかい潜り、距離四〇〇〇で、第二水雷戦隊各隊は雷撃を敢行。【雷】の所属する第六駆逐隊もその例外ではなかった。駆逐隊旗艦【暁】が雷撃開始するとほぼ同時に【雷】でも六一サンチ九〇式魚雷九本が第一雷速(速力四六ノット/駛走距離七〇〇〇メートル)で次々と放たれていた。
駆逐艦乗りの本懐を遂げた有賀中佐は、駆逐艦長席から立ち上がり命令した。
「面舵一杯!」
「面舵一杯!」
高野中尉は復唱して、舵を切った。声が裏返っていた様な気がするが誰もソレを咎めたてなかった。