フェイトは夜空を千草と共に飛びながら、最低限のことは出来たことに、一応納得していた。
いや、納得せざるを得なかった。
「……」
「……」
二人の間に会話はない。千草の式が抱えている少女、近衛木乃香の奪取には成功した。少女のもつ膨大な魔力量を使って、封じられた鬼神を復活させ、総本山の穏健派を叩き潰す。そのための第一段階はこれでクリアしたも同然だった。
だが表情は暗かった。理由なんてわかりきっている。フェイトも千草も、アレを見てしまったのだから無理はなかった。
青山。
恐るべき、修羅よ。
千草は恐怖に歪みそうな顔を、強引にかき集めた怒りで塗りつぶした。そうでなければ、もう一歩だって動けそうになかったから。
数年ぶりに見た青山の実力は、圧倒的としか言えなかった。神鳴流でも青山に近い異端の剣士である月詠。彼女の剣術は魔を断つ以上に人間を斬ることに長けていた。
未だ少女でありながら、神鳴流でも天才の域にある彼女は、しかし青山には遠く及ばなかった。土壇場で限界を超えて、能力をさらに増したというのに、それを青山は一蹴してみせた。
そこまでの差があった。フェイトは最早疑うべくもなく確信する。
あれはサウザンド・マスターに匹敵する。世界がバグを起こしたとしか思えない能力。フェイトの造物主が危惧し、そして羨んだ人間の可能性。
問題なのは、アレはその一端でありながら、行ってはいけない人間の可能性に他ならなかった。
「……危険だ」
フェイトの本来の目的に、いずれあの男は無視できない障害として現れる気がしてならなかった。誰もが幸福でいられる世界を作るという目的を、あの男は全てぶち壊しにしてしまう。
予感は確信と同義だった。あの男に幸福なんてない。それどころか、あの男は間違いなく幸福を斬る。
斬って。ただ斬る。
だから青山は今ここで殺さなければならない。例えこの世界に数十年は刻まれる大災害とも呼べる被害を与えても。そうするだけの異常性があの男にはあるから。
「儀式のほうを強行しよう」
「……ここまで来たんや。後には引けんのはようわかりやす。だが、青山はどうするつもりや?」
「僕の予想はぎりぎりで当たった」
「どういうことや?」
「青山はお嬢様を攫った僕らの動きに気付いていたのに、追ってこなかった」
千草はフェイトの言葉に絶句した。いつでも追われていたという事実に困惑し。
「……どうして、青山はウチらを追ってこなかったんや?」
「彼の目的は英雄の息子だ。それ以外はどうでもいいんだろう……それこそ、西の長の娘であろうともね」
何故ネギに執着するのかはわからないが、フェイトは青山の目的はネギにあると確信した。あそこに居た者のほとんどは青山の気に当てられて把握していなかったが、フェイトは月詠を無視してネギにゆっくりと近づいていたのを見ていた。
そして、式を残して稚拙な結界を潜り、木乃香を拉致した時に予想は確信に変貌する。青山は間違いなく自分たちに気付いていた。それなのにまるで気にすることもなく見逃した。
フェイトの現在の目的は二つだ。
一つ目の目的は、ネギが小太郎を下したことで決定した。想像を超えた成長を見せたネギは、将来の敵なりえると判断する。よって、これ以上成長する前に、ここで排除をしなければならない。咸卦法を使用出来るとはいえ、所詮はその程度。従者が三人居るが、それを踏まえても、彼らだけならフェイト一人で苦もなく排除出来る。
だが二つ目の目的がそれを邪魔する。つまりは青山の排除。これはネギの排除とイコールで繋がっているため危険度が増す。
それでもこの絶好の機会は今後訪れるとは限らない。木乃香の膨大な魔力を使用して、封じられた鬼神と、可能な限り召喚できる妖魔の軍勢。
これをもって、青山を絶命させる。小太郎と月詠という手札を失ったのは痛いが、それでも保有する戦力は旧世界ではこれ以上望めない。
「……彼は総本山に帰っているはずだ。いつまで彼の気まぐれが続くかわからない。早速始めよう」
フェイトは無感動な瞳に確固とした決意を秘めて、その場所に降り立った。千草も遅れて降り立ったのは、周囲を巨大な湖に囲まれた祭壇のような場所だ。その中央に置かれた台に、千草は木乃香を横たわらせる。
猶予などはない。穴だらけの強行軍でありながら、しかしそれゆえに嵌れば充分に上手くいく策であった。とはいっても、策などというのは嵌った時点で上手くいくものだが。
「とりあえず、打ち合わせ通り総本山への尖兵の召喚から始めよう」
「わかっとる」
千草は軽く返事をすると、木乃香に札を貼り付けて、その魔力を強引に使用し始めた。木乃香を中心に魔法陣が展開されて、湖一帯に展開されて、そこから無数の鬼が召喚された。
その数、百はおろか二百を超える規模。その一体一体が充分以上に働けるほどの能力を持つ妖魔達だ。木乃香の魔力であれば少し時間をかけるだけでこの程度の召喚は容易いのだが、それでも想像を超える規模の軍勢である。
「……おのれらはこの子に付いていって、指示通りに動くんや」
千草はそう言って背後に控えたフェイトを指差した。そして後はフェイトに任せると、己はこの祭壇のさらに奥にある巨大な岩に眠る鬼神を蘇らせるための準備に入った。
総本山を攻めるだけならば充分な数を揃えたにも関わらず、千草の表情には余裕はない。
それもこれも全ては青山が原因だ。あの男をこの程度で殺すことなど不可能であるという、わかりやすい事実が千草に余裕を失わせている。
だから鬼神の復活を急がなければならない。それも不完全な状態ではなく、封印される前の最高の状態まで。
そしてその戦力と、さらに増員する鬼の群れを用いて総本山ごと青山を叩き潰す。それしかないと千草は考えていた。
だから気づかない。そもそもの目的から離れて、青山を殺すためだけに動いている異常な自分に。恐れを抱く化け物、戦うくらいなら逃げ出すのを選ぶ脅威。そんな人間である青山から、今ならば逃げられるというのに千草は逃げない。
明らかにおかしな状態になっている千草を、フェイトは冷めた瞳で見据えた。
「……じゃあ、僕は彼らを総本山に向けたら、また戻ってくるよ」
フェイトは何も語らない。催眠すら使わず、そのあり方だけで人を狂気に貶める魔性。その存在を滅ぼすことには、彼もまた同意見だったからだ。
─
己の浅慮に死にたくなるような気分だった。刹那は怒りのままに拳を握りこみ、その掌が切れて血を流しても気にすらとめられなかった。
戦いの後、旅館に戻ったネギ達は、居なくなった木乃香と、そこに残された一枚の手紙を見つけて、誰もが苦渋の表情となっていた。
手紙の内容は、簡単にまとめれば木乃香は拉致したというものである。そして、その魔力を用いて総本山を叩き、手中に収めるというものだ。
刹那は立て続けに襲い掛かってくる窮地に言葉すらないネギと明日菜に背を向けて、開いた窓に寄った。
「行くのでござるか?」
「あぁ。奴らの狙いが総本山なら、少なくともそこに行けばお嬢様の場所くらいはわかるはずだ」
楓の問いに振り返ることなく刹那は答えた。そして何も語らずに行こうとする刹那だったが「待ってください!」というネギの声に止まる。
「僕もついていきます!」
「わ、私も!」
ネギと明日菜が声を揃えて言った。その言葉に刹那は振り返り、静かに視線を落とす。
「しかし……これはお嬢様の護衛である私の──」
「生徒を守るのは教師の役目です!」
「親友を見捨てるなら親友なんて名乗らないわよ!」
刹那の言葉を遮って、二人は思いのたけを叫んだ。刹那は、迷いなく答える二人の言葉に止まり、続いて楓を見た。
「お主の負けでござるよ刹那。そして拙者も、クラスメートを見捨てるほど腐ってはおらんのでな」
「皆さん……ありがとうございます」
三人の助勢に刹那は深く頭を下げた。恥ずかしいという気持ちはある。ネギは親書を届けるという大切な任務があるし、明日菜は一般人。楓は、にんにん。
そんな彼らを自分の事情に一方的に巻き込むことに罪悪感はあった。しかし現状、月詠と小太郎を失ってなお、フェイトが居るだけで刹那ではどうにも出来ない状況にある。
だからその手を借りなければ木乃香を救えないから手を借りる。その後であれば喜んで自分は罰を受けよう。刹那はそう決心した。
「……ネギ先生を上手く隠れ蓑にしていましたが、奴らの狙いがお嬢様の魔力を使用した総本山の掌握ということは、お嬢様を拉致したことである程度わかりました。となれば総本山を狙うのは当然で……私達はその間に裏からお嬢様を奪還しましょう」
「でもそうしたらその、総本山ってところが危ないんじゃないの?」
「それと、学園にも連絡を入れたほうが……」
刹那の作戦に明日菜とネギが疑問を投げかける。それに刹那は「学園にはネギ先生から連絡を入れてください」と告げ、そして明日菜の疑問には瞳に嫌悪感を滲ませながら呟くように答えた。
「総本山には、青山が居る」
「……であれば、我々の心配は杞憂でござるな」
楓が納得したように相槌を打った。
嫌悪の対象で、信頼など出来ない青山だが、その戦闘力だけは信用に足る。あの男がいる限り総本山が破られるとは考えられず、あの男が破られたのならば、こちらがどう足掻いても木乃香の奪還は不可能だ。
だから、刹那は元は西の者でありながら総本山の危機を見捨てる。全ては奪われた木乃香のためだ。これも含めて、罰は全てが終わったら甘んじる。
刹那は悲壮な覚悟は面に出さず、刃のように鋭い表情でネギ達を見つめ、告げる。
「木乃香お嬢様のために、皆様に危険を冒してもらいます。これは私の我がままで、あなたがたには一切関係ない……やめるなら──」
刹那は全てを語らず、真っ直ぐに自分を見つめる三対の瞳の意思を感じて、それ以上は言わずに頷いた。
「行きます。現目標は総本山周辺、そこで敵を待ちながら辺りの捜索網を広げ、お嬢様までの血路を見出します」
敵の手紙など罠以外に考えられない。それでも今は敵の口車に乗ってそこから木乃香までの道を見出さなければならない。
未だ夜は終わらない。
おろか、煉獄はすぐそこなのを、彼らはまだ知らずにいる。
─
無事、ネギ君の護衛を果たした俺は、そそくさと総本山に戻って、少年少女を巫女さんに預けた。それから詠春様と面会の機会を得ることが出来た。
最初とは違って詠春様の自室に呼ばれた俺は、「青山です」と一言告げてから戸を開いて、頭を下げた。
「顔を上げて、入るといい」
「はい」
言われるがまま、顔を上げた俺は静かに部屋に入る。和風とはいえそこは現代。ちゃんと電気の明かりが点いており、室内を明るく照らしている。
詠春様は何かを一筆していた手を止めて俺に向き直った。どうやら文を書いているのを邪魔してしまったようである。
「夜分に失礼します」
「気にしないでくれ。報告は簡単であるが聞いている。ネギ君に襲撃者が来たようだね?」
「はい。内、二名は連れ出しましたが、残り二名は逃してしまいました」
実際は逃がしたということになるのだが。嘘を含むのは少々気分が悪いものの、これも俺好みのネギ君に育ってもらうためである。今頃は生徒を取られたことでネギ君達は彼らを追っているだろうか。いや、普通に考えたら生徒一人を無視してでも任務を達成するべきだが。
でも出来れば追ってほしいな。
なんて。
遠くに展開されている無数の鬼の軍勢を知覚しながらワクワク気分。いい感じに窮地を作り出しているらしい。なるほど、詠春様の娘さんを拉致したのはこれが狙いか。
「青山君?」
「……申し訳ありません。少々、まどろんでいました」
危ない危ない。少し呆けていたか。俺は咳払いを一つすると、頭の中では別のことを考えながら、先ほどのことの詳細を詠春様に話し始めた。
さて。
そんなどうでもいい話はともかくである。
総本山に迫り来る鬼の軍勢とは別に、召喚された場所から感じる膨大な魔力と気を感じて内心の喜びはさらに膨れ上がるばかりだ。
おそらく、これは結局俺が封印を解くことが出来なかった鬼神であろう。名前は確か、リョウメンスクナとかだったか。
あの封印は、実は最後に開放するつもりだった。いや、実際は総本山のお膝元ということで、勝手に封印を開けば破門はおろか、犯罪者として永久に付け狙われると考えて手を出さなかったのだけど。いやはや、昔の俺はチキンだったものだ。
それでもいずれは封印を解いて仕合うつもりだった。
だがしかし、最後のとっておきの前に現れた物凄い鬼との一戦で完結してしまった俺は、それを皮切りにすっかり強さとかどうでもよくなってしまったのである。
なんて。
まぁ、今振り返れば当時の俺は青二才の若造で、やんちゃを繰り返していただけ。そう思えば、ぎりぎりで終われたのは運がよかったというかなんというか。
そんなものである。
ともあれ青春の残り香。言い換えれば暴走が止まったという印であるあの封印が解かれようとしている。
楽しみである。
「というわけでして、神鳴流のほうは加減が効かず、物理的にその戦闘力を奪う形になりました」
「そうか……あの少女は君に倒されたわけだね」
今にも唸りそうな複雑な面持ちで何事かを考え込む詠春様。思えば、久しぶりの再会から、嘘を織り交ぜた会話しかしていないような気がする。
結局、本質的にはあの頃と変わっていない己が悔しい。しかし、それでも己の私利私欲のため、詠春様に嘘とわからぬ嘘を告げつつ、俺はネギ君の健やかな成長を手助けするのだ。
そう、仕方なき。
仕方なく。
うんうん。
「長!」
「何事だ?」
説明が終わったのを見計らったようなタイミングで、慌てた様子の巫女さんが入室の許可なく戸を開けた。ただ事ならぬその様子に、俺と詠春様は顔を見合わせてから巫女さんの話を伺うことにする。
といっても、恐らくは迫ってきている鬼のこと。
「ほ、本山目掛けて無数の鬼の軍勢が!」
「何!?」
詠春様が驚いているのを横目に、気付かれぬように内心でやっぱりと納得。
いやしかし、感じる魔力と気は随分と優秀。多分、というか間違いなくフェイト少年とあの女性のせいだよなぁ。
となると、彼らを見逃した俺のせいにもなるのか。
というか間違いなくそうだよなぁ。
……。
「詠春様。俺が行きましょう。本山の戦力はそのまま詠春様の警護に回してください」
「な……恐れながら、あの戦力は神鳴流の剣客といえど、一人では迎撃は不可能です!」
巫女さんは無茶言うなといった具合でそう言った。確かに並みの剣客では今迫っている妖魔を滅ぼすのは難しい。
だが俺は青山で。
君は、俺を青山と知らない。
「ご心配なく」
「そんな……」
「よしなさい。彼がそう言っている以上、つまりは大丈夫ということだろう。我々はもしもを考えて各地の戦力を至急集めよう」
詠春様が俺の後を引き継いで巫女さんを説得する。長の言葉ということもあり、巫女さんは納得して引き下がった。
同時に俺と詠春様は立ち上がった。挨拶もそこそこに、ネギ君ではなく俺を狙ってきた彼らを迎撃するため部屋を出る。
「すまないね」
背中にかかるのは詠春様の申し訳なさそうな声だ。本当ならご自身で動きたいのだろうけど、生憎今は西の長という立ち位置。自ら危険に飛び込むことは出来ないから。
そんな詠春様の気持ちがわかって、むしろ俺こそ申し訳なかった。
なんせこの騒動。俺が防ごうと思えば防げたのである。逃げたフェイト少年を即座に追い詰め、斬ることは可能であった。
当然、フェイト少年はかなりの猛者であるため、激突していたらあそこの周囲一帯は更地になっていただろうけど。
それだって、今の状況を招くなら安い代償だったはず。
まぁ今更悔やんでも仕方なく。俺はこの騒動にネギ君が着てくれたら嬉しいなぁと思いながら、戦場に躍り出ることにした。
と、その前に。
「詠春様」
「なんだい?」
これだけは聞いておかないといけない。予感だが、これから先はきっと自分を抑えることが出来ないという予感。
だから、先に断っておこう。
「殺さずとはいきませんが、よろしいですか?」
「……あぁ。この状況で、殺さずを貫けというのは酷だろう」
詠春様が数秒悩んだ末に告げた言葉に、俺は喜びを表すように礼を一つ。
それを聞ければ、もう安心。
「では、後ほど」
俺は十一代目の入っている竹刀袋の口を緩めると、迷いなく夜に飛び出した。
冷たい刃鳴りが響く。斬るということに感動した刃が唸った。
そう、斬ろう。
一切合財、斬り捨てる。
後書き
次回、本山、燃ゆ。