本能が叫ぶ。
目の前の獲物を狩れと。
『3話・狩り』
木陰に隠れて息を潜める。
期は未だ最適に非ず。
焦りは禁物。焦燥による失態は歴史が物語る。
故に、焦らず。
どこまでも気配を殺して身を潜める。
獲物は未だ僕に背を向けたまま。
だが、まだ早い。
この距離では確実に獲物を捕えられない。
汗が頬を伝う。
暑い。
物理的な熱気に加え、精神的高揚感が拍車をかける。
暑い。
だが、それでも未だ期は熟さず。
息苦しい程の熱気が身体を覆う。
暑い。
その時、獲物が動いた。
瞬間的に高まる緊張。
精神は高位の次元に移行し、この光景を俯瞰的に感知する。
視線は揺れず動かず真っ直ぐに。
獲物の一挙一動をつぶさに観察する。
目を見開き、その姿を焼き付ける。
こちらまで、あと十歩。
思わず唇を舐める。
思いのほか、唇は乾いていた。
あと、五歩。
喉がからからに乾く。
あと、四歩。
唾を飲み込む。
あと、三歩。
舌がひりひりと痺れる。
二歩。
眼球が血走る。
一。
身体を血流が駆け巡る。
ゼロ。
獲物が目の前を通り過ぎる。
身体中に力を込める。
獲物は再び僕に背を向けた。
両脚に、史上最高レベルの力が漲る。
四つん這いになり、猫のように背を丸める。
獲物は僕に気付かない。
はち切れそうな程に漲った力を、一気に解放する。
されど音は立たず、高速にて獲物へと肉薄する。
まるで、弾丸の如く。
成功を確信した僕は、歓喜の叫びを上げる。
「メアちゃ~~~~~ん!!!」
振り向いた少女が顔を驚愕に染める。
だが、既に狩猟成功範囲内。
いまさら気付こうが、余りに遅いっ!!
瞬間。
まさに少女を抱きかかえんとした僕の頭上。
ひとつのちっこい影が視界をよぎった。
「甘いわ」
一閃。
「ぎゃあああああああああああああ!!!!!!」
引っ掻かれた顔から血が噴き出す。
視界を失った僕は、見当違いの方向へと軌道を変え、着地を仕損じたのだった。
衝撃。
「ごぶぅ!!」
僕の意識が暗闇に堕ちる。
最後に見えたのは。
呆れた様に僕を見る子猫と、僕を見て心配そうにあたふたしている少女だった。
*****
現在、正座をして説教を受けている。
説教をかましているのは、三毛の子猫。
その名をジジと呼ぶ。
三毛なのにジジとは是如何に。そう思っていた時期もありました。
けれど、何気にお腹の中が真っ黒なので似合っていると、最近思うようになりました。
僕を叱りながらも、ふりふり揺れる2本の尻尾が愛らしいです。
癒し万歳。
「こりゃ。聴いておるのか?」
揺れるふかふか尻尾に癒されている僕をジジが咎めます。
けれど、そこに怒りの感情はありません。
ジジの眼を見ると、こいつには何を云っても無駄だしなぁ、といった諦観の眼差しをしています。
最近よくその眼差しを向けられることが多いです。
あと憐憫の眼差しも。
とても疑問に思います。何故そのような眼差しを向けられるのか、さっぱりです。はぁ~さっぱりさっぱり。
「ジジ、もう良いよ……」
横から声がかかる。
僕とジジと一緒に住んでいる少女。我らがメアちゃんである。
僕に説教していたジジを止める。
「でもねぇ……」
「大丈夫だから」
不服そうなジジ。
そんなジジを宥めるメア。
実に良い子である。
まぁ、それだけ僕がメアに信頼されているということだ。
はっはっは。僕の人徳万歳。
「もう、あたしも諦めたから」
なんだか凄く疲れた顔でメアが云う。
十歳児が出してはいけない、全て無駄だと悟りきった雰囲気を発散している。
どことなく虚ろな瞳が哀愁を誘う。
なんだろうね。どうしてそんな表情をしているんだろうね。不思議。
「お主が原因じゃろうが」
ジジが何か云っているが、僕には聞こえない。
「……馬の耳に念仏とは、このことじゃなぁ」
ジジが悟りきった表情を浮かべて云う。
失敬な。僕は発狂していないぞ。
「……どうして発狂という言葉が出てくるんですか?」
メアが不思議そうに尋ねる。
昔、馬の耳元で念仏を唱えたことがある。昼夜問わずに、一日中ずっと。結果、馬が発狂するに至った。
いやぁ、あの時は大変だった。暴れ馬の真骨頂を見た気分だった。
そんな旨を伝えた。
メアが、もう駄目だなぁ的な、憐憫の視線を向ける。その表情もまた、かわゆす。胸がほんわかする。
ジジは、こいつは終わってるなぁ的な、諦観の視線を向ける。その表情に言葉に出来ない悦楽が込み上げる。
「駄目ですねぇ……」
「駄目じゃなぁ……」
一人と一匹の表情が、なんだか慈愛に満ちた物へと変質していた。
どうやら、複雑な過程を通って精神状態が飽和しているようだ。
温かい眼差しで、まるで見守る様に僕を見ている。
何故にそんな風に見てくるのか、今の僕には理解できない。
きっと、これからも理解できないだろう。
だって、理解する気ないもんネ☆
……なんだろう、僕が凄い駄目人間な気がする。