<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

その他SS投稿掲示板


[広告]


No.32711の一覧
[0] 機動戦士ガンダム0086 StarDust Cradle ‐ Ver.arcadia ‐ 連載終了[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:06)
[1] Prologue[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:00)
[2] Brocade[廣瀬 雀吉](2012/04/19 18:01)
[3] Ephemera[廣瀬 雀吉](2012/05/06 06:23)
[4] Truth[廣瀬 雀吉](2012/05/09 14:24)
[5] Oakly[廣瀬 雀吉](2012/05/12 02:50)
[6] The Magnificent Seven[廣瀬 雀吉](2012/05/26 18:02)
[7] Unless a kernel of wheat is planted in the soil [廣瀬 雀吉](2012/06/09 07:02)
[8] Artificial or not[廣瀬 雀吉](2012/06/20 19:13)
[9] Astarte & Warlock[廣瀬 雀吉](2012/08/02 20:47)
[10] Reflection[廣瀬 雀吉](2012/08/04 16:39)
[11] Mother Goose[廣瀬 雀吉](2012/09/07 22:53)
[12] Torukia[廣瀬 雀吉](2012/10/06 21:31)
[13] Disk[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:30)
[14] Scars[廣瀬 雀吉](2012/11/15 19:32)
[15] Disclosure[廣瀬 雀吉](2012/11/24 23:08)
[16] Missing[廣瀬 雀吉](2013/01/27 11:57)
[17] Missing - linkⅠ[廣瀬 雀吉](2013/01/28 18:05)
[18] Missing - linkⅡ[廣瀬 雀吉](2013/02/20 23:50)
[19] Missing - linkⅢ[廣瀬 雀吉](2013/03/21 22:43)
[20] Realize[廣瀬 雀吉](2013/04/18 23:38)
[21] Missing you[廣瀬 雀吉](2013/05/03 00:34)
[22] The Stranger[廣瀬 雀吉](2013/05/18 18:21)
[23] Salinas[廣瀬 雀吉](2013/06/05 20:31)
[24] Nemesis[廣瀬 雀吉](2013/06/22 23:34)
[25] Expose[廣瀬 雀吉](2013/08/05 13:34)
[26] No way[廣瀬 雀吉](2013/08/25 23:16)
[27] Prodrome[廣瀬 雀吉](2013/10/24 22:37)
[28] friends[廣瀬 雀吉](2014/03/10 20:57)
[29] Versus[廣瀬 雀吉](2014/11/13 19:01)
[30] keep on, keepin' on[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:50)
[31] PAN PAN PAN[廣瀬 雀吉](2015/02/05 01:25)
[32] On your mark[廣瀬 雀吉](2015/08/11 22:03)
[33] Laplace's demon[廣瀬 雀吉](2016/01/25 05:38)
[34] Welcome[廣瀬 雀吉](2020/08/31 05:56)
[35] To the nightmare[廣瀬 雀吉](2020/09/15 20:32)
[36] Vigilante[廣瀬 雀吉](2020/09/27 20:09)
[37] Breakthrough[廣瀬 雀吉](2020/10/04 19:20)
[38] yes[廣瀬 雀吉](2020/10/17 22:19)
[39] Strength[廣瀬 雀吉](2020/10/22 19:16)
[40] Awakening[廣瀬 雀吉](2020/11/04 19:29)
[41] Encounter[廣瀬 雀吉](2020/11/28 19:43)
[42] Period[廣瀬 雀吉](2020/12/23 06:01)
[43] Clue[廣瀬 雀吉](2021/01/07 21:17)
[44] Boy meets Girl[廣瀬 雀吉](2021/02/01 16:24)
[45] get the regret over[廣瀬 雀吉](2021/02/22 22:58)
[46] Distance[廣瀬 雀吉](2021/03/01 21:24)
[47] ZERO GRAVITY[廣瀬 雀吉](2021/04/17 18:03)
[48] Lynx[廣瀬 雀吉](2021/05/04 20:07)
[49] Determination[廣瀬 雀吉](2021/06/16 05:54)
[50] Answer[廣瀬 雀吉](2021/06/30 21:35)
[51] Assemble[廣瀬 雀吉](2021/07/23 10:48)
[52] Nightglow[廣瀬 雀吉](2021/09/14 07:04)
[53] Moon Halo[廣瀬 雀吉](2021/10/08 21:52)
[54] Dance little Baby[廣瀬 雀吉](2022/02/15 17:07)
[55] Godspeed[廣瀬 雀吉](2022/04/16 21:09)
[56] Game Changers[廣瀬 雀吉](2022/06/19 23:44)
[57] Pay back[廣瀬 雀吉](2022/08/25 20:06)
[58] Trigger[廣瀬 雀吉](2022/10/07 00:09)
[59] fallin' down[廣瀬 雀吉](2022/10/25 23:39)
[60] last resort[廣瀬 雀吉](2022/11/11 00:02)
[61] a minute[廣瀬 雀吉](2023/01/16 00:00)
[62] one shot one kill[廣瀬 雀吉](2023/01/22 00:44)
[63] Reviver[廣瀬 雀吉](2023/02/18 12:57)
[64] Crushers[廣瀬 雀吉](2023/03/31 22:11)
[65] This is what I can do[廣瀬 雀吉](2023/05/01 16:09)
[66] Ark Song[廣瀬 雀吉](2023/05/14 21:53)
[67] Men of Destiny[廣瀬 雀吉](2023/06/11 01:10)
[68] Calling to the night[廣瀬 雀吉](2023/06/18 01:03)
[69] Broken Night[廣瀬 雀吉](2023/06/30 01:40)
[70] intermission[廣瀬 雀吉](2023/07/03 19:04)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[32711] The Stranger
Name: 廣瀬 雀吉◆b894648c ID:41c9b9fd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/05/18 18:21
「はーい、オーラィオーラィ、そのまま真っ直ぐ ―― 」
 昼過ぎのハンガーに響く間延びした整備員の声。軸線をずらした後方ではバックミラーに自分の姿を移した整備員が頭上に上げた手をゆっくりと振りながら、目の前をバックで進入する巨大なモビルスーツ専用のローダーを誘導していた。広大な荷台に横たわっているモビルスーツには機体を保護する為のゴムシートが掛けられ、この下に隠されている物が軍の物であると言う事を内外に示す『keep out』のテープが張られている。荷受に先駆けてジャブローから送られてきた命令書と、荷物の内容が書かれた書類とそのテープの存在を交互に見やったモウラがちっと舌打ちしながら呟いた。
「何が『おさわり厳禁keep out』だよ全く。そんなに大事なもんならわざわざここに持ってこなくてもいいじゃないか。どうせ厄介事の種ばっかり押し付けるつもりの癖に」
 毒づきながら輸送担当の責任者から渡された受領確認の書類にサインをする。遠く離れたアマゾンでアナグマの様に息を潜める本部のやり方に対して述べた不満を間近で聞く羽目になったその男は、日に晒されて色褪せた帽子と焼けた顔を綻ばせてモウラの愚痴に同意した。
「ジャブローのお偉いさんにゃ現場の都合なんて二の次でね。この機体も地下の倉庫に入りきらなくなったから弾き出された様なもんで別に他意がある訳じゃない、本当はスクラップになる所を未使用の機体だからってンでどっか邪魔にならない所にでも飾っとこうって腹なんじゃないんですか? 」
「未使用? そんな機体ならどこの基地でも欲しがりそうなもんだけどね。ましてや『この機体』は最近じゃ滅多にお目にかかれない代物じゃない」
 あれだけの大戦で使われなかった機体が存在するなんて、とモウラは目を丸くしてローダーの荷台を見上げる。今置かれている連邦の経済状態とそれに伴う軍の方針を考えれば、その素性が何であれ新品の機体がこんな辺境へと配備される事など考えられなかった。

 デラーズ紛争の最中に起こったコンペイ島での核攻撃によって連邦軍はその戦力の約半分を喪失した。紛争の結末がデラーズの敗北に終わったとは言え、彼らが残した危機感は結果として連邦政府の方針に大きな影響を与え、軍内部で戦力の増強を謳うティターンズの台頭を許す事にはなっている。
 だからと言って失ってしまった将兵や艦船、そして近代宇宙戦闘の主流であった艦隊戦偏重主義を根底から覆す要因になったモビルスーツを一気に補う事は不可能だった。民生の工場をフル稼働させても標準配備として採用されたジムを戦時下の様に大量生産する事は困難を極め、何よりそんな動きを外部に知られればまたぞろ『藪をつついて蛇を出す』様な羽目にならないとも限らない。不安定な情勢下に置かれた連邦政府が今や最も注意を払わなければならない事は、ジオンと言う反連邦の旗手を失った他のコロニーを収める各自治体の動向になってしまったと言うのは、謂わば彼ら自身が撒いた種であった。
 不足したまま遅々として増強の図られない戦力に業を煮やした連邦は、現在開発中若しくは新たに生産される機体が十分な域に達するまでの最も安上がりで手っ取り早い方法として、接収又は鹵獲したジオンのモビルスーツを予備戦力として投入する事を決定した。ジャブローやルナツー、そして各基地の倉庫や果てはリサイクルの為にジャンク屋の軒先に積み上げられたまま放置されていた機体を叩き起こして再び戦いの空へと舞い上げる。敵国の機体を自戦力として登用する事については軍の内部で賛否両論が巻き起こったが、反対論者にそれに取って代わるだけの代案を用意する事は出来ない。代わって賛成論者には彼らの反論をねじ伏せるだけの材料を手に議会へと登壇し、その案の帰結は誰の眼にも明らかであった。

 賛成派がこの法案を推進した根拠はこうだ。一年戦争に勝利した連邦の影響下にはジオンから亡命して来た技術者や科学者が少なからず存在している。彼らの能力を生かす再就職先を斡旋する意味でも、また戦争の終結による景気の停滞によって職を失った労働者の雇用を確保すると言う意味においても敵国のモビルスーツを再生すると言う計画は即効性のある景気回復策であり、何より物資の動きが外部に悟られにくい。実際その計画が実行に移された時点で発生した経済効果は彼らの予想を遥かに超えた。旧ジオニック社やMIP社に在籍していた技術者は自ら進んでこのプロジェクトに参画し、思わぬ副産物まで連邦社会に恵んで今尚拡大の一歩を辿っている。
 彼らが派遣された、倒産寸前だった企業の内のいくつかは彼らが密かに暖めていた数々のアイディアを再生されるモビルスーツに搭載して軍部からの賞賛を浴びて受注をもぎ取った。連邦からの要請による受注は彼らの懐に莫大な資金を流入させ、彼らはそれを手に民間型のモビルスーツ ―― 用途は産業用に限定されるが ―― の開発に着手する。自らの企業の生存を賭けて軍から民間へと市場を移した先見の明は今や連邦軍との取引をほぼ独占するアナハイムの傘下を離れて民間の企業として独自の開発路線を進みつつある。
 戦火に焼け爛れた地上を復興させようとする人々の願いは敵国の科学者が作った機械によって叶えられ、世界の至る所で活躍を続ける作業用のロボットは自らの手で壊した世界を自らの手で修復しようと現在も稼動を続けていると言うのは、恐らく人類が戦争と言う愚かしい行為に手を染め始めてから何度も繰り返された摂理に違いない。

 戦力増強計画の大綱が連邦政府の議会を通過してからというもの、新品の機体はもっぱら今尚続く小競り合いの最前線へと配備される事が多くなった。主に宇宙空間で繰り広げられる戦闘に供給されるジムは宇宙空間仕様に限定され、それは逆に戦線より遠く離れた地球上の連邦軍基地に廻す重力下仕様機を製造するラインが占拠された事を意味している。勢いそれらが齎す状況は地球上の基地にジオンのモビルスーツを蔓延させて、前年度の連邦軍軍事評価指数においては地球に駐屯する部隊の約半数が主戦力としてそれを使用すると言う発表が為された。最前線への補給施設として建造されたスマトラ島のマス・ドライバー基地ですら一個中隊規模のザクやゲルググが配備されていると言うご時世に連邦軍の主戦機を要求するなどとはもってのほかと言う風潮が地上軍の暗黙の了解と言う事になり、ましてやそれほど戦略的拠点として重要視されていないオークリーに正式採用の機体が配備される事など有り得ない。
 だからオークリー基地にただ一機配備されているキースのジムは当然工場から出て来たばかりの新品ではない。その機体がここに運ばれて来た時には何年も土に埋まっていた物が発掘された様な状態で ―― それだって奇跡と言える ―― 当時のモウラの言を借りればそれは司令部が世間体を気にして体裁を整える為にしぶしぶ用意したと言っても過言ではなかった。だがその機体のレストアに及び腰だったモウラや整備士連中が重い腰を上げざる得なくなったのはコウとニナの熱意によるもので、彼らは自分達の持つスキルと役割をフル活用してそのスクラップの再生に自ら進んで乗り出した。
 少ない予算の中から予備パーツを購入する為の資金をねん出し、使えそうななパーツは可能な限り修復して調整する。最初は二人から始まった趣味の世界がいつの間にかモビルスーツ隊全員を巻き込んだイベントへと姿を変え、全員が持つ知恵と経験を結集して再稼働を目指したそのスクラップは言うなればモビルスーツ部隊員全員の意地と誇りを形にした傑作機であった。
 不安と期待が綯い交ぜになった試運転のその日はどこまでも澄み渡った空が広がる晴天だった。乾いた日差しの中に響く融合炉の唸りとジェネレーターの叫び声、動き出した油圧がマニピュレーターのシリンダーを作動させてジムの指を折り曲げる。その右手が拳の形を作り上げた瞬間にだだっ広いと思っていたハンガーの空間は全員の歓声で突然狭くなった。スーパーボウルの勝者チームもかくやと思わせるほど爆発した興奮は、最初の一歩を踏み出したコウをも巻き添えにして大きなうねりに変化する。だがモウラはそんな事よりもコックピットの中にニナと一緒にいたキースの歓喜の雄叫びが一番印象に残っていた。

「うおおおぉぉっ! やったぁ、これでもうジオンの基地じゃなくなるぅっ! 」

 胸に去来する驚きと更なる喜びはモウラの身体を震えさせた。そんな事をぜんぜんおくびにも出さずに日々の訓練を重ねてきた彼が、実は最も気に病んでいた事がそんな他愛もない事であった事。だがたとえこんな辺境の基地で不自由な暮らしを強いられていても、やはり彼は連邦軍の士官だったのだと気付かされたその日。キースが胸の内に秘めていた望みを自分の手で叶えてあげる事が出来たと言う喜びは彼女にとっても同じ意味を持つ、モウラがあらゆる意味でキースと共に未来を歩んでいこうと決心したのはまさにその瞬間だった。

 だがその一機以降この基地にスクラップと言えども連邦軍の機体が送り込まれる事はない。オークリーの稼働機体が予備機も含めて定数に達した事と資材の再利用によるスクラップの減少でそれ以上の追加は認められなかった。もちろんアデリアとマークスがこの基地に赴任して来た事で彼らの専任機を前の基地から廻航する権利は得たのだが、それを行使した途端に資材部から送られて来た回答は『No』の二文字。何の詳細も記載されずにただ代替機と言う事で搬送されて来た彼らの機体は、既に当時としても隔世の感を思わせる『ザクⅡ』と呼ばれた機体だった。

                                *                                *                                *

「すごいね、ジャブローの嫌がらせもここに極まれりって所かい? 」
 モウラはカラーリングの異なった二機のザクがケージに固定されている様子を眺めながら隣に立っているアストナージに尋ねた。受け取った資料に目を通しながら小さな溜息をついた整備班の先任はやれやれと言った風体で彼女の言葉に応えた。
「デザートイエローの方はオデッサ、オリーブドラブの方はフィンランドでの接収となってますねぇ。まあどちらの機体も地上での鹵獲になってますンで重力下使用には問題無いとは思います。予備部品も機体と一緒にほぼ二機分、ただしリビルトやらリサイクルのオンパレード。ま、年式が年式ですから新古品ですら期待は出来ないとは思いますがね」
「79年製、五年落ちのヘビーユースかい。こりゃ相当にガタが来てるぞ、モノコックフレームが歪んでなきゃいいけど」
「一応寸法が一緒なんで治具はジムのやつが使えるとは思うンすけど …… どうします? 」
 むう、と唸ったまま黙って何かを考え込むモウラ。到着した機体は先ず全体を一度分解して再度組み上げると言うC整備から行う事がモウラ独自オークリーの慣例となっている。ありとあらゆる検査を経て ―― モウラはその点においてはジャブローを全く信用していなかった ―― 合格した部品だけを集めて元通りに組み立てるのだが、彼女が今最も危惧しているのはモビルスーツを支える外部骨格・モノコックフレームの不具合だった。
 モビルスーツの構造は外装のみで内部の機器などの自重を支える応力外皮構造 ―― 通称モノコックフレームで成り立っている。機体の軽量化と開発期間の不足から小型化に遅れた動力システムを収める為に採用されたこの方式は主にジオン公国で初期に開発された一連のモビルスーツ群に散見されるのだがこれにはいくつかの欠点が存在した。その中でも特に問題視されているのは装甲が骨格の役割を果たす為に衝撃で歪んだ場合、機体全体の重量配分マスバランスが崩れて著しく機動性能が低下すると言う点である。唯一にして最大のその弱点をジオン軍の地球降下作戦によって蹂躙され続けた陸軍は多くの将兵の犠牲の代償と引き換えに手に入れ、ザクの脚部装甲に対装甲弾で歪みを作り、自らを囮に無理な機動を強いて自損もしくは自倒へと持ちこむ部隊『ゴーレム・ハンター』と呼ばれる特殊猟兵を生みだした。ジオン軍の蹂躙を最後の最期に押し留めたのは彼らの活躍があってこその物だった。
 ザクの弱点を分析した連邦軍は自らの力で独自に作り上げた量産型機動兵器『RGM-79』にセミ・モノコックを採用した。これは装甲板の内側に縦通材などの補強を施す事によって衝撃からの歪みを緩和し、機動性能の低下を出来るだけ防ぐと言う意図のもとに作られている。ジオンの物に比べてデザインが直線的で武骨ではあるが耐久性と損傷率では格段の違いを示した事で、その機体は最後まで主力機の座に君臨し続ける事が出来たのである。だが基本構造がモノコック方式である以上ジムの弱点がジオンのモビルスーツと同じ所にある事には変わりがない。それは宇宙空間においても同様で、装甲の歪んだ機体で戦闘機動を続けるとその部分に加わる慣性重量によってそのひずみはさらに激しくなり、最終的には金属の耐久限界を超えた時点で一気に破壊される。十分に整備の出来なかった味方の機体がその様な要因で敵の砲火の餌食となって散っていく様をモウラとアストナージは何度も目にし、そしてその度に痛恨の思いでロッカーを蹴り上げた。
 それは二人が一年戦争の間に何度も何度も味わった忌まわしい記憶であり、それと同時にU整備と言う類稀なるスキルを身につける事の出来た二人への惨い代償とも言えた。
「 …… 運を信じてやるっきゃないかぁ、もしも歪んでたら目一杯時間をかけてでも直すまで。どっちにしても彼らに整備不良の機体を彼らに渡す訳にもいかないし。 …… アストナージ、場合によっちゃニナにも手伝って貰わなきゃダメかも知ンない。一応連絡だけはしといて。 …… それと」
 諦めた様に呟いたモウラが二機のザクから視線を下ろして足元を見た。真っ白な繋ぎを着た紅い髪の少女が道具箱を片手に下げて、今にも獲物に飛び掛らんとばかりにうろうろしている姿が見える。
「あのお嬢ちゃんにも手伝ってもらうか。丁度人手も足りないし」
「って、あの子まだここに来て間もないド新人ですよ? いくら何でもいきなりモビルスーツのC整備ってのはハードル、高すぎないスか? 」
「あの子の服、よっく見てみな」
 モウラに促されてアストナージがちょこまかと動き回る少女の姿に眼を凝らすと手袋以外の部分に汚れが無い。派手な髪の色に先ず目を奪われるその少女には先ず手ごろな所で基地の車両を整備する所から始めさせたのだが、彼女の繋ぎはいつまで経っても卸したての様に真っ白でそのどこにも油染みの欠片すら見当たらなかった。これはその少女がいかに要領よく、しかも手際よく整備を終わらせているかと言う事を示している。腕利きの整備士であるアストナージは年端のいかない少女が見せる才能の片鱗に思わず口笛を吹いた。
「 …… なるほど、見かけに騙されちゃいけないって訳だ。あの歳でアレだと、将来有望な整備士になれるかもって所ですか? 」
「あたしもあの位の歳にはもう産業用ロボットを触ってた。早すぎるって事は無いだろ? 若い内に経験を積ませるのが上司の器量ってもんだ」

「こらあっ、ジェスっ! ちょろちょろするんじゃない! 」
 アストナージの怒鳴り声に驚くモウラ、一昔にも思えるその思い出から我に返ったその先に映った光景はまるで瞼の裏の出来事を再現している様に思えた。繋ぎの色は白から他の整備士と同じ緑色に変わってはいたが、あの時と何も変わらず ―― 内容のいかんに関わらず彼女に対する評価は激変してはいたが  ―― 両手で道具箱を提げてローダーの周りをうろうろしているジェスの姿が眼に止まる。モウラの器量を常に試し続ける可愛い顔の小悪魔は次の獲物をその荷台に隠してあるモビルスーツに定めていた様だ。
「来た来た来たっあたしのオモチャ。へっへっへっ、一体何が入っているのかなぁ? 」
 舌なめずりをしながら唐突にローダーによじ登ろうとするジェス。覚悟はしていてもいつも予測不可能な行動で周囲を冷や冷やさせる彼女の行動は、いつものようにモウラの心拍数を上げる事に成功した。
「こらっ、ジェス! まだ受け取りのサインしてないんだ、サインするまでは司令部の持ち物なんだから勝手に触るんじゃないよ! 」
 慌てて呼び止めたモウラの顔を見て首をすくめたジェスは、名残惜しそうに引き返した後でおもむろに足元に置いた道具箱に片足を預けた。腕を腰に当ててモウラへと向き合う様はまるで古参の整備士のようだ。
「えー? じゃあちゃっちゃとサインしちゃってくださいよぉ。アストナージと違ってあたし非番返上で来るの待ってたんですからぁ」
「ったく、あの子は」
 そう言いながらも苦笑いを浮かべて手早く書類にサインするモウラ。今や戦場より遠く離れた地上で長閑な基地の風景と空気に触れた輸送担当の責任者はその穏やかさににっこりと笑って、三枚複写の真ん中をモウラの手に預けて頷いた。振り返ったその男が手を上げるとローダーを牽引していた巨大なトラックはヒッチを外して荷台だけをその場へと置いていく。
「じゃあ、確かにお渡ししました。後は煮るなり焼くなりご自由にって所ですか。 …… 早くお嬢ちゃんに許可をあげて下さい、見てるこっちが気の毒になる」
 苦笑する男の言葉に誘われてモウラがローダーの方を見るとジェスが既にロープに手をかけながら、彼女の合図を待ちわびてこっちを見ている。お預けを食らった子犬の様な目をしたジェスを見たモウラは怒るよりも先に呆れかえってしまったのだが、いかにも彼女らしいその行動に思わず笑みを洩らした。
「ほら、もう受け取ったよ。取って良しっ」
「りょーかーい。せぇのっ! 」
 ニヤリと笑ったジェスの手がロープを思いっきり手前に引くと複雑に絡められたトラッカーズヒッチが踊る様に波打って、荷台の左右に引っ掛けられた固定用のロープはこまねずみの様に駆け回るジェスの手によって次々に緩められていく。弛んだロープを手馴れた仕草で丸めたジェスがその束を肩にかけたまま荷台の上へと駆け上がった。
「 ”おお、愛い奴じゃ愛い奴じゃ。ささ、もそっと近こう寄れ。近こう寄ってお主の顔をよく見せておくれ” 」
「 ―― 誰だよ、お前」
 薄気味悪い、という言葉を表情に張り付けたアストナージが尋ねるとジェスは何事もなかったのように平然と答えた。
「『アクダイカン』っての? 衛星放送の日本映画に出て来たんだ。『ジダイゲキ』って面白いんだよ、エロくて」
「え、エロって、お前っ ―― 」
「ほら、ウラキ伍長と今度会った時にニホンの予備知識がないと何かと話を合わせ辛いじゃない? だから一生懸命勉強してるんだ。 …… って日本人てばみんなあんなにエロいのかなあ? 伍長ってここにいた時にはそんな感じだったの? 」

「 …… なんつーこと口走ってんだ、ニナが聞いたら卒倒するぞ」
 万が一の事態を想像しながらその後に訪れるであろう修羅場に背筋を寒くするモウラ。日本人に対する理解の方向性が趣味一辺倒の見当違いに突っ走っている事についてキツく言及したい彼女ではあったが、今はそれ以上にシートの下の荷物に用がある。ジェスに対する指導と説得は後回しにする事を決めこんで、モウラはまるで現場監督の様にジェスの動きを目で追った。モビルスーツを覆うゴムシートは薄いとはいえかなりの重量がある。ジェスは腰を屈めて全体重を足に乗せ、全身の力を下半身と背筋に込めて一気呵成に捲り上げた。
「よいしょおっ! 」
 旅の埃と共に舞い上がったシートが捲くれてジェスの足元で露になったのは明らかにモビルスーツの頭部だ、明り取り用の天窓から差し込む強い光がその特徴的な意匠を整備員達の目の前へと披露した。
 マットブラックで塗装された頭全体に顔面部を埋め尽くす十文字のスリットを縁取る鮮やかな赤、そしてその中に埋め込まれたモノアイ。おお、と一言つぶやいたまま凍りついたジェスが次の瞬間弾ける様に飛びあがってその顔を覗き込んだ。
「うわあ、何だこれ何だこれっ! すっごーい! 初めて見たぁっ! 」
 何度も小さくジャンプして手を叩くと言う歳相応の喜び方を見せ付けるジェスの姿に冷めた目を向けるモウラ。あいつめ、今日の所は自慢の尻尾を自分の部屋に置き忘れてきたなと皮肉めいた笑顔を浮かべた時、背後の頭上から今日初めて聞く彼女の声が響いた。
「珍しいわね、MS-09ドムなんて」
「 …… いつからそこにいた? 」
 首をすくめて恐る恐る後ろを振り返るのはすべてあの小娘が原因だ。コウがエロいだのどうのこうのと言うジェスの会話をニナが耳にしたならば途端に説教の鬼と化すに決まっている、その方面に関してはウィットの欠片も持ち合わせていない彼女だと知っているモウラだからこそ彼女の口から飛び出す言葉の数々が手に取る様に分かる。だがモウラの杞憂に相反して目の前に現れたニナは、大ぶりのサングラスの縁から覗く眉を持ち上げて穏やかな笑顔を見せていた。
「たった今。受け取りに立ち会えなくてごめんなさい、ドクにもらった薬がちょっと利きすぎたみたい」
「いや、それは別に何の問題もなかったんだけど …… 今日は、どしたの? 」
 ほっとしたのも束の間、今度はニナの出で立ちに目を見張る番だった。ゲッティのミラーレンズに白のブラウス、袖を止める金色のアームバンド。止めはレベッカ・テイラーのテーパードと来ればこれはもうオークリーで働く人間の出で立ちではない。まるでファッション雑誌から抜け出して来た様なニナをしげしげと眺めたモウラが何事かと尋ねるのは当然だ。
「あんた …… そんな服持ってたっけ? い、いやすごく似合ってるとは思うけど ―― 」
「ご挨拶ね、私だって一応これ位は持ってるわよ? なあにモウラ、それじゃ私が女じゃないみたいじゃない? 」
「あ、や …… い、いやそう言う意味じゃなくってさ。何か今日はいつもと違うって言うか、見違えたって言うか …… 何かあったの? 」
 自分なりに感じた疑問をモウラはうまく言葉にする事が出来ない、それが決してニナの着ている服だけから来ているのではないと言う事は分かっていた。軽快な受け答えに華やかな雰囲気はどれもデラーズ紛争を経験する前に見せた彼女の雰囲気によく似ている。初恋の相手に偶然出会った時の様にどぎまぎしながら尋ねるモウラから再びローダーの上へと視線を移したニナは、どこか懐かしい物でも思い出すかのような口調で呟いた。
「たまには、ね。…… 息抜きも必要だわ。『張り詰めてると壊れちゃう』って誰かが言ってた。ところでどうせここに廻して来るんだからそれなりに訳ありの機体だとは思うけど、今度は何? 」
 宇宙仕様のゲルググに始まってスクラップ同然のジム、アデリアとマークスのザクとここの基地のラインナップには退屈しない。どんな難題を抱えてここに運ばれて来たのかとニナは手摺の上で両腕を組みながらモウラに尋ねた。小首を傾げて揺れる金の髪が日の光を受けて眩しく煌めく。
「ん、まあ …… それなんだけどね。ジャブローから送られて来た資料によるとどうも未稼働の機体らしいんだ。倉庫に保管されていたのが邪魔になって送られてきたらしい」
「らしいらしいって …… それも未稼働? じゃあ試運転もしてないって言うの? 」
「いや、炉の制御棒の封緘は外れてるんで一回は動いている筈だって書いてるんだけど ―― ほら、資料」
 説明するより読んだ方が早いでしょ、とばかりにモウラが手の中の資料をニナへと手渡した。興味深深で読みふけるニナを尻目にホイストで吊り上げられた荷台はドムを固定したままハンガーの空いている壁面へと宙吊りになって運ばれていく。整備用のケージは既存の六機で満杯でよそ者に割り当てるだけのスペースがない、取り敢えず模様替えをするまでの間新参者には割を食ってもらおうと言うのが整備部の方針だった。整備士達の視線を一身に受けるその荷台があっという間に壁面に固定され、高所作業用のバケットが後を追う様にハンガーの奥へと走り抜けて行く。
「 …… これだけ? 」
 ニナが不満そうに書類をぺらぺらと捲ってモウラに聞く、案の定だ。「そう、それだけ」
「だってこれじゃ何にも分からないわ。分かってるのは外形的な特徴だけじゃない、役所の健康診断だってもう少し中身のある書き方をするわよ。接収場所や機体番号や形式名称まで未記入ってどういう事? 」
「未稼働の機体だってんなら、未登録って事もあるかも、じゃない? 」

 製造の際にコックピットの裏へと刻印される機体番号はそれがどこのメーカーのどこの工場で、いつ頃作られた物であるかを知る事の出来る固有機体追跡機能トレーサビリティシステムの為の大事な証拠だ。軍に納入された際に登録される機体番号は配備履歴としてジャブローのアーカイブに記録され、その機体に誰がいつから乗り込んでいたかを詳しく知る事が出来る。未稼働と言うのならばこのドムは一度も戦場へと赴いていない訳で、それならばそんな事もあるのかもしれない。だがニナはモウラの言葉を小さく首を振ってやんわりと否定した。
「モビルスーツとして作られる以上それは軍事の目的を有する重機と言う事が前提なのよ、試作機・実験機を問わず登録する為の機体番号は必ず刻印されていなければならないわ。ジオニック・ツィマット・アナハイム、ジオンも連邦も関係ない、生まれ故郷の企業のデータバンクにすら記録が残ってないって事は意図的な物がない限りありえないわ」
 ふむ、と鼻を鳴らして頷くモウラ。なるほど、あの三機も試作機でありながら元々は実験機の性格を持っていた。それにすら刻印の義務が生じていたと言うのなら、目の前のドムにもなければならないと言うのは道理だ。
「それに形式名称が記載されてないって。 …… 何、まるで厄介払いされた捨て子みたいじゃない」
 立て続けに書類の不備を論うニナの様子にモウラは苦笑いを浮かべた。こと表現が過激になるのはそれがモビルスーツに関しての事だからなのかもしれない、いかにもニナらしい。
「捨て子かあ、じゃあ差し詰めこの基地は養護施設であたし達は彼らのお世話をする施設のおばさんってとこ? 」
「私はまだそんな年じゃないわよ。モウラの言ってる事が私達にぴったり当てはまるって事は否定しないけど」
 昨日まではどんな軽口にも薄笑いでしか返してこなかった彼女がきっちりと、それも自分なりの緩急を交えて投げ返して来る。見た目ばかりではなく中身まで昨日までのニナとは違っている事にモウラは内心驚き、しかしそれを表情に浮かべる事は押さえながらもう一度会話のキャッチボールを試みた。
「じゃあ可哀相な捨て子を拾った施設のおばさんとしては他の子と同じ様に、分け隔てなく育ててあげるとしましょうかねぇ。目が空いた時に初めて見たお母ちゃんがあんな小娘じゃあ先行き心配だし、グレでもしたら大変だ」
「相変わらずジェスには厳しいのね、私に言わせればモウラがジェスのお母さんみたいよ  ―― じゃああのドムはモウラの孫って事になるのかしら? 」
「 ―― ちょっと、ニナ? 」
 さっきのモウラの発言にお返しのジャブを放ったニナがモウラの声を無視してハンガーの奥へと歩き始める。やり込められたモウラは自分がジェスの母親代わりと揶揄された事よりも、一晩であの頃の雰囲気を取り戻したニナの身に一体何があったのかを推し量る方へと意識を向けながら、しなやかに歩く後姿を追いかけた。

 外部から電源を供給されたドムはメンテナンスモードに入っている。オークリーは連邦軍の基地だが運用される機体はほぼジオンの機体であるが故にそのノウハウは既に確立されている、整備士の手によって装甲を外されて丸裸になった不審なドムの素性が明らかになるのは時間の問題だろうと、そこに立ち遭っている誰もが確信していた。
 だがその先鞭をつけたオークリー唯一の切り札はハッチの開いたコックピットのシートの上でコンソールを睨みつけたまま微動だにしない。プログラムの事に関して彼女がこんな風になっている姿を今までモウラは見た事がない。
「 …… だめ、開かない」
 シートに腰を深く預けて肘当てで支えた腕に頬を乗せてまんじりともせず、不満そうな声でニナが呟いた。指はコンソールの下から引き出されたキーボードからもう片方のコンソールへと移動して心のもやもやを表現する様にコツコツと音を立てている、難解な数式の解析に行き詰った数学者の様な表情は、その正体を解き明かすであろうと予想していた周囲の整備士に軽いショックを齎した。
「どう、ニナ? 」
 コクピットに直付けされたバケットからモウラがひょっこり顔を出してニナに尋ねた。ニナの弱音に驚いた事も事実だがその障害が機械的な部分で解消できないか、と指示を仰ぐ意味合いもある。だが思惑に反してニナは顔を手の甲に預けたままの姿勢で顔だけを向けて、自分の行き詰った原因を話した。
「恐ろしく頑固なセキュリティね。8個のアルファベットと8桁の数字の組み合わせって言う所までは分かったんだけど、それって幾通りの組み合わせがあるの? 」
「え、ええ? …… えーっと、16かけ15かけ ―― 」
「約21兆よ。おまけに電源を入れた時に分かったんだけど解除コードが乱数表示されてるわ。多分この機体を最後に触った誰かが他の人に使われない様にセキュリティコードをいじったんでしょうね。 …… 何分間隔かは分からないけど絶えず変化する暗証番号を見つけるなんて最新鋭のコンピューターでも無理、この機体を動かすにはそれこそプログラムを最初から作らないと不可能よ」
 ああ、と何かに思い当たったモウラが思わず鼻白んだ。「それでジャブローでも手を焼いてこっちに送り着けて来たって訳か。ここなら何とかするとでも思ったのかねえ? 」
 モウラがニナの肩越しにモニターを見つめた。真っ黒な画面の中央で目まぐるしく踊りまくる16個の文字、その全てが正しく入力されないとこの機体は一切の入力を受け付けないと言う。ニナが不可能だと言うのならばそれはこれをいじった人間にしか出来ないと言う事なのだろう、だがモウラはあえてニナに自分が思い付いた可能性を戯れにぶつけてみた。それは絶対に禁忌な事ではあるが、多少の時間がかかってもこの機体の現役復帰を諦める事は整備士として考えられない。
「 …… ニナ、モビルスーツのプログラムを一から作るとして、どれ位かかる? 」
 ひそひそと尋ねるモウラの言葉に一瞬驚いたニナだったがすぐに彼女の意図を察して、周囲を見回しながらそっとモウラの方へと顔を寄せた。
「『あれ』を創るのに約1年、それもアナハイムのスーパーコンピューターの3分の1を独占して作らせて貰ったものだから、ここにある設備じゃ無理。たとえジャブローのメインコンピューターを使わせて貰ったとしても無理だと思う。軍と企業では用途が違いすぎるし、なにより私の欲しい機能が備わっていないもの。そこから創るとなるとそれはもう一個人が作れるもんじゃないわ、百人単位のSEがよってたかって創り上げる大企業の中枢コンピューターをプログラムする気でやらないと」
「 …… AI換装つってもこんな珍獣に合う物なんてどっかの倉庫にでも転がってるのかねぇ、こりゃいよいよ望み薄かい? 」
「珍獣、ね」
 ニナはそう言うとキーボードをコンソールの下へと仕舞って電源を落とした。色とりどりのインジケーターが消灯してコックピットの中は殺風景な雰囲気を取り戻す。
「ま、時間だけはたっぷりあるからその間になんか方法を考えてみるわ。せっかくただでもらった機体なんですもの、それに動く様にしてあげないとこの子が可哀そう ―― それより」
 ニナの目がコンソールの一番向こうにあるスリットへと向けられた。モウラはニナの見ているおおよその方向を探ってやっと同じ場所へと辿り着く、そこにはどのモビルスーツにも必ず存在する起動ディスクのプラグスロットがある。
「 ―― 巧妙に偽装してあるけどこのアビオニクスは間違いなくアナハイムの物だわ。起動ディスクを差し込むスリットが当時のアナハイムの規格に準拠している。…… ほら、ここ」
「 …… ん、知ってる。で? 」
「で、じゃないわよ。これは明らかに矛盾してる。…… ドムが生産されていたのは一年戦争の中盤だけ、それもツィマット社が単独製造した機種よ。それにアナハイムのアビオニクスがそっくりそのまま乗っかってるなんて考えられない」
「知ってるってのはやっぱりここもそうだったのかって意味でね」
 モウラはそう言うと両腕を組んでじっと天井のコンソールを見上げた。ジオン独得の黒を基調に塗られたパネルと敷き詰められたスイッチ類、だがこれは違う。一年戦争時に宇宙で捕獲したリックドムとは明らかに違う配置と摘みの形にモウラはこの機体の違和感を感じていた。
「下の方でもバラしてみてから驚いてたんだ、どうやらこの機体は重力下仕様のモンじゃなく宙間仕様のドムだって事。装備されているバックパックと本体内蔵の脚部エンジンはは何れも熱核ロケットだ、おまけにスラスターカバーが異常に小さい」

 ドムという機体はツィマット社が社運を賭けて開発した陸戦用のモビルスーツである。一年戦争前に極秘に行われたジオン軍の主力機選定の為のコンペにEMS-04・ヅダを擁して挑んだ彼らは競合相手となったジオニック社のYMS-05・ザクに敗れた。敗因は搭載したエンジンの出力に機体が耐え切れずに空中分解したテスト中の事故による物だが、敗れたとは言え絶対の自信を誇る自分達の技術をこのまま歴史に埋もれさせる訳にはいかなかった。
 ツィマット社の技術者達はいつか自分達の技術がジオン中興の手助けとなる日を夢見て臥薪嘗胆の思いで研究を重ね、そして意外にその日は早く訪れる事になった。地球陥落を間近に見ながら連邦軍の思わぬ反撃に遭遇したジオン軍はその理由を現状配備されているザクとMS-07B・グフの機動力不足と捉え、直ちにその欠点を補う機体の開発を各社に命じた。
 だがザク・グフと言う名機で立て続けに正式採用を勝ち取ったジオニック社にとって、これだけ短期間の間に新機軸の機体を開発する事など困難であった。ジオニック社の混乱を感知したツィマット社がこの千載一隅のチャンスを見逃す筈も無く、予てから検案していたグフ試作実験機からモデファイされた『プロトタイプ・ドム』をジオン軍に提出する。
 ズダに搭載された土星エンジンは宇宙空間では暴走と隣り合わせの危険なエンジンであった。だが大気と重力と言う抵抗力が常に存在する地上下の運用においてならば際限なく出力が上昇する事も無く、暴走を防ぐ事が出来る。安全性向上の為に開発された制御リミッターを新たに付け加えたズダのエンジンはそのまま試作機に搭載され、そして彼らの思惑通りの成果を上げて、望みを叶える。試作機は僅かな構造変更を受けただけで、ほぼそのままの形でジオン軍のモビルスーツの中で三番目の正式名称『MS-09・ドム』を与えられて戦場を駆け巡る事を許された。

 新機種の登場は前線で戦うジオン軍、連邦軍双方の兵士に強烈な印象を与えて、膠着した戦線は遂に大きく傾くかと思わせた。だが残念ながら戦術的に優位に働く事象が全体の戦略に及ぼす影響は余りにも小さく、しかも遅きに失した。連邦軍が投入したRX-78・ガンダムのヴァリエーションである陸戦型ジムによって戦線は一気に押し切られた形になり、地球上での橋頭堡を失ったジオン軍は宇宙への退却を余儀なくされ投入した地上戦力の全ては連邦の鹵獲若しくは破壊を許す事になる。
 国力の大半を既に注ぎ込んでいたジオン公国にとって喪失した戦費は戦争継続に於いて致命傷とも呼べるほど莫大な額に上った。戦力を増強するにしても主な生産ラインは既に地球上に移転しており、それが接収された瞬間に生産力を奪われたジオン軍は突撃機動軍中佐、マ・クベの提唱した統合整備計画に準じてその製造拠点を自国の各社に置くしか選択肢が無い。しかも戦線の縮小と言う戦略的敗北で被害を被ったのはジオン公国だけではなく、そこに参画していたジオニック、ツィマットの両社もであった。開発費用を捻出する事もままならなくなった両社は宙間戦闘用に配備するモビルスーツを地上戦用のモビルスーツの改修によって対処する旨を公国軍司令部に打診し、受理される。
 ジオニック社のザクは一年戦争の当初より運用が続けられていた為、機体自体のコンセプトが古い事や装甲が貧弱な事を除けば宇宙での活動に支障をきたす事はない。だがツィマット社のドムはそうはいかなかった。ジオニック社がグフの空間用改装計画を資金難によって見送った事を受け、採用の糸口を見つけた彼らは再びコンペに参加する。あまり乗り気ではなかったジオニック社の提出した高機動型ザクを抑えて、彼らが提出した『MS-09R・リック・ドム』は再びジオン軍に正式採用される運びとなった。
 重装甲によるパイロットの生存能力の確保や操作性について高い評価を得ていたドムはそのエンジンをジェットからロケットに転換する事で、後退を続けていた戦線を押し戻す為の更なる戦力として期待された。もっともそれは本国で密かに開発が続けられていたジオニック社の『MS-14A・ゲルググ』が登場するまでの僅かな間に過ぎなかったのだが。

「じゃあ、これって地上じゃ使えないって事? …… 何よ、それじゃあほんとにジャブローの嫌がらせじゃない」
 悩んで損したとばかりに大きな溜息をついて、次に何とも嫌みなジャブローのやり口に思いっきり頬を膨らませるニナ。今日一日で人間味のある表情をいくつも見せる彼女の変化に目を細めながらモウラは苦笑した。
「まあAIの換装は当てにはなンないけど、トローペンのエンジン二基ぐらいならいつかは見つかンでしょ。でもねえ、機械的な部分は何とかなっても肝心の操作系統がこのざまじゃあ、ね」
「でも何でわざわざリック・ドムなんてオークリーに送って寄越したのかしら? どうせだったらルナツーか月にでも送った方が部品の調達も込みでもっと動かせる可能性があるのに」
「それがさ、どうも普通のリック・ドムでも無さそうなんだよね」
 次から次へと湧いて出る謎にモウラもニナも顔を見合わせて眉をひそめた。ニナは無言でモウラにその話の続きは、と暗に促す。
「 …… 無いんだよ、ついてる筈の『目くらまし』が」
「目くらまし、って …… あの役立たずの拡散ビーム砲の事? 」
 ニナの口を突いて出る過激な表現にモウラはコクリと頷いた。
「ひょっとしたらどこかで大破してその辺りの補修を省いたんじゃないか、とも思ったんだ。なんせアレはあんたの言う通り役に立たないことこの上ないからね。でも胸部フレームの中をどう構造解析してみてもその機構があったと言う痕跡すら見当たらない、最初からそういう設計になってたみたいにおっきな演算装置が代わりにそこに乗っかってるんだ」
「演算装置? 用途は? どこのメーカー? 」
「ざーんねん、それも含めて全くの謎。ジオン規格の特殊なロックナットで厳重に封印されててあたし達じゃ手も足も出ず。ったく、整備士泣かせのお姫様ってところだよ」
 両手を広げて降参のジェスチャーをするモウラ、ニナは目の前のコンソールへと視線を戻して腕組みをした。
 完全停止した融合炉に繋がる操作系統全てを閉鎖する封印が解除できない限りこの機体が動き出す事は絶対にない。ではそんな物をなぜジャブローはこんな辺境へと送りつけて来たのだろうか?
 手に負えないと言うのならばスクラップにすればいい、資源の乏しい地球ではそれを潰して予備パーツでも作った方がよっぽど前向きな意見だ。いくら戦場から遠く離れているとはいえパイロットの訓練には実際にモビルスーツを使用する事だし、消耗部品は有り余るほどストックしても困る事はない。実際にそれだけの数のジオンのモビルスーツが連邦軍の基地では未だに稼働中なのだから。
 それに今宇宙で稼働している機体がジムシリーズばかりかと言うとそうでもない。偵察や斥候、後方支援の部隊には未だに使い潰しの利くジオンの物が使われていると言う話だ。ならばこの機体は地上に置いておくよりもルナツーか月へと持っていくのが妥当だろう。アナハイムにでも一声かければ中身の機械をそっくりそのまま取り替えて、少なくとも動くだけの機体には仕上げる事が出来るかもしれない。
 それともう一つ。
 なぜジャブローはこの機体をアナハイムとの取引材料に使わなかったのだろうか? 連邦に対する裏切り行為がオサリバン専務の独断専行による物だけだったと言うのではなくそれ以前の一年戦争の頃から会社ぐるみで行われていた可能性があると言うのならば、この機体は彼らに対する脅しに使える。GPシリーズのデータ抹消だけで責を逃れたアナハイムが保っている今の立場 ―― 公正な取引を順守する一民間企業と言う立場を撤廃して軍に隷属するだけの企業へと貶める事も出来るはず。

 ありとあらゆる可能性を潜り抜けてここに立つドムもどきのこの機体に纏わる秘密、自分達の立場にも似たその立ち位置にニナはそこはかとない不気味さを感じた。
 得体の知れない恐怖は彼女の目をそっと周囲へと運ばせる。コックピットフレームはガンダム一号機よりも狭く、モニターは若干小さい。一年戦争当時のジオンを色濃く表す景色の向こうで真っ赤に塗られた肩アーマーが真上に跳ね上がって肩関節内の駆動モーターを露出している。
「おとぎ話の主人公 ―― そうね、さしずめ『眠れる森の美女』とでも言ったらいいのかしら。魔法を解いてみないと正体も分からない、さてこのお姫様の目を覚ます事の出来る王子様はどこに? 」
「動かなくなった年代物の機械は斜め45度からぶっ叩くってのが昔っからの知恵だけど? 」
「乱暴だわ」
 微かな悪寒を胸の底へと仕舞い込みながらニナはシートから腰を離した。ニナの動きに先んじてモウラがバケットへと飛び移り、ん、と言いながら手を差し出す。伸ばされたその手をそっと掴みながら、ほんの少し動きを止めた。
「? どした? なんか気になる事でも? 」
 少し驚いたモウラがニナの顔をまじまじと見る。ミラーレンズによって最も心を映し出す蒼い瞳が隠れているとはいえ、体からにじみ出る戸惑いは隠せない。僅かなためらいの後、ニナは遠慮がちに尋ねた。
「今日は、アデリアは …… 来てないの? 」
 なんだ、そんな事かとモウラはニナの手を引っ張るとバケットの中へと誘った。確かに乗り込んだ事を確認すると眼下の整備士に合図を送りながら昇降パネルのボタンを押しこむ。
「今朝がた来た ―― っつってもマークスだけど、奴ら昨日のお詫びに皆の買出しを引き受けてくれるんだと。整備班全員の買出しリスト持ってサリナスに向かったよ。今頃はもう着いてるんじゃないかな? …… あの子がどうかした? 」
「ううん、何でもない。ここに来てないのなら、それでもいい」
 ニナがモウラと肩を並べて近づいてくるハンガーの床を眺める。何気なくニナの横顔へと目をやったモウラはサングラスの奥に隠れていたその目を見て唖然とした。腫れぼったくなった瞼から覗く充血した眼、まるで今し方まで泣きはらした様なニナの目を見つけたモウラが思わず息を呑んで呟いた。
「ニナ、あんた ―― 」
 はっとしたニナが慌ててモウラの視界から横顔を逸らした。金のうなじだけをモウラに向けて、しかし肩にかかった豊かな髪はまるで何かを恐れているかのように小刻みに震えている。その仕草を見ただけでモウラは自分が今彼女に聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと悟った。ここで今彼女にその目の理由を問いただしたらどう答えるのだろう、正直にその理由を話してくれるだろうか。
「 …… やっぱ、いい。何でもない」
 否。彼女はやっぱり何も話してはくれないだろう。彼女自身のことで私に打ち明けてくれたのはコウとの間で起こったアイランド・イーズでの出来事だけ、その後に起こった二人の間での諍いや出来事については自分に知っている以上の事を彼女の口から聞きだす事は出来なかった。たぶんそれはこれからも、ずっと。
 聞かない方がいい事もある、キース、これでいいんだろう?
 震えを止めたニナが肩の力を抜いてゆっくりと振り向く、何事もなかったようにニッと笑うモウラに向かってニナは遠慮がちだが、しかし心からの感謝を込めて困った様な笑顔を浮かべた。

                                *                                *                                *

「 ―― で、それがお前の罪滅ぼしって訳か? 」
 ショッピングセンターに併設されるカフェのデッキでマークスがしみじみと言った。日差しを遮るタープの無い席の向こう側に置かれた二台のカートは会計済みの商品が無造作に、しかも崩れ落ちんばかりに積み上げられている。過積載も甚だしい二台のカートの持ち主は青銅製のテーブルの対岸に分かれてお互いのオーダーに喉を潤している最中だった。
「全く、こんな事になるんだったら最初からあんな事言わなきゃいいのに、お前ってほんと不器用 ―― 」
「言われなくったって分かってるわよぉ」
 テーブルに突っ伏したアデリアの栗色の髪が日差しに揺れる、ティファニーのアビエイターで隠した藍色の目が充血して腫れている事は待ち合わせの時に分かった。薄いニットに白のサマーセーター、デニム地のショートパンツにサンダルと言う出で立ちは恐らくこの近辺に通り縋る男性諸氏の視線を引き付ける事は間違いなく、実際彼女が何者かを知ろうとする野次馬が遠巻きに二人を眺めている視線は常にマークスも意識している。
 だが今目の前で反省しきりの声を上げるアデリアは、恐ろしい二つ名を持つモビルスーツ乗りでもなければどこかのグラビアを飾るモデルはだしの美少女でもない。有り金全部をドッグレースの一点買いにつっ込んで呆気なく敗れ去った挙句、帰宅する電車代をどうしようかと悩む賭博初心者の負け組に見えるのは気のせいか。
「大体、整備班の買出しとニナさんへのお土産が同じ量ってのはどういう事だ? それにその包み ―― 」
 マークスがちらりとカートへと視線を送る、二手に分かれたマークスがアデリアと合流してみると既に彼女のカートは自分の物と同じ位満杯になっていた。いくら地の果てに押し込まれて世情に疎く、そう言う物に全く興味のないマークスでも専門店街を一回りした後のそれがどういう意味かと言う事くらいは分かる。
「 ―― よく分からないけど全部ブランド品だろ? 一体どれだけ使ったんだ? そんなに給料貰ってないぞ、賞与だってまだだし」
「 …… 貯金全部、カードも限度額いっぱい」
 マークスが大きな溜息をついた。恐らくその貯金の中にはチェンに貰った出演料も含まれているに違いない、足を紐で結ばずに断崖絶壁から飛び降りた彼女の行動を咎める様に言った。
「そんなに落ち込むんならいっその事謝っちゃえばいいじゃないか。『昨日はごめんなさい、私が言い過ぎました』って。ちゃんと頭を下げて謝ればニナさんもきっと許してくれるさ、ニナさんだってそうしたくて今頃アデリアの事探してるんじゃ ―― 」
「 …… 絶対やだ。だってあたし間違ってないもん」
 じゃあそのカートの山は一体なんなんだ、と心の中で問いかけながらマークスはアデリアの強情さに舌を巻いた。こうなると彼女がてこでも動かないと言う事をマークスはよく知っている、交渉が無駄別れに終わった彼はやれやれと言った風情で言った。
「分かった、じゃあもうこの話は終わりだ。そのかわりお前がニナさんに買ったそのプレゼントの山はお前が直に渡すんだぞ、それくらいはやらなきゃ」
「ええっ!? 」
 突然ガバッと上体を起こしたアデリアが驚きの声を上げた。当てが外れたと言う思いをあからさまにした表情が見る間に情けない顔へと取って代わり、顔の前で結んだ両手の影から彼女の物とは思えないほど情けない声が零れ出た。
「いや、それあたし無理っ。マークス代わりに渡しに行ってよ。 …… ねっ、ほんとお願い、何でも言う事聞くから」
「ば、ばかっ、周りの人がびっくりするからそんな言い方止めろっ。俺だってニナさんの所に行くのは気まずいんだから」
「 ―― なんで? 」
「 ―― って」
 その目が一番始末に負えない、真っ直ぐに向けて来るその瞳にいつも吸い込まれそうになる。マークスはまるで自分が事件の容疑者になったような気分で思わず視線を逸らした。何も言わずにじっと見つめて来るアデリアの好奇の視線に遂に耐えられなくなったマークスは、恐る恐る白状した。
「その、俺もニナさんが間違ってるって、つい言っちゃったんだよ」

 信じらンない、という文字を大きく顔に掻きこんだアデリアが彫像のように固まったまま動かない。マークスには分かっていた、アデリアが自分に何らかのフォローを期待していたのだと言う事を。そしてこれから彼女の口から発せられる言葉の一部始終も想像出来る、覚悟を決める為にぬるくなったアイスコーヒーをズズッと啜りながらマークスはそのファンファーレを待つ。
「馬、っ鹿、じゃないのあんたはっ! なんであんたがあたしの援護射撃に出てんのよっ!? 」ほら来た。
「ちょっと待った、お前の論理はおかしい。お前自分で今間違ってないって言ったじゃないか、それを俺が支援してなんの不都合があるんだ? と言うかなんで俺がお前に怒られなきゃ ―― 」
「怒るに決まってンじゃんっ! あんたまでニナさんを責めたらニナさんが可哀そうでしょ!? あんなに泣いてる人に慰めの言葉もかけらンないって、あんたはどうしてそうデリカシーがないのよ!? 」
 うわあ、と。こいつ自分のやった事を棚上げして俺の性格を責める方向に転嫁してきやがった。ていうかもう無茶苦茶だ。
「俺がそんな物を持ち合わせてないって言うのはお前が一番よく知ってるだろう。それに俺もニナさんが間違ってるって思ったからそう言ったんだ、それのどこが間違ってる? 」
「間違ってるわよっ! ま、間違ってないけどなんかどっかが間違ってンのよ、根本的に本質的にッ、そ、その、りっ、理屈じゃないのよこう言う事は、そンくらいの事とっとと分かンなさいよっ! 」
 男の顔に指を突き付けながらゼイゼイと息を荒げて怒鳴る美少女の姿は間違いなく周囲の注視を浴びる、何事かと成り行きを見守る観客へとちらりと視線を流したマークスはハア、と溜息をついた。
「分かった分かった、じゃあ俺は今晩ニナさんが間違ってるって言った事について謝りに行く。 ―― で、お前はどうするんだ? 」
「んなっ!? 」
 話の流れとしてはこうなる。見事にマークスの誘導尋問にハマったアデリアが声を詰まらせてのけぞる。視線だけで答えを促そうとするマークスの前でアデリアは栗色の髪を掻きむしりながらテーブルの上へと突っ伏した。思い悩むと言うにはあまりにも過激な仕草に少し驚きながら、しかしマークスはアイスコーヒーを片手にじっとアデリアの返事を待つ。
「 …… やっぱ、やだ」
 ぽつりと洩れたその声にマークスはやれやれと言う表情を浮かべた。さすがベルファストの鬼姫、強情さも筋金入りか。

「 …… ありがとね」
 アデリアを見守っていたマークスがその言葉を聞いたのは生温かいアイスコーヒーが彼の喉を通っていよいよもう飲むのを止めようかと思案している最中だった。驚きのあまりむせそうになったマークスが慌てて咳払いをして、まじまじと動かないままの声の主の頭を見つめる。
「とりあえず、あたしの事を庇ってくれた礼だけは言っとくわ。ついでと言っちゃあなんだけど ―― 」
 マークスの視界の中ですっと顔を上げたアデリアから苦悶の表情は影を潜めて、代わりに笑顔が灯っている。コロコロと変わる彼女の表情と状況の変化に戸惑うマークスの前で彼女はパンツのバックポケットから小さな箱を抜き出すと、それをそっとマークスの前へと押しやった。
「はい、これ」
「? 俺にか? 」
 怪訝な目で丁寧なラッピングが施されたその箱を見つめるマークスにアデリアの無言の強烈な圧力が掛かる。促されるままに手にとって丁寧に包みを開けた彼の前に姿を現したのは、今巷で流行りのオープンイヤー型小型携帯電話だった。世情に疎いと自他共に認めるマークスはそれを掌に載せてじっと眺めたままアデリアに尋ねた。
「なんだ、これ? 」
「って、携帯電話。見た事無いの? 」
「へえ、これが …… すごいな、こんなに小さくなってるんだ」
「マジで? 」

 実家への連絡は基地からの衛星電話で間に合うし基地の外に親しく付き合う友人もそれほど多くはない、もっとも他の基地で友人を作れるくらい器用な人間だったらオークリーにまで飛ばされる事はなかっただろう。掌の上にある小さな機械をまるで珍しい昆虫でも扱うかの様に指で突きながらマークスは感慨の面持ちで見つめている。
「今時携帯持ってないってどうなの? それじゃあ基地から緊急連絡があった時に捕まンないじゃないの」
「いや、携帯は持ってるさ。ただどうも最近調子が悪くて電波が入り辛いんだ」
 マークスがごそごそと胸ポケットへと手を差し込んで自分の携帯を取り出す、細長い箱型の正体を確かめたアデリアが目を丸くしてそれをしげしげと眺めた。
「 ―― 一体、何年物? 」
 彼女にもその形状の携帯が出回っていた時期が思い出せない、どこの会社の物かも判別不明な ―― そんな物はとっくに擦り消えている ―― 彼の携帯を手に取ったアデリアは小さな液晶の窓をじっと見つめた。マークスと共に肩を寄せ合って一緒に映っている優しそうな夫婦と小さな女の子、アデリアにとっては初めて見る彼の家族の姿だった。
「俺がジュニアスクールに上がる前に買ってもらったモンだからもう十年くらいか、だからその写真も十年前のものさ。親父とお袋はもっと老けてるし、妹はもう18歳だ。それとは全然違うよ」
「ふーん、妹、いるんだ」
 興味深々でマークスの携帯に見入っていたアデリアはそう呟くと意味深な笑顔でそれをそっとテーブルの上へと置いた。妹がいた事を自分はつい最近アデリアに言わなかったか、と考えを巡らすマークスは彼女の表情をうっかり見逃してしまった。
「ま、これはこれで大事にとっとけば? せっかくあたしが買って来たんだから今日からマークスはあたしの携帯を使う事、もうあたしの番号はそこに入れてあるから」
「い、いやそれはいいよ。だってこれはまだ使えるんだし ―― 」
「いい? 携帯ってのは繋がって初めて使えるって言えるの、あんたのはもう繋がンないんだから使えないも同然。大丈夫、データはチェンに頼んで吸い出しといて貰うから安心して使いなさい」
 畳み込まれて逃げ場を失ったマークスがテーブルの上に置かれたままの自分の携帯を元にしまってから新しい携帯を手に取った。一しきり眺めてから彼はアデリアにぽつりと尋ねた。
「 …… お前、ニナさんの物だけ買いに行ったんじゃなかったっけ? 」

 しまったと言う台詞を顔中に張り付けたアデリアが顔色を悟られない様にそっぽを向く、今日の本当の目的はニナへのお土産よりもマークスの携帯を買う事だったのだ。思わぬ所から綻びを生じた戦略に心の中で苦虫を噛みつぶしながら、それでも一向に整わない心臓の動悸を必死に抑え込もうと試みる。
「な、なに勘違いしてんのよっ! そっそれはアレよ、昨日ニナさんとああいう事があってマークスにも迷惑をかけたからほんのお礼よ、あんたの思ってる様な事なんてなんにもないわよっ! 」
「お? おお …… それにお礼なんていらないよ、この前の罰ゲームでお前を巻き込んだのは俺だし。 …… で、いくらだった? 」
 全く空気を読めないマークスの行動はアデリアのいら立ちを募らせる、ポケットに手を突っ込んで自分の財布を取り出そうとする彼に向かってアデリアは猛然と一喝した。
「ばかっ! そんなのこっちがいらないわよっ! いいからさっさと受け取って! 」
 ものすごい彼女の剣幕に驚きながらマークスはしぶしぶとそのプレゼントを自分の携帯と同じポケットへと押し込む。やっとの思いで今日の自分の第一目標を制覇したアデリアはやっと肩の荷が下りた様に、しかし思いっきり嫌みな笑いを浮かべた。
「そう、それでいいのよ。今度あたしとここに来るまでにあんたはそれの使い方を完全にマスターする事、今日みたいに待ち合わせ場所を決めて時間になったら落ち合うなんて最悪、気になって買い物に集中できないから。それと ―― 」
 品定めをするようにマークスの出で立ちを頭の天辺からつま先まで視線を運んだアデリアが、今度は何だと怪訝な表情を浮かべたマークスに今日一番気になっている事を尋ねた。
「今度は私服で来なさいよ。何でたまの非番の日にあんたは制服なんて着てる訳? 」
「連邦軍人だから」
「周りから浮いてるって自分で気がつかない? てか一緒にいるあたしがこんな服着てんのに何であんたがそうなのよ」
「それは逆だよ、俺が私服を着たらこんなもんじゃ済まない。服なんて学校を卒業してから一回しか買った事がないしな。…… アデリアはどうしても俺の禁断のコーディネイトが見たいのか? 」
「 …… 分かった。じゃあマークスは人前に出られる様な私服が一着も無いって事で、OK? 」
 やっぱり口じゃ敵わない、とアデリアは早々に攻撃方針を変える事を決意した。戦略目標を鎮圧する為には先ず敵に対して最も有効な戦術を採用すべし。戦史の時間に習ったその言葉をアデリアは教科書通りに忠実に再現する事に決めた。
 口で敵わないなら、実力行使あるのみ。
「じゃあ、今度はマークスが貯金をはたく番ね。今度の一緒の休みはここへマークスの私服を買いに来るのよ、いいわね? 」

 突然の提案、しかも今度は自分を巻き込んでの浪費への ―― 必要じゃない物を買う必要なんてない ―― お誘いにマークスは慌てた。一度手に取ったコーヒーのカップを元に戻すと彼女の申し立てに異議を唱えた。
「よくない、ちっとも良くない。服なんか官給品で十分だよ。それに俺の見た目はアデリアが一番分かってるだろ? これに似合う服なんて ―― 」
「だーいじょうぶ、大丈夫。あたしに任せときなさいって。マークスの髪と目にぴったりの服をあたしがこれ以上無いほど完っ壁に合わせてあげるから。黙って立ってりゃかっこいいんだからマークスは大人しくモデルになってればいいの」
 まるで聞く耳を持たない彼女に向かってぐうの音も出ないマークス、更に何かを言いたげな彼を置き去りにして徐に立ち上がったアデリアは、そそくさとテーブルの上に乗せられたままの飲み物をマークスの分まで片付け始めた。
「お、おいアデリア、それまだ途中 ―― 」
「どうせぬるくて不味いんでしょ? 顔に書いてあるわよ。それにそうと決まったらこんな所でぼーっとしてる場合じゃないわ、とりあえず下見がてらあちこち見て回んないとね。―― マークスは荷物をバンに置いて来て、あたしはここを片付けとくから」
「ええっ? お前、まだ行くのか? 」
 これ以上何を買うんだと驚いたマークスの目の前でアデリアの動きが止まる、トレーにマークスのアイスコーヒーを置いたかと思うといきなり右手でL字を作って“バーン”といいながら肘を折った。掲げた腕の陰から僅かに顔を覘かせる美少女が長い髪を風に靡かせ、小さくウインクをしながら楽しそうに言い放つ。
「あんたも、来るのよ」

「なるほど、よく目立つ」
 男は部屋の窓から双眼鏡でサリナスの風景にひときわ目立つ二人の姿を目で追いながら呟いた。背後でテーブルの上に並べられた個人装備を点検する三人は既にその顔を頭へと焼きつけている、銃身を短く切ったライアットガンに弾を押しこんでいる男が窓から離れたソファでじっくりと腰を落ち着けているラース1に尋ねた。
「しかし大丈夫でしょうか、我々だけで。確かに情報収集には慣れない現地に向かって基地を調べるよりも拉致して尋問した方が手っ取り早いとは思いますが」
「相手は丸腰だぜ? とっ捕まえるのなんてニワトリ縊るより簡単さ。それよりどうやってあの二人を回りに気付かれない様にさらうかの方が問題だ、そんな訓練モビルスーツの教導過程のどこにもないからな」
「 ―― 青写真を」
 容易く言い放ったもう一人の男を嗜めるようにラース1は短く言い放つと窓際に立つ男に声をかけた、双眼鏡を降ろした男は足早にブリーフケースを開けると小さなラップトップを取り出して起動する。画面に映し出されたのはラース1が分隊指揮官権限で本部から取り寄せたサリナスのショッピングセンターの全体設計図だった。
「やつらがもう一度建物に入ったら各員は打ち合わせの通りに騒ぎを起こせ。俺とタリホー1はその間に地下三階にある中央監視室を占拠して貴様らの到着を待つ」
 ライアットガンの弾込めを終えた男が小さく頷く、ラース1は全員の意思の疎通を確認するとゆっくりとソファから立ち上がって窓際へと歩み寄った。男が残した双眼鏡を手にとって再び外界の景色を眺めるその背中に誰かが呟く。
「しかし彼らがまた建物に戻らなかった場合は? 見た所二人のカートは満杯ですし、どうやら帰り支度をしている様にも見えます」
「入るさ、入らない筈がない」
 そう言うとラース1の目は楽しそうな笑顔を浮かべてそそくさとテーブルを片づけているアデリアを追った。綻ぶ口元から覗く真っ赤な舌がぬらぬらと蠢く。
「そういうシナリオが必ず出来上がっているんだ、用意されている筈だ。俺と奴との出会いが必然だと言うのならば」
 昼天の日差しを受けて浮かび上がる妖しい嗤い顔に張り付いたままの狂喜、瞑い双眸に点った黒い炎は彼の中で昂る感情と共に大きく燃え上がる。ラース1は誰にもわからないある種の確信を持って、仮初めの平和な未来を謳歌し続ける彼女を射殺さんばかりに睨みつけたままだった。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.028727054595947