時刻は早朝。病室の中は薄暗く窓からこぼれるわずかな明かりだけが微かに部屋を照らしていた。
学園都市に数多くある病院のひとつ、もう幾度もお世話になっているそこにセシリアはいた。
「あそこからどうしてここに運ばれるんですかね~?」
「あぁ? テメェが学園都市の能力者に登録されてんのがいけねぇんだろうがよー」
何故か学園都市。そして何故か個室。そのベッドの中で仰向けになりながらセシリアは呟き。その横で来客用の椅子に座りながら顔に刺青のある女ナイルが答える。
(ホントにそれだけなんですかね?)
学園都市の能力者とされている者を学園都市外の病院で検査される訳にはいかない。なぜなら能力者自体が学園都市の企業秘密の塊のようなものだからだ。
だが学園都市外でも学園都市の息のかかった病院などいくらでもあるだろう。それが学園都市のある日本ならなおさらだ。
セシリアは原作などというものを知っているが故思う。
(上条さんなら分かるんですけど……)
上条当麻は学園都市。正確には学園都市統括理事長アレイスター・クロウリーの計画の一端に必要な人材。だからこそ上条の知らないところで上条に特別な待遇を用いている。
しかし、セシリアはどうだろう。セシリアの知る限りそんなことはないはずだ。なのにこの待遇。セシリアについてきたナイルを、何の検査もせずに学園都市に入れるくらい急いで病院まで連れてこられたらしい。そこがセシリアにとっては疑問だった。
だがそれは考えても答えの出るようなものではないので、セシリアは答えの出る疑問をナイルにぶつけることにした。
「グリゴリの皆さんはどうなったんですか?」
その問いにナイルは一瞬しかめっ面になって答える。
セシリアはその様子になにかまずいこと言ったかな? と思いながらナイルの言葉を聴く。
「ほぼ全滅もいいところだな、魔女はほとんど生きているから別にいいんだけどなー。さっき連絡したら観光してから帰るそうだが……浮かれやがってよー」
「なんかよく分かんないですけど魔女の方々は強いですね……いろんな意味で」
「それより、私はテメェに聞きてぇことがあるんだよー」
「歩さんは?」
「……学校行く準備しにいったん帰るそうだ……」
「そうですか」
「……」
スズメのさえずりが聞こえる中、2人の間にしばらくの沈黙が流れた。
セシリアが布団から右手を返すようにナイルのもとに出して一言。
「あ……どうぞ」
ナイルはゴホンッと咳払いをしてから。
「私は思うんだがなー。あの戦闘を見る限りセシリア、お前記憶消えたんじゃなくて消したんじゃねぇのか? 理由は分からないがなー」
ナイルの考えとしてはセシリアが騎士達と戦う時に見せたものは、セシリアを守るために、記憶を失う前のセシリアが残した何らかのプログラムなような気がしたからだった。
しかしセシリアとしては
(そんなこといわれても実際は憑依ですからね~。まさかSFみたいに実は作られた人格です。ってのも原作っていう未来を知ってる時点でないでしょうし、憑依前の記憶だってちゃんとありますよ。まぁ至って普通だったような気がするけど……名前だって……?)
セシリアは首を捻って
「あれ? 思い出せない?」
「そりゃ、記憶ねぇからなー」
「いやいや……順序良く思い出してみましょう」
「子供の頃のこととかから思い出したらいいじゃねぇのか? よくわかんんぇけどなー」
セシリアはナイルが言うように子供の頃の記憶を思い出そうとする。母親は専業主婦で、父親は会社員。学校は普通。生活も普通。なんら普通。
「でもあの時ママが死んじゃって……殺されて……って? あれ? 今何言ってました?」
「なんか思い出せそうか!!」
セシリアはうんうん布団の中から顔を出し入れして唸ってから
「無理です!!」
「そうか……」
セシリアは考える。
(なんで思い出せないんだろう? ド忘れ? まさか~! 名前ですよ~?)
自分の元の名前が思い出せない。これは自分を保つという点では重大な問題だ。人は大抵、名前が自分という大きなパズル内で、重要な役割を果たしているはずなのだ。
名前が思い出せないとなると。人は誰しも焦るだろう。
だがどうやらセシリアはそうではないようだった。
「まぁいっか!」
(どうせ今はセシリアだし!)
そんなセシリアを見てナイルは、自分のことを覚えていないセシリアに少し悲しい思いをしながら向かいの窓を眺めていた。
するとどこからかまだ早朝だというのに、大きな声で叫ぶ女の声が聞こえてきた。
「脱ぎませんよ!! 結局ってどういう意味ですか!!」
何の話をしてるんだ?
ナイルは早朝の病院に似つかわしくない内容にそんなことを思っていると、急にセシリアがベッドから飛び出す。どうやら傷の方はもう大丈夫のようだ。ここの医師の腕がいいのか、はたまたセシリアの体が異常なのか。
「ちょっとダテメイドさんの声が聞こえたんで上条さんとこ行って来ます!」
「おい!」
ナイルが呼び止めるのも聞かずにセシリアは病室を、子供が遊びに出て行くかの様にウキウキと出て行った。
ナイルは自分も付いて行こうか迷ったが止めておくことにした。
上条。その名前は知っていた。少年には一度会って殴られた。その後名前を知った。彼の言葉はよく覚えている。意味も分かる。彼のおかげであの頃とは心のあり方が違う。だが、それでも魔女なんてものを未だに捨てていない。
ナイルは上条に会ってどんな顔をしていいのかが分からなかった。
また大きな声がいくつも聞こえた。
「おお!! セシリア!! またか! って事はインデックスもいるんだな? そうなんだな? 今回の上条さんは今までと違うぜ!! あ! いや! インデックスさん? なんで? なぜですか? なにがどうなってー!!」
「セシリア嬢、ダテメイドとはどういう意味だにゃー……なに!! それは……すぐ用意するぜよ!!」
「土御門!! 何ですか!! その笑いは!! 魔女セシリア! 何を吹き込んだんですか!!」
まぁ、セシリアが元気そうで何よりだ……
魔女ナイルは窓を眺めつつ隣の病室には聞こえない程度の音量で、少女の様に笑った。
学園都市、窓のないビル。統括理事長アレイスター・クロウリーはそこにいた。
培養液で満たされたビーカーに逆さで浮いている男とも女とも、大人とも子供とも見えるのがアレイスターだ。
「記憶は器に宿るのか魂に宿るのか、アレイスターはどっちだと思う?」
そうアレイスターに問うのは神父姿の日本人男性。どこから見ても普通としか言いようのない容姿しているがその姿と女のような話し方が不気味だった。
「科学的に言えば記憶は脳にある……が、お前によって魂にも記憶があることは証明されている」
「じゃあ、魂は体に引かれると思う? それとも体が魂に引かれる? もちろん私とアレの様に、それが同じという前提だよ」
「ふむ……それは興味深いな。実際どうなんだ?」
「体に引かれるみたいだよ!!」
神父は面白い話を友達に聞かせるかのように楽しげに話す。
「ではお前は大丈夫なのか? 実験は出来なかったのだろう?」
「違う同士では実験したんだけどね~。見事壊れちゃったけど……私は大丈夫だよ。保険に何重もプロテクト掛けといてあるから」
アレイスターは神父の言葉に「なるほど」と言った後しばらく間を置いてから
「ところで話し方は結局、地で行くんだな……それではオカマだ……」
「し、仕方ないじゃない!! 直んなかったんだから!!」
神父は奇妙な話し方でビーカー越しに叫んだ。
イギリス。外からは見えない感知されない。大きな屋敷。その屋敷の一室、書斎と呼ぶべき佇まいのその部屋に『御伽の魔女ジラ』はいた。20代後半くらいの美しい女性。流れるような長い金の紙を持ち、タバコを吹かしダルそうに机に肘をつきながら座っているのがジラだ。
「どのくらい死んだ?」
「おおよそ魔術師の8割死に、痛いところではメイフィールド家の三女が死んだのであります」
ジラの声に答えるのは女。
真っ白な髪に真っ黒のメイド服。歳は20代前半といったところだろうか。
「ソロモンの奪還ができていないのが残念であります」
「ローラの小娘になんて言われるかだな……」
ジラは紫煙を上に向かって吐く。ソロモンの奪還はイギリスにとっては重大なのだ。失敗したジラにどんな小言が来るか分かったものではない。
「身内が死んだのに怒らないので?」
「仲間に引き入れたからって身内になるわけじゃねぇだろ? アレだけの加護があってあの程度とは……ダメだな……」
「何人かは使えそうなのもいるようであります」
そうメイド姿の女が淡々とした調子で話していると
「反省会かのぉ~」
部屋の隅で真っ赤な携帯ゲーム機を操作している女の子がいつの間にかそこには居た。
金髪ポニーテールの小さな女の子は画面から目を離さず。
「ジラ……久しいのぉ100年ぶりか? 200年ぶりか?」
ジラはジラで女のこの方に視線ひとつ向けず煙を吐いた後
「その話し方はイレーネか、また随分と引き篭もってたな……」
「なにたまには外に出とるぞ。多々最近はネットゲームなぞいう物が多くてなかなか出る気にはならんのじゃが」
その2人が会話している間、メイド服の女は動かない。ただ全身から警戒の信号を色濃く出していた。
「わしはおぬしと違って魔女になった時の欲望はもう叶えたので気楽なのじゃ」
女の子イレーネの言葉にジラは少しだけ顔をしかめて返す。ジラに何か思うところでもあったのだろうか。
「悪魔召喚が黒魔術の最終目標だそうだが?」
「そんなもん無理じゃ。召喚して殺される。はい……終了じゃ。天使とは訳が違う。あやつらは常に人間を狙っておるのじゃぞ? まぁソロモン王の様にごくたまに口の上手いやからもいるようじゃが……わしは無理じゃ。 最近セシリアとかいう奴が悪魔召喚をしたという情報が入っておったがそれも嘘か本当か……」
イレーネは言葉は悠長に発してはいるが、ゲームの方がなにやら盛り上がっているようで、体を上下させて行動だけは騒いでいる。その見た目と相まって微笑ましい光景ではあるが一言話せば見た目とはそぐわない落ち着きがある。
「セシリアが悪魔召喚をした。とはなっているが……さてどうかな?」
「……何か知っておるな?」
「じゃあまずはソロモンだ。その件で来たんだろ?」
最終的にローマ正教が発掘した『ソロモン』はイレーネが持っていった。それはジラも知っていた。
イレーネはゲームが思わしくないのか、なにやら叫んでから電源を切ってやっと画面から目を離す。
「元々あれは、おぬしとわしが冗談で作った物じゃろう? 随分苦労したがの……。返しはせん。すでにA級で保管してあるわい」
ジラは火の点いたままのタバコを投げ捨て舌打ちをする。宙を舞うタバコはメイドの手によって受け止められていた。
「お前の保管A級はすでにアレに入っているってことだな? ……これでお前以外は持ち出せないか……誰に聞いた? お前の情報網にかかる類ではなかったはずだぞ?」
なにやらメイドに「茶は出んのか?」とジラの話を聞きながら言っていたイレーネが不思議そうな顔をしてから答えた。
メイドはその隙にイレーネから大きく離れる。
「ネットゲームの友達じゃ!」
「……は?」
何を馬鹿なことを、とも言わんばかりにジラは呆れ顔をあらわにする。
「いやいや、以外と魔術関係者も多いようじゃぞ? ソロモンはもったいなかったからのぉ。教皇に連絡を取ったらホントじゃったし」
「誰かわかんのか?」
「本名かの? それは聞かないのがマナーじゃ。ARUALなんて珍しい名前じゃからキャラクター名は覚えとるんじゃが……」
「ハッ……ハァハハハ!!」
ジラはいきなり笑い出すと厳しい表情で新しいタバコに火をつける。火はどこからともなく現れる。ジラの呼び出しに答えるかのようだ。
ARUAL逆さにするとLAURA
「小娘が……戻らないなら誰も使えないところにやってしまうか……やられたな……」
ジラの様子にイレーネは見た目相応に可愛らしく首を傾げた。
「まぁそれより本題じゃ……わしが保管したソロモンじゃがの、よく出来てはいるがレプリカじゃ……まぁそれでもよく出来ておるからA級じゃ」
「お前以外にそんなもの作れる奴がいるのか?」
イレーネは自分の頭を指差して
「わし以外にはおらん!! じゃが……わしより劣る頭脳と知識。後人手があれば作れるかも知れんな。確実に魔女じゃろ、黒魔術の知識と経験がなければあれは作れん」
「へぇ……やはり面白くなってきたな……」
イレーネはここにきて本来持つであろう。けたたましく禍々しいオーラを漂わせジラに問う。
「なにを考えておる?」
ジラはニッコリと不気味に
「楽しいことさ……」
イギリスのとある場所の地下。そこは居住空間となっていた。少し湿っているのを除けばそれはお城のように豪華な廊下が並び、一定区間ごとに壁には大きな扉があった。1番大きな廊下の一番奥。突き当たりにあるのは質素な木造の扉。中は石造りの狭い部屋。まるで牢獄を何とか住めるようにしたみたいだ。もちろん地下という事もあって窓などない。そのへやには2人の人物がいた。
1人は女性。純白のドレスを身にまとった。まるで絵本からお姫様が出てきたような金髪の女性。彼女は真っ黒なソファーに身を沈め目の前の人物と話していた。
金髪の女性と話す向かいのソファーの人物は神父姿の男。こちらも長い金髪。彼の右手には刃のない真っ黒な剣があった。
「ロバート。ご苦労ですわ。ローマ正教にバレずによくすり替えたものね」
「なに、私に掛かればこの程度「ロバート!!」……はい!!」
「そんなカッコをつけた喋り方止めなさい!! 気分が悪くなりますわ」
純白の女はたいそう機嫌を悪くしたのか、プンスカと頬を膨らませている。その見た目は我がままお姫様といったところか。
「僕ももう大人なんだけど……ライラだってもう大人だろ?」
「ハッ! チビロバートがよく言うわ!!」
「もう僕の方が身長が「うるさい!!」……」
ロバートはガクッと頭を落として黙る。気の強い女性に弱いのだろうか?
「ローラ様にはバレてないわね……?」
「もちろんだ」
「セシリアがジラについたようですけど?」
「……ああ」
ロバートは悲しそうに答えた。それを見るライラと呼ばれた純白の女もどことなく寂しさが漂う。
「これで魔女の穏便派はジラに付くと思っていいですわね。では後はローマ正教とイギリス清教が動けば……戦争よ……みんな殺してあげますわ――」
ライラはとても哀しそうな顔をした。それは何かに嘘をついたときの様に罪悪感と憤りに満ちた哀しみだ。
「――その為に魔女になったんですもの……フッフフ……時代錯誤の魔女には負けませんわ。何が個人主義ですか、黒魔術という秘儀を使い組織で対抗すれば邪魔な教会やジラなどいちころですのに……」
彼女はライラ・フロスト。教会から隠れるのではなく、殺してしまえという考えの魔女過激派勢。それを「1人で叶えられない欲望なら手を組みましょう」という掛け声と共に纏め上げ、組織化した魔女。
過激派『支配する者(pax mage)』のリーダーである。
「セシリアは絶対に殺すな。私はその為にいるのだから」
ロバートはそう言って立ち、手に持つ剣を床に投げ捨て部屋を後にする。
そういう彼はイギリス清教の魔女狩り専門の魔術師。
1人部屋に残された魔女ライラはドアを見つめ。
「私はあなたの為にいるのに……」
そう小さく呟いた。