彼女が何故そこに現れたのか? その理由は本人にも分からない。
尋ねられても、気が付いたら、そこにいたからとしか答えようがないのだ。
そのことに関して気にならないと言えば嘘になる。だけど、そんなことがどうでもいいと思えるほどの驚きがここにはある。
彼女、四方茉莉は夜禍人と呼ばれる存在である。
基本的に不老不死にして、人間を大きく上回る身体能力と特殊な力を持ち、そして日の光を浴びると体が崩れ落ちて死んでしまう夜の住人。
そんな彼女が青空に憧れるようになったのは、遠い昔に出会ったある姉弟の影響。
青空に憧れて、でもそれが果たせなかった長い年月。
だけど、ここに来てその望みは叶う。
天に輝くそれは、本当の太陽ではない。なんでも魔法で作った映像に過ぎないのだという。それはそうだろうと彼女は思う。そうでなければ、夜禍人たる自分が生きていられるはずがないのだから。
だけど、そんなことは些細なことだ。自分は今青空を見上げて、その下を歩いている。それ以上に大切なことなどあるものか。
自分が、それと出合ったのは神の奇蹟か、さもなくば悪魔の悪戯によるものだったのだろうと、プレシア・テスタロッサは思う。
最初、侵入者だと思った彼女は、それを排除しようと攻撃の魔法を解き放った。
非殺傷などではないその魔法は、間違いなくそれに致命傷を与えたと思ったのだが。それは、負った傷を瞬く間に修復していた。
何者なのかと誰何した彼女に、それは自分が夜禍人であると答えた。
人が眠っている間に捨てた苦しさや不安や憎しみが集まったもの。人間自身が捨て去り忌み嫌う、もう一人の自分。そんなふうに呼ばれる存在。
そして、不老不死の上、生来の夜禍人は人間を夜禍人に変え、死者の命を繋げることすらも可能にする超常の生物でもある。
その存在は、彼女に大きな関心を持たせた。
彼女には娘がいた。何と引き換えにしても惜しくはない大切な娘。馬鹿げた理由で幼くして命を失った可哀想な娘、アリシア。
その娘を蘇らせる。そのためだけに自分の命はあるのだと言っても過言ではない。
死者を還すなど不可能に近いことだということは、彼女にも分かっている。それでも諦められない彼女は、一縷の望みに全てを賭けていた。
だが、この夜禍人を使えば、分の悪い賭けなどせずとも娘を蘇らせることができるのかもしれないと彼女は考えた。
その考えに対し、それは難色を示した。
夜禍人は人々に忌み嫌われ、日の下を歩くという当たり前のこともできない存在だ。小さな子供を、そんな悲しい存在にしてしまうことを、それは嫌ったのだ。
だけど結局、それはアリシアを夜禍人にすることに同意した。実際問題として、いくらなんでも死後何十年も経つ遺体を蘇らせることができるなどとは思わなかったのだ。
だが、それの予想に反してアリシアは夜禍人として蘇った。狂喜した彼女は自分をも夜禍人に変えるようにと、それに要求した。
彼女は自分の命が長くないことを理解していた。
別に、自分の命など惜しいとは思わない。だけど、幼くして永遠を生きる運命を背負った娘を置いて逝くことなどできない。
そうして、人であることを捨て娘の蘇生と、自身の肉体の回復を果たした彼女は、そこで我に帰る。
娘を蘇らせる。そのためだけに生きた。その想いがなければ立ち上がることもできないほどに病に肉体を蝕まれていた。だから、彼女は正気を失っていた。
その正気を取り戻した時、彼女は自分が娘に対して、いかに残酷なことをしてしまったのかに気づいてしまった。
不老不死。それを求めない人間などいないだろうと彼女は思う。
だけど、アリシアは子供なのだ。たった五歳なのだ。その姿で、永遠に時の流れから置いていかれる。しかも、外で遊ぶのが楽しい盛りの年齢で、日の下に出ることを禁じられてしまったのだ。破れば死が待っているという罰と共に。
だからといって、それ、四方茉莉という少女を恨む権利は自分にはない。
アリシアを夜禍人にして欲しいと願ったのは自分で、茉莉は何度も思いとどまるようにと言っていたのだから。
だから彼女は決意する。自分の永遠の時間は、すべて娘が人並みに生きるために費やしようと。
フェイト・テスタロッサが、使い魔のアルフと共に『時の庭園』に帰った時、彼女は酷く困惑することになる。
いつも暗く淀んでいたそこは、天には鮮やかな青空が広がり、地には緑が溢れ、そこには三人の人影がいた。そして、その三人はそれぞれがフェイトを驚かせる。
一人は、プレシア・テスタロッサ。フェイトの母であり、ここしばらくは常に彼女を酷く虐げ続け笑顔など見せなかった女性。
一人は、良く知った顔を持つ、知らない少女。フェイト本人とそっくりの顔をした。年少の少女。
一人は、見知らぬ女性。紫がかった長い黒髪を腰まで伸ばし、同色の瞳を持つ明るい笑顔が印象的な女性。と言っても、フェイトから見れば年上の女性だというだけで、実際には十代の少女にしか見えないのだが。
その三人が、楽しそうに笑い合い話し合うそこは、あまりにも彼女の日常とはかけ離れていて。だから自分は、間違った場所に来てしまったのかと彼女は疑った。
そんな彼女に、最初に気づいたのは長い黒髪の少女、四方茉莉。
「あれ? あの子アリシアにそっくりだけど、お姉さん?」
「ううん。知らない人」
不思議そうに顔を向けてくる二人に、フェイトは更なる困惑に襲われる。
フェイトに妹はいない。少なくとも、プレシアから妹の話など聞いた事がない。だけど、アリシアという名には覚えがある。
それは、一度見たことのある夢で母プレシアが自分を呼んだときの名。しかも、アリシアと呼ばれた少女は、その夢に出てきた時の自分と同じ年齢、まったく同じ姿なのだから、混乱するなというほうが無茶な話だろう。
そんな、わけが分からないでいる少女たちに、プレシアは苦笑と共に答えを明かす。
「あの子は、フェイト。アリシア、あなたの妹よ」
その言葉に一番驚いたのは誰だっただろう。どう見ても、ファイトの方がアリシアより年上なのだ。しかも、フェイトは姉がいるなどという話を聞いたことがないし、アリシアの方も妹がいるなどという話は初耳である。
「え~と、アリシアは何歳?」
「5歳!」
茉莉の質問に、元気良く答えるアリシア。
「じゃあ、そっちの……、そう! フェイトちゃんは何歳?」
「9歳……」
消え入りそうに、ボソリと呟いた小さな声であったが、茉莉にはそれが聞こえた。
「ほら。フェイトちゃんの方が年上じゃない。プレシアの勘違いじゃないの?」
そんな茉莉の言葉を予想していたのだろう。プレシアは、くすくす笑って種明かしを始める。
「アリシアは、長い間眠っていたもの。フェイトは、アリシアが眠っている間に生まれた子供なのよ」
そう言ってフェイトを見るプレシアの眼は、夢でしか見たことがないほどに優しくて、だからフェイトは不安になる。
フェイトがどれだけ頑張っても、どれだけ尽くしても母は笑顔を見せてはくれなかった。その母が、笑っている。
おそらくは、アリシアという少女が、ただそこにいるというだけの理由で。
それは、つまりプレシアにとってアリシアこそが愛する娘であり、フェイトはそうではないということを意味している。
今、プレシアが笑いかけてきているのも、フェイトへの愛情ゆえのものではなく、アリシアが存在することから湧き出る喜びのままに自分に顔を向けただけなのだと、理解してしまった。
実のところ、これは誤解である。
元々、プレシア・テスタロッサという女性は優しく包容力のある女性である。
その彼女をフェイトへの虐待に走らせたのは、病により蝕まれた肉体が精神にも影響を与え余裕というものをなくさせたことと、アリシアと同じ顔、同じ声、同じ記憶を与えられながらも、決して消えない齟齬を持つ模造品への苛立ちゆえである。
だが、病から解放されて精神的な落ち着きを取り戻し、アリシアの蘇生が叶いフェイトを偽者ではない一個人として認めることができるようになった彼女は、フェイトに対しても娘としての愛情を抱けるようになっていた。
だから、プレシアは、これまでフェイトにやってきた虐待を深く後悔し、これからはアリシアとわけ隔てなく愛情を注ごうと考えていたのだ。
そんな感情のすれ違いに気づくこともなく、プレシアは言葉を続ける。
「事故でアリシアが倒れてから、もう26年も経っているのよ。だからね、単純に暦だけで計算すればアリシアは31歳になるのよ」
えー!? と声を上げたのは、アリシア。彼女のような年齢の子供にとっては、二十代を過ぎた人間は小父さん小母さん扱いになる。それなのに自分が三十代になっているとなれば、驚くなというほうが無理だろう。
「そっかあ、それで、母さんの顔に皺が増えてたのか……」
「…………」
「でも、それじゃあ私、茉莉さんより年上になっちゃってるの?」
「ふふーん。私は、三百年以上生きてるから、まだまだアリシアなんかに負けないよ」
「ええっ!? それじゃあ、茉莉さんって、すっごい、お婆ちゃんなんだ」
「…………」
プレシアと茉莉が顔を見合わせる。この時、二人の心は一つになった。
アリシアの左頬をプレシアの右手が摘む。右頬を茉莉の左手が摘む。そして……、
「痛い痛い、母さん、茉莉さん、ゴメンなさーい」
それは和やかな光景だったが、フェイトの心を癒すことはない。
むしろ、自分には入っていけない空気だと感じて、心がささくれ立ってしまう。
それを最も敏感に感じ取ったのは、フェイトの使い魔のアルフ。精神的に主とリンクしている彼女は、フェイトの心を理解し苛立ちと共に、それを吐き出す。
「あんたら、何の話をしてるんだよ! フェイトはねえ、アンタの命令でジュエルシードを集めに行って帰ってきたところなんだよ。それなのに、フェイトを無視して何をヘラヘラ笑ってるのさ!」
アルフにとって、フェイト以上に大切なものなど存在しない。その彼女だからこその憤りに、プレシアは反省し、何の話なのか理解できていないアリシアと茉莉は、ただビックリして大きく眼を見開く。
「そうね。ごめんなさいねフェイト。あなたを蔑ろにしてしまって」
そんな風に素直に謝ってくるプレシアに、やはりフェイトは落ち着かず、集めてきたジュエルシードと、ついでにお土産にと買ってきたケーキを渡そうとする。だが……、
「本当に、ごめんなさいねフェイト。もうジュエルシードはいらなくなったの」
そう言って、プレシアはフェイトを手で制しケーキだけを受け取る。
「え……」
呆然と呟き、見つめたプレシアの顔は本当にすまなそうで、だけど自分の頑張りが踏みにじられた事実にフェイトは唇を噛む。
歳に見合わない強力な魔導師であるフェイトにとっても、アルフだけを連れての見知らぬ土地でのジュエルシードの収集は簡単なものではない。
それでも頑張れたのは、これが母の命令だったから。母が喜んでくれると思ったから。だけど、その想いはあっさりと裏切られた。
もちろん、プレシアにフェイトの心を傷つける意図があったわけではない。
だけど、アリシアの蘇生がなった今、危険を冒してまで死者の蘇生も叶うという伝説の地アルハザードを目指す意味はなくなった。そのために必要だった魔力結晶であるジュエルシードを無理に集める必要もなくなった。それどころか、ロストロギアであるジュエルシードの所持は、いらぬ危険を呼び込む災厄の種になりうる。
それに、今のプレシアは、フェイトがジュエルシード集めで、どれだけ辛い思いをしていたのかを理解している。だから、もういいのだという意味を込めて伝えた言葉だったのだが、その想いまではフェイトに伝わらなかった。
そんな時、茉莉から質問の声が上がった。
「ジュエルシードって何?」
その質問に答えるのは簡単だが、魔導師でない茉莉に理解できるかどうかは疑問である。ので、プレシアは簡単に説明することにする。
「ものすごい魔力で持ち主の願いを叶えてくれるけど、なんでもってわけじゃない上に、下手すると世界を滅ぼす危険物よ」
ものすごく、大雑把な説明であったが、茉莉はそれで納得する。
「へー。じゃあ、フェイトちゃんは、そんな危険なものを集めに行ってたんだー」
「そうね。でも、もういいわ……」
そこで、口ごもる。そうだ、考えてみれば自分には必要がないといっても放置しておくには危険な代物であることに違いはない。本来良識ある人間である彼女に、それを見過ごすことはできない。
他に、ジュエルシードを集めている人間がいるのは知っているが、優秀ではあるのだろうが、まだ魔法に出会って数ヶ月の駆け出しの魔導師では、いかにも頼りない。
時空管理局にでも連絡を取ってしまえば解決する話なのだが、それでこちらの事を勘ぐられるのもマズイ。
26年も前に死亡し蘇生したアリシアも、それをなした茉莉も、研究者などが知ればどんな手段をもってしても捕獲し実験体にしたがるだろう。もちろん、プレシア自身もだ。
そして、フェイトの存在にも、管理局に知られると問題のある事情がある。
それ以前に、管理外世界に勝手に降りたり魔法戦をしたりと、管理局に知られると困る犯罪行為をすでにやってしまっているわけだが。
それを許すわけにはいかない以上、管理局との接触はできるだけ避けたい。
「そうね。ここからは私が集めるわ。フェイトはアリシアや茉莉と遊んでなさい」
夜過人となったプレシアは、ここ時の庭園にある偽りの昼の世界でなければ日の下に出られない体だが、それなら夜に出かけて片付けてしまえばいいのだ。効率は悪いが、他に手はない。
そう思ったプレシアに、フェイトはこれまで通り自分が行くと伝える。
「だって、私の方が慣れているから」
そんな言葉に一番驚いたのはアルフである。彼女としても、フェイトのこれまでの努力を無視するようなプレシアに思うことがないわけではないが、もう無理をしなくていいというのなら、それに甘えればいいではないかと思う。
だけど、そうではないのだ。
フェイトは、ただ逃げ出したいだけなのだ。自分という存在を異物だと感じさせる、この和やかな場所から。
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茉莉はアニメの1話以前からやってきた設定。
リリカルの方は7話の辺りの話。
プレシアとアリシアを救済することによって、フェイトを涙目にするのが、この話のコンセプトです。
なので、フェイトがアリシアの夢を見たのは11話辺りだったとか、A's11話の闇の書の作った夢の中では、アリシアと、ちゃんと仲良くできているじゃないかというツッコミは聞こえないフリをさせていただきます。