夜眠る時、そして朝目覚める時、いつも自分に問う事がある。
『私は、一体誰なのだろう』。
長谷川千雨。それが私の名だ。でも、それが果たして『自分』とイコールで結ばれるのだろうか。
何故なら、ここにいる自分が、ひどく不安定な存在であるように思えてならないからだ。
だから、仮面を被る。
幾つも、幾つも、幾つも。
この仮面の中に、本当の『私』がいるのだろうか。
今は、何もわからない。
今は。
※
「長谷川さんは知ってるですか?今日、新しい担任の先生が来るそうですよ」
綾瀬夕映は、そう言って隣に座る長谷川千雨の顔を見た。
そこにあるのは、能面の如くの無表情な面<おもて>。今は野暮ったい眼鏡を掛けているが、それを外すと、同性の自分であってもハッとするような美貌があるのを、夕映は知っている。
「知らないな」
返す答えは固く、冷たい。そこには感情と言う物が一切込められていない。
初見の人物であればそこに拒絶の意思を感じてしまうかもしれないが、彼女は何も拒んではいない、と言う事も、常の観察により夕映は知っている。
「噂によれば、相当の天才で、大学を飛び級してこちらに赴いて来られるとか」
「そうか」
返ってきた言葉は、やはり無情。
駄目か、と夕映は内心でがっくりした。
最近の夕映のライフワークは、この無表情な級友に何らかの感情を出させようとする事である。しかし今の所、それに一度も成功した事はない。
(うーむ、もっと驚くようなネタでないと駄目ですか)
夕映は内心で唸る。こうなったら、『麻帆良のパパラッチ』の異名を取る、クラスメートの朝倉和美に助力を請うてみようか、と夕映が考えていると、教室のドアががらりと開いた。
そこに姿を現したのは、10歳になるかならないかという年齢の幼い少年だった。
それを訝しむ暇も無く、クラス切っての悪戯者である鳴滝姉妹の仕掛けた黒板消しトラップが発動した。
が、次の瞬間、夕映は目を疑った。落下した黒板消しが、少年の頭上ぎりぎりで停止したように見えたのだ。
だが、それもほんの刹那の事。すぐに黒板消しは少年の紅い髪を白く染め、それを皮切りに次々と別の罠が少年を襲った。
それらにきりきり舞いする少年を笑っていたクラスメートは、ようやく落ち着いた少年が発した一言で度肝を抜かれた。
「今日からこの学校でまほ……英語を教える事になりました、ネギ・スプリングフィールドです。3学期の間だけですけど、よろしくお願いします」
一瞬の静寂、そして巻き起こる狂乱とも言うべき喧騒を眺めながら、夕映はちらりと千雨を見た。
やはり、そこにあったのは、いつもの無表情であった。
(これでも駄目ですか……!)
綾瀬夕映の挑戦は続く。
※
千雨は、壇上でもみくちゃにされている少年を見ながら、幼いな、と内心で呟いた。
だが、それだけである。
あるがままを受け入れる千雨の心は動かない。
何も感じず、何も思わず。
今日も、その面は何も映さない。
千雨は周囲の喧騒を余所に、一人静かに英語の教科書を用意した。
【あとがき】
プロローグ的な部分が終わりました。
次回は色々すっ飛ばして、『桜通りの吸血鬼』編です。
魔法使いとの遭遇、そして千雨の力が明らかになります。
それでは、また次回。