特務艦ミネルヴァの発進。それは拍子抜けするものだった。いつでもプラントを攻撃する謎の部隊と戦う準備はできていたが、その機会は訪れないままパイロットたちはコクピットで待機を続けていた。
ルナマリア・ホークは思わずブリッジと通信をつないだ。
「グラディス艦長。どうして救援に向かわないんですか?」
「本艦には集結要請が出ています」
「でも!」
抗議の声も艦長席のタリア・グラディスには届いていない。こうしている間にもプラント市民の犠牲は拡大している。しかし、隊長であるサトーの意見は異なっていたらしかった。
「ルナマリア、ここは耐えるべき時だ。要人を失えば混乱を招き、その代償は市民の犠牲に現れる。厳しいようだが、我々が真に守るべきは市民ではないのだ」
「サトー隊長……、わかりました」
もちろん、すぐに飲み込めた訳ではない。
ルナマリアの心を満たしてくれるのはいつもギルバート・デュランダル議長の言葉だった。コクピットのモニターに映し出される映像は、ちょうど演説の様子だった。
衆目美麗、威風堂々とした出で立ちで議長は演説台についていた。
「人は変化を恐れる。それは自身に利益をもたらすものであったとしてもだ。レーベンズボルン・プランが仮に偽のラクス・クラインが言ったような荒唐無稽な陰謀であったとしよう。だが、それの何が問題だろうか? 民は優れた指導者を得ることができるのは同じことだろう」
ルナマリアはふと大西洋連邦の大統領を思い出していた。ジョゼフ・コープランド大統領は、それはそれはふつうのおじさんなのだ。腹の出たジョセフと、凛々しいギルバート。どちらが正しいかなど子どもでもわかりそうなものだ。
「しかし重力に縛られた民は我々の救いの手を拒絶しようとしている。では、それは我々の敗北なのか。それは違う。なぜなら、我々はまだ戦い続けているからだ。あえて言おう、この戦争は必要悪なのだと。考えてもみて欲しい。地球が勝利するためには優秀な兵士が多く必要となる。つまり必然的にコーディネーターを増やすしかない。しかしそれは彼らにとって諸刃の剣となる。成長したコーディネーターたちはすぐに気づくことだろう。誰が正しく、誰が間違っているのかを。彼らは親や知人、友の首を手土産に我らの軍門に下ることになる」
敵であった者たちが手を取り合い一つの理想のもとに邁進できる。議長の言葉を聞いていると、そんなことも絵空事には思えなくなってくる。
「これは進化のための通過儀礼なのだろう。この戦争では無理かもしれない。しかし10年後、20年後、進化した種である我々コーディネーターはナチュラルを駆逐する。それは自然の摂理だ」
ルナマリアはくすりと笑みをこぼした。議長の言葉のあやに気づいてしまったからだ。駆逐されるのはナチュラルではなく、正確には無能なナチュラルなのだから。だから、自分のような優秀なナチュラルは対象ではないのだ。
「君たちの戦いは人類を新たなステージへと導く環境圧そのものなのだ。私は信じたい。明日が、今日よりもいい日であることを私は切に願いたい」
そして、演説は力強い言葉とともに締めくくられる。
「勝利を我らに」
ルナマリアも、演説に詰めかけた聴衆も右手を掲げ声を張り上げた。
同じ頃、グラディス艦長も艦長席手元のモニターを眺めていた。熱狂する聴衆に支持されるかつての恋人の姿を、表情とぼしく眺めていたのである。
「ギル、こんなのは昔のあなたが一番嫌っていたことでしょう」
かつてのことを思い出していた。場所は、どこかの喫茶店だった。あの頃のギルバートはまだ、地方議員の末席を暖める存在でしかなかった。
「タリア、進化なんてものは存在しないんだ。考えてごらん。キリンは木に茂る葉を食べるために首を伸ばしたなんて言われることがある。でも、キリンは首を伸ばそうとしたのかな? そもそも、首が長いというのは、本当に優れた性質なのかな?」
タブレット全盛の時代にあっても、ギルはノートとペンを使うことを好んだ。つたない絵でかろうじてキリンであることがわかる獣と樹が描かれている。
「たしかに木の上の探るのには優れてる。でも、今度は低木ばっかりになってしまったらキリンは不自由そうに長い首を下ろさないといけなくなる。すると、今度は首が短くなるよう、進化するのかな? おや、おや、首が長いことが優れた性質だったはずなのにね」
遺伝子工学を専門にした若き議員。未熟で誰からも注目されない若造であったが、タリアはその情熱に惹かれていた。
「より環境に適した体になることはあっても、進化なんてものはないんだ。まかり間違っても進化でより優れた種になるなんてあり得ないことなんだよ。昔、進化論を強引に人間社会に当てはめようとした連中は、優勢思想を喧伝した。社会進化論なんて学問なんかじゃない、ただのプロパガンダでしかないのにだ」
「偶然と選択、でしょ?」
「そう。おや、前も同じ話をしたかな。ではこの議論はここまでにして次の議題に移ろうか。週末のデートはどこに行くか、なんてどうかな?」
ヨートゥンヘイムには貴賓室も設けられていた。非常時にはプラント政府の全権を移設することさえ計画されていることがこのような点にも現れている。
もっとも、招かれた客はラクス・クラインを前にどこか居心地の悪さを感じているらしかった。高級そうなソファーの上で、フレイ・アルスターはあらかさまに警戒のまなざしを向けている。
「ねえ、私って捕虜なんでしょ?」
「はい。でも、あなたは妹の友人です。手荒な扱いはできません。地球には恋人もおられるとか。無事を伝えられてはいかがですか?」
そう、テーブルには本当に通信端末が置かれた。盗聴でもするつもりなのだろうか。もっとも、自分とアーノルド・ノイマンとの会話にそれほどの価値があるはずがないと、フレイはどこか諦めた様子で端末を手にした。
「アーノルドさん?」
むろん、相手は驚いた様子だった。
「いや、だから、大丈夫だって。今、ラクスにお茶会に招かれてるんだけど」
やはり、アーノルドは驚いた様子だった。無事を伝えるとともに納得させることにほとんどの時間を費やしてしまった。やや疲れた様子のフレイは、再び向かいに座るラクス・クラインとの気まずい沈黙に落ちてしまう。もっともラクスの方はかまうことなく紅茶をすすっているだけだったが。
「こうして話すのは初めてだけど、あなた、少しエインセルさんに似てる気がする」
「私が魔王と呼ばれた方と、ですか?」
それはあんたたちが勝手に呼んでるだけでしょ、そうフレイは呆れながらも、もう一度、ラクスの瞳をのぞき込む。
「あなたみたいな、少し悲しい目をした人たちを見てきたから。普段は世界まるごと見回してますって顔して、でも、こうして目を合わせててもね、絶対に目をそらそうとしないの」
フレイがテーブルから前に乗り出してもラクスはやはりフレイの瞳を見つめたままだった。根負けしてソファーに戻ったのはフレイの方だった。
「見せられない弱さを、不自然なくらい強がって守ろうとしてるって人たちを、ね」
「面白いお話ですけど、私はラクス・クラインです。お父様の望まれた世界を実現することに何のためらいもありません」
やはり、ラクスは目をそらすことがない。
それこそが悲しい目なのだと、フレイは考えずにはいられなかった。
「ニュース見たけど、今、世界を攻撃してるのって何?」
「ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンの偉業の一つに、木星圏にまで到達したことが挙げられます。そこで培われたノウハウがツィオルコフスキーによる往復4年にも及ぶ資源採掘の旅を可能にしました。その際、ツィオルコフスキーは大量の資材を空のタンクに詰め込み、木星圏で兵器の生産工場を長い年月かけて開発していたのです」
まだ誰もが第三勢力の正体を知らないはずだった。
「気の長いお話でした。管理AI、ハイムダルによる無人の工場は、ようやく質と数をそろえてくれたのです。地球ではカオスの名称が普及したようですけど、もともと、名前なんてありません」
「じゃあ、核攻撃も!?」
「ツィオルコフスキーに搭載されたものでしょう」
「プラントへの攻撃もあなたがさせてるの!?」
「ツィオルコフスキーをはじめ、すべてハイムダルによる自動制御です。私の関知するところではありません」
嘘ではないのだろう。しかし、仮にプラントが秘密裏に製造していた無人基地が人類への攻撃を開始したとすれば国際世論の非難はプラントへと向く。たやすく口外してよい話ではないはずだが。
「だったらなんでその、ハイムダルが味方のはずのプラントを攻撃するの?」
「さあ、それが私にもさっぱり」
これは本当だろうか。ラクスは再び茶器を口元に運ぶ。その優雅に見える仕草は至高の娘に妖艶な彩りを添えている。
「ああ、脳が混乱する。アイリスはそんな顔したことないもん」
多少の違いはあるとはいえ、ヴァーリたちは基本的に同じ遺伝子配列を持っているはずだった。もしも親友が至高の娘として育てられていたならこのような顔を見せていたのだろうか。
ノックもしないで黒髪のヴァーリが入ってきたのはその時のことだった。
「サイサリスはヨートゥンヘイムに帰ったぞ。これはプレゼントだそうだ」
そう、テーブルに置かれたのは透明なアンティーク調の容器に入れられた赤い液体だった。血液を思わせるそれは、エインセル・ハンターの名前が刻印されている。
「エインセルさんの血液って、あなたたち、エインセルさんのクローンを造るつもりなの!?」
「まさか。たしかにデータは貴重だったが、彼はプロト・ドミナントとは言え、10人の1人にすぎない。アスランやレイもいる以上、そこまでの価値はない」
容器の中に浮かぶ液体を見つめながら、ラクスは茶器を置いた。その際の音が妙な響きをもってラクスへと視線を集中させる。
「ハイムダルはレーベンズボルン・プランのためにシステムです。そんな彼は大いに困惑したのではないでしょうか? 王殺しを目撃してしまったからです」
「ここで言う王とは何者だ?」
「彼はプロト・ドミナントでした。つまり、プラントが本来、王として戴くべき存在だったのです。しかし、我々は自らの手で王を殺害してしまったのです。ハイムダルは学んだのではないでしょうか? 必要であれば王であっても排除してよいのだと」
「なるほど、エインセル・ハンターはプラントの王に名乗りを上げ、我らが神はそれを認めたということか」
「そして、シン・アスカはザフトの兵士でした」
「だが、それがどうしてプラント攻撃に繋がる? そもそも、エインセル・ハンターはプラントを滅ぼそうとしていた。それでも王と認めるのか?」
「あのね、エインセルさんはプラントを滅ぼそうとしてたんじゃなくてね、コーディネーターをつくる体制を改めさせようとしてただけ。わかった?」
フレイによる横やりも、ミルラは肩をすくめる程度で流してしまう。今はラクスによって語られる王殺しの方が重要だからなのだろう。
「レーベンズボルン・プランは遺伝子を最重視します。そこに、エインセル・ハンターの思想や人格が内在する余地はありません。彼がプラントにとって危険人物だと考えるのは、レーベンズボルン・プランの否定に他なりません」
よって、エインセル・ハンターはプラントの王である。
「我々は王を殺害し、ゆえにハイムダルは学んだのです。目的のためならばどのような人であっても排除してよいと」
「ラクス、じゃあ、ハイムダルの目的って何?」
「レーベンズボルン・プランという手段によって人類の恒久存続を担うことです。そして、ハイムダルの中には膨大な遺伝子データが保存されています」
神の悪意が浸透するかのように3人の間を通り抜ける。それとも、ここには4人いるとすべきだろうか。テーブルにはエインセル・ハンターの遺伝情報が置かれているのだから。
「私たちプラントは無垢なる魂にこう囁きかけてしまったのです。遺伝情報こそが人であり、生身の人間を排除することは許されると」
ハイムダルが守るべき人とは、単なる4文字の羅列でしかない。
プラントの民は、人を守るために人を滅ぼそうとしている。月面のユグドラシル発射基地が狙われたのもそのためだろう。そこを、ザフトが占領していたとしてもだ。
ミルラは思わず息を吐いた。
「コンピュータが人類を襲撃する、SFでは手垢のついたテーマだな。だが、狂っているのは誰だ?」
ミルラはラクスを一瞥すると手を振り部屋を後にしようとする。その視線は、フレイには疑いのまなざしのように見えた。
再び2人になった部屋の中で、フレイは疑問を投げかけた。
「ねえ、ラクス。エインセルさんはそこまで見越して自分の死を演出した可能性ってあると思う?」
ラクスは瞳を小さくした。こうわかりやすく困惑しているのは、アイリスではよく見かける。しかし、ラクスにこの顔をされるとフレイはやはり混乱させられてしまう。
では、次にラクスが発した言葉の意味を、フレイはどう捉えたのだろうか。
「この血の責任は、我らと我らの子孫の上にふりかかれ」
そう、ラクスは血の容器をそっと手にした。
ヨートゥンヘイムでも他の艦船と同じくあわただしい様子で戦闘の準備が進んでいた。なにせ全長1km、通常のザフト軍戦艦をそっくり格納できてしまうほどの巨大な艦だ。その規模もまた常識はずれのものとなる。
そのブリッジにサイサリスはいた。ブリッジとは言っても、階段状に配置されたに配置されたフロア一つ一つが通常のブリッジほどの広さのある広大なものだ。
「部隊の配備は終わった?」
手渡されたタブレットで確認すると、予定されていた人員、物資の移送は終了しあとは出撃の号令を待っているだけの段となっている。上機嫌に鼻歌交じりに計画が順調に消化されていることを確認していたサイサリスだが、ある1人の名前が視界に入ったとたん、眉を大きく歪めた。
「イザーク・ジュール。うちに来たんだ」
「優秀なパイロットだとされていますが?」
「プラスして反逆行為が理由で不名誉除隊くらったってしといて。誰か手の空いてる人に監視させてくれない? なんか、いやな予感するから」
ブリッジ・クルーにタブレットを返すサイサリス。その予感は当たっていたが、やや時期に遅れたものとなっていた。
同じヨートゥンヘイム、とは言え巨大である以上、直線距離にしても数百mは離れた地点の話だ。イザークは細い配管に身を潜めていた。その手には端末がある。カバーが破壊され剥き出しとなった電子ケーブルに多数のコードを接続している。
プロジェクターでもある端末から、青いドレス姿の少女が現れた。
「ツィオルコフスキーの座標がわかりました」
「よくやった!」
「でもハッキングを見破られました」
蒼星石の言葉と同時にけたたましいサイレンが鳴り響いた。
「らしいな。ラピスラツーリシュテルンを動かしておけ。このまま脱出する」
コードを引きちぎる勢いで引きはがすと、イザークはそばにあったダクト・カバーを蹴り飛ばし、通路へと跳びだした。
アラームと艦内放送でイザーク・ジュールの拘束命令が出たことが耳に痛いほどに聞こえていた。
格納庫の一角、軍服姿とは言えまだ若い少年少女の集まりがあった。全員、イザークの教え子であり、初陣を経験したばかりの新兵である。ルナマリア・ホークの妹であるメイリン・ホークもその1人だ。
「隊長が指名手配って!?」
ただでさえ未熟な彼らは狼狽えていることしかできないでいる。そんな中、整備士の大声が聞こえてきた。
「どうした? 勝手にカタパルトが動いてる!」
隊長の機体である、ガンダムラピスラツーリシュテルンを乗せたリフトがカタパルトへと移動を開始していた。まさに出撃しようとしているのだ。
「隊長、あなたには反逆罪の容疑がかかっています。投降してください!」
もちろん、搭乗しているのはイザークとは限らない。しかし、状況証拠としては十分だろう。メイリンをはじめ教え子たちは全員、隊長の置かれた状況を理解していた。
「止めたければ追ってこい。どうせ、お前たちには出撃命令が下る」
外部スピーカーで声を伝えている間にも、ラピスラツーリシュテルンは出撃準備を終えようとしていた。ハッキングで管制から主導権を奪ったことは事実としても、ヨートゥンヘイム側も格納庫内部で暴れられるよりはましと判断したのだろう。
カタパルトから打ち出されたラピスラツーリシュテルンは振り向き、ヨートゥンヘイムの前にゾウに挑む蟻として立ちふさがった。
その様子を、ブリッジのサイサリスは笑みさえこぼして眺めていた。
「何をするつもりか知らないけど、たった1機のモビル・スーツに何ができるっていうの? ガンダムなんて幻想、私が終わらせてあげる」