ストームリーチの波止場から海に向かって突き出した『水漏れ小船亭』、その付近に停泊する大型船達の中でも一際豪奢な船体を誇るソウジャーン号が長い停泊を終え、出航の時を迎えていた。
昨日は航海の無事を祈って船上でパーティーが行われ、多忙な毎日を過ごしているらしいオーナーのドールセン女卿も顔を見せていた。ハーフリングの姿を取り戻した彼女は上機嫌で周囲の客と歓談しており、幾人かのVIPを紹介してもらうことが出来た。
パーティー終了後にはコルソスの事件を題材にした舞台の脚本について打ち合わせを行ったのだが、少々熱が入ってしまい随分と時間が掛かったために久しぶりにソウジャーン号に宿泊することになった。
そのためこうしてギリギリの時間に船のタラップを降りて出航を見送る羽目になってしまった。随分と高く登ってしまった太陽の光が穏やかな海面をキラキラと照らしている。
埠頭ではリナールが俺を待つように立っていた。なにやら船長は最後に乗船・下船するものだというポリシーがあるらしい。また、俺の後ろには手荷物を運んでくれたレダの姿があった。
「さて、それではまた暫くのお別れだなトーリ。君のような人物の時を刻む時計の砂は金よりも遥かに価値があるのは承知しているが、シャーンに行く時にはこの船のことも思い出してくれ。
どんな鳥、それにドラゴン達だって永遠に空を飛び続けることは出来ない。我々はそんな君が翼を休めることができる止まり木のような存在でありたいと思っているのだよ」
お気に入りのパイプを口から離すと、リナールは空いた方の手で俺が差し出した手を強く握った。書類仕事が多いらしいこの船長だが、長い間を海上で過ごした彼の氏族にしては風変わりな経歴を持つためかその掌は皮が厚く力強さを感じさせる。
「ああ、次の機会には是非利用させてもらうよ。舞台の方も期待してる。コルソスの皆にもよろしく伝えておいて欲しい」
リナールと握手を交わして俺は彼の提案を快く受け入れた。ソウジャーン号の快適さは自分の家とはまた違ったものだし、気分転換に豪華客船で船旅を楽しむというのはなかなかに乙なものだ。
元々俺がインドア派だったのはネットなどの環境が充実していたせいであって、家具が揃ったとはいえこの世界で自分の部屋に篭って時間を潰すのはなかなかに退屈な事であり、娯楽の少ないこの世界では彼の提案はありがたいものだ。
巻物を作成したりする作業に没頭できれば少しは違うのかもしれないが、今の俺の術者としての技量は大きく制限されているためにそれも難しい。自作したいマジックアイテムはたくさんあるのだが、技術が全然足りないのだ。
「ああ、ラースやシグモンド達も新天地での君の活躍を楽しみにしているだろう。これからも君たち一行にソヴリン・ホストの加護があることを祈っているよ」
そう言って再びパイプを咥えたリナールに替わって、俺の前に立ったのはレダだ。褐色の肌に映える銀髪が今は太陽の光を照り返し、彼女の健康的な魅力を一層引き立てている。
「トーリ様、昨夜は久しぶりにお会いできて嬉しかったです。お忙しいのに私たちの我侭に付き合っていただいて、そのうえ貴重なお話も聞かせていただいて……」
時折吹く強い浜風に乱されぬよう耳元に手を回した彼女はスーツのような黒い制服に身を包んでいる。昨晩のパーティーでのドレス姿も綺麗なものだったが、初対面の印象もあってか凛々しさを感じさせる今の姿に彼女らしさを感じてしまう。
「いや、あんな立派なパーティーに呼んでもらえて嬉しかったのはこちらのほうさ。何分田舎者なんで他の出席者の皆さんに失礼がなかったかが心配だけれどね」
知識としてはこの世界の礼儀作法などを知ってはいるが、実際にそれを使う場面に遭遇したのは昨夜が初めてである。あまりそういったところに五月蝿くないこの街の流儀が反映されてか、堅苦しくはないパーティーだったとはいえ未だに振る舞いには自信が持てない。
そういう意味ではデビュー戦にはちょうどいい機会だったのかもしれないが。
「私、コーヴェアに戻ったらシベイの試練を受けようと思うんです。
トーリ様が手がけてくださった舞台に役者として立ちたいって気持ちがずっと収まらないんです」
レダの言う『シベイの試練』とは、ドラゴンマーク氏族の子弟がその身に秘めたマークの力を覚醒させるために受けるものだ。試練の内容は氏族によって異なるが、それは参加者を極限状態に追い込むことで潜在能力の発現を促すものだという。
氏族に対して貢献することはマークの有無に関わらず可能だが、試練を克服した者が氏族の有力者として扱われることは間違いのない事実だ。それに影のマークが与えてくれる能力は彼女の芸能の技量を補助するのに役立つことだろう。
シャーンで見たティアーシャの舞台にも各所で幻術魔法が用いられていた。魔法が身近な技術であるこのエベロンでは重要な技術の一つとしてそういった魔法が使われているのだ。
「そうだな。俺としてもレダがこの話を切掛に活躍してくれれば嬉しい。端役と言わず、いっそ主演女優を目指して欲しいな」
このソウジャーン号の乗務員は豪華客船ということで優秀なスタッフばかりだが、その中でもレダは人を惹きつける高い魅力を持っているし、素質は申し分ない。彼女ならきっと優秀な役者になれるだろう。
「はい、いつかきっと。その時は特等席を用意しておきますから、是非見に来てくださいね」
二人が船へと乗り込むと、タラップが魔法動力により船へと収納されていく。船体の前後に呪縛された風の精霊が顕現し、青いリングとなって船を浮き上がらせる。吹き上げられた水滴が船首に飾られた白竜像に近づくと即座に凍りつき氷片となり、直後に船体に触れて砕け散った。
嘘か誠か解らないが、ミザリーピークから回収されたオージルシークスの牙が埋め込まれたというその船首像からは船全体を覆う防護魔術が展開されている。一ヶ月ほどを掛けて生まれ変わったソウジャーン号はその優美な姿を見せつけるように港湾を一回りした後、ストームリーチから旅立っていった。
ゼンドリック漂流記
4-1.セルリアン・ヒル(前編)
焚き火を囲むように床には敷物が並べられ、車座になって人影たちが座り込んでいる。原始的な照明に照らされた彼らは灰色の皮膚にまばらな黒髪、そして狼のような耳をしていた。瞳が赤く輝いているのは決して照明のせいではない。
オークと呼ばれる人型生物である彼らは辛子色をした鮮やかな下地に黄緑や深紫といった独特な色による紋様が描かれた布を身に纏っている。中でも最も複雑で大きな紋様をした布を革鎧の上から羽織り、角の生えた頭蓋骨を被った呪術師──おそらくはこの集団の中心的人物が口を開いた。
「使者殿は我らに服従せよ、と申されるのか?」
下顎から犬歯が突き出した、迫力のある口から訛りのある巨人語が紡がれる。ゼンドリックに住む多くの現住種族はかつてこの大陸を支配していた古の文明の影響を強く受けているために、共通語として巨人語を使用しているのだ。
その言葉がこの空間に響き渡ると同時に、場の空気は張り詰めたものとなった。人間よりも一回り大きい体格をした彼らは優秀な戦士としての素養を持って生まれる。この決して広いとは言えぬ洞窟の一角で乱戦になった場合、体格や人数で劣る側の不利は言うまでもないだろう。
だが、その言葉を向けられた男はその緊張をさらりと受け流した。
「いや、違う。我々は貴方がたと対等な関係でありたいと思っているのだ。
貴方が我々の商隊の護衛を襲っても、それはお互いをすり減らす行為に他ならない。それよりも貴方がたが我々の商隊を護衛し、その積荷の全てではないが一部の品を継続的に得ることの方がお互いにとって良いことではないか?」
車座の一角を占めることを許されたその使者は雄弁に語った。この男もまた、純粋な人間ではなかった。肌の色や身に纏う衣服こそ人間のものであるが、その耳と突き出した牙が彼にオークの血が混ざっていることを示している。
そして男の額からは鋭角の楔形から成る紋様が広がっていた。それは『発見のマーク』──男は、タラシュク氏族の交渉人なのだ。彼の任務は、このオークの呪術師を説き伏せて周辺一帯のオークを彼の氏族で雇い入れる事だ。
「我らの氏族が冠する『タラシュク』とは"団結"の意味を持つ。異なる血筋の者だからといって争わねばならぬ道理はない。
むしろ手を結ぶことで、より大きな力に対する事ができるようになる。
無論指揮系統は存在するが、それは純粋に個人の能力によって与えられるものだ。貴方がたの精鋭が闘技場で勝ち上がってチャンピオンとなれば英雄として讃えられることは間違いない。
そしてその栄誉は大陸を超えて響き渡るだろう」
交渉人の言葉を受けて、再び洞窟内は静まり返った。焚き火の立てる音だけがパチリ、パチリと壁に反射して響いている。
お互いの心情を探り合い、思考を巡らせるための暫くの時間が経過した後に再び呪術師が口を開いた。
「なるほど、お前の言うことには確かに理があるようだ。だが我らにその言の葉を巡らせるには理のみでは足りぬ……」
呪術師の言葉は決して大きな声ではなかったが不思議と洞窟に響き、またその言葉以上の重さを有していたのか口調に合わせて焚き火を揺らした。
風に煽られたかのように姿を変える炎に照らされ、歪な洞窟の壁面に映る影が不気味な踊りを見せる。
「我らと対等であろうと欲するのであれば、力をも示してもらおう。試練を乗り越え、汝らに我らを動かすに足る理と力が備わっていることを示すがいい」
呪術師がそう言葉を発すると車座の中央の焚き火が突如その光を失い、その代わりとばかりに入口の方へと向かう通路の壁に掛けられている松明に火が灯った。どうやら話し合いはこれでお開きのようだ。
足が悪いのか、腰を曲げたままヒョコヒョコと右足を引きずって歩く年嵩のオークが俺たちを先導するように洞窟の出口に向かって歩き出す。彼に従って外へ出ると既に空には無数の星が散らばっていた。どうやら思ったよりも時間が経過しているようだ。
「お、ようやく終わったのか。話し合いの首尾はどうだったんだ?」
洞窟から少し離れた場所に移動すると、野営のために起こした火を囲んでいるケイジから声を掛けられた。他にもゴライアスのゲドラとドワーフのウルーラクが近くにある石に腰を下ろしている。
「コボルト・アソールト」から続いたストームリーチ地下下水道に巣食うコボルトとの戦いで一緒に肩を並べた彼らが今回の旅の仲間だ。何やら信仰呪文の使い手であるウルーラクの占いに俺を誘うのが吉と出たんだとかで声を掛けてもらったのだ。
洞窟の中に立ち入りを許されたのは交渉人以外に一人のみであったため、残りのメンバーである彼らは宛てがわれた一角で時間を潰していたのだ。
周囲には外界から洞窟の入口を遮断するかのように岩の壁が立ち上がっている。ゲームで見たものとは縮尺の違うそれらは、空を飛びでもしない限り乗り越えることは困難だろう。
こうして見ると内側からは壁面を登るための梯子が取り付けられており、その上では弓を装備したオークの弓兵が見張りを行っている。かろうじて客人として扱われているものの、岩壁の内部に居座っている俺達のことが気になるのだろう。見張りたちの視線はどちらかというと外側よりも俺達に向けられているようだ。
そんな周囲の状況を知ってか知らずか、周囲へは視線もやらずに焚き火へと向かったハーフオークのエンダック──今回の俺達の雇い主──は口を開いた。
「そうだな、一歩前進といったところか。彼らの協力を取り付けるにあたっての条件をいくつか取り決めることができた。
あとはそれを一つずつこなしていけばいい。お前たちに協力してもらえばそれほどの時間がかかることもないだろう。引き続き宜しく頼むぞ」
そう言うと彼は腰のポーチに止めていた水筒を取り外すとその中身を呷った。話し合いを続けていたことで喉が乾いていたのだろう、なかなかの飲みっぷりだ。
大量の液体を嚥下する音がこちらまで聞こえてくる。微かに香るアルコールの香りからその中身を察するが、街の外に出るときに持ち運ぶ水分にアルコールが混ざっているのはよくあることだ。
彼自身も腕のたつ冒険者であるからして、酒量を過ごすこともないだろうし特に口を挟むような事はしない。
「その口ぶりだと街に帰るのはまだ先になりそうじゃな。明日の朝天上の神々に捧げる祈りにも関わるじゃろうし、良ければ今のうちにその条件とやらについて話しておいてくれんかの」
石片を手に何らかの細工物をこしらえていたウルーラクも、アルコールの匂いに釣られたわけではなかろうがその手を休めて話に混ざってきた。彼ら信仰呪文の使い手は毎日決められた時間に神に祈ることで呪文の力を得ている。
その際の祈りの内容により授かる呪文の内容が変わるため、必要な呪文が分かっていればそれに応じた祈りを捧げることで望む呪文を準備しておくことが出来るのだ。
だがそのウルーラクの言葉に対するエンダックの反応は予想外のものだった。
「そうだな、その辺りのことはトーリに説明してもらえ。巨人語を理解できるって触れ込みで中に連れていったんだしな、俺が採点してやろう」
彼は水筒から口を離した次は腰のポーチから取り出した燻製の肉をその鋭い歯で齧りながらそんな事を言ったのだ。
並のハーフオークの凶相でそんな事をしていれば恐ろしげに映るものだが、不思議なことにこの男がやるとむしろ愛嬌のようなものを感じさせてくれる。突き出した牙もまるで八重歯のようだ。
交渉人としての役割にふさわしく、他人に警戒心を抱かせない性質なのだろう。だがそれは甘いということではない。必要に応じて厳しい判断を下し、冷徹に鋼を振るう。タラシュク氏族の交渉人とは、優秀な狩人でもあるのだ。
「ご指名とあっちゃ仕方がないな。それじゃ連中の話に俺の知っている話を合わせて情報を整理しておこうか」
ドラウの双子の少女たちから太鼓判を押されているが、技能ポイントを振ったことでなぜか理解できてしまっている巨人語にはあまり自信がない。鈴がなるような声で紡がれる彼女たちのそれと、訛りのきついここのオーク達の言葉遣いは同じ言葉として一括りにしていいものか悩ましいという事もある。
とはいえ雇い主の前で無様を晒すわけにもいかない。この稼業を続けていく上で信頼を失ってしまえばまともな仕事にはありつけなくなるだろう。
彼女たちがシャーンのお土産を読み解くのに忙しいために暇を持て余していた俺に声をかけてくれた他のメンバーのためにも、役に立っておかなくては。
「明日の予定は狩りだ。ここの連中に俺達の能力を証立てて、話を聞く価値があると思ってもらう必要がある。
幸いここから南に少し行ったところにある神殿跡地に彼らの縄張りを脅かしている大物がいるんで、それを始末して来いってことだな」
勿論これは単なる力試しというわけではない。タラシュク氏族としては戦士を提供してもらう以上、その分手薄になる彼らの縄張りについて気を配る必要がある。
実際のところ、エンダックとあの呪術師──ガルントは今日が初対面というわけではない。おそらく既にある程度の話が事前に纏まっており、今回の会合は他の部族の有力者に対する形式的なものだったはずだ。
恐らくはその大物についての調査も既にエンダックは行っているはずだ。明日の戦闘は実際にはオーク部族へのデモンストレーションを兼ねた、俺たちパーティーの実力を測る試験なのではないだろうか。
無論これらのことは彼らの様子から俺が導き出した唯の推論に過ぎないし、他のメンバーに告げるつもりもない。ただ俺の"真意看破"が察したその違和感だけは常に意識しておくように、という訓練のようなものだ。
「で、その大物なんだが普通の動物じゃないらしい。ライオンの群れらしいんだが、"カイバーの影響を強く受けた"って話だから普通の武器は通用しないかもしれない。
呪文やエネルギーに対する抵抗も持っているだろうから厄介な相手かもしれないぜ」
普通のライオンですら熟練の戦士に並ぶ戦闘能力を持っている。さらにカイバーに汚染されている──フィーンディッシュ種であればその危険性は跳ね上がる。複数の大型魔獣を相手にするようなケースであれば、犠牲者が出ることも十分に考えられる。
「ふむ、ならば明日は特にドル・アラーとドル・ドーンの二柱の神々に多くの祈りを捧げるとしよう。
"戦"を司るこの神々であれば、我らの向かう戦場での手助けとなる呪文を授けて下さるじゃろうて」
俺の説明を受けてウルーラクはそう呟いた。名誉と犠牲の神ドル・アラー、武器の力の神ドル・ドーン。いずれもソヴリン・ホストに名を連ねる善性の神であり、戦の領域を司る。
前者が秩序、後者が混沌に属する神ではあるが二柱ともに"ソヴリン・ホスト/至上の主人"と呼ばれるパンテオンに属しているために相反する属性の神でありながらも同時に信仰されている。神格の束縛が緩いエベロンならではの特徴だろう。
フィーンドと呼ばれる魔物、奈落や地獄を由来とする悪の来訪者達は魔法による強化を付与された特定素材の武器でしか傷つけられないというのはそれなりに知られていることだ。
今回の敵はそこまで強力な能力を持ってはいないだろうが、少なくとも普通の武器では通用しないだろう。ウルーラクは戦の領域を司る二柱に祈りを捧げることで《マジック・ウェポン/魔法の武器》の呪文を準備しようとしているのだろう。
「おっと、俺の分は必要ないぜ。この間の報酬で揃えた新しい相棒がいるからな!」
話を聞いていたケイジが左右の腰に吊るした一対の剣の鞘を叩きながら話に混ざってきた。ハザラックから得た宝石とトンネルワーム族から奪った財宝は相当な金額になっていた。
二刀それぞれを魔法の武器で揃えるのはそれでも相当の出費だったはずだが、随分と張り込んだようだ。柄にはカニス氏族のマークが物理的・秘術的に刻まれておりその品が"創造のドラゴンマーク"の手によって作成されたことを示している。
彼らの作成する武器は一定の規格に基づいており、工業製品のように定められた品質で市場に送り出される。そのため、例えば古いロングソードから新しいロングソードに切り替えたとしてもそれらはほぼ同じ長さや重心の位置を保っているのだ。
「トーリの武器も魔法で強化されておるだろうし、そうなるとワシとゲドラの二人分が必要かのぅ。
祝福を授ける回数にも限りがあるし、何度も戦う必要があるようならワシらは支援に徹したほうが良さそうじゃな」
上位呪文である《グレーター・マジック・ウェポン》ならともかく、1レベル呪文である《マジック・ウェポン》は数分しか効果時間がない。この手の持続時間の短い支援呪文はかけっぱなしにするわけにもいかないため、使いどころが難しいのが実情だ。
「まあ普通の武器でつけた傷が再生するっていっても限度があるだろうしな。ゲドラのぶん回すあの鋭い鎖の渦みたいなのに巻き込まれたらどんな化物でも無事じゃいられないだろうさ」
ケイジはそう口にして、先程から会話に口を挟まずに黙々と武器の手入れを行っているゲドラのほうを見やった。鋭い切っ先が先端に幾重にも取り付けられた巨大な鎖……スパイクト・チェインだが、特筆すべきはその大きさだ。
元来体格の良いゴライアスは巨人らが使うような大型の武器を使いこなすのだが、ゲドラが持つそれはその中でもさらに大業物とでもいうべき特注サイズの品だ。一対の鎖の長さは、引き伸ばせば5メートル近いだろう。
それだけの重量を苦も無く振り回し、射程内の敵の隙を見逃さない巧みな戦闘術はまさに圧巻だ。射程と破壊力を兼ね備えた恐ろしい武器である。欠点といえば代替の武器がまず見つからないということだろうか?
ゲドラもケイジ同様に報酬を武器に費やしたそうだが、流石にこのサイズの特殊武器が取り揃えられているということはなくオーダーメイドとなったのだ。今回の依頼を終えた頃には出来上がっているらしいが、それまでは従来の武器で対応するしか無い。
それに先程ケイジが言ったように、敵の再生能力にも限りがある。普通の武器であっても首を落としたり胴体を真っ二つにされては再生できないだろう。そこまではいかなくとも、ゲドラの剛力であれば再生不能な傷を負わせることが出来るはずだ。
「確かにそうかもしれないけど、何しろ"群れ"って話だからな。一頭ずつ各個撃破させてくれればありがたいんだが、一度に複数を相手にすることになった場合はゲドラには射程を活かした牽制に専念してもらう必要がある。
その場合敵を削るのは俺達の役目ってことになる。お互い気を張っていこうぜ」
俺の呪文発動能力が落ちている今、秘術呪文使いがいないこのパーティーは戦場で敵の行動を妨害・制御する能力に欠けているといえる。そういった点はチームワークと戦術で補うしか無い。
「では二人が前衛、その後ろにゲドラ、エンダック殿と続いてワシが最後尾じゃな。回りこんできた連中の抑えくらいは任せてもらって構わんぞい」
自信あり気にそういったウルーラクは確かにそう言うだけあってこの中で一番の重装備をしていた。油で煮ることで硬化された革製の鎧の上に、急所を覆うように金属製の帯が走っていた。
熱帯地方であるゼンドリック大陸では金属製の全身鎧を野外活動で着用することはかなりのリスクを負う。魔法の付与などによって熱気を防ぐことは出来るのだが、ウルーラクはそうではなく革鎧を一部補強することを選んだようだ。
まあ全身を覆う板金鎧は、非魔法の普通の品であっても魔法の武器に匹敵する高価な買い物である。彼だけではなく、ストームリーチに住む多くの冒険者は同じような工夫をそれぞれが行っている。
それらに合わせて今は足元に置かれている盾を使えばかなり強固な守りが期待できるだろう。実は彼はこのメンバーの中で唯一の盾持ちなのだ。ゲドラは両手武器、ケイジは二刀流。エンダックも盾を持ち運んでいるようには見えないし、俺は言うまでもない。
一見前衛過多でバランスの悪い構成に見えるが、実際のところはよく見る冒険者のパーティーはこんなものである。信仰呪文の使い手であるウルーラクがいる分まだ恵まれている方だろう。
術者という職業はそもそも天分だけで覚えることの出来る技術ではなく、相応の教育を受ける必要がある。そしてそういった機関の多くは国営かあるいはなんらかの組織の強い影響を受けていることが殆どだ。
そんな教育を受けておきながらフリーの冒険者になるなんて者は非常に少ないし、もしいれば様々なパーティーから引っ張りだこでさらに腕が立つようならドラゴンマーク氏族などの目に留まり囲い込まれるだろう。
ゲームではソロ性能の高さからむしろ余り気味だった術者はこのストームリーチでは稀少価値を持つ。そういう意味でもコルソスでメイと知り合っておけたのは幸運だと言える。
「さて、そんな感じでいいかい? 良かったら採点結果を教えて欲しいんだが」
一通り話が終わったところで依頼人のほうを見ると、彼はこちらに頷いて見せた。
「十分合格点だな。隊列についてもそれで問題ないだろう。ここから目的の場所までは森もないし見通しのいい地形が続いている。
朝にここを出れば連中のねぐらでもある神殿跡に到着するのは昼前になるだろう。話しておくべきことはこれくらいだろう。
後はゆっくり休んでくれ、と言いたいところだが見張りを立てないわけにもいかないだろうな。
夜目の利く者とそうでない者で別れて夜警を頼むぞ。夜明けの後、ウルーラクの祈りが済み次第出発だ」
何事も起こらずに迎えた翌朝、オークの集落を出発した俺達は狙う獲物がいるであろう打ち捨てられたアラワイの神殿へと向かっていた。
アラワイとはソヴリン・ホストにその名を連ねる女神であり、生産、植物、そして豊穣の神として知られている。かつてこの一帯がストームリーチの食を賄う広大な農地だった際に彼女を祀っていた神殿だが、いまは無残にも崩れてしまっているという。
最終戦争の後半、コーヴェア大陸で五つ国がその死力を振り絞って戦っていた影響はこの大陸にも及んでいた。ドラゴンマーク氏族や傭兵の多くがその戦争へと参加し、結果として手薄となったストームリーチにある巨人の一部族が攻め寄せたのだ。
幸いにも当時のストーム・ロード率いる軍隊の奮戦によって街が失われることは無かったとはいえ、その戦いによって多くはなかった戦力を削がれた領主達にはこの地域を維持し続ける能力はもはや無かったのだ。
かつては農地やワイン畑が広がる土地を見下ろすように建設されていた豊穣神を祀った神殿は破壊され、土地にはいずこからか流れてきたオークたちが住むようになった。これが今から50年ほど前の出来事である。
農地の所有者は個人で傭兵を雇うなどして土地を守ろうとしたようだが、残念なことに逆にオークに囚われたことで身代金を払う羽目になり、ついに諦め土地の権利を手放したと言われている。
戦争が終り、熱気を取り戻しつつあるストームリーチの治安も向上してきたところでロード達は再びこのセルリアン・ヒルを取り戻そうとし始めたのだ。
そしてその仕事はデニス氏族ではなくタラシュク氏族が請け負うことになった。これには先日のコボルド・アサールトのクエストの結果が無関係ではない。
一時的にとはいえ重要な拠点の一つを失ったデニス氏族の失策につけこんで、タラシュク氏族のロビー活動が実を結んだということだろう。
元より彼の氏族はゼンドリック大陸に眠るドラゴン・シャード鉱脈の発掘を一手に担っており、ストームリーチでは大きな勢力を誇っている。さらにそれが傭兵ビジネスでも拡大を始めたということだ。
今頃ストームリーチのデニス・タワーでは氏族のエージェント達が頭を悩ませているに違いない。
「拍子抜けするくらい何も無いな。これだけ見通しが良いと不意を突かれることはないんだろうが、後の事を考えると少し気が重いな」
先頭を歩いているケイジが視線は前方に向けたままそう声をかけてきた。彼の言うとおり、神殿へと向かうこの道はひたすら丘を登っていくルートであるがその傾斜以外の遮蔽物が殆ど無い。
踏み固められた道の左右は丈の短い下生えに覆われているが、それらも時折風に揺れる以外は動きを見せない。
まあ鼠サイズの生き物であったとしても脅威になるクリーチャーはいるし、そもそも植物にすら油断できない世界ではあるが幸いこのあたりにはその両方共がいないようだ。
「そうじゃな、野犬の一匹も見かけないし既にここは連中の縄張りじゃろう。それなのにさっぱりと姿を見かけないのは狩りにでも出ているのか、ねぐらに篭っているのか。
ワシとしては前者であってほしいんじゃが。大型の動物を一度に複数相手にせにゃならんとなると大変じゃしな」
ウルーラクが左手側に装備している盾の握りを確かめるように動かしながらケイジに応えた。彼が今身につけているのはヘヴィ・シールドに分類される大型のものだ。
バックラーと呼ばれる小型の盾と違い前腕をストラップに通した上で持ち手をしっかりと握る必要があり、その手は盾を操るのに専念する必要がある。
ウルーラクのそれはさらに盾の表面に鋭利な棘が取り付けられている。シールド・スパイクと呼ばれるそれらは、盾に攻撃能力を持たせるための装備だ。
これは動物のように武器を用いず、肉体そのものを武器として戦うクリーチャー相手には特に有効だ。敵の攻撃を巧く捌くことが出来れば、防御が攻撃を兼ねることになる。下手な体当たりなど仕掛けようものなら相手はむしろ自分の勢いによって傷つくことになる。
こうして見回してみると、皆の鎧は概ね"スタデッド・レザー(鋲打ち革鎧)"相当といったところか。ケイジは身のこなしと腕に装備している金属製の腕甲で軽装を補っているようだが、ゲドラは動きも鈍くはないものの機敏とは言えない。
その戦い方から考えても最も傷を受けやすいのが彼だろう。彼の鉄鎖を潜り抜けることは容易ではないが、接近されれば一気に削られることは十分に考えられる。戦闘中は十分に気を払っておく必要があるだろう。
依頼人であるエンダックが身に纏っている鎧からは魔法のオーラが感じられるし、それ以外にも防御術の気配を複数感じる。動きもケイジほどではないし鎧の限界までとは言えないが、氏族のエージェントとして受けた訓練が十分な体捌きを可能にしているようだ。
身につけている魔法の装備の強度次第ではあるが、全身板金鎧を着た戦士にも引けを取らない程度の防御力は期待できると見た。
「"独り樹"が見えてきたな。神殿は近いぞ」
俺が同行者たちの装備から各種ステータスを脳内でシミュレートしている間に、右手前方の丘の頂上にぽつりと1本の樹が生えているのが見えてきた。巨大な樹は周囲の養分を吸い上げてしまっているのか、たった一本で寂しげに佇んでいる。
剣ではなく弓と矢を手にしたエンダックが言うには、昔からあの樹は神殿に近くなってきた目印として使われていたらしい。俺にもこの樹は神殿にほど近い探索点の一つとして記憶されている。野外エリアの地図は街の中とは比べものにならないほど縮尺が違うが、大まかな地理関係だけはそのままだ。
伝説によればかつて神殿が略奪された際にアラワイが一滴の涙を流し、それが落ちた地面からこの樹が育ったのだとか。そんな内容のナレーションが流れたことをふと思い出す。繰り返し聴いていると癖になるあの声は非常に印象深い。
ゲームの中ではオークの住処からここまで30秒くらいだったが、現実では3時間近くが経過している。《ヘイスト/加速》の呪文を使用して疾走しているわけではないにしろ、360倍も違えば地形の細かい記憶などはあまり役に立たないと考えておいたほうがいいだろう。
「結局ここに向かうところまで遭遇は無し、か。
普通のライオンなら余程大きい群れでも10を超えることはないんだろうが、"カイバー産"のライオンだとその辺りも違ったりするのかね?
地下暮らしが長いから昼間は日光を避けて寝ているとか」
再び会話の口火を切ったのはケイジだ。見通しのいい野外のためか、彼も今は弓と矢を手にしている。その鋭い観察力で視界に入った獲物にまず一射し、向かってくるのに合わせて武器を持ち替える腹積もりなのだろう。
二刀流の訓練を積んでいるのだろう、左右の腰に吊るした魔法で強化された山刀をケイジは一呼吸で抜き放って攻撃が出来るはずだ。
「……姿形が似ている以外は別物と考えたほうがいい。俺の村でも時折山の裂け目から現れるカイバーの魔物に襲われるものが出るが、普通の動物よりもずっと知恵が回るし残忍だ。
我々のトーテムを穢す存在である悪魔の獅子達は、その中でも最も恐るべきものだと聞いている」
ケイジに返事をしたのは意外にもゲドラだった。ストームリーチから程近い山脈を故郷とする彼はフィーンディッシュ種クリーチャーについてある程度の知識があるようだ。
「じゃが頭が二つあったり翼が生えているわけでもなかろう? それなら仕掛けてくる攻撃の手段も限られるじゃろう。
猛獣の噛み付きは厄介じゃが、ライオンのそれはその中でも飛びっきりじゃ。そのまま抑えこまれて四肢の爪で切り裂かれんように注意するんじゃぞ」
このパーティーの中で最も年上のウルーラクがその経験を活かして想定される敵の攻撃手段について話している間も俺達は目印となる樹を横目に進み、やがて目的である崩れ落ちた神殿跡を見上げる位置まで辿り着いた。
白い大理石から組み上げられたそれは大きな神殿だったのだろう。だが今はかろうじて内陣までの階段がその姿を留めているのみで、その先は天井を支えていた石柱が僅かに立つばかりだ。
ゲームでは省略されていたのか、建物が崩れた残骸が辺りに散らばっており足場も見通しも良くない。そうした瓦礫の影に、大型の獣が身を伏せているのをケイジが目敏く発見したようだ。
さっと手を振りあげ合図し、弓に矢を番える彼の行動を受けて他のメンバーも緊張状態に入る。同じく弓を準備したエンダックがケイジの横に並び、その二人の両側でゲドラとウルーラクがそれぞれ武器を構えた。
そんな彼らの後列中央に位置した俺も勿論敵には気づいている。彼我の距離は50メートルほどか。やや遠いとはいえ十分ロングボウの射程範囲ではあるが、敵の獣はその身を大きな瓦礫に隠すようにしているため遮蔽がある。
このまま射るべきか、あるいは距離を詰めるか? 射手たちが迷いを見せたその一瞬の迷いを嗅ぎとったのか、四足の獣は一瞬で物陰から飛び出ると丘の斜面を駆け下りだした! だがその進路は俺達には向かっておらず、見当違いの方向に向かっているように見える。
慌ててケイジらは矢を放つが、単純にこちらに向かってきたわけではない獅子に命中させるのは難しかったようだ。対象が斜面を降りることで徐々に速度を変化させながら動いていることもあり、矢は獅子の影を捉えることすら出来なかった。
そして射手の注意がその敵に引き寄せられているうちに、さらなる脅威が現れていた。神殿の中から階段を何段も飛ばしながらこちらに迫る影が二つ。いずれも大型の四足獣だ。この二体は先程の一体とは違い、真っ直ぐにこちらに向かってきた。
「惑わされるな! 別の連中が正面から来ているぞ!」
鬣のない頭部は迫ってくる獣が雌のライオンであるということを教えていたが、それはむしろ事前知識に拠るところが大きかった。赤黒い毛に覆われ5メートル近い体長を持つその魔獣は眼窩と肩部から骨質の突出部を持っており、その背筋に沿って棘が並んでいる。
無明の暗闇をも見通す赤い瞳が爛々と、昼間の太陽の下でもその輝きを衰えさせずにこちらを睨みつけている。獲物を見つけた歓喜からかその口の牙の合間から唾液を撒き散らしながらこちらに向かうその姿はまさに白昼の悪夢だ。
ゲドラとウルーラクが射手二人を庇うために一歩前へと進み、獅子の突撃を迎え討とうと武器を構え前方に意識を集中させていたが俺の警戒網は別の脅威を捉えていた。
先程斜め前方の斜面を駆け下りていった最初の一頭が《小回り》を利かせてこちらへと向かっていたのだ。疾走する勢いはそのままに進行方向を直角に曲げたその曲芸のような突撃軌道は俺達の陣形の側面に襲いかかろうとしている。
「皆は正面に集中しろ!」
俺は言葉と共に、手にした楽器の弦を掻き鳴らした。バンジョー、この世界ではバンドールと呼ばれる楽器に備えられた六弦が魔法の旋律を奏で、皆の勇気を鼓舞する呪歌となって響き渡った。
《インスピレイショナル・ブースト/奮起させる励まし》の呪文と《心に響く歌》特技、そしてMMOのクラス・エンハンスによって増幅されたそれは即座に劇的な効果をもたらす。
意識が冴え渡り、周囲の動きがまるでスローモーションのように映った。フィーンディッシュ・ダイア・ライオンの表皮を覆う剛毛の一本一本がはっきりと認識でき、その下にある彼らの筋肉の動きを見とることで敵の動きを先読みしその動線の先に攻撃を"置く"ように体が動く。
側面から突っ込んできた獅子に向かい俺も駆け寄った。覆いかぶさるように上から繰り出された牙による噛み付きと左右の爪の引っ掻きを潜るように側面に抜けて回避するとその攻撃により不安定となった体勢を崩すべく後脚に向かって蹴りを放つ。
チートだけではなくレベルアップによってもさらに磨きあげられた筋力は既に成年の竜をも上回るほどであり、そこに実戦で培った技術と呪歌による戦闘能力の向上が合わさったことでその一撃は直撃した獅子の後脚を跳ね上げ、残った1本の脚を支点に1トンを遥かに超えるその巨体をぐるりと半回転させた。
いまや悪魔の獅子はその無防備な腹を俺の目の前に曝け出している。俺は右手でバンドールのネックを握ると、フリーになった左手でシミターを抜き放って剥き出しの柔らかい腹部を一薙ぎに切り捨てた。
片手とはいえ十分な力によって振られたその斬撃は刀身のほぼ全てがその体に吸い込まれたにも拘わらず、全くその勢いを減じずに反対側へと通り抜ける。
通常の武器による傷であればたちどころに癒してしまうその呪いのような再生力も、それを上回る呪力によって鍛えられた鋼の斬撃には効果がない。さらに刀身に込められた《レイディアンス/光輝》のエネルギーがその傷の深い所で爆発する。
体幹まで切断された上に体内でそんなエネルギーの炸裂を受けて無事でいられる筈もない。シミターが放つもう一種の力、火によるエネルギーは"フィーンディッシュ種"特有の高い元素抵抗力により無効化したようだが結果としては同じことだったようだ。
切断面から徐々に白い光の爆発が体の末端まで広がっていき、その後には何も残らない。地面に刻まれた大型獣の足跡だけが痕跡だ。そうやって敵を処理して振り返った俺の視界に、正面側の二匹と激戦を繰り広げる仲間の姿が映った。
予めの作戦通りの戦術を取ったのだろう、獅子の一匹は皆にその牙を届かせる前にゲドラの放った棘鎖に脚を止められたところに集中砲火を受けたようだった。
コボルドの巣窟で戦った際にも感じたことではあるが、優れた体格を誇るゴライアスが射程の長いスパイクト・チェインを振るえばその範囲内は一種の結界に包まれるようなものだ。
特に激怒により瞬間的に筋力を増幅された場合、まるで《ファイアー・ボール》の呪文が炸裂したかのように周囲に破壊を振りまくこととなる。通常の武器に耐性を持つといえども、脚の一本をその付け根から吹き飛ばされては再生もままならなかっただろう。
そしてそこに待ち構えていたケイジから矢が撃ち込まれたのだ。呪歌の効果は彼らにも当然及んでいる。矢は狙いを違えずに獅子の目や鼻といった護りの薄い部分に突き立っていた。
この時点でほぼ無力化に成功はしていたが、さらに機敏な動きで側面へと回りこんだエンダックが打ち込んだ矢によりこの一匹は完全に沈黙した。ケイジは既に弓を手放して両腰のククリを抜き放ちながら残り一頭に向かっている。
残る一匹を足止めしているのはウルーラクだが、かなり分が悪い。防御に専念し噛み付きこそはスパイク付きの盾をその口内に捻り込むようにして防いでいるものの、両の爪によってかなり傷つけられている。
とはいえ良く耐えている方だ。頑健なドワーフであり冒険者として鍛えられた彼でなければ既に獅子の胃袋に収まっていただろう。
「スイッチだ、下がって傷治してろ。後は任せな!」
紫電に覆われた二刀を引っさげてケイジがそこに吶喊した。ウルーラクに向けて振り下ろされたその爪を横合いからククリを叩きつけるようにして逸らし、その勢いで二者の間に割り込んだ。
この乱入者に対して反射的に振るわれたもう一方の爪を、一方の手に身につけたダスタナと呼ばれる腕甲を盾のように使って受け流し、一方の手の刃で斬りつける。敵の攻撃が雑なものであったとはいえ見事な身のこなしだ。
腕を断ち切るとまではいかなかったものの、半ば近くまで通った刃の傷は決して浅くない。そして刃に纏われていた電撃が傷口から体内へと拡散し、その衝撃にたまらず獅子は唸り声を上げた。
手傷を負わされた魔獣の意識は完全にケイジへと引きつけられた。だがその腕に構えた武器防具ごと噛み砕かんと口を開いたところに、後退したウルーラクを庇うように半歩進んだゲドラの放った鉄鎖の楔が突き刺さった。
僅か数秒のメロディーであっても、呪歌として奏でられたそれらは僅かな間残響としてその効果を残している。数十秒の間ではあるが、それは残り一匹の敵を打ち倒すには十分すぎる時間だった。
「ふう、酷い目にあったわい。盾ごと食われちまうかと思ったわ。
やはりもっと分厚い鎧でないと大型の獣の相手は厳しいのぅ」
《キュア・ライト・ウーンズ/軽傷治癒》のワンドを使用して傷を癒したウルーラクが愚痴っぽく口を開いた。時間にすれば十秒ほどとはいえ、自分の十倍以上も重量のある相手との白兵戦を行ったのだ。相当な負担だったろう。
今のところ俺の使える呪歌は攻撃能力についてはかなりの向上が望めるが、防御能力は全くといっていいほど伸びない。それが出来るようになるのは遥か先、日本語サーバ上でのキャップ直前までレベルを上げなければならないのだ。
このメンバーは打撃力は飛び抜けているが、敵を引き受ける防衛役と戦場を支配する制御役に欠けている。今のところ打たれ強いウルーラクが敵を引き受け、長射程の武器を持つゲドラが戦場のコントロールを担当しているがそれが通用するのは格下相手の時だけだ。
何らかの手段で火力を凌がれるようなことがあれば一方的に蹂躙されることもあり得る。ウルーラクだけでは味方を支援しながら敵の動きを妨害することはまだ難しいだろう。単純に手数が足りないのだ。
「確かにゲドラとウルーラクはもうちょっと装甲の厚い鎧を身につけてみてもいいかもしれないな。
どうやらボーナスを弾んで貰えそうな連中のようだし、この仕事が終わったら新しい鎧を探してみちゃどうだ?」
確か未訳ではあるが追加サプリメントに、熱帯などの高温下でも環境ダメージを受けなくする装備があったはずだ。もしその手のアイテムが流通していなくても、同じ効果を丸一日与えてくれる呪文が様々な系統の初級呪文として扱える。
癒しの呪文の不足はワンドなどで補うこともできるし、防御力が上がればその分回復魔法が必要な回数も減らすことが出来る。重装によってドワーフであるウルーラクの機動力はかなり悪化することになるが、そこもその気になれば呪文や魔法のアイテムで補うことが可能だ。
「そうだな。ただのライオンとは比較にならないほど危険な連中のようだ。ボーナスは期待してくれていいぞ。
尤も、本番はこれからだが」
会話に混じらず注意深く周囲を警戒していたエンダックが弓に矢を番えながらそう口にした。
弦が引き絞られ複合材の弓が撓む音が鳴る。その矢は先程ライオン達がやってきたアラワイの神殿跡へと向けられている。釣られるようにそちらを見やるとひとつ、またひとつと倒れた支柱の影に獣の姿が見え始めた。
どうやら群れをなす性質は通常のライオンと大差ないようだ。そういえば先程こちらに向かってきたものは全て雌ばかり。まだ群れの中核をなす雄とその取り巻きたちがいるだろうことは明らかだ。
俺のその考えを肯定するかのように、神殿の奥から獅子の咆哮が聞こえてきた。奈落そのものから轟くかのように重くかさなって聞こえるそれは、このセルリアン・ヒル全体を包むように響き渡った。