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No.26235の一覧
[0] 麻帆良学園都市の日々・中間考査(GS×ネギま! 2スレ目) 2018/2/22 お知らせあり[スパイク](2018/02/22 23:06)
[1] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「将来」[スパイク](2011/02/26 20:28)
[2] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「自分」[スパイク](2011/04/10 21:35)
[3] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「自我」[スパイク](2011/04/16 20:03)
[4] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「未来」[スパイク](2011/04/24 21:23)
[5] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「目標」[スパイク](2011/06/25 22:29)
[6] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「助言」[スパイク](2011/08/21 18:56)
[7] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「世界」[スパイク](2012/04/01 14:35)
[8] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「再会」[スパイク](2012/04/28 22:00)
[9] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「矜持」[スパイク](2012/11/03 09:15)
[10] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「明日」[スパイク](2012/11/03 09:29)
[11] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY1 雨音」[スパイク](2013/01/13 01:58)
[12] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY1 招待状」[スパイク](2013/01/13 03:45)
[13] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 指揮官」[スパイク](2014/09/07 21:43)
[14] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 その裏で動く」[スパイク](2014/10/05 03:51)
[15] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 対価」[スパイク](2014/10/26 20:32)
[16] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 HOW TO」[スパイク](2014/10/26 20:41)
[17] 朝帆良学園都市の日々・中間考査「DAY2 今できること」[スパイク](2014/11/08 23:15)
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[26235] 麻帆良学園都市の日々・中間考査「自我」
Name: スパイク◆b698d85d ID:e44970d4 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/04/16 20:03
『お、ニンジャ――いや、“クノイチ”の姐さんは、第一希望が六道女学院か。こりゃあ本格的に、あのノッポの兄さんに惚れ込んだんでしょうかね』
「うーん……理由はともかく、正直ちょっと厳しいな。長瀬さんは二年生の最後から、少しずつ成績が上がってきてはいるんだけど――中間テストの成績次第じゃ、ちゃんとした面談の機会を作らなきゃ」

 午後九時。麻帆良学園都市某所、新田教諭宅。
 その客間に書類を積み上げて、我らが三年A組担任教師、ネギ・スプリングフィールドは職務に追われていた。現在彼が目を通しているのは、先日クラスで集めた、希望する進路を書き記したプリントである。
 大方の予想通り、クラスの大半が、麻帆良学園本校高等部への進学を希望している。
 しかしそれに混じって、専門学校や就職、あるいは麻帆良以外の高校への進学を希望する生徒も存在していた。

『こっちは――う、吸血鬼の姐さんかい』
「エヴァンジェリンさん? ――麻帆良学園本校高等部? これは――本気だと思う? カモ君は」
『さて……俺っちにはさすがに、あの姐さんの心の内だけは読めやしねえや。“悪党”としての格の違いって奴ですかい』
「思えばあれ以来、ほとんど顔を合わせてないんだよね……何というか、顔を合わせづらくて」

 ネギは困ったように言う。あれ以来――とは、京都の一件以来と言うことだ。あれ以来、自分の立ち位置に一定の線引きが出来るようになった彼ではあるが――やはりそれでも、エヴァンジェリンは苦手である。
 担任として、今のように彼女に苦手意識を持ったままでは宜しくない――と言うのは頭ではわかっているのだが、実際に歩み寄る機会も訪れない今、そのもやもやとした気まずさをどうすればいいのか、ネギは未だに考えあぐねていた。

『……まあ、時間が解決することもあるでしょうや。今は無理に動く事でも無いと思いますが――あり得ないとは思いますが、あの姐さんが進路相談でも持ちかけてきた日には、逃げ出さずに相談に乗ってやる事にしませんか』
「どんな皮肉だよ、それ。生意気言うなって、酷い目に遭わされそうだよ」

 ネギは苦笑して――プリントの束を捲る。
 そこから現れた名前に、ネギの動きが止まった。
 ――プリントに記されるのは『長谷川千雨』の名前。
 第一志望に、麻帆良学園本校高等部。第三志望まで記入すべきそのプリントの、そのほかの欄は空白であった。

『例の嬢ちゃんですかい』
「うん――ねえ、カモ君はどう思う?」

 ネギは一つ、伸びをする。凝り固まった体をほぐすうちに、その指先に何かが触れた。
 それは、彼の杖だった。京都の一件で、半ばからへし折れてしまったが、やはり捨てることも出来ずに持ち帰り、詠春のつてで、応急処置を施した。折れた部分に白い布が巻かれたその杖は、今は彼の呼びかけに応えることはない。
 詠春は、本格的な修理が出来る人間を捜すと言っていたが――ネギは自然と、杖が直らなくても別に良いと思えるようになっていた。
 父から譲られた杖を折ってしまった事は、確かに心に重くのしかかる。
 けれど――何故だろうか、杖が折れた時から、今でも父が何処かで生きていると、そんな確信を抱くように、ネギはなっていた。彼が父親からこの杖を受け取ったという事実は、事実として存在する。だから、今はただの木の棒であるこの杖には、自分の過去を証明するもの――それ以上の意味は、ない。何時か必ず父を見つけ出し、そして自分の言いたいことを言えば良いだけの話なのだ。
 そんなことを考えつつ――今日の夕刻、犬塚シロらから受けた連絡が、頭を過ぎる。
 この杖を父から受け取った記憶は、確かに自分のものとして、自分の中に存在する。
 けれど所詮、それは誰にも証明できない、彼の頭の中にある虚像でしかない。
 もちろん、それをただの虚像と思わないから、人は誰しも、自分自身として生きているわけであるが。

「僕が本当にネギ・スプリングフィールドなのか。それがわからなくなったら、僕はどうするんだろう」

 杖を両手に持って、ネギは言った。
 その肩の上でカモは『哲学ですねえ』などと呟く。
 俄には信じがたい話だった。
 “長谷川千雨”という少女は既に死んでいて――今“長谷川千雨”として生きているのは、別の人間なのだという。
 その“別の人間”本人が、そう言ったのだと言うのだ。

『そいつは――どうにもならんでしょうや。俺っちだって、そうだ。だが少なくとも俺っちは、自分がアルベール・カモミールだと思ってるし、周りの人間もそう思ってくれている。何と言うんですか“我思う、故に我あり”という奴ですよ』
「デカルトだね――詳しくは知らないんだけど」
『……兄貴の年頃じゃ、その名前がぱっと出てくるだけで十分でしょうや』
「でも、長谷川さんはそうは思えない。自分が自分じゃないと、思ってる」
『兄貴は、狼の姐さんの話が本当だと思うんですかい? いや――彼女は嘘を付く必要はありませんから、その自称、“偽・長谷川千雨さん”の話を』
「信じないでいる事は簡単だけど――疑ったって仕方ないよ。むしろそれが嘘だって言うなら、その方が良い。どうして嘘を付いたのかって、それを考えて相談に乗る方が、よっぽど楽だろうしさ」

 考えてみれば、それは恐ろしいことだと、ネギは思う。
 自分が自分である――それを証明する方法など、何もない。デカルトの言葉が正しいのかどうかなど、ネギにはわからないが――仮にそういうものもあるとすれば、自分が自分でないと思っている彼女は、一体何だというのか?

『もう少し単純に考えてみたらどうですかい?』
「と言うと――どういう事?」
『いつだったか、横島の兄さんが言ってた事、兄貴は覚えてますかい?』

 相坂さよを助けた一件の折、彼は言った。
 人間と魂の関係は、ロボットとその操縦者のようなものだとイメージしても差し支えない、と。
 あの時、霊的に衰弱した人間の危険さについて、彼はそのようなたとえ話をした。
 人間が霊的に衰弱すると言うことは、ロボットの操縦者が衰弱しているようなものである。ともすれば、悪意を持つ何者かによって、弱った操縦者が狙われ、ロボットが奪われないとも限らない、と。それをすなわち“霊に取り憑かれる”という。

『いっそあの嬢ちゃんの言うことを信じるならだな、そう言う状態を思い浮かべてみたらどうでしょうや? 今“長谷川千雨”というロボットを操っているのは、“長谷川千雨”の魂じゃなく、別の何かだと』
「何のために? そりゃ――悪霊が人間に取り憑こうとするとかなんとか、そう言うことはあるって横島さんや犬塚さんは言ってたけど、その“悪霊”が、自分は悪霊ですって吹聴する意味はあるの?」
『そりゃ――まあ、そうだが』
「それに――そんな状態だとしたら、犬塚さんが気がつかないかな? 犬塚さんの霊感は、ゴースト・スイーパーの中でも相当なものだって、横島さんが」
『霊能力者ねえ――魔法使いから見ても、何て出鱈目な連中でしょうかね』

 カモの言うことは、筋は通っている。
 ネギはオカルトの事には疎いが、それくらいの想像は出来る。しかし――ネギの言うこともまた、正しい。仮に千雨が“何者か”に取り憑かれているとしても、その“何者か”がその事実を周囲にこぼす意味がない。
 結局――今ここで、ネギとカモがどれだけ議論を交わしたところで、正解にたどり着くのは難しいと、結局そういうことなのだろうが。

「――仕事ははかどっていますかな、ネギ先生」

 ふと声を掛けられて、ネギは振り返った。見れば、ゆったりとした和装に身を包んだ新田教諭が立っている。人生の年輪を重ねた壮年である彼には、その落ち着いた格好は実によく似合っていた。

「あ、はい――すいません、どうも、本当にご迷惑をお掛けして」
「構いませんよ。困ったときはお互い様だ――それにネギ先生が生徒のために尽力しているというのは、見れば良くわかる。修学旅行の件は、私にも思うところはある。これは私の単なるお節介ですよ」
「でも、ここまでしてもらうというのも――確かに仕事が間に合わないと言ったのは僕ですけれど、お家にまで呼んで貰って、手伝いをしてもらって……」
「私もただの同僚にそこまでする義理はないが――“ネギ君”のような子供にお節介を焼くのもまた、年長者の特権という奴でね」

 そう言って新田は、ネギの隣に腰を下ろす。

「――それは進路志望調査ですな。どうですか?」
「はい――ほとんどが、高等部への進学を希望しています。そうでない生徒には――個別に進路相談をする必要があると思いますが」
「ふむ……学年主任として、そちらには一応顔を出しましょう。ここ数年の生徒の進路を纏めた資料もある。あとで参考までに見ておくのも良いでしょう」
「助かります。こちらで調整が付けば、新田先生にも」

 ネギは礼を言って、プリントを束に戻し、机の上で軽く角を揃える。

「そう言えばネギ先生――今日、犬塚と神楽坂――それに早乙女でしたか、放課後にネギ先生の所に来ていたようだったが、何かあったのですか?」
「それは……いえ、その――進路の事で相談があると」

 ネギは、一瞬考えた後、そう取り繕った。
 新田は何を思ったのか、暫く机の上に乗ったプリントの束を眺めていたが、ややあって納得したのだろうか、小さく頷く。
 ところで、と、彼は言った。

「家内が風呂の用意をしているので、仕事はそのくらいにして入ってくると良い、ネギ君」
「う」

 ネギは中途半端に腰を浮かしたまま、固まる。
 本音を言えば断ってしまいたいが――今の状況で、それは難しいだろう。カモがするりと肩から下りるのを見て、彼は何となく裏切られた気になった。




 ほぼ同時刻、麻帆良学園本校女子寮。
 消灯時間も近くなった頃になって、ようやくその自室のドアをくぐる生徒の姿がある。長谷川千雨――その人が。今まで寮に帰ってきていなかったのか、未だに制服姿で、学生鞄を抱えたままである。
 ただいま、という彼女の声に応える者は居ない。
 彼女はクラスメイトのザジ・レイニーデイと同室であるのだが、この不思議な留学生の少女は、割合平気で外泊をする。
 ――と言うよりも、ほとんど部屋に帰ってこない。何でも彼女は学園内でサーカスの巡業を行っているという、とんでもない団体に所属しているのだが、どうやら学校に通う以外はほぼそちらの方に入り浸っているらしく、寝泊まりもどうやらそちらでしているらしい。
 女子中学生としてはどうなのかと思われるが、千雨はそれを注意する立場にはないし、またするつもりもない。その団体にしても、存在の突飛さは別にしても、学園にも正式に認められたものである。
 ともかく、そう言った同室のクラスメイトが何も文句を言わないので、千雨はこの寮の部屋をほとんど一人で使っている。
 部屋の玄関の電気を付ける。果たして蛍光灯の光に照らし出されたのは、寮の他の部屋とは随分と様子の違う室内。
 もちろん、基本的な間取りや家具などは他の部屋と変わらない。
 しかし、不織布でカバーをされた衣装掛けが、部屋のあちこちに置いてあり、まるでファッションモデルの控え室のような様相を呈しているのだ。
 千雨は黙って玄関で靴を脱ぐと、その衣装掛けの間を抜け――そのままベッドに倒れ込んだ。ブラウスのボタンを一つ外した以外は、服を着替えようとも思わない。
 枕に頭を鎮め、何をするでもなくうつぶせに横たわる。
 悲しいわけでも、そもそも何かを考えていた訳でもないのに、その瞳から、涙がこぼれ落ちた。横になっているとそういうことはままあるものだ――そんなことを考えたのか、制服の袖が、乱暴に涙を拭う。
 この部屋に、いつも同居人がいないことは、彼女にとって幸いだった。
 今はもちろん――ネットアイドル“ちう”として活躍していた頃、そう言った姿を見られずに済んだというのは、もちろんのこと。
 けれど今は――どうしてだろうか、あの無口で無愛想な同居人であっても、何故か側にいて欲しいと、彼女はそんな風に思えていた。
 部屋のあちらこちらに、無機質に、乱雑に存在する衣装掛けが、何だか自分にのしかかっているように感じられる。けれどもう、今は立ち上がりたくもない。
 彼女は枕を頭に乗せ――強く、強く目を閉じた。




――ちうっち――ちうっち! よかった――ほんとに、よかった――

 誰かの声がする。
 自分の耳に響くその声が、自分自身のものであることに気がつく。薄ぼんやりとした意識のなかに、ゆっくりと見えてくる光景。
 簡素な病室の中、包帯で全身を覆われ、機械に繋がれた痛々しい姿の少女が、ベッドに横たわっている。ほとんど唯一自由に動くのだろう彼女の瞳が、自分の方に向けられた。
 自分は――“その光景の中にいる自分”は、包帯が巻かれ、乾いた血に汚れた小さな手のひらにそっと自分の手を重ね――ただ、彼女が生きていることを喜ぶ。
 そして“自分”はそれを、何処かからじっと見つめている。
 そうか――これは、自分の記憶だ、と、彼女は思った。
 これはきっと、夢なのだろう。自分に刻まれた記憶が、自分に見せる、夢。
 人間は記憶の整理を行うために夢を見るのだという。そんな話を、彼女は聞いたことがある。では――自分は、この記憶を“整理”したいのだろうか。何のために? どう“整理”を付けるのか? それは、わからない。
 やがて、記憶の中でベッドに横たわる彼女の――その傷だらけの小さな唇が、言葉を紡ぐ。

――ごめんなさい――“俺”は――

「……」

 何かを言いかけた状態で、早乙女ハルナは目を覚ました。いつしか自分の手は、そこにはない何かを求めるように、虚空にのばされていた。
 その先に見えるのは、見慣れない和風の天井と、そこからぶら下がった電灯。ここは一体何処だっただろうかと、彼女はぼんやりとした頭で考える。
 自分の隣で、亜麻色の髪の少女と、黒髪の少女が、布団にくるまって小さな寝息を立てている。クラスメイトの、神楽坂明日菜と、近衛木乃香――そこまで考えて、ハルナはようやく、自分が何処にいるのかを思い出した。
 ここは当然、学生寮ではない。
 麻帆良学園都市の郊外に建つ、横島邸。クラスメイトの犬塚シロの下宿先でもある。
 そうだ――夕べは、彼女らに相談に乗ってもらって、そのままこちらに泊まり込んだのだった。
 壁に掛けられた時計に目をやれば、その針は午前五時を指している。今日は土曜日であり、中学生である彼女らにとっては休日である。目を覚ますには、少しばかり早すぎる時間。

(……明日菜は……今日はバイトは無いのかな?)

 隣で寝息を立てる勤労少女に眠い目を向けて、ハルナは体を起こした。
 春先のような張りつめた寒さのない、早朝特有のさわやかな空気の匂いと、普段使われていない布団に染みついた防虫剤のかすかな匂いが感じられる。
 それはどちらかと言えば不快なものではない。
 休日の朝である。いつもならば、布団に残る暖かさの誘惑に負けて、今暫く眠りの世界へと戻っていくところであるが――今朝はどうにも、そう言う気分にはなれなかった。
 寝覚めの悪い夢を見たからだろうか、何となく頭が重い、そして、気分も重い。
 ぼんやりと霞む夢の世界で――自分は、何を言いかけたのだろうか? 頭を振って思い出そうとしてみるが、途端に襲ってきた不快感に、彼女は小さく呻く。
 髪の毛を掻き上げつつ、借りたパジャマの襟を整える。
 一年でも最も寝心地の良い季節の筈であるが――随分と寝汗を掻いている事に、彼女は気がついた。

「うー……」

 自分でもよくわからない声を出しながら、立ち上がる。着替えてしまいたいが、汗で湿った肌の上に、新しい服を来たくはない。さりとてこのまま汗が引くのを待つというのも――ハルナは自分の腕に鼻を寄せて、小さく顔をしかめる。

(……シャワー借りようっと……)

 着替えと、念のため持ってきていた予備の下着を荷物から引っ張り出し、未だ夢の世界にいる友人達を起こさないように、ハルナはそっと部屋から抜け出した。
 随分日が長くなってきたせいだろうか、既に薄明かりが差し込む横島邸の廊下を、彼女は歩く。ひんやりとした板の感触が、裸足の足に心地良い。
 ふと、水音が聞こえた。
 薄暗がりの中で、廊下に響く水音――普段ならば薄気味悪いと思うかも知れないが、半分寝ぼけている彼女は、怖いとも思わなかった。
 水音がするのは洗面所――これから彼女が向かうべき浴室の隣である。
 ためらいなくドアを開けると、白銀の髪が翻った。この家の住人である犬塚シロが、驚いたようにこちらを見る。

「早乙女殿? ――まだ起きるには早い時間だと思われるが」
「ん……おはよ、シロちゃん」

 タオルで顔を拭きながら言うシロに、ハルナは応える。

「何か……目、覚めちゃって。ちょっとシャワーでも借りようかと思って……シロちゃんこそ、こんな朝早くにどうしたの?」
「いやその――拙者も、どうも眠りが浅くて。やはりもはや拙者先生がおらぬと……」

 言いよどむように言って、一つ咳払いをするシロ。ハルナは首を傾げる。普段ならば呟くようなその台詞を耳ざとく聞き取って彼女に詰め寄るだろうが――今はまだ眠気が頭の芯に残っている。
 きっとそうであったことは、犬塚シロには幸いだっただろう。閑話休題。

「おほん――ともかく、拙者も目が覚めてしまったので、“軽く”散歩にでも行こうかと」

 そう言うシロは、夕べ風呂上がりに着ていたパジャマ姿ではなく、タンクトップに、下はショーツをはいただけの格好だった。なるほど、散歩をしてきた後に軽くシャワーでも浴びたのだろう。
 ハルナは口元に手を当て――わざとらしく笑ってみせる。

「フヒヒ……眼福眼福」
「……何処を見ておるので御座るか。女同士で何を馬鹿らしい」
「何を言っちゃって。女の子の醸し出すエロスってのはね、性別なんて余裕で越えちゃうんだから。いやもちろん、私にもそのケはないよ? 木乃香と違って。でも、何て言うかなこう――ほら、さ――わかんないかな、この線引き」
「和美殿と同じ冗談を聞きたくはない。それと木乃香殿がそれを聞いたら怒るで御座るよ」
「えー、だからつまりさあ…………シロちゃんノーブラ? おお、ちょっと谷間強調してみてよ」

 彼女の言葉に、シロは胸元を押さえて一歩後退る。ハルナは苦笑しつつ、彼女に向けて手を振った。全くこの少女は、大胆なのだから繊細なのだかわかりはしない。
 もっとも「それ」が可愛いのだけれど――などと、詮ないことを考えつつ、彼女はその場を茶化した。

「全く――先生がおらぬからと、だらけた格好をした拙者が間違っておった」
「あれ? 逆にそうした方がシロちゃんにとっては良いんじゃない? ふとした時に見せるシロちゃんの色気に、横島さんは――とかって展開があるかもよ?」
「……近所迷惑になるので残念ながらそういうことは――」
「近所迷惑っ!? シロちゃんそんなに大声出しちゃうの!?」
「何を想像しているので御座るか早乙女殿!? そ、そう言うことではなく――」

 馬鹿げた遣り取りの中で幾分目が覚めてきたハルナの脳は、平常運転を開始したようだ。自分の中で何か歯車が噛み合わさったような感覚を、彼女は感じる。
 ――我ながら年頃の少女としてそれはどうかと思わなくもない、が、別段それを恥じることをしようとも思わない。
 しばらくのち、シロは洗面台に手を付いて疲れたように俯き、ハルナはそんな彼女を見てニヤニヤと笑っていた。

「……何か軽い朝食を用意するので、早乙女殿はその間にシャワーを使うと良い」
「睨まないでよ。これでも私、一応シロちゃんの恋路は応援しようかなって思ってるよ?」
「何で御座るかその“一応”というのは」
「だってあげはちゃんもいるし――もうあの子ヤバいくらいに可愛いよね? つか、お持ち帰りしたい。お持ち帰りして全力でかわいがり倒したい」
「拙者、クラスメイトが逮捕されるのは気が引けるでござるよ? それよりも、見た目に騙されると後で痛い目を見る。あれはそんなにかわいげのある子供では――しかし早乙女殿は、昨晩は眠れなかったので御座るか?」
「あー……」

 ふと投げかけられた質問に、ハルナは困ったように頭を掻く。
 馬鹿げた話でうやむやになったかと思っていたが――どうやら目の前のクラスメイトは、彼女が思う以上にお節介であるらしかった。
 もっともシロの場合――それが決して欠点にならないのが羨ましいところだ、と、ハルナは何となく思う。

「……ちょっと、ね。昨日みんなと話し合ったからかな……嫌な夢見ちゃって」
「――長谷川殿の事で御座るか?」
「ん。シロちゃん、昨日はごめんね? ありがとう、私を止めてくれて」
「礼を言われる事ではない。拙者こそ、乱暴なやり方となって申し訳ない」
「大丈夫だよ。お陰でレアな体験しちゃったしね」

 クラスメイトに放り投げられて空中で一回転した事を、果たして“レアな体験”で済ませていいものだろうか――とは、自分でも思う。
 が、それを深く気にすることもなく、ハルナは言う。

「……嫌な夢……ってのも、違うかな。ねえ、シロちゃん――幽霊が誰かに取り憑いてさ、その人が変わっちゃう事って――結構あるの?」

 ハルナの問いに、シロは真面目な顔になって、彼女の方に向き直る。

「霊障の中では、割合多い事例で御座る」
「……そう言う時って、どうすればいいの?」
「拙者はゴースト・スイーパーと言っても戦うことが専門で――儀式的なやり方での除霊はあまり詳しくないので御座るが」

 そう前置きして、シロは言う。
 「悪霊が人に取り憑いた」などと、都市伝説や怪談でもおなじみのシチュエーションである。当然、ゴースト・スイーパーのもとにも、そう言った相談は多く舞い込む。
 その解決法も、取り憑いた幽霊を説得するようなものから、それ専用の破魔札を叩きつける強引なやり方まで色々とある。
 取り憑かれた方の霊体も気に掛けなければならないので、自分のような素人があまり乱暴に行うわけにはいかないが、その道のプロなら難しい事ではない、と、彼女は続けた。

「それじゃ――仮に、今のちうっちが本当に“幽霊”なんだとしたら――そうすれば、全部解決?」
「いえ――しかし一つ、気になることが」
「……」

 「霊が人に取り憑いた」というのは、それこそままあることだ。
 しかしそう言う場合――大前提として、その「霊」は、自ら進んで誰かに取り憑くのである。

「……? 変な言い方だけど……まあ、そうなるの?」
「左様。霊に取り憑く意思がなければ、当然人に取り憑く事などあり得ぬ」
「それが――どうしたの?」
「わからぬで御座るか? 自分が長谷川殿で無いと言い、本来の長谷川殿に体を返したいとまで言う――そんな霊が、何故彼女に居座ったままなので御座るか?」
「あっ」

 ――言われてみれば、その通りだ。ハルナは思わず、口元に手を当てた。

「仮に――仮に、今の“長谷川殿”の言うことが嘘でないとして、ならばその誰かの霊が、長谷川殿の体から出て行けば良いだけの話では御座らぬか。何故その誰かは長谷川殿の体に居座り、しかし何故彼女に体を返したいなどとのたまうのか――その意図が、拙者らにはわからぬ」
「……シロ、ちゃん」
「……大丈夫で御座るよ」

 瞳の奥が、熱くなるのを感じる。そんなハルナの気持ちを感じ取ったのか、シロは彼女の肩に手を置いて、柔らかな表情で彼女に言った。

「今唐巣神父が――長谷川殿が相談を持ちかけたお方が、親身に方法を探しておる。なに、心配は要らぬ。何せかのお方は、日本最高と言われるゴースト・スイーパー――美神令子の師匠で御座るよ? ちと風変わりな“自称幽霊”の相談程度、朝飯前で御座る」
「……シロちゃん、私――」
「とりあえず今は、シャワーで目を覚ますのが良かろう。タオルの場所は昨日言ったとおりで、洗濯物はそちらの籠に――先生の下着に手を出してはならんで御座るよ?」
「出すかっ!? シロちゃんあんた一体私を何だと――……あ、ごめん、反論出来ないや」
「出来ないので御座るか!?」




「……真面目な話、さ。私――ちうっちのこと、ちゃんと見てなかったのかな」
「と、言うと?」

 午前五時半、横島邸。
シャワーを浴び、居間で卓袱台に向かってトーストを囓りながら、ハルナは呟いた。
 彼女の向かいで、自分のトーストにジャムを塗っていたシロは、顔を上げる。

「いや、さ……私、あの娘の事を親友だって言いつつさ……自分で勝手に、自分の中に“長谷川千雨”って像を造って――それを見てきたのかな、って」
「それは……拙者が軽はずみな事を言える筈はないが、大なり小なり、誰でも同じ事で御座ろう?」

 他人から見て、相手の全てを理解するなどということは、不可能だ。
 どのみち、人間は自分以外の相手を、自分の物差しでしか判断できない。
 だから、すれ違う。けれど、相手を思いやる事も出来る。
 一概にそれは、悲観するだけのものでもない。

「でも、“親友”だもん。それなりに――それなりに、相手の中身、見たいじゃん」
「――そういうもので、御座るかな」
「シロちゃんみたいに、底抜けに相手の事を信じられます――みたいな娘には、こういう悩みは無いのかも知れないけど」
「早乙女殿、拙者もそこまで大した人間では御座らんよ」

 苦笑しながら、シロはトーストを囓る。
 その仕草を見て、ハルナは単純に、やはり彼女は大人びた雰囲気がする、と思う。

「……拙者とて我を張っているだけの部分があって。時々――何もかも忘れて、幼子のように先生に甘えてみたい時がある」
「シロちゃんが?」
「いえ、何でも御座らぬ。忘れてくだされ」

 シロは首を横に振る。
 ハルナは一つ息を吐いてから、続けた。

「言ったでしょ? 私――ちうっちは、凄いって。だから――ちゃんと見てあげられなかったのかな。ちうっちは、私なんかよりずっと凄い。凄いから――悩みなんか無いって。そんなわけないのにね。シロちゃんが――なんて言うか、シロちゃんにしかわからない悩みを抱えてるのと同じでさ」
「拙者は所詮早乙女殿とそう変わらぬで御座るよ。事情があって“背伸び”をしているだけで」
「それでもね、よそから見れば、結構凄いって思えるよ」

 ハルナはカップスープにパンを浸す。あまり行儀の良い食べ方ではないが、テーブルマナーがどうこう言うような場ではない。シロも幾分行儀悪く――大口を開けて、残りのトーストを頬張った。

「考えてみれば――事故の後、目を覚ましたときから――ちうっちは、どこかおかしかったんだ。でも私はそれが、単なる“事故のショック”からだと思って――それ以上は何も考えなかった。あの娘が漫研と手芸部辞めた時に、私は心配はした。けどそれを、単なる心境の変化だって、思ってた」
「誰だってそう思う。誰が“幽霊”などと馬鹿げた可能性を考慮する必要があろうか」
「そこまでは考えなくても――私が昨日怒ったのだって、結局は――あの娘が苦しんでるのを、知らなかったからなんだし」
「彼女の言い分を信じるなら、彼女は長谷川殿ではなく“幽霊”で御座る。長谷川殿の友人である早乙女殿が、それを気に病む必要は御座らん」
「……それじゃ私は、幽霊の事をちうっちだと思いこんで、何の疑問も持たなかったって事になるよ」
「ならばそれは、理由はともあれ早乙女殿を騙していた“幽霊”のせいで御座ろうに」

 これ以上は何処まで行っても堂々巡りで、ならば気に病む必要はない――そう言って、シロはミルクティーの入ったカップを傾ける。未だにコーヒーは苦くて飲めないと、彼女は言った。

「騙すって言うか……」
「むろん、その“幽霊”に何らかの事情があったなら、その言葉は適当でない。早乙女殿らに気を遣っていたと――そう言うことかも知れぬ」
「……」
「何にせよ――自身が“幽霊”かどうかと言う根っこの部分は抜きにしても、拙者にも長谷川殿が嘘を付いているようには見えなかった。ならば――彼女は彼女で、どうにか問題を解決しようとしているので御座ろう。事は簡単ではないが――悲観する必要も御座らん」
「……そんなもんかな」

 シロの言葉には、完全に納得は出来ない。
 納得できないけれど、それ以上に、今の自分自身には、彼女のために出来ることが何もない。
 ハルナはため息をつき、最後のトーストを手に取ると――シロに言った。

「納豆無い?」
「……夕べも思ったが、早乙女殿、味覚があげはと同レベルで御座るよ……白飯に蜂蜜を掛ける人間と」
「え? そう? 納豆美味いよ? 納豆トースト。いつだったか私新聞で読んでさ、試してみたら――のどかは真っ青な顔してたけど」
「それは宮崎殿に同情するで御座るよ……そういう組み合わせは、せめて人の見ていないところで試していただきたい」
「いやさ、ホントだって。ヌメヌメが気になるんだったら、一度水洗いして、チーズとかと一緒に……」
「それ以上言わないでくだされ……もう何か喉奥にこみ上げるものが…………ッ!?」

 突然、シロが立ち上がる。

「ど、どったのシロちゃん? そんなに納豆嫌いなんだったら、私……」
「いえ」

 その口元が、弧を描く。

「あるでは御座らぬか。少々“乱暴”であるが――長谷川殿の言葉の真偽を確かめる方法が」




「ん……んん? いけね、あのまま寝ちまってたのか……」

 長谷川千雨が目を覚ましたのは、もう寮の窓から昼間の日差しが差し込む頃に鳴ってからだった。時計を見れば、午後一時。寝坊という程度を既に通り越している。いくら休日だからと言っても――口元を手のひらで拭いながら、彼女はベッドから起きあがった。

「ヤバ、涎が――枕カバー洗わねえと……女子中学生としては、いかんよなあ、これは」

 自嘲めいた笑みを浮かべつつ、枕からカバーを抜き取る。
 それを洗濯機に放り込んだところで、自分の格好に改めて気がつく。

「あー……制服が皺に……どうすっかな、今からクリーニング屋に持って行って……」

 そう一人呟いたところで、携帯電話が鳴った。
 彼女は小さく息を吐いて、それを取り上げる。ディスプレイに踊るのは、「早乙女ハルナ」の文字。
 千雨は暫く迷ったようにそれを眺めていたが、ややあって携帯を開き、耳に当てる。

「もしもし……あ、うん……今起きたトコ。――……寝過ぎだって? わかってる。目が覚めてちょっと驚いた――――五時から起きてる? それはそれでどうなんだ――――うん…………え?」

 彼女の表情が、かすかに曇る。

「だから――――うん……昨日の事は、私が悪かったと思ってる。早乙女が謝る必要はない――――そうじゃない。そう言うことが言いたいんじゃないんだ。ただな、やっぱり――――これ以上は――もう、無理だ」

 相手に見えるはずも無いだろうに、彼女は首を横に振った。

「わかってる――わかってるよ、そんなことは。自分は結局、“長谷川千雨”の思いこみが作ってる人間なんじゃないかって――……だから――早乙女が――――何?」

 電話口で何を言われたのか――彼女は時計を見た。

「いや、でもさ――……お前がどうこう言うんじゃなくて、私の方が、その――合わせる顔が――……って、おい、切るな!? 早乙女! もしもし!?」

 切れた電話の画面を眺めて、千雨は今度こそ、盛大に息を吐いた。
 学校近くの公園で、一時間後に待っている。電話の相手――ハルナは、それだけを簡潔に伝えて、電話を切った。
 千雨は一つ、舌打ちをする。喉の奥から、押し殺したような声がこぼれる。

「――今更どの面下げて、あいつに顔を合わせるって言うんだよ――ああもう、くそっ!」

 しかし今更電話をかけ直すわけにもいかないだろう。千雨は苛立ったように最後に叫ぶと――一晩寝ていたせいで皺が寄ってしまった制服のブレザーを、ベッドの上に放り投げた。




「……あなたは」

 Tシャツにジャケット、腰履きのカーゴパンツという、何処から見ても少年にしか見えないような出で立ちで待ち合わせの公園に現れた千雨は――そこに立っていた人物を見て、明らかに驚いたようであった。
 やせ形で割合高い身長を、黒を基調とした服装にきっちりと包み――柔和な顔を際だたせる丸い眼鏡。随分頭髪が薄くなった頭には、黒い帽子が乗っている。一見して何処から見ても、優しい神父様――そんな出で立ちで、唐巣和宏その人は、そこにいた。

「やあ、長谷川さん――調子はどうかな?」
「い、いえ……調子はと言われましても――何故神父がここに?」

 一見して、何処にでも居そうな中年の男である。
 しかし、実際の所の彼は、見た目通りの冴えない男ではない。かの美神令子の師匠にして、自身も日本有数のゴースト・スイーパーであるのだ。
 かつて、人を助けるために教会の戒律に反した儀式を行い、教会から破門され――しかしそれからも信仰を捨てることなく、他の営利目的のゴースト・スイーパーとは違い、霊障に困窮した人たちを無償で救い続けた。
 そのせいで彼自身の生活が困窮することが多々あったと言うが――最近その実力と功績が認められ、日本ゴースト・スイーパー協会の客員理事として就任。彼の名声は、更に広がり続けている。
何でもこの昇進の影には、彼の弟子である国際警察官の尽力があったと言うが――
 果たして本人は、その地位に驕ることなく、今まで通りの活動を続けている。
 食うに困らなくなったのは良いことだが、その分個人個人に顔を向ける事が出来る時間が減って困っている――とは、彼の弁。
 そんな彼に、千雨が相談を持ちかける事が出来たのは、だから果たして、幸運な偶然だった。彼は基本的に来る者を拒むことはないが、彼一人で膨大な数の相談者を受け持つ事が出来るはずもない。
 彼の高潔な人柄と名声を知って、それこそ教会からの破門覚悟で、彼の元には見習い神父や修道女達が集まりつつあり、共に民衆の救済活動を行っているという。
 その事に関しては教会も目をつぶっているようではあるが――ともかく、彼の教会を訪れた大方の相談者の相手は、そう言った志を持つ若き聖職者達が担当する事になる。だから千雨が彼ら彼女らではなく、唐巣本人に相談を持ちかける事が出来たのは、本当に幸運だった。
 つまるところ――かつて以上に、唐巣和宏は多忙である。
 そんな彼が東京を離れて、こんな麻帆良の片隅に足を伸ばしても良いのだろうか?

「何、教会の方には優秀な弟子達がいるから問題はないよ。私には不釣り合いな程のね――たまたまピート君がこちらに戻ってきていてね。留守は自分が受け持つから、たまには横島君らの様子を見に行けばいいと――残念ながら、彼は出張でここには居ないようだが」

 帽子を被り直し――見ているだけで心が癒されるような、優しげな笑みを、唐巣は浮かべる。

「おっと、気を悪くしないでくれ。確かに私がここに来たのは、私事の“ついで”かも知れないが、長谷川さんの相談を忘れているわけではない」
「あ、い、いえ……あの唐巣神父にそう言っていただけるだけで、私は――犬塚達の知り合いだったんですか?」

 彼は小さく頷き、側に立っていたシロらに目をやる。

「彼女や、彼女の“先生”――横島君とは、長い付き合いでね。横島君の師匠の美神君も含めて――まあ、その――本当に、色々とあってね……」

 遠い目をしながら語る唐巣と、それを引きつった顔で見つめるシロ。その行動の意味は、当然他の人間はわからない。千雨はもちろん、一緒に来ていたハルナ、明日菜、木乃香とも、揃って首を傾げるしかない。
 彼の薄い頭髪が、何故だか妙に儚げに感じられたのは、気のせいだったのだろうか?

「ま、まあとにかくだ。私のことは気にしなくて良い。長谷川さんがシロちゃんの友達だからと言って、特別にひいきをしようと思っているわけではない。結局私は、自分が出来ることを、ただやるだけだからね」
「あ、はい――それは、全然――結構なんですけど」

 千雨が、その場にいた全員を見渡す。
 全員が――唐巣を含め、揃って視線を逸らした。

「何で私――公園のベンチに縛られてるんですか? これ、何かの儀式ですか? 映画である悪魔払いのアレみたいなんだったら――すんません、ちょっと心の準備が出来ていないんですが」

 そう――何故か、千雨の体は、公園の片隅にあるベンチに縛り付けられていた。呼び出されてここにやってきた途端、ハルナと一緒に来ていたシロと明日菜に取り押さえられ、木乃香によって縄で拘束されたのである。
 何故こんな事になっているのか、彼女でなくてもわかりはしないだろう。
 ここで映画さながらの悪魔払いの儀式が行われるというのなら――相談を持ちかけたのが自分であるとは言え、勘弁して欲しいところであると、千雨は思う。

「心配はないよ。危険なことは何もない」
「あの……すいませんけど、私の目を見て言ってくれませんか?」
「別に危険は無いで御座るよ? 本当に」

 シロが一歩、前に出る。その手には、何やら片手で持てるくらいの紙包み。
 そして何故か――彼女は、それを持つのと反対の手で、鼻をつまんでいた。

「……あの、犬塚――それ、何?」
「とあるオカルトアイテムで御座る」
「何でお前……鼻つまんでるの?」
「拙者人一倍鼻が効くので――出来れば近くにすら寄りたくは無いので御座るが」

 彼女は言いながら、紙包みの開いている方を、千雨に向けて見せた。
 その中に入っていたのは――

「……ハンバーガー? 何でハンバーガー……っ!?」

 その瞬間、千雨にも、彼女が鼻をつまんでいた理由が理解できる。
 普通のハンバーガーから漂うべき芳香が、そこには存在しない。“それ”から漂ってくるのは何というか――甘ったるいような酸っぱいような、形容しがたい臭気。

「うおっ!? ち、近づけんな犬塚! それ、絶対腐ってんぞ!?」
「大丈夫で御座るよ。別に腐ってはおらぬ。ものがものだけに、毎朝新鮮な材料を使って作られておると聞いたので」
「新鮮な材料って、一体何だよ!? 何をどうしたらこんな臭いの代物が出来るんだよ!? それ絶対食い物じゃ――って、何でそれ近づけんの!?」
「苦しいのは一瞬で御座る。さあ、覚悟を決めて――“がぶり”といかれよ」
「そっ――それを、喰えっつうのかテメェは!? ちょっ……は、はなせっ! この縄を、今すぐほどけ! 犬塚――俺に死ねって言うのか!? 唐巣神父、助け――」

 涙目で視線を送った先に立つ、神の僕は――目を閉じて、無言で胸の前で十字を切る。

「神よ――この哀れな子羊を救い給え」
「さくっと見殺しにしようとしてんじゃねえ!? お前ら――かっ、神楽坂!? 近衛!? 何で俺の頭を――お、おい、離せ! 頼む! お願い、離してください! 何か本能レベルで危険を感じるんだってば!」

 もはや恥も外聞もなく騒ぐ千雨の口に――無情にも、その“ハンバーガーらしきもの”が押し込まれる。
 刹那、口の中から鼻に抜けた、えもいわれぬ臭気――喉奥から一気に、何か熱いものが逆流してくるのを、千雨は感じた。
 一瞬と遠のいた意識を必死につなぎ止め、彼女はそれを飲み込み――そして、叫ぶ。

『フザケんなテメェら――一体何のつもりだ!?』

 しかしその“魂からの叫び”に、目の前に立つシロは――小さく、微笑んだ。

「お初にお目に掛かる――さて、拙者はお主のことを、何と呼べば良いのであろうか? ――“長谷川殿に取り憑いた幽霊”よ」

 はっとして――“長谷川千雨”は、“自分”を見る。
 目の前に――がっくりとうなだれる、少女の後頭部。これは――“長谷川千雨”だ。ならば、何故自分がそれを見ることが出来るのだろうか? 慌てて自分の体を確認する。
 目の前にある“長谷川千雨”の体とは別に――半ば透き通った、薄い影のような体が、そこには存在していた。

『これは――』
「俗に言う“幽体”で御座るよ」

 シロが言う。ハルナ達にはどうやら、この“自分”は見えていないらしく――ぐったりと脱力した千雨を見て、心配そうに何かを言っている。
 その中で――目の前のシロと唐巣だけは、“千雨”ではなく“自分”に目をやっていた。

「どうやらお主の言っていた事は本当であったようで御座るな――多少手荒なまねをした事は詫びようが、では――お主の言葉、しかと聞かせていただきたい」

 二人の目には、確かに見えていた。
 “長谷川千雨”と同じ格好で――呆然と彼女の背後に立ちつくす、一人の青年の姿が。




「何が起こってるのかウチらには見えへんけど――成功したんやろか?」
「そうじゃないの? シロちゃん達には見えてるみたいだし……アレって何なの?」
「明日菜……私の見間違いじゃなかったら、何かパンに……魚とあんことチーズが挟まってた」
「……何それ?」

 彼女らが知るよしもないそのオカルトアイテムの名は“チーズあんシメサババーガー”。
 かつて鈍器で頭を殴ると言う、非常に危険なやり方で“幽体”を体から引き抜いていた霊能力者達が、こぞって買い求めた、奇跡の産物である。










原作設定にこだわらないのが身上のこの作品ですが、
千草さんの時に匹敵するオリジナル要素が入りました、今回のお話です。

受け入れられるのか少々恐ろしい面はありますが、
本当の意味での「長谷川千雨」は今後登場予定であるのと、
お話の構成を特訓する上での暗中模索とご理解ください。

原作の設定を、二次創作の重要な要素と解釈する方には、
まことに申し訳ありません。
どうか、お話そのものだけでも楽しんでいただければ幸いです。

できれば一言でもご感想をいただけるとありがたいです。


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