翌朝になって、ガイは学園長室に足を運んでいた。黒檀の机を挟み、ガイと対峙する学園長だが、やたらと雰囲気が重苦しいので髭を撫でる手を止めた。
「どうしたんじゃ、こんな早くに」
「実は、契約違反をしてしまいまして……」
「ほ?」
珍しく敬語で、粛々と語るガイに驚きの声をあげてしまう。傲岸不遜で人目も憚らない平素の彼からは想像もつかない態度だ。
目の色を変えて、ガイの苦々しい顔で口を噤むガイに先を促す。
「一先ず、話を聞かなければ対処しようがない。詳細に報告してもらいたいのう」
「はい。お孫さんの近衛に魔法の指導をしていたのですが……」
これを聞いても学園長は驚きもとぼけもせずに、片目を開けて耳を傾けるばかりだった。
言い辛そうに、何度も口ごもりながら言う。
「昨夜、寮の部屋に帰ると、近衛が魔法を使い、危うく火事になる所でした。事なきを得ましたが、私の言いつけを破って魔法の練習をしていた近衛に、その……
つい、カッとなってしまい、ですね……えー……平手で頬を叩いてしまいました」
「ほう」
溺愛しているこのかに暴力を振るったのだ。間違いなく学園長は激高すると思い、覚悟もしていたが、髭を撫でてガイをみるだけであった。
閉じていた目を開いて、落ち窪んだ双眸がガイを見つめる。ガイが頭を下げた。
「契約に反しましたし、解雇するも減俸するもどうぞご自由に。煮るなり焼くなり好きにしろよ爺」
「理由はどうなのじゃ。叩くにも動機があった筈。処分はそれを聞いてから決めよう」
「動機?」
どうせクビだと決め込み、最後に粗野な一面を表に出したが、学園長が意外に冷静なのでガイが戸惑ってしまった。
視線を斜め下と上を行き来させて、思い出したくもない昨夜の出来事を思い返す。
「危険だからオレが監督していない時には魔法の練習を禁じていたのに、近衛がそれを破り、大問題に発展しかねない状況を見て、頭に血が昇りました」
「ふむ。このかは、その後、何と言っておった」
「……自分を嫌いになったのかと泣かれました」
「怪我や経過はどうじゃ」
「しばらくは叩かれた左頬が赤くなっていましたが、朝になると引いてました。それ以後は、近衛は気にした風もなく」
報告を聞き終えた学園長は、暫し黙考した後、髭をゆっくりと上から下に撫でた。
「そうじゃな。ヤルキナイネンくん、この場で処分を言い渡そう。今回は不問に付すとする」
「は? いいのか?」
素で答えてしまう。学園長は枯れた小枝のような人指し指を立てて言った。
「先ず、この件に関しては、このかに非がある。見方を変えれば大事件になるのをガイくんが止めてくれたとも取れるしのう。
手を出して叩いたことは確かに契約違反じゃが、指導の一環と今回は甘くみよう。この麻帆良では不良が空を飛ぶなど日常茶飯事。このかに怪我もない、事件性もないので暴力とも呼べん。
そして最後に、これで君をクビにしたりすれば、わしは孫に嫌われてしまう。あれは君をだいぶ慕っておるようだしのう。君の代わりもおらんし、辞められては困るんじゃ」
「最後、私情じゃねえか」
「この程度で済ませたことに感謝してもらいたいものじゃがのう。今の御時世、モンスターペアレントがうるさいぞ」
そして、特撮に出てくる宇宙人のように笑った。ガイは首を捻り、疑問を抱えながらも、最後には受け入れた。
金は捨てがたかった。
「分かりました。寛大な処置に感謝します」
「うむ。流石に、このかが傷物にされておったら娶って近衛家に婿に入ってもらわざるを得んが」
「ありえねえし、未成年に手を出しもしねえから安心しろ」
処分が下るや否や、素を出して吐き捨ててから早々に退室した。
ガイがいなくなった静謐な室内に、しわがれた声が響く。
「手を出してもらわねば困るんじゃがな」
●
「Hold on little girl~♪」
「はい?」
突然、英語で歌を口ずさみ始めたガイに、アーニャがとうとうアルコールで頭がイカれたのかと不安がる。
学園長室から戻ってきてからのガイは妙にテンションの浮き沈みが激しく、朝のHRのために教室に向かう最中でのこれにアーニャも無視せずにはいられなくなった。
「遂に妄想と現実の区別がつかなくなったの?」
「オレは鼻歌唄うだけで病人にされるのか」
アーニャが重体の患者を見るような目で見つめてくるので、ガイも首を捻って言った。
「いや、昔流行った曲の歌詞でしっくり来ない曲があってな。『Waited on a line of greens and blues』は、お前なら日本語にどう訳す?」
「え? うーん、前後が分からないから何とも言えないけど……愛している人と青臭い人の後ろで待っていた、とか?」
「案外ロマンチストなんだな」
「何よ、カラーセラピーっぽく当てはめただけじゃない」
てっきり直訳すると思っていたらしく、目を少し見開いてアーニャを見るガイの視線に恥ずかしくなり、アーニャが顔を逸らした。
ガイは前を向きながら、歩く片手間に言う。
「オレは嫉妬と憂鬱の線を引いて待っていた、だ。お前とは少し違うな」
「失恋の歌?」
「いや、悲恋の歌だ。簡潔言えば、オレがお前を好きなのに、ネギと付き合っているお前の恋愛相談を受けて悩む内容だ」
「気持ち悪い例えやめて」
平然と自分をロリコンに例え出したガイを突っぱねる。ガイはそういった感情は持ち合わせていないようで、アーニャに拒絶されても全く反応しない。
「人と人の感情のすれ違いっていうのは面倒なものでな。心が読めればいいんだが、普通の人はそう上手くいかないだろ。
オレもお前も魔法を使って額に触れれば相手の考えていることは分かるが、滅多にやらないし、何よりキモい。
気持ちの行き違い、衝突、和解までが恋愛小説だと面白いんだが、現実だと物語のように綺麗に収集つかないんだよ」
「あんたって恋したことあるの?」
ガイについて問い質された後だったので、アーニャも興味があった。アーニャとしては、真面目に働いてネカネとくっついてもらうのが理想なのだが、ガイにネカネは勿体無い気もする。
ガイは頬を掻いて、
「多分、あったぞ。もう十何年も前だけど、一度だけな」
アーニャの生まれる前の出来事を仄めかした。問い詰めたが、ガイはそれ以上を語らなかった。
やっぱりコイツ、アメリカではモテなかったんだな。と、不審者な風貌だった頃の人間関係は察せたので、少しは進歩があった。
●
「アーニャちゃんとガイ先生、どう思う?」
昼休みに中庭でバレーボールを使い、いつもの仲良し運動部四人組で遊んでいると、裕奈が切り出した。
まき絵がボールをレシーブして返す。
「アーニャちゃんは、まだ来たばかりだから何とも」
「でも、英語を教えるの上手」
「そら母国語なんやし。それより日本語上手い方がびっくりや」
「先生とたまに英語で喧嘩してるよね」
思い出し笑いに、ボールが逸れた。慌てて移動したまき絵が新体操の要領で頭に乗せる。
英語を理解している超やあやか、葉加瀬が苦笑したり、くすくす笑っているが、分からない人にはガイが罵倒されているのが伝わってくるだけだ。
アーニャは先生と呼ばれず、ちゃん付けな辺り、年下の女の子としか見られていないのが分かる。
そしてガイの話になると、亜子とまき絵の目の色が変わった。
「ガイ先生は格好良いよね! ハリウッドスターみたい!」
「まき絵、あんたは動機が不純すぎ。先生のことAVの教材みたいに思ってるでしょ」
「そんなことないよ!」
「ウチもまき絵がなに考えてるのか分からなくなるわ」
オトナ騒動以来、変な方向でガイを慕っているまき絵に懐疑的な視線が突き刺さる。
どうも恋愛感情ではないようだが、先生というより指導者、もしくは見本としてガイを見ている節がある。
色気のある大人がガイだと認識してしまったので、ガイを師匠として敬っているようだ。
ガイは容姿が優れているだけで人間性は尊敬できる代物ではないのだが、上辺だけ見ると気づけないらしい。
亜子が何気なく言う。
「ガイ先生は格好ええよなぁ。見てるだけでドキドキしてまう」
「うん……顔は、綺麗だと思う」
「そういや、D組の子が先生に告白したらしいよ。振られたらしいけど」
裕奈が思い出したように言うと、亜子が肩を落とした。
「やっぱ中学生には興味ないんかな」
「十も違うとね。でも、私が先生だったら生徒に可愛い男の子いたら好きになっちゃうと思うけどなー」
まき絵が自分に置き換えて発言すると、また裕奈のジト目が飛んだ。
「あんた、委員長と同じでショタコンのケがあるんじゃない」
「えー、違うと思うけど」
「先生はアキラみたいなコがタイプやって言ってた。ええなー、アキラ。ええなー」
「いや……たぶん、私が告白しても振ると思うよ」
コンプレックスを爆発させる亜子をアキラが宥める。ガイに一目惚れしてからと言うもの、ガイと自分を比較したり、アキラやこのかと比較したりで気落ちしている亜子は、情緒不安定気味だった。
亜子とまき絵の部屋は普段はどんな感じなのだろうと想像して裕奈が頬をひきつらせる。
「まぁ、そのいいんちょも最近、ボーっとしてること多いよにゃー。具体的には先生に抱きしめられてから」
「うん、意識してる感じ」
「ショタコンって言うても、性癖と好きになる相手は別やろし」
「あはは、性癖って」
裕奈が腹を抱えて爆笑する。ガイが来てからクラスは桃色の空気一色なのに、あまり変化のない裕奈に亜子が怪訝な顔を見せた。
「裕奈はファザコンでアスナはオジコンやん。正直、一番危ないと思うで」
「え、なんで!?」
「お父さん以外の異性に興味ないから、じゃない?」
アキラが補足する。なんで、おとーさんかっこいいじゃん、と叫ぶ裕奈を無視してボールを遊ばせた。
「アスナも馬鹿だよねー。今は若いけど、私たちが大人になる頃には先生もアスナ好みの渋い男性になってるのに」
「まき絵に言われたくないやろけど、アスナはあれ筋金入りやろ。ライバル増えてほしくないし、変わらないでほしいわ」
「あはは。亜子もアーニャちゃんくらい幼かったら先生ももっと優しかったんじゃない?」
「ふん、どっちもガキじゃないの?」
「え?」
そこに、何か高校生が乱入して一悶着あったそうだ。
経緯は割愛して、ガイが呼ばれる事態になった。貴重な休憩時間を邪魔されたガイはすこぶる不機嫌だった。
怪我をしたまき絵と亜子が半泣きで助けを求めてきたので、急いで駆けつけたらアキラと裕奈を女子高生が寄って集っていびっていた。
そこに先に参上したアスナとあやかが女子高生を煽り、乱闘騒ぎに発展する始末。
ガイは頭を抱えて割って入った。
「はい、そこまで」
揉み合っているアスナとあやかの手を女子高生から引き剥がし、両者の間で額に片手を当ててため息をつく。
女子高生が教師の登場でたじろいだ。何人かが噂の美形教師に顔を赤らめている。
ガイが来て安堵する2-Aだが、アスナだけは不安そうに疑惑の目を向けていた。
そしてそれは的中する。
不機嫌そうに眉をしかめていたガイは、不躾に聖ウルスラの女子高生たちを見渡して言った。
「おい、お前ら何歳だ」
「はい?」
「じ、十七ですけど」
「十七?」
聞き返すと、ガイは大仰に肩を竦めて嘆息した。人の神経を逆撫でさせる、この上なくウザい仕草だった。
「な、なにこの人……」
「何で先生がっかりしてるの?」
「恐らく、イギリスでの成人が十八歳からだからではないかと思います」
英子がイラッとし、つぶらな瞳で尋ねるまき絵にあやかが推測で返した。
アスナがガイに任せていいのか自問自答していると、ガイが2-Aを向いた、
「そもそも何でお前ら喧嘩してたんだ?」
「あっちが、私たちの方が大人なんだから場所をよこせって強引に……」
「オトナぁ?」
ガイが訝しげに言うと、さすがに非があることは自覚しているのか、高校生が狼狽する。
が、ガイはなぜか2-Aを手招きした。
「雪広、大河内、カモン」
「?」
「なにする気ですか」
アスナが訊いてもガイは聞こえない振りをした。言われた通りにあやかとアキラがガイに連れられ、英子とスタイルの良いもう一人の高校生と並べさせられた。
並んだ四人を交互に眺め、ガイは満足気に頷くと、あやかと英子の手を取った。
「WIN」
あやかの手を上に掲げる。今のはスタイルの勝負だったらしい。ガイはあやかとアキラの背を押して引き返した。
「よーし、帰るぞ」
「ち、ちょっと待ちなさい!」
「なんだよ。こっちも穏便に済ませようとしてやってんのに」
ガイが気怠そうに振り返る。三つも下の中学生に負けたのが気に食わなかったらしかった。
胸に手を添え、声高に主張する。
「そんな小娘より、私たちの方が色気も美貌も勝っているわ! その二人がちょっと凄いだけで平均では圧勝よ!」
「そんなのあんたたちが無駄に年食ってんだから当たり前でしょ!」
それを皮切りにギャーギャーと聞くに耐えない罵声が飛び交うので、ガイはケータイを取り出した。
もう片側の耳に指で蓋をしながら誰かに言う。
「あのさぁ、ちょっと中庭まで来てくんない? うん、おたくの生徒が騒いでてさぁ。うん、うん。え、知ったことじゃない? そんなこと言わずに」
ガイをそっちのけで口喧嘩していた面々は、何を言っているか分からなかったが、しばらくして聖ウルスラの制服を着た金髪の女子高生がやってきた。
2-Aはまた敵が現れたと思い、女子高生組は後輩が来たことに動きが止まる。
その聖ウルスラ女子の現一年生、高音・D・グッドマンは頬をヒクヒクさせてガイに言った。
「いきなり呼びつけて何の用ですか……?」
「見ての通り、お前んとこの生徒がウチの生徒にイチャモンつけてくるんだよ。どうしてくれんのよ」
「知りませんよ! 先生なんだから自分で解決してください!」
何か嫌な思い出があるらしく、半泣きになりながらガイに叫ぶ。
クレームをつける消費者かヤクザのようだったガイは、気まずそうに頭を掻いた。
「いや、オレは麻帆良女子中の担任だし、広域指導員でもないから高校生相手にどう処理したらいいか分かんないんだよ。
実はオレ、中学高校まともに通ったことないから、こういう時どう対処すればいいのかも分からないんだ」
「普段から生活態度がなってないからです! 毎晩毎晩飲み歩いて、それを処理する私たちの身にもなってください!」
それから、なぜかガイが高音に説教され始め、ガイが低頭気味で劣勢になった。
ヒステリックに怒鳴る高音の肩に、ポンと手を置いてガイが言う。
「ま、そう怒るなよ。オレとお前の仲じゃないか」
「誤魔化さないでくださいッ!」
「何を騒いでいる」
ガイと高音が言い争い始め、他の面子が呆気にとられているところにガンドルフィーニがやってきた。
騒動が長引いたので、他の生徒が先生に連絡したようだ。ガイがガンドルフィーニを見つけて気さくに手を挙げた。
「ご無沙汰してます、ガンドルフィーニ先生」
「君か……どうやら、ウチの生徒が迷惑をかけたようだが」
「いえ、そんな大事じゃありませんよ」
今度は高音そっちのけでガンドルフィーニと世間話を始める。外野を置いてけぼりにして勝手に盛り上がった二人は、最後にお互いの肩を叩き合った。
「今度また飲みに行きましょうよ」
「はは、私も妻子ある身で懐が寂しいんだが」
そして笑って踵を返した二人は、それぞれの生徒をまとめ始めた。ガンドルフィーニが小言を混じりに高校生組を帰し始める。
生徒が不満を溜め込んでいるのに、一人だけ晴れやかな顔をしたガイにアスナがジト目を向けた。
「あの二人はなんなんですか」
「夜に飲んでたら仲良くなってな。高音と佐倉はまだツンケンしてるが、ガンドルフィーニ先生は飲み友達だ。
一度酒を飲ませてみたら泣き上戸でな、仕事と家族サービスで板挟みになっていると嘆いたんで『分かるってばよ……』と励ましたら和解できたんだ。ニンジャってすごいな」
お前が原因じゃねえか。アスナの突っ込みは届かなかった。
生徒が知らないところで、ガイの周りに妙な人間関係が形成されているようだった。
●
体育教師の二ノ宮が出張でいないので、代わりにガイが体育の監督を務めることになった。
見ているだけなのでスーツ姿で生徒より一足先に屋上のコートに向かう。そこに、先ほど一悶着あった聖ウルスラの英子らがいた。
「なにしてるんだ。ここは次の授業でウチが使うぞ」
「私たちは自習で、レクリエーションとしてバレーをしようと思って」
「残念だが、割り当ては決まっていてな。別の場所でしてくれ」
「そう言わずに。いいじゃないですか~せ・ん・せ・い」
英子が色っぽい声音でガイの腕に抱きつく。婀娜っぽい仕草で上目遣いにガイを見つめた。
だが、ガイは動じない。
「もう高校の最上級生になるんだろ。世の中、思い通りにならないこともあるんだ。我慢しろ」
「つれないこと言わないでよー、せんせー」
「うわ、なんだお前ら!?」
効果が無いと見るや、他の女子高生もガイに抱きついた。腕に胸に背中に、ベタベタとくっついてくるので鬱陶しくなり、少し強めに振り払う。
「きゃっ」
「あ……わ、悪い」
そんなに力を込めていなかった筈だが、英子が尻もちをつく。先日のこのかの件もあり、生徒への暴力に敏感になっていたガイが直ぐ様、手を差し伸べる。
ガイの手を握って立ち上がった英子は、ニヤリと笑った。その手を自身の胸に押し付ける。
「いっ!?」
「きゃあああ! 先生のエッチ~!」
わざとらしい大声をあげ、比較的大きめの乳房にガイの手を両手で抑えつけ、揉みしだかせる。掻き回すように手を動かされ、その大胆な行動に驚いていたガイにフラッシュが焚かれた。
見ると、ポラロイドカメラを構えた生徒がいて、写真が印刷されているところだった。
英子を見る。ほくそ笑む、東洋の魔女がいた。ガイがバッと手を離す。ワナワナと震えるガイに英子が得意げに言った。
「せんせー、これを学校に見せたら、どうなると思います? 淫行教師の烙印を押されて社会的に死んじゃいますよー?」
ピラピラと現像された写真をガイに見せつける。写真は、嫌がる英子の胸をガイが揉んでいるような構図で写っていた。
「くっ」
ガイが咄嗟に奪おうとするが、英子は制服の胸元を開いて、写真を胸の谷間に隠した。隠し場所にガイが手を出せなくなったのを見て、くすくすと笑う。
ガイが冷や汗を流して、肩を落とした。
「な、何が望みだ」
「フフフフフ……」
女子高生に完敗したガイには、もう立派な魔法使いの面影などなかった。
いや、初めから威厳など存在しなかったのだが、今のガイは情けないことこの上なかった。
「ガイ先生には、もう少し社会人らしく振る舞ってもらいたいですわ」
あやかが頬に手を当て、嘆息する。問題を解決するどころか悪化させ、有耶無耶にさせて解散させる手法を取ったガイに多少なりとも幻滅したらしい。
手を握られた際に、胸が高鳴ったのも否定できなかったが。まだあやかの手にはガイの男らしい逞しい指の感触が残っていた。
亜子が曖昧に笑う。
「先生って変わっとるわ。外人さんだからやろか」
「飛び級したから普通の学生生活してないんじゃなかったっけ」
「つーか、あの写真がホントなら人付き合いできないんじゃ」
まき絵と裕奈が続く。自営業がどういう仕事をしていたのか憶測が口にされる中、アスナも首を傾げた。
「そういえばあたしたちも聞いてないわね。このか、ガイ先生って実は悪い仕事してたかもしれないわよ。
強盗とかテロリストの手伝いとか」
「えー。先生はそんなことする人やあらへんよ。冗談でもそういうこと言ったらアカンえ」
「そうかなー」
魔法関連の仕事の想像がつかないので、武力が物を言う世界を思い浮かべたが、このかがいつもより強めに否定する。
あたしが金を持っていてガイに依頼するなら邪魔者の排除だな、と益体もないことを考えてジャージに着替える。
そこに赤い長袖のジャージを着たアーニャが入ってきた。
「早く着替えなさいよー」
「アーニャちゃん。どうしたの、その格好」
「今日は二ノ宮先生がいないから、代わりに私とガイが体育を見ることになってるの」
「マジ? やりぃ!」
裕奈を筆頭に何人かがガッツポーズをして喜ぶ。ガイなら口うるさいことを言わないので、好きに遊べると思ったからだ。
アーニャが腰に手を当てて不満そうに口を尖らせる。
「舐められてるわね、ガイのやつ」
(お前みたいな幼女が副担任やってるからだよ)
千雨が着替えながら、口に出さずに突っ込んだ。ガイはまだしも、彼女は完全に法律違反だった。
全員が着替え、屋上に向かう。扉を開けると、そこには聖ウルスラの女子高生と、彼女たちと親しそうに振る舞うガイがいた。
「あ! あんたたちは!」
「ふっ、また会ったわね」
「ていうか、ガイはなにしてんのよ」
因縁のある相手にアスナたちが身構える。何があったか知らないアーニャが、女子高生と遊んでいるガイに尋ねると、ガイは不自然な笑顔で答えた。
「じ、実は、今日からオレはこのコたちのモノになったんだ」
「ハア!?」
アーニャを始め、2-Aの全員が耳を疑った。頭がおかしくなったのか思う彼女たちに、英子がガイの肩にしなだれかかりながら言う。
「聞いての通りよ。ガイ先生は、あなたたちより私たちの方が良いんですって」
「女子高生の方が魅力あるから当然よね」
『ハアァ!?』
大口を開けて、疑問の声が轟かせた。女子高生に囲まれ、ベタベタとされているガイはにこやかにだらしなく笑っているように見える。
実際は脅迫されてぎこちなく笑っているのだが、敵愾心のフィルターがかかっているのでそう見えてしまった。
「ちょっとガイさんはウチの担任でしょ!? なに寝返ってるんですか!」
「先生はションベン臭い小娘共より、食べごろの私たちの方がいいのよね~。ね、セ・ン・セ」
「そ……そうですぅ! 僕はお前ら何かより美人揃いの聖ウルスラ女子高生の方がいいんですぅ~!」
半ばヤケクソになりながら、ガイが宣言する。何人かがその様子を不審そうに見ていた。
「あの不遜な先生が……おかしいな」
「買収でもされたでござるか」
「先生が……いや、そんな」
「あれ何か握られてんじゃねえのか?」
真名、楓、刹那の武闘派な面々が訝しがる横で千雨が呆れながら呟く。
だが、直情的なクラスメートはそうはいかなかった。アーニャが恐ろしい声音で呟く。
「殺す」
「あたしたちの味方だって言ってたのに裏切るなんて」
「どうやら、先生の目を覚まさせてあげなければいけないようですわね」
アスナ、あやかが業を煮やし、拳を震わせる。それを見て、英子が挑発的に嘲笑した。
「そうは言ってもねえ。先生はとっくに私たちの虜だし」
「ぶん殴って目ぇ覚まさせるだけよ! ガイをこっち寄越しないババア!」
「バ……! んだとこのガキ!」
「英子、落ち着いて」
「ぐっ……そ、そうだった」
アーニャが腕まくりして挑発してくるのに乗りそうになる英子をツーサイドアップのしぃが諫める。深呼吸をした英子が話を切り出した。
「ふふっ、そんなに先生を返して欲しかったら、私たちと勝負しなさい」
「勝負?」
「ええ。勝負方法はドッジボール。ハンデとして、あなたたちは何人参加してもいいわ。ただし、こっちにはガイ先生を入れさせてもらうけど」
「は? ちょっと! 何でガイさんが」
「だって先生は私たちのモノなんだし、当然じゃなーい?」
「上等よ! ガイも纏めてぶっ飛ばしてやるわ!」
「あ、アーニャちゃん!」
完全に逆上しているアーニャを羽交い締めにして、後ろから囁く。
(ガイさんって半端無く強いけど、大丈夫なの?)
(チームプレイなら何とかなるでしょ。あたしもいるし、こっちも精鋭を選べば問題ないって)
(あ、そうか)
アーニャも魔法を使えることを思い出し、程度は不明だがそれなら対抗できるかもと思い直す。
あやかも怒っていて、ガイの心変わりに疑問を抱かず、クラスメートに振り返って声高に宣言した。
「聞きましたか皆さん! あの年増のオバサン方をギャフンと言わせて、先生を取り返しましょう!
そこの武道四天王の方々は強制参加ですわよ! 2-A総力を挙げて打ちのめしますわ!」
「おお! 先生と戦えるアル!」
「……まあ、先生の実力を知る良い機会か」
「ニンニン」
「……」
普段は体育でやる気を出さない生徒も駆り出され、対聖ウルスラ2-D+ガイのメンバーが選出された。
真名、クー、楓、刹那の四天王に加え、アスナ、あやか、裕奈、亜子、アキラ、美空、まき絵、超の運動が得意な生徒に、なぜか立候補したエヴァだ。
「ふん、数で優位に立とうとはしなかったようね」
「ま、どっちにしろ私たちには敵わないけど」
英子たちがニヤニヤと笑う。女子高生に囲まれているガイは死んだ目で棒立ちだった。
(オレ、生徒に危害加えていけないんだけど、スポーツならいいのかな)
女子高生に手玉に取られた大人なのに、こういう心配をするあたり、やはりズレていた。
あとがき
ガイ「やれば返していただけるんですか」
英子「おう、考えてやるよ(返すとは言ってない)」