若衆と計都は屋敷を出て、前に広がる港を見渡した。
元々、海賊が使っていた軍港なだけに埠頭は広い。
何隻もの戎克が接岸し、羅刹の手によって荷の積み卸し作業が行われており、沖合に投錨している船も多い。
屋敷の近隣には倉が建ち並び、降ろされた荷が運び込まれている。
荷はいずれも梵字で細かい区分が書き込まれた樽や木箱で、羅刹はそれを軽々と担いでいた。
若衆は、港で働いているのが羅刹ばかりである事に着目した。
操船はともかく、船荷の上げ下ろしの様な単純な力仕事なら、伊勢の民から雇うなり賦役を申しつけるなりすれば済む筈だ。
わざわざ龍神の手勢である羅刹のみを使うという事は、離島という場所と考え合わせると、ここで行われている事はよほど信のおける者の他には見せたくないのだろうと、若衆は推測した。
(それを私に見せるという事は、私がここで行われている事によほど必要なのだろう。”無理強いする気はない”と言ってはいたが……)
計都は倉の一つに若衆を招き入れた。
倉の中には巨大な棚があり、運び込まれた樽や木箱はそこに上げられている。
計都は中で働く羅刹に命じ、樽の一つを開けさせた。
「さあ、ご覧なさいな」
開封された樽を若衆が覗き込むと、中に入っていたのは、膝を抱きかかえて座っている、裸身の若い女をかたどった石像だった。
だが若衆は、これが石像ではない事を知っていた。
「これは!」
「見ての通り、法術で石にした人間ですわ。貴方も、仕置場に引き出されるまでこうなっていたのですわよ」
「ええ。元に戻されるまで、飢えず、歳も取らずにそのまま眠り続けるそうですが」
「”眠る”というより、”時を止める”と言うべきですわね」
「この人達は私と同じ神宮の虜囚……いや……違いますね……」
「何故かしら?」
「顔立ちが和国の民と異なるのですよ。お屋敷にいた、天竺の民に近いのです」
「よく見ていますわね。その通りですわ。これは国元から運び込みましたの。でもこれは、人間ですけれども、民ではなく畜生ですの」
「咎人か虜囚なのですか?」
龍神が定めた新たな伊勢の法では、咎人や虜囚は畜生とみなす旨が定められている。
だが、計都は若衆の問いを否定した。
「いいえ。これは、”生まれながらに”畜生ですの」
「賤民、お国で言う旃陀羅ですか?」
「賤民と言えども”民”の内ですわ。それに、その様な旧弊を改める為の実践の地として、小生達は伊勢を欲しましたのよ」
「どういう事でしょう?」
若衆は困惑した。
奴婢や賤民を廃し、貶められる民をなくそうという方針なら、生まれながらに畜生として扱われる人間の存在は矛盾と言う他ない。
「これは、種としては確かに人間ですけれども、民たり得る要件を備えずに生まれて来ましたの」
「な、何ですか、それは」
「人間も神属も、等しく持っている筈の物ですわ。勿論、小生にも貴方にもありますわよ」
若衆は、人間と神属の差異と共通点について考えてみた。
まず、姿形が異なる。比較的人間に近い夜叉でも角や牙があるし、阿修羅は六本腕だ。
寿命も、人間は長寿の者でもせいぜい百年だが、神属は千年生きるという。
法術なる力も、基本的には神属のみが使える物だ。陰陽師や行者の類にはそういった力を行使出来る者もいるが、希な資質に恵まれた例外的な存在である。
また、神属は人間を贄としなければ生きられないというが、人間は同族たる人間を食べる必要がない。
差異はいくつか頭に浮かんだが、共通点については全く無いように思えた。
「私には見当もつきません……」
「あらあら、貴方ならすぐに解ると思いましたのに」
悩んだ顔で答える若衆に、計都は肩をすくめた。課題に悩む学徒を見守る師の顔である。
「”新しき世”で那伽摩訶羅闍(ナーガマハラジャ)の臣民として遇するに値しないのは、どういう者かしら?」
(咎人だろうか? いや、罪を犯した故に咎人とされるのだから、生まれながらの条件ではない。 血筋? 賤民を廃する方針ならそれでもない……)
再び考え続ける若衆を、計都は愉しげに眺めている。
しばらく考えた後、若衆は計都の言葉にあった”智恵ある”という点に思い至った。
人間も神属も、言葉を解するという点は変わらない。
だが中には、それが出来ない者も生まれてくるのだ。
「つまり、新しき世で共に暮らす民は、どの種族かではなく、智恵の有無で分けられると……」
「さあ、そこから導き出される答えを言ってご覧なさいな」
「……この人は、いわゆる”白痴”なのですね……」
「その通りですわ」
若衆が恐る恐る発した推測を、計都はにこやかに認めた。
出した課題に対し正しい答えを導き出した事に、満足した様子である。
「言葉を解さず、犬や猫程の智恵もありませんわ。自然に生まれ出る白痴同士を何代も掛け合わせて、確実に子孫が白痴となる様にしましたの」
「何故ですか? 何故そんな惨たらしい事を!」
「主には贄とする為ですわ。他にも、法術や薬物を試したりという使い途もありますけれどもね」
「……」
淡々と答える計都に、若衆は絶句した。
和国でも、白痴は働き手にならない穀潰しとして”返して”しまう。つまりは人間として生きるに値しないと考えられている点では変わらない。
だが、食用として意図的に白痴を生み出すと聞けば、驚愕する他なかった。
「神属は人間を贄にしなければ生きられませんの。でも咎人や敵兵を食せば良いとは言う物の、数には限りがありますものね。自然に生まれ出る白痴を加えても足りなければ、殖やすしかありませんもの」
若衆にも、計都の考え方が理屈として正しい事は解る。
咎人や敵兵だけでは贄が賄えなくなっても、白痴を家畜として繁殖させれば、普通の人間に人身御供を差し出させる必要はない。
神属と人間の共存策としては有効である。
「小生達は、人間の皆様と共に手を取り合って暮らしていきたいのですわ。でなければ、こんな手の込んだ事はしませんもの」
「それは、解ります……」
微笑みながら語る計都の言葉を、若衆は認める他なかった。