今朝はアーチャーとの稽古どころではなかった。
桜が血まみれで玄関に倒れていたのだから。
オレはすぐに、桜を運び出し遠坂に任せた。
桜は見た目は昨日とあまり変わらなかったが、遠坂の話ではもうボロボロらしい。
このままじゃ、桜が…と思っていたときアサシンが結界と二人のサーヴァントの目をごまかし、オレに間桐臓硯との密会を設けられた。
その密会の場で、オレは気付きたくなかったことに気付かされたのだった。
このままでは桜は保たない、そしてこれからも犠牲者が出続けるということ、そしてそれを解決する方法は一つでオレにしかできないということだ。
密会が終わり、オレは家への道を歩く。
…歩く、歩く、歩く、歩く、歩く。
桜の待つ家に向かって崩れそうな足で歩く。
坂を下りる、このままいつもの坂を登れば、もう衛宮の家だ。
その坂の頂上付近で、
「どこへ行っていた、衛宮士郎」
アーチャーがこちらを睨み立っていた。
…アサシンには気付かなくても出て行くオレには当然気付いたようだ。
「…別に、ただの散歩だよ。お前こそ遠坂を守ってなくていいのか?」
オレはできるだけ平静を装い、そのまま通り過ぎようとする。
だというのに、
「その様子では、あの影の正体を知ったようだな。ふん、とっくに薄々感づいていただろうに、つくづく救われない男だな、衛宮士郎」
アーチャーは、はっきりと核心を突いてきた。
「おまえ、…」
いつから、などという問いは口から出ることはなかった。
もう、そんなことには意味がない。
「…遠坂は、知っているのか?」
アーチャーはその質問に答えず、オレの目をまっすぐに見据える。
喉が渇く、全身の血が逆流しているような感覚がする。
アーチャーはただ無言で衛宮士郎を睨みつけている。
どれぐらい経っただろうか、一分にも満たない時間がやけに長く感じられた。
「分かっているな、衛宮士郎。おまえは、おまえが倒すべき相手をすでに知っている」
それはいつか、教会の前で同じ言葉を同じ男に言われた。
アーチャーの言葉は衛宮士郎の迷いという傷口を抉り取る。
「思い出せ、今まで何のために生きてきた。救いを求める人々を救うために、無関係に巻き込まれていく誰かを助けるために自らを肯定してきたのだろう」
オレのことを知らないはずの他人の言葉のはずなのに、それは自分自身の生き方を知っているかのようだった。
「それを、たった一人のために否定するのなら、それを裏切るなら、…衛宮士郎は自分自身に裁かれることになる」
目の前の男はオレ以上にオレの在り方を断言した。
アーチャーは話が終わったとばかりに霊体化し主の元へと戻った。
この会話はいつかの繰り返しだ。
そして、オレはあの時、正義の味方ではなく桜の味方を選んだ。
それでは、今度はどうするべきなのか。
いや、答えは出ている。
そうしなければならない、そうしなければならない。
あの十年前の惨劇の中、唯一、生き残った俺があの惨劇が再び起こることをどうして許すことが出来るのか。
そう…オレは自らの手で桜を…さなければならない。
夜の十時、ライダーは異変を感じて自らの主の元へと戻ろうとしていた。
おそらく、あの少年が真実を知り、桜を殺そうとしているのだろう。
少年とは数回しか会話したことがないが、その人となりは感じ取れたのでこの決断をするのにどれほど悩んだかは想像を絶する。
そのことについて、ライダーは少し心痛んだが、それだけのこと。
桜を傷つけようとするものは誰であれ生かしては置けなかった。
まだ、少年は部屋に入ったばかり、まだ間に合う。
それを、
「どこへ行く気だ、ライダー」
赤い弓兵がその行く手を阻んだ。
ライダーは立ち止まりアーチャーを眼帯越しに睨みつける。
「どきなさい、アーチャー。どかないのならば殺します」
対するアーチャーは無言だ。
もはや、言葉は不要とばかりにアーチャーの両手には短刀が握られている。
思えば、この男は初めから桜のことを殺そうとしていた。
それを今夜、必殺の機会を得て実行したにすぎない。
ライダーは絶望的な突進を始めた。
アーチャーにとってはこの戦いはほんの少し時間を稼ぐだけの戦いだ。
ライダーを倒す必要はまったくない。
この勝負は初めから全てアーチャーが有利であった。
ライダーの放つ一撃をアーチャーはさばき続ける。
反撃してくる様子もないアーチャーの戦いぶりにライダーはさらに苛立つ。
アーチャーの守りは鉄壁だ。
とてもじゃないが通常の攻め手では崩せない。
アーチャーを倒すとするのならば宝具を使うほかに手は無い。
しかし、宝具は大量の魔力を消費する。
そんなことをすれば桜の体が持たないだろう、それでは本末転倒だ。
ゆえにライダーに出来ることは無駄だと知りながら、突進を繰り返すのみだった。
戦いがはじまって三十秒程経つが、まだ桜は死んでいない。
おそらく、衛宮士郎は桜を目の前にしてナイフを振り下ろすのをためらっているのだろう。
だが、それも時間の問題のはずである。
あの男は今までの自分を否定できない、否定できるはずがない。
その結果として、この身があるのだから。
初めから、衛宮士郎がすぐに桜を殺せる男でないことはとっくに承知している。
ゆえに、時間を稼いでいるのだ。
じきに、あの男は決断しナイフを振り下ろすだろう。
そのとき、この戦いは終わることになる。
桜が死ねば、残る敵は間桐蔵硯とアサシンだけということになる。
決して楽観していい相手ではないが、アーチャーはアサシンにならまず間違いなく勝利することが出来る。
ああ、そうなると自分の目的も達成できるのではないか?
衛宮士郎を自らの手で殺す、すでに諦めかけていたが可能性が再び出てきた。
そんなことを頭の片隅で考えながら、アーチャーは守りに徹する。
さらに、一分ほどが経過するが、桜はまだ生きている。
何をしているのだ、あの小僧は。
アーチャーは、決まっている答えを出そうとしないかつての自分に苛立ちを感じ始めた。
騒ぎを聞きつけた凛とイリヤが縁側から、中庭での二人の戦いを見ている。
二人ともこの戦いの理由が分かっており介入する気はない。
さらに、状況が動かないまま、戦いが続き意外なほどあっけなく決着がついた。
「士郎!」「シロウ…」
その声にアーチャーもライダーも戦いを中断する。
衛宮士郎が桜の部屋から出てきたのであった。
桜はまだ生きている。
だというのに、何故貴様はそこにいる!?
アーチャーが硬直している隙にライダーは己の主の元へと戻っていた。
士郎が縁側から裸足で中庭に出てくる。
そして、アーチャーの前に立つ。
その目には迷いが全くなかった。
アーチャーは殺気を隠そうともしない、完全に敵を見る目で士郎を睨んでいる。
「士郎…、アーチャー」
凛は近づくことが出来ない。
それが引き金になってしまうかもしれないからだ。
ただ、自分の手の甲のあとたった一つの令呪を確認した。
「…貴様、自分が何をしたのか分かっているのか!」
「…ああ、分かってるさ。もう、迷わないと決めたんだ」
アーチャーの敵意のこもった目をまっすぐな目でにらみ返す。
「オレは、これから桜を守り続ける。世界中が敵に回っても桜を守ってやるんだ。俺は桜の味方になる!」
一切の曇りもない、まっすぐな感情を口にした。
その言葉にアーチャーの心の中にあらゆる感情が流れ出した。
絶望、憤怒、憎悪、悲哀、恐怖、嫉妬、歓喜、そして最後は真っ白になった。
今、目の前にいる男が誰だか分からなくなる。
お前は誰なんだ?
そして、オレは誰だ?
静寂が二人を包む。
声を出すものは誰もおらず、虫すらも鳴くのをやめていた。
やがて、アーチャーは口を開いた。
「…そうか、お前は選んだのだな。では、好きにしろ」
その言葉には信じられないほど虚ろであった。
アーチャーは霊体化すると、屋根に戻った。
「ちょっ、ちょっとアーチャー!」
凛が慌てた様子でアーチャーに呼びかけるが返事は無い。
イリヤはいつのまにか士郎の元へと来ていた。
「イリヤ…」
「ううん、何も言わなくていいよシロウ。言ったでしょ、公園で。どんな選択をしようと私はシロウの味方でいてあげるって」
イリヤはニッコリと微笑んだ。
「…どうした、凛。何か用か?」
私は、アーチャーを屋根から部屋に呼び出したのだが、なんと言っていいか分からない。
ただ、分かっているのはアーチャーがひどく傷ついているということだけだ。
アーチャーからは皮肉気な様子はすっかり消え、まるで傷ついた子犬のようだった。
「どうしたのよ?さっきから全然、あなたらしくないじゃない」
「オレらしくない?…オレらしいというのはどんなのなんだ?」
力なく、アーチャーはいつもと違う口調で呟く。
アーチャーはいつだって余裕があって、使い魔のくせに可愛げが全く無く、いつも皮肉を口にするキザったらしでないとならない。
…そうじゃないと、私が困ってしまう。
「いい、アーチャー。何がそんなにショックだったか分からないけど、戦いはまだ終わってないのよ。あなたがそんな様子でどうするのよ」
「…愚問だな、凛。私はショックなど受けていない。私は冷静そのものだ」
…そんな顔で言われて、どう信用しろと言うのか。
何故だか、分からないがいまのアーチャーは普通じゃない。
このままじゃ、明日以降の戦いに影響が出る。
なんとかしないとならない。
しかし、私はこんなときになんて言ってやればいいかわからない。
どうしようかとかんがえたとき、なんとなくアーチャーの唇が目に入ってしまった。
どうして、そんなことをしたのか後になって考えてみても分からない。
きっと、私も混乱していたのだと思うしきっと若さゆえの過ちというか勢いというか、とにかく気付いたら私は背伸びしてアーチャーの唇に自分の唇を重ねていた。
アーチャーの目が驚きで見開かれる。
当然だろう、やってしまった私自身が驚いているのだから。
「…凛、君は」
「あっ、ごめん!今の無し。すぐに忘れて。ほらなんていうの、そんな雰囲気かなぁと思っちゃっただけで、他意は無いっていうか…。とにかく気にしないで!」
アーチャーの言葉を慌てて遮った。
考えてみれば、これはファーストキスだ。
あらためて顔が熱くなるのを感じる。
もう、すでに真っ赤になってしまっているだろう。
とてもじゃないがアーチャーの顔を見れない。
アーチャーはさっきから無言だ。
呆れてしまったのか、もしかしたら軽蔑されてるかもしれない。
こんなときに君は何を考えているのだ、とか。
そっと、アーチャーの表情を伺ってみる。
アーチャーはまっすぐ私を見つめていた。
「あっ…」
何も言えなくなり、呼吸が停止する。
アーチャーはゆっくりとした動作で、私を自分の胸元へと引き寄せた。
「アー、チャー?」
恐る恐る顔を上げると、アーチャーの顔が近づいてきた。
………セカンドキスだった。
その夜、遠坂凛はまあ色々あったとだけ告げておこう。
あとがき
この話で完全にアーチャーと士郎は別人になってしまいました。
そして、物語は佳境へと向かっています。
次の日の話は一話でまとめるには長くなるため、二話か三話に分けさせてもらいます。
皆さんの意見や感想をお待ちしています。