学園都市にある病院。その3階にある女子トイレ。そこにある洗面台の鏡に向かってセーラー服の少女、東条歩は話していた。鏡に向かってというのは傍から見ればおかしな人物なのだが、彼女は魔女であり、これは通信なのだろう。しばらく話すと、鏡から声が返ってくる。
「で? 殺したくないから途中でやめたと? それでいて情報は何もつかめなかったと? その上セシリアの小娘に怪我を負わせた」
「……そうです。悪いかよ」
鏡に映るのは20代後半のくらいの女性、流れるような長い金の髪。服装は黒のローブを羽織り、そこから覗けるのは、どこか風格の漂った顔と、髪のみ。口には紙タバコを咥え、頬杖をついて、歩を機嫌の悪そうな表情で睨んでいた。
歩は今回の結果を鏡の向こうの魔女、ジラに伝えたのだが、歩の予想通り、機嫌の悪そうな声が返ってきたのだった。結局は何も情報は掴めなかったし、その瞬間までいって、上条を殺すのを止めてしまったのだ。
歩はジラが機嫌が悪いのは、そのことについてだと思っていた。なぜならジラは中途半端が嫌いなのだ。上条がジラの言うようにアレイスターの、何かしらの計画に関わっているのなら、確実に殺す。そうでない、あるいは分からないのであるなら、殺すか殺さないかハッキリする。殺す途中で止めたなどジラにしてみれば、中途半端な考えと気持ち。ということになるのだろう。
「上条は殺さない、これは確実に決めました。いいだろ」
「殺す途中までいってか? テメェ何も掴めなかったんだろ? もしその上条に殺す理由が、この後でてきても殺さないんだな?」
「絶対です。殺したくない」
そう言う歩の瞳は、暗く。
それでいて、真っ直ぐと。
包むべき光を見つけたかのように。
濁りのない、漆黒だった。
鏡の中のジラは、その歩の言葉に何を感じ取ったのか、急に大声で笑い出す。するとさっきまでの機嫌の悪さはどこへやら、随分と機嫌のよさそうな声で話し出す。
「いいぞ。歩! 面白い! テメェはまだまだだが、まだまだなりに、面白い!」
「はあ? 何ですか急に? キモイ」
「テメェ今日から学園都市に住め! 役割はそうだな……学園都市内の諜報活動だ」
ジラが、急に突拍子もないことを言い出す。命令はどうあれ、学園都市に長期間の滞在は危険だ。見つからないほうがおかしい。それがいくら魔女だといってもだ。歩もそこまで科学をバカにはしていない。
「命令はいいですけど、見つかりますよそのうち。嫌なんだけど」
「ああ? そうか……じゃあ私からアレイスターに掛け合ってやるよ。まあ魔女の情報に、私が監視する魔術側の情報。それに加えてちょっと脅しかければ、なんとかなるだろ」
「同属を売るんですか? まあいいけど」
「身内以外は、どうでもいいね。あいつのことだからテメェも利用しようとするだろうが、まあそこは上手くやれ」
「分かりました。めんど」
「ああ、後最後にセシリアの小娘に伝言頼むわ――」
歩は伝言を聞き終わると、トイレを出て病室へと向かう。セシリアが入院している病室だ。扉の前まで行くとノックをし、返事を聞いてから、開ける。大きく頑丈 そうなドアだったが、老人や怪我人でも簡単に開けられるようになっているのだろう。
とても軽かった。それに比べ、中へと入る歩の気持ちは重い。怪我を負わせた罪悪感が、未だに歩の心の中には残っていた。子供のとき以来の罪悪感。なかなか消えそうにはない。
セシリアは、返事をして歩を部屋へと招き入れる。怪我の程はなかなかのもの、だったが、今はもう歩けるほどだ、セシリアの回復力が早いのもあるが、医者の腕も相当なものなのだろう。
歩は、セシリアが腰掛けているベッドの傍まで来て頭を下げる。
「この度は大変申し訳ありません。ごめん」
誠実に頭を下げる様子を見て笑顔でセシリアは思う。
(こ~ろ~さ~れ~る~!!)
絶賛ビビリ中であった……
セシリアはなぜ歩が上条を狙ったかなど知りもしないのだが、とりあえず無事に済んだので、怪我を負わされたことに怒ったりなどせず、穏便に済ませたかった。 そのために笑顔を作って迎え入れたのだが、いざ本人を目の前にするとこれだ。 もちろん笑顔といっても、引きつってるのは言うまでもないが。
「だ、だい……ひ、ぶ(大丈夫ですよ)」
「どうしました? なんだ」
「き、ひひれ、あるれ、ん(気にしてないですよ)」
訝しげに歩がセシリアを見る。顔は笑顔なのだが、頭の中はビビッて混乱中だ。うまく言葉が出ない。頭の中のセシリアを表すとすれば、両手両足をパタパタさせて縦横無尽に転がっている。という感じだろうか。
「スゥー、ハァー、スゥー、ハァー」
何度か息を整えてから、もう一度口を開く。
「大丈夫です、大丈夫です。気にしないでくださいよ~!」
「ありがとうございます。ありがと」
「いえいえ~」
「今回の理由の説明をしましょうか? 聞くか」
「別にいいですよ。めんどくさいんで、一件落着ならそれでいいです」
「はあ。そんなもん?」
セシリアとしては本当にその通りで、理由など別にいい。終わったならそれでいい。それはある意味究極に、面倒臭がり屋か、もしくは心が広いかだが。セシリアの場合はどう考えても前者だ。それを聞いた歩がどう思ったかは定かではないが、要らぬ勘違いを、またもしているのであろうか。
「セシリア様。これから私は学園都市に住みますので、今後ともよろしくお願いします。いいな」
「マジですか! まあ知り合いが増えるのはいいことですね~!」
歩は魔女で、ここは学園都市、住むというと、いろいろと難しい問題が出てくるのだが。セシリアは何の疑問も感じていないようだった。深くは考えない。それが彼女のスタンスなのだ。良くも、悪くも。
「あとジラから伝言です。ここからはジラの言葉なのであしからず――」
そう歩は言い、間を置いてから伝言を話す。
「おい! 小娘! 教会と協定やら学園都市やら、勝手やってんなー! 歩、預けとくからよろしくな。あと……好き勝手やってんじゃねえぞ! これからは私に協力してもらうからな、手貸せよ。断ったらどうなるか分かってんだろ? いくらお前といえど、殺す方法はいくらでもあるんだからな――以上です。どうだ」
「……謹んでお受けいたします」
なんでこうなるんですか~! ジラさん、恐過ぎですよ! いっきに死亡フラグが沢山に~!
セシリアは肩を落とし不運さを呪う。このままでは今にも『不幸だー』と上条のセリフを取ってしまいそうだ。
そうこうしていると、病室の扉が開き、銀髪のシスターが入ってきた。
「セシリア、大丈夫?」
「インデックスさん! 大丈夫ですよ~!」
「それはよかったかも。……あゆむ」
インデックスはセシリアにお見舞いの言葉を送ると、歩のほうを睨む。歩は、なんだ? 上条のことで怒ってるのかな? と思っていると、予想の斜め上の答えが返ってきた。
「あゆむ! アオガミックスってなんなのかな! 旅館にいた間中、ずっと私のこと見て笑うし! 会う度にからかわれるし! 何なのかな?」
「……」
歩は思う。
そうだ、セシリアと姿が入れ替わって、見えていたんだ、戻ったらこうなるのか……。まさかセシリアは分かってて、禁書目録をからかってたのか?
歩は視線をセシリアに向けるが、見事に逸らされた。どうやら、やはり分かってたらしい。
「……セシリア様。 死のうか?」
「いや、ちょっと待って下さいよ。わざとじゃないですよ~! ……多分」
歩の手に風の剣が現れる。
「……逃げます!!」
「セシリア様。待てコラ!」
ベッドからすごい勢いで飛び出し、セシリアは病室を飛び出ていく。怪我のほうは大丈夫なのだろうか? 歩もそれを追いかける。残されたのは白いシスターが1人。
「なんなのかな?」
セシリアの入院している病院には、いつものことながら上条当麻もいた。病室にはベッドに座る上条と、上条のお見舞いにか、土御門がいる。土御門のほうが怪我は酷かったはずなのだが。どうやら回復は早いようだ。
「セシリア嬢も入院してるにゃー」
「……やっぱり。ということは! 上条さん、今回は負けませんよ! 何が何でも回避してみせます!」
「なんのことだにゃー?」
廊下から誰かが走る音が聞こえてくる。
「ほら来た! 足音が近づいてきましたよ!」
上条の病室のドアが盛大に、勢いよく開けられた。そこから黒い少女が飛び出してきて、上条に絡みつく。
「助けて上条さ~ん!」
「セシリア! 落ち着くんだ! インデックスはどこだ?」
上条は辺りを見回す。するとセシリアを追ってきた。歩が手に風の剣を持ちながら病室に入ってくる。
「インデックスじゃないだと!! 今回は回避できるのか? だが東条はなんか剣持ってるし……う~ん……」
「上条様。お元気で何よりです。そちらのセシリア様を引き渡していただけないでしょうか? わたせよ」
「は! 落ち着け! 東条話せば分かる」
上条は病室の入り口付近で、立っている、歩を説得しようと試みることにした。
「まずは武器をおさめよう。な?」
「上条さん!! イマジンブレイカー!ゴー!」
セシリアが上条の左腕に絡みつきながらそう言って拳を天へと突き上げる。
「セシリア様? 喧嘩売ってんの?」
「ほ、ほら、セシリア! 煽らないで」
そう上条は言うがセシリアは聞いていない。
「イマジンブレイカー! ゴー! ゴー! ゴー! ゴー! 「ゴーだにゃー!」
なにか混ざっていたような?
「土御門!」
「ゴー! ゴー! ゴー! 「ゴーだにゃー!」
ここにきてセシリアと土御門の悪ふざけがシンクロしたようだ。
「すいません。 死ね」
歩が刃を振るう。
「うわぁー!!」
だが何も起こらなかった。
「ん? どうなったんだ?」
上条が疑問を口にする。東条は、セシリアはどうなったのだろうかと
「冗談はこの辺で止めます。ビビッた?」
歩が淡々と言う。どうやら歩からして悪ふざけのようだった。これもセシリアの影響だろう。
「はぁー。助かった」
「上条様。この度はありがとうございます。ほんとに」
「おう。気にすんなよ。俺何もしてないしな……でな」
上条はそこまで言って少し口ごもり、そしてまた口を開く。
「でな、前に話したときに言いそびれたんだけど、人殺すのは止めようぜって。それだけ言いたかったんだ」
歩は上条のその言葉を聞いて。下を向く、表情は窺えない。何を思って、何を考えているのであろうか。上条には分からない。だけどきっと、それはいい方向だ。 そう上条は思う。
「はい。止めます。約束」
「ああ。よかった」
上条と、歩が顔を見合わせる。顔を見てもその無表情からは、歩の感情を読み取れない。難しいな。そう上条は思う。
そう思ったのと同時に歩が笑った。
ふいに。
少しだけ。
正確には笑ったかもしれない。
それほど微妙に。
上条にしか見えないように。
それに答えるかのように上条も笑う。声を出して。それに吊られてセシリアも笑う。
ちょとした幸せとは、こういう瞬間のことを言うんじゃないだろうか。上条はふとそんなことを思った。
「とうまにぶたれた!」
「へ?」
上条の病室にいつの間にかインデックスがいた。
「あれ~! 今回はいい感じに終わるはずじゃ!」
「そうはいかないにゃー」
「ゴー!」
「はあ。死んどけ」
上条とインデックスが、いくつか口論する。だが、インデックスが一言。
「カミクダク!」
そして病院中に悲鳴が響き渡った。
「うぎゃー!! 不幸だー!!」
非日常に終わりを告げるサイレンがなる。