デーモン/悪鬼。混沌にして悪の相を持つ、世界の破壊者。彼らは残虐性の権化であり、単に楽しいからという理由で他のどんなクリーチャーにでも──他のデーモンたちにすら──襲い掛かる。彼らは獲物を恐怖に震えさせてから殺すのが好きで、しばしば殺した相手を貪り喰らう。多くのデーモンは自らが悪であることに飽き足らず、定命の存在を誘惑して自分自身と同じような存在に堕落させることに悦びを感じる。
《戦いの場・シャヴァラス》では神々しいアルコン達、地獄のデヴィル達、そして群れ集うデーモンの3勢力が永遠の争いを続けている。唯一無二のデヴィルを除けば最上級に位置する”ピット・フィーンド”に対してデーモンには”バロール”という将軍が存在するように、それぞれの軍勢において個々の質自体は拮抗している。だが集団行動に適さぬデーモンが、秩序だったアルコンあるいはデヴィルの軍勢に対して伍することが出来ている理由は単純そのものである──数。圧倒的な物量こそが彼らの持ち味である。完璧な戦術を、芸術的な陣形を、理想的な統制をただ暴力的な数でもって蹂躙する破壊者達。
《死の領域・ドルラー》の、それもゼンドリック大陸に存在するデーモンの数などは彼ら全体からしてみれば大海原から掬い上げた水滴の一滴ほどでしかない。だが、無限の一滴はそれもまた無限なのだ──例えそうでないとしても、定命の存在からしてみれば数えることが出来ないのであれば同じこと。
砂粒のようなストームリーチの街に、その一滴が押し寄せてきている。お抱えの占術師達からもたらされたこの情報を受けて、ストーム・ロードやドラゴンマーク氏族の有力者たちは人と情報を様々な手段で動かしながら、どう行動することが自らにとって最大の利益足り得るのかを模索している。勿論彼らは自分の縄張りが侵されることは良しとしない──だが、それは街全体を護るという事ではないのだ。夜の闇が街を覆おうとしている今この瞬間も、彼らは水面下で様々な綱引きを行っていることだろう。
その結果次第では、夜明けには街の勢力図は大きく書き換わっているかもしれない。しかし、俺はそれには直接的な干渉はしないつもりだ。確かに肩入れしている一部の有力者たちは存在するが、下手に介入することで余計な事情を抱え込みたくないというのが正直な心情だ。無論明確に敵対するというのであれば容赦するつもりなどは無いが、今のところは占術にも情報収集にもそんな勢力は引っかからない。つまりは今の時点ではこの明らかな街の危機に対処することが優先できるというわけだ。
──そんなことを考えている間にも、視線の彼方で陽が沈んでいく。夜の帳が街の東、水平線の向こうから徐々に街の上空へと広がっていき、それが西の地平線の山々の稜線に届いた瞬間に世界が変質を迎えた。ぞわり、と産毛が逆立つような感覚。すでに三回目だというのにまるで慣れない悪寒が全身を包み込む。
屋上から見渡した市街地と郊外を別つコロヌー川に架かった橋には結界が敷かれ、それを維持するための戦力がストーム・ロード達によって集められている。末端の兵士までにも魔法を付与された武器が行き届いており、迫る悪鬼たちに対する備えは十分といっていいだろう。だがシティ・ガードたちの表情は硬い。アマナトゥが拡大を続けた結果、兵員の数は多けれども質は目を覆うほどだというのがこの街におけるシティ・ガードの評判である。一定の訓練を課されているとはいえ、実際に今日のような戦場に駆り出されるとはほとんどの者達が考えていなかっただろう。そしてそんな兵士たちに護りを委ねざるを得ない一般市民たちの不安たるやどれほどのものだろうか。
街の中心部ではバザーの大テント内が臨時の避難所として使用されシルヴァーフレイムの聖戦士たちが万が一の場合に備えており、他にも各街区を隔てる巨大な街壁ごとにそれぞれを縄張りとするストーム・ロード達の私兵部隊が守りを固めていた。一見そうとは見えない静けさだが、それはまるで街全体が巨大な闘争の気配を前に息を殺しているかのようだ。
やがて最も脆弱な部類の悪鬼が一体、シベイシャードの青い光に照らされた地平に姿を現すと、疲れを知らぬ疾走を続けやがて橋へと敷かれた《フォービタンス》の結界に触れて消滅した。一般的なアビサル・モーのHPは2D8+2──すなわち11点ほどだ。一回り大きく成長した個体だと40点を越えるだろうが一方でこの結界によるダメージは12D6、期待値で42点である。よほどのことが無ければアビサル・モーがこれを越えて街に侵入することは無いだろう。
そうやって見ている間にも、徐々に視界に悪鬼の姿が増えていく。数分おきに一体だった悪鬼の自殺がその頻度を増していき、1分の間に数匹になった。橋の内側ではどうやら自分たちは安全圏にいるらしいと考えたシティ・ガード達が、へらへらと笑いながら対岸を指さして緊張感無く空騒ぎを始めている。
だが彼らは知らないのだ。上空から見ている俺の視界には、彼らよりもよほど遠くの景色が映っている。それはもはや地面など見えないほどの悪鬼で埋め尽くされた奈落の光景だ。アビサル・モーが《フォービタンス》を越えて街に突入する確率はほとんどない。普通に考えればあり得ないといっていい数字だろう。そのうえ結界を越えた先には多数の兵士が詰めており、半死半生の最下層デーモンが被害をもたらす可能性は極めて低い。だが、このドルラーの世界にはいったいどれだけのデーモンが存在するのだろうか。比喩ではなく大地を埋め尽くすその物量は計り知れない。
預言者が先を見通せなかった未来まではまだ1日の猶予がある。だがそれは今日という日の無事を意味するわけではないのだ。コロヌー川という天然の防壁と、古代巨人族文明の遺産である街壁もこれらの数の暴力の前ではいかにも頼りげなく見える。そう、結局のところ最後にものをいうのはそこに住む人間たちの力なのだ。
ゼンドリック漂流記
7-5. ドルラー ザ・レルム・オヴ・デス 3rd Night
高空から見下ろしたストームリーチの街は、漆黒に塗りつぶされたドルラーの中で宝石箱をぶちまけたかのように輝いて見える。勿論その中でも最大の物はカタコンベ最上階のシベイ・ドラゴンシャードだ。鮮烈な青い光は地平線までをうっすらと照らし、デーモン達はその光に誘われるようにして街へと押し寄せている。
極端なことを言えば飛行能力をもたないデーモンであればどれだけ押し寄せようとも俺一人の働きで街に踏み入らせないようにすることは可能だ。だが、今回俺は手を出さずに様子見に留まっている。それはこの程度のデーモンをいくら倒しても経験点にならないということもあるが、最大の理由はリソースの温存だ。預言者たちは口々にこの『死の接触』によりストームリーチの未来が見通せなくなったと告げている。それは尋常の事態ではない。であるならば街の防衛については基本的に権力者たちに任せておき、俺は起きるであろうもっと大きなアクシデントに備えるべきだという考えだ。ストームリーチは原作知識を活かし、ゼンドリック大陸を調査するのに大事な拠点ではある。だが俺は常にこの街に張り付いているわけではなく、むしろ探索に出ている割合の方が高くなっていくだろう。この程度の危機は、本来この都市を防衛する役割を担う者達の力で凌いでもらいたいものだ。
コロヌー川に掛けられた大橋は巨人達が行違う事を前提とされたもののため、その横幅は10メートルほどもある。現代でもドワーフの職人たちの手により維持されている12のそれらと、セルリアンヒルと港湾地区を隔てる街壁が陸側から街に入るための経路となる。街に押し寄せるデーモン達はその街道や橋へと殺到し、そこに敷かれた《フォービタンス》によって身を焼き尽くされていた。
全力疾走で突進してくるその異様な姿は連中が狂乱しているといってもいいように見える。そして時間が経つにつれ、その密度は上がっていった。やがて橋からデーモン達は溢れだし、不可能な跳躍で断崖に身を投げ始めた。飛行能力のないクリーチャーが50メートル以上も跳躍することは勿論不可能だ。だが物質世界から切り離された今、コロヌー川は普段飛び込んだものを海へと押し流す激流を失っている。落下の衝撃から生き延びたデーモン達は、今度はその崖をよじ登って街への侵入を試み始めるのだ。
《フォービタンス》の呪文には高価な触媒が必要となるため、その結界が展開されているのは橋とのその周辺のみである。つまり崖を登り切ったデーモンは《フォービタンス》に妨げられることなく街へと侵入することになるのだ。落下のダメージにより傷ついており、数匹程度が同時に押し寄せたところで多勢に無勢。魔法の武器を構えたシティ・ガード達に押しつぶされるのが関の山だ。だが、それが何十匹、何百匹となればどうだ? 疲労を知らぬウォーフォージド達と違い、シティ・ガードの大部分は人間やドワーフといった人族である。彼らは夜明けまで延々と戦い続けることなどとても出来ないだろうし、いくら数を揃えたといっても街の全ての外縁部を抑えられるほどでは無い。
慌てて予備のスクロールを抱えた術士たちが追加の《フォービタンス》を展開していくが、とても数が足りていない。巻物一つから展開される結界の大きさは一辺が18メートルの立方体に過ぎない。街の全周は30キロを超えており、ストームリーチに存在する全ての《フォービタンス》の巻物をかき集めたとしても覆いきれるものではなかっただろう。そしてこの呪文は《レイズ・デッド》よりも高位の第六階梯であり、巻物を使用せず自力で行使可能な術者は稀だ。それはとてもではないが数の不足を埋められるものではない。
結界の切れ目から崖を登ってくる手負いのアビサル・モーと、それを迎え撃つシティ・ガード。ようやく切って落とされた本格的な戦いの火蓋は、徐々に防衛側が押されていくのが上空からははっきりと見えていた。袖の下を受け取ることに日々熱を上げているならず者では、いくら魔法の武器で飾り立てたところで劣勢には抗いようがないのだ。威勢が良かったのは数で優っていた最初のうちだけで、戦線が拡大し自分たちの密度は下がる一方で敵は徐々に数を増やしていくという状況で彼らは士気を保てなかった。一撃クリーンヒットを与えれば倒せる相手だというのに、腰の引けた攻撃ではせっかくの魔法の武器は魔物の外皮を滑るだけで有効打には至らない。
そして潮目となる決定打は彼らの内側から放たれた。シティ・ガードの一人が、突然味方へと狂刃を振るったのだ。1グループが10名強で構成されている部隊において、たった一人とはいえそれまで味方だと思っていた者から攻撃を受けた衝撃はどれほどか。そして驚くべきことに、その裏切者は周囲の味方から剣を突き立てられてなお平然と凶行を続けるのだ。ライカンスロープ──銀以外の物質からのダメージに対して高い耐性を有した変身生物、それがシティ・ガードに紛れ込んだ埋伏の毒として働いた。悪鬼を斬る魔法の武器とはいえ、通常の鉄製のものでは彼らに対して有効な殺傷力になり得ない。あっという間に戦線は崩壊し、運よく裏切者を抱えていなかったいくつかの部隊を残してシティ・ガード達は悪鬼の群れに飲み込まれるのは避けられないように見えた。
だが、煌めく鋼の輝きがその流れを断ち切った。その体つきからは想像もできない破壊力を秘めたシミターが悪鬼や人狼を両断する──”ヴァレス・ターン”、エルフの戦士たちがどこからともなく現れたのだ。エベロン文明圏における武闘派の代名詞、ヴァラナーエルフ達は一人一人が歴戦の猛者である。そんな兵たちが百名以上、舞いながら敵を駆逐していく。デーモン達はそれこそ一刀で、ライカンスロープ達は巧みな連携で次々と討ち取られていく。
増援は我が家の存在する街区、《レスパイト》だけではなかった。《グラインド・ストーン》では過激派組織”ソード・オヴ・カルン”が、《オールド・ゲート》ではアンデールの精鋭秘術使い”ナイン・ワンズ”とスレイン人の自警団”ナイツ・オヴ・スレイン”がデーモンと戦い始めたのだ。勿論エルフの戦士の練度が飛びぬけているだけで、他の民兵組織についてはシティ・ガードよりはマシ、程度のものに過ぎない。彼らを率いるリーダーの中にはエルフの古参兵に匹敵する強者も含まれてはいるが、大勢ではない。だが士気の差だけでは済まされない勢いで、彼らは街に侵入したデーモンを駆逐していく。
「これは……どこかのロードの仕業か」
民兵組織はいずれも強力な支援を受けている。それはおそらくアマナトゥに対抗する他のストーム・ロードの暗躍だろう。今のところシティ・ガードの面目は丸つぶれで、それはあの老齢のドワーフの失点に繋がるものだ。盟約で定められた役割を果たせないとなれば、それは次回の領主会議でアマナトゥを攻撃する大きな口実になるだろう。
おそらくはオマーレンか。彼女はカニス氏族と懇意にしており、大規模な工房を抱えるあの一族であれば民兵たちに強力な装備を提供することなど容易いだろう。またデニス氏族とも繋がっており、そこから人員不足の民兵達に有能な士官や兵員を手配することも出来る。ひょっとしたら何人かのシティ・ガードを買収し、彼らの敗走を演出することまでしているかもしれない。
街の危機に何をやっているのか、という考えは無い。巣を同じくする毒蛇たちにとって、このような出来事は呼吸をするよりも自然な行動なのだ。現代の文明を支えるために必要不可欠なドラゴンシャード、その最大の産地はここゼンドリックでありこのストームリーチの重要性が失われることは無い。ドラゴンマーク氏族が大陸奥地からシャードを発掘・運搬し領主達を介してコーヴェアへと荷が運ばれる一方で、コーヴェアからの船は大量の人間をこの街へと運んでくる。ストーム・ロード達は自らの権勢を増すことが出来るのであれば、例え住人の半分が失われるようなことがあっても意にも介さないだろう。この都市が存在する限り、彼らの隆盛は約束されているのだから。自分達以外の住人など、いくらでも交換や補充の利くものに過ぎないのだ。
そんな考えをしている間にも、各地で戦線が押し返されていった。戦術的優位を占めることが出来ない地点に対して追加の《フォービタンス》が展開され、いくつか意図的に穴として設けられた場所では崖から這い上がってきた悪鬼たちに集中砲火が放たれることで市街地へ立ち入らせない。勿論それでも全ての外周をカバーすることは出来ないが、遊撃部隊が見回りを行って侵入者を警戒している。半人半獣の裏切者たちは形勢不利とみるや姿を隠した者もおり、全てを処分はできなかったものの戦線からは姿を消している。
地平線の彼方まで見渡しても、この状況を打開できそうな高位のデーモンは見当たらない。このドルラーにはアビサル・モーやその眷属以外にも多種のデーモンが棲息しているはずだが、そういった連中は姿を見せていないのだ。メイには占術で、ラピスには実際に大陸内部側へ足を延ばして偵察を行ってもらっているのだがその成果は現れていない。獅子身中の虫である人類側の破滅主義者達の手駒があのライカンスロープ達だけとは思えないが、今晩のところはその企みは阻止されたようだ。
日が昇り、街が物質界に帰還すれば今度こそストーム・ロードたちはその財力にものをいわせてシャーンなどから街の全周を覆いきるだけの防御術のスクロールを買い集めてくるだろう。そうすれば今のように結界の隙間からデーモンに入り込まれることもなくなる。果たしてこの街の未来を覆っている影の主はどこにいるのだろうか。それはまだ見ぬ悪鬼の王か、それとも人中に潜む狂人なのか。
やがて朝が訪れ、太陽の光が死の領域からストームリーチを物質界へと浮かび上がらせると街のそこかしこから勝利と生存を祝う勝鬨が挙げられ、響き渡っていく──だが夜は確かに街の住人に深い傷跡を残している。ライカンスロピー──それは今から200年ほど前、コーヴェア大陸に暗黒の時代をもたらした恐るべき災禍だ。長命な種族たちは自身の記憶として、短命な種族の者はほど近い先祖からの言い伝えとして、ほぼすべての者達はこの呪いの事を知り、怖れるだろう。果たして今聞こえてくる遠吠えは獣のものか、それとも人狼のものか。太陽の光は徐々に明るさを増していったが、人々の心に立ち込める恐怖と疑心はとぐろを巻いて少しずつ膨らんでいくのだった。