「どうだ、このフネは」
公試を終え、不具合是正工事の後、新編された第四一駆逐隊の錬成訓練に向かう海上。そこで、艦長の白浜少佐にそう尋ねられた高野中尉は少し困った顔をした。高野中尉には、火災防止のためとはいえ嗅ぎ慣れたペンキの匂いすらしない、この新造艦がどうも頼りなく思えたのだ。
ソレを感じ取ったのか、艦長の白浜少佐は愉快げにのたまった。
「貴様が前に乗っていたのは特型だろう?
あの豪勢なフネとこの戦応型じゃ、比べものにならんだろうがな」
ガッハッハと剛毅に笑う白浜少佐。貴方も先まで水雷長として特型駆逐艦に先に乗っておられたのですから、それはよくお知りでしょうと言いたくもなる。少佐が必殺を期した魚雷自爆に殺気だった水雷科有志が一丸となって艦政本部へ殴り込みに行った件は、高野中尉の耳にも入っている。あの後、呉海軍工廠魚雷実験部が異常に熱気を帯びていたらしいが、何があったのやら。
そして、フィリピン沖海戦で大尉だった白浜水雷長は、乗艦が廃艦同然になったため、新造駆逐艦の艤装員を任じられ、少佐に昇進し、その艦長となったわけであるが、微妙に左遷のような気がしないでもない。
何しろ白浜少佐が以前水雷長をしていた特型駆逐艦とは、格が違いすぎた。
戦応S型駆逐艦【榛日】級。
一応一等駆逐艦に分類される筈の基準排水量一一〇〇トンだが、計画排水量は九九〇トンであるという実に強引な解釈から艦籍簿上は二等駆逐艦に分類。対水上火力は一二サンチ四五口径単装砲三基と六一サンチ四連装発射管一基。最大速力は二八.五ノットという日本水雷戦隊の要求するそれからすると低性能どころの話ではなかった。ヘタをすると大戦時に建造した二等駆逐艦にすら劣る、という評価が海軍部内では支配的だった。
しかし、高野中尉の評価は少し違った。
「艦隊戦には少々不向きかもしれませんが、それ以外の戦いなら本艦の方が有力です」
白浜少佐は少し感心したような顔をする。
「ほう、君にはそれが判るか」
高野中尉は、ほんの少し白浜少佐の評価を変えた。単なる水雷莫迦ではないらしい。
確かに、総合能力から述べると評価は全く変わる。
敵航空機に駆逐艦が想定外の大きな被害を受けたために対空火力強化を意識したのか、主砲の一二サンチ砲は睦月級以前が採用していた平射砲ではなく、十年式一二サンチ四五口径単装高角砲になっていた。加えて機銃も、従来の駆逐艦性能標準である七.七ミリ二丁から、仏ホチキス社からライセンスごと購入した二五ミリ単装機銃一二丁となり、これを実装している。そして、対潜装備である爆雷も投下軌条二基、爆雷投射機四基持ち、爆雷は平常ですら三六個、予備魚雷を諦めれば八四個を搭載できる大盤振る舞い。
「上や下に強い事はいいことだと思いますよ。それに、なんといっても航続距離が無体に長いです。戦艦と一緒に出ても、戦艦の方が先に燃料切れするぐらいですから」
「確かにな」
同時並行で戦応F型として計画された、機関のみ異なる準同型艦である【白草】級は、機関の入手性からロ号艦本式罐・四気筒三段膨張式レプシロ機関を採用したため、最大速力二九ノットで航続距離が三〇〇〇カイリを割るような状態だった。
油槽艦や給炭艦の不足を感じる日本帝国海軍で、むやみに使える航続性能ではない。
このため、特に長距離活動を希望された本級【榛日】級は、航続距離を延長するため、【白草】級では三基搭載しているレプシロ機関の内一基を潜水艦用ディーゼル機関へ変更していた。ただ、当時最新技術と呼んで問題ないディーゼル機関だけに、量産に必要な数量の確保に酷く苦労した。この【榛日】ではズルサー式三号ディーゼル機関を搭載していたが、同型艦ではラウシェンバッハ式三号ディーゼルを搭載した艦や、艦政本部が国産化した(が、試作の域を出ていない)艦本式一号ディーゼル機関各型を搭載した艦すらある混乱振りだった。混乱余って、【白草】級と同じ燃料搭載量を持つ本級の航続は一四ノットで一四〇〇〇カイリに達する。もっとも最大速力は〇.五ノット程度低下していたが、実際のところ十分許容範囲だった。
「しかも、外洋での航洋性は特型に劣りません」
「うむ、荒天での実速力は同程度以上かも知れんな」
航洋性は、武装重量を抑えて乾舷を極力高くしたために、意外なほど高い。通常、特型を除く駆逐艦の外洋での速力は、額面性能との乖離が激しいが、戦応型はそれが著しく小さかった。波荒い現在の海面状態でも、舵を握る高野中尉は針路や速力の維持にほとんど苦労していない。
「これを建造期間五ヶ月でやってのけたのは凄いですが、少しやり過ぎではないかと……」
「全くだ。ツルシのお着せとはよく言ったものだ」
この当時の日本人の認識としては、量産品、いわゆる数打ち物はダメだ、まともな使い物を造るには一品物出なければならない、である。当時正式採用されていた、軍で最も数多く必要とされる歩兵小銃の三八式歩兵銃からして、個々のパーツ互換性すら保証しかねるという恐るべき時代だった。
フネの場合は更に問題があった。
職工気取りの造船所員は、心ゆくまで部材の仕上げを行い、数日ほどその出来を堪能した後に据え付ける。自分たちが何を作っているのが判っていなかった。全く、近代工業という物を理解していなかった。
そんな時代背景を持ちつつ生まれたこの艦であるが、戦時急増のために直線を多用しており、艦型はブサイクの一言。俺はこんなフネを設計するために造船技官になったのではないとの嘆きの声や、プライドにかけてそのようなフネは作れんとかいう造船所員の怒声やらが聞こえてきそうだ。実際、戦応型の殆どは、既存軍関係造船所ではなく、艦艇建造経験がない民間造船所で建造せざるを得ないほど、毛嫌いされていた。始めてこのフネを見たときの両者もさして変わらない。白浜少佐は本気で艦政本部へ殴り込んだことを後悔しそうだった、と高野中尉に懇親会でポロリとコボしさえしていた。
色々なことを考えていそうな顔をしながら、白浜少佐は上空を見上げていった。
「さて、一波乱ありそうだな」
上官の不吉な予言に高野中尉は眉をゆがめる。激しい訓練を行う日本帝国海軍に事故は付きものだ。
「訓練で一波乱ですか? 勘弁してください」
確かに波乱だった。ただ、それは訓練海域では無かった。