米国第三二代大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、彼が私的に招集した陸海軍および国務の実力者たちを前に、国務長官コーデル・ハルへ事態の推移を確認した。
「日本の対応に変化は?」
「はい、大統領。真摯たる態度で謝罪の言葉を昨年より再三に渡って、届けてきております」
プラット海軍作戦部長もそれに同意した。
「日本大使館駐在武官シモムラからも同様の言葉を受け取っております」
「真摯たる態度でか。それはどこの基準でだね」
「文明国以下、未開国以上で、と言ったあたりでしょう。
勿論ご承知の通り、日本帝国は国際法上、文明国して扱われております」
ハルの言葉にルーズベルト大統領は、侮蔑の色を隠さずに言った。
「第一次世界大戦で小賢しい立ち回りが、ジョンブルどもに諧謔を感じさせた褒賞か」
ルーズベルト大統領の言葉に、プラット海軍作戦部長は客観的な意見を述べた。
「イギリス人の帝国は斜陽を迎えております。落ち込む気分を慰めてくれる道化に愛を感じても致し方ない、といったところでしょう」
ルーズベルト大統領の反応は、予想通りの物だった。
「その道化がアメリカの権益を侵している」
ハル国務長官は、手元の資料へ目を落としながら淡々と述べた。
「彼らは地理的条件を利用して、中国と新白ロシアで経済的利益を上げております。それは大戦で著しく成長した工業能力を証明するモノでもあります。
勿論、我が国の数分の一以下でありますが」
「黄色人種には過ぎている」
「はい、大統領。だから、シャンハイで我々の砲艦を沈めるような事態を招きます」
「思い上がりも甚だしい。文明国の宗主としては、懲罰を与える義務がある。世界の真理を知らしめねばならない」
ルーズベルト大統領の口調は権力者らしい何処までも誠実だが、虚ろな響きを持っていた。ハル国務長官は淡々と国内情勢を述べる。
「ですが、我が国の国民は、生活を圧迫するような戦争を望んでおりません」
「民衆はどうしても視点が卑近になる。だが、彼らが今の生活を大事することも理解できる。
そして私は、国民の生活を守るために、努力を惜しまない。
コチィ大佐、日本との戦争期間についての見積もりは?」
海軍大学校で対日戦を研究しているコチィ大佐は、淡々と答えた。
「はい、大統領閣下。
五年程度と見積もっています。戦力整備に四年。日本降伏まで五年」
それを聞いて、陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーは彼らしい尊大な口調で口を挟んだ。
「大統領、そのスケジュールでは陸軍としてはフィリピンの防衛に問題を覚えます。フィリピン総督セオドア・ルーズベルト・ジュニア氏の安全が確保できない」
米国民の人気者セオドア『テディ』ルーズベルトの子息を人質にしたマッカーサーの言葉に、ルーズベルト大統領は少し苦い顔をした。そんなにマッカーサー家がフィリピンに抱える権益が大事かと不愉快になる。ルーズベルトは、全く政治家らしい態度で直接回答を行わなかった。
「キンメル大佐、君はどう見る」
「日本には【ナガト】がいます」
「知っている」
「ですが、今は動けません。演習で、僚艦【ムツ】と衝突事故を起こしたからです」
日本帝国海軍の昭和七年秋の大演習は、実戦さながらに全艦照明を消し、激しい風浪の中、模擬水雷まで撃ち合う激しいものだった。だが、このような演習には危険が伴う。この演習は特にソレが顕著に顕れており、【長門】【陸奥】をはじめとする戦艦二隻、巡洋艦一隻、駆逐艦二隻の事故艦と、百名を超える行方不明者をだしていた。軍事的にどうこうと言うより、官僚的本能に従って日本帝国海軍は事故を隠蔽しようとしたが、例によって全く成功していなかった。
「現在日本の稼働可能な一線級戦艦は【トサ】【カガ】【イセ】【ヒュウガ】の四隻が確実なだけでしょう。
【フソウ】クラスや【コンゴウ】クラスは、いずれも近代改修工事に入っておりますし、あの恐るべき【サガミ】もドック入りしております」
「そして、プレドレッドノート戦艦二隻の一方は一昨年爆沈して、もう一方はつい最近座礁事故を起こした。しかし、日本帝国海軍は事故が多い。就役早々にいきなり主砲爆発事故起こした戦艦もいた」
「はい、大統領。それは【ヒュウガ】のことでしょう。一九一九年のことです」
この事故により、すでに欧州へ艦隊を派遣していた日本帝国海軍は恐慌にすら陥る。その慌てふためき振りは、海すら軽々と飛び越えて、ワシントンでも実によく聞こえていた。当時まだあの恐るべき【ナガト】級は建造中で、六隻は海外派遣、国内に二隻しかいない超弩級戦艦の片方が使用不能になったのであるから理解はできるが。
「つまりは、野蛮人には過ぎた代物だと言う事だ」
大統領の断言に、キンメル大佐は当時の様子を思い出しながら、言った。
「彼らの安全基準はともかく、今なら勝てます。ことによると、フィリピンに派遣している艦艇戦力で彼らの可能行動を抑圧し、潜水艦で締め上げれば、陸上では何一つ失うことなく」
マッカーサーはわずかに顔をしかめて呟いた。
「海軍の戦争と言う訳か」
「勿論、現在の情報が日本軍の欺瞞情報の可能性もあります。
万が一と知ったレヴェルで」
そこで会議出席者は一斉に笑った。特に新白露や中国への赴任経験があり、日本軍将兵の防諜教育程度を知るジョージ・C・マーシャル陸軍中佐のそれには、実感がこもっている。
「おや、マーシャル中佐は、いささかキンメル大佐とは違う意見をお持ちのようだぞ」
「はい、大統領閣下。確かに彼らの情報管理能力には問題があります。しかし、まったく見所がないわけでもなく、最近一部では効果的な防諜も行っております」
それを聞いてハル国務長官は、叔父の不貞でできてしまった従兄弟の不出来さを嘆くように言った。
「少し目先を変えてやれば、いくらでも取り出せている。たとえば、親善試合を行うために送り込んだベースボールチームに、何故か一切のプレーをしない選手がいる場合など」
キンメル大佐は厳めしい表情を作って、同意した。
「確かに」
「では、戦争で必要とされる見込みをどう見る、キンメル大佐」
「一年以上、二年未満。フィリピン防衛戦力の充実に半年、前進基地の建設に半年。海上通商路を締め上げられ、日本の備蓄資源が枯渇するまでに更に半年。その後は決戦を挑むしかない日本人を始末すれば、終わりと考えます」
「その決戦に勝てるのか?」
「一年後までに日本が戦艦を全て投入可能に出来たとしても、一三隻。こちらは、二六隻。本国防衛を考えても十分」
キンメル大佐の言葉にルーズベルトは満足した。
それはルーズベルトの有力な後援者である、ウォール街を支持基盤とするロビイスト達を満足させるであるからだ。ウォール街に棲む者達は、先の大戦で合衆国は重大なビジネスチャンスを損ねていたと考えており、不況に悩む米国経済の消費口として今回の事変を捉えており、利益確保に血道をあげていた。
当然、ニューディール政策などと実体のない謳い文句で大統領の座を得たルーズベルトがその意向を無視できるわけがない。
ルーズベルトは彼らしい態度で厳かに告げた。
「よろしい、国民生活を脅かさない理想的な限定的戦争が行えるというわけだ。
では始めよう」