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森ノブテルさんに、お会いしてきました。
内山下町の立憲政友会本部まで、サノとふたりで、行って参りました。
ああ、緊張したなあ。
ほんとにお忙しい方のようで、時間通りに入ってこられ、きっちり、30分だけ、お話をしていただきました。
すげえ。の一言しかありません。
「ようこそお呼び立てして。陳情はいっぱい来るんですけどね。あなたたちの手紙は、うちの秘書が、これ読んでみてくださいとわざわざ持ってきたほどで。非常に読み応えがありました」
もじもじするだけの私たち。
「ですが最初に言っておきます。あなたがたのお力には、僕は、なれない」
きょとんとするだけの私たち。
「磁電管。面白そうですが、僕にはその価値がわからない。これはもっと分かる人のところへ持っていったほうがいいでしょうというのが一つ。ところで、あなたがた、会社へはこれを相談してるんでしょうか?」
してません、と言うしかありませんよね正直に。
「ふむ、そうだろうと思いました。なぜでしょう。軍関係の工場へお勤めなのに、なぜ、そちらを頼らないのでしょう。会社で一丸となってとりかかれば、この研究はもっと大きく発展できると思うのですが?」
会社では目下、別の課題に取り組んでまして。あと設備的に大電力とは無縁な工場ですのでとか、しどろもどろに説明をしてくれるサノ。
「相談、しようとも、していないわけですね。モノを製造しないで弁解を製造していては仕様がないですよ。そうじゃないですか?」
瞬殺です。ごめんなさい。
「その話はもういいかな。いえ実は、あなたたちに会ってみたかったのは、どうも僕のことを誤解されているみたいだったのでね、それを確かめたかったんですよ」
え。
「まあどうぞ。餡ころ餅です。食べてください」
はあ。いただきます。
「僕ね、いま42歳なんですけど、ほら。14歳のときから、総入れ歯」
うぐ。
「コダマくん。君と同い年くらいかな。その頃、郷里の興津でね、毎晩、おんぼ焼きをしてた。カジメを焼いて、ケルプを作ってたんだ」
ぐぐぐ。不意打ち。
「たいてい、サノくんと同年配くらいの若者がやらされるんだけど、弱火でかき混ぜながら朝までずっと見てなくちゃならないから、誰もやりたくないのね。だから僕が見てますよというと、喜ばれて。で、お兄ちゃんたちは遊びに行っちゃう。夜更けか明け方、こういう餡ころ餅をお土産に買ってきてくれるんだけど、そればっかり食べてたら、ひどい虫歯になるよね。おかげで日露の徴兵検査では乙種。兵隊にはなれなかったね」
餅がのどを通らなくなるじゃないですか。
「さて、長野の発電所ですけど、僕があそこで一年間、何を学んだかを、お教えしたい」
おお?
え、それはむしろ、お聞きしたかったことです。
身を乗り出す私たち。
「そこまでの流れはすっかり御存知みたいなので、小海駅から始めますよ。とりあえず来てみたものの、前任者は、地権者の黒沢さんが会ってもくれないと言うだけなんです。それこそ弁解だけを日々、製造してたわけです。人夫たちも毎日、サイコロやってるだけでね。で僕はまず、相撲はじめました」
すもう?
「うだうだ言ってても始まらないから、体動かせと。俺から一本とったら、この一張羅をくれてやると。五人くらい抜いたかな。六人目で土がついた。そいつには、洗ったあとでその背広、やりました」
破天荒すぎますよセンセイ。
「そんなことやりながら、町の人ともどんどん話をして回ってね。噂はすぐに伝わるから、そのうちやっと、黒沢親分に、お目通りがかないました」
いい話にしかなりようがない流れです。
「黒沢さんは私のことも調べ上げてました。総房水産はずっと鈴木さんからの合併話に楯突いていたけれども戦後の不景気でとうとう降参したんだそうだ。そこのボンボンだった森というヤツはここで失敗したら今度こそ鈴木さんから身ぐるみ剥がされて追い出されるからそりゃ必死なんだとさ。全部お見通しですよ」
こわいこわいこわいこわいこわい。
「水力発電が大切なのはわかるが、私らだってこの川のおかげで生活が成り立っている。美しい風景だって先祖代々の財産だと胸を張って言って良いと思う。山を崩して穴を開けて、川の流れをきったり刻んだりせきとめたりして、そんなにまでしてつくる電気は都会に持ってかれて自分たちにはなにも残らない。もちろんそのために多額の補償をすると言うのでしょう。ですが自分たちにはそんな金を活かして回せる経営力がない。せいぜい一、二年で使い果たします。あとには荒んだ家庭しか残りません。言いたいことはこれだけです、あきらめて都会へ帰んなさいと、そう言われました」
親分が、いい人すぎます。
「私は、まず、それを教えていただいたことにお礼を言いました。では、こうしましょう。この地元の皆さんのためになる仕事を考えましょう。発電所は作りたいのですが、ほんとうに作りたいのはその先の工場であり、製品なのです。これを、地元で作りましょう。日本のために堂々と胸を張れる仕事を、ぜんぶ小海の皆さんにやっていただきましょう。電力も、鉄道も、工場も宿舎も、そのためのまちづくりも、行政も、すべて小海の方に仕切っていただきましょう。私はそれを本社へ交渉します。皆さんが納得されるまで、勝手なことはさせません」
げえ。いいんですか?
「だって考えてもみてください。わざわざ作った電気を、長い長い送電線で東京まで流すとどれだけ減っちゃうと思いますか。工場だって施設だって、人件費だって都会に作るより地元でやった方がどれだけ安上がりか。小海の人は農業もやめなくていいんです。兼業、いいじゃないですか。私が体験したときの不況だって、漁業に戻れる人は戻れたんです。都会よりはるかに、融通もききやすいです」
た、たしかにそんな気もしてきましたが。
「だからね、僕は、小海の人と戦ってたんじゃないんです。本社の人との交渉に明け暮れた一年だったんですよ。黒沢親分も一緒に役所やら他の地主さんたちのところへ回ってくれてね。田舎だから黒沢さんを嫌ってる人だって隣近所にもいっぱいいました。でも、黒沢さんの評判も上がってね。それも嬉しかったことです」
ああああ。それで四つ、次々にできちゃったんだ。
「工場の落成式も、町じゅうの人が祝いにきてくれて、大変でした。いろいろあって僕は数ヶ月しかいられなかったけど、地元のひとたちが今も操業してくれてます。何かあったらいつでも相談に乗るから言ってくれ、と伝えてあって、お付き合いは続けてますよ」
それは力強いだろうなあ。なんたって、議員さんだものなあ。
「以上で、おしまい。どうかな。君たちも、そんな、いい仕事をしてください。じゃあ、僕はこれで」
風のように去って行かれた、森ノブテルさんでした。
帰り、サノは、複雑な表情をしていたなあ。
私は、森さんのお話聞いても、やっぱり自分は表社会に出るのはちょっと、て21世紀型ひきこもりアイデンティティの根が深すぎてしまうのだけど。
サノが、なにかを堂々とやりたいなら、やったらいいと思うよ。
きみが世界に羽ばたくなら、僕は全力で応援するぞ。なんてね、他力本願ですまぬ。