「どうした、ハイア。遠慮なんてするなよ」
「……いったい、何を考えているさ?」
「別に何も。ただこうして、親睦でも深めようかなと思って」
「は、何をいまさら。ってか、冗談でもお前がそんなことを言うと寒気がするさ」
いつもはいがみ合い、殺し合いすらする(ほぼ一方的)二人が、何の因果か食卓を囲んでいた。
レイフォンとハイア。客観的に見ても、お世辞にも仲が良いとは言えないこの二人が、一緒に食事を取るという光景。この状況は、二人の関係を知る者がいたら目を疑うかもしれない。というかハイア自身が己の目を、耳を、感覚を、志向を、自分が感じる感覚全てを疑っていた。それも仕方のないことだろう。
何せあのレイフォンが、隙さえあればハイアの命を狙ってくるレイフォンが、一緒に食事をしないかと誘ってきたのだ。何か裏があると考えるのが普通である。
「毒でも盛ってんのかさ?」
「毒殺なんかで僕が満足するわけないだろう。心配しなくても、お前を殺す時は直接この手で殺ってやるよ」
「ハッ、その心遣いに涙がでそうさ」
本当に涙が出てきた。欠伸交じりのものだが。
「それにしても、なんていうか……お前ってこんな店が好きだったのかさ?」
ここに来て、ハイアはあたりをキョロキョロと見渡す。
喫茶店ではあるが、レストランと呼んでも差し支えのないほど大きな店。メニューも軽食だけではなく、しっかりと食事を取れるものが用意されている。
一見、ここまでは普通の飲食店のように見えるが、一つだけ大きな違いがあった。
「いらっしゃいませ!」
それはウェイトレスだ。新たに入ってきた客を出迎える挨拶が聞こえる。ここは学園都市なので、当然ながら従業員もほぼ学生。年頃の少女達がピンク色でフリフリの制服を身に纏い、出迎える様は壮観だろう。この店の名は『喫茶ミラ』。
こういうのは好きな人は好きだ。だがレイフォンが、良い意味でも悪い意味でもフェリ一筋な彼が、このような店を好んでいるのが意外だった。ハイアは落ち着きのない様子で、先ほどからそわそわしていた。
「別に好きってわけじゃないよ。ただ、ここの店長とは知り合いでね。その縁でよく利用するんだ」
「ふ~ん、それでか。俺っちは嬢ちゃんに飽きたのかと思ったさ」
「死にたいの? そういう冗談を言うと、本当に殺すよ」
「マジすいませんでしたさ!」
ハイアが何気なく言った軽口に、レイフォンの目尻が釣り上がる。それは本気の怒りだった。当てられたハイアは、肝を冷やして本気で謝罪する。
レイフォンに、この手の冗談だけは禁句だった。
「とりあえず食べたら? 話は食べながらでもできるし」
「あ、ああ……」
レイフォンに促され、ハイアは恐る恐る料理を口に運んだ。一口食べる。うまい。どうやら本当に毒は盛っていないようだ。
このことが気がかりで、料理が運ばれてきても一口も口にすることができなかった。
「で、話の内容なんだけど……ハイア、お前が刀を受け取れ」
「は、何の話さ? ぜんぜん意図が読めないんだけど」
「それを今から説明するから、黙って聞け」
レイフォンは食べながら、かいつまんで事情を説明する。
昨日、幼馴染のリーリンがやってきた。養父であり、レイフォンに武芸を教えた師から錬金鋼を預かって。
それは養父との和解の証であり、サイハーデン刀争術免許皆伝の証でもある。だが、レイフォンは受け取らなかった。錬金鋼を突っぱね、リーリンを追い返した。
「僕には必要ないんだ。だからさ、ハイア。お前がもらったら?」
「はぁ? 本気で言ってんのかさ!?」
「本気だよ」
そしてあろうことか、敵視しているハイアに錬金鋼を受け取れという。養父との和解の証を、サイハーデン刀争術免許皆伝の証を。
「わけわかんねーさ。いや、ホントマジで。どうしてお前が、自分で受け取らない?」
「僕には必要ないから。それに普通の錬金鋼だと僕の剄に耐えられないしね」
そう言って、レイフォンは剣帯に収まった自信の錬金鋼を手の甲で叩く。
レイフォンの全力の剄に耐えられる、特別性の愛刀を。
「それだけが理由じゃねえだろ」
「まあね。一番の理由はさ、僕は間違ってなんかなかったって証明したいからかな」
「ん、つまりどういうことさ?」
「だから、僕は間違えてないんだよ。グレンダンで闇試合に出たことも、そのことをガハルドに脅迫され、試合中に殺そうとして失敗したことも、間違った選択じゃないんだ。確かにいけないこと、犯罪行為だったけど、それがあったから僕はツェルニに来れたんだ。フェリに会えたんだ。なら、間違いなはずないじゃないか」
レイフォンがグレンダンでやったことは、到底褒められる行為ではない。むしろ凶弾されるべきことだ。
だが、それがなければツェルニに来ることはなかった。フェリと出会うことはなかった。
「いけないことだったけど、僕は間違ってなんかいない。間違っていないからこそ、誰にも許されなくたっていい。許されたら、僕がツェルニへ来たことを後悔しているみたいじゃないか」
ツェルニに来て良かった。フェリに出会えて本当に良かった。そう思っているレイフォンだからこそ、安易に許されるということを望んではいない。もし許されたいと自分が思えば、ツェルニに来たこと自体が間違いではないのかと思ってしまいそうだったから。
「僕は後悔なんてしてないよ。してたまるものか。だから僕は、刀は受け取らない」
「気に入らないさ。お前はそうやって、サイハーデンを軽く見る。サイハーデンという流派は、そんな風に軽々しく扱われていいものじゃないさ」
ハイアはサイハーデンに誇りを持っていた。自身の義父であり、師でもあるリュホウを尊敬していた。
そんなリュホウは、サイハーデンの継承者として責務を弟弟子のデルクに丸投げし、傭兵として都市の外に出たことを気に病んでいた。だからデルクの弟子が、レイフォンが天剣授受者になったことを知って、本心から喜んでいた。
自分が果たせなかった責務を、デルクは最高の形で果たしてくれたと。顔も知らないレイフォンのことも褒め、自慢げに語っていた。
だからこそハイアは面白くなかった。義父が、師が、自分ではない者を褒める様子が。誇らしげに思う様子が。本来ならハイアがそんな風に、リュホウを喜ばせたかったというのに。それができなかった。
自分にできなかったことを、レイフォンはやった。なのに一度はサイハーデンを手放し、さらには天剣すら捨てたレイフォン。ハイアの欲しかったものをこともなげに捨ててみせ、いまさらながらに再びサイハーデンを手にする。その上免許皆伝の証は受け取らず、それをハイアが受け取れといっているのだ。あまりにも都合が良すぎる。
「でもさ、僕はサイハーデンを利用しているだけだから。刀は僕が一番うまく戦える方法。違法酒騒ぎの時に利用して、お前との戦いでも利用して、これからも戦いに利用していく。ただそれだけだよ。それに僕が再びサイハーデンを、刀を手に取った原因はお前だろ? お前がとやかく言う理由はないと思うんだけど」
「ちっ」
レイフォンが気に入らない。だからハイアはフェリを利用して、レイフォンに戦いを挑んだ。その結果は完膚なきまでの敗北。殺されてもおかしくなかったハイアだが、今こうして生きていられるのはフェリの情けだ。
レイフォンもフェリが止めなければ迷いなくハイアを殺していただろうし、フェリがいても隙を見てはハイアに危害を加えてくる。それはもはや洒落にならない域だ。
正直なところ、レイフォンに勝てる気がしない。ただでさえハイアと同等か、それ以上の技量を持っていたのに、天剣授受者としての膨大な剄、さらにはそれに耐えられる錬金鋼、さらに廃貴族などなど、ハイアを圧倒する理由がいくつもある。いまさらながらにこんなバケモノ相手に、よくも喧嘩を売れたものだと昔の自分を褒め称える。
今なら、たとえ金がもらえたとしても戦いたくない相手だ。
「だから……ゴホッ、ゴホ……」
「ぉぃ……」
レイフォンが会話の途中に咳き込んだ。食事中だったために、口の中に入っていた食べ物が飛ぶ。それが唾液と共にハイアの顔に引っかかった。
ハイアはひくひくと頬の筋肉を引きつらせ、錬金鋼に手を伸ばそうとする。
「ああ、ごめんごめん。不可抗力だよ」
「ちゃんと手で押さえるか、他所を向けやコラ!」
謝罪はするが、誠意をまったく感じさせないレイフォンの言葉にハイアは切れる。
戦いたくはないが、殺したい相手ではある。
「いや、最近体調が悪くってさ。今日も朝から熱っぽいんだよね」
「風邪か? こじらせて死んでくれないかさ~、マジで」
「風邪……じゃないと思うんだけどね。多分、また剄脈の拡張じゃないかな? 廃貴族のせいか、最近体調を崩し気味なんだよね」
「剄脈の拡張? その話がマジなら、お前はどれだけ強くなれば気が済むさ?」
「とりあえず、お前を瞬殺できるくらい強ければいいかな」
「……もう十分だろう」
本気で勘弁して欲しい。ただでさえ手に負えないのに、これ以上強くなられたらハイアは本当に死んでしまう。
「まぁ、つまり僕が言いたかったのは、刀は要らないからお前が好きにしろということだよ。お前に渡すくらいなら捨てようとも思ったけど、さすがにそれだと養父さんにも悪いし、サイハーデンの免許皆伝の証なら同じサイハーデンの者に渡すのが筋だと思ったからね。だからお前が受け取って、後は好きにすればいい。そうすればもう僕には関係ないから、捨てようと何しようと構わないよ」
自分の分の料理をかっ込み、食事と共に会話を終わらせようとするレイフォン。
ハイアは冷め切った視線で、レイフォンを睨んでいた。
「あんまり俺っちを見くびんなよ。そんな理由で刀なんか受け取るわけがないだろうさ! そもそもその刀は、お前の師であるデルクがお前のために用意したもんだ。俺っちが受け取るのは筋違いにもほどがある! お前は……デルクをも愚弄したいのか!?」
「だから、もう僕には関係ないんだってば。養父さんだろうと、孤児院の家族だろうと……リーリンだって、僕にはもう関係ない。グレンダンに帰ることすらできない僕が、そんな感傷に浸る必要あるの?」
リーリンもいつかは、グレンダンに帰ってしまう。そうなればもう二度と会うことはないだろう。それまで。それで幼馴染という関係はお終い。
会えない人のことを想うよりも、今は大事な人を、これから生まれてくる家族のことを想うのが先決ではないだろうか?
想いだけでは何も救えない。救われない。それはグレンダンでの食糧危機を経験したレイフォンにとって、まさに真理だった。
どれだけ家族のことを想おうと、愛していても、それだけではお腹は膨れない。手の届かない者達をどれだけ大切にしようと意味はない。
だからレイフォンは手の届く者を、二度と手放すつもりのないフェリを一途に想おうとする。
「俺っちはお前が気に入らない」
「奇遇だね、僕もだよ」
そんなレイフォンとハイアは決別を取った。話はこれで破談。レイフォンは伝票を手に、レジに向かう。
先ほどの騒動のせいで視線を集めてしまったが、レイフォンは一切気にしなかった。
ハイアはどかっと座席に腰を下ろし、自腹で追加注文を頼んだ。熱いコーヒーが飲みたくなったのだ。
注文してすぐにウェイトレスが運んできてくれて、ハイアはそれを一口口にする。
「にげぇ……」
座席の窓からは喫茶店を出ていくレイフォンの姿が見え、ハイアはコーヒーの苦さと相まって、苦々しい表情でレイフォンの背を見送った。
†††
「ただいま……」
家に誰もいないとわかっていても、習慣で『ただいま』と言ってしまう。
カリアンは生徒会棟で仕事。フェリは友人と出かけているはずだ。なので現在、この家にいるのはレイフォン一人。そう思っていたのだが、
「あ、フォンフォン、お帰りなさい」
「え、帰ってたんですか、フェリ」
既にフェリが帰ってきていた。
「帰ってくるのがわかってたら、お昼を用意したんですけど」
フェリが昼には帰ってこないと言っていたから、昼食の用意はせずにハイアと食事をしたのだ。そうでなければ、レイフォンがハイアと食事をするなんていう無駄な時間を過ごすわけがない。
「いいんですよ。そもそもいらないと言ったのは私なんですから。それよりも、フォンフォンも一緒に食べませんか?」
フェリは昼食用に、というかおやつ用だろうか? ケーキやクッキーなどの菓子類を買い込んで、テーブルの上に並べていた。
フェリの席の向かい側にはミュンファが腰掛けており、お邪魔しますという感じで一礼をする。
「あ、僕はいいです。外で食べてきちゃいましたから」
「そうですか。一人でですか?」
「いえ、ハイアと二人です」
「はい?」
「えっ!?」
フェリの問いかけに、レイフォンは正直に答えた。だが、その答えに耳を疑うフェリとミュンファ。
愛称最悪のレイフォンとハイアが、二人一緒で食卓を囲む姿など、到底想像できなかったからだ。
「一応言っておきますけど、手は出していませんからね。ただ話をして、ご飯を食べてきただけです」
「……本当ですか?」
「本当ですよ」
疑り深そうな目でレイフォンを見てくるフェリ。だが、これは仕方がないだろう。
レイフォンはことあるごとにハイアに物理的な嫌がらせをしていた。殺傷沙汰が日常茶飯事なのだ。
如何にレイフォンの言葉とはいえ、フェリでもそう簡単に信用することはできなかった。
「本当に今回は、ハイアには手を出していませんから。ただの世間話ですよ」
「世間話ですか?」
「ええ、一応ハイアも、サイハーデンを修めてましたからね」
サイハーデンという名を聞き、フェリは先日のことを思い出す。
この間、リーリンが訪ねてきた時のことだ。あれからもう一週間ほどが経っていた。
レイフォンはフェリの前ではいつもどおりに過ごそうと心がけているが、元が不器用なレイフォンのことだ。やはりどこか無理をしているように見えるし、あまり機嫌が良さそうには見えない。
「フォンフォン。余計なお世話かもしれませんが、リーリンさんはフォンフォンのために、わざわざツェルニに来たんですよ」
リーリンは、レイフォンのためにツェルニへ来た。安全な都市を出て、放浪バスに乗った。道中、汚染獣に襲われるかもしれない危険を冒して。それは、学園都市に通う者も同じかもしれない。故郷の都市を出て、わざわざ学びにやってきた。だが、それは学びにだ。ひいては自分のために。
けれどリーリンは違った。レイフォンに会うために、レイフォンに刀を渡すために、グレンダンを出てツェルニまでやってきた。そんなこと、ただの幼馴染にできるはずがない。複雑な気持ちだが、レイフォンはリーリンにとって特別な存在なのだろう。
「フェリ……僕は来てくれなんて頼んでいませんよ」
だが、レイフォンの答えは無常だった。フェリが相手だったために瞳は優しかったが、突っぱねるように言い放つ。逆に迷惑だというように、リーリンを否定してみせた。
「フォンフォン……」
「それよりもお茶、どうですか? 前にジェイミーさんから分けてもらった茶葉がありますから、すぐに淹れますね」
レイフォンはそのままキッチンに入り、誤魔化すようにお茶の用意を始めた。元は喫茶店で使われている茶葉だけに、菓子類との合性は良いはずだ。
「ゴホッ、ゴホ……」
「フォンフォン、大丈夫ですか?」
レイフォンが咳き込む。フェリが気遣うように声をかけたので、レイフォンは気丈に笑って見せた。
「あ、大丈夫ですよ。ただ、喉が……」
その笑顔を浮かべたまま、レイフォンは倒れた。用意していたティーカップが落ちる。陶器の割れる音が響き、その音でフェリは異変に気づいた。
「フォンフォン!?」
フェリはすぐにレイフォンの元へ向かった。レイフォンのことは正直苦手なミュンファだが、彼女も心配そうにレイフォンの様子を覗き込む。
キッチンではレイフォンが倒れ、真っ赤な顔をしていた。所々に浮き上がっている汗。明らかな発熱の症状。フェリはレイフォンの額に手を当てる。
「熱があるじゃないですか!」
やはり熱かった。レイフォンは倒れたまま、困ったような顔でフェリに笑いかける。
「はは、どおりで体がだるいと思いました」
「言ってる場合ですか。ベットまで歩けますか?」
「あ、大丈夫ですよ。今起きますね……」
レイフォンは起き上がり、寝室へ向かおうとした。だがその足取りは弱々しく、ふらついている。
「本当に大丈夫なんですか? ミュンファ、悪いですけど、冷蔵庫から氷を出してください」
「あ、はい」
フェリに支えられ、レイフォンは寝室へと向かった。ミュンファは冷蔵庫から氷を取り出し、氷嚢の準備をしていてくれる。
ここ最近、本当によく体調を崩す。倒れるほどではなかったが、熱が出て体がだるい。そして今回は倒れてしまった。これで倒れたのは二回目だ。まだユーリがいた時に一度、似たような症状で倒れている。
フェリに迷惑をかけてしまって申し訳ないとは思うものの、体に力が入らない。
寝室に入ったレイフォンは倒れこむようにベットにうつ伏せになった。体の向きを変えるのすらかったるい。布団をかぶる余力すらない。
「フォンフォン、本当に大丈夫なんですか?」
フェリがレイフォンをひっくり返し、布団をかけてくれた。
「フェリさん、氷です」
「ありがとうございます」
フェリはミュンファが持ってきてくれた氷嚢を受け取り、レイフォンの額に当てた。キンキンするほどに冷たかったが、額の熱を吸い取ってくれるようで心地よい。
「一応、先生を呼びましょうか。確か往診もしていたはずです」
「大丈夫ですよ、フェリ……」
「ぜんぜん大丈夫には見えません。この間よりも具合悪そうじゃないですか!」
寝ていれば治ると訴えるレイフォンだが、フェリは聞いてくれそうになかった。
医者を呼ぶため、フェリは寝室を出て連絡を取ろうとする。
「あ~……でも、ちょっとやばいかな?」
体が言うことを利いてくれない。力が入らない。ハイアと食事をしていた時はまだ平気だったのに、自分の体はどうしてしまったのだろう?
氷嚢のひんやりする感触に当てられ、レイフォンの意識は次第に沈んでいった。
†††
「最悪だ……」
結局、レイフォンは入院する羽目になってしまった。思ったよりも重病だったらしい。
高熱と大量の汗による脱水症状。点滴を受け、だいぶ回復はしたものの、まだ体がだるい。
レイフォンが倒れて、病院に運ばれてから日が変わり、早朝のこと。都市中に響き渡るサイレンの音でレイフォンは目覚めたのだ。
「汚染獣……いや、この時期だから都市かな?」
緊急の異変を知らせるサイレン。その音の原因を予想したレイフォンはベットから起き上がり、窓から外を見た。外ではレイフォンと同じように、サイレンの音を気にしてかキョロキョロとあたりを見渡す人達が見える。
「なんだ、起きていたのか」
背後から声が聞こえた。振り返ってみると、そこにはすっかりレイフォンの担当医となった学生の医師がおり、カルテの挟まれたボードを手に病室へ入ってきた。
「戦争が始まるんですか?」
「さあな。まだ生徒会から正式な発表がないからわからんが、おそらくはそうだろう。汚染獣との遭遇なんてそれこそ稀だからな」
その稀な事件が立て続けにツェルニを襲ったのだが、医者はそんなことは知らぬとばかりに笑って誤魔化した。
「もしも都市なら、始まるのは昼過ぎくらいですかね?」
「そうだな。もっともお前さんの場合は、ドクターストップで試合には出せないが」
「ははは、面白い冗談ですね」
別に冗談ではない。レイフォンは現在、入院中の身だ。病人を戦場に出すなど正気の沙汰ではない。
「僕が出ないで、ツェルニが勝てるわけないじゃないですか」
「確かにお前さんは強いらしいな。それは認めよう。だが、あまりツェルニの武芸者を甘く見るなよ」
「甘く見るなもなにも、事実だと思うんですけど」
どうにも今のレイフォンは機嫌が悪い。普段ならハイア以外には口にしないであろう毒舌を容赦なく吐いていた。
「前の武芸大会では一勝も出来ず、汚染獣戦じゃ幼生体にすら後れを取る。これで舐めるなという話が無理ですよ」
「今はそうでもないだろう? 前回の汚染獣戦ではそこそこやれたそうだし、この前のマイアスとの試合も勝ったじゃないか」
「ええ、僕がいたからです」
前回の汚染獣戦、つまりはツェルニが暴走していた時、最後に遭遇した雄性体との群れの戦闘だ。ツェルニの学生達は確かに善戦したのだろう。だが次第に劣勢となり、結局はレイフォンが殲滅した。
この間の試合にしても、レイフォンが単身でマイアスに乗り込み、都市旗を奪って勝利した。どれもこれも、レイフォンの戦果だった。
「だから今日も、僕の力で勝つんです」
「ふむ、確かに君の力はたいしたものさ。今まで、私は何度もその力を当てにしてきた」
「義兄さん」
医者に堂々と宣言をするレイフォンだったが、それを制するように訪問者が病室へとやってきた。
その訪問者とはカリアンだった。
「けど、まだ顔が赤いじゃないか。体調が万全じゃないんだろう? なら君は、ゆっくり休んでいるといい」
「え……?」
レイフォンは確かに強力な力を持っている。間違いなくツェルニ最強の武芸者だ。
だがその力を、レイフォンを武芸科に転科させた本人であるカリアンが必要していないと言った。これは何の冗談だと、レイフォンは耳を疑う。
「私もここに来る道中、今のサイレンを聞いたから詳しくは知らないが、この時期だ。まず間違いなく都市の接近だろうね。探査機も都市の進路上に怪しいものは見つけていない」
幼生体に襲われてから、ツェルニは汚染獣対策として都市の進路上に無人探査機を配置している。その探査機も万全ではないが、異常がないというのならやはり汚染獣よりも、都市の接近の方が可能性が高い。
「つまり相手は、ツェルニと同じ学生ということさ。ならば今回、無理して君を出す必要はない」
「でも僕は、このために武芸科に転科したんじゃ……」
「勘違いしないで欲しい、レイフォン君。私は君が必要ないと言ったのではないよ。君はツェルニの貴重な戦力だ。だからこそ、無理をして欲しくないんだ」
汚染獣戦ならレイフォンの力は必須だろう。いや、そうでなくともレイフォンは貴重な戦力だ。だからこそ弱っている時、無理をして戦場に出そうとは思わない。
「なに、ハイア君に君の同郷、クラリーベル君までいるんだ。学生が相手なら、これで十分な戦力だと思うけどね」
「………」
カリアンの言うとおりだ。ハイアとクラリーベル、この二人がいて勝てない都市などグレンダンくらいしか思い浮かばない。
学園都市が相手なら裸足で逃げ出したくなるほどの面子だ。理屈はわかる。カリアンのこの自信も理解できる。
だがレイフォンは、内心では納得いかずに奥歯を噛み締めた。
「ハイアなんて、必要ありませんよ……」
そんなレイフォンが何とか吐き出した言葉は、弱々しくもこんな言葉だった。
「そういえば、君はマイアスの時にもそう言っていたね。その時も言ったけど、今ではツェルニの仲間なんだ。仲良くしてはもらえないかね?」
「……無理ですよ。僕とハイアが手を取り合う姿なんて、想像できそうにありません」
「そうかい?」
カリアンは深々とため息を吐く。確かにレイフォンではないが、二人が協力し合う姿を想像するのは困難だった。
ツェルニ最強の武芸者と、元サリンバン教導傭兵団の団長。この二人が協力し合うことができれば、果たしてどれほどの戦力になるだろう。正直、もったいなかった。
「なんにせよ、今回はのんびり寝ているといいよ。レイフォン君には有事の際、存分に役立ってもらわないと困るからね」
「はい……」
これ以上は反論する言葉が見つからなかった。それに、不本意ではあるが体調も万全ではない。
頭が痛いし、体がだるい。喉も痛い。ここはカリアンの言葉に甘え、療養するのが一番だろう。
納得はいかないものの観念し、レイフォンは大人しくベットに横になった。
†††
「まったく、倒れた時はびっくりしたぞ」
「ごめん……ニーナ」
何の因果か、レイフォンの入院している病院でリーリンも入院していた。
寮で夕食の準備中に倒れたのだ。医者によると、長旅と環境の変化による疲れだという話だ。体に異常はないが、念のために入院を勧められた。
「これから戦争なんだよね? 本当にごめん。こんな忙しい時に」
「何を水臭いことを」
ニーナは笑って見せた。確かに戦争は、ツェルニの命運を握る武芸大会は大事だ。だが、だからといって友人を、同じ寮に住む仲間を蔑ろにする理由など存在しない。
早朝のサイレンから数時間の時が流れ、接近する都市が存在することが判明した。そして距離の目測から、正午には接触するだろうという話だ。
あまり時間はないかもしれないが、まだ数時間の余裕がある。ゆっくりすることはできなくとも、リーリンと少しの間会話をすることは可能だった。
だが、リーリンにとって一番お見舞いに来て欲しいであろう人物は、まだ一度も訪れていない。
「そうそう、レイフォンなんだが……」
「………」
ニーナの口から、その人物の名が漏れる。
リーリンがお見舞いに来て欲しい相手。だけど、それと動じに、今は一番合いたくない人の名前。
「あいつも倒れたそうだ。どうやら風邪らしい。まったく、この大切な時に」
「え……」
それを聞いて、リーリンは間の抜けたような顔をした。それではレイフォンも見舞いにこれないはずだ。
自分が倒れたのに、幼馴染が見舞いにも来ない冷血漢ではないことに安堵しつつ、リーリンは苦笑いを浮かべた。
「あのレイフォンが風邪? なんとかは風邪引かないって、嘘だったのね」
「酷いな」
「いや、でも、レイフォンって本当に馬鹿なのよ。ツェルニに受かったのだって、私が毎日勉強を見てあげたからなんだから」
「そうなのか。ああ、そういえば……」
レイフォンは、この間行われていたテストでは見事に赤点を取っていた気がする。
けれど本人は、フェリの卒業時にはツェルニを退学する気満々なので、一切気にしていなかった。留年しようが関係ないということで、補習すらサボっていた。
これは、学生の模範となるべき存在である小隊からすれば非常によろしくないことだ。小隊員とはいえ本分は学生。文武両道を目指すニーナからすれば、頭を抱える悩みどころだった。
「まったく、あいつはいったい、何をしにツェルニに来たんだか」
最初は失敗した、武芸以外の道を探すためだと言っていた。だけど、今のレイフォンに武芸の迷いはない。武芸者として歩むことを決めたレイフォンは、果たしてこれからツェルニで何を学んで行くのだろう?
レイフォンの実力は間違いなくツェルニ最強。だから未熟者の集うツェルニでは、レイフォンが武芸者として学べることはないと言っても過言ではなかった。ならばレイフォンは、いったい何を学ぶべきなのだろう?
「さて、そろそろ私は行くとしよう。今回はレイフォンとフェリが参加できないから、気を引き締めなくてはな」
思考にふけっていたニーナだが、もう時間の余裕もなくなってきた。
小隊員は集合し、作戦会議や、戦闘の準備が行われるはずだ。
「では、またな、リーリン」
「うん、がんばってね、ニーナ」
「ああ」
病室を出て行くニーナを見送り、リーリンはそっとため息を吐いた。
ベットに座ったまま、窓の方に視線を向ける。そして誰に聞かれることもなく、ポツリともらした。
「こんな気持ちになるんだったら、レイフォンがツェルニに行くのをもっと強く、反対すればよかったなぁ……」
わかっている。この言葉はリーリンの我侭だ。レイフォンはグレンダンを出なければならない立場だったし、一市民であるリーリンにそれを止める術はない。
けれど、幼馴染なのだ。家族のように育ってきた孤児院の仲間だった。そして……リーリンの初恋の相手でもある。
「なんで、私に相談してくれなかったんだろう?」
だから、相談して欲しかった。力になりたかった。
闇試合のことも、ガハルドに脅迫されたことも、リーリンに相談すればもっとうまく解決できたかもしれない。最悪、天剣を剥奪されることになろうと、グレンダンから追い出されることはなかったはずだ。それでいい。それでレイフォンと一緒にいられたはずなのに。
そもそも、金策の仕方が悪かった。天剣授受者というグレンダンでも高位の称号を持っていたレイフォンなら、もっとうまい方法が取れたのではないかと思ってしまう。
レイフォン一人なら無理だろう。何せ馬鹿だから。けれど、リーリンに相談してくれたなら可能だったはずだ。レイフォン一人より、ずっといい結果が出せたはずだ。
もしも、過去をやり直せるのだとしたらやり直したい。絶対にできないことだが、そう思わずにはいられなかった。
「レイフォンのバカ……」
その考えは、レイフォンとは決して相容れない。レイフォンはリーリンとは真逆のことを思っている。
それを理解しているのかしていないのか、リーリンは小さくつぶやいた。ここにいない幼馴染に向け、精一杯の悪態を吐く。
「本当にバカなんだから……バカレイフォン」
彼女の瞳には、涙が滲んでいた……
†††
「ねえねえ、アルト君。おかしいよね」
「ああ、グレンダンの足の先が変わってない。この間の汚染獣を追ってんのか?」
ここはグレンダン。天剣授受者の弟子である二名が、都市の異変について話し合っていた。
リヴァース・イージナス・エルメンの弟子、ランカ・ディスと、カウンティア・ヴァルモン・ファーネスの弟子、アルト・グロータス。二人は師同様、コンビを組んで戦う武芸者であり、恋人同士だった。
「この間の汚染獣って、師匠達から逃げたのだよね。名前は何にしようかって、王宮の人達が話してたよ」
先日、二人の師であるリヴァースとカウンティアが汚染獣と戦闘をした。しかも相手は老生体。通常の都市なら崩壊、最低でも半壊は覚悟しないと勝てない相手。だがここはグレンダンであり、グレンダンが誇る天剣授受者二名が出撃したのだ。見事追い払い、汚染獣は撤退した。
そう、逃げ出したのだ。リヴァースとカウンティアは汚染獣を狩りきれず、逃がしてしまった。グレンダンでは天剣授受者との戦闘で生き延びた汚染獣には名前を付ける風習があり、今回逃げた汚染獣にはどんな名前を付けようかと王宮で話し合われていた。
この名前付きの汚染獣、通称名付きは協力無比な力を持っている。五年前にグレンダンを襲った名付き、ベヒモトはリンテンスとサヴァリス、当時天剣授受者になったばかりのレイフォン、計三名で三日三晩戦い通した末に討ち果たしたという話だ。もしも自分達が相対すれば、塵すら残らないかもしれない。
「あの時は討ちもらしたからって、俺のとこの師匠が大暴れで大変だったよ」
「うん、その話しなら私も聞いたよ。でも私の師匠が、慰めたんだよね」
「そうそう、本当にあの人の手綱を握れるのは、リヴァースさんだけだよ……って、話がそれたな。グレンダンの進路が変わらないって話だったよな」
汚染獣を逆に襲うように移動しているグレンダンは、世間では狂った都市などと呼ばれている。けれど、保有しているセルニウム鉱山を中心として、ある程度の決まった法則での移動をしていた。これは自立型移動都市(レギオス)の基本なのだ。だがその根本を、グレンダンは無視している。
いかに狂った都市などと呼ばれても、これは明らかにおかしい。
「何か、良くないことの前兆かな?」
「良くないことって?」
「わからない……けど、そんな予感がするの」
「ランカは心配性だな」
あるとは笑う。彼女の言う、良くないことが理解できないからだ。
汚染獣が攻めてきても、ここには天剣授受者がいる。女王がいる。例え老生体が相手だろうと、またたくまに殲滅されるだろう。
ならば戦争か? 今年は二年に一度の戦争の都市だ。だが、グレンダンに勝てる都市など存在するのだろうか? この都市以上の戦力を保有する都市が、早々存在するはずがない。
グレンダンは最強だ。アルト・グロータスはそのことを微塵も疑っていなかった。
確かにグレンダンは最強だ。この都市以上の戦力を有する都市はまず存在しないだろう。けれどランカの言う良くないことは確実に、少しずつ近づいていた。
汚染獣を追いかけるグレンダン。その遥か先にあるツェルニに向かうこの都市には、想像を絶する出来事が待ち受けていた。
あとがき
フォンフォン一直線、更新です。前回の更新でイチカをやるとか言っていましたが、筆のノリでこちらを書いてしまいました。
いや、一応、現在イチカの方も半分はできているんですけどね……どうにもそちらの方が、うまく進まないんですよ。早く更新したいんですけどね……
それから今回、最後の方になりますが、リヴァースとカウンティアの弟子、二名のオリキャラを出しました。
忘れている方もいるかもしれませんが、これは前に短編で書いた天剣授受者の弟子達のキャラです。今現在、チラシの裏にあります。
この弟子達と強化されたレオの戦いが……いや、書いてる自分は楽しいんですが、物語が複雑化しそうでちょっと怖いです。
それとお気づきかもしれませんが、この二人の弟子キャラの名前元はマクロスです。十名近く名前考えるのが大変だったので、何名かは元ネタがあるんですよ。そんなわけで、その元ネタをご想像していただくのも面白いかもしれません。
そういえば前回の9巻分開始から、この作品は第二部ということになるんですよね。
第一部、レイフォンとフェリが結婚して完結。それから9巻が始まるまでは間章としまして、前回から第二部です。
そのあたり書いとくの忘れてましたから、修正してきます(汗