若衆と白虎が母子の契りを交わし、幻灯を通じて計都を初めとする一門がその様子を観察している頃。
桑名では頭目の召集により、一揆衆の評議が開かれていた。
一揆衆が民の代表として御政道を話し合う場として設立された会合で、伊勢にある農村の庄屋、漁村の網元、商工業者の座長といった者達に参加の権利がある。
ここで取りまとめられた意見が那伽摩訶羅闍に上奏され、裁可を経て実施されるのだ。
議題は、先の庄屋捕縛に至った経緯の説明と、妻子もろともの死罪という龍神の裁きに対する賛否である。
頭目は、伊勢の新体制が始まったばかりのこの時期に、一揆衆の幹部たる庄屋の内から粛清者を出せば、伊勢の民が萎縮してしまうのではないかと懸念していた。
また、先に赦免した若衆の”身代わり”と解釈されてしまうのも不味い。経緯はどうあれ、神宮に属する者を救う為に一揆衆の庄屋が死罪を受けたとあっては、龍神が命の軽重を取り違えているとも曲解されかねない。
那伽摩訶羅闍が直に申し渡した死罪と言えども、頭目が異を唱えれば、評議に掛けずとも覆す事は可能である。弗栗多が庄屋をその場で処断しなかった以上、再考の余地は残されているのだ。
だが、安易な慈悲を掛ければ、弗栗多による処断が軽挙であったと伊勢の民に映りかねない。一度断罪した者を免罪するには相応の名目が必要と言う事も、頭目は承知している。
そして、庄屋の偽証を一罰百戒の好機とした弗栗多の考えも否定出来なかった。
判断に迷った頭目は、評議に掛ける事で民意を問い、件の庄屋一家に対して、慈悲を掛けるなにがしかの理由が出て来る事を期待したのだ。
しかし、集った一揆衆の面々から出る言葉は、頭目にとって芳しくない物ばかりであった。
「あ奴の首を刎ねるっちゅうんなら、結構な事じゃ!」
「虎の巫女さんの餌になってしまえ!」
「そも、あの村の寝返りを受けたんが間違いじゃあ!」
挙がる言葉は死罪に賛同する物ばかりで、擁護の声は聞こえてこない。
問題となっている庄屋の村は、若衆を養子(真実は宮司の落胤なのだが)に差し出して以後、貢納の軽減等で優遇されており、飢饉にあっても餓死者までは出していなかった。
その為に神宮側と見なされて襲撃に遭いかけていたのだが、一揆衆へ加わる事で難を逃れたという経緯がある。
寝返りを受け入れず、神宮もろともに討ち滅ぼせという強硬な意見も出ていたのだが、あくまで少数派だった。同じ民草同士で血を流したくない、神宮との戦に集中すべきという穏健な意見が大勢を占めた為に、一揆衆は彼等の合流を認めたのである。
龍神の来訪はその直後であり、頭目がその地位に就いたのは、弗栗多が加護を与える条件の一つとしてである。故に弗栗多や頭目は、寝返りの受け入れに関与していない。
その為、補陀洛は件の村を他村と同じ様に「一揆衆の一員」として扱っていた。
頭目も、今回の評議に際してその経緯は把握しているので、声の大きい強硬派が死罪に賛意を示す事については予測していた。
しかし、大多数と思われる穏健派が全く声を挙げないのはどういう事かと、頭目は訝しんだ。
そんな中で、遠慮がちに声を挙げた者がいた。彼は網元の一人、つまり漁民であり、件の村とは接点が殆ど無い。
「お頭、龍神様の御機嫌を損ねたら、儂等にも咎めがあるんじゃないですかのう?」
(やはり、宮司の子に助命嘆願を出した事が、母上の勘気に障ったが為の死罪と思われているか)
「それはありませんよ。弗栗多の夫たる私が保証します」
「しかしのう……」
頭目は神属に対しては皇配として接するが、伊勢の人間、特に年配者には丁寧な言葉遣いを心がけている。若輩の余所者という事で配慮している為だ。
この時も頭目は穏やかに告げたが、なおも網元はためらいを持っている様である。
頭目が集った者達を見渡すと、大方の者は網元同様に伏し目がちで、死罪を声高く主張する一部の者ばかりが堂々としている。
頭目はそれを見て溜息をつくと、居並ぶ一揆衆を前に厳しく告げる。
「弗栗多はむしろ、いちいち顔色をうかがい、正しいと思った事を言わずに口をつぐんでしまう相手を忌むのです。一介の民草ならば萎縮するのも仕方ありません。しかし、ここに集う皆様方は、村や座を束ねる立場です。それをお忘れなき様」
丁寧ながらも口調と表情が一変して氷の様に冷たくなった頭目に、一揆衆は驚いて目を見はる。
(黙っておっても、持ち上げても頭目さんは怒りよるんかい……)
(腹割って話さんもんは認めんっちゅうこっちゃろうか……)
「思った事をよう言わん腑抜けはいらん、そういう事ですかいのう、頭目!」
「その通りです。まして今回は、人の命が掛かった話です。賛否いずれの方も、どうか忌憚ない御意見を願います」
死罪に賛意を示している庄屋の一人が放った言葉に頭目は頷き、一同は唾を飲み込んだ。
一揆衆が引き締まったのを見て、頭目は元の柔らかで儚げな顔に戻る。
「事前に告示した事ですが、誤解無き様に改めて申し上げます。件の者は、宮司の養子となった我が子の助命を願い出た事によって勘気を被ったり、身代わりとして死罪を申し渡された訳ではないのです。あくまで、弗栗多による詮議に際し、偽りを申し立てた事が咎という訳です」
「ほんま……ですかいのう?」
「それが証拠に、仕置場に駆けつけた、件の庄屋の義弟、宮司の養子から見れば実の叔父にあたる方は一切のお咎めなしです。それどころか弗栗多は彼を褒め称え、新たな荘園を開拓する為の普請役として取り立てました」
頭目による説明の言葉にも、大半の者は半信半疑という様子だったが、庄屋の義弟に対する処遇を聞き、警戒していた者達もようやく安心した。
「龍神様の家臣になったっちゅう事ですかい」
「はい。家督を返して次代の庄屋にと思いましたが、固辞されましたので。代わりの職という事です」
「そんなら、えかったのう」
「先代さんの倅は立派でしたからのう」
若衆の叔父にあたる百姓は、他村からも評判が良かったらしく、その無事を皆、口々に喜んでいた。
「家督を義理の兄貴になった入り婿に奪われても、文句一つ言わずに家を出なすった。今度の事でも、赤ん坊の時に別れたきりの甥っ子を助ける為に、必死で走りよったしのう。先代さんも何で、あんなええ倅を外に出して婿に跡を取らせたんじゃろうか」
「家中の事は色々ありますからね…… 先代の方とは不仲だったのかも知れませんし」
頭目は事の真相を知らされているが、それを言う訳にも行かずに口を濁した。
「さて皆様。改めて問いますが、弗栗多が申し渡した庄屋一家の死罪につき、御意見のある方はいませんか」
「儂等、先代さんの倅が連座に含まれるんじゃないかと思っておったんですわ」
「そうですだ。それだけが心配事だったんじゃが」
頭目の呼びかけに、先程まで沈黙を守っていた、穏健派とおぼしき者達の一人が声を挙げた。それをきっかけとして、穏健派からは、若衆の叔父の処遇を案じていたとの声が次々と出た。
「先程申しました通り、かの人の心配は無用です。荘園の開墾を無事やり遂げれば、さらなる栄達も見込めるでしょう」
改めて、若衆の叔父が厚遇を受けていると頭目が告げると、穏健派の者達からは安堵の声が出た。しかしそれには、頭目の期待に反するの意味が含まれていた。
「そんなら、まあええですわ」
「せやなあ。一件落着っちゅう事で」
穏健派の発言に、頭目は落胆しつつも確認した。
「つまり、慎重に考えていた皆様も、義弟の方の連座がなければ、件の庄屋の死罪について異議を唱えないという事ですか?」
「へい。一揆の時も、村の百姓連中をどうこうするのは嫌じゃったから、寝返りを受けたんじゃけれども。あんなもんの事は助けとうなかったですわ」
「あんなもんがおらなくなれば、伊勢はもっとすっきりしますだよ」
「頭目さんはお優しいけれども、あれに情けなんぞかけんで下され」
どうやら、件の庄屋本人は、穏健な者達からも憎まれていた様である。
穏健な者達も、単に巻き添えを出したくなかっただけで、当人の死罪については望むところらしい。
「随分とまた嫌っている様ですが、何かあったのですか? 命を奪うまでもなく改めさせる事が出来るのであればその様にはからいますし。それで溜飲が下がらぬのであれば、全くの放免ではなく何らかの罰を与えてけじめとする事も出来ますが」
穏便な解決を考えている頭目が再考を促すと、場の中で最も老いていると思しき一人の庄屋が答えた。
「先代さんと、あれの嫁になった娘さんが相次いでぽっくり逝った後で、あっさり後妻を迎えましたじゃろ。なんぞ、あれに都合が良すぎるんじゃないかっちゅうて、噂になっとったんですわ」
「謀殺というのですか?」
「あくまで噂なんじゃけれども……」
「噂で人の生き死にを左右してはいけませんよ」
もし件の庄屋が、先代と先妻を手に掛けていたというのであれば、赦免どころの話ではないが、噂に留まっている話だ。
先代の急死によって庄屋の跡目を継いだ入り婿に対する妬みや、本来後を継ぐ筈だった、若衆の叔父に対する同情から生じた周囲の疑念が、その様な噂の元となり、件の庄屋の評価を引き下げているのかも知れないと、頭目は思った。
疑念が晴れれば、赦免の道も開けるだろう。
或いは噂が真実というならば、頭目としても仕置を躊躇う理由はもはや無い。妻子の連座をどうするかという問題は残るが、少なくとも当人は死罪の他あり得まい。
「つまらん事を話しましたかのう」
「いえ、そういうお話を聞きたかったのです」
頭目が手元にある鈴を鳴らすと襖が開き、控えていた巫女姿の侍女が現れた。
背からは大きな翼を生やし、鳥の足という姿だ。
乾闥婆(ガンダルヴァ)と呼ばれる有翼の神属である。
「御夫君様、お呼びでしょうか」
「捕縛してある件の庄屋一家に対し、改めて詮議したい事がある。獄舎へ伝え、手筈を整えよ」
「畏まりました」
「な、何もそこまでせんでも……」
「そうですじゃ、たかが噂ですからのう」
「こういう事は真偽をはっきりさせねばなりません」
神属を呼びつけて再度の詮議を命じる頭目に、一揆衆達は狼狽えた。
しかし、彼はきっぱりと決意を告げる。
「その、龍神様のお遣いに、そげな事をお願いしちゃならねえですだ!」
「私は弗栗多の夫、補陀洛皇国の皇配。妻の臣は私の臣でもあります。即ちこれは”お願い”ではなく”主命”なのです。何の遠慮がありましょうか?」
「御夫君様の仰る通りです。それにここにお集まりの皆様方は、各々の村や職にて民を束ねる役を担っておられます。私共神属に引け目など見せず、もっと堂々となさいませ」
乾闥婆の巫女は一揆衆の態度を窘めた上で恭しく合掌し、表に出ると主命を果たすべく空へ舞い上がった。