気を体内で循環させることで怪我の治りを早めることは出来るが、それでも動きにある程度の支障は出る。いち早く完治させるためには時間が必要だ。そのため、今日から暫くの間、仕事終わりの一時間をエヴァンジェリンの別荘である異空間で過ごすことになった。
まぁこれは俺が自分で思いついたわけではなく、エヴァンジェリン直々のお誘いだったりする。正直、エヴァンジェリンと会話するのは楽しくありながらも疲れるのだが、願ったり叶ったりなので、俺はその誘いを受けることにしたのだった。
「それで? 京都は楽しかったか?」
以前のときと同じく、テラスで向かい合って座ってから早々、目の前に広げられた豪華な料理以上に興味津々といった様子でエヴァンジェリンがあの日のことを聞いてきた。
幾らなんでも無遠慮すぎる言い草に、内心で僅かに不貞腐れるものの、余裕たっぷりな笑みを浮かべる彼女に何か言っても無駄だと悟る。俺は観念してワイングラスの中身を一気に煽ると、胸を焼く熱以上に苦しい思い出を開封した。
「……死んだよ。見知らぬ他人。見知った知人。見知った光景。知り合えた友、沢山、死んだ」
「そうか。見知らぬ他人を斬って、見知った知人を斬って、見知った光景を斬って、知り合えた友を斬って、沢山、斬ったのか」
エヴァンジェリンは俺の言葉をそっくりそのまま使ってそう返してきた。だが彼女にしては些か陳腐な言い回しだ。
やや呆れながら俺はエヴァンジェリンを見た。
「当たり前なことを一々聞き返すな」
「くくっ。そうだな。それもそうだ」
全く、本当に何が楽しいというのか。
色々な人が死んだ。とても悲しいことで、とても心苦しいことで。
斬った。
それは別だろう。
「人が死んだよ。しかも、俺は兄さんをこの手で殺したんだ」
「兄?」
「近衛詠春。旧姓は青山詠春といって、俺の肉親だった」
軽く説明すると、エヴァンジェリンは納得とばかりに笑った。
「何だ、詠春の奴死んだのか……にしても貴様も随分と手が早いな」
手が早い。
そう、あっという間に俺は詠春様を殺したのだ。生きているから、斬って、殺す。生物として当然の結末だとはいえ、兄さんが死んだこと、そして殺してしまったことはとても悲しい。
「だが兄さんの生きた証は俺の心に残っている。故人の生きた証を胸に抱いて、俺は少しずつ前に進めたら──」
「はははははははっ!」
突如、エヴァンジェリンが腹を抱えて笑い出した。それはとても嬉しそうに、無邪気な笑い声の中に膨大な殺意を孕ませて。
気味が悪い。同時に、そんな汚らしい彼女がとてもお似合いに見えた。
だがいつまでも見とれているわけにはいかない。俺の決意を侮辱した笑みを浮かべたのは事実。俺は苛立ちをそのままにエヴァンジェリンを見据える。
「何がおかしい?」
「貴様がおかしい」
先ほどと同じく、台詞をそのまま使ってエヴァンジェリンは返す。俺は口を出そうとして、エヴァンジェリンはそんな俺の言葉を、まるで幼子の駄々を聞き流すようにして続けた。
「いい成長をしたなぁ青山。いや、付け加えられたと言ったほうがいいのか? 何処の誰だか知らんが、またえらく歪な代物を渡したものだよ」
「どういうことだ?」
「どうもこうも。貴様……いや、これは語らないほうがいいか。人間は矛盾を孕む生き物だ。そして、生きることと死ぬことが両極にありながら成立するものと同じように、あるいはその矛盾もどこかで成立しているのかもな」
エヴァンジェリンは、まるで俺の全てを見透かしたような物言いをした。対して、俺は彼女が何を言っているのか理解できなかったが、彼女は話は終わりだとばかりに食事に手をつけ始めた。
俺も納得はしないが、話して面白いことではないのは確かなので、食事に手をつける。暫く食器と咀嚼の音だけが続いた。
「正義の元の行いと悪の元の行い。この二つはどう違うと思う?」
唐突に。
本当に唐突にエヴァンジェリンはそんなことを聞いてきた。あまりにも突拍子なことなので、俺は食事の手を止めて彼女を見返す。
少女はどこか憂いを帯びた表情でグラスの中に注がれた赤ワインを見つめていた。俺に視線を向けるでもなく、遠くを見つめた様子で静かに語る。
「百人の貧困者がいる。一人は奉仕の精神で彼らを救い導き、一人は労働者を得るために彼らを救いの名の下に騙した。どちらも百人の貧しいものを救ったのは事実だ」
「だから?」
「極論、善悪に優劣はないというくだらないお話だよ。あらゆる行いは善でも悪でも、どちらの動機でも行うことが出来るということさ」
だからそれがなんだ。
「一体、何を話している?」
「貴様のことだよ青山」
エヴァンジェリンは視線を上げると、しなやかな白い指先で俺を指差した。
「貴様は善悪の基準を抱きながら、斬ることに帰結している。青山、貴様は斬るということに疑問をもったことはないのか?」
その問いは愚問だ。いつだって俺の答えは決まっている。
「斬ることは斬ることだ」
「素晴らしい。そして、あまりにも愚かだ」
エヴァンジェリンはもろ手を挙げて俺を賞賛し、同時に嘲笑した。
結局、何が言いたいのかわからない。だから苦手なんだよなぁとか思いつつ、食事を再開するさもしい俺であった。
夜。青山がゲスト用の寝室に行った後も、エヴァンジェリンは青山のことを肴にしてワインを楽しんでいた。
己のことを何よりも知りながら、何よりも己自身を知らぬ愚かな男。それが青山だ。エヴァンジェリンは斬ることと生きること、矛盾する二つを当然のように矛盾させたまま併せ持つ青山を思って苦笑した。
「殺した相手の生きた証を胸に宿す、か……」
矛盾している。だが青山の中でこれは矛盾していない。己が殺した相手の死を悲しみ、悼み、証を胸に抱いて、誰かを斬る。
悪循環だ。そもそもが異常だった青山が、これまでよりもさらに捻れて狂った。無垢なまま気が狂っているという事実は、人間だから取り込めるものなのか。もしくは人間すらも忌み嫌う別種の何かなのか。
いずれにせよ。
予感はあるのだ。
そう、エヴァンジェリンは薄い笑みの下で考える。
「貴様が私を殺すか。私が貴様を殺すか……貴様の謎解きなど、そのときが来れば自ずとわかるだろうさ」
それは明日か明後日か。あるいは一年後か十年後か。
いつ起きるのかはわからない。だがこれだけは斬っても斬れない縁だから。
私は確かに貴様に斬られた。
だから、今度は私が貴様を殺す番なのだ。
来るべき最後のとき、そのときを夢想するだけで、エヴァンジェリンは今宵もまどろみの中、笑みを貼り付けたまま沈むことが出来るのだった。
─
近衛木乃香は人一倍以上に優しい少女だ。少々突込みが苛烈なときがあるが、それも含めておしとやかで愛情に溢れている。彼女の周りでは笑顔が咲き誇り、そんな彼女の優しさに明日菜は随分と助けられたものだ。
「……おはよ、木乃香」
だから今度は自分が彼女を支えるのだ。麻帆良に帰ってきた翌日の朝、既に起きていた、あるいは昨夜も眠れなかったのか、もう布団から出てうずくまっている木乃香に、明日菜は笑いかけた。
「おはよ、明日菜」
返事だけして、木乃香は立てた膝に顔を埋める。
木乃香は人一倍優しい。だからこそ人一倍、他人のことを心配する。それが肉親なら尚のことで、明日菜は木乃香の隣に座り、寄り添うしか出来ない己の無力に内心で毒づいた。
あくまで客観的な、しかもかなり広義に解釈すればだが、今回の京都大災害は木乃香にも責任の一端はある。誰もそのことは責めないし、明日菜も責めるつもりはないが、もしも事件の真相を知れば、他でもない木乃香自身が己を責めるだろう。
だが詠春の真実は、残酷ながら木乃香に教えられない魔法という裏の事情にこそ潜む。
そも、どう説明しろというのか。あなたの魔力によって封印を解かれた鬼が実家を焼いた。守れなくてごめんねとでも言えばいいのか。
違うだろう。短絡的な己の考えに辟易する。
「せや、明日菜、お腹空いたやろ……帰ってきたんやし、何か作らんと……」
不意に木乃香は夢遊病者のように立ち上がると、虚ろな瞳で台所まで歩く。今にも倒れそうなその身体を慌てて支えようとして、そっと木乃香の手に遮られた。
「大丈夫やから。ウチ、嬉しいんや。明日菜とネギ君が帰ってきただけで、とっても嬉しいんや」
そう言う木乃香の顔にはいつもの優しい笑顔は浮かんでいなかった。
安否も知れぬ親の行方、連日報道される被災地の状況。優しいからこそ、現実に耐え切れない。
「木乃香……なら、私も手伝い──」
「駄目や!」
突如、木乃香は大声をあげた。その声に驚き目を見開く明日菜の表情を見て、木乃香は虚ろな表情のまま慌てた様子で頭を振った。
「あ、違……明日菜、明日菜は、帰ってきたばかりやから。座って、待っててぇな」
「う、うん」
その迫力に気おされた形で、明日菜は引き下がった。
木乃香は安堵のため息を漏らすと、まるでいつもの日常がそこにあるとでも言わんばかりに、鼻歌を混じりに、冷蔵庫の中から食材を取り出して調理を始める。
その姿を見ながら、明日菜は何かを言うことも出来ずに押し黙った。
いつもの日常の出来損ないが広がっていた。いつものようでありながら、何処までも状況が違いすぎる。
明日菜はわけもわからず悲しくなった。日常に戻ってきたつもりで、結局自分は日常に戻ることが出来なかったのだから。
罪があり、それに対する罰がある。
力がないことが罪ならば、木乃香の今こそその罰か。
だとしたらあまりにも残酷すぎる。当事者である自分たちではなく、被害者である木乃香にばかり罰が下るというのなら。
「私は……私達は……」
その先の言葉が見つからない。今、明日菜に出来るのは、この出来の悪い日常の焼き直しに付き合うことだけだった。
─
ネギはその日、朝日も出たばかりの早朝から図書館島に来ていた。
その手に握られているのは一通の手紙だ。昨夜、ネギの手元に唐突に現れたその手紙の中身は、ある意味では驚愕すべき内容だった。
クウネル・サンダース。京都にて突如ネギ達の前に現れて、そのまま救出してくれた謎の男からの招待の手紙だった。
図書館島地下にてお待ちしております。お一人で来てくださいね。
そう書かれた内容に違和感はあったものの、現状ネギが出来ることはないので、明日菜には一言告げた状態で来たのであった。なお、カモについては留守番である。
「……えっと」
ネギは手紙に記された地図の通りに図書館島を進んでいく。罠の位置も正確に記されているのと、魔法が使用可能ということもあり、以前よりはスムーズに奥に進むことが出来た。
そうして歩くこと暫く、薄明かりを頼りに歩いていたネギの視界の奥から差し込む光に導かれた先で、開けた場所にようやく出ることができた。
地下にあるとは思えないほど美しい自然が広がる空間は、日差しの暖かさすら感じられるほどだ。魔法で作られた特異な空間を眺めてから、手紙と場所を照らし合わせて、この場所が待ち合わせのところと合致しているのを確認した。
だが手紙に書かれているのは、ここに来るまでのみだ。それ以上のことは書いておらず、ネギは周囲を見渡して。
「お待たせしました」
「わっ!?」
突如、背後から声をかけられてその場で飛び跳ねてしまった。
慌てた様子で振り返ると、相変わらず胡散臭そうな微笑を浮かべているクウネル・サンダースがそこに立っていた。
いつの間に現れたのかと思って、京都のときも唐突に現れたことを思い出す。転移魔法の使い方がたくみなのだろう。
そして少なくとも、青山の恐るべき気を受けて、表面上は平然としていられら人物でもある。
「もう怪我は大丈夫ですか?」
ネギが警戒心を露にしているにも関わらず、クウネルは落ち着いた様子で声をかけてきた。そのとっつきやすさに、むしろ余計に警戒心が高まる。
僅かに、苦笑。「嫌われるようなことしましたかね?」とぼやいた矢先、ネギを見下ろすクウネルの目が細まった。
「左目」
「え?」
「左目は、そのままですか」
クウネルはカラーコンタクトを装着したネギの左目。その内側に宿る漆黒の光を見据えて呟いた。
少年の瞳は暗黒に飲み込まれている。それは闇の魔法の代償か。あるいは別の何かによる『進化の証』なのか。
人を遥かに超える時を生きてきたクウネルですら、ネギの瞳の質は見たことがない。まるで貪欲に光を飲み込み、己の糧にするような底なしの穴。
そこに興味を抱いていないといえば、嘘になるだろう。クウネルは内心を微笑のカーテンで隠す。その内心の読めぬクウネルの態度に、埒が明かないと思ったのか、ネギは手紙を掲げてクウネルを見上げた。
「どうして、僕をここに呼んだのですか?」
「さぁ、どうしてでしょうか。世間話のため、とかはどうですか?」
「それなら、ここに呼ばなくても、外でご一緒に出来ますよ」
ネギはあえて警戒心を解いて柔らかい口調で答えた。何となくだが、クウネルにはそう接したほうがいいという直感が働いたからだ。
クウネルもネギがまとう空気が変わったのを見たのか、笑みを深くして指を立てる。
「実はここはここで美味しい紅茶も飲めるのですよ。そうですね。話の内容は……あなたの今後について、具体的には──強く、なりたくないですか?」
何の突拍子もなくそう問いかけてきたクウネルの言葉に、ネギは目を丸くした。
強くなりたいという願い。それは今まさにネギの内側に潜んでいるものである。強くなりたい。だが強くなる方法がわからない。暗中模索となっていたネギに、突如として降りてきた一本の蜘蛛の糸。
「……でしたら、ご一緒させていただきます」
「はい。是非とも」
二人は笑い合うと、クウネルを先頭に歩いていく。
何故、クウネルがネギにそんな提案をしようという考えに至ったのかはわからない。だがそれでも、振って沸いてきた唐突なチャンスをネギは逃すつもりはなかった。
今度こそ失わないために。
今度こそ守れるように。
そのための力を、強さを得るために、ネギは最初の一歩を踏み出した。
後書き
いよいよオリ主。魔法先生にお披露目。