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1991.summer.oneday
日本帝国 九州
熊本難民キャンプ
大陸から日本へと渡った林 雪路は、難民生活からの脱却にはまだまだ掛かるかなぁと考えていた。
熊本にある難民キャンプに身を寄せた後は、件の五摂家の少年との謁見まで時間が開くと聞かされていた。
当然その間、好き勝手にキャンプ外を出歩くわけにもいかなかった。
そして仮に少年が目当ての存在だとしても……国が代わっただけで、難民キャンプに厄介になるという状況は当分変わらないだろう、と思っていたのだ。
だが雪路を待ち受けていたのは代わり映えのない難民生活などではなく……今まで巡って来た"難民収容所"と形容されうるソレとは全く異なるモノだった。
衛生設備も高度に整っており、配給される合成食料は帝国独自のアレンジが加えられているのか、大陸で口にしてきたモノとは格が違う。
"まだ"本土が戦場になっていないということもあり、物資は潤沢のようで配給される量にも不足は無い。
正に至れり尽くせり……無理をしてでも、"生前の故郷"に辿りついた価値はあったのだと。
この世界での経験が雪路の感覚を麻痺させているのか、はたまた生来の楽観主義なのか……理由はともかく、雪路は難民生活を謳歌することに決めた。
「……はぁ~」
決めたのだが、しかし。
数日もすれば早速、退屈が勝り始めていた。
此処には危険らしい危険が皆無な事に加え、衣食住の保障もある……安寧は人を鈍らせるのだ。
大陸の難民キャンプは荒んでいたが、それ故に生への執着を刺激された。
幼い少女が単身……あらゆる面で余裕の無い場所において、これほど獲物として好条件な簒奪対象はいない。
雪路はそれを自覚し、そして自衛をしなければいけなかった。
自衛用の武器も少なからず持っていたのだが、日本への渡航前にまとめて取り上げられた。当然といえば当然なのだが。
そして実際、こちらに来てからはストリートチルドレン相手に大立ち回りする機会なんぞ、今までもこれからも訪れそうにはなく。
日本の難民キャンプにおける治安維持は、BETAが海を挟んだ向こうにいるという現段階において十全だった。
(……穏やかだなぁ……)
雪路が此処に居着いて二週間。
タイムリミット付きの平和だと理解しながらも、心地よい微温湯のような状況に身を委ねていた。
かつて纏っていた緊張感など忘れたと言わんばかりのぼへーっと緩みきった顔で、週に一度の配給を受け取りに向かう時────。
(……ん、揉め事?)
少し離れた場所で、一人の少年と二人組みの年配の女性が何やら言い合っていた。
雪路は野次馬気分で様子を伺いに近づく。
(あれ、あの子……難民キャンプのスタッフだ。前回の配給で顔合わせたことある……ボクと同い年ぐらいの男の子だ)
食糧配給が行われるフード・ディストリビューション・センターで、一際異彩を放つ少年がいたのだ。
明らかに10を下回る年齢だろうに、他の成人した職員と同等かそれ以上に配給を待つ人々を捌いていく仕事ぶりは、正常であるという事が異常だった。
幾つかの列があったが、その少年の列に雪路も偶然並び……そして己の順番が回ってきた時『何でこんな小さな子が……』と言いたそうな少年の表情が印象に残っていた。
勿論、雪路も同じような顔をしていた。お前が言うなと内心思ったのは仕方ないだろう。
その時の少年と、目の前で揉めている少年は、首から提げているスタッフIDを見るに、間違いなく同一人物だった。
そしてそこに刻まれている、雪路自身も憧れ志望するとある"兵科"を表すかなり特徴的な名前が、雪路の確信に拍車をかける。
運営上のいざこざか?と雪路は考えながら、観察を続けた。
だが、お互い困ったように手振り身振りしている3人を見て、違和感を覚え始めた。
(喧嘩って雰囲気じゃないなぁ……ていうか、言葉が通じてない? 二人とも喋ってるのは中国語のはずなんだけど)
難民キャンプに身を置いた者なら必ず体感すると言っても過言ではない、言語の壁。
中国の難民キャンプで数え切れない程目にしてきた事が此処、日本の難民キャンプでも起きていた。
観察を続けてみれば、意思疎通出来ずに困っているという線が濃厚だった。
ジェスチャーを交えながら何とか互いに歩み寄ろうとしているが────。
(ぁ……あの子が喋ってるの……"普通話"だ)
日本的な訛り混じりでたどたどしいながらも、少年が話しているのが中国語における標準語『普通話』だと雪路は理解した。
恐らく、難民キャンプの運営に携わる上で必要になるので勉強したのだろうと。
だが────。
(……普通話って、普及率に"漏れ"があるんだよなぁ。あのおばちゃん達、さっきからずっと"客家語"喋ってるし……)
標準語と名付けられてはいるが、国民には伝わり切っていないのが現状だった。
国というのは広ければ広いほど、端から端までの方言が乖離していく。
日本ですら存在する方言────それが中国のような広大な国土を持ち、尚且つ教育で標準語が行き渡っていなければどうなるのか……。
その一例が、正に雪路の目の前で起きていた。互いに中国語を話しながらも、意思疎通が出来ないという状況に陥るのだ。
(……割って入ってみよう。翻訳なら出来る。伊達に難民キャンプ渡り歩いてないし……七大方言は一通り話せる……よし)
「────打搅一下可以吗?」
また一人。
転じて生まれた者達が、巡り逢い。
そして────大きな運命の、小さな宿命の、渦中へ。
Muv-Luv Initiative
第二部/第二話
『TAO』
軍人。
職業として見ると決して悪くはなく、国家という大きな視点からすれば寧ろ必要不可欠な存在だ。
しかし、いざ己がその職業に就かされるとなれば、幾つかの葛藤が生まれるのは必然だろう。
特に銃後ならまだしも、前線に立つとなれば有事の際には己が命を賭して職務を遂行しなければならない。
そしてまた、一度戦闘が起きてしまえば"他人の命を奪う"という覚悟すら要求される。
幼少における教育段階で、人の命の尊さを教え込まれた者には越えるべきハードルは多く厳しいだろう。
凡ゆる意味で、過酷となりえる職業だ。
しかしそんな職業が、この世界の日本では大半の子供達に認知され、少なからず憧れを抱かれているのだ。
特に、男の子が選ぶ将来就きたい職業としては、国の調査では上位に食い込んでいる。
その推移には、子供故に物事を奥深くまで考えず、軍が広報するままの漠然とした表面的イメージだけで選ばれている、という一面は確かにあった。
────だが、それでも憧憬を抱かずにはいられないのだ。
この世界は今、未曾有の危機的状況にある。
地球はBETAという異星起源種によって、圧倒的戦力をもって侵略されつつあった。
そして其れを阻止せんと最前線に立ち、人々を守っているのは軍人達に他ならない。
……そう、軍人という名の職業は、BETA大戦の勃発によってその性質を大きく変貌させたのだ。
意思の疎通すら出来ず、其れ故に政治による戦争回避という手段を取れず、ただ只管に人類を滅亡へ追いやらんと侵攻する化物の軍勢。
そんな絶対悪へと砲を向け、引鉄を引き絞り、同じ地球に生まれた全ての同胞達を護るために闘う人々……それが軍隊であり、そこに属する軍人達だった。
子供達が一度は憧れてしまうには、条件が整いすぎている。
しかし勿論、そのように理想的な綺麗事ばかりではない。
各々の国家にも利己的な打算があり、結果的に水面下では人類同士で醜く足を引っ張り合い、国が一つまた一つと滅ぶ度に責任を擦り付け合う。
数多の国々が滅ぼされ、それでも尚、BETA大戦を人類同士の政治の延長だと思い込んでいる度し難い文民もいた。
BETAという解り易い巨悪を前にして、人類は未だに一つになれないでいる。
────それでも、本質は変わらない。BETAと戦うという事は隣に立つ者達を守り、銃後の人々を遍く守護する行為であるという真実は決して歪まない。
人を護るために、人を殺す戦争は既に終わりを告げたのだ。
それを象徴するかのように、嘗て世界中を巻き込んで人々が殺しあった戦争で活躍した兵器群が、BETA大戦においてその主力の座を奪われる事になった。
地上にいながら空を制圧する光線級の出現と、掌握した制空権に裏打ちされた圧倒的物量。
戦場の華とも呼ばれた旧来の兵器を駆逐せしめた軍勢に抗うため、人類には新たな主力兵器が必要だった。
そして、全く新しい概念の兵器がこの世界に産み落とされる事となる。
特筆すべきは、従来の兵器のセオリーであった"万能は無能"とされる兵器論を無視したその特殊性だった。
降臨したのは、大地を駆ける陸戦兵器であり、また蒼空を翔ける航空兵器であり、そして四肢を持つ人型兵器でもある────鋼鉄の巨人。
人類が、人類を衛る為に、人類を模して造られた、人類の剣。
────戦術歩行戦闘機、通称:戦術機。
其の戦術機を駆る事を許されたのが、新概念兵器の台頭に伴い新設された兵科があった。
それが、"衛士"と呼ばれる者達だ。
戦術機と衛士は、旧来の兵器が担っていた役割を肩代わりし、敗退を繰り返しながらもBETAの侵攻に抗い続けた。
その抵抗は無駄等ではなく、確実に人類の損耗が減少し緩やかになっていき────やがて、英雄と呼称される者達が現れ始めたのだ。
熾烈を極めたグレートブリテン防衛戦にて、死闘の果てにBETAの侵攻を食い止めた『七英雄』。
今尚激戦が繰り広げられているアラビア半島にて、F-16を駆り中東連合の兵達を牽引する存在となっている『アラブの戦姫』。
公に広報されている以外にも……国家による抑圧、言論と思想の自由、そしてBETAの猛攻に翻弄され続けた『黒の宣告』の軌跡を筆頭に、幾つもの知られざる物語があったのだ。
────それ等は余さず一つに括られ、現代の英雄譚と呼ばれても謙遜ない歴史だった。
今の子供達は、英雄譚が日々紡がれる世界に生きている。
自分達を衛る為に、迫り来る化物を退治する為に創造された二足歩行ロボットを駆る英雄達の物語を、見聞きしながら育った世代。
だから、例えそれが凄惨たる現実を知らぬ故の憧れだとしても、子供達は夢に見てしまうのだ。
────"衛士になりたい"、と。
成長するにつれ、厳しすぎる現実を緩やかに知っていき、途中でその夢を諦めてしまう者も沢山いる。
だが酷い現実に直面しても、憧憬を捨てきれずにいつか描いた夢へと前進していく者も、同じく数多く存在した。
それでも……願い望むだけでは届かない。
その夢に至るまでには、幾つもの壁があるからだ。
まず第一にして最大の難関である、衛士適性の有無。
三半規管の頑丈さ、運動神経、体力、精神力……凡ゆるモノを高度に要求される上に、更に運まで絡んでくる。
一方で、逆にこれさえ乗り越えれば、資質を保証されたも同然だという事実もある。
時間を掛けて必死に鍛錬し、後は居るかどうかも解らない神様にでも祈るしかない。
人事を尽くして天命を待つ、という言葉が正に打って付けだと思う。
しかし、ここに時間制限という"縛り"が在るとすればどうだ?
衛士になる為の適性検査に合格し訓練校に入る方法で、尤も有り触れているのは徴兵だ。
今現在、徴兵は満20歳から……しかし数年を経て大陸での情勢が変わり、それに伴って後方任務に限定されるが学徒動員が開始される。
そして最終的には────後方任務限定という名目すら外れ、"前線へ送り出すための学徒動員"が始まる。
つまりやがて来る徴集を待ち、衛士適性があれば、15歳から衛士になる為の訓練を始める事が出来る。
これが将来の日本帝国において、世間"一般"に認知されるであろう、衛士になるまでの最速の過程となる。
だが────それでは遅い。既に時間制限を超過してしまっている。
"1998"
それまでに、どうしても間に合わせたい。
その時既に、闘う準備を整え終えている事……それが、自分なりの最善だと自分自身に誓った。
……何よりも、自分が"歩いていきたい"道なのだと。
だけどその時点で14歳となる身では、徴集される年齢にすら到達しておらず、スタート地点にも立つ事が出来ない。
しかも、訓練兵になったところでどれだけ優秀であったと仮定しても、任官するまでの間にも時間が掛かってしまう。
……圧倒的に、時間が足りていないんだ。残酷なまでに、足りなさすぎる。
時の流れに身を委ね、ただ徴集される瞬間を待つだけでは、何も変える事が出来ず、何も成し遂げる事が出来ないだろう。
駄目なんだ。徴兵では間に合わない。
そう、"徴兵"では─────────。
────────。
────。
だったら。
"志し、願う者"になればいい。
────『そういえば、エイジ。話は変わるけど』────
────「ん?」────
────『"どこ"で衛士を目指したいか……もう決めたかい?』────
────ああ、決めたよ。俺は……────
「エイジ?」
「…………ぅ」
名を呼ばれ、誰かに体を揺さぶられた俺は目覚めを促された。
意識は急速に覚醒し、寝落ちする寸前に自分が何処で何をしていたのかも思い出す。
此処は難民キャンプでの運営スタッフ達が居住する、コンパウンドと呼ばれる区域の施設だ。
俺はそこの待機所で、机に突っ伏す態勢で寝ていた。
「ゴメンなさいね、ぐっすり眠っていたようだけど……そろそろ起きたほうがいいかなーって」
僅かに英語訛りを感じさせる日本語が鼓膜を震わせる。
俯せた顔を上げて声の方へと振り向くと、翠色の瞳が俺を覗き込んでいた。
ブロンドヘアーを揺らしながらはにかみんでいるのは、難民キャンプの仕事で俺が世話になりっぱなしになってる、アシュリー・スーさん。
国際連合難民高等弁務官事務所……略称:UNHCRから、日本で新設された難民キャンプへの支援にと派遣されてきている才媛だ。
「……いえ、おかげで目が覚めました。ところで、何かあったんでしょうか? 今日の仕事って、もう全部終わりましたよね……?」
食料の配給も終わり、衛生施設の巡回も済んで動作に問題はなかったし、事細かな問題が発生した場合への対処も既に他の人に引き継ぎが済んでいる。
経験が浅いスタッフ達を集めて勉強会でもするのか?と思ったが、それも記憶が確かなら今日はないはずだった。
アシュリーさんは他の仕事と折り合いをつけながらも、多才かつマルチリンガルという事もあって、国際公用語の英語を筆頭に日本へ流入してきた難民たちの多くが使用する言語を統計的に分析し、使用頻度の高い言語から新人スタッフに対し教育を施す仕事も兼任している。
プライベートな事にまでズケズケと突っ込んでくる人ではないので、実は俺が聞き漏らしていただけで勉強会をすっぽかしてしまったのかと考えた。
この人は、未だ幼い身である俺が難民キャンプのボランティアへの参加を認められているという事に豪く興味を示してくれている。
祖国である米国に俺と同じ年の娘がいるという事もあって何かと気にかけてくれているらしいのだが、こういった居眠りは今までも何度かしたことがあっても起こされたのは初めてであり、用事かはたまた説教でもされるのと思った。
「えぇ、終わったわ。だから君も帰る時間────なんだけど、寝てる間にもう夜の9時を過ぎちゃったみたいね」
「ぇ────うわ、外真っ暗じゃないですかっ」
……参ったな、寝過ごした。口が裂けても近いとは言えないが、実家から通えない距離でもなかったという事があり、俺は運動も兼ねて長距離を通勤している。
子供用のロードバイクでシャカリキと、アップダウンの激しい道を走破するという中々にハードな運動をこなさなければ家に帰れない。
しかしこうも夜遅くなると、流石に危ないか。難民キャンプ設立の条件として人里から離れた奥地を指定されたという事もあり、夜の道中は周りに灯がない為に相当な暗さとなる。
備え付けのライトも心許ないんだよな。
「お父さんとお母さんから連絡があったの。そっちにまだ息子が残ってませんかって、心配そうだったわよ?」
……そう言えば今日の所は、父さん達難民対策局の方々は現地じゃなくて町の方で事務所仕事だったか。
家に帰ってみれば、普段ならもう帰宅している俺の姿がなかったから連絡してきたんだろう。
相変わらず心配性だ……もう今年で8歳なんだが────。
いや……そりゃ心配もするって話だよな……。
「すみません。今日の所は此処に泊まる事にします。帰れない事もないんですが、これ以上余計な心配掛けさせたくないんで」
「そうするといいわ。寝床はどうしましょう?」
「確か今、部屋割が過密だったでしょ?相部屋も申し訳ないんで、簡易テントと……あと蚊帳があればそれでいいですよ。キャンプの予備の借ります。夏は嫌いって程でもないんですけど、虫刺されだけは苦手でして」
「フフ、つい掻き毟っちゃう方?」
「はい、油断すると痛くなるまで掻いちゃうんですよ……さてと、それじゃ今日の所はこっちに泊まるって両親に電話してきま────ひっぎぃっ!」
他愛ない雑談を交わしながら立ち上がろうとした時だった。
寝落ち前に読んでいて、枕代わりにしてしまっていた本が服に引っかかって落下し────俺の左足の甲を直撃した。
「うごごごご……」
「だ、大丈夫……?凄い声がしたけど……」
思わず甲高い悲鳴を上げてしまった。
余りの痛みにしゃがんで左足の甲を摩る俺に、心配そうに寄り添ってきてくれるアシュリーさん。
今のはやばかった。角から逝きやがった。もう少し重い本なら骨折も有り得たかもしれない。
俺は痛みを堪えつつ自分の不注意を戒めながら、本を拾い上げようとして────。
「これ……学校の、資料?」
先に拾い上げてくれていたアシュリーさんに、話しかけられた。
「……えぇ、そうですよ。狙ってる学校があるんですよ」
「狙ってるって……えーっと、私あまり難しい漢字は読めないんだけど……ここ、サーフェイス・パイロットのスクールよね?」
Surface Pilotは衛士。Schoolは学校。
アシュリーさんの言う通り、その資料は衛士養成学校のモノだった。
「はい、そうですけど」
「エイジって、年ごまかしてたりする?」
「……何でそうなるんですか? 年齢詐称の経験なんて一度もないですよ」
ええ。しっかり戸籍上の年齢を自認していますとも。
どう足掻いたって年齢は変えられない。
ていうか勝手に変えちゃいけないものだし。
「ん、ちょっとこの本は早いかな……ってね。君が兵隊さんにされちゃうのはまだまだ先だわ」
……紛う事なき、心配の眼差しだった。
徴兵の事も知ってるのか。口振りから察するに、恐らく何歳から徴集されるって事まで理解できてるみたいだ。
尤も、この国"独特"の制度までは飲み込めていないようだが。
「……解ってます。徴兵されるのは本当にまだまだ先で────"先すぎて"、間に合わないぐらいですから」
「────…………」
俺の呟きを知ってか知らずか、そのまま物凄い速度で本を流し読みしていくアシュリーさん。
そこまで薄いという訳でもないのに凄まじい勢いで速読すると、返しますと言わんばかりに両手で丁寧に手渡してくる。
スペック高すぎだよこの人。典型的な西洋美人だし博士号も持ってたり。
香月 夕呼さんといい、才色兼備ってのは実在するもんなんだな。
「……解ってても、やっぱり男の子としては憧れちゃう? 戦術機って」
「勿論ですよ。例えば────衛士になって戦術機に乗ってBETAと戦えば、アシュリーさんの事だって衛れるじゃないですか」
「ごめんなさい、私夫も娘もいるから……」
「いえ、知ってますよ!? 今の口説いた訳じゃないんで! アメリカに夫と娘さんがいて、娘さんは俺と同い年って事もスタッフ一同ご存知なんで!」
8歳にして人妻好きとか悪趣味にも程があるだろ、勘弁してくれ。
そういう意図で言ったんじゃないよ、要は単純だって事を言いたかったんだよ。
「……アシュリーさんだけじゃなくて、父さんや母さんの事もです。それに此処に落ち延びてきた人達だって……。いくら設備が整っていて落ち着いているからと言っても、好きでここまでやってきた訳じゃないですから。この状況は一時的なモノで、何時か故郷に帰って復興を始めるんです。その為にはBETAと戦って押し返して、この星から追い出さないといけない。それってつまり……沢山の色んな人達を、衛るって事じゃないですか」
青臭い理想論で、綺麗事だという自覚はある。
だが、突き詰めていけば結果的にそういう話になるのだ……国家間の戦争とは訳が違うのだから。
どれだけ水面下で連携が泥沼になっていようとも、このBETA大戦というのは人類と、人類に敵対的な地球外起源種の戦争なのだ。
人類同士の足の引っ張り合いは、それに付随して行われているだけに過ぎない。
だから、例えどれだけ複雑な政情や感情が絡み合っているとしても、BETA大戦へと参戦しBETAと闘う者達は、背後にいる全ての人類を護る為に戦っているという"客観的真実"は覆らない。
そして────。
「それを解りやすく体現してるのが、最前線に立つ戦術機であり、それを乗りこなす衛士なんです。憧れるなって言われても無理なんですよ。俺、男の子ですし」
結局俺は、ガキなんだ。
政治家や、研究者……もっと広い視点を持って、BETAと闘う事が出来る職業はしっかりと存在する。
大人の感覚で、それを選ぶ権利も俺は有している。
────それでも、俺がなりたいと思ったのは衛士だった。
情熱が胸の奥底にこびり着いて、剥がれてくれない。
俺は、あの日憧れたブラウン管の向こう側に辿り付きたいのだ。
「……そっか。志願、するんだ」
その言葉に、思わず動揺してしまった。
「ぁ……はい────そのつもりです」
会話の流れから、何かを感じったのだろうか。
まぁ、熱心に養成学校のパンフ読んでれば気付かれてもおかしくないか……。
でも胸中にある想いを見透かされたような気分だった。
そう言えばあの日の港でも、斎御司や月詠さんに何考えてるのか簡単に読まれたっけか。
……ポーカーフェイス向いてないのかな、俺。
「そうね、君は何をやらせても飲み込みが早いし、今から努力すればきっと義務教育を終えた頃には、衛士適性検査もパスしてこの学校に入れると思う。私知ってるわ。日本人は15歳から成人して、GEN-PUKUっていう儀式を行って戦場に向かうのよね。うん、志願するには丁度いい時期だと思う」
────"義務教育"を終えた頃には、か。ちょっと違うんだけどな。
そして、色々ツッコミどころ満載なんだが。
「いえ、あの、アシュリーさん……幻想壊して申し訳ないんですが……現代日本に元服はありませんし、成人式は別にあります」
「えっ────……そんな……また騙された……また娘に騙された……」
あー、ブルー入ったわー。あからさまにショック受けてるわー。
NINJAもいないって今のうちに教えといたほうがいいんだろうか。
お子さん日本通……いや、日本"痛"なのか? 間違った知識を一緒に覚えちまったんだろうか。
「あの、あまりお子さんを叱らないであげてくださいね。きっと書物の内容を間に受けて、時代事の解釈を一緒くたにされたのかと……」
「いえ、有り得ないわ……あの子、私よりも日本の風習や文化に詳しいから。それに英語と日本語だけなら、私より娘の方がバイリンガルとして優秀なぐらい」
……8歳でか?すげぇなおい。
遺伝と英才教育の賜物って所か……アメリカは教育進みまくってるからなぁ。
ていうか、学徒動員がこのまま世界的に進めば、ますます教育の分野ではアメリカの一強になっていくんだろうな。
「……けど、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言葉も日本にはありますし。今誤った知識を修正できてよかったと思えば」
この四字熟語を使うタイミングじゃないんだが、一応それっぽい言葉使ってフォローしとこう。
「そうなんだけどね……はぁ、九割の真実に一割の嘘を混ぜてくるのよ……おかげで誰かに指摘されるまでその一割が発覚しないの。やめてほしいなぁ……」
9:1は嘘をつくときのスタンダードだもんな……。
随分と頭の回る子供だ。俺が言っていいことでもないが。
「ところでアシュリーさん。この事、両親には黙っといて貰えませんか。もう気付かれてるとは思うんですけど、自分から切り出したいんで」
「……ええ、解ったわ。内緒にしておきます」
「口止めさせてごめんなさい……ありがとうございます」
「いつになるか解らないけど、胸を張って報告するといいわ。この資料の学校……詳しく解らないけど、エリート校でしょ?ご両親も、貴方の志が高い事をきっと誇りに思ってくれる」
……適当に見たんじゃなかったのか?
パラパラ捲ってるあいだに内容全部把握したのかよ……速読なめてた。
「エリート……まぁ、確かにそうですね。設備や環境が、凄く整ってるんですよ────アメリカのトップガンには流石に負けちゃいますけど」
「あはは……流石に、トップガンと比べちゃうと、ね。映画化されちゃうぐらいだし、規模も違うから……」
ああ。流石にあれを超えるのは無理だ。
映画は凄かった。俺も見たことあるけど、米国産の第二世代戦術機が全部出てきて動きまくってるのには、思わず興奮してスタンディングオベーションしちまった。
まぁ、どんだけ憧れたところでそもそも国が違うんだから、逆立ちしたってトップガンになんか入れないんだけど。
それに、今の俺にとっての目指すべき場所は、この資料の学校以外には有り得ない。
俺の望みは、ここじゃないと叶えられないんだ。
「でも、一つだけ……たった一つだけ、トップガンにも勝ってるところがあるんです」
「……それは、何なのかしら?」
「────"若くして入校出来る"……です。この学校は、日本でも極めて例外的で、志願する事によって"中学生"から入る事が出来……それでいて国内最高水準を誇る、衛士養成学校なんです」
俺は、そこに絶対入る。
そこだけが、俺を"大侵攻"に間に合わせてくれる、最後の砦。
「……本気なのね」
「はい。父さんや母さんにも絶対に譲れない……俺の夢です」
資料を握る手に力を込めて、もう一度決意する。
"衛士になる"と。
気が付けば、足の痛みが完全に収まり、熱が冷めていた。
そして、そもそも自分達が何でこんな話をしているのかを思い出す。
俺はまだしもアシュリーさんは唯でさえ激務なのだ。まだ仕事があるかもしれない。
「……あ、アハハ。すみませんでした。長話に付き合わせて。何か、人生相談みたいになっちゃいましたね」
「……いいえ、気にしないで、人生相談は大人の義務だから。それに私には娘もいるから、いい予行練習にもなったわ」
社交辞令でもなさそうだ。
娘さんも将来のビジョンがどうたらこうたらと言っちゃうぐらいにマセてるんだろうか。
「それじゃ、自分は親に電話してきます。また明日」
「ええ。よい夜を。また明日ね」
待機所を出たあと、俺はすぐに両親から外泊許可を得るために電話をしたのだが。
『了承』
という一言のみだった。
今は要件が済んだので寝床を確保すべく、テントや蚊帳といった備品が置かれている場所へ向かっている。
その道中で、朝方に起きたことを思い出していた。
難民のおばちゃんの対応をしていたら、これで通じるから!と教えられ必死で喋れるようになった中国語の標準語、"普通話"がまさかの通じず。
援護を求めようと見渡しても職員が誰もいない。ボディランゲージを使っても相互理解できない。
そんな絶望的な状況で助けに入ってくれたのが、林 雪路(リン・シュエルゥ)という日本語ペラペラの中国人の少女だった。
初対面ではなく、以前に食糧配給で会っていたのを、お互いに覚えていたらしい。
普通は保護者が受け取りに来るんだが、彼女だけは子供の身で受け取りに来た上に、そもそも単身で難民キャンプへ入っているという身の上らしく。
そして向こうからすれば、自分と同じ年ぐらいでボランティアやってるのを珍しく思ったのだろう。
その時からの縁があったようで、言語の壁に阻まれていた俺を颯爽と手助けしてくれた。
「中国語は方言が凄まじいですから」
と翻訳をやってもらったところ、そのおばちゃんはどうやら受給したテントや調理器具が破損してしまったらしく、交換を申し出たかったらしい。
ぶっちゃけ、ボディランゲージで何とか理解しようとしていた時には"天幕"ぐらいしか理解できなかったが、どうやらそういうことらしかった。
どんだけ発音と文法違うんだと……。
結局、本部へと案内して新しい物を用意し、割り当てられているセクションまで付いていき、取り置き等の不正が起きないよう俺自ら交換するという大仕事に。
その間、シュエルゥはかなりの距離を移動したというのに終始ニコニコ微笑みを浮かべながら、ずっと隣で翻訳してくれるという天使っぷりを見せ付けてくれたのだ。
そして作業終了後、少しお互いの身の上話をした後、どこのセクションに住んでいるかを語り、また翻訳が必要なら呼んで欲しいと言って、見返りを一切求めずに帰りやがったのだ。
結局こんな時間になってしまったが、まだギリギリで今日起きた事には違いなかった。正直、何か返さないと申し訳無さ過ぎる。
何かしてやれることはないか……。
一応、難民キャンプの運営に携わり、困っていた人を助けたのだ。自分も難民であるというのに。
相応の見返りはあってしかるべきだった。
そういや、シュエルゥが受給した蚊帳が、同じく個人の自由で受給された蚊取り線香に引火し、破損どころか全焼して完全に使い物にならなくなったと言っていたな。
「いやぁ、テントが無事でよかったです」
とか言って本人は大笑いしてたが、俺は笑えなかった。
過密度の高い難民キャンプでは絶対にやらかしてはいけない事が火災だ。
幸い、此処はまだスペースに余裕があるので大問題には発展しなかったが。
しかも、申請すれば新しく受給できるぞと言っても、そもそも不注意で修理できないまで燃やし尽くしたのは自分だからと、ここでも遠慮された。
若干押し付けがましいとは思うが────こちらに本気で借りを返す気があるとアピールするには、丁度いい口実ではあるか。
既に備品置き場に到着していた俺は不正ではない事を示す為に、俺のスタッフIDとシュエルゥのID、そして用途と再配布の理由を申請書に書く。
後は俺が蚊帳を担いで歩くだけだ。折りたためばそこまで嵩張らない。
問題があるとすれば……そこそこ遠いことか。
行って渡して設置して帰って……シュエルゥが住んでるのは割と近いセクションだから徒歩……いや、ロードバイク使うか。
車出してもらう時間じゃないし、まず我侭になるしな。
あー……最悪、眠気が限界そうなら泊めてもらおう。
男女ではあるが、お互いまだガキだ。
そういう距離感に気を遣い合う年齢でもないし、そもそも"そういう欲求"がまだ湧いてくる年じゃないからな。
全く小学生は最高だぜ。
アメリカ合衆国・ニューメキシコ州
ロスアラモス国立研究所
ロッキー山脈南端。
そこには美しく群生する森林に囲まれた、110平方kmからなる広大な敷地があった。
2100棟もの研究施設が立ち並ぶ眺めは、圧巻の風景だ。
『合衆国の至宝』と関係者達から称される機関が此処、ロスアラモス国立研究所だった。
そして名実共に世界の最先端であるこの場においてすら、G元素というこの世で最も取り扱いに困るであろう代物を一手に担う区画の一棟に────。
"合衆国に属さぬ者"が紛れ込んでいた。
「忙しい所を急に呼び出してしまって悪いね。君も此処にいる間に済ませておきたい事があるだろうに」
「期日までには資料を纏め終える予定ですので問題ありませんよ、博士。お気遣い、ありがとうございます」
初老の男性が見るからに日系人だと解る少年へと、まるで友人に対するようなフレンドリーさで語りかける。
男性の容姿は特徴的だった。蓄えられた顎髭に白衣を羽織るスタイルは、正に少年が口にしたとおりの絵に書いたような"博士"であり、ハイバックの背凭れに体重を預けた姿勢によって威厳が更に増している。
その遣り取りから、二人の間に流れる空気は対立を感じさせるものではない事が明白だった。
それもそのはず……彼らは年齢、人種、国家間を超え、協力体制を敷いている。
ウィリアム・グレイと霧山 霧人は、共犯だった。
「しかし、要件というのは一体……」
「他でもない、"同盟"の件だ……長らく続いた議論も昨日、例のモノを出来うる限り提供するという締括りになったのでな」
「────ッ」
霧人はグレイ博士が口にした想定外の言葉に、思わず息を飲む。
「博士、自分がこれを言うのはおかしいという自覚はありますが……本当に宜しいのですか。 "ゴルフセット"の"9番"ウッドは、"11番"ウッド程ではないにせよ貴重な代物には違いないはずですが」
わざとらしく隠語を混じえながら再度の確認を行う霧人の額には、薄らと汗が滲んでいた。
Golf……フォネティックコードの"G"。その9番。
────Gr.9を提供すると、グレイ博士は言っているのだ。
それがどういう行為か、両者には理解できている。
貴重等という生ぬるい言葉では済まされぬ、機密扱いを受けた物資の横流し……発覚すれば紛れもない重罪だ。
「だが必要なのだろう。何、高官共が欲しているのはあくまで11番だ。9番に関心を持っているのは大半が我々に賛同する者達で融通も効く────根刮ぎ持っていかれる訳でもあるまい。どれほど要るのかね」
しかしその身を滅ぼしかねない選択を、グレイ博士は行った。
その事情の裏側にある真意に思いを巡らせながら、霧斗は要求を提示する。
「……唯でさえ危険な橋を渡って戴いております。贅沢は言えません……ですが、もし叶うのならば────」
霧斗は乱雑に置かれていた書類の一枚を裏返し、白地の部分にボールペンを走らせ始める。
そして香月 夕呼から事前に要求されていた値を明記した。
グレイ博士は差し出された請求内容を確認すると、一度だけ信じられないモノを見るような目で霧斗を一瞥する。
しかし、見返す少年の目は真剣そのもの……冗談の類ではないことを把握し、この軍事転用に際する初期投資には余りにも"少なすぎる"需要を受け入れ供給を受諾した。
「ふむ……承った。この程度の微量ならばお安い御用だ、今すぐにでも持って行き給え……と気前よく甲斐性を見せたいところだがね。調達や分割払いの関係もある。量が量なだけに誤魔化しは効くんだがね……それでも万全を期した根回しに少しばかり時間が掛かってしまいそうだ。それでも構わないかな」
「本当に、願ってもない待遇です。感謝してもしきれません」
「礼はいいさ。此方も打算で動いている」
打算。
その言葉に、霧斗は眉を顰めた。
ウィリアム・グレイは売国奴などでは決してない。
アメリカ合衆国に一市民、一学者として忠誠を誓っている人間だという事を、霧斗はロスアラモス研究所へ滞在している間に思い知っていた。
だと言うのに今この瞬間、同盟国に所属する人間とは言え外部の人間に、機密物資の横流しを約束しているのだ。
「……グレイ博士。合衆国に属さぬ私共にここまで肩入れせざるを得ない程に……米国政府が打ち立てている方針が気に入らないのですか?」
霧斗はそんな疑問を投げかけながら、肯定が返ってくると予測した。
忠誠の形は、一つではない。
民主国家において、国を動かす人間というのは国民によって選定される。
だが、選ばれた人間が常に正しい事を……"最善"を行えるという訳ではない。選ぶ権利を有した大多数の国民達が無知ならば尚更だ。
尤も……霧山 霧斗は、この世界の米国が"間違った方向へ進み続ける"と確信していたのだが。
そしてその想像は的中し、米国は順調にG弾運用へと傾いていき、それを良しとしない少数派の慧眼を持つ者たちが今、霧斗の目前で動き出している。
祖国の恒久的な勝利を、祖国のみの手に依ってではなく、他国との連携の先に見出す為に。
「────……。"アレ"は未知数すぎると、私達は再三申し上げたのだがね……上の連中は撃ち込みたくて仕方ないらしい」
グレイ博士が俯き加減で言い放った"アレ"というのは、他でもなく────G弾だ。
装甲による防御という概念を古いモノにしてしまった、次世代の戦略兵器。
米国政府の多数派連中は、現存するG元素を全てG弾の製造へと注ぎ込み、飽和攻撃することによってBETA大戦は集結すると目論んでいる。
「……納得は出来ませんが、理解は出来ますよ。世界人口の減少……20億を切ろうという状況に差し掛かっています────BETAの地球侵攻を許してから5割の人類が死滅したことになる。対岸の火事で済まされる事態ではない。光線級を以てしても迎撃不可能という、盤上を引っ繰り返す決戦兵器があるのならば、使いたくなるのも仕方ないのでは」
霧山 霧斗は、バビロン作戦の"概要"そのものを全面的に否定している訳ではない。
新しく出来上がった爆弾の飽和投下によって勝てる見込みがあり、人的損耗も極力抑えることができる。
爆心地周辺には"僅かな"重力異常が起こってしまうものの、異性起源種との未曾有の戦争を早期に終結させる代償としては許容範囲内である。
これが米国政府の考える、いつか起きるかもしれないバビロン作戦の……"的外れ"な概要だ。
(……悪くはないんだ。重力異常が"僅か"で済んで、地球上からBETAが"根絶"されるのなら……決して悪くない。けれど、その先にあるのは……)
────白塩が舞う戦場で、人とBETAの区別も付けずに醜く争う『最後のエデン』────。
その未来だけは、何としても回避する。
霧山 霧斗は、徐々に……だが確実に正史とは食い違うこの世界で、それだけは……何処の誰を何人巻き込もうとも必ず完遂すると。
それが自分なりの、転生等という身に余る超常現象を経て生まれ落ちたこんな世界で、必死に生きる道だと決めている。
今行われている遣り取りは、その目標への第一歩だった。
G弾に対し多少の理解を仄めかしながら、既に"転生者"と接触し、この世界にとってキーパーソン足り得るウィリアム・グレイ博士に、先見の明がどこまであるのかを探る。
「……ああ、君の言う通りだ。仕方ない。だがその先に────我が祖国に齎されるものが、"敗戦処理"では困るのだよ」
そして、霧斗が望んだ思惑と、グレイ博士の発言が重なり始める。
拳を軽く握り締め、言葉を搾り出す。
「……博士。敗戦処理とはどういうことでしょう。アレが政府の連中の"妄想"通りに機能すれば、米国は人類に勝利を齎した存在として栄誉を得ることになるのでは?」
「ああ、"妄想"通りに機能すれば、な。君は此処に来てから、カールスやリストマッティに散々教鞭を取らせていただろう? ならば、二人の提唱した理論があくまで"手法"を解いたのみであり、"何故そうなるのか"という根底が未解決だという事は把握出来ているね」
「はい。ですから博士達は三人共に、ML機関をあくまで制御下で運用するHI-MAERF計画に集ったのでしょう。アレの臨界制御の開放はムアコック・レヒテ理論において尤も危険視される行為です」
「宜しい。付け加えるならば先刻、政府の連中は更なる悪手を打った……11番を、全てアレの製造に注ぎ込むとするそうだ。この意味が、理解出来るね」
アサバスカの着陸ユニットから回収された、ML機関の材料となるGr.11は凡そ2t。
既にXG-70用のML機関として徴用されたGr.11を差し引き、残り全てをG弾の"製造"に用いるという案件が議会を通ってしまっている。
つまり、今後の"実験"に使う事が出来なくなったという事だ。
人類による生成は出来ない以上、貴重な敵性物質の無駄遣いは避けるべきである。
勿論、霧斗やグレイ博士も、そういう事情は理解できている。
だが────。
「……故に、そんな未知数の"モノ"を"ゴルフセット"が大量に埋没しているであろう場所へと飽和投下すれば、副次的に想定外の何かが起きてしまう可能性が極めて高いと?」
G弾の起爆実験は、G元素が欠片も存在しない実験場で行われて完成を迎える形になった。
しかしその後、即時に全規模量産へと移る事になってしまったのだ。
本来ならば念入りに吟味すべき"未知数の敵性物質によって製造された爆弾の実験"だというのに、費やされるべき回数も時間も────圧倒的に足りていないのである。
材料に限度があるとは言え、使用前提を考えてみれば勇み足甚だしい。
今、地球上に聳え立つハイヴの奥底には地球で生成された分のG元素が埋没していると仮定されており、高フェイズのハイヴにおける推定埋没量は文字通りの桁外れと予測されている。
そんな場所にG弾を落とすことになるというのに、起爆実験におけるシチュエーションでは周囲にG元素を配置せずに行われたのだ。
更にこれは未だ霧斗の知識にしかない事実ではあるが、"反応炉"というモノもある。
これらの相乗効果によって、クリーンな状況でのG弾起爆の効果とは極めて大きな変化を示してしまう。
そしてその終幕が……霧斗の脳内に沸々と浮かび上がるのが、"後日譚"の大崩海と荒廃した地球だった。
「君の言う通りだ。想定外の何かが、例えば────世界中の海が"傾く"、というのはどうだろう」
「────…………。それは、"ポリー"の入れ知恵でしょうか」
正に脳内で再現していたシチュエーションに合致する言葉を放つグレイ博士に、米国の転生者の"愛称"を突き付ける。
吹き込んだのは彼女以外にありえなかった。
「ああ、彼女の"予知"の一つだな」
「……予知ですって? まさかその根拠もなく実証も出来ない与太話を信じていらっしゃるのですか。他でもない、学者である貴方が」
「否定したくとも、否定しきれないのだよ。彼女は既に、XG-70の一件とG弾の起爆実験の結果を予言し、的中させてしまっているのだからな……選りすぐられた科学者が揃いも揃って見抜くことが出来なかった結果を、だ。全て偶然だと断定し、全否定してしまう方が思考停止に陥っているとは思わないかね」
「……成程。では、彼女はどこまで予言をしたのですか。海が傾いた結果ユーラシア大陸が完全に海没する事は? かつて海底だった場所が塩の砂漠として出現する事はどうでしょう。 電離層の長期的異常や、大気圏内外の通信網の壊滅は? ────結局、BETAを駆逐するには至らないであろう事は?」
ギシリ、と。椅子が軋む音がした。
グレイ博士が腰掛けたまま机に身を乗り出し、対面へと座る霧斗を鋭い眼光で見据える。
対する霧斗は怯まず視線を返しながら、グレイ博士達がポリーからどこまで未来の情報を引き出しているのか当たりを付けていた。
表情こそ険しくなったもののそれ以外に変化はなく、目線や体のブレ、発汗などの動揺を示す動きは見られない。
……どうやらこの状況すら、"想定の範囲内"であったようだ。
「────…………あの娘と示し合わせた訳ではない事は、私達がよく理解している。そもそも、君とあの娘の個人的接触に厳しく制限を設けたのは私達なのだからな」
「では、やはり」
畳み掛けるように手札を切ったのは間違いではなかったようだ、と胸を撫で下ろす霧斗。
研究所に来てから、霧斗とポリーが出会うときは常に三人の博士のいずれかが付き添っていた。
必要以上に余計な事を吹き込み、または漏らされると厄介だ……と判断し警戒したのだろう。
お互いが転生者であると感じながらも、二人は決定的な最終確認を行えないでいた。
その為、二人はどこまで"正史の知識"を共有し、またどれだけ周りに晒しているのか解り切っていないという状況だった。
「……勿論だとも。それらも聞き及んでいるさ。しかし、またあの娘の予言が当たってしまったな。君が恐らく自分と同じ事を言うだろうと、彼女は私達に漏らしていたからね……全く、私の中でポリーの株はストップ高だよ」
だが、グレイ博士の言葉が引鉄となった。
霧斗は己とポリーの知識量は限りなく同等であり……歩むべき道も共有できているのだと。
そして、それは彼女に賛同する博士達の真意も────。
「……グレイ博士。彼女を擁し、G弾と敵対する貴方達の一派は────」
「G弾が導き出す凄惨たる未来を否定する。私やカールス、リストマッティにはアレをこの世界に産み落とした責任の一端がある。ましてやそれが祖国にとって大いなる損失を齎してしまうのならば尚更だ……例えどのような小さな可能性だとしても一つ残らず許容できない。必ず阻止してみせる……君やポリーのような我の強い異質な存在を乗りこなしてでも、な。その為のHI-MAERF計画復権派だ」
その宣誓が、彼らにとっての始まりだった。
「────改めてお願い申し上げます、博士。次期オルタネイティヴ計画を狙う我々と、正式に同盟を結んで戴きたい」
「────承った。我々HI-MAERF計画復権派は君達を歓迎し、海を隔てたこの大地から支援すると誓おう────共に、世界を救おうか」
ウィリアム・グレイにとっては、G元素を解き明かし、G弾という人の手に余る兵器の礎を作り上げてしまったという過去への贖罪の為に。
霧山 霧斗にとっては、G弾の欠陥を実証し世界に暴き、香月 夕呼率いる『オルタネイティヴⅣ』完遂という最善たる未来への継承の為に。
互いに選んだ道が、今此処に交差する。
1991.summer.oneday
日本帝国・九州 アメリカ合衆国・ニューメキシコ州
熊本難民キャンプ ─── ロスアラモス国立研究所
『どうしたの? 国際電話なんて掛けてきて……そっちで、何かあった?』
「いえ、何もございません。心配させて御免なさい、お母様。慣れない土地でお体を壊してはいないかと思って」
『ふふ、ありがとう。急に電話なんてかけてくるから、何事かと思ったじゃないの……あ!そう言えば、今日貴女のせいで恥を欠いたわ……GEN-PUKUなんてとっくに廃れたらしいじゃない!もう……』
「……信じていらっしゃったのですか。てっきり知りながらも冗談に乗ってくれているのだとばかり……ププ」
『今確実に笑ったわよね……全く、この子は……だけど、そのおかげで間違いを指摘してくれた子と仲良くなれたから、よしとしましょうか』
「以前仰っていた、私と同じ年の子でしょうか?」
『ええ、とても優秀で、使命感に満ちた子……ご両親の仕事を肌で感じて学びたいって、難民キャンプで嫌な顔一つせずに働いてるんだから……。ぁ、研究所で皆さんに迷惑かけてないでしょうね?』
「かけてないですよ?むしろ……さっき何もなかったって言いましたけど、"いい事"があったのです」
『いい事?』
「はい、以前お話した日本から来た子と、ようやくお友達になれたのです。博士達に、もう二人で会っていいよと、お許しを戴きましたので」
『……そう、よかったわね。以前、気楽にお話できないって愚痴っていたもの』
「ええ。これまでの事、そして───"これからの事"。お互いの容姿や趣味、諸々のプライベートな事。"友達"の事や日本で起きている色々な事。……これまで話せなかった分、沢山お話が出来たので、私は今とても機嫌がいいのです」
『フフ、声が弾んでるから言われなくても解るわ。じゃあちょっと日本の事で、教えて欲しいことがあるの。冗談は抜きでね。嘘はナシで、ね?ね?』
「お母様……二回も言わなくていいじゃないですか。反省していますよ。私でよければ、しっかりとお答えします。九州の風習ですか? 細かい方言ですか?」
『いいえ……ねぇ。日本には、Tactical Surface Fighterを扱うミドルスクールがあるって、本当なの?』
「────…………。ええ、実在しますよ。ですが、何故そんな事を」
『エイジ=フワっていう面白い男の子がね。凄くキラキラした眼で、そこに入ってSurface Pilotになるのが夢なんだ、って言ってたから気になっちゃって』
「エイジ……フワ……────そう、ですか。でも、その子は学校の名前は教えてくれなかったのですか?」
『うっ……その学校の資料見せてもらったんだけど、ちょっと日常で使わない漢字が使われてたから。学校の名前にも、読めない漢字があってね……あはは』
「……お母様。その学校は、日本帝国でも特別な場所なのです。正式名称は────日本帝国斯衛軍、衛士養成学校」
『……インペリアル・ロイヤルガード?それって、確か政威大将軍を守る……』
「はい、そうです。凄い所を目指しているのですね、エイジ君は。きっとどんな手を使ってでも、"迫る期日"に間に合わせたいのだと思います」
『期日?』
「いえ、此方の話です。お母様、私は今の相談を聞いて益々機嫌がよくなりました。ですのでお母様に、今度エイジ君に合ったときに彼をからかえるネタを提供します」
『あら……サービス精神旺盛ね。だけど、傷つけてしまうような言葉は……』
「大丈夫ですよ、今回の話にも関連することなので。お母様、日本人は、名前を構成する時に"漢字"を組み込みます。これは漢字が持つ読み方意外にも、漢字そのものに宿った意味を授ける行為でもあるのです」
『漢字はとても難しいけど、神秘的なものを感じるわ……そういえばエイジの姓も名前も、複雑そうに絡み合った文字だった』
「ふふ……そのエイジ君の名前を構成する漢字なのですけど───英訳すると、Surface Pilotになります」
『まぁ……!』
「それに、姓のほうもUnbreakableと訳すことが出来ます。エイジ君は、"破れずの衛士"というミドルネームを授かって生まれてきたようなものなのですよ」
『……もしかすると、両親にそういう未来を押し付けられた可能性は……』
「本人は、そう捉えていたのですか?」
『────いいえ。両親にも譲れない夢だと言っていたわ』
「だったら、エイジ君は自分で選ぶ事が出来たのですよ。自分の名前を道標に、自分が行くべき道を」
『そうね……とても、素敵な話だわ……って、あ、あら?何でエイジの名前に使われてる漢字が解ったのかしら?』
「私に出来た友達が、エイジ君と親友だったからです。今日聞きました」
『────まぁ、まぁまぁまぁまぁ!!何て、運命的な巡り合わせなのかしら……ッ!こんな事があっていいの!?嘘じゃないわよね!?』
「嘘じゃないです。というか、それは此方の台詞です。エイジ君の名前を聞いたときは心臓が止まるかと思いました……因果なものです、本当に……。キリト=キリヤマの名前を出せば、きっとエイジ君も信じてくれると思います」
『キリト=キリヤマ……ね、忘れないようにするわ。ふふ、明日あったら早速話してみようかな……あふっ……』
「お母様に喜んでいただけたようで、雑学を披露した甲斐があったというものです……ところで、今あくびを隠そうとしましたけど……大丈夫ですか?」
『んー……ごめんなさい、もう少し話していたいんだけど……私も寝ることにするわ。そっちはもう朝でしょう?今日も一日頑張りなさいな』
「はい、此方こそごめんなさい、時差を考えずに電話してしまって……それでは、おやすみなさいお母様」
『ありがとうね、"ポリー"。愛してるわ』
「私もです……ですが、こういう時は愛称じゃなくて本名で呼んでほしいのですよ」
『あらそう?……それじゃ、お休みなさい。"メアリー"』
カタン、と。
受話器を置いて、母親譲りの光沢を放つ長い金色の髪を揺らしながら、眼帯の少女が笑う。
「斯衛軍衛士養成学校……ですか。成程、徴兵は待てないということですか。本気で、大侵攻に間に合わせに行くのですね」
才媛たる母親からメアリーと名付けられた少女は、呟きながら西を見る。
海の向こう、やがてBETAの蹂躙を許してしまう"はず"である、極東最大の要所であり……世界の中心となりえる場所。
「米国で果たすべき事は済みました。所詮、神輿でしかない私はお役御免でしょう。切れる手札は全て切りましたし、HI-MAERF計画復権派はグレイ博士を中心に十二分に機能します。要はG弾にさえ終止符を打つ事が出来ればいい。大崩海さえ阻止すれば一先ず首の皮は繋がります。ALⅣの成否は、ALⅤを堕としてから論ずればいいこと……それよりも今は」
日本に集う者。日本から米国へ来た者。米国に座す者。
全て繋がった。いや、それとも既に繋がっていたのか。
────そもそも、誰がそれを繋げたのか。
「……キリト君が言っていましたね。転生者の中心には彼がいる。どこかで必ず繋がっている。引き付けて、離さない。まるで、原子核のような────」
唸りを上げて渦が巻いていく。日本を中心に。
いや、中心は本当に日本なのか?
ぐるぐると回っていく思考を楽しみながら、右目の眼帯を摩った。
「いっそ、彼を中心に世界が回る英雄譚ならば……と思ってしまうのは、怠慢なのでしょうか。帳尻を合わせるにも限度がありますよ、キリト君」
ここまで激変した世界で、まだ"あいとゆうきのおとぎばなし"の再演を望むのか。
それは本当に、正しいことなのかと問い続ける。
「……ま、結局は誰よりも早くHI-MAERF計画を引っ掻き回した私すら、その帳尻を合わせるための駒に成り下がっているのですが……」
斯衛軍の上層部に巣食う者の影響力は極めて強いと聞いていた。
どこまでBETAの侵攻を妨げてくるのか。
キリトの心情を察しながら、メアリーは斯衛の転生者の活躍に期待していた。
「もしも……斯衛の転生者がALⅣを、そして私達がALⅤを阻止してしまった時……この世界に何が残るのか。興味はありますが、少々不謹慎がすぎますね……この考えは」
五次元効果爆弾。
00ユニット。
戦略航空機動要塞。
"戦略級の兵器"全てが都合できなくなった時────人々は何に頼ればいい。
最悪の状況だ。考えたくもない手詰まりだ。
だがそれでも、もしそうなってしまった時……どうすればいいのだろう。
その時、何を信じて戦えばいい?
────自分なら何に縋り付くだろう。
自問自答した。
「────BETAをこの星から追い出す為に作られた、戦術歩行戦闘機。そして、それを駆る……"七英雄"達のように、絶対的エースと崇められる"衛士"でしょうか」
米国の転生者はその考えに行き着き、壮絶な笑みを浮かべた。
「フフ……グレイ博士はキリト君にG元素を託す事にしたようですが……信用は出来るとしても、お目付け役は必要なのですよ。不肖、メアリー・スー。G元素が悪用されぬように監視者となり、日本へと赴きましょう────」
──────→ Route:IMPERIAL_ROYAL_GUARD