石津。
報告をする為に関所へと戻った間諜は、翌日には何事もなかったかの様に、再び人間に化身して普段通りに屋台を出していた。但し今回は、急報を送る為に八咫鏡の持ち出しを許されている。
これまでの経緯は全て間諜にも知らされ、行方知れずの娘の人相書きも見せられた。石津で見かけた場合は庇護する様にとの通達も受けている。
例によって、仕事を再開できずに暇を持て余している常連の馬丁が、上機嫌な様子で訪れた。
「おう、姉ちゃん。お蔭さんで一応、仕事をまた始める目途が立ってよ! まずは祝いの一杯をくれや!」
「はいよ」
間諜は銭を受け取ると、いつもの様に柄杓(ひしゃく)で木椀に濁醪(どぶろく)を注いで差し出す。
馬丁は喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
「かーっ、うめえ!」
「仕事に目途がついたって言うけどさ。逃散した村に、他所の樵(きこり)が移り住むって話が決まったのかい?」
「ああ。代官所から座に話があったみてえでよ」
「あっちこっちからかき集めたのかねえ」
「いんや。それが全部、同じ村からなんだわ。余ってる次男坊、三男坊が大勢いたってえから、とんとん拍子に話が決まったみてえでよ」
「へえ、よく間引かずに養えたねえ」
「村で冷や飯食いをしてる訳じゃねえよ。外へ出稼ぎに出す為に生かしてんだ。親が奉公先から受け取った前貸し銭で縛られて、年期が空けても長男坊に何かあった時でもなきゃ村へは戻れねえ。それを、お代官様に声をかけられたってんで、急いで呼び戻したみてえだな」
「前貸し銭はどうしたんだい?」
「多分、税に上乗せして返すって事で、代官所が立て替えたんじゃねえのかな。材木の切り出しを早く始めてえって焦ってた節もあるからよ。俺等の様な馬丁にしても、いつまでもこのままじゃあ困るしなあ」
「なるほどねえ」
相槌を打ちながらも、間諜は疑問を持った。
通常であれば、逃散した村への入植を募る場合、あちこちの村へ割り当てを決めるだろう。何しろ好条件の”居抜き”である。広く声かけしなくては後々の不満につながりかねない。
あえて一つの村からのみ入植を拙速に受け入れるという事は、代官とのつながりが深い村という事だろうか。あるいは……
「その衆が、あんたの出入りしてた村に入るのはいつ頃だい?」
「明明後日(しあさって)ってこったな」
さらに二杯程の濁醪(どぶろく)を呑み干して馬丁が帰って行くと、間諜は屋台の内側に隠してある八咫鏡を使い、周囲に聞かれぬ様に声を出さず、かすかな唇の動きで桑名へ報告を入れた。
(常連の男には悪いが、既に多くの血が流れた上は、恐らくこの件……)
* * *
童の母とおぼしき人狼が捕らわれていたと見られる、牢獄のある岩場。
阿瑪拉(アマラ)は山中で捜索に当たっていた九隊の人狼兵の内、八咫鏡による通信で一隊をここへ呼び寄せていた。
およそ一刻の後に彼等が到着すると、阿瑪拉(アマラ)は周囲の確保と警護を任せ、自らは和修吉(ヴァースキ)や童、そして直轄の隊と共に、事の発端である童の村を調べるべく向かった。
村へ着いた後に阿瑪拉(アマラ)達がまず目指したのは、狼が祀られている祠である。
寒村の物らしく、祠は粗末で小さな物だ。ただ、掃除や手入れは欠かさず行き届いていた様で、村人の祭神への信心や畏怖が解る。
それでいて童を色子として寺へ売ろうとしたのは、祭神の申し子とは本気で考えていなかったのであろう。
童は何とも言えない複雑な顔つきで、無言のまま祠を見つめていた。
「お主の母御が埋められたのは、どの辺りですかな」
阿瑪拉(アマラ)に声をかけられて童は我に返ると、祠の傍らに生えている、しめ縄が結ばれた杉の巨木を示した。
「御遣い様が…… 本当のおっ母さんが葬られたのは、この御神木の根元って聞いてます」
「遺骨を調べたい。掘り返して良いか?」
和修吉(ヴァースキ)の問いに童が無言で小さく頷くと、随伴していた二体の龍牙兵が指示を受け、調査の為に用意してあった鍬で御神木の根元を掘り返し始めた。
「急がずとも良い。遺骨を傷つけぬ様、慎重にやれ」
和修吉(ヴァースキ)の命令通りに、龍牙兵は静かに鍬を振り続ける。やがて二尺 ※約六十cm 程掘った処で、骨らしい物が姿を現した。
龍牙兵達は鍬を置き、一体が素手で土を払いのけ、もう一体が骨を拾い集めて地面に敷かれた布の上に置いていく。
無造作に置かれた骨は、和修吉(ヴァースキ)の手によって、獣の形に並べ直されていく。
その間に阿瑪拉(アマラ)は、手を使う為に人型へと化身する。衣がないので全裸のままだが、周囲には身内ばかりなので全く気にしていない。
「紗麗(サリー)は用意しておきたまえよ」
「街中や改まった場と言う訳でなし、面倒なんですわ」
和修吉(ヴァースキ)が窘めても、阿瑪拉(アマラ)は全く意に介する様子がない。
人狼に限らず白虎等、知性を持つ獣形の種族、即ち”霊獣”は、裸体に全く無頓着なのである。人型に化身した際に衣を身につけるのは、あくまで身だしなみに過ぎないのだ。
阿瑪拉(アマラ)は祠の扉を開け、中を探ると、一冊の書物らしき物を取り出した。
「この祠の由来とか、書いてあるみたいですわ。まあ、読んでみますで」
和修吉(ヴァースキ)が骨を並べ直して検分している間、阿瑪拉(アマラ)は書物の内容に目を通していた。
人狼兵達は周囲に目を配って警戒し、童の方は、和修吉(ヴァースキ)の作業の方を中止している。
「おおよそこの位か」
およそ一刻 ※二時間 の作業の末に、布の上には、牛程の巨体の狼の骨格が並んでいた。
「これが、俺の…… おっ母さん……」
「うむ。骨を並べながら法術で検分したが、ほぼ確実にお前の御母堂であろう」
和修吉(ヴァースキ)は答えると共に、遺骨に合掌で礼を表す。書物を読み終えていた阿瑪拉(アマラ)も、人型の裸体では無礼であると考えて獣形へ戻り、頭を垂れて黙礼した。人狼兵達と童もそれに倣う。
死者への追悼を終えると、和修吉(ヴァースキ)は童へと向き直る。
「骨の様子から、御母堂の最期の様子がある程度解った」
「ほ、本当ですか?」
「うむ。死因だが、大勢に袋叩きにあった様だな。骨のあちらこちらに、砕けたり罅(ひび)が入っておる。殴打による物であろう」
「おっ母さん、誰かに襲われて、俺を連れてここまで逃げて来たのか……」
和修吉(ヴァースキ)の説明を聞き、童の胸に痛みが走る。
だが、阿瑪拉(アマラ)はその解釈に異を唱えた。
「書物に書かれとる事によると、ちと違う様ですわな」
「何が書かれていたんですか?」
「要は、祠の由来が書かれておるんですけどな。十三年前の事ですわ。飢えて弱った様子の白くて大きな狼が、人間の赤子と一緒に祠の前で横たわっておったのを、組頭、つまりお主の養い親が見つけたそうですわ。んで組頭は、村の若い衆を連れて来て、弱っている内にと狼を皆で打ち殺したと」
「そ、それじゃあ、本当のおっ母さんは、俺を養ってくれたお父っつあんや村の衆に殺された!?」
「そういう事ですわな」
驚いて聞き返す童に、阿瑪拉(アマラ)はきっぱりと認めた。
「え、だって、この村では狼は神さんなのに……」
「そもそも、この村で狼が祀られておるのは”祟り神”としての様ですわな」
「祟り神……」
祟り神とは、人に災いなす存在を封じ、神として祭り上げた物である。
「随分と大昔、村を襲う人食い狼を、偉い仏法僧の法力であの岩場に封じたっちゅう事ですわ。そんで、祟らない様に拝む為にこの祠を建てたんですわな。それが封印を破って抜け出たとなりゃ、弱っておる内にとどめを刺したんも仕方ないですわ」
「し、仕方ないって、阿瑪拉(アマラ)師は納得出来るのですか?」
「食うか食われるかですもんなあ」
淡々と話す阿瑪拉(アマラ)の口調に疑問を抱いた童は思わず聞き返したが、返ってきた答えは、割り切った物だった。
「人を食らうは神属の宿業。そして人もまた、黙って食われる道理はない。故に、この事で村人を恨んではならぬ」
和修吉(ヴァースキ)は、村人を生母の仇として考えてはならないと童を諭した。人間と共存しようと考えているからこそ言える事である。
「人狼なら、人間を蹴散らす事など簡単だったろうに…… おっ母さん、ここにたどり着くまでに、何で弱っておったんだろう…… 」
「これはあくまで推察だが、石化が溶けて牢獄から抜け出た物の、お前を産み落とした事で力を使い果たしていたのであろうな。この村に来たのは、お前を託すつもりだったか、何とか村人を食らって力を取り戻すつもりだったのであろう。今となってはどちらかは解らぬが」
自分を封印した村に頼る筈がない。きっと報復を兼ねて村人を食うつもりだったのだろうと和修吉(ヴァースキ)は考えていたが、それを言えば酷に過ぎると思い、あえて今一つの仮説を併せて童に示した。
「じゃ、そんな人食い狼が連れてきた俺を、どうして養ってくれたんだろう……」
「本によると、狼が食う為にどこぞから浚って来たと思った様ですわな。人食い狼の子と考えておったら、お主はきっと”返されて”おりましたで」
「そうですね……」
自分の出自を巡る重い事情を突きつけられた童は、それを耐えて受け止めた。
自分一人の為に、生母、養親、そして村人の悉くが命を落としてしまった。なればこそ、ここで逃げてはならないと思ったのである。