No.024『憎悪』
グリードアイランドでの決戦が佳境に入った頃、彼と彼女はその蚊帳の外、現実世界にて死闘を繰り広げていた。
「――逃げて! もう殺したくないッ! 私に貴方を殺させないでぇ――!」
涙を流すマイの悲痛の叫びは、漆黒に変色した『迦具土』の狂った大咆哮によって掻き消される。
黒き『迦具土』の灼熱の炎を孕む口から、一直線に炎の熱線が射出される。
射線上にあった建物木々は瞬時に灼滅し、地獄の業火をこの世に顕現させる。木の葉が燃え滾る獄炎の森林にて、ガルルは辛うじて生き残っていた。
(――クソッ、自動型の念獣の『迦具土』も敵に操作されているのか!? しかも、どういう事だ? 奴等に捕まる前とは比べ物にならないほど凶悪になっている……!?)
どういう理が働いたのか、念獣『迦具土』の力は遙か強大になっている。
ほぼ全身を鎖で拘束されながらも、速度威力耐久、全てにおいて異常なほど上昇していた。
――麻痺毒でマイを気絶させて無力化する。
至極単純で簡単だった筈の勝利条件は今、ガルルの手の届かぬ場所まで難易度を跳ね上がらせていた――。
「……これで解ったでしょ、もう私には私を止める術が無いの……! グリードアイランドを手放して、早く何処かに立ち去ってよぉっ!」
今、ガルルが五体満足で生存しているのは、彼がグリードアイランドを手放さずに逃げ続けた為だろう。
絶対的な隷属を強制されるマイに下された最優先命令は「逸早くグリードアイランドに帰還し、援護に戻る事」であり、グリードアイランドのロム諸共、邪魔する敵を焼き払う訳にはいかず、結果として圧倒的な力を誇りながらガルル一人を仕留められずにいた。
(まずいな、八方塞がりとはこの事か……!)
だが、それも時間の問題なのは明らかだった。
全神経を集中させなければ『迦具土』の猛攻から生還出来ず、飛翔しながら距離を取るマイには決して届かない。
「私の事なんてどうでも良いから! せめて貴方だけでも――!」
「五月蝿い、黙ってろ! マイ、お前は、オレが絶対助ける……!」
泣き叫ぶ彼女の涙も払えない。自身の不甲斐無さに自己嫌悪しながら、彼女の弱音を跳ね返すべくガルルは一心に叫ぶ。
ガルルの頼もしき言葉は、されども絶望に染まる彼女には届かず、マイの顔を更に歪めた。
「……無理よ。力の差なんて解っているでしょ? お願い、だから……ガルル、貴方だけでも――!」
「ミカと、約束した。絶対に護り抜くと」
「――っ!?」
唯一つだけ、この上無く大嫌いだったが、亡き友と一緒に誓った。
それだけを糧に、ガルルは動きを止めたマイに向かって一直線に跳ぶ。
涙で両頬を濡らして常に自傷する彼女を放っておいて、何が仲間か。何が男か――!
「……そのミカを! 私はこの手で殺した……! 私にはッ! そんな言葉を掛けて貰う資格なんて無いの――!」
彼女の悲痛な叫びに呼応するように、彼女との間に『迦具土』が割って入り、あの巨体で突進してガルルを引き離す。
「――ぐぅぅぅ、邪魔をするなぁああああああああ!」
突進されて激突した頭部にしがみつきながら、ガルルは両指からオーラを爪状変化させ、その堅牢な甲殻に突き立てる。
マイ自身に直接やるよりは効果は低いが、それでもこの念獣とマイはリンクしている。彼の中で最も強力な麻痺毒で動きを封じれば――されどもオーラの爪は、迦具土の鱗に傷一つすら刻めず、かつんと弾かれる。
「――っ!?」
そのまま地面に強烈に叩き付けられ、『迦具土』の両爪がガルルの両腕を抑え付け、地に磔にする。
「っああぁ!」
動けず、鋭利な爪が食い込んで血を流す中、地に降り立ったマイは沈んだ顔で近寄り、藻掻く事すら出来ないガルルの懐からグリードアイランドのロムとメモリーカードを奪い取った。
「っ、待て、マイ……!」
「ごめん、なさい……」
マイは振り向かず、否、振り向けずに飛翔し、役割を終えた『迦具土』もまた一緒に飛び立つ。
現在の最優先事項は帰還、目の前の障害にならない敵の排除は、含まれていない。
「クソ、クソクソクソクソクソ! マイ、マイイイイイイイイイイイイイィ!」
「よろしいので? この段階でランキングに乗るのは少々――」
「問題無いわ。此方から出向く手間が省けるし、何方が勝ってもバサラ組の死は確定事項だしねー」
ソウフラビから懸賞の街アントキバに帰還したおさげの少女は身を清めてから元の黒色のゴスロリ服に着替え、自身の本に指定カードを入れていく。
既に指定ポケットの11ページ分には『堅牢』で守護し、アイテム化した『聖騎士の首飾り』も装備しているので攻撃呪文で奪われる心配は無い。
「それにしてもコージ組は頑張っているようね。『予期せぬ手助け』があったとは言え、一人脱落させるとは」
「やはりバサラ組が勝ち残ると?」
そう読んだ上でのランキング晒し――ユドウィの指摘に、少女は詰まらそうに顔を上げる。
現時点でバサラ組は少女の手によってヨーゼフを殺害され、今、ルルスティ(本には名前変更後のリリアだが)のランプの点灯が消えた。
もはや風前の灯火となったバサラ組だが、それでも彼女の前に現れるのは彼だと少女の勘が囁いている。
彼女だからこそヨーゼフが相手でも無傷で勝利出来たが、コージ組では太刀打ち出来ない。
ヨーゼフの高い実力を踏まえた上で少女が下した、面白味の欠片も無い結論だった。
「私としてはバサラが死んだ上でコージ組の独占が崩れてカード化するのがベストだけど、彼等じゃ多分無理よねぇ」
策を練って三対一に漕ぎ着けたのだろうが、一度は勝ったとしても二度目は無い。
将来が期待出来る使い手だっただけに少女は少しだけ残念に思う。
別にヒソカみたいに青い果実が実るまで待って狩るような特殊な性癖は無いが――何故残念がるのだろう、と少女は自分自身に疑問を抱いた。
――黒い巨影がすっと過る。
ふと上空を見上げれば、いつしか見た竜の念獣が遙か彼方に向かって飛翔していた。
「――! あれは……?」
「やれやれ、少しは見直したんだけど、足止めにしくじったようね。――という事はあれ、死者の念だよね?」
ルルスティが死亡したのに関わらず、彼女が操作状態ならば、彼女に掛かっていた念は死者の念に昇華している可能性が極めて高い。
すくっと立ち上がり、少女は背伸びする。
行くに足る理由が出来たのだから仕方ない。などと結論付け――自分がまるで何かに言い訳しているようで、何でか解らないが腹立たしく思う。
「おや、結局行くのですか?」
「優先順位としては下の方だけど、機会には中々恵まれないしねぇ。――私の能力が五指に入るのか、確かめに――あれ、あのヘタレ生きていたんだ」
彼女の本の名前欄にあるガルルのランプが再点灯し――仕方無いなと溜息を吐いた。
バサラは一番最初に遭遇した有象無象の雑魚プレイヤーから『同行』を奪って使用する。
――転移したその先には、胸から大量の血を流すルルスティの姿があった。
「ルル――!」
ルルスティは此方を振り向いて笑い、倒れそうになった彼をバサラは間一髪で抱き抱える。
明らかに致命傷――数々の修羅場を潜って来たバサラの経験は瞬時に結論付け、即座に否定した。
「ルル、おい、ルル! 起きろ、目を覚ませ!」
必死に呼びかけるも、ルルスティはぴくりとも動かず、ゲームから此処に飛んできた時のように影も形も無く消滅する。
バサラの掌と白い外套に夥しい血だけを遺して――。
「あ、ああ、あああああああああああああああああああ――!」
この世の終わりを嘆くが如く絶叫し、バサラの双眸から涙が止め処無く零れ落ちた。
彼とは十年来の友だった。何をするにも三人一緒に苦楽を共にした掛け替えの無い親友だった。
時には馬鹿な事もしたし、何度も何度も喧嘩した。その同じ回数だけ仲直りして、また馬鹿な事を一緒にやり合った。
一般常識から見て、彼等は唾棄すべき犯罪者だ。グリードアイランドでも数十人のプレイヤーの生命を奪った生粋の大悪党だ。
そんな彼等が死した処で、同情の余地も無い。自業自得も良い処、殺すからには殺される可能性も同時に生じる。
今回殺されるのが他の誰かではなく彼の番だった、それだけの話である。
――そんな極悪人にも、友を労る心はある。友の死に嘆く心もまた等しく持っている。
「テメェ等か……」
全身のオーラを禍々しく滾らせて、怒り狂うバサラは周囲に突っ立っていた三人のプレイヤーを憎々しげに睨み付ける。
それは視線だけで射殺せるほど、桁外れの憎悪と殺意が渦巻いていた。
「テメェ等がルルを――!」
バサラから爆発的にオーラが噴出される。
――念はありとあらゆる心の動きが作用する。友を亡くした悲哀と絶望、友を殺した仇敵に対する憎悪と殺意、激昂によって今のバサラは100%以上の力を発揮する。
「――絶対に許さねェ……! 殺す、殺してやる。ぶち殺してやるよォ! 散々痛め付けて! 殺してくれって自ら望んで懇願するまで一人一人ぶち壊してエエエェッ! 凄惨に殺してやるよオオオオオオォ――!」