自宅に帰った後、彼女が取り出したのは鏡だった。
大きさはお皿ぐらいだったけれど、ふちは繊細かつ豪華な装飾で彩られ、上部には緑色の宝石が輝いている。
そして何よりも、全体を覆ううっすらとしたオーラが、私を驚かせた。
「これ、何?」
「これが手がかりよ」
手がかり? ああ、帰るためのかな。
「もしかして、これがアンタの言ってたこちらに来た原因?」
そういうと、苦笑しながら「わたし」。
「そんな大層なもんじゃなくて、ちょっと古くて念がこもってるだけのただの鏡。
あのニトクリスの鏡が纏ってたオーラはもっと禍々しかったし、こんなに小さくも無かった」
ん?ニト…どっかで聞いたような名前だなぁと思いつつ、さりとて思い出せるわけでもなく。
なんか似たような名前のアイテムが何かゲームとかで出てきたのかもしれない。
「まぁ、それはそれとして、その鏡はどっから持ってきたの?買ったの?」
「私はハンターよ」
と、「わたし」。ハンターだから何なのだろうか。
「ハントの方法は別に買ったりするだけじゃない。そこに欲しいものがあればありとあらゆる方法を使って模索する」
と、大仰に手を振りながら「わたし」。
いやそれってつまり……、
「ちょっとちょっと。言っておくけど私はアンタの罪を肩代わりなんてごめんよ?」
「大丈夫。この鏡があった場所だって偶々動いた場所にあったものだし、私を結びつける証拠なんて何一つ残してない」
すっげー不安なんですけど!
「……まぁ、いいや。それで、その鏡はなんのために?」
とりあえず、気にしないことにしよう。
「合わせ鏡にするのよ」
彼女はその鏡を持って、部屋にある全身を映し出せる姿見へと向ける。
「鏡の虚像世界を接点にして、そのままあっちの世界を映し出すの」
視線を彼女が持ってる小さな鏡ではなく、全身を映し出せる大きな姿見へと移す。
それは彼女の持ってる手鏡と違って、美しくもないし、特別惹きつけるものもないのだけれど、
わたしの目にもそれを覆うオーラは確認できた。
……本当になんでリサイクルショップで購入した鏡がオーラ纏ってるんだか。
そういや合わせ鏡って怪談の舞台にあったなぁ、等と思うこと暫し。
無論、「わたし」の言うことは良く理解できないのであった。
「とにかく、それで帰れるのね?」
「多分ね。そのために能力もわざわざ作り変えたんだし」
「そっか…」
ぽつりと呟く。
「……帰るんだよね」
寂しいのと、引き止めたい気持ちが胸の中を渦巻く。
「えっと……」
「そういや」
何か言いかけた「わたし」を遮って言葉を続ける。
「こっちでやってた探偵とかってどうなったの?」
「4日ぐらい前に遠くに出かけるって言ってきた」
「ああ、そうなんだ」
そうなのか。もう「わたし」は本当にここを出発する準備は整っていたのか。
「……そうなの」
「ごめんね、「わたし」」
「前にも言ったけど謝ることじゃないわ、「わたし」。本来ならこうしてることも無かった」
「わかってるんだけど……そう、ね。…そうね」
「それに。もう決めてるんでしょう?」
私がそう言うと、「わたし」は溜息を吐いて、
「うん、決めてる。やっぱり私は向こうに戻りたい。
こっちの暮らしは悪くは無かったけれど、わくわく感が無いのよ」
そうなのかもしれない。私自身惰性で動いてるような錯覚も時たまあった。
ましてや、あんな不思議がいっぱいの世界だ。正直「わたし」はかなり退屈していたことだろう。
「そりゃー。わたしんところはアンタのところみたいに飛びぬけた不思議はないものね」
もっとも私としては、あんな危険な場所に踏み込むくらいならこの特に目的があるわけでもなく、
日々平穏に暮らせる生活の方がマシなのだけれど。
「それじゃ、これ持っててもらえる?」
そう言って、「わたし」が鏡を私のほうに放ると、途中で鏡は空中にぴたりと静止する。
「あいよ」
私はそう返して鏡を両手で触れる……っと、結構重いな、これ。ふちが金属製だからだろうか。
その鏡を、部屋の姿見へと向ける。
「ねぇ。「わたし」」
呟くように彼女が言う。
「その……元気でね」
「また……いや、」
多分ではなくもう会えないとは思うのだけれど。
「縁が会えば、また」
「……そうね、また」
そう言って、「わたし」は私に背を向け、鏡を見つめた。
「ちょっと恥ずかしいんだけどさ」
どう言葉をかけていいか分からなかったのだけれど、ふと何とは無しに、
「最初会った時は正直いらいらしたんだけど、好きよ、「わたし」」
「ちょ」
不意に「わたし」がこちらを向く。
「何をいきなり!恥ずかしいじゃない!」
「いやまぁ。でも、なんか言っとこうかなって思ったらさ」
ふと言葉を発してしまっただけであって。ちょっと顔が熱くなってきたので笑いながらごまかそうと試みる。
ふぅっと、「わたし」が溜息を吐き、再び背中を向ける。
「そうそう、ちゃんと毎日念の修行はするのよ。そう衰えるものじゃないけど、アンタヒヨっ子なんだしさ」
「分かってるって」
苦笑して応じる。まったく、このお師匠様は。大体、私の目指すスーパーゆいちゃんは遠いのだ。
「うん、私も好きよ」
ぽつっと呟いた後、不意に「わたし」の密度が増す。
もしかしたら私と同じように恥ずかしいのをごまかしているのかもしれないなぁ等と考えつつ、
「元気でね」
不意に何か奇妙な感覚が起こる。
何かが歪んでいるような、そんな感覚。
それは普通に感じることはないもので、
それはあまり気分の良いものではなかったのだけれど、
だからこそ、それは無事「わたし」が向こうに帰れるもののように感じて、
でもそれはずっとここに居ればいいのになぁという気持ちを呼び起こしたのだけれど、
不意に「わたし」の姿が霞む。
ああ、行ってしまうのだな。
と、そう思った時には、もう先ほどまで居た「わたし」の姿は無かった。
手に持っていた鏡をテーブルに置き、椅子へと座る。
しばらく胸にぽっかりと空いた何かを注ぎ込むようにぼーっと座っていたのだけれど、
うむ、と気を取り直す。
さてとりあえずシャワーでも浴びるかなぁと立ち上がる。
そしてふと念のこもった姿見へと目線を向ける。
?
気のせい、よね。
今一瞬鏡の中の私が肩をすくめたような気がしたのだけれど。
そこにいるのは平面の私。
一緒に暮らしていた「わたし」ではなく、私自身だった。
「さようなら、「わたし」」
呟いて、私は鏡に手を触れた。
後書き
色々と実験作っぽいSSでしたがここまで読んで頂き有難うございます。
見切り発車で色々試行錯誤しましたがそれなりにまとめられたんじゃないかと。
とりあえず私と私の淡々とした生活はここまでですが、
次に書く作品でも楽しんで頂けたらなぁと思います。
なお感想、突っ込み、意見等ありましたらよろしくお願いします。