~拾い子と大黒柱のお仕事~
【名もなき少女】
アタシは両親を知らない。
さらに言えば自分の名前も知らない。
気がつけば文字通り血反吐を吐く訓練を課せられていた。戦争の駒として利用されるために。
アタシと同じようにしてどこからか拾われてきた仲間達も訓練の厳しさで死んだり、訓練が済むとすぐに戦場に送り出され、顔を合わせることはなかった。
訓練という名の拷問は数年間続けられた。
体を鍛えることから始まり、銃器の扱い方を教わり、おまけ程度に読み書きの練習。
何度死ぬかと思ったろうか。
それでもアタシは生き残った。
どうやらアタシは毒に強い耐性を持っていて、さらに身体能力もあったらしい。
学習能力も高かったのか、他の仲間と比べて年若いうちに戦場に送り出されようとしていた。
そして、戦場へ送り出される日がやってきた。
それはアタシが7歳になる少し前の事だった。
4人の仲間と共にすでに人の気配の薄くなった街を静かに、速やかに移動する。
そうして、1時間余り移動した時、敵兵が数人まとまって行動しているのが見えた。
アタシ達の中のリーダー格の男が身振りで指示を出す。
死角へ回り込み、攻撃開始。
持たされた銃が火を吹いて鉛玉を敵兵へ飛ばしていく。
しかし、敵兵の反応は鋭く、撃ち込んだ鉛玉は碌に当たりやしなかった。
そして、反撃。
アタシ達より遥かに訓練され、洗練された動きでアタシの仲間達を葬っていく。
その間にもアタシ達は愚直に撃ち続け、敵兵の何人かは殺せた。
それでも、気付けば残ったのはアタシと敵兵の一人だった。
銃の弾はもう切れている。
アタシに残されたのは教官に渡されたコンバットナイフ一つ。
敵持つ銃の銃口がこちらを捕らえるより早く移動し、かわし続ける。
ここで背中を向けて逃げ出せばあっけなく撃たれ、死ぬ。そんな確信めいた予感があった。
だから必死で避ける。
不意を衝いて敵と交錯するように滑走し、相手の首を切り裂いたが――が浅い。
そして、アタシが再び避けることに徹しようとした時、ついに鉛玉がアタシの腕を、脚を打ち抜き、痛みと衝撃であっけなく体が吹き飛び地に臥した。
アタシを撃った男の嫌に無機質な顔が見える。
そして、アタシにまだ息があることがわかると、再び銃口をアタシに向けてくる。
彼等にとって敵を殺すことはもはや何ら感情を抱くものではないのだろう。
そんな無感情な黒い瞳を見た途端、背筋にヒヤリとした感覚、そして震えだす身体。
――アタシは恐怖している。
生まれた意味もないのに、これから生き続ける意味もないのに、それでも"死"に恐怖している。
歯がカチカチと合わさる音がやけに大きく聞こえる。
早鐘を打つ心臓の鼓動も鼓膜を大きく細やかに振動させている。
鈍く光る無機質な銃口とその先にある無感情な顔。
これが名も無いアタシの見る最後の光景。
いつか写真で見た北極よりも冷たい光景だった。
耐えきれずアタシは瞳を閉じた。
その時、風が吹いた気がした。
トンと軽やかな音、ドスンと何かが落ちる音、ガチャリと金属が地面に落ちる音、それらがほぼ同時に聞こえた。
ジャリと小石混じりの地面を歩く音がこちらへ向かって来る。
こんな寂れた戦場に誰が?
そんな疑問を持って、残った力で再び瞼を開く。
目の前には悲しそうな顔をした白いコートに黒い大剣を背負った男。
口がパクパク動いているみたいだけど何も聞こえない。
緩くパーマがかった薄紅色の髪と空色の瞳を眼に焼き付けて、アタシの意識は途切れた。
気付くと見知らぬ天井があった。
綺麗な木目調の天井で、微かに木のいい香りがした。
暫くそのままぼーっとしていると、違和感が其処ら中にある。
腕や足に柔らかな布が丁寧に巻かれているし、今着ている服も少年兵として着せられていたものとはまったく質の違うもので、しっとりと柔らかで肌によく馴染んだ。
寝ころんでいるコレもそうだ。
訓練時代には木の床の上に薄い布をひいた上で寝ていたのだが、今寝転がっているのはふかふかとして気持ちがいい。
再び眠りに入りそうになる頭を振って、アタシは綿で出来た歯車が回るような思考で今の状況を考え始めた。
まず、アタシは戦場に出たはずだった。
そしてそこで……あの時見た無感情な黒い瞳が脳裏に浮かび身を震わせた。
そう、アタシはあそこで死ぬはずだった。
腕や足を撃ち抜かれ、そして、薄紅色と空色があった。
そこまで思い至った時、部屋のドアが開く音がした。
アタシは慌てて武器になりそうな物を探す、が無い。
警戒したままドアの方を見れば金色の髪を短く整えた少女がいる。
少女を観察してみるがオレンジ色のワンピースに身を包んだとても可愛らしい少女で、肌は陶器のような滑らかさを持って透けるように白い。
身動き一つしない少女の足もとから視線を上げていき、琥珀色の瞳と目が合った瞬間、少女は声を上げてドアの外へ飛び出していった。
「パパぁ! 起きたー!」
ドタバタと駆け回る音がして暫くすると、同じドアから薄紅色の髪と空色の瞳を持つ男がぶつぶつと何か言いながら現れた。
「まったく、パパじゃないって言ったら何度言ったらわかってくれるんだか……」
現れた男を見ると身の丈は180センチに少し届かない位だろうか。細身の体に月と蜘蛛の描かれた黒のTシャツを着て赤いジーンズを履いていた。
顔は整っていて、どこか天使を思わせる容貌だった。
「っと、おはよう。身体は大丈夫?」
そう言われて包帯の巻かれている箇所を動かしてみるが何ら問題がない。痛みもない。
コクリとアタシが頷くと男は微笑んだ。
「よかった。だいぶ酷い怪我だったから、もしかしたら、とも思っていたんだ。何ともなくなって良かったよ」
男の微笑みに捕らわれながらも、アタシの喉は音を発した。
「アンタがアタシを助けたの?」
男は微笑みをそのままに頷く。
どこか居心地が悪くなって男から視線を逸らすと、何かを考える間もなくアタシの喉は次々と言葉を吐き出していく。
「何でアタシを助けたの!? 助けて一体どうするつもり!?」
アタシの問いから間を開けずに男は答えた。
「理由、か……髪と瞳の色が似ていたから、かな? 特に君をどうかするつもりはないよ」
「わっけわかんない!」
知らずアタシは叫んでいた。
アタシはあそこで"生"に何の価値も見出せぬまま死ぬはずだったんだ。
それがこの男の単なる気まぐれで生かされている。
今までの生活は一体何だったの? 死んでいった仲間達は……
気付かぬ間に碧い瞳から涙が流れ落ちようとしていた。
その時、頭に暖かい何かが乗って、アタシの赤みがかった白い髪を優しく撫で始めた。
「過去は過去で、未来は未来だ。これから何をするかは君自身が決めるといい。俺も最近それに気付かされたばかりなんだよ」
知らず声に出してしまっていたらしく、男から慰めの言葉がかかった。
ただ、嫌な感じはしなかった。
顔をあげて男の顔を見ると、男はどこか悲しげに笑っていた。
「アンタ、名前は?」
流れ落ちようとした涙を掌で振り払うと、アタシはそう聞いた。
「俺はリク。君の名前は?」
「……んなもんない」
「君も名前がないのか……じゃあ名前を決めないとね」
勝手に名前を決められることになってしまったみたいだ。
アタシの事はお構いなしに、どうしようか眉間にしわを寄せて悩んでる男、リクの様子を見ると涙の代わりに思わず笑みが零れてしまった。
しかし、名前は中々思い浮かばないようだった。
「さっきの金髪の女の子、あの子は? 娘なの?」
アタシがそう聞くとリクは頭を振った。
「娘じゃないって! 全然似てないだろう? あの子も拾って来たんだよ。あの子はルル。最近やっとまともに喋れるようになったと思ったら、俺の事パパなんて呼ぶんだよ、困った事にね」
そう苦笑いすると、何か思いついた顔をした。
「簡単な名前でいい?」
そう問われたので「別に構わない」と返しておいた。
「それじゃあ、君はリリ、ね?」
ルルに対してリリ。この人は意外と安直な頭の持ち主らしい。
ただ、名前を付けられることに抵抗はなかった。寧ろ……
「オッケー。名前付けてくれてありがと、パパ♪」
内心の照れを誤魔化し茶化すようにそう言うと、思った通りにリクはまた苦々しい顔をしたので笑ってしまった。
「パパはやめてくれ。これでもまだ20なんだよ……。ああ、そういえばこれからのこと決めてなかったね。とりあえずはうちに住むかい?」
これからのこと……考えてみるとこのまま厄介になるわけにもいかない気がした。
「アタシ、脱走兵扱いになってるから……治療と、名前くれただけで十分だよ」
そう言って無理やり笑い、ベッドから降りようとした。
その時、リクがアタシの肩を掴んで笑った。
「戦争は終わったよ。スカ国の戦争煽ってた人達が皆死んだからね。だからリリは自由にしていいんだよ」
リクの言葉を聞きながらも目の前にある空色の瞳から目が離せなかった。
その瞳はリクの言葉が真実だと告げていた。
「リリが嫌じゃなかったらうちで暮らすといい。他の同居人はまた後で紹介するから」
その時のリクの微笑みは今までの辛かった事全部を吹き飛ばすような微笑みで、アタシはリクの胸に頭を預けて泣いてしまった。
リクという男に引き取られてから1ヵ月余りが経った。
誘ってきたものだからてっきりこの家はリクの持ち家だと思っていたのだけれど、実はルナという女性の持ち家だったらしい。
ルナは赤みのさした茶色の瞳に黒髪で、カンザシというジャポンという国独特の髪留めで長い髪を結い上げ、飾っている。着ている服も大方はジャポンのキモノという服を着ている。
そして、食事の用意はいつも彼女がする。
彼女の料理は、少年兵時代に食べたものとは比べようもなく美味しいもので、さらに不思議な事にどんなに疲れていても完食すれば元気になる。ただ、その際に「いただきます」と「ごちそうさま」を欠かしてはならず、さらに完食することを徹底された。
まぁ、徹底されるまでもなくあっという間に食事は食べ切ってしまうのだけれど。
アタシを誘ったリクはといえば、知らない内にフラフラと外を出回っているらしく、その時に料理の食材も獲って来たりしていたが、それ以外に目立った行動はなく、20歳という若さで隠遁生活を送っているのだろうかと疑問に思ったりする。
そして、3人目にして最後の同居人のルルはといえば、ルナの手の空いている時に絵本を読んでもらったりして読み書きを勉強していたり、部屋の中をバタバタと動き回ったりしていた。
そして、お風呂の時以外にはルナが作ったという凶暴そうな熊のぬいぐるみをいつも大事そうに抱えている。
歳はアタシの一つ下なのだがあまりにも子供っぽ過ぎるんじゃないかと思ったが、その容姿からすれば愛らしいの一言で片付けられてしまう程度の問題だった。
ただ、これにも色々と事情があるらしい。
その事情について何度かリクやルナに聞いてみたが、毎回はぐらかされて終わってしまう。
あ、蛇足だけれども、ルルがリクをパパと呼んでいたのはルナがそうさせたからだったそうだ。
今ではリクとルナの事をそれぞれ、リク兄ちゃ、ルナ姉ちゃと呼んでいる。
そんな謎だらけなこの家の暮らしだが、最大の謎はこの家の場所だ。
リクやルナにはまだ危ないから外を出歩いてはいけないと言われているが、言われるまでもなく歩き回ったりなどしない。
この家の周りはだだっ広い森で、家の屋根に上って見てもひたすらに緑が広がっているのだ。
それも、リクに森に生息する動物の写真を見せてもらったが、危険度が高すぎる動物ばかり。
怪しげな、森に入って、動物の餌、なんて辞世の句なんて読みたくもない。
それでも、リクやルナは服に汚れを一切見せずに近場(?)の街まで買い出しに行ったりしている。
スカ国で少年兵をやっていた時に地図を見たことはあったが、その地図の中にこんな森は存在していなかった。
一体ここはどこなのか。いっそ異世界に迷い込んだ気分にもなる。
そんな不思議な家の中で変わらぬ日常を送っていたある日、唐突にリクが話を切り出した。
「明日、仕事に行って来る」
その言葉を聞いたアタシとルルは大層間抜けな面をしていただろう。なぜなら、リクが仕事をするところなど見たことがなかったからだ。
ルルが何のお仕事するのかなー? と言っていたが、アタシも同じ思いだった。
てっきりここでルナと自給自足の生活を送っているものだとばかり思っていたからだ。
そんなアタシとルルの感情を読み取ったのか、リクは悪戯小僧のようににかっと笑って言った。
「ちょっと宝石盗みにね」
ルルは無邪気に「リク兄ちゃって泥棒さんなのー?」と少しはしゃいだ様子で言っていたのを片隅で聞きながら、アタシは何の冗談だ、と思った。
しかし、ルナは何も気にした風もなく「気をつけてね」なんて言っていた。
~後書き~
改訂前、序章2と3に分かれていたのがくっつきました。
内容的には然程変わってないかなぁ、と。
文章力はどうなんでしょ?
少しはましになりましたか?
感想頂けると嬉しいです。
では、また。