かくして、無意味な大決戦が始まろうとしていた。
後に『第一次マリアナ海戦』呼ばれることになる緒戦は、双方の潜水艦による索敵合戦だった。両陣営ともに、これまで対潜能力の向上により、酷い損害を出していたから、索敵に徹する指示が出されており、この段階では本格的な戦闘は発生していなかった。各潜水艦は哨戒海域へと向かい、敵艦隊に関する情報収集に集中していた。もっとも、発達していた低気圧により海上は荒れており、さほど洋上監視能力を持たない潜水艦達では、かなりあやふやな概略情報を得ることが精一杯であった。
そのただ中、本格的な戦闘開始と呼べるのは、一三日未明に行われた日本海軍の夜襲がそう言えるかもしれない。
ただ、戦前の想定である一個艦隊丸ごとの投入ではなかったため、それをして「あれは単なる索敵活動だ」と言い切るモノも多い。その程度の夜襲であった。
参加艦艇は第二艦隊所属第一航空戦隊分遣隊のわずかに八隻。
戦艦【比叡】
軽巡【大井】【北上】【木曾】
戦応S型駆逐艦四隻
実際に戦闘らしい戦闘ではなかった。
:
一航過による一度目の雷撃開始前。【比叡】夜戦艦橋は緊張に包まれている。素人目には妙な曲線が映っているだけにしか見えないスコープを覗く宇田博士は、かすれるような声で告げた。電波探信儀開発者・八木博士の共同研究者である彼は実験室段階を超えていないそれを操るために、特に志願してここにいる。彼は愛国者だった。
「敵艦隊捉えました。方位……」
続いて告げられる情報をとりまとめる柳本中佐。【比叡】艦長・井上成美大佐から「適当にやれ」と言われた成り行きから、中佐の身分で今夜の主役を務めている柳本中佐は妙な感慨を抱きつつ、伝令を呼び、命令した。
「一三戦隊に通達……」
再び宇田博士の声。
「こっちに向かってきているのがいます」
「通達、急げ!」
伝令が飛び出してから、しばらくして
戦艦として初めて装備された高声器が響く。
「一三戦隊、統制雷撃を開始。開始。第一射を確認。確認。本艦隊はこれより一斉転舵を行う」
状況を比較的細かに述べるのは、宇田博士へのリップサーヴィスかも知れない。柳本中佐はそんなことを思いつつ、宇田博士に告げた。
「博士、舵を切ります」
「了解です。しかし……」
宇田博士の不思議そうな声
「しかし?」
柳本中佐は聞き返した。
「二度に分けないと駄目なモノなのですか? 魚雷発射ってのは」
柳本中佐は苦笑した。第一三戦隊の【大井】【北上】【木曾】は酸素魚雷による遠距離隠密雷撃戦術のために改装された重雷装艦だ。全艦合わせて計三〇基の四連装発射管は艦の両舷振り分けられているので、全管一斉発射などしても半分が無駄になる。このことをどう伝えるべきか迷ったためだ。
「まあ後ろの連中、敵さんの方、向けられるのが半分しかありませんから」
「そうですか……」
なにか言いたそうな宇田博士の様子に、柳本中佐は聞き返した。
「それがなにか?」
「いえ、魚雷が自分で指示された方向へ行くようにすれば、一度に全部撃てるのではないかと。そう思いましてね」
なるほど、と柳本中佐は考えた。確かに道理ではある。いちいち艦を動かさずに魚雷の方を動かすようにすれば、発射機会は一度でよい。制約の多い艦艇デザインの拘束要因も減る。いいことずくめだ。ただ……。
「それができるほど上手くできていないんですよ、今の魚雷は」
「不便なモノですなぁ」
「全くです」
二人がやべるきことをやりつつ、そんな会話をしていると、再び高声器が響く。
「一三戦隊、統制雷撃を終了。本艦隊はこれより本隊との会合点へ急行する」
結果的に、日本海軍による二度の魚雷発射は大した戦果を得ることができなかった。
命中魚雷はたった1本。それも駆逐艦へだ。
ただ、米艦隊側は、夜間索敵範囲外・距離一五〇〇〇より放たれたことから、この攻撃を潜水艦による艦隊攻撃と勘違いした。そのため、比較的劣勢な小艦艇を敵潜水艦制圧のために拘束され、その他艦艇乗員の消耗も増した。その点を評価して、この攻撃を重大評価するモノも多い。