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No.8720の一覧
[0] 海のお話(仮想戦記)[Gir.](2010/01/27 13:07)
[1] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 300km[Gir.](2009/05/13 16:28)
[2] 一九三二年四月 ドイツ・ベルリン市街(1)[Gir.](2009/05/13 19:33)
[3] 一九三二年四月 ドイツ・ベルリン市街(2)[Gir.](2009/05/20 14:14)
[4] 一九三三年三月 ワシントンDC・ホワイトハウス[Gir.](2009/05/27 12:46)
[5] 一九三三年三月 満州・哈爾浜[Gir.](2009/05/27 19:13)
[6] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(1)[Gir.](2009/06/03 12:37)
[7] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(2)[Gir.](2009/06/03 12:38)
[8] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(3)[Gir.](2009/06/03 12:39)
[9] 一九三三年三月 台湾・高雄南方沖合 350km(4)[Gir.](2009/06/03 12:40)
[10] 一九三三年四-五月[Gir.](2009/06/10 12:46)
[11] 一九三三年四月 日本・横浜[Gir.](2009/06/16 19:34)
[12] 一九三三年五月一〇日二〇〇〇、ワシントンDC[Gir.](2009/06/16 19:35)
[13] 一九三三年五月二五日一〇〇〇、横須賀沖50km[Gir.](2009/06/24 19:50)
[14] 一九三三年五月二七日一七〇〇、東京沖南南東390km[Gir.](2009/06/24 19:51)
[15] 一九三三年五月二八日〇六〇〇・常陸沖100km[Gir.](2009/06/24 19:52)
[16] 一九三三年五月二八日一八三〇・東京南方380km[Gir.](2009/06/24 19:53)
[17] 一九三三年六月 欧州パリ郊外[Gir.](2009/07/01 12:47)
[18] 一九三三年七月七日 ハワイ東南方二〇〇キロ『太平洋回廊』[Gir.](2009/07/08 12:43)
[19] 一九三三年七月 ワシントン[Gir.](2009/07/15 17:00)
[20] 一九三三年八月 ワシントン[Gir.](2009/07/22 12:44)
[21] 一九三三年八月 ベルリン[Gir.](2009/07/29 12:43)
[22] 一九三三年九月 哈爾浜[Gir.](2009/08/05 12:47)
[23] 一九三三年九月 ワシントン[Gir.](2009/08/12 14:23)
[24] 一九三三年一〇月 横浜[Gir.](2010/01/20 14:10)
[25] 一九三三年一〇月一三日 グアム北方300km(1)[Gir.](2010/01/27 12:44)
[26] 一九三三年一〇月一三日 グアム北方300km(2)[Gir.](2010/03/10 16:39)
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[8720] 一九三三年六月 欧州パリ郊外
Name: Gir.◆ee15fcde ID:30d73e29 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/07/01 12:47
 帯刀迅は、目の前の報告書から目を離すと、その内容を端的に吟じた。

「米海軍の東京砲撃は事実上の失敗だった」

 投入した戦略巡洋艦三隻の内、二隻が沈没、一隻が大破。
 実際はそのようなことは些事だった。紀尾井町の一件の報を聞いて、プラット米海軍作戦部長は卒倒すらしたらしい(残念なことに彼は健康上の問題を理由にそのまま退役した)。
 この件はルーズベルト大統領の思惑を大きくはずれて、米国へ甚大な政治的惨禍を与えていた。
 王族を暗殺したと考えた、同じく王族を抱える欧州各国から強い不興を買うことになったのである。特に黄禍論から黄色人種へ強い偏見を持っていた(だが、不思議なことに日本人には妙な好意を持っており、伏見宮と直接の面識がある)独皇帝ヴィルヘルム二世までもが、十五年ほど前自分が何をしたのかも棚に上げて、『ギャングが如き米国より日本人の方がマシ』と言い出したことは、大きな問題だった。
 それにより、あらゆる意味で中立を保っていた独海軍が独逸人らしい密告癖を発揮し始めた。キューバを拠点としていたカリブ海艦隊のみならず、サイパンを拠点としていた極東艦隊に米艦隊の動向を逐次偵察させ、それを日本帝国海軍諜報網へ意図的にリークすらするようになっていた。

「ドイツ人の密告は芸術だと聞いているが、これはどうかな?」

 たしかにドイツ皇帝所有艦SMS軽巡洋艦【マグデブルク】号は、二五年という判断に困る艦齢だ。大戦勃発一〇年前の代物だけに、スクラップにされても、極端な不自然さはない。勿論、武装・装甲は全て取り外されており、軍艦としての定義から外れているので、国際法の中立国条項の問題もない。ただ、真新しいが何故か旧式の暗号表を積んでいだまま、解体先の日本に来ていなければの話だ。不思議なことに、この暗号表を使うと、現在の独極東艦隊の暗号電を八割方読み解けてしまう。全く田舎芝居も良いところだ。

 勿論同盟国たる、英国については言うまでもない。一応中立だけに戦闘行為などは行わないが、海軍や対外諜報局が得た情報を様々な形で日本に提供するばかりか、国際法ギリギリのあらゆる手を使って、米国に嫌がらせをしていた。

 潜水艦だけの情報では掴み切れていなかった米海軍戦略情報の入手に小躍りした日本帝国海軍だったが、その内容を理解して青ざめた。どう見ても侵攻用としか思えない大船団が、西海岸に終結しつつあり、いつの間にかグアムの基地機能が大拡張されていた。一八インチ砲戦艦【サウス・ダコタ】を筆頭とする戦艦一三隻、【レキシントン】級巡洋戦艦二隻を基幹とする戦闘艦艇多数もグアムに向かっている。最小限の本国防衛戦力を残して、総ざらえするつもりらしい。

「戦争開始百日を祝辞で飾ること出来ず。彼らにとって幸先良からぬ出来事だろうな。
 しかし、流石は米国だ、思い切りが良い。これ以上の戦力逐次投入をするつもりはないようだ。
 一方、我が日本は――」

 外も大問題だったが、内も大問題だった。

「赤レンガの連中は、今戦争中だと言う事を忘れたいらしい」

 何をおいてもまず東京砲撃の責任問題だ。少なくとも当事者達はそう思って、声を大にしていた。が、海軍内において一大派閥である艦隊派と呼ばれる面々は、首魁である海軍軍令部総長伏見宮が行方不明となったことにより、礼儀正しく無視されていた。

 特に対外問題から領土野心を持たないことを示すことから、一切の侵略行動を行っていなかったため、暇を持て余していた陸軍も蠢動を始めていた。これを機に『海軍がやらぬなら陸軍だけでも舟艇機動を行ってフィリピン・グアムを報復占領する』などと言い始めており、焦眉の課題だった。マズイことにGL船などという上陸戦用の陸軍船舶(海軍のフネではないので、陸海軍共に決して艦艇とは呼ばなかった)が出来上がりつつあり、陸軍はそれが使いたくてしょうがないらしいことが、傍目にもわかるほどだった。辛うじて僥倖と呼べることは、いままで民衆を戦争へと煽るだけ煽っていた大新聞社が突如として変節したことだった。東京砲撃で、本社と社主邸宅が噴き飛ばされたことが原因ではないかと噂されたが、当事者は頑として否定しているため、定かではない。それはともかく、事態を必要以上に大騒ぎして、民衆心理を殊更悪化させる余裕が報道各社へ無かったことが幸いしていた。

「だから、こういうことにもなる」

 明治以来の官僚化の垢を刮ぎ落とすかのように日本帝国海軍は、海軍大臣・大角岑生の退任、連合艦隊司令長官・末次信正大将、横須賀鎮守府長官・永野修身中将、海軍軍令部次官・高橋三吉中将の予備役編入、軍令部第一部長・嶋田繁太郎少将の第一戦隊司令への転出を始めとする大鉈を振るい、始末を付けた。

 後はひたすらに、来るべき決戦へ向けて戦力の整備に邁進した。それはなりふり構わないもので多方面に及んだ。

 順当なところで、艦艇の整備。
 ルソン沖海戦で大破した【日向】と未だ艤装工事中の【比叡】を除く、全戦艦が投入可能な状態になった。加えて、戦応型駆逐艦の建造促進。当初五ヶ月前後で竣工していたソレは、三ヶ月以下まで短縮されていた。これは日本帝国の国力を考えると、一年以内に決着を付けないとならないと考えられたためだった。であるならば、一年以内に投入できない戦力整備は行わない。見事なまでの割り切りは、日本では珍しいことに直線的に実施され、既存艦艇の急速整備と一年以内に配備可能な軽艦艇の集中建造が行われた。

 次に魚雷。
 画期的新型魚雷が開発され、量産を開始していた。度重なる事故にもめげず実用化された九三式酸素魚雷。速力四九ノットで駛走距離二〇〇〇〇メートル。あまりに高性能すぎて、どのように使うべきか迷いすら産みそうだった。もっとも製造に手間取り、精々が各艦一斉射分の用意しか出来ない見込みだった。それに長期間、艦艇へ積みっぱなしにも出来ない。所詮は一九二〇年代の設計で一九三〇年代の日本国産製品である。特に気密に関わるパッキンなどは当時日本の苦手とする領域だ。フル装気されていても、気抜けしてしまい、そうは持たない。抜けた第二空気は装気装置にて充填されなければならないが、それはまだどのフネにも積まれていなかった。ゆえに出撃直前に装気後、各艦へ配備するしかしょうがないと考えられていた。

 更に艦載機。
 未だ発展中と見られていたため、これまで戦力整備も緩やかだった。例えば開戦時の【天城】【赤城】など、常用機で六〇機の定数を持っていたが実際の搭載機は補用機まで含めて三〇機を切っていた。ならば、ソレを満たさねばならない。誰もがそう考えるように海軍もそう考えた。
 ただ残念なことに、ここ近年開発中の物まで含めて新型の艦上戦闘機・艦上攻撃機は空技廠・三菱・中島、揃いも揃っていずれも奮わなかった。そのため、小改修した既存機の大増産が計られ、中島九〇式艦上戦闘機二型・三菱一三年式三号艦上攻撃機が、開発各社のみならず海軍各工廠においても、続々とその数を増していた。また、爆弾命中率に画期的向上をもたらす新戦術『急降下爆撃』を行う新機種として、愛知で試作されていた通称【軽爆機】は、試験飛行での良好な成績から制式化もされないうちに増加試作の名目で量産が開始されていた。一方川西でも、試作されていた三座の長距離水上偵察機が良好な性能を示したため、同様の措置が採られた。勿論、機材は揃っても人が揃うわけではない。

「航空畑の魁、松山中将と山本少将か。あの人達らしいといえば、それまでだが……」

 だから、航空本部長・松山茂中将、第一航空戦隊司令・山本五十六少将が揃って陸軍へ頭を下げ、航空機搭乗員を借り出していた。組織の必然として、陸海軍の確執は確かにあったが、それを乗り越えてでも絶対に必要だった。もっとも陸軍にしても本土固守方針から、戦争に全く寄与できていなかったから、これは渡りに船だった。明治以来の大陸不侵出は陸従海主をもたらしており、これをいくらかでも覆すために、陸軍は秘匿機の貸与すら逆提案した。

 アレコレ慌ただしいことであるが、そんな中には平時であれば一笑に付して門前払いするような空想科学じみたものもあった。

「ほぅ、柳本中佐殿はなにやら面倒事に巻き込まれたらしいな」

 柳本柳作中佐。英国駐在する予定であったが、米国との間が焦臭くなったため、渡英は中止。現在は艦本造兵監督官の肩書きのまま、海軍軍令部へ出仕しているはずだ。そこで彼は憂国の志に燃える東北大学教授に捕まってしまったらしい。
 東北大学工学部教授・八木秀次。一九二六年、国内学会にて、指向性アンテナと分割陽極マグネトロンの研究成果を発表した。勿論、渡来品の大好きな日本人は、誰もその重要性に気づかなかった。日本で電気といえば強電しか研究者が居ないような時代で、弱電を研究し続け生まれたソレは、軍事的パラダイムシフトですらあった。

「将来はこれさえあれば、昼夜変わらぬ主砲射撃に、皆中違わぬ砲弾・魚雷の雨あられか。
 確かに正気の沙汰とは思えない」

 八木教授の作成した資料には、そのようなことが書いてある。迅は学校時代に愛用した秘蔵本(なぜかある種の湿気を帯びた気配アリ)を見つけたような気分になる。眩暈がしてきた。アンテナとマグネトロンを使用して、諸元の精度を高め、主砲射撃までは理解できる。実際、夜襲では探照灯などを使っている。この際に電波が少々加わったところで騒ぎ立てる程の問題ではない。どうせ、夜間に直径1メートルを超える探照灯など灯ければ、数十キロ先からでも余裕で見える。しかし、砲弾の発射衝撃はひ弱なアンテナその他など圧し潰してしまうだろうし、水中に電波は通らない。何より口上通りそんな便利な物なら、使い捨てにするには勿体ない。勿体ないはともかく、自分から当りに行く砲弾や魚雷まで行くとかなり疑わしい。荒唐無稽すぎた。だが、今は戦時中だ。無理と無茶の観艦式を無謀が嚮導しても、不思議はない。さすがにいくら戦時中とは云えど、海のものとも、山のものともつかぬものを一挙に全艦艇へ搭載するほど、日本帝国海軍は暇でも酔狂でも無かったが。

「だからといって、戦艦持ち出すとは。
 やりますな、柳本中佐。はっはっは」

 ただ艦政本部の手元には、ちょうど高速戦艦への大改装と新型戦艦の各種艤装テストベッドになった関係から未だ艤装工事中であった【比叡】があった。機材の大きさからいって、この程度の艦体は必要だ。この際だから、厄介ついでに括り付けてしまえ。本当に柳本中佐がそう思ったかどうかは別として、実に無精なこの発案は、周囲から日本人らしい消極的な肯定を得て実施されていた。

「かくて、戦争の夏は来たれり、か。
 私も盛夏がキチリと日本沖合に届くよう、努力が必要だ」



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