ミネルヴァの休憩室にはルナマリア・ホークの黄色い声が響いていた。
「感激です。まさかアスランさんにお会いできるなんて! あ、サイン、もらえませんか? 妹の分もお願いします」
そう、ルナマリアは自分たちが座るテーブルに身を乗り出してサイン色紙をアスラン・ザラへと押しつけた。アスランは余裕を見せて色紙を受け取ると、手慣れた様子でサインを書き始めた。
ルナマリアは瞳を輝かせている。同じテーブルにつくシン・アスカとヴィーノ・デュプレのことは眼中にないのだろう。
ヴィーノはシンに上体を近づけて囁いた。
「なあシン。ルナってアイドル・オタク?」
「自由と正義の名の下が好きなんだってさ。ザラ大佐がモデルの映画だろ」
男2人がのけ者にされている間に、アスランは2枚の色紙を書き上げた。
「これでいいかな?」
ファンの握手にまで応じる姿は軍人というよりも映画俳優の雰囲気をまとっていた。
ルナマリアは宝物のように色紙を抱きしめた。
「感激です。映画、もう30回以上見てます!」
「ありがとう。あの映画は俺が4年前に経験した戦争の記録だ。君のような若い軍人に訴えるものがあったならそれほど嬉しいことはないよ」
「わかってます! ジブラルタルの黄昏でザフトがどれほど勇敢だったか、私知ってます!」
ヴィーノが再びシンに小声で話しかけた。
「シン、ジブラルタルの黄昏って何だっけ……?」
「そんなことも知らないのか……?」
さすがに無知ではないだろうかとシンが呆れていると、ふと視線に気づいた。ルナマリアがすごい目でヴィーノを睨んでいた。
「いい、ヴィーノ! ジブラルタルの黄昏は屈指の名場面よ。71年当時、ザフトは地球で劣勢に立たされていたの。地球上の拠点を次々奪い取られてついに地球軍はザフト軍最大拠点であるジブラルタルにまで迫ったの! その時、志願兵を中心に決死隊が結成されて同胞が宇宙に帰るまでの時間を稼いだの!」
「お、おう……」
「その決死隊にアスランさんは戦友であるイザーク・ジュールとともに参加して! 仲間のために最後まで戦ったのよ! すごいのよ、アスランさんは!」
熱っぽく語るルナマリアと気圧されるヴィーノ。アスランは微笑んだままそんな光景を眺めていた。アスランは、シンにはひどく曖昧なもののように思える笑みのまま話し始めた。
「あの戦いはプラントのため、人類の未来のために命を投げ出してくれたすべての人が讃えられるべきものだ。俺を褒める必要はないよ。それに、あの映画で知って欲しかったのは地球軍がどのような連中かということだ。彼らは持たざる者としてコーディネーターに潜在的な嫉妬を抱いている。その行動原理は思想団体に近い。まともな話し合いが通用する相手じゃないことだけはわかっていてもらいたい」
「わかってます! 味方ごと自爆したり、ブルー・コスモスの操り人形だったり異常な軍隊だってこと、映画でさんざん見てきました!」
力強く拳を握りしめるルナマリアの姿に、地球出身であるシンには違和感を覚えずにはいられなかった。しかし、地球軍を一方的な悪役と見るのは、ザフトの中では当たり前の考え方だと、シンは諦めに似た気持ちでいた。
アスラン・ザラは地球生まれの少年とは反対に、そんなルナマリアの様子を微笑みながら眺め、それでもその瞳だけはどこか冷めた眼差しに固まっていた。
夕日に染まる太平洋を一隻の空母を中心とする艦隊が航行していた。モビル・スーツが主力となった現在、航空母艦の格納庫にはモビル・スーツが搭載されている。驚くべきことにそのすべてがガンダム・タイプであった。
大型ウイングを背負う青いガンダム、GAT-353ディーヴィエイトガンダムが4機、壁に一列に並べられている。そして、反対側の壁には風変わりなガンダムが2機並べられていた。
1機は赤い機体であった。大型のバック・パックにはディーヴィエイト同様ウイングを備え、全体として細身の姿は剣のような鋭さを持っていた。見る人が見たなら、ザフト軍が開発した核動力搭載型のガンダムであるZGMF-Z09Aジャスティスガンダムを思わせる機体であった。
そんな赤いガンダムの横に、傷だらけのガンダムが置かれていた。
黄金の装甲には小惑星の破片が至る所に突き刺さり、フレームが露出している箇所も少なくない。満身創痍という言葉がこれほど相応しい状態はない。かつて最強と呼ばれたZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの傷ついた姿を、ヒメノカリス・ホテルは見上げていた。
いつものようなドレス姿ではなく、白地の入院着を身につけていた。今し方、医務室から抜け出してきたばかりだった。桃色の髪の長さと相まって作業着姿の整備士たちの中で浮くことも構わず、ヒメノカリスは傷ついたフォイエリヒを見上げていた。
そんなヒメノカリスに黒い軍服の2人の男が近づいていく。1人はまだ若い男だった。まだ二十歳にもなっていないのではないだろうか。しかし、階級章は大尉であることを示し、この艦隊のモビル・スーツ部隊の隊長であることを示す腕章も身につけていた。
若き隊長は慣れた様子でヒメノカリスに話しかけた。
「気分はどう?」
ヒメノカリスは首を曲げることなく、横目で大西洋連邦軍隊長の顔を見た。まだどこかあどけなさを残す顔にはサングラスをかけていることを確認する。
「あまりよくない。……私の寝てる間に何があった?」
答えたのは隊長のすぐ後ろにいた副隊長。こちらもまだ若いが、歳は30前後と大人である。副隊長はタブレットを見せた。
「フィンブルは太平洋西岸を中心として落下しました。まだ明確な被害は明らかでありませんが甚大です。加えて、混乱に乗じザフト軍が多数の戦力を地球に降下させたことが確認されています」
ヒメノカリスはその端正な顔立ちを歪めて歯を強くかみしめた。
「最初から仕組まれてたに決まってる。ザフトは破砕活動を妨害した」
腕に力がこもる、そんな様子でヒメノカリスは怒りをにじませていた。弟とも言うべきスティング・オークレーはザフトの妨害工作によって行方しれずとなった。生存は絶望的だろう。
サングラスをなおしながら隊長が続けた。
「世界安全保障機構の中でもプラントへの批判が強まってる。名実ともに休戦が終わる時が来たのかもしれない」
意思決定が明確に交戦に傾いた訳ではない。それでも、大西洋連邦をはじめとする反プラント派の国々が勢いを得たことだけは間違い事実だった。戦争の足音は確実に近づいている。
ヒメノカリスは再び、傷だらけのフォイエリヒガンダムを見上げた。
「……ステラたちは?」
「ステラ君もアウル君もショックを受けてるみたいだ。スティング・オークレー君は見つかっていない。早めに会ってあげた方がいい」
「わかってる。ところでキラ……」
名前を呼ぼうとしたところで、隊長はヒメノカリスの言葉を遮るように声をかぶせた。
「今はネオ。ネオ・ロアノークと名乗ってるよ」
「また偽名?」
「僕は七つの国籍と名前を持ってるからね。大西洋連邦軍少佐としてはこっちの方が本名みたいなものだよ。それで話は?」
「サングラスが似合ってない」
そう言われると、ネオ・ロアノーク少佐は笑いながらサングラスを外した。そこには、3年前、ガンダムの名を世界に知らしめることとなったエース・パイロットの顔があった。
シンは戸惑っていた。久しぶりに地球の様子でも眺めたい。そう、ミネルヴァの艦内展望室で1人座っているつもりが、たまたま通りかかったヴィーノがすぐ隣に座ってきたからだ。
「シンはオーブ出身なんだろ?」
「どうして知ってるんだ?」
「いや、みんなで噂してからさ。在外コーディネーターが入ってきたってさ……」
シンにわかったことはこのヴィーノという少年はよくも悪くも発言が軽いということ。馴れ馴れしいとも言ってしまえるが、少なくとも一方的に壁を作って人を排除するようなことはないと判断できた。
結局、シンの出した結論は進んで拒絶する必要はないということだった。躊躇いながらも、シンは話をすることにした。
「……ああ。別に故郷ってほど思い入れがある訳じゃないけどさ」
「俺さ、生まれも育ちもプラントなんだけどさ、オーブってどんなとこんだ?」
「悪いとこじゃなかったよ。火山国だから地震は多かったけど、都市計画も行き届いてて住みやすくはあったかな」
ヴィーノでも配慮するということはできるらしかった。声を控えめに、明らかにシンの様子をうかがっている。
「聞いちゃまずいと思うんだけどさ、その、なんでシンはプラントに来たんだ?」
シンはすぐには答えなかった。抵抗があったと言うより、自分の中で考えをまとめ切れていなかったからだ。
「馬鹿らしくなった、からかな。戦争はしないって理念をさ、どっかで格好よく思ってたんだと思う。なのに、オーブは武器輸出国だったって後から知っって、戦争をしないんじゃなくて、ただ関わりたくないだけで、それで武器まで売ってたんだってわかった時、はっきり言って幻滅したから」
シンの中で、平和主義が理念ではなく単なる口実に変わった瞬間だからだ。
「その挙げ句、売りさばいてた武器を切っ掛けに攻め込まれたんじゃ笑い話にもならないだろ」
そうして起きた戦争の中、シンは母親を失った。オーブという国に、シンは思い入れも尊敬もなくしていた。コーディネーターへの風当たりが強くなっていくことも加わって、オーブに残るという選択肢は最初から用意していなかった。
ヴィーノは頬に手を当てて呆れたような顔をしていた。
「自分たちは戦争に巻き込まれたくないけど武器は売るって、オーブって何がしたいのかわからない国なんだな」
「言っておくけど、だからってプラントがいい国だとか考えてないからな」
「どうして?」
「在外コーディネーターがどう思われてるか、知ってるだろ。中に無神経な奴もいるしな」
たとえば、地球出身者の目の前で地球なんて小惑星ぶつけてしまえばいいと言っていた正規兵がいたことを、シンもヴィーノも思い浮かべていた。それは調子の軽い少年で、シンのすぐ隣に座るヴィーノとよく似ている。
「悪かったって……」
ばつが悪そうなヴィーノの様子に、ついシンは笑ってしまう。
展望室は単に窓際の通路に椅子を並べただけの簡単なものだった。だから誰かが来るとすぐに気づくことができる。通りかかった人物に、シンは立ち上がって敬礼した。
「バレル隊長……!」
2人の上官であるレイ・ザ・バレル隊長がシンたちの前で足を止めた。しかしなぜか、ヴィーノは立ち上がってもいなければ敬礼もしていなかった。その理由はすぐにわかった。バレル隊長が手振りでシンの敬礼をやめさせたからだ。
「よせ。作戦中でもない。堅苦しい挨拶は抜きでいい」
「はあ……」
とりあえずシンは手を下ろすも、さすがに座り直すことはできなかった。
バレル隊長は再び歩き出そうとして、何かを思い出したように立ち止まった。
「次の寄港地はオーブに決まった。補給のためだ。オーブは中立国を標榜している。今後どうなるかはわからないが、少なくとも荒事にはならんだろう」
ヴィーノはやはり座ったまま、大きな窓の外に見える海の様子を指さした。
「隊長も地球は初めてですよね? なんか、楽しみじゃありません?」
「いや。俺は生まれはプラントだが、育ちは地球だ。オーブには一度旅行で来たことがある」
「マジっすか……」
大きく目を見開いて口が閉じられていない、そんなわかりやすく驚いた様子を見せるヴィーノの横で、シンも立ち尽くしたまま驚いていた。正規軍、それも議長直属の大尉の経歴にしてはあまりに似つかわしくなかったからだ。
バレル隊長はわずかに口元を緩ませた。
「この部隊も在外コーディネーターが2人にオナラブル・コーディネーターが1人、生粋のコーディネーターは1人だけか。いっそ外人部隊を名乗るか?」
これが隊長なりの微笑みなのかもしれない。そう、シンは考えた。ヴィーノは座ったまま、必死に首を横に振り続けていた。そんなヴィーノのことは無視することにして、シンは思わず隊長へと問いかけた。
「バレル隊長。地球に住んでたって、どこですか?」
「ユーラシア連邦だ。ツングースカ市に2年ほど前まで住んでいた」
2年なら休戦条約以後、プラントに移住したことになる。シンと同じ、在外コーディネーターになる。それがどうしてフェイスのような特殊任務を帯びる役職を与えられているのか、シンは気にはなりながらも聞く気にはならなかった。答えてはもらえないだろう。そんな気がしていたからだ。
バレル隊長は話は終わったと判断したのか、歩きだそうとする。しかし、立ち止まるとシンへと振り向いた。
「シン・アスカ。これだけは言っておくが、俺のことはレイでいい」
「り、了解です、レイ、隊長」
真意がわからず、慌てたシンはつい敬礼してしまう。思えば、作戦以外でレイ・ザ・バレルという隊長と顔をあわせることはなかったと、シンは思い出していた。
オーブ首長国。
太平洋西岸に位置する島国である。大小様々な島で構成されているが、その中で特に有名なものはヤラファス島とオノゴロ島である。ヤラファス島は政治の中心であり、行政府もここにおかれている。オノゴロ島は産業の中心である。かつての世界第3位の軍需産業モルゲンレーテ社の本社はこの島に置かれていた。
そして、この2島は共通して戦火に焼かれている。
ヤラファス島では港でモビル・スーツ同士の戦闘が行われ、街に甚大な被害をもたらした。オノゴロ島は大西洋連邦軍侵攻の際、最重要拠点として多くの被害を出している。
オーブは当時、自衛権を強行に主張するとともに集団的自衛権を否定した。しかし、同時に武器輸出国として他国と結びつき、政治的には孤高を貫きながらも軍事産業では強く結びついているというアンバランスな外交戦略をとっていた。事実上、対岸の火事を糧に利潤に走る姿に矛盾を感じる者も少なくなく、諸外国からその姿勢を非難する声も聞かれていた。
半官半民のモルゲンレーテ社が大西洋連邦のガンダム開発に協力しながら、その技術を盗用していたことはすでに周知の事実である。侵略戦争を否定しながら軍拡を続ける姿が、オーブの国際的信用を低下させていたことは否めない。
大西洋連邦が挙げたオーブ侵攻の口実に、オーブが盗用した大西洋連邦の技術をザフト軍に横流しの事実が挙げられていた。当初、国際社会は苦しい言い訳と冷ややかに見ていたが、事実、オーブ軍がモビル・スーツを実戦に投入したことで国際世論は一変する。戦争に参加せず、しかし勢力かまわず兵器を売り歩いていることが俄然信憑性を帯びたことでオーブのイメージは急速に悪化。大西洋連邦軍の侵略を批判する声は次第に小さくなっていった。
大西洋連邦による侵略の結果、ウナト・ロマ・セイラン代表が新たな代表となった。大西洋連邦の傀儡と揶揄されるウナト代表は、しかし現実的な政策実行者でもあった。戦後復興に尽力し、大西洋連邦よりではあっても、オーブは独立国としての地位を取り戻している。
ただし、その政策は一貫しているとは言い難い。民意の存在がるからだ。
世界安全保障機構はまさに集団的自衛権を組織化、拡大化を狙ったものであり、オーブの理念にはそぐわないと感じる者は少なくはない。また、大西洋連邦によって侵略されたという事実が、オーブ国民の中に反感を植え付けたままである。しかし、大西洋連邦に対して同盟国として親しみを覚える国民も少なからず存在した。
大西洋連邦との微妙な距離感が、オーブという国の動向を掴みにくくしている。それ故、オーブは現在最も動向が注目されている国としても過言ではない。
国民は大西洋連邦への反感から世界安全保障機構への参加を拒む者が多い。言い換えれば、プラントへの危機感を大西洋連邦への反感が抑えている形であると言ってよい。そんなオーブが、仮に世界安全保障機構に参加するとすれば、それはプラントへの反感が何よりも優先された結果であり、オーブは間違いなく抗戦派に席を並べるであろうと多くの者が予測している。
現在、世界安全保障機構は加盟国8カ国中、交戦派が4カ国、現状維持派が3カ国、中立であるスカンジナビア王国で構成されている。ここにオーブ首長国の1票が加わったとしたら、会議の流れは戦争に一気に傾くことになるのである。
オーブ首長国。その政治の現場ではいつも激論が交わされている。長テーブルをはさみ、2人の議員が身を乗り出していた。
「我々も世界安全保障機構に参与すべきであると私は考えます。今のオーブに自国を守るだけの戦力はありません!」
「大西洋連邦主導の組織に加わるなどいいように使われるだけだ。そもそも現在のオーブの窮状は大西洋連邦の侵攻が原因ではないか!」
「ジェネシスの発射未遂。フィンブルの落着。殴られたことよりも殺されかけた事実の方が許せるとでも?」
「国民の多くは大西洋連邦への不信感を拭えていない!」
「だがプラントと同盟を結ぶことなどできはしない。結局オーブはこのままでは中立ではなく孤立させられてしまう!」
「そもそもジェネシスなど本当にあったのかね? 所詮大西洋連邦が主張しているだけではないか! フィンブル落着にしてもそうだ。都合のいい部分だけ取り上げて自らを正義の国だと気取っているだけだ!」
「ではニュートロン・ジャマーはどうなる!? たしかにオーブには大した実害が出なかった。しかしそれでは自分に被害さえ及ばなければ他で何が起ころうと構わないと言っているでしかない!」
「大西洋連邦は明らかにオーブの主権を侵害したのだぞ! 言葉を返すようだが、殺人犯とは駄目でも強盗となら手を組むことができるいわれがどこにある!」
この2人の交わす内容は、まさにオーブの、オーブで交わされるすべての議論の縮図であった。
長テーブルの先には男がどっしりとかまえて座っている。禿かかった頭に、しわのよった顔。ともすれば単なる中年男性に他ならないこの男こそがウナト・エマ・セイランである。ウナト代表はただ平然と構え、両者の首長に耳を傾けているだけであった。
新聞が翻る音がする。豪奢な執務室に、いかにも年代ものを思わせるその机が置かれていた。そんな立派な机に、足が堂々と乗せられていた。
机と負けずとも劣らない椅子の背もたれを軋ませ、足を机に投げ出した人物が新聞を広げているのである。それは一見少年のようで、しかし目元の柔らかさは少女のもの。あまり手入れされていないくすんだ金髪が男性的ではありながらも、それは間違いなく女性であった。
先代代表ウズミ・ナラ・アスハの娘、カガリ・ユラ・アスハである。
「フィンブル落着か。どうして私を行かせてくれなかったんだ、エピメディウム?」
カガリは新聞を畳み、無造作に机へと放り投げる。すると、室内を確認できるほど視界が開ける。応接間特有の対面式に対置されたソファーが置かれ、少女が1人腰掛けていた。
左右非対称。そんな言葉の合う少女である。左右の瞳の色が青と紫で異なり、緑の髪は三つ編みにして、左の肩から前へと垂らしていた。ティー・カップを手に、その香りを楽しみながら悠然と紅茶を嗜んでいる。
「無茶言わないでもらいたいよ。それに、少しは姉を心配する妹の気持ちを汲んでくれてもいいんじゃないかな?」
「軍籍ならとったぞ。それに、私たちは姉妹と言うより、同じ人を父としている間柄だ。お前とて私に姉妹の情を期待している訳でもないだろう、エピメディウム?」
まあね、そう、エピメディウム・エコーは笑いながら答えた。
カガリは背もたれに強く体を預けたまま、天井を仰ぎ見た。無論、足は机に置かれたままである。
「エピメディウム、オーブはこれからどうするべきだと思う?」
「プラントのために働いてもらいたいと考えているよ」
「本気か?」
カガリの首だけが無理矢理背もたれを離れ前を向く。エピメディウムはティー・カップを口につけたままで答えた。
「半分はね。カガリも知っている通り、僕はプラントから送り込まれてきたエージェントだからね。お父様はオーブを地球に巣くう獅子身中の虫にしたいんだよ」
もう飲み尽くしてしまったのだろう。ティー・カップを口から離し、目の前のテーブルに置いたところで、エピメディウムの顔から微笑みが消えた。カガリが口にした言葉は、それほどエピメディウムの意識を捕らえるものだった。
「だがお前たちのお父様は死んだ。もう誰も指図してくれる人はいないはずだな。それでも、お前たちはダムゼルだ。仕組まれた子どもたちとしての生き方を変えようとしない。」
首を持ち上げやすいよう、カガリは両手を頭の下に敷いていた。
「シーゲル・クラインという水先案内人が死んでから3年になる。それでもお前たちが変わらないのは目的地がすでに設定されているからだ。私が知りたいのはそこだ。シーゲル・クラインは、お前たちの目的とは何だ?」
シーゲル・クライン。一般的にはかつてプラント最高評議会議長の名前である。しかし、同時に26人ものクローンを娘として、手駒として暗躍したヴァーリの父としての顔を持つ。かつて、ジェネシスで地球全土を焼き払おうとした男だ。
エピメディウムはなかなか答えようとはしなかった。先にしびれを切らせたのはカガリである。
「シーゲル・クラインは、いや、プラントは何をもくろんでいる? どこに行こうとしている?」
短く息を吹いて、エピメディウムの時間が動き出す。屈託のない微笑みを見せたかと思うと、普段のエピメディウムの様子を取り戻していた。
「話して上げてもいいけど、もう時間みたいだね」
何のことかわからず瞬きを2度、3度と繰り返すカガリに対して、エピメディウムは微笑みかける。
「ほら、とても時間に律儀な君の許嫁が来る頃だよ」
すると、突然部屋のドアが開かれた。
「カガリ、ちょっといいかい?」
男だった。色の薄いスーツを着て、まだ若い。背が高いせいか、全体としてどこか弱々しい印象だった。
そんな男が扉を開けた瞬間、その顔の横の壁にナイフが突き刺さった。途端、男の顔が蒼白になる。油の切れた機械のようにぎこちない動きで部屋の奥を見た。
そこには座ったまま、何かを投げたような姿勢で右手を伸ばしたカガリが歯をむき出しにしていた。
「私を結婚前から未亡人にしたくなければ、次からはノックをしろ、いいな、ユウナ?」
「う、うん、わかった……」
男は素早く、何度も頷いていた。
この男、ユウナ・ロマ・セイランは許嫁の間柄であるカガリにすっかり主導権を握られていた。
そんな2人の様子を微笑ましく見つめていたエピメディウムは立ち上がるなり、扉の前でユウナの肩を励ますように叩く。
「じゃあ、ユウナ。カガリのこと、お願いするね」
出て行こうとするエピメディウムのことを、カガリは呼び止めた。
「エピメディウム!」
「僕は逃げないよ、カガリ姉さん」
しかし、エピメディウムは笑いながら手を振り、部屋から出ていく。カガリは追おうとはしなかった。諦めたように椅子に深く座り直すと、机の前に立ったユウナの顔を見上げた。
「それでユウナ、少しは愉快な話を聞かせてもらえるんだろうな?」
「今日の議会は曇り後雨、時折雷っていうところかな。世界安全保障機構に参加するかどうかでものの見事に割れてるよ」
父さんもこの頃白髪が増えた。そんな皮肉もユウナは忘れなかった。父とはウナト・エマ・セイランその人である。
今のオーブで政治を語る際、意見は二分される。世界安全保障機構に加わるか否か。それはカガリとユウナの2人であっても変わることはない。
カガリは机から足を下ろし、ユウナの顔をのぞき込むように机に肘を預けた。
「ここではっきりとさせておこう。私は保障機構には参加したくない。お父様のご遺志にも反するし、戦力として使い潰されかねない」
「僕は賛成だよ。オーブは自衛権を否定していない。それなら他国の侵略に対して他国と協力して確固たる対処をするとしても非戦の理念に反することにはならないからね」
「だが、防衛と侵略は区別がない。攻められてからでは遅いと先に攻め込むことも防衛だと言ってしまえば、侵略戦争も防衛だと言ってしまえる。防衛戦争を否定しないことは侵略を肯定することと変わらない」
ユウナはわかりやすく眉を歪めた。
「じゃあ、侵略されるままにするべきってことかい?」
「戦争と自衛とを区別する考え方が必要だということだ。侵略を自衛と誤魔化されないためにはな。だからこそ、自衛の戦争性を認めることになる集団的自衛権に関わることには慎重であるべきだ」
「なるほどね。考え方としては面白いよ。でも実際どう転ぶかはわからないよ。何せ、父さんは傀儡政権だからね」
そう、ユウナは実に面白そうに笑ってカガリの顔をのぞき込む。カガリが事あるごとにセイラン政権のことを傀儡だ、大西洋連邦の操り人形だと公言していることを、ユウナは知っているのである。
さすがのカガリも決まり悪そうに顔を背けた。
「……嫌みっぽい男は嫌われるぞ」
ユウナは楽しげに笑っている。