ここから先は猟奇的な表現が含まれています。苦手な方はご注意ください。
―エヴァンジェリン視点―
―くそっ、しくじった。
いくら魔力が封印されているとはいえ、「闇の福音」と呼ばれしこの私が、まさか三流魔術師相手に不意を突かれて取り逃がしてしまうとは。
もしこの事実が知れてしまったら、あの妖怪ひょうたん爺から笑い者にされてしまう!
それだけは絶対に避けなければ!
……いや、そもそもを考えれば教師に成り済ましたとはいえ部外者の侵入を許してしまったクソ爺にも責任があるではないか。そうだもうろく爺だって十分悪い。
「マスター、何を考えていらっしゃるのですか?」
「煩い茶々丸」
私の従者である茶々丸の冷静な横槍に対して叱咤してやりたいところだが、
今はそれどころではないな。
月明かりのみを頼りに、夜の街路樹の中を逃走する侵入者の姿を見つけ出し、後を追う。
しかし街路樹に逃げ出すとはな……姿を隠せるだけでなく、迂闊に魔法を使えば、木々に衝突して視界を遮って見失ってしまう。姑息な手だけは一流なのだなあの三流は。
「マスター、侵入者の三百メートル先に魔力反応……らしきものが発生しました」
「何?奴の他に仲間がいたのか?」
そんなばかな。侵入した形跡もないし、奴自身が単独で侵入したと豪語していた……。
いやまて、魔力反応『らしきもの』だと?
「いえ、マスターを除き生命反応があるのは侵入者だけです。ですがこれは……魔力に似た、魔力でない何か……?いえ、しかし」
珍しい事に、何やら茶々丸がごちゃごちゃと呟いている。思考にロジックでもかかったか?
私が再び問おうとした……その直後。
「マスター、魔力反応らしきものの中から生命反応が発生しました。この反応からして妖怪の類だと推測します」
「なんだと?あの侵入者が召喚したにしても奴は西洋魔術師だぞ?ならなぜ妖怪が……」
そもそもを考えれば、何故いまになって魔力反応が現れたのだ?
仮に侵入者が妖怪を呼び出したとしても、何故いまさら?
それに茶々丸がいう「魔力反応『らしきもの』」とはなんだ?
魔力と対になる性質である『気』ですら判断せんのなら、なんだというのだ?
「き、貴様いつからそこにいた!?邪魔だどけっ!」
次々に頭の中から湧き出てくる疑惑を考えつつ走り続ける私の耳に、侵入者の声が聞こえた。
遭遇したか。
しかし侵入者とは関わりが無いのか?
「な、なんだこれは!?闇が、闇が……っ!」
なんだ?何がいるというのだ?闇がどうした?何が起こっている?
「何をする気だ、や、やめ、ぎ、ぎゃああああっ!痛、あぎゃあああっ!!痛い痛い痛い!助、助け、て、あ、ああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
痛々しい断末魔と、痛々しい音が嫌という程に私の耳へと飛び交う。
別に盗人風情の助けなど聞く気もないし、奴の痛みなど知った事ではないが、あの先で一体何が起こっている?
麻帆良学園の連中はお人よしばかりだ。
あの金に煩い狙撃手である真名ですら安易に人殺しはせんはずだし、ましてや悲鳴を上げるほど残虐な殺害など、私を除いているはずが無い。
そもそも、今この場にいる麻帆良学園の関係者は私と茶々丸だけだ。
なら誰が?
その疑惑は、私の眼前に広がる、月明かりに照らされた光景が応えてくれた。
赤と黒―血肉と暗闇。
その二言が相応しい光景を目の当たりにするのは久しかった。
故に不意を喰らってしまい、一瞬だが吐き気を覚えた。
かつて侵入者だった物が周囲にぶちまかれ、あちこちが鮮やかな赤に染まっていた。
そしてその赤の中心には何かを咀嚼している少女の姿があり、そいつの目と私の目が重なり合った。
―ゾッとした。
血のように真っ赤な眼は驚くほどに無垢で、それ故にこちらを見つめる視線が、まるで私という獲物が喰える者か喰えない者かを判別しているかのように感じられる。
それを裏付けるかのように、彼女の口周りは真っ赤な液体で汚れていた。
―人を、喰ったのか。
人を殺したこともある悪の魔法使いであり、人の生き血を喰らう吸血鬼であるからか、さほど恐怖心が湧き出てこなかった。
だが目の前の光景は、素直に言えばグロい。
食人系の魔物の食事風景は何度か目の当たりにしたことがあるが、若干10代ほどの小娘が口を真っ赤にして喰らう光景はさすがに吐き気を覚えた。
小娘がゆっくりと口を開く。
「お姉さんは……食べられない『何か』なのかー」
こいつ、一目で私が人ではないと見抜いた?
私と茶々丸は思わず身構えるが、小娘はまるで糸が切れた操り人形のように、いきなりその場に倒れた。
何事かと思い様子を伺ってみたが……この小娘、堂々と寝てやがる……。
べっとりと口周りに生々しい血糊をつけているくせに、腹が膨れて満足した子供のようにすうすうと寝息を立てて眠っているその寝顔は、幼稚で無邪気な子供そのものではないか……。
なら、先ほどのプレッシャーや魔力はなんだというのだ?
「……茶々丸、こいつを私の家まで運べ。私の客人として連れて行く」
「イエス、マスター」
茶々丸は小娘を起こさないように背中におぶさり、私の後に続いて歩き出す。
こうしてみると、血まみれなのを除けば、なかなか微笑ましい光景だな。
「ですがよろしいのですかマスター。学園長に報告すべきかと思われますが」
「事後にこいつの事を話してみろ。あの爺やタカミチはまだいいとして、頭の硬い連中が聞いたら黙ってはいられないだろう」
茶々丸にはああ答えたが、それだけではない。
俄然興味を覚え疑惑が耐えないこの小娘を、あの爺に簡単に引き渡すようでは面白くないからな。
私は小娘の頭を撫で、頭につけている紅いリボンに触れる。
「この小娘、微弱だが奥には中々な力を持っているようだ。おまけにこのリボン……」
リボンに触れているだけで分かる。このリボンには封印が施されている。それも強力な。
それだけ、この妖怪らしき小娘の奥底に眠る力は強大だということなのだろう。
加えて間近で見てわかったが、あの暗闇は魔法で構成された闇だ。
それも魔力だけではない、別の何かで組み込まれた闇が含まれていた……。
「闇の力を持つ人喰い妖怪……しばらく退屈しなくなりそうじゃないか」
不確定要素を引き入れることは効率的ではないことは承知している。
ましてや学園の結界を潜り抜けた人喰いの化物を、あの爺に黙って匿っているとわかれば危険性は跳ね上がるだろう。
だがそれ以上に得られる何かがあると確信しているし、なにより面白そうではないか。
―さて、さっさと帰るとするか。
―完―