1935年5月 地中海上公海『ロイテの皆様、潜水艦サン・ミケーレ号へようこそ……当艦は予定より1時間遅れでラ・スペルバ港を出港、無害通航海域を通過して翌日17時ごろアル=サーリーフに到着予定でございます。なお、同海域の外で敵の哨戒に遭遇した場合、急速潜航で回避する手筈となっておりますので、自由時間以外はなるべく所定の位置でお待ちいただくようお願いします。盟友の道中の安全とご武運を祈って、エトラール王立海軍大尉ジュゼッペ・オステッロよりお送りしました。それでは、よい旅を(Buon viaggio……)』―― 1935年2月、ラウレンティア大陸で政変が起こった。南端のカストリア連合王国で新たに成立した共和政権に反旗を翻したチェルターノ将軍とその一派が政権転覆を企て、対岸イフリート大陸にあるカストリア領アル=サーリーフで挙兵した。反乱軍は瞬く間に勢力を拡大し、本土を二分する形で政権と抗争を繰り広げていた。 それだけでは単なる内戦で済んでいたのだが、そこに各国が介入したことで情勢が複雑化した。政権側にケルターニュ共和国とサヴェート連邦が、反乱側にロイテ共和国とエトラール王国がそれぞれ手を貸したことが発端である。お互い建前は否定していたが、前者はラウレンティアの勢力均衡を保つため、後者は仮想敵のケルターニュを封じ込めるために行動に移り、その他世界各地から各々の理由を持った人間が押し寄せていたが、その中にナタリエもいた。 ヘレネシアからの帰国後、彼女はラウラから直接聞かされた話から、探りに来たのがやはりミューニヒで相対した保安隊のナータン・ケンプフェルトとヴィルヘルム・シュピーラーであることを確信した。何故彼らがわざわざベーアヴァルトまで来て、しかもよりによってラウラに突き当たったのかということに理解が追いつかなかったが、どのみち彼らと遭遇しないに越したことはない、というのが彼女とラウラで一致した見解だった。以来その年の間はほとんど大きな行動を取ることはなかったが、翌年になってヴェーアがカストリアへ出兵することが決まった時、 ラウラが一計を案じて彼女を名簿に書き加えたのである。かくして、反乱軍の基地があるアル=サーリーフまで潜水艦で向かうナタリエと、彼女の他にFoLVからモニカ・ケッヒェルとエミー・ヴェンツェルがお目付役として同行していた。とはいえ全員とも、これからどんな場所で何をするのがということにはほとんど無頓着であったし、把握しきれていなかった。『にしても狭いな……これ、三人分のスペース?』 ベッドは三段、膝を曲げないとまともに寝付けない程度の長さで、それぞれすでに私物で埋め尽くされていた。『やー、酷いねこりゃ。どうする?片付ける?』『エミ、お前の荷物が一番多いだろ』『はいはーい、まあ一日くらい我慢しますよっと』 そういってエミーはただベッドの端に自分の荷物を押しのけただけで済ませてしまった。 船内には窓がなければ艦内の照明も勝手に弄ることができない始末、和気藹々と話し続けることが唯一の愉しみになっていた。ふとナタリエは気付く。『ところで、一緒に行くのって女子ばっかりじゃないですか。この船だけじゃなくて、2陣3陣もそうなんでしょう?なんか変じゃありません?』 周りを見渡せば、彼女の言う通り一面に若い娘っ子ばかりである。乗組員以外にはほとんど男の姿を見かけなかった。この船の中だけではなく、港でもそのような光景を目にしていた。『あー、それは多分ヴェーアの方からの要望。あの部隊はそういう所だからね』『あの部隊って?』『ヴェーアの誇る女騎士団、……といっても、もう剣や盾なんか持ってないけど。一体どうなってるのかねー?』 アル=サールーフの主要港から数km内陸に進んだところに拓けた土地がある。南北を山に挟まれ、カストリア・イフリート軍団の管理下にあるこの地は東西に渡ってコンクリートの路面が敷かれ、急造のバラックや掩体壕が築かれていた。入り口のフェンスの前にはカストリア語とサーリーフ語で併記された注意書きの看板が堂々と掲げられている。 ナタリエらが降り立つと、ヴェーアの軍服に身を包んだ幾人かの人が近付いてきた。どれも大戦前にあった南方植民地軍を彷彿とさせるつばの広い制帽に、砂漠の砂の色に似た半袖に薄地のという出で立ちであった。なおかつ、全員が女であり、顔立ちもどことなく似通っていた。 彼女らは到着したばかりでざわついていた娘たちを整列させ、講堂のような広間に案内した。『よくぞ来てくれた、我らが姉妹たち!』 壇上から大音声で語り掛けるのは、この基地に駐屯する第3試験部隊のアーメという者である。この部隊、アムトマンという単一の宗族で構成されており、他の者に比して特異な社会を為しているので話を逸らしてここに詳しく記しておこう。 まず、アムトマン宗が完全なる女権社会であることは明記しなければならない。、古から一族で一村を為して、その長は代々女性が就いていた。長はヘーリン(主)と呼ばれ、物心共に一族の柱である。しかし多産を為すためにほとんど表には出て来ず、世継ぎを育てるのは長女の役割となる。故に長女はアーメ(乳母)と呼ばれ、ヘーリンの姉であり、かつ彼女に代わって実務を一挙に司る最高権力者となるのである。 村社会においては、他の女子はアーメの指導の下に農耕を始め職工や防衛の任に就き、すべての生産活動に従事していたのに対し、男子はほとんど顧みられることがなかった。精々他家への婚姻の質、そして両家の関係を繋げる媒介としか価値を見いだされなかったのである。何故なら彼らの肉体は痩身虚弱であり、力仕事も出来ない身体であるからだった。彼らはへーリンに見初められる以外に地位を得る方法はなく、そうでなければ宗門が受け入れ先となったのである。 さて、近代社会において、彼女たちの中には設立されたばかりのヴェーアに編入された氏族も現れた。当時から団結力が強いと評判であり、戦場でもその勇猛さを見せつけたものだった。彼女たちの活躍は他の宗族においても性別の垣根を取り払い、(局所的には極端に差別的だが)平均してどの分野においても平等な扱いを受ける社会が形成されたのだった。 しかしそのアムトマン兵も、大戦とその敗北による影響を正面から受けた層の一つである。最前線で戦い続けていたために戦死・傷病者で溢れかえっていただけでなく、戦後体制で職を解かれた一族が少なからず発生したのだ。陸海両軍の兵力削減で食いっぱぐれたアムトマン兵の再就職先として造られたのが、この試験部隊なのである。 ナタリエらのように外部から集められた娘は部隊生活の支えであった。何分アムトマン兵も人数がさほど多くなく、実戦に当てる兵員だけで手一杯という有様なのである。それ以外に必要なもの──掃除、洗濯、炊事、娯楽など──を担当することを期待されていた。『……以上、諸君らに期待することである。解散!』 さて、説明の間にアーメの訓示が終わったところで話を元に戻そう。彼女たちは適正によって担当する部署が異なっていた。FoLV組の中でも、ナタリエは倉庫番勤務であったが、モニカは食堂、そしてエミーは広報を宛がわれ、それぞれ異なる服を貸与された。『じゃー一枚撮るよー。こっちこっち』 報道の腕章を付けたエミーが早速カメラを引っ提げてやってきた。数片のネガに姿を焼き写される度に、モニカはみるみる不機嫌になっていった。『撮るな撮るなって、まったくどうしてこんな組み分けに……おまけになぁ』 ただでさえ短い頭髪を一つ結びにして、エプロン姿になっていたモニカは普段と違って親しみやすい印象だが、当人はそれが不服みたいだった。『でもモニカさん、実家はお菓子屋さんじゃないですか。私は似合ってると思いますよ、その恰好』『……待って、アタシの家の事、誰が言った?!』『うぇ?……えー、とそれは……』 誰彼から聞いたとかではなく、ナタリエはそれを目で見て知っていたのである。FoLVに関する古い写真や何やらが、ヌーヴェル・シャンブールのジョゼフの元にあったのだから。 傍から見ていたエミーは思わず笑っていたが、間もなく招集されると名残惜しそうに行ってしまった。『それじゃー私はそろそろ行くよ、ナオちゃんも気を付けて~』 そしてここでもナタリエはナオミ・シュタープという偽名を名乗らされていた。結局誰が名付けたのかはっきりしたことは分からないままだが便利なものだ。『アタシも出るよ。ナオ、何かあったらすぐ知らせとくれよ』 二人と別れた後、ナタリエは同じ部署の娘らとともに整列して配属場所へ向かった。時々潜めた声での会話が途切れ途切れに耳の中に入ってきていたが、ある時点で衣擦れと歩行の音以外さっぱりと止んでしまった。『全体止まれ!』 そこで彼女たちは巨大な格納庫の中に佇む、真新しくペンキの塗られた、巨大な金属の薄板が立て掛けて並べられているのを一瞥した。否、よく見ればそれらは折り畳まれた状態であるに過ぎないのだと分かった。二枚の板の間に胴体が突き出ており、先端にはスクリューに似た羽が取り付けられていた。床面との間はタイヤによって支えられている……それが彼女の最初の見立てであった。 さて、何故主戦場から狭い海峡を挟んだ広漠の地に基地を構えたのか、読者諸賢にはお判りいただけただろうか。 そう、ここアル=アーリーフはロイテ国内においてすら秘匿された、この時期において最新鋭の航空基地なのである。