1991.summer.one day
日本帝国 九州
熊本難民キャンプ
この日の夜、夏のわりに雲が少なく、空からは月光が降り注いでいた。
遠くからは緩やかな風が草葉を揺らす音と、虫の泣き声が微かに聞こえてくる。
普段なら鬱陶しいほどの湿度も控えめであり、不快指数は総じて低い。
冷房等という贅沢な物のないテントで過ごすには快適な気候だと言えるだろう。
しかしテントで過ごすとは言え、ここはアウトドアを興じる為のキャンプ場に類するような、所謂娯楽の為にある施設ではない。
────難民キャンプ。BETAに故郷を追われた人々が身を寄せて日々を過ごす、歴とした居住区だ。
そんな場所で俺……不破 衛士は、今。
一人の難民の少女が住まうテントにお邪魔している。
文字通り、本当に邪魔かもしれない。半ば強引に押しかけているから。
腕時計が示す時刻は夜の11時前。
まだまだ子供とは言え二人きりの男女が同じ空間にいるには、決して健全とは言えない時間帯だ。
用事が済んだのなら、そろそろ立ち去るべきだろう。
「……思ったほど遅くはならなかったしな」
そもそもの発端である蚊帳の設置自体は、特別な技能や膨大な時間が必要な訳ではない。
既に手早く済ませた俺は、テントの中で寝転んでくつろいでいる状態だった。勿論、家主(?)の許可は貰っている。
天井を仰ぐ体勢から見えるのは、蚊帳の網目越しの世界。これはこれで新鮮な気持ちになれる。
蚊帳そのものが、今時の日本には珍しい一品だ。
建築技術の発展、空調設備の供給率や衛生環境の変化……そういった事に伴って、蚊という衛生害虫そのものが日本では激減している。
また殺虫・防虫を目的とする商品も続々と開発された結果、国内では一部地域で伝統として残っている事を除き、蚊帳が置かれている光景は稀な事となってしまっている。
しかし、やはりと言うかテントの中では風情がない。こればかりは愚痴っても仕方ない。
ここが縁側へと続く畳の和室で、風鈴と西瓜と麦茶があれば完璧なのだが────。
そんな取り留めのないことを考えていると、視界に可愛らしい少女の顔が割り込んできた。
「ぁ、ありがとうございます。エイジさん」
「別に畏まらなくてもいいって。お礼をしに来たのにお礼を言われちゃ、立つ瀬がないだろ?」
「は、はぁ……そんなもんですかね?」
「そんなもんだ」
この少女が、このテントの主にして、俺を助けてくれた恩人。
俺が来る前に洗髪していたのか、しっとりと濡れた綺麗な桃色の髪。
身に着けている衣服こそ草臥れているが、難民キャンプを渡り歩いて来たというその経歴に相応しくない程の清潔感を感じさせる。
名はリン・シュエルゥ。字は林 雪路。
ちなみに俺と同い年のはずだが、俺より10cmはデカイ。くそぅ。
難民の子供に有りがちな成長不全とは無縁のようで何よりである。喜ばしい限りだ。おのれぇ。
「むしろ、こんな夜遅くに押し掛けられて迷惑じゃなかったか?」
卑怯な問い掛けだ、と思いながらも言い切る。
この流れでこんなことを言えば、普通なら「No」としか返せない。
勿論、コミュニケーション能力に問題がある人間ならば話は別だが────。
「と、とんでもないです!迷惑どころか、凄く嬉しくて……まさかあの時の零れ話を覚えてくれていたうえに、その日のうちに訪ねて来てくれるなんて思ってもいなかったんで……」
────御覧の通り。
シュエルゥは「No」と、想定した通りに返答する。
それどころか此方のありがた迷惑な行為のフォローさえしてくれる始末。
昼前に出会った時から理解してはいたが、改めて知能の高さが窺える。
迷惑ではない、という言葉も社交辞令ではないだろう。事実、蚊帳を持ってきたと言う俺を特に拒絶もなく、暫しの沈黙の後に二つ返事で招き入れた。
大きめの瞳をパチクリさせて数秒ほど固まっていたのが印象に残っている。
「……でも正直な話、こんな夜中に訪ねてきやがってコノヤローとか思ったりしてない?」
「いえいえいえっ!そんな恐れ多いことは決して! まだ床に就く前でしたし、全然気にしないでください!」
「ははっ、悪い悪い。冗談だって、疑ってないよ」
本当に、出来た子だと思う。
……出来過ぎなぐらいに。
この子と話していると、舞鶴港で"あいつ等"と接していた時と似た感覚に陥ってしまう。
年不相応の落ち着きや、群れずに単独で行動出来る自律・自主性。
豊富な語彙に、二ヶ国の言葉を話す語学力……中身と外見の不一致具合は、"あいつ等"と比較しても負けず劣らずだ。
初対面、昼間に出会った時は群を抜いて賢い子……そう自分を騙す事が出来る程度の認識だった。
だけど今は……正直に言うと疑ってしまっている。考えすぎだと、自分で自分を窘めるのが厳しいぐらいに。
やはり、"あんなモノ"を見てしまったのがいけなかった。
林 雪路は、もしかすると────。
「……?……あれ、何もしてないのに蚊が……」
「ん? ああ、それか」
シュエルゥの疑問の声に思考を中断すると、微かに鼓膜が捉えていたモスキート音が止んでいる事に気付く。
テントの床をよく見てみれば、蚊帳の外側に蚊が数匹転がっている。どうやら早くも効果が出始めているようだ。
「蚊が網に止まるだけでコロリと逝く優れモノなんだよコイツは。殺虫剤を網の繊維に練り込んでるんだとさ」
飛んで火にいる夏の虫……の現代版とでも言うべきか。
蚊からすれば、蚊帳に止まっただけで死ねる鬼畜難易度だろう。
時代の流れってヤツだ。病原菌のキャリアなんてやってりゃ対策されるのも当然だが。
「おー……こんな便利なものが」
「ちなみにシュエルゥが前に燃やして廃棄した蚊帳よりは耐火・耐久性も向上してる。良かったな、ちょっとぐらい雑に扱っても大丈夫だぞ」
「そ、その件は忘れてください!本当に反省してますから!」
「あっはっはっ……二度と同じ轍を踏まないように定期的に弄ってやるから、覚悟しとけよー?」
「う"っ……自業自得ってヤツですかね……甘んじて弄られます……」
いや意地悪じゃなくて。割と本気で、再発は防止したいんでな。
……大陸の戦況が悪化すれば、難民はまだまだ流入してくる。
キャンプの密度が上がってくれば火災は致命的だ。
一回目は笑い話で済んで本当によかった。二度目はない。
「それにしても、こんな物があったんですね。中国の難民キャンプじゃ見掛けませんでしたけど、まだ日本にしかないんですかね」
蚊帳を指先でちょいちょいと突っつきながら聞いてくるシュエルゥ。
「まさか。むしろ内需は少ないんだ。基本的には日本の企業が、WHOのマラリア対策強化プロジェクトに参加して出来上がった産物だから。マラリアの多発地域……特にアフリカへ優先供給されてる。けど、おかしいな。アフリカ程じゃないにしても、マラリアが発生する中国には輸出されてるはず────」
「ぁ、なるほど。中国じゃマラリアが発生してるのは南の方だけですもんね。ボクが辿って来たのは北側なので。そりゃ見当たらない訳ですよ」
「────……」
彼女の口から出た言葉を聞いて、まだ日が昇っていた時の事を思い出してしまった。
通訳をしてくれたシュエルゥと別れた後、配給の仕事を予定通りにこなし、コンパウンドへ戻って事務処理の補佐をしていた時のことを。
俺は、仕事の最中に偶然にも見てしまった……彼女の、個人情報を。
難民とは言え、シュエルゥは正式な手続きをし、法に則って日本帝国に入国した。
その際に流れとして、個人の識別情報を登録しなければならない。
俺が見たのは、そのデータだろう。偶然だったとは言え、既に把握している。
把握してしまったから、俺は此処に来ている……と言っても過言ではない。
「……北か。そういえば、シュエルゥは甘粛省の蘭州市から来たんだったよな」
「はい、その通りで────……」
紡がれるはずだった言葉が途絶える。
静寂が辛い。心地よく感じていた風の音や虫の鳴き声が、喧しく聞こえ始る。
空気が張り詰めていくのを、肌で感じた。
……春先にも似たような事があったな、そういえば。
思い出してる場合じゃないんだが。
「……ボク、生まれの事まで喋りましたっけ?」
「いや……」
……そう返してくるよな。
抑揚がなくトーンの下がった台詞からは「言ったことがないのに何故知っている?」という圧力が窺える。
彼女からすれば教えてもいない出身地を、出会って間もない人間に言い当てられたのだから仕方ない。
シュエルゥが話してくれたのは、大陸での難民キャンプの体験や、大陸とこちらでの生活レベルのギャップの話ばかりだ。
出身地は、まだ教えてもらっていない。
なのに、俺は知っている……警戒されて当たり前だ。
舞鶴港でキリトと初対面の時、俺もそうだったんだ。
だから────。
「────ごめん!」
素直に頭を下げて謝罪した。
「……へっ?」
潔さが功を成したのだろうか。
シュエルゥが、呆気にとられたような声を上げた。
強張りはすっかりなりを潜めている。
「実は、仕事の最中にシュエルゥの個人情報を見ちゃってさ。本人の許可もなく勝手に知ってしまった事……謝る。この通りだ、すまない」
頭を下げ、空かさず畳み掛ける。
「へ、ぁ、あ、頭を上げてください!……運営のお手伝いをしてるなら、偶然見ちゃう事だってあるじゃないですか。ボクは全然気にしないので」
……ぬ。気を使わせすぎたか?
罪悪感を払拭する為に謝ったのに増幅させてどうする。
あまり引っ張らず流す方向で行くべきか。
これ以上は気を遣い合うだけになりそうだ。
「そう言って貰えると助かる。これがどうでもいい他人の事ならしらばっくれたんだけどさ。情報を見てしまった時もう俺達は知り合った後で、シュエルゥには色々と手伝って貰った後だったから。どうしても謝りたくて」
「……それで、こんな暗がりに蚊帳を持って訪ねてきてくれたんですか?」
「ああ。時間が経てば経つほど気まずくなりそうで。お詫びとお礼の品が一緒になっちまったのは申し訳ないけど」
「……」
仕事を手伝ってくれた事への感謝。
勝手にプライバシーを暴いたことへの謝罪。
一度に済ませる……と表現すると失礼ではあるが、丁度いい機会だった。
そして用事が済んでしまった今、長居する理由はないだろう。
お暇するにはいい時間だ。
「さて、と。それじゃ贈り物は済ませたし、そろそろお暇させて────」
「でも不公平ですよね?」
「えっ」
言い終わる前に、食い気味に言葉を被せられる。
「……な、何がでしょうか」
思わず敬語になってしまった。コワイ。
もしかして実は許されていないんだろうか。
確かに個人情報勝手に覗いた事は悪かったけど、自分なりの誠意を見せて謝ったつもりだったんだが、結構根が深い問題だったりするんだろうか。
もう許してやれよ→絶対に許さないのコンボなのだろうか。
「あっ……べ、別に怒ってる訳じゃないんで!そんなに萎縮しないでください。今言った通り、個人情報のことは特に気にしてません。それに、贈り物も凄く嬉しかったですし。────だけどボク、エイジさんの事……ここで働いてる事と名前ぐらいしか知りません」
「……言われてみれば、そうだな」
確かに、それは不公平だ。
俺はシュエルゥの事を知っているのに、シュエルゥは俺の事を知らない。
「ですから、やり直しませんか? ちゃんとお互いの事を教え合えば、後腐れもないですし……」
……参った。そうだよな。
ケジメ付けようとしたはいいが、贈り物で誤魔化そうってのは卑怯だった。
今度、暇を見つけてもう一度此処を訪ねてみよう。
用がなければ出向いちゃならない、なんて事もないし。
ボランティアって立場のせいか、時間持て余す事もあったりするしな。
「そうだな……それじゃ、また会いに来てもいいか?」
「……は?」
「んっ!?」
何だ。今度は何だ。ちょっと怒っていらっしゃる。コワイ。
シュエルゥの背後に龍が立ち昇っているように見える。
しかもなんかシャフ度でこっちを睨んでる。逆鱗に触れてしまったのか俺は。
もしかして、実は鬱陶しかった? これっきりにしてほしかったとか?
やだ……また来るのこの人……って感じなのか!?
「また、今度……? 今は駄目なんですか」
「今、って……いや、駄目って訳じゃないけど。話長くなりそうだろ? だから今日の所は帰って────」
「なっ!もしかして今からコンパウンドまで帰る気ですか!」
「……? ぁ、ああ。時間が時間だしな」
「帰すと思ってるんですか!?」
「な"に"ぃ"!?」
何だこの展開……ッ!
どうして一転してバトル漫画で敵の罠に嵌ったみたいな流れになってるんだ。
「……そう、そうですよ。そもそも、ボクはずっと思ってたんですよ。訪ねて来てくれた時は勢いで押し切られて言えませんでしたけど……こんな時間に来るなんて一体この人何考えてるんだ……って!」
わなわなと震えながら面妖な顔で、何やら言い始めたぞ。
どう解釈すればいいんだろうか。こんな時間にって事は……実は迷惑だった、とか?
でもそれは、帰すと思ってるのか?って台詞に矛盾が生じる。
とっとと帰って欲しい、ってなるはずだし。
ダメだ解らん。
「……いかん混乱してきた。 シュエルゥこそ、帰すと思ったか?なんて台詞、何を考えりゃ飛び出て────」
────まさか。
やはり、シュエルゥも転生者なのか。
彼女の出生地を知ってしまった時に同じく見てしまった……生年月日。
時差を考慮しても、"俺達と同じ日"に生まれ落ちていた。
転生者は複数が確認され、米国で動いていたヤツの前例があるだけに海外まで分布していると考えられる。
彼女がその一人でもおかしくはない。20人を超えているんだ。今更一人増えたぐらいじゃ驚かない。
それでも……何ヘクタールあるか知っていても、数字と想像が結びつかない程広いこの難民キャンプで……こんな都合よく巡り会えるものか?
確かに港では、あの広さに加えあの人口密度で、俺はキリトや斎御司、月詠さんと出会っている。
だがあれは斯衛の二人が、派兵の見送りというイベントに託けて会合の場をセッティングした形だ。
偶然の接触だったとは言え、"集う"という流れがあった。しかし今回は余りにも偶発的すぎる。
示し合わせた訳でもなく、誘い込んだ訳でもない。
なのに、遥か遠くから過酷な難民生活に身を投じ流れてきた彼女と、戦場からは程遠いこの地で平穏に包まれて順調に育った俺。
そんな正反対の人生を送ってきた二人が巡り合い、手を伸ばせば届くほど近くにいる。
幾らなんでも出来過ぎだ……妄想が過ぎる。
……でも、彼女は俺を帰さないと言い放った。
俺が正体を隠しているという事が、既に看破されている、とすれば……その言葉にも納得がいく。
「何を考えりゃ……って、そんなの決まってますよ」
思わず固唾を呑んでしまう。
来るか?
俺の正体について、踏み込んで来るか?
どうする……いや、此方にも確信はある。
隠さずに堂々と告げるべきだろう。
「エイジさんの────心配です!」
「……ああ。実は俺も────ファッ!?」
心、配?……正体の話じゃないのか。
というか情報引き出すよりも前に、身の安否を気遣ってくれるとは……。
うん。
────早とちりだったかぁぁぁぁ……ッ!!
赤っ恥だ。顔から火が出そうだ。
この子、本当にズバ抜けて賢くてしっかりしてるだけの"ただの"いい子なんじゃないか。
どうする? いや……何はともあれ一先ずは────。
「……で。心配って、何の」
「危機感です!エイジさんには危機感が全っっっっ然、足りてないんです! 此処は……"難民キャンプ"なんですよ? それなのに子供が一人で夜歩きなんて……無用心すぎます!」
お前も子供だが……なんて軽口を返せる雰囲気ではなかった。
真剣な目をしている。
掛け値なしで、言い放ったとおりに心配してくれているのだろうが……。
「……気持ちは嬉しいんだけさ。シュエルゥが思ってるほど、此処の治安は悪くないぞ」
これは本当だった。
難民キャンプにも法はある。
それを無視して無法を行う輩の末路は、追放だ。
拘束され、"地獄と化しているだろう故郷"へと送り返される、という事は流入してきた者が共有する常識。
その前提に加えて、日本帝国の難民キャンプでは治安に重点が置かれている。
というか、難民を受け入れるキャンプを設立するにあたり、最も重要視された項目だ。
米国では本土が戦場にすらなっていないというのに、キャンプ"外"まで難民受け入れの影響が出て治安が悪化しているという報告がある。
そのノウハウを国連経由でフィードバックした事が、功を成したのだった。
少なくとも……"現時点"では、日本にはそれだけの制限を設け、実行し、達成する余裕がある。
「知ってます。でも……そんなの所詮は全体から見た割合ですよ。確かに存在する被害者の"個"を見ていない、薄気味悪い数字です。エイジさんは襲われて被害者になった後、治安はいいはずなのに運がなかった……なんて、笑い飛ばせるんですか」
「────ッ。……それは」
餓死者、0。
衛生環境は良好で、疫病とは無縁。
医師が複数常駐し、病死や衰弱死も難病患者を除き皆無。
だが……暴行・流血沙汰が一切ない、とは口が裂けても言えない。
「皆、強いストレスに曝されているんです。故郷を追われ、見知らぬ土地に身を寄せ……海を隔てたにも関わらず、未だBETAの影に怯える人すらいます。そういった不満がいつ、どこで、何が原因で暴発するかなんて……事件が起きてからじゃないと解らないんですよ?」
その言葉には重みがあった。
此処よりも治安の悪い難民キャンプを、幼い身で渡って来たという経歴が物語る重圧が。
「……ああ。シュエルゥの言う通りだ。俺がソレに巻き込まれない、なんて保証はどこにもない……無頓着だったよ」
徴兵があるから難民に若い男性はほとんどおらず、大多数が女性だ。
だが男性がいない訳ではない。徴兵から溢れた人もまたいる。
そして俺は……悔しいが未だ子供の身だ。
同世代のヤツらに喧嘩で負ける気はしないが……年齢や健康が原因で徴兵から溢れたとは言え、本気になった大人が相手では体格・体重差は埋め難い。
もし、仮に……"敵意"を持たれたりすれば五体満足では済まないだろう。
心のどこかで、まさか自分には降り掛からないだろう、とタカをくくっていたのかもしれない。
……最近、慌ただしくも良い知らせばかりが舞い込んできていたからだろうか。
危険なのは何時か来るであろうBETAだけじゃないってこと……頭の中から抜け落ちていたんだ。
「此処にいる難民一人一人、ほんの少しボタンを掛け違うだけで誰もが加害者になりえるんですよ。それに此処は町中と違って外灯もないし暗いので、夜道はより一層危険なんです。ボクは恩知らずな人間にはなりたくないので、そんな危険を承知で貴方を帰す事なんて出来ません」
────あぁ、参った。
そこまで言われて、だが断る、と返す程に信念のある人間じゃない。
しかし……。
「解った。ヤのつく職業の人も夜道には気をつけろってよく言うしな。……で、だ……シュエルゥ。俺、"帰れなくなった"んだけど────」
ということは、つまりだ。
当初の想定通りというか、ある意味想定外というか。
「ぁ……はい! でしたら────今日は、泊まっていってください!」
まぁ、こうなるわな。
Muv-Luv Initiative
第二部/第三話
『大陸からのエトランゼ』
「ぁ、ちゃんと上は脱いできてくれました? じゃあその椅子に座って頭を前に突き出して貰えます?」
「……なぁ、シュエルゥ。お前、夜の外は危ないってさっき言ってなかったか」
「ここら辺は年配の女性ばかりで集まってるんで大丈夫ですよ?」
「ああ……あくまで、帰り道でってことね。でも、別に一日ぐらい頭洗わなくてももがぼぼぼぼ!……水をポリタンクから直接ぶっかけるのはやめてくれないか」
「やだなぁ、夏に自転車漕いで来て汗かいてない訳ないじゃないですか。そのまま寝るなんて不潔ですよ」
「かいてるけど、気にしないぞ。我慢できるって」
「あ、いえ、隣で寝るボクの身にもなってください」
「あれ? ねぇ、俺くさい? もしかしなくてもくさい?」
「はーい、じっとしててくださいねー。シャンプーなんて上等なものないんですから、皮脂落とすのに時間かかりますんで」
「あの、そこで流されると不安になるんですが……解った、解ったよ。でも自分でやるから……っておい、ワシャワシャすんなっ」
「えー……じゃあ、お身体の清拭しますねー」
「いいっつってんだろ」
「はーい、下も脱いでくださいねー」
「いや……ほんと勘弁してください……」
1991.summer.next day
陽が出ている間に太陽光で充電されていたソーラー・ランプは、既に切られている。
今は外から滲むように入り込んでくる月と星の煌きだけが、唯一の光源となっていた。
人工的な明かりが消えたテントの中は、夜目に慣れた今でも薄暗く感じる。
今は何時だろうか……現在時刻を確認するために腕時計に視線をやるが、暗くて見えない。
ボタンを操作して内蔵されたバックライトを点灯させると、照らされた画面に映った数字は既に日が変わったことを示していた。
横になってお互いの事を喋り始めてから、結構な時間が経過していたようだ。
「もう昨日の事になるのか……酷い目にあった」
「……? 酷い目ってなんです?」
重い呟きに返って来たのは、黄色くもあり鈴の音を転がすようでもあるシュエルゥの声。
鈍くなった視覚を補うように他の感覚が鋭どくなるこの状況では、より聞き取り易くなっていた。
彼女は俺とは逆に俯せの体勢で寝転がり、背中にタオルケットを掛けた状態で顔だけで此方を見ている。
「誤魔化すな、髪だよ髪。別にいいって言ってるのに無理矢理洗いやがって……向かいのおばちゃんがこっち見て笑ってたろ」
勿論、体の清拭はテントの中で自分でやった。何故かチラチラ見てくるシュエルゥに目隠しをして。
上半身ぐらいなら恥ずかしがる必要はないが、下は別だ。
「あのおばちゃんだけじゃなくて、ここら辺に集まってる女の人達とは大陸からの付き合いなんです。ですので気にしないでください。何時もは一人でやってるのに今日は二人だったんで、珍しかったんだと思います」
成程。
難民キャンプでは相互扶助のために一定数のコミュニティを形成されるのは珍しい事じゃないからな。
しかし……今面白い単語が飛び出た。
「何時もはって事は、毎日水で洗髪してんのか?……はぁ~……偉いなぁ」
「……?えぇ、まぁ日課ですけど……偉い、ですか?」
「ああ。シュエルゥの事は一目見た時から綺麗だなって思ってたんだけど、苦労して維持してたんだと思うとな……尊敬するよ」
素材がいいのもあるんだろうけど、清潔感が漂ってるんだよな。
日は浅いが今までキャンプの様子見てきた感じ、難民の人達は身だしなみでかなり妥協してる節がある。
髪の毛は短めの人が大半で、手間のかかる長髪は少なめだ。
そんな中で、シュエルゥの綺麗な桃色がかった長髪は、俺に強い印象を残している。
「────き、綺れ……ゃ、やらないと気持ち悪くて眠れないんで、仕方なくですよ。面倒なんですけど、どうにも我慢出来なくて」
「あー、解る。でも夏はいいとして秋や冬はどうしてたんだ? ここは冬に向けたサイト計画でそういう施設を地区ごとに……って話は出てるけど」
大陸のほうはお世辞にも設備が整ってるとは言い辛い状況だ、とアシュリーさんから聞いている。
「……震えながら、水で」
「お前、すげーな!?」
冬に冷たい真水で頭洗うとか何の罰ゲームだよ。
自己申告だが風邪引いたことないらしいけど、健康優良児すぎるだろ。
確かに風邪ってのはウィルス性で、体温の低下は原因に直結しないけど。
よく今まで健康体で通してこれたなこの子。特筆されるべきバイタリティだ……って。
脱線しすぎたか。
「……と、悪い。話逸れちゃってたな……どこまで話したか」
「えーと、ボクが今まで渡ってきた難民キャンプの面白可笑しい話……は終わって。お返しにボクがエイジさんの過ごしてきたこの街の事も聞きたいって言って……その話も一段落したところ?ですかね」
「あぁ、そうだそうだ。それで俺がシュエルゥの生まれ故郷での生活を聞こうとしたのに、自分から脱線したんだ」
「故郷……うーん、波乱万丈だった難民生活とは違って特に面白い話がないんですよねぇ……え~と、何かあるかな」
「いや、面白いってお前……まぁ、ゆっくりでいいぞ?」
……面白可笑しい難民生活って自分で言ってるが……ハード過ぎる話だったんだがな。
特に食料を奪われそうになった時の話が強烈だった。
襲ってきた大人を、56式自動歩槍の銃剣で撃退するとか……漫画か何かの展開すぎて、リアリティに欠ける。
ちなみにその時使った銃剣付き56式自動歩槍は、日本に渡る前に念入りに破棄したらしい。まぁ、持ち込めるわけねーよな。
正直、ファンタジーすぎて話半分に聞いてしまった。勿論、事実かどうかの確認はしてない。したくない。コワイ。
しかしそんな彼女も日常の事となると話題がないのか。
まぁ、そうだろうな。俺も話をしろと言われた時に語るエピソードがなくて難儀した。
俺は目の前の少女と違って、かなり平凡な7年を過ごしてきたからな……。
未来の事、BETAが向かってきているということ、そして"アイツら"が関わると途端に慌ただしくなるがそこは割愛せざるを得ず。
結果的に……話せる事は、穏やかな日常の事だけだった。
「とりあえず……食生活は、満足いくものではなかったですね。豚肉を生まれて此の方、口にしたことないんで。日本に居る内に食べてみたいです」
「は?豚?」
唐突な告白に面食らってしまう。
……豚。豚肉。ポーク。
食したことがない?あのポピュラーな食材を?
ちょっと待て、それって────。
「そもそもその頃は、何もかもがモスク中心でした。駐在している導師……専任の職員さんから運動や勉学、武術の基礎等の手解きを受けたんです。……色々な戒律とかも一緒に教わりました」
モスク……礼拝堂だ。
そして導師。更に戒律。
極めつけに、豚を食べる事の禁止と来てる。
「ムスリム、だったのか」
正直、かなり以外だが……どうやらそういう事らしい。
イスラム教を信仰する上で、欠かせない語群だから間違いないだろう。
「はい。生まれが生まれなんで。家族仲がそれほどよくない事もありまして、モスクに預けられてました」
「出生は……回族か?」
回族。イスラム教を信仰する中国系民族、その中でも最大の規模を誇る集団だ。
「せ……正解です。凄いですね、一発で解るもんですか?」
「当たりか? いや、適当だったんだけどさ。シュエルゥの出身地近辺じゃそこが最大手だからな……でもこれで、お前が一人で行動してるのも納得いった。回族だけじゃないんだが、ムスリムはよっぽどの事情がない限り南西に逃げるんだよ。中東連合の方な」
「はい、知ってます。というか、知ったから家出同然にこっちに逃げてきたんですけどね……あはは。正確にはムスリマ"だった"、ですね」
"だった"。つまり、今は違うという事か。
家出なんて言葉で済ませていいとも思えない
自発的な改宗か……破門だ。
同宗教を信仰する者達が集まるコミュニティからの庇護は、一切受けられなかっただろう。
何でそんな年齢で茨の道を突き進んで来たのか。
「……BETAの東進が激化しなけりゃ、もっと穏やかに済んだんだろうけど……世の中、上手くいかないもんだな」
「……いえ。BETAの行動に関係なく、遅かれ早かれこうなったと思います。"イスラームを信仰する民族集団"に、染まる気がないボクの居場所はなかった。それだけの話ですので」
「────……」
染まる気がない、か。
幼少の頃に叩き込まれれば、否が応にも染まるものだと思うが。
……もし。"何らかの理由"があって、教育されても染まらない程に根っこが固まってしまっているのなら……。
話はまた違ってくるんだけどな。
「そういえば、エイジさんは……」
「ん?」
「ずっと此処に居るんですか?」
どういう意図だろう。
ボランティアだという事は昼に伝えている。
地元に住んでいるという事も、ついさっき自分語りをした時に。
このキャンプに勤め続けるのか、地元に住み続けるのか……色々解釈のしようがある。
ま、どういう意図であったとしても……。
「……居ないな。そう遠くないうちに此処を離れるつもりだ」
「つもり? 自分の意思で離れるって事ですか?ご両親は……」
「話は着いてる。でも父さんと母さんは当分の間、仕事の関係で此処から動けないんだとさ。俺は一人で疎開する事が決まってるんだ」
「……そう、ですか。強制じゃないですけど、推奨はされてるんですよね……疎開って」
「そうだな。まぁ、現段階で疎開する人は少数派だけどな。帝国軍は、精強なんだ。世界有数の海軍を抱えている上に、海を隔ててる……安心してる人はかなり多いよ。大陸でも国連や色んな国の軍人さん達が必死で戦ってくれてる……BETAなんて、来る訳ない。俺が疎開するのは、アレだ。念の為ってやつだな」
嘘ではない。
これが嘘になるかどうかは、まだ解らない。
今の俺の言葉は、そうなって欲しいという願望を口にしただけだ。
世界はもう変わり始めている。変えようと足掻いて、既に行動に移したヤツらを知っている。
だから、その瞬間を迎えてしまうまで、可能性はきっと無数に広がり続けるって信じたい。
それに俺は疎開政策に乗じて"逃げる"訳じゃない。
進みたい道がある……その為に、疎開先は自分にとって有益足り得る場所を協力者によって厳選してもらっている。
疎開先は────。
「疎開先って、どこなんですか?」
「────え……?」
「あっ……、い、言いたくないなら構わないんです……ごめんなさい」
「ぃ、いや、正に今行き先の事について考えてたからさ。ちょっと面食らっちゃってな。えーっと……近畿地方って解るか」
「はい、解ります。帝都の周りですよね」
「ぁ……ああ。よく知ってたな。他国の首都や地理って、覚えづらいもんだと思うが……」
「エイジさんもボクの故郷や民族の事知ってたじゃないですか」
「……ぐうの音も出ないわ」
まぁ、BETAの侵攻具合を事細かに知る為に地図と睨めっこしたり、難民キャンプについて調べ物してたら何時の間にか覚えてただけなんだが。
シュエルゥは疎開先の予習ってとこか? 出来ればもっと東の方に避難したかったりするんだろうか……。
「あの……もっと東の方に逃げようとは思わないんですか?」
「ッ────悪い、俺……声に出してたか?」
「へ? 何がです?」
又もやドンピシャで割って入ってきたから、心の声が漏れてたかと思ったが。
……タイミングが合っただけ、か。それとも、似たような事考えてたのか。
「……いや。何でもない。で、それ以上東の方にって? 今のところその気はないな……其処でやりたいこともあるしな」
「そのやりたい事って、他の場所じゃ無理ですかね?」
「は……ぃ?」
まさか。
まさか、ここまで突っ込んで聞いてくるなんて思いもしなかった。
俺は思わず仰向けの姿勢から寝返りをうち、隣のシュエルゥへと向き直る。
すると俺に倣うかのように、俯せになっていた彼女も動き、向かい合う姿勢になった
すっかり暗闇に慣れた両目が捉えたシュエルゥの表情は、やや強張って真剣な表情をしている。
「……無理だと思うぞ。でも……何でそんな事を? やけに食付きいいけど」
「その……気に障ったならすみません。でも大事な話ですので……ちょっと、ここからは真面目に聞いてくれると嬉しいです」
「解った。茶化したりしない」
「エイジさん……東京まで、逃げてくれませんか」
東京。
この世界の日本において、経済の中心地ではあるものの"まだ"首都ではなく、"いつか"首都に成り得る場所。
「物騒だな。東京まで逃げろ、ってのは……穏やかじゃない。それじゃ、まるで────」
────BETAが、その直前まで来てしまうみたいじゃないか。
「……さっき、エイジさんは"BETAなんて来る訳ない"って言いましたけど……」
「……ああ。確かに言った」
「それでも。それでも、もし……何かの間違いでBETAが攻めて来てしまったら────どこまで来ると、思いますか?」
それでも。
もし。
何かの間違いで。
これだけ前置きをしてまで、"BETAが来る"という大前提を突きつけてくる。
何を言わせたい。俺にどう返させたい。どういう言葉を引き出したい。
そもそも……この子はあやふやすぎる。
"アイツら"みたいに隠す気が毛頭なく、正体を明かしきって接してくる訳じゃない。
かと言って何もかもを隠蔽しきれている訳でもない。
今みたいに"クサい"ところを突いてくる発言が幾つかある。
……のらりくらりと躱すのは限界だろう。
次で最後にしよう。
「────……対馬島。最悪でも、本土に上陸してきたところを帝国軍に迎撃されて終わりだと思うぞ」
この流れは、正史通りだ。
しかも、この戦果は人類にとって不利となる……"とある状況下"で叩き出されたもの。
「ですけど、日本には"神風"と呼ばれる現象があります。それがBETAに吹かないとは、決まっていません」
"神風"。
ユーラシアで今なお続いている、BETAによる大規模環境破壊……それによって生み出されてしまう超大型台風。
その影響で水上部隊が出遅れた形になったというのに、帝国軍は僅か数時間で対馬、長崎・佐賀本土に上陸した師団規模のBETA群を撃破した。
圧倒的勝利。しかし────その凱旋の旋律は、僅か二日で途絶えることになる。
悪夢の始まりだ。山陰地方と……九州中部に、BETAが上陸する事になる。
"九州中部"……此処────。
「この機に乗じて、鳥取・島根等の山陰地方……それと……熊本にも上陸を掛けられでもすれば……内地への侵攻が一気に現実的になります」
熊本は、俺の故郷は……BETA大戦の矢面に立たされているのだ。
俺はその現実を正しく認識してから、今日この日まで、一度たりとも忘却したことはない。
「……政府の見積りが甘ければ、住民や難民の避難が間に合う事はないでしょう。巻き添えを恐れた軍は効果的な迎撃を行えないまま、結果的に防衛線は食い破られる」
事実、正史では間に合わずにその通りになった。
後は……港でアイツ等と本音をぶつけ合った時に何度も焦点を当てられた場所まで、BETAは止まらないだろう。
その場所こそが……。
「一度そうなってしまえば陸が続く限り後退するだけということは、歴史が証明しています。そして、行き着く先は────」
「────横浜ハイヴ、だろ」
「えっ……?」
確定、だな。もういいだろう。
十分に腹は探りあった。いい加減、腹を割って話そう。
彼女は間違いなく、転生者だ。
「ゴメンな。教えてくれなくても、実はよく知ってるんだ。黙ってたのは悪かった。だけど、それはお互い様だよな? だからさ、改めて自己紹介しようぜ。俺は、お前と同じ転生者の不破 衛────」
「……な、何だってええええぇぇぇぇぇぇ────────────ッ!?」
「───────────ぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええッ!?」
えッ!?
ぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええッ!?
そこ!?
そこで驚くんだ!?
待て待て待て待て……コイツ、逆転裁判ばりに畳み掛けてきてたじゃねーか!
何だったんだよあの怒涛のラッシュは!
「ま、まままままさかエイジさんが、ボクと同じ、ててててて転生者だったなんて……そ、そそそそそんな」
「い、いや待て落ち着け……まだあわてるような時間じゃない……」
つーかあんまり騒ぐな。深夜なんだよ。近所迷惑だろ。
心配した人が凸してきたら場を収めるどころじゃねーぞ。
「……まず、深呼吸だ」
「ヒ、ヒッ!ヒッ!フー……」
「うん、ありがとう。お約束だよな。ラマーズ法はな。実はお前あんまり動揺してないよな」
「ぁ、してますけど……切り替えは、得意です。難民キャンプで老若男女問わず襲撃されてきたので、鍛えられました」
うわぁ……。
これは……56式自動歩槍で暴漢撃退の話はマジだなおい。
アシュリーさんから聞いてはいたが……大陸の実情は、想像以上に世紀末だ。
「……そうか。とりあえず、話は出来るみたいなんで、二、三聞かせてくれるか?……そもそもお前、俺を何だと思ってたんだ……?」
「……す、すんごい賢い子だな、と……」
しんぷる is BESTってレベルじゃねーよ。
初期の段階ならまだしもこんだけ話合ってその認識ってどういうことだよ。
昼にあった時の第一印象のまんまかよ。
つーか、テントに潜って会話してる時に誕生日一緒って話題出したんだが?
偶然ですね!って喜んでたのは素か?素なのか? どんだけ気のいいヤツなんだおい。
白銀 武の誕生日との一致とか不自然だったろ? ぁ、もしかしてそこまで知ってor考えてなかった、ってクチ?
いやそもそも……その認識なら、あの正史での日本陥落の件はなんで口に出した?
確実に俺の事半信半疑で見ていて、カマかけてると思ってたんだが……。
「じゃあ……二つ目だ。何で正史の事を話して聞かせようと思った?」
「せ、正史? BETAが攻めてくるって事ですか? えっと、な、難民キャンプでこんなに親身になってくれる同年代の子と出会うのは始めてなんで……このまま此処に居させたら死んじゃうかもしれないって思うといてもたってもいられなくて……頭いい子みたいだし、不安を煽れば今すぐじゃなくても東京まで逃げてくれるかなって……」
うわー。
100%善意だったわー。
これじゃあ俺が超絶腹黒キャラみたいだわー。
メチャクチャ計算づくな汚い大人だわー俺。
汚いわーさすが俺きたないわー。
「……最後に一つ。何でこんな早い段階で、そんなに苦労して、ここまで来た?」
「ぇと、原作……ぁ、正史って言ったほうがいいですかね? いないはずの戦術機の情報を耳にしたのを切っ掛けに、その、幾つかの一身上の都合も合わさって、決意しました。そもそもBETAは迫ってきてましたし、オルタネイティヴ4の事もあったので、どう転んでも日本には行くつもりでしたので。そこに、彩雲でしたっけ。F-16が採用された原因を探るっていう目的も追加されたので、早いに越したことはないかと……」
日本に来たこと自体は予定調和であり、またバタフライ・エフェクトでもあった、ってところか。
孤立していた事による無知の身であったからこそ、前倒しの必要性があり、急を要した。
おかげで、俺は期間限定で働いてる間に、シュエルゥと接触できた……。
現将軍家の一員、斉御司暁殿下様様、だな。
「────解った。ありがとう」
林 雪路の根っこは……御覧の通りの善人だろう。悪い奴に騙されないか心配にはなるが。
だが一方で、悪意を向けられれば然るべき処置を取れる割り切りの良さもある。
善意には善意で、悪意に悪意で。解り易い性格だ。
バイタリティ、サバイバリティは筆舌に尽くしがたい。
知識も一定水準には達している。だからこそ今ここまで来れている。
世界レベルでの改変や異変にも敏感で、ずば抜けた行動力を持ってる。
話しても……大丈夫そうだ。
「シュエルゥ。いい時間だけど、まだ起きていられるか?」
「え? ぁ、はい。衝撃的な事実があったので、目が冴えちゃってますんで……」
俺が転生者って事が、衝撃的だったか。そいつはよかった。
今からもっと驚いて貰おう。20人超えてますとか。衝撃には事欠かないだろう。
「重畳だ。じゃあ……今からこの国、延いてはこの星で起きてる異常事態をまとめて話す。朝まで掛けて、な。勿論、俺が理解できてる範囲でだけど」
切り替えは上手いという自己申告を信じよう。
普通なら混乱が治まらず、怒涛の展開についてこれないだろうが……いけそうだ。
この子、たぶん神経が図太いからいけると思う。
「ぁ、お願いします! ボクからも幾つかまだ伝えきれていない事があるので、それについてもお話します」
「ああ。今度こそ、腹割って自己紹介をしよう。でも、その前に……」
「はい? 何でしょうか」
「────おかえり」
正しい言葉ではないけれど。
相応しい言葉ではあるはずだ。
遠い場所から帰った人に、「ようこそ」とは言いたくなかった。
「……~~ッ。はい────ただいま、でいいんですよね……ッ」
明かりを点ければ話しやすいが……。
……今はこのまま、話をしよう。
漏れる嗚咽は、聞き流そう。
日の出の頃には、止んでるはずだ────。