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北京の紛争、続いてます。
中国語では、慣例で七・七事変という呼称が定着しつつありますけど、7月11日に日本でも、名称が閣議決定されました。
北支事変。
つっこんでおきましょう。まず、戦争ではない。
事件と言うには規模が大きすぎるし、双方とも宣戦布告はしていない。よって事変と見做す。
北支、と規模を明言していますね。宛平県城、紫禁城まで占拠し北平市を制圧するところまでで終わらせるつもりはないよ、と仄めかしてます。
近衛内閣は、内地より三個師団・朝鮮より一個師団・満洲より二個旅団を派遣する決定を下しており、すみやかに華北すべてを奪っちゃえという肚づもりが、手に取るようにわかります。
対する国民政府は、軍事部長の何応欽氏を呼び出して北平防衛の任に就かせましたが、四川から南京へ戻ってくるまでに3日かかったって。
ほんともう。政治中枢を南京に一極集中させるのやめましょうよ。
南京が首都であること自体は構いませんけど、主要都市ごとに即応政府つくっとかないと、すべてが手遅れになってしまう。だから日本なんて小猿にナメられるんですよ。つけこまれるんですよ。それでこのザマですよ。
いいかげん目を覚ませどっちも。
北平市内では、宛平県城は陥ちましたけど、第29軍は紫禁城を防衛ラインとして、なおも抗戦中。
日本側は、相手がここまで粘ると思ってなかったのか、弾切れで膠着状態です。巨大都市ですから、食糧はいくらでも徴発できるでしょう。やってると思います。奪い放題に奪ってると思います。やってないわけないでしょう。
満洲事変との比較でいうと、国際連盟は動くかな。
まだ、具体的情報はありません。欧州では今ドイツとイタリアが調子に乗ってますから、東洋にまで調査団を送る余裕も、ないかもしれない。
4月にも、ゲルニカ爆撃があったばかりです。
ドイツ空軍が、スペイン北部の町を襲いました。沿岸一帯は重工業が盛んで、戦略的にも重要だったみたいなんですが、目標とされた町は人口5000人程度で、軍需施設はおろか対空陣地など皆無。
ここに、爆撃機と戦闘機が空を覆うほど現れ、焼夷弾と機銃掃射で破壊の限りを尽くしたそうです。
私が読んだのは英語ソースのみ。
スペインで内戦中の、一方の側を支援するための作戦とドイツは説明してるらしいですが、いわゆる無差別都市爆撃という新戦術の実験だったように考えられてます。
あと8年すると日本中がアメリカにこれをされることになります。技術の進歩って、容赦なく伝播するものですね。
もうウルトラみたいな暗号解読機の開発も始まってるんでしょうねえ。ENIACとか。
山口一太郎さんとかをさ、そっちの道へ役立てればよかったろうにね。日本陸軍さんよ。
ゲルニカは、ピカソが怒りをふりしぼって巨大な壁画に描きました。翌5月のパリ万博で公開されたそうです。
だから21世紀人の私も、名前くらいは知ってたんですね。
何度も言ってますけど、その程度の歴オタでした。ドルニエかな、ハインケルかな。そんな名前は知ってても、ゲルニカとは何かまでは、考えたことなかった。そんな残酷な事実があったのですね。
深く、恥じ入ります。もう二度と、忘れません。
いまの日本に、欧米の最前線軍事技術がどんなレベルか教えてやれば、思いとどまるかな。
無理でしょうね。中国軍に勝ってるくらいで無敵神話に酔い痴れてますけどね。
ドイツと同盟結んでる限り、ヨーロッパは任せておけばいいとか、その程度の落としどころで安心しきるだけでしょう。
本気で死ななきゃ治らないか。
あと8年。長すぎます。
もう私は、生きているのさえ、嫌になってるんだよ。
まだまだ、こんな日本人を見てなくちゃいけないのか。あと8年も、あるのか。
耐えられないよ。コールドスリープしたいよ。
この世界から、早く抜け出すには、どうすればいいか。
考えました。
そのための準備を、始めます。