ヨートゥンヘイムの轟沈は、ザフトにとって片翼を失うほどの衝撃であったはずだ。それにも関わらず、ムスペルヘイムではあまりに淡々と作戦準備が進められていた。
プラントへの攻撃も行われている。その事実を、ミルラ・マイクは無視しきれないらしかった。
「ラクス、部隊の結集は終えたそうだ。だが、本当にいいのか?」
普段の執務室ではない。モニターに戦況について映し出されたブリーフィング・ルームだ。
「ハイムダルのことだ。明らかに暴走している。だが、ザフトはプラント市民への被害への攻撃も事実上、黙認している有様だ」
「同時に地球への攻撃も続けています。当初の計画通りでしょう。ザフトは寡兵です。地球軍との消耗戦に陥れば敗北は確実、でしょう?」
「だからハイムダルからの増援を前提に動いていたことはわかる。しかし、神は我々を見放した」
「神へ弓引くことに荷担すればザフトの勝利はかないません」
まるで埒があかない。業を煮やすミルラだが、ラクスはまるで意に介する様子がない。普段のラクスのままだ。
しかし、モニターにはザフト軍の劣勢が伝わっている。
「前線の部隊を撤収させろ。このままでは十字砲火にさらされる」
地球軍とハイムダルの間に割ってはいるように展開した部隊があったのだ。それでもラクスは手元のタブレットで作業を続けるばかりでミルラを努めて無視しているらしかった。
「ラクス!」
思わず声を荒らげるミルラだが、アスラン・ザラがラクスをかばうように現れたことでそれ以上の追求はできないでいた。
「ラクス、そろそろ出撃するよ」
「お気をつけて、アスラン」
「どうやらキラも出てるらしい。久しぶりの兄弟喧嘩になりそうだ。そういえば、シンだが、ファントム・ペインで今じゃキラの部下をしてるそうだ」
「波瀾万丈ですのね」
「君が追い出したりなんてするからだ。じゃあ、行ってくるよ」
恋人同士の一幕だった。もっとも、舞台背景は血と炎に彩られているのだが。
「私も出よう。だが、攻撃目標はハイムダルの方だ。これ以上、野放しにしていてはプラントへの被害が甚大になる。いいな?」
ラクスは特段、返事することもなくいつものように微笑んでいるだけだった。
ミネルヴァから出撃したインパルスガンダムの部隊は、地球を見下ろす成層圏ぎりぎりの地点まで到達していた。
隊長であるサトーは部下たちに通信を繋いでいた。
「我々の任務はツィオルコフスキーから放たれた核ミサイルの護衛だ」
副隊長はルナマリア・ホークが務めている。
「でも、あいつらはプラントも攻撃してるんですよね?」
「その通りだ。敵の敵は味方とは限らん。しかし、核が落ちるのは地球だ。せいぜい、利用させてもらうのが賢い戦い方だ」
「なるほど。ユニウス・セブンを先に焼いたのは奴らですもんね。自業自得ってことで少しは懲りてくれるといいんですけど」
高速で飛行する核ミサイルに付きっきりで防衛などできない。進路から逆算し、撃墜を試みると予想地点で待ちかまえる戦法を選んだ。そして、その予想は的中した。
大西洋連邦軍の艦隊が現れたのだ。
先頭には赤いガンダム・タイプ。ゲルテンリッター5号機のラインルビーンであり、それに率いられたファントム・ペインを中心とした部隊だった。
「ファントム・ペインか、厄介な相手だ」
すべてがガンダム・タイプであり、その内の2機が特機。3機にしてもディーヴィエイトガンダムという可変機構を備えたガンダム・タイプの量産機だ。その他の部隊にしてもウィンダムこそないものの、ストライクダガーが6機。
12機のインパルスガンダムからなるサトー隊は数の上では優位であるものの、厳しい戦いの予感に、誰もが緊張感を高めていた。
11機の機体の中に、黒い天使をおもわせるガンダムがいることはルナマリアの注目を引いていた。
「シン、いるんでしょ?」
オープン・チャンネルでの問いかけにすぐに応答があった。
「ルナマリア、君なのか?」
「あんたが仲間を裏切ったことは知ってた。戦うことしか知らないあなたに他に方法なんてなかったことは、認める気はないけどわかってあげる。でも、ほんの少しでも罪悪感があるなら、せめてここは引いて。あのミサイルはプラントの、いいえ、人類の未来のために必要なものなの」
「人を犠牲にすることでしか得られない未来に、何の価値があるっていうんだ?」
犠牲なくして得られるものなんてない。そんなこともわからないかつての同僚に、ルナマリアは失望を禁じ得なかった。
「さよなら、シン」
この手で死線をともにくぐり抜けた仲間を討つ。その手には自然と力がこもる。
「ヴィーノ、戦える?」
「できれば、シンとは戦いたくないな」
ヴィーノの方はまだ覚悟が決まっていないのだろう。仲間として過ごした思い出が足を引っ張っていることは想像に難くない。だとしても、シンはそんな仲間を裏切って敵に寝返ったのだ。
ルナマリアは憐憫が怒りへと変わっていく様を実感していた。
「割り切りなさい、じゃないと、死ぬわよ」
「いや、割り切っても死ぬって!」
シンの動きは理解している。かつてはサポート役として切り込み役を務めたシンの補佐をしていたのだから。そして、アスラン・ザラ隊長のもとで自分はさらに強くなった。
ただ猪のように突進してくることしかできないシンを相手に、ルナマリアは任せられた3人の部下とともにライフルを構えた。
そして、一瞬で間合いを詰められた。何が起きたのかわからないまま、ほとんど反射的にインパルスを動かした瞬間に、左腕をシールドごと切断されていた。いや、左脚も斬られている、では、胴体を鋭く蹴り飛ばされたのはいつのことだったか。
全身を駆けめぐる重い衝撃の中で、部下のインパルスが縦に両断される様を目撃した。自分も少し反応が遅れていたら同じ目にあっていたのだろうか、そう、漠然と考えていた。そして、いつの間にかもう1人の部下が袈裟斬りにされていた。無事だったのは、いち早く間合いから逃れることのできたヴィーノだけだった。
一瞬にして2機のモビル・スーツが撃墜され、1機は大破。だが、この惨敗ぶりはルナマリアの部隊に限った話ではなかった。
サトーは悲鳴じみた報告を聞いていた。
「ストーム1、2……、いえ、ストーム部隊、全滅です!」
「なんだと! 会敵数分でか!?」
12機の内、すでに7機が撃墜されていた。
それだけではない。母艦であるミネルヴァもまた攻撃にさらされていたのだ。ディーヴィエイトは可変機構を有する。スラスターを集中配備できる可変機の加速力で急接近、3機の編隊がビームを放ちながら通り過ぎると、ミネルヴァの船体に3筋の爆発が通り抜けた。
通路をなめる爆炎。鳴り響くアラーム。艦内のすべてが危険信号を伝えていた。消火班から届く報告は戦闘どころか、このまま轟沈してしまいかねないほど、危機的状況だった。
爆発音の度に揺さぶられる艦長席の上で、タリア・グラディスは驚きを隠せなかった。エインセル・ハンターを追って幾多の戦場を駆け抜けた艦のあまりのあっけなさをすぐには受け入れられなかったのだろう。
「本艦はこれ以上、作戦続行は不可能と判断。モビル・スーツ部隊に帰還命令。撤収します」
異議を述べる者などいない。しかし、ミネルヴァが撤退を開始してもなお、モビル・スーツ部隊の帰投はなかった。
大西洋連邦軍の艦隊から離れたミサイルが核ミサイルの群へと飛来していく。すでに幾度かの破壊に成功し、核ミサイルはその数を確実に減らしていた。
核ミサイルが破壊されていく度、希望が潰えていく。
サトーは叫んだ。
「なぜ理解できん! 世界は変わらねばならんのだ。娘を奪った光、大地に示すことでなあ!」
すでに趨勢は決している。部隊は残り4機まで減り、サトーの機体もすでに中破していた。だが、その気力は衰えることを知らない。
「正しき者に正しき世界を! 地球にしがみつく劣等種に正しき末路を!」
次々飛来する迎撃ミサイルへとサトーは銃身が焼き付くまでビームを放つ。しかし破損した機体では十分に狙いを定めることができない。
「新たな世界がユニウス・セブンに散った命のゆりかごとならんことを!」
敵部隊が再集結しつつある。ルナマリアが合流することはできたが、それはつまり、敵のストライクダガーが追いついてきたことも意味している。ビームが次々撃ち込まれる中、迎撃ミサイルが核ミサイルを目指してもいる。
戦争を終わらせる希望の灯火が消されようとしていた。
そして、サトーの思いもまた。ユニウス・セブン。かつて核で焼かれたコロニーに眠る娘のことが思い出された。しかし、聞こえてきたのは娘の声ではない。
「どうしてこんなことが平気でできるのよ!?」
ルナマリアはまだ戦っていた。残された腕でビーム・ライフルを放ち、圧倒的に不利な状況にあるにも関わらずだ。まるで娘に叱咤激励されるたかのような思いだった。
ルナマリアの機体をストライクダガーのビームが捉えた。死さえ覚悟したルナマリアだったが、サトーにためらいはなかった。自らの機体を盾にルナマリアをかばったのだ。
「行け、ルナマリア! 明日生まれてくる子らのためにぃ!」
突き刺さるビーム。機体が炎を出血し、火はコクピット内のサトーを呑み込んでいく。しかし、その思いは確かに引き継がれたのだ。
ルナマリアは振り向かなかった。機体を迎撃ミサイルへと加速させ最後の一撃に賭けた。もう、ビーム・ライフルもインパルスも限界なのだ。
もしも外したら。予感が震えとなってルナマリアの手を揺らす。加速中の狙撃はただでさえ命中率が低下する。これでは当てられない。
ルナマリアの顔には涙さえにじんでいた。
思い出すのは、映画「自由と正義の名の下に」で散っていった戦士たちの姿だった。人類の未来を守るために最後の最後まで戦士であった彼らの姿が脳裏に焼き付いている。すると不思議と手の震えがとまる。ルナマリアにはそれが、英霊たちがそっと手をさせてくれている、そう思えた。
迎撃ミサイル。タイミングからして、これが相手にとっても最後のチャンスのはずだ。
「当たれぇ!」
放たれた一筋のビーム。それは迎撃ミサイルを捉え、爆発は誘爆も伴って周囲のミサイルさえ破壊していく。まるで、それを見届けたようにビーム・ライフルは限界を迎えた。銃身そのものが爆発し、その余波でルナマリア機はもはや動かすこともままならなくなる。
まさに満身創痍。これで敵に狙われでもしたらなす術はない。それでも、不思議と恐怖はなかった。
「あたしだって赤なのよ……」
大破した状態で漂うルナマリア機。それをモニター越しにシャムス・コーザは一瞥した。すると、そんなこと見えているはずもないスウェン・カル・バヤンからの通信があった。
「やめておけ。くれてやる1秒が惜しい」
「エイプリルフールで10億、フィンブルで1億、ジェネシスじゃ地球上の全生命か……。あと何億殺したら満足するんだ、プラントの奴ら?」
そして、すでに大気圏へと突入を開始した3本の核ミサイルの下にはどれほどの命があるのだろうか。すでに迎撃の好機は逃した。しかし、機会は残されている。
「隊長、私とシャムスは降下しながら撃墜を試みます」
「わかった。核ミサイルの目標ははっきりしない。ただ、軍事基地ではないらしいんだ」
「ユグドラシルの発射基地ではないのですか?」
「相手も全部を把握できていないか、あるいは人口密集地を狙っているか。どちらにせよ、どれだけの人が犠牲になるかわからない」
「了解です。ファントム・ペインの名にかけて」
スウェンとシャムス。2人は無言のまま、MA形態のディーヴィエイトガンダムを地球の大気へと滑り込ませた。命を焼き尽くす無垢なる悪意を追って。
地球ではカオスの襲撃を受けていた。
軍事基地がその主な標的である。ハイムダルがその脅威を取り除こうとしていることは明らかだった。では、市民に犠牲はないのだろうか。そんなことはない。兵士も人であり生活の場を必要とする。とすれば、基地に隣接する都市は少なくない数存在し、そこもまた標的となった。
ザフト軍アフリカ方面軍の本拠地もまた、そのような性質を備えた街だった。
飛来するカオスはモビル・アーマー形態のまま空を飛び交っていた。撃ち下ろされるビームは街をえぐり炎の壁を立ち上げる。ミサイルの雨は家屋ごと人々を吹き飛ばした。
わずか数km先にある別の街では襲撃を受けていない。それでも人々がこの街にとどまるのは、隣町が防衛施設を備えていないからだ。だからカオスはこの街を優先的に攻撃している。
防衛隊も無策でいるわけではなかった。ヒルドルブを展開し、カオスの迎撃に当たっていた。だが、敵の攻撃を回避することを中心に設計されたヒルドルブは街の防衛を目的としていない。
カオスのビームがヒルドルブを狙う。シールドで受け止めるものの、ビームの攻撃力に耐えうる装甲はまだ開発されていない。シールドはすぐに破壊される。次の攻撃に対して、ヒルドルブは回避を選択せざるを得なかった。すると、ヒルドルブが受け止めるはずだったビームは街に落ちた。反撃が正確にカオスを捉えたことで、撃墜されたカオスは街に墜落、周囲を巻き込む大爆発を引き起こす。
もはやザフトにできることは市民や街を守ることではない。敵を倒す、それだけのことだった。
しかし、それさえ、危うい状況が続いていた。
「司令代行、援軍は来ないんですか!?」
「上層部からは連絡はない」
マーチン・ダコスタ司令代行は努めて平静を装ってはいたが、すでに上層部への不信感は致命的なものに変わりつつあった。もっとも、それは部隊内での共通認識になりつつあったが。
通信には悲鳴よりも部隊員の愚痴の方が多く聞かれるのだから。
「ジェネシス以来、3年ぶりだな! 見捨てられるのはな!」
ザフト軍がユニウス・セブン条約にも関わらず地球上に基地を保有しているのは地上部隊の働きによるものだ。条約破りの汚れ仕事を押しつけてきたからだ。そして、本国はそんな彼らごと、地球を焼き尽くそうとした。
高見に座ると、人はそれだけで傲慢になれるのだろうか。空を見上げたところでプラント本国は見えはしない。
そして、プラント本国からも地球は見えないのだ。
カオスの1機が上空で被弾した。右腕を失い、両足を破壊されたことで攻撃力の大半を消失したのだ。本来であれば撤退が許可されるほどの損傷である。そんな常識が、マーチンの油断を誘ったのかもしれない。カオスはそのままマーチン機へと突撃してきたのである。
激突する両機。墜落同然につっこんできたカオスを、マーチン機は辛うじて受け止めた。しかし、カオスの甲殻類を思わせるヘッド・カバーにはビーム砲の銃口が開いていた。このままでは至近距離から直撃をくらうことになる。
それでも、マーチンには逃れる手段はなかった。すぐ背後には、赤子を抱えた母親の姿があったからだ。もしもヒルドルブがスラスター出力を全開にすればカオスを押し返せるかもしれない。母子を吹き飛ばすことと引き替えに。
モニターに映る2人の様子をその目に焼き付けながら、マーチンは静かに微笑んだ。
「いつまでも一緒だ」
そしてビームの光は、真横からカオスの頭部を撃ち抜いた。横倒しに崩れ落ちるカオス。十分なチャージが完了していなかったのか、爆発することはない。あるいは、爆発しない箇所を正確に撃ち抜いたか、だ。
街の外から加えられる援護射撃。それはカオスを郊外へと導くとともにマーチンたちに体制を立て直す時間を与えた。
「援軍か!?」
「いえ、敵性反応! ファントム・ペインです!」
ファントム・ペイン。ブルー・コスモスの働きかけによって世界安全保証機構所属国に設立された特殊部隊である。スカウト制により精鋭のみが参加するとされるこの部隊は一つの特徴があった。そのすべてが通り名を持つということだ。
大西洋連邦、白銀の魔弾キラ・ヤマト。
赤道同盟、片角の魔女セレーネ・マクグリフ。
東アジア共和国、白鯨ジェーン・ヒューストン。
ユーラシア連邦、灰色熊ジュリ・キサト。
大洋州連邦、赤い悪魔ロウ・ギュール。
アフリカ共同体、切り裂きエドことエドワード・ハレルソン。
南アメリカ合衆国、将軍の影、レナ・アメリア。
エインセル・ハンターの私兵と揶揄されたエース・パイロットたち。彼らの戦いはエインセル・ハンターの最後とともにはなかった。しかし、その後も続いている。
ユーラシア連邦の密林地帯。その上空を9機からなるカオスの編隊が飛行していた。基地を攻撃し、街を焼くために。しかし、そこはすでに凶暴な灰色熊の縄張りであった。
森の一角からビーム砲の狙撃があった。標的とされたカオスは回避することもできないまま撃墜される。しかし、自分が狙撃されたこと、予想される狙撃手の地点を即座に周囲に伝達。残りの8機がビーム砲のような重量物を抱えた愚鈍な狙撃者を破壊し尽くすはずだった。
しかし、それは叶わない。
なぜなら、残りの8機すべて、同じタイミングで撃墜されていたからだ。
森の中からはランチャー・ストライカーを装備したストライクダガーの一団が姿を現した。森に潜むよう、徹底した迷彩が施されたこの機体たちこそ、灰色熊の正体である。
現在において狙撃が奇襲として成功するのは初撃のみ。ならば、一撃ですべての鉄機を葬ってしまえばいい。それが灰色熊だった。
そう、灰色熊は森に潜み、出会い頭の一撃で命を刈り取るのである。ゆえに、灰色熊と、キサトは呼ばれた。
大洋州連合の上空でそれは起きた。
カオスが完全に振り回されていた。上空から飛来する赤いガンダム。すると次には低空から赤いガンダムが上昇する。
1対の大剣を備えた近接特化であるはずのイクシードガンダムに大型のウイングをとりつけただけの乱暴なカスタム機だった。それが急降下と急上昇を繰り返しながらカオス部隊をかき回しているのである。
すれ違い様に切断されるカオスが1機。しかし、残りのカオスは目でイクシードを追うことはできない。周囲に展開していた戦闘機が鋭く追撃をしかけていたからだ。そして、戦闘機に手一杯となった瞬間、急降下していたイクシードが再びカオスを餌食とした。
モビル・スーツと戦闘機による混成部隊。それがロウ・ギュールの、赤い悪魔と呼ばれるファントム・ペインの戦力である。
奴は飛来する。獲物を狙う鷲のように。
奴は浮上する。飛び上がる鮫のように。
鷲のようでも、鮫のようでもある恐ろしい何か。人はそれを悪魔と形容することしかできなかった。故に悪魔、赤い悪魔。
ジェネラルはすでにいない。
黒塗りのデュエルダガーに黒塗りのダガーナイフ。それがカオスには通用しないことはすでにジャブローの戦いで証明されている。
では、将軍の影が消えてしまったのだろうか。しかし、影とは何だ? 単なる光が遮蔽されたことで生じた闇にすぎない。そして闇はそれ自体、誰かを傷つけることはない。将軍の影は影そのものはなく影に隠れていた何か、だとしたら。誰かがおもしろ半分に闇の中から引っ張り出したとしても、もはやそれが戻るべき場所などない。
敵対する者を切り刻み続けた脅威がむき出しになるだけだ。
転がるカオスの残骸、その中心にたたずむ、黒塗りのウィンダムの姿があった。
もはや残りのカオスは1機のみ。撤退を知らない機械は飛び上がり脚部ビーム・サーベルを突き立てようと迫る。
しかし、ウィンダムは速かった。無駄のない、最小限の動きで先にカオスの懐まで入り込むと、ビーム・ダガーをその胸部へと突き立てた。すれ違う勢いで、刺さったままのダガーを縦に振り抜いた。
胴を引き裂かれたカオスが臓腑のように爆発をまき散らし地面の激突する。
太陽は冷たく、影は有情。少なくとも将軍の影があるうちは、鬼の姿を目にすることだけはなかったのだから。
切り裂きエド。この名前から古都ロンドンを震えあがらせた正体不明の殺人鬼を思い浮かべる者は少なくないことだろう。しかし、エドワード・ハレルソンの姿に面食らう者も同じだけいることだろう。
エドワードは陽気な男であり、とても女性たちを残酷な手口で殺害した殺人鬼とはすぐには結びつかない。愛機であるイクシードガンダムを乗せたトレーラーの助手席で、両手を枕にまどろんでいる有様だった。
運転席の隊員は焦ったような顔をしながら、車載時計を頻繁に眺めていた。
「隊長、30分の遅れです」
「おいおい、まさか助けるべきじゃなかった、って言いたいんじゃないだろうな?」
うっすらと開かれた目はまだ眠たげだった。
ザフト地上軍へ援護攻撃をした後、エドワード隊はすぐさま撤退したのである。時間がないこともたしかだが、カオスを処理した後でザフトがこちらを攻撃しかねないという危惧もあった。
しかし、市民の犠牲を少しでも減らすためには必要なことだった。そのことを、隊員の表情の複雑さに拍車をかけているのだろう。
「事実を確認したまでです。なお、ビクトリア基地はすでに包囲されています」
それもまた事実の確認だ。車載モニターには先駆隊から見事なアングルで上空を飛び交うカオスと、ビクトリア基地の様子が届けられていた。
「俺たちがなぜファントム・ペインて呼ばれてるか、教えてやるとするか」
その光景をでさえ、エドワードは笑いながらみていた。切り裂きエドが、死のにおいに嗚咽をもらすことなどありないのだ。
赤道同盟の鉄と毒の森には片角の魔女が住まう。本来は1対の大砲を備えるドッペンホルン・ストライカーの片方をオミットし、代わりに大型シールドでバランスをとったストライクダガーたちが廃棄物の山に集結していた。
セレーネ・マクグリフの姿はすでにコクピットの中にある。
「さて、ソル、あなたも避難なさい。ここにはすぐにカオスが大挙して押し寄せるわよ」
モニターには、ストライクダガーを見回すちょうどいい屋上にソル・リューネ・ランジュの姿がある。
「ユグドラシルがあるからですか?」
「ここにあるのはユグドラシルのダミーよ。でも、ハリボテでも、ハイムダルを引きつけるには十分てことね」
基地施設の中心部、これ見よがしに置かれた巨大な円形の蓋。上空からハイムダルはこれを確認し、それが巨大ビーム兵器であるユグドラシルであるかどうか確認することなく破壊活動を行うだろう。
「さあさあ、みんな頑張って。ここが正念場よ。私たちが戦えた分だけ、市民への攻撃の手が弱まるんだからね。ソルもそろそろ避難なさい」
「エインセルさんは、このことを予見していたんですか?」
「もちろん、だから私たちはファントム・ペインなのよ」
突然、セレーネが大砲を発射した。その弾丸は美しい放物線を描き、こちらへと向かっていたカオスの1機へと吸い込まれていった。本来、実弾であるドッペンホルンでフェイズシフト・アーマーを破壊することは難しい。しかし、モビル・アーマー形態であったカオスの顔面部分にはビーム砲の砲口が開いている。弾丸はその穴を正確に捉え、内部からカオスを破壊したのだ。
白銀の魔弾キラ・ヤマト。彼の活躍はまたの機会に語ることになるだろう。ファントム・ペインではあっても通り名などない戦士たちがいる。そんな戦士たちもまた、戦っているのだから。
核ミサイルを追って大気圏に突入したディーヴィエイトを待ち受けていたのは大気の圧力そのものだった。高速で飛行する物体には容赦なく空気が塊となって衝突してくる。可変機構を有し、比較的飛行に適した形状をしているとは言ってももとは人型の藻ビル・スーツ、流線型とはいかない。うまく逃がしきれない大気の圧力が激しい振動となって機体そのものを揺さぶっていた。
コクピット内では当然のように危険速度を超過していると警告が流れているが、スウェンたちはやはり当然のように無視した。
「弾頭は傷つけるな。破損すれば放射性物質が上空からばらまかれることになる」
残りの核ミサイルは全部で3発。規模からして、そのすべてが戦略級だ。大都市に落ちれば数百万もの人命が危険にさらされる。もはやチャンスは限られている。まもなく訪れる軌道が重なる一瞬ですべて撃墜しなければならない。
「わかってるさ。けど、整備にはどやされるな」
振動はコクピットにまで伝わっている。最悪、空中分解も覚悟しなければならない過酷な環境だが、わずかでも速度を落とせば核ミサイルに追いつくことが不可能になる。
ただただ恐怖に耐え、その時を待っていることしかできない。
「なあ、スウェン? 核爆弾を造った科学者連中って、何もわからずに造ったと思うか? いや、あいつら絶対、知ってたな。自分たちの発明で何百万の人が焼かれることを。アインシュタインほどの天才がそんなことわからないはずないもんな」
「天才ごときを買いかぶりすぎではないか?」
「やっぱ人類は核兵器なんて持つべきじゃなかったって思わないか? 核を持ってる奴は核の抑止力なんて言うけどな、世界中に核をばらまくことには反対するだろ?」
核が平和をつくるなら悪辣な独裁者から危険なテロリストにまで核を持たせればいい。相互に手出しできなくなるなら決して戦争など起こせないのだから。
「だからアインシュタインやオッペンハイマーは考えたのだろう。自分たちが造らなくても他の誰かが造るとな」
「そして、自分たちは他の誰かさんより遙かにマシに決まってるってわけだ」
「核とは人のエゴそのものなのかもしれないな」
「大変だねぇ、人ってのは。ま、俺たちが人間未満だった頃の話だがな」
そう、シャムスは褐色の肌とのコントラストが見事な白い歯を見せて笑う。文字通りのブラック・ジョークなのだろう。
「さて、アインシュタイン様のお尻ふきと参りますか」
「オッペンハイマーの方は任せておけ」
高速で飛来する核ミサイルが射程に入った。ディーヴィエイトは装甲をさらに輝かせ速度を上げた。大気がもはや分厚いゴムのように抵抗を強め、機体の各所が悲鳴を上げる。2機から発射されたビームは震える銃身が邪魔をする。なかなか命中させられないまま、それでも撃ち抜いたことでミサイルは爆散。飛び散る残骸の中から、頑丈な甲殻に包まれた弾頭が無傷のまま落下していく。
しかし時間をかけすぎた。すでに二つ目のミサイルが射程に踏み込んでいた。
急ぎ、狙いを変えるスウェンだが、コクピット内に無情なアラームが響いた。ビームが発射不能になったのだ。
だが、核ミサイルはまだ2機、残されている。
スウェン機が機体にかかる不可によって機能不全に陥っている中、ではシャムス機が無事であるはずがない。
次の核ミサイルが2機の脇を高速で通り過ぎようとする様を、スウェンは見送ることしかできない歯がゆさに歯を食いしばっていた。
ただ、シャムスは違っていた。
腰部に大型クローを展開、通り過ぎる一瞬でミサイルに文字通り噛みついたのだ。
「シャムス!」
モニターが不調を来すほどの激しい振動がディーヴィエイトがすでに限界であることを伝えていた。だが、シャムスはいつものように人なつっこい笑顔を見せると、スウェンに向かって敬礼をする。
「シャムス、話すべきか悩んだことだが、私はこんななりだが遺伝子的には黒人だそうだ」
「おいおい、マジかよ、ブラザー。知ってたらいいジャズ・バー紹介してやったのによ」
「君にジャズの趣味はないはずだが?」
すでにモニターは死んでいた。離れていく核ミサイルの上では、シャムスのディーヴィエイトからウイングが脱落。断面からは炎が吹き出している。
「そろそろ疲れちまった。先にバケーションとしゃれこむわ。お前は後から来いよ、ハンモックに良さそうな木、探しとく」
「休暇届けは私から提出しておく」
核ミサイルが爆発する。爆煙の中から投げ落とされた弾頭は遙か下、太平洋のどこかで眠りにつくはずだ。もう、誰も傷つけることのないように。