※筆者は催眠・洗脳系のエロは大好物なのですが、いざ自分で書くとなると実際難しいですね。
※あ、もう書く必要あるかどうかわかりませんが毎度毎度のオリ設定&あのキャラが●×ってなんか違くね注意です。
※週刊誌って全然読んだことないから見出しこんな感じで合ってるのかどうかよー解らんです。
(※2017/09/28初出。2018/66/30ラストシーン一部修正&OKシーンその2追加)
『今三度暴かれる海軍の隠蔽体質! 秘匿されていた深海棲艦 “姫種” に迫る!!』
対深海棲艦戦争の事実の隠蔽、艦娘クローン問題に引き続き、帝国海軍の隠蔽体質がまた一つ白日の下にさらされた。
つい数ヶ月前まで害獣として扱われてきた深海棲艦であるが、数日前に戦闘終息宣言がなされた台湾沖・沖縄本島防衛戦(帝国海軍名称:第三次菊水作戦)で確認された、人語を喋る深海棲艦の存在を、帝国海軍は秘匿情報として扱っていた事を今回、公式に認めた。
(中略)
この沖縄本島防衛戦で活躍した少年提督、目隠輝君は、この写真にもあるように満面の笑みで家族と握手をした後、集まった記者団に対し――――
――――――――週刊エブリディ最新号より一部抜粋
トラック諸島は夜になると、晴れていて月の出ている時はクリスチャン・ラッセンの絵画の如き美しさと明るさとなるらしい。
その美しさと言ったら筆舌し難いらしく、そこに置かれているトラック泊地に所属する重巡娘『青葉』を筆頭に、手すきの艦娘や人間らでスマートフォンで撮影したものをWispetterなどのSNSにアップロードしてみたり、今はもうレトロなアンティークと化したフィルム式カメラで写真を撮り溜めて写真集を作っては小銭をため込んでいる本土の趣味人達相手に売り捌いているらしい。
――――どこに……どこに消えた?
【提督。光学デバイス、感度最大値に設定しました。感無し】
――――パッシブソナー。
【感無し】
――――RWR。
【感無し】
だが、今日ばかりは運が無かった。一筋の月明かりさえも遮るブ厚い曇り空だった。
晴れでも曇りでもトラック諸島の夜は深いが今日のは一際暗かった。周囲一帯、360度全てが水平線で、真っ暗闇だった。人工物の明かりなど存在していないし、この提督の搭乗している神通改二――――もちろん、超展開中だ――――もまた、被発見のリスクを抑えるために全ての明かりを消し、パッシブ以外の索敵系を全て封印し、海面付近にしゃがみ込んで異変に対応していた。
状況はこうだ。
ここ最近、トラック泊地では艦娘の行方不明が相次いでいた。一人で海の上にいる時を狙われているらしく、次の定時報告に応答がなく、捜索部隊が捜しても見つからないという事が相次いでいた。消えた艦、というかトラック泊地の艦娘には提督不在でも超展開を実行可能にするダミーハートが搭載されているはずだから、仮に交戦したとしても何も出来ずに沈められたというのは考え辛く、だからこそ原因がはっきりしないのだ。
この捜索に、神通に乗り込んでいる彼――――新生ショートランド泊地の提督は、古くからの友人であるトラック泊地勤務のとある提督からの救援要請を受け、ショートランド最高戦力である自身の秘書艦、神通改二と共にトラックにヘルプ戦力としてやって来た。そしてブリーフィング後に、こう言い出したのだ。
――――じゃあ、囮に発信機付けて釣り出しましょう。
それは、トラック泊地でも考えられていたがなかなか志願者が集まらず、かと言って強制させる訳にもいかないからと放棄されかかっていた作戦であった。
肝心の囮には神通とその提督が志願。発信機と、自前で持ち込んだ強行偵察部隊向けの超強力な一方通行のデータ送信機を積み込んで、その日の夜に出撃となった。妙に急いているが何かショートランドでやり残したことでもあったのだろうかとトラックの面々は思っていたが、不利益にはなるまいと考え、いつでも夜間出撃できるように泊地近海に待機して――――もちろん、囮役の神通以外の各艦は互いを目視確認できる程度に距離を近づけて――――いた。
そして作戦開始から約四時間後の、〇〇〇〇時。今から約三〇分ほど前。日付が変わるか変わらないかという頃に、異変が起こった。
改二型となって徹底的に強化された索敵系がほんの一瞬、ほんの一瞬だけ、PRBR値の変動を検出したのだ。誤差にも満たない揺らぎのような微弱な反応だったが、神通は劇的に反応した。
痙攣と同じメカニズムで神通が索敵系を起動。それからゼロコンマ数秒未満後に反応があった方向に監視カメラの1つを振り向けてみると、そこには、真っ暗闇の中に浮かぶ、青白い複数の小さな鬼火に照らし出された、人型の深海棲艦が一隻いた。
神通達が何をするよりも先に、鬼火も人型も闇に消えた。ほんの少しだけ、囁くような音量の笑い声だけを残して。
この短い時間ではさしもの改二型の索敵系も満足な仕事が出来なかったようで、あの深海棲艦は真っ黒なセーラー服を着た、青白い輝きを瞳から放つ、長い黒髪の人型という事しかわからなかった。
罠だ。深海魚どもの罠だ。
その事実に気が付いた神通と提督は即座に超展開を実行。超展開の実行時に、艦娘と搭乗者を保護するために意図的に発生させている純粋エネルギー爆発の爆音と閃光を目くらましにしてその場を離れ、トラックに『敵艦見ゆ。追跡開始』とだけ送信して無線封鎖し、現在に至る。
【あの、提督。PRBR値の解析、速報でました。脅威ライブラリに該当なし。未確認識別個体です。ですが……】
――――?
言い淀むとはお前らしくも無い。そう考えた提督の意識が神通に流れ込むのと同時に、神通の不安げな概念もまた、提督に伝わってきた。
【……ですが、類似した波形が一つ。鬼です】
――――鬼……だと!?
帝国海軍で鬼と言ったら真っ先に浮かぶのは一つしかない。ハワイの白鬼、泊地棲鬼の事である。神通の不安げな概念もそれが原因である。
人型の深海棲艦としては世界で一番最初に確認された個体。ハワイの大虐殺の主犯。パナマ運河狙撃の実行犯。
そして、合衆国の空・海軍の全力出撃をほぼ単独で10回も押し返し、成功を収めた11度目ですらコイツ一人のために核の集中運用が大真面目に検討された、深海棲艦の切り札的存在だった個体だ。
だが。
だが、あれはもう、完全に死んでいるはずだ。帝国本土に運ばれてきた鬼のさらし首はテレビ中継でとは言え自分だって見てたし。
【どういう、事でしょう……】
――――たしか、西方海域のカスガダマ島で、鬼の量産型と思わしき個体が出たという噂を聞いたぞ。たぶんソイツの事じゃ――――!!
視界の端で、再び青白い鬼火が揺らめいた。そして振り向くよりも先に消える。先手を取られた神通と提督がその場にしゃがみ込み、その姿勢のまま身構える。
五秒が過ぎ、十秒が過ぎても何も起こらない。
優に一分は過ぎたあたりで再び、同じ方向で青白い鬼火が揺らめく。先程よりも遠い位置だった。
【気付いて……いないのでしょうか?】
――――……このままだと埒が明かん。行くぞ。神通。FCSアクティブ。トリガー条件は脊髄反射モード。弾種、星弾榴弾榴弾。何かあったら即発砲できるようにしろ。
【了解】
この暗さなら星弾(照明弾)どころか通常榴弾の一発でもトラックの連中はこちらを容易に補足できるはずだが念のために一発と考え、神通の上腕部に接続されている3つの主砲塔の砲弾換装を手早く済ませる。
それを待っていたかのようにまた鬼火が現れ、揺らめいて消える。足元すら見えない真っ暗闇のため、正確には分からなかったが、距離は変わっていないように見えた。
【……明らかに誘っていますね】
――――罠か。こちらの正確な位置は掴んでいないのか? だったら罠は包囲網か? それとも狙撃か?
そう考えた提督は神通の索敵系――――特にパッシブソナーと夜間目視用の光子増幅デバイスの感度を最大値に設定し、自身の耳も澄ませて追跡を続行した。
ここで注意するべきは敵の有無ではなくて、足の裏の感触と、海水の温度だった。
硬い岩を踏んで痛みで目が覚めないよう、この辺りの海底一帯から、人の拳よりも大きな岩は全て丁寧に取り除かれて砂だけになっていた事に。
冷たい波が素足に当たって、その冷たさに驚いて目が覚めないよう、この辺りの海には、人肌よりも少し高い程度に温められた深海棲艦特有の粘液――――DJ物質が大量に散布されており、この辺り一帯の海水が心地良いぬるま湯になっていた事に。
ここが分水嶺だった。
――――だが、誘ってるなら。
【正体を掴むチャンスですね】
その事にとうとう気付かずに、神通は、波音を立てて気取られぬよう慎重に、慎重に歩を進め始める。
三度鬼火が遠くに現れ、揺れて、消える。
神通は波音を立てて気取られぬよう慎重に、慎重に歩を進める。どこか遠くで聴力検査の時のような、あるいは静寂の中の耳鳴りに近い単調な音が鳴っているような気がした。
四度鬼火が遠くに現れ、揺れて、消える。
神通は波音を立てて気取られぬよう慎重に、慎重に歩を進める。可聴域ギリギリの音が別の単調なパターンに変化する。提督の耳にはそうとしか聞こえなかったが、神通にはそうではなかった。
【……提督、歌が、歌が聞こえます】
五度鬼火が遠くに現れ、揺れて、消える。
神通は波音を立てて気取られぬよう慎重に、慎重に歩を進める。先ほどからこれらの繰り返しで注意力が低下してしまったのか、先ほどよりも足運びが大雑把になっていて、時々波音を立てていたのだが、ゆらゆらと不規則に揺れる光を追う事に意識を割いていた神通はその事にも気が付かなかった。
光を追えば音が意識外から神通の注意力を削り取り、音に意識を割いていると優しい光の明滅が神通の心の緊張と警戒心を無意識のうちに和らげる。ほのかに暖かい海水温もそれらの手助けをしていた。
それから幾度となく鬼火は遠くに現れ、揺れて、消えたり現れたりを繰り返し続ける。
神通は、波音を立てて気取られぬよう慎重に、慎重に歩を進めている。
つもりだった。
――――……
【……】
もう、この頃になると神通は棒立ち同然でになっており、今にもその場に倒れ込みそうなほど、危なっかしくフラフラするだけだった。超展開中につき神通と感覚を共有している提督もまた、それに倣っていた。
その瞳は何も映しておらず茫洋としており、口の端から一筋の涎を垂らし、幸せな夢でも見ているのか時折、変な笑い声を微かに上げてたり、痙攣していたりした。
……ヨ。コッチ、コッチヨ。
次は、耳元で囁かれた時のような小さな声が聞こえてきた。
神通は何の疑問も違和感も持たず、その声の方へとザブザブと波を立てて歩を進める。人肌よりもやや高めのぬるま湯と化していたため、乾いていた内腿や手に水飛沫が当たっても意識が回復する事は無かった。むしろもっと、全身で浸かっていたいとさえ思っていた。
そして、神通が鬼火にある程度近づいた所で、その声の主がゆらゆらと揺れる青白い光に照らし出された。
サァ、イイコダカラ。コッチニオイデ。コッチニクレバ、モット、キモチヨク、ナレルカラ。
完全な少女型の上半身と異形の大口を模した機械の下半身、青白い肌、ボタン止め式の真っ黒なセーラー服、顔を模した胸元の黒いアクセサリー、腰まで届くストレートの黒髪は頭部の両側でお団子状にまとめられており、その瞳は勝気に吊り上がり、鬼火と同色の微かな輝きを放っていた。
そして、異形の下半身の両側舷に接続された連装砲の砲身から、イソギンチャクの触手のような物体が何本も天に向かって柔軟に伸びており、ゆらゆらと揺れるそれの先端が青白く明滅していた。
神通の索敵系は必死になって鬼と酷似したPRBRパターンを至近距離から検出したと警報を発していたが、提督にも、神通にも、もうそれを理解するだけの意識は無かった。
サァ、コッチ。コッチヨ。コッチニクレバ、モット、キモチヨク、ナレルカラ。ワタシノ、イウ、トオリニシテ。
その鬼らしき深海棲艦の言葉が神通と提督の脳に何の抵抗も無く染み込んでいく。
危なっかしいを笑みを浮かべた神通が危なっかしい足取りでフラフラと向かうその眼前には、輸送ワ級が一隻、ミツアリのように膨らんだ腹部の格納嚢胞を解放した状態のままで海面に浮かんでいた。神通のレーダーに反応は無く、PRBR検出デバイスもこの距離でようやく反応した。恐らくは深海側勢力最新の第四世代型か、その技術を応用したステルス型なのだろう。
サァ、ナカへ。コノ那珂……ジャナクテ、コノ中へ。ワタシノイウトオリニスレバ、モット、キモチヨクナレルカラ。
ワタシノイウトリニスレバ、モット、キモチヨクナレルカラ。ワタシノ、イウトリニスレバ、モット、キモチヨクナレルカラ。
収容物固定用の吸盤触手と硬化粘液で満たされたワ級の中へ、鬼らしき深海棲艦は背中から入っていく。神通も夢見心地のまま、その後に続いた。ワ級の嚢胞の中に完全に入った神通の頬に、鬼がそっと両手を添えて神通の顔を固定する。神通からは見えぬよう、指で合図を送る。
触手と粘液が二人を包み込むようにして固定し始める。隔壁が閉ざされていく。隔壁が閉じ切るその直前まで、鬼は、神通に光と音を与え続け、囁き続けていた。神通はその全てを幸せそうな笑みを浮かべたまま受け入れていた。神通の索敵系はコマンド入力のタイムアウトにより二次優先ルーチンの処理を実行し、これまでの一連のデータを圧縮・暗号化しトラック泊地に向けて送信した。だが、そのデータの大部分は閉ざされかけた隔壁とワ級のステルス素材に吸われて消えた。
気密が完全に確保された事を確認したワ級が移動と潜航を開始。深い深度に元から隠れていたイ級に先導され、一路秘密の泊地へと移動を開始し始めた。
曇り空が風に乗って流されていく。月明かりが射す。
それとほぼ同時に、雲の上から一機の夜間哨戒機――――もちろん、燃費最優先の復刻レシプロ機だ――――が到着する。先に神通が送った緊急連絡を受けて、スクランブルで飛んできた機体だった。
【こちらブラボーリーダー。神通のビーコン途絶地点に到着した。周囲に神通の姿は見当たらない。繰り返す。神通は見当たらない】
月明かりに照明されたそこには、波に流されて消え始めた海水温度と、小さな波のさざめき、そして普段のトラック泊地の夜の暗さだけが残されていた。
神通がいた痕跡は、もう、どこにも残っていなかった。
俺はこれが書きたかった。そして伊13と神威と択捉来い来い祈願の艦これSS。っていうかホントにヒトミちゃん&神威来ましたー!!(5/19現在)因みに私の言う第一部とは栄光ブイン本編と番外編の有明警備府、そしていくつかの短編。この3つのまとまりの事を指します。ですので今度こそ最終話です。
とか書いてたら気が付けば8月末を通り過ぎて時既に夏イベ終了どころか9月半ばに突入してるとか。あとホンマに夜間作戦航空要員実装されてますやん。
ハドラー、これどういう事なの? なんでこんなに時間かかったの? な艦これSS
嗚呼、栄光のブイン基地
今度こそ第一部最終話『デイドリーム・ビリーバー』
雪風は嵐の夜の夢を見る。
これは夢だと雪風は理解している。何故ならば、あの日あの時、自分はこの海戦には参加していなかった。機関と羅針盤の故障で遅れに遅れた自分が見たのは、全てが終わってしまったその後の光景だったのだから。
いつもの南方海域らしからぬ、時化た海面が大きくうねって波を巻き、月明かりの眩しい中でもなお白い波頭を見せては崩していた。
そして、荒れた海面には無数の死骸と残骸が浮かんでいた。第一世代や第二世代型の駆逐種や軽巡種を中心とした、深海棲艦だったものの肉片とドス黒い油状の体液と人類製の鋼の艦艇だったものが周囲一帯に浮かんでおり、そこに紛れるようにして、一隻の、小さな救命ボートが木の葉のように大波に揺られていた。
最後まで浮かんでいた、ボロボロに大破して炎上していた駆逐艦――――横腹に書かれていた『DDみゆき(KM-UD)』の白文字が、やけにはっきりと見えた――――が、音を立ててゆっくりと沈みはじめ、その途中で爆発。いくつもの燃える破片を四散させながら真っ暗な海の底へと沈んで逝った。その破片の内のいくつかは、駆逐艦本来の姿形を取り戻していた雪風の甲板上にも落ちてきた。それをボートの中から見ていた誰かが何事かを叫びながら、ボートの中や付近に落ちてきた破片を集め始める。
やはり夢だと雪風は再度確信した。深雪が沈んだのはボートを回収した後だったはずだし、波もここまで時化ていなかったからだ。それだけははっきりと覚えている。
夢の中の雪風がボートの付近に寄せたところで自我コマンドを入力。やもすればこの大嵐の中、ボートの中の誰かが海に飛び込んでいきそうな気配がしたので、トンボ釣り用の小型クレーンを起動してボートを吊り上げる。
その中にいたのは、一人の子供だった。チビガキだった。
そんじょそこらのガキではなかった。
帝国海軍指定の肩紐無しの白いフロックコートに同色のズボンを履き、帝国海軍指定の白塗りのローファーはどこかで脱げたのか右足しかなかった。顔は海水に濡れて張り付いた前髪に隠れて上半分がまったく見えなかった。おまけに上着の袖がかなり余っており、指の先以外が全部隠れていた。
こんな嵐の夜の海で駆逐艦に乗っているよりは、近所の空き地か河川敷で友達と野球かサッカーでもやってる方がお似合いの年頃のチビガキだった。保護者らしき人物は居なかった。
そしてコートの肩には、黄色い下地に一本の黒線が引かれた、一輪咲きの桜花の肩章があった。
帝国海軍少佐の階級章だった。
繰り返して言うが、近所の空き地か河川敷で友達と野球かサッカーでもやってる方がお似合いな年頃の、艦娘としての雪風とどっこいどっこいの背丈しかないチビガキである。
『んな……っ、こ、子供!?』
雪風が自我コマンドを入力。実体化して甲板上を走り回っている妖精さん(の立体映像)の空きチャンネルに割り込み、圧縮保存――――艦娘状態の雪風の立体映像を2391体目の妖精さんとして出力させる。
物に触れるほどの超高速・超高密度の情報体として出力された雪風の立体映像が回収されたボートに駆け寄る。
『だ、大丈夫ですか!? 自分の名前言えますか!?』
『げほっ、げほげほっぅぇ、! ぁ、ぁいじょうぶでず……! ぅ゙いん゙っ、ブインぎじの、 げっほ! めがぐれてるでず……あ゙な゙だば……?』
『ラバウル基地、雪風です。今艦内に案内するから――――』
『ぞん゙な゙! ぞんな事より深雪!!』
雪風を押しのけるようにして輝が駆逐艦としての『雪風』の縁に駆け寄って海に飛び込む寸前、背後から雪風の立体映像に羽交い絞めにされた。
『ちょ、ちょっと何考えてるんですか!?』
『離して! 離してください!! 深雪が、まだ深雪が――――』
やはりこれは夢なんだなと雪風は再び思う。今しがた沈んで逝ったはずの『深雪』が、今再び輝と雪風の2人の目の前で爆発し、沈んで逝ったのだから。
大小の燃える残骸がいくつもいくつも『雪風』の周囲に降り注ぎ、その内の小さないくつかは甲板上に落ちて短い距離を転がった。
『……あ、ぁああ!!』
呆けていた輝が我に返ると同時に雪風の立体映像を振り払い、足元に転がってきた破片を大慌てで集め始める。当然、中には火が付いたままの物もあったが、輝は全く気にも留めていなかった。
雪風が止めさせようとしたところで、間の悪い事に雪風のPRBR検出デバイスにhit. 感多数。敵増援。
深海棲艦のお家芸、変温層下からの高速垂直急浮上。
この距離と数では先制爆雷も大した意味を成さないと判断した雪風は自我コマンドを入力。機関を戦闘出力に上げ、輝を艦内に避難させようとした。
『撤退します、あなたは私の艦内へ――――!?』
『ほら、待ってて。待ってて深雪、すぐ、すぐに直すから……!!』
雪風が輝に意識を戻した時、輝は、必死な表情で這いつくばって集めた『深雪』の破片を手の中で組み立てていた。まるで、そうすれば彼女は元に戻るのだと言わんばかりだった。雪風が服を後ろから両手で引っ張って無理矢理連れていこうにも、輝は『まだ深雪が外に!』と言って聞かなかった。
瞬間的に頭に来た。
雪風が輝の頬を一発全力ではたく。輝の動きが止まった瞬間、彼の手の中にあった深雪の破片を掴んで海へと投げ捨てる。
雪風は輝の顔を両手で挟み込んでこちらに向き直させ、怒鳴る。
『いい加減にしなさい! あの娘は――――』
目覚ましが鳴る。布団に包まっていた雪風の頭の上でジリリリリ、とけたたましく鳴るそれの頭を叩き付ける様にしてストップさせる。
「……むゅう」
布団の中から片腕を伸ばした姿勢のまま数十秒。
普段の雪風ならばもうパジャマを脱いで制服に着替え終わっている秒数なのだが、夢見が悪かった雪風は不機嫌そうに目を閉じたまま布団から動こうとしていない。それでも何とか這い出したところでようやく、目覚ましを止めた自分の手の甲に、別の誰かの手が置かれている事に気が付いた。
いつの間にか同じ布団の中に入り込んでいた、目隠 輝(メカクレ テル)とかいうチビガキだった。
驚きだった。まさか、かつてラバウルでニワトリ起こしの二つ名で呼ばれた事のある自分に追いつくとは。
「おはよー、みゆ……って、誰!? ……あ、あれ? 深雪? あれ? 今、別の誰かだった、ような……? え? あれ? ごめん、見間違えた」
「雪風は深雪さんじゃなくて、雪風ですよ。雪風」
「あはははは……ごめん、拗ねないでよ深雪。そんなに自分の名前連呼しなくても、分かってるって」
「……」
――――もしかしてと思ったけど、やっぱ駄目だった。
雪風は心の中だけで溜め息をつく。
この輝と雪風の付き合いはそれほど長くない。初めて出会ったのは今朝の夢に出てきたあの嵐の夜――――鉄底海峡でブイン基地の全戦力と、ラバウルおよびショートランド選抜部隊の面々が、第3ひ号目標と呼ばれる強大な深海棲艦と戦い、これを撃破したその少し後からだ。
雪風も、本来だったらその戦闘に参戦しているはずだったのだ。原因不明のエンジントラブルと通信装置と羅針盤の故障で遅れに遅れた上に一人ぼっちになって迷いに迷った挙句に辿り着いたのが、南太平洋戦線と南方海域の境目あたりで、しかも全てが終わった後だった。
南太平洋戦線付近まで移動して支援攻撃に徹していたC隊へ、作戦成功の連絡を取ろうとして単独で北上していた駆逐艦『深雪』が、鉄底海峡の敵の本隊から追撃を受けて沈没。その後、偶然そこに迷い込んた雪風が輝を救助したところ、偶然にもトラック諸島の偵察部隊に拾われて、これまた偶然にもトラック泊地での傷病兵の回収任務を終えた本土行きの輸送機に紛れ込み、本土に帰ってきた後に、本当に、本当に色々あって今に至る。
「あ、もうこんな時間だ。急ごう深雪。そろそろラッパが鳴っちゃうよ」
「……はいはい。今行きますよ。あと、私は雪風ですってば」
雪風の心情など露知らぬ輝も、当の雪風も、早々に着替えを終えると簡単にベッドを整えて(※翻訳鎮守府注釈:この世界でのベッドメイキング事情は、リアルの自衛隊や他国の軍隊程厳しくないです)食堂へと向かった。
「目隠目隠メカクレ……マジ?」
その朝食の後の事。つい先日この警備府にやってきたばかりの輝と雪風、この2人への質問会が行われていた。
食堂の中央付近の席には四方八方を囲まれた輝と深雪、彼らの左右に座っている第3艦隊総旗艦の蒼龍改二(ごく普通の緑色の着物と暗い緑色をした袴を着用)と第2艦隊総旗艦の飛龍改二(ごく普通の橙色の着物と緑色の袴を着用)と、その対面に座っている第2第3艦隊それぞれの副旗艦である『長門』『叢雲』は、ごく普通に食後のお茶をしばきながら当たり障りのない質問や雑談を繰り出しており、さらにそこから一席分外側の椅子ではプロトタイプ足柄が2人の話を聞いており、包囲網の一番外側では駆逐娘の『秋雲』が、食後の腹ごなし代わりにスケッチブック片手に鉛筆で食堂内の光景を速描している。
「目隠って言ったらアレでしょ。メカのメカクレ。しかも名前に『輝』入りとか。何でお世継ぎ様がこんな海軍(トコ)居るのよ」
「「「えっ!」」」
「え! 輝君ってメカクレの人だったんですか!?」
この発言に一番驚いたのは、有明警備府の面々ではなく、輝の隣に座っていた雪風だった。もちろん理由はある。
メカのメカクレ。
艦娘を含めた、帝国内で使用されている兵器やその他機械類の販売シェアでは弱小だが、それらを生産する各種マザーマシンや、全自動ピアノ演奏ロボ『ノース3号』に代表されるような、単一機能特化型ロボットの製造・販売では半世紀以上の一社独占を続けている怪物企業の事である。
無論、帝国国内大企業の五将家――――爆薬と装甲の有澤、光学と精密マニュピレータの河城、ソフトウェアの篠原、薬と遺伝子工学の雨宮、EG7級人型ロボットの甲賀組――――もそれぞれ、自社開発のマザーマシンを有してはいるが、それらとくらべても頭二つか三つ分は抜き出ているのがメイド・イン・メカクレのマザーマシンである。かつて、メカクレの一社独占の状態を切り崩そうとして五将家が結託し、新兵器の性能評価試験と銘打って五将家それぞれのマザーマシン製とメカクレ製のそれによって製造された艦娘向けの艤装の実弾試験(※五将家からの妨害マシマシ&アンフェアなジャッジありあり)を行った時の結果など、製造業の人間にとってはある種の伝説である。
結果、その実試験以降、帝国で稼働しているマザーマシンは基本的にメカクレ製で統一されていたりする。無論、そこから製造された製品は各メーカーの物だが。
そして今日もまたメカのメカクレは日々物資統制が強まる現在でも、五将家にも引けを取らない軍との強力なコネと実績を武器に、物資統制開始以前と何ら遜色なく自社工場の生産ラインをフル稼働させているのである。
つまり、わかりやすく言うと、帝国そのものが傾きでもしない限り、輝には左団扇人生が約束されているようなもんである。
「は、はい。自分は曾祖父の輝時(テルトキ)が一代で起業した、目隠の末席を穢させている身であります……って、深雪は知ってたじゃない。もう何度も何度も『超展開』もしてるんだ……し……?」
雪風を見つめる輝の瞳が、不安げにブレ始める。
「あれ……あなたは、……雪風……? さん? 深雪、じゃ 、ない……? え、あれ? じゃあ深雪は? 深雪は? 深雪は? 深雪はど……こぉぅ……ぅうああああぁ……!!」
「! すみません皆さん、ちょっと失礼します」
そして急に瞳の焦点がブレ、呼吸が激しく乱れ始めたのとほぼ同時に輝は両手で頭を抱えてその場にうずくまり、うーうーと呻きだしてしまった。
雪風はもう慣れたかのように周囲に断りを入れてそそくさと席を立った。
大急ぎで雪風が輝をお姫様抱っこで――――見てくれと原材料は年端の行かない少女でもその実は戦闘兵器だ。これくらいは造作も無い――――連れて部屋の外へと出ていくと、今までやいのやいのと騒がしかった食堂には、突然の急展開に呆気にとられた面々が残され、片隅にある大型液晶テレビの中から聞こえてきた、姉妹仲が良いんだか悪いんだかで有名な横須賀鎮守府もとい横須賀スタジオ所属の山城改二が歌う『(扶桑姉様の)艦橋! もげれ!! ビーム!!!(with絶望レイテ少女達)』のシャウトだけが空しく響いていた。
「ううううぅぃぃぃぇぁぁぁぁぁ……!!」
「さ、しれぇ……官。深雪はここにいますよ」
「深雪、深雪ぃぃぃ……みゅぃいぃ……すぅ……」
そしてそんな面々から輝を連れ出した雪風は警備府内で2人の自室としてあてがわれている部屋のベッドの上に輝を横たえ、完全に寝かしつけた事を確認すると、輝にタオルケットをかけて窓の網戸だけを閉めてカーテンを引き、静かに退室した。
そして、廊下に待機していた長門達に両腕を掴まれ、宇宙人めいた姿勢のまま食堂へと連行されていった。
「さて。いい加減に聞かせてもらうぞ。あれは何だ」
先程までは朝食後の談笑が行われていた食堂の、同じ座席に雪風が座らされ、詰問が開始される。
配置も先程とほぼ変わらず、雪風を部屋の中心にその左右を飛龍再び改善(全裸)と蒼龍再び改善(全裸)で挟み、対面には有明警備府の事実上の顔役である長門と叢雲、少し離れた席ではプロトタイプ足柄が雪風の一挙手一投足をG‐1選手現役時代だった頃の目付きで警戒しており、包囲網の一番外側では大真面目な顔をした秋雲が紙媒体で供述調書を取っているフリをしながらこの光景の法廷画を描いていた。
「今まではなぁなぁで済ませてきたが、あんな症状が出るまでだったとは聞かされていない。これ以上は有明警備府の暫定火元責任者としても、お前達の為にも許さん」
「……」
若干うつむいたまま思い詰めた表情を浮かべる雪風は貝のように沈黙し、他の面々も雪風が口を開くのを黙って待っている。結果、その食堂の片隅にある大型液晶テレビの中から聞こえてきた、姉妹仲が良いんだか悪いんだかで有名な横須賀鎮守府もとい横須賀スタジオ所属の扶桑改二による『(山城は)航空戦艦として軸がブレている(with絶望レイテ少女達)』の淡々とした歌声だけが空しく響いていた。
ややあって。
「……最初は」
「……」
「初めて出会った時は輝君も、私の事をちゃんと認識してくれてたんです。でもすぐそこまで敵が来ていて。でも輝君は深雪さんがまだ外にって言って、もう沈んでいたのに。だから、だから――――」
「……」
毒杯を呷るような、という表現はきっと今の雪風のような表情の事を言うのだろう。
雪風の心と意識が、あの嵐の夜に還っていく。
雪風がボートから引き揚げた輝に意識を戻した時、輝は、這いつくばって集めた『深雪』の破片を手の中で組み立てていた。まるで、そうすれば彼女は元に戻るのだと言わんばかりの必死さだった。雪風が輝の襟首を両手で引っ張って無理矢理連れていこうにも、輝は『まだ深雪が外に!』と言って聞かなかった。
瞬間的に頭に来た。
何だこのクソガキは。何で逃げない。お前の事なんか知らないが、お前の艦娘がお前をかばって沈んだ事ぐらいは解ってる。いつまでもそんな所でグズグズ泣いて、助けてもらった命を捨てる気か? 無駄死ににさせる気か?
瞬間的に頭に来た。
雪風が輝の頬を一発全力ではたく。輝の動きが止まった瞬間、彼の手の中にあった深雪の破片を掴んで海へと投げ捨てる。
雪風は輝の顔を両手で挟み込んでこちらに向き直させ、怒鳴る。
いい加減にしなさい! あの娘はもう死んだんです、沈んだんです! あなたも見たでしょう!!
「……その時は、輝君が大声で泣き出し始めたんで、その隙に無理矢理医務室のベッドに押し込んで海域を脱出したんです。その後も輝君はベッドの中でもずっと泣きっぱなしで。しばらくしたら泣き止んで寝て、その後ずっと全然目を覚まさなくて……でも静かだし都合がいいやって思ってそのまま……それから逃げ出せたけど羅針盤もGPSもまた急に壊れて、そのままで何日か彷徨ってたら、いつの間にかトラック諸島の縄張りに迷い込んでたらしくて、哨戒部隊の人達の無線を拾ってSOS打って、泊地に着いたんですけれど……泊地に着いてから起こした時にはもう、輝君は、私の事を深雪さんだと思い込んでしまっていたんです……」
「……」
帝国本土に居を構えていると言っても、長門達は古い艦娘である。故に、幾度となく外洋の基地や泊地への援軍に出向いた事もある。欠伸の出そうな勝ち戦の時もあれば酷い負け戦の時もあった。ただ、どちらにせよ味方の被害は例外無く出ていて、今の輝のように辛い心に蓋をした連中だっていくつも目にしてきた。人も艦娘も問わず。
だが、そいつらは例外無く歴戦の兵士や提督や艦娘ばかりで、愛だの恋だのといった薄っぺらい感情ではなく、互いが互いの事を己の心臓だと思っているような、そういうレベルの深い絆で結ばれている連中ばかりだったはずだ。
「あの子は……あの子の心は……雪風が、壊してしまったんです。ですから、あの子の心が元に戻るまでは、私が傍にいないといけないんです……それが私の、雪風の責任なんです……」
「……だったら、そういう施設か療養所にでも預けたら? メカクレの御曹司なんでしょ? だったら秘密裏にそれくら――――」
「駄目です!! そんな所に預けたら輝君、今度は本当に殺されちゃいますよ!!」
ずっと輝と行動を共にしてきた雪風は知っている。
大手新聞社の一面記事や週刊誌の巻頭特集の写真や、TVの中では救国の少年提督だの一族中興の祖だのと持て囃され、色々なパーティ会場や家族一同で満面の笑みを振りまいている輝だが、実際にはそんな事は無かった。
――――お引き取りください。前CEO、輝羊の子供は津々兄様と私、輝夜のみ。この家には、そのような名前の者など居りません。
南の海から帰って来ても、あの地獄の沖縄防衛戦から帰って来ても、ただの一度さえも、輝は――――次代のメカクレのみに許される『輝』の文字を名に持つ妾の子は――――あの高い塀の向こう側に足を踏み入れる事を許されなかった。帰ってきた輝に与えられたのは、インターホン越しに告げられた、あの一言だけ。それが写真や映像には写されなかった真実だ。
そして、そんな捏造写真やら映像やらを堂々と大手マスコミ各社に配信させるだけの権力を持っているのがメカのメカクレという隠れた大企業である。
もしも進言通りに病院や療養所にでも預けようものなら半日と経たずに暗殺され、翌日には新聞やらTVやらで『戦地での怪我の悪化により急死』と扱われて終わりだろう。
そういう意味では、沖縄で輝たちが活躍できたのは幸運だったのだろう。マスコミにあれだけ大きく取り上げられてしまえば、さしものメカクレも無かった事にはもう出来まい。きっと。
長門が口を開く。
「……大よその事情は理解した。身元の綺麗な提督はこちらとしても望んでいたところだったのでな。そちらが良ければこのままここ(有明警備府)に所属して欲しいところだ」
「! それじゃあ……!?」
「ああ。書類と関係者への調整はこちらでやっておこう。残る問題は……雪風保有試験だ」
雪風保有試験。
文字通り、艦娘としての雪風を艦隊に加える際に提督に課せられる試験の事である。原因は未だ不明だが、艦娘としての雪風の製造には他の艦娘のようにクローンからクローンを作る事が出来ず、オリジナルのスープと艦の破片を使うしかない。故に、その生産数には最初から上限が見えている。
なので、雪風の着任要求には自然と条件がシビアになる訳で、彼女を艦隊に保有するには通常の艦娘のように超展開適性の高低の他にも、身元の潔白調査と合わせて相当量の発言力かそれに見合った実力が要求される。
特に実力については、そう簡単に沈められても困るからか発言力以上に重視されており、権力者だろうが何だろうが弾かれる奴は容赦なく弾かれる。表向きの話では。
そして今回の輝と雪風のように、それぞれ異なる所属の提督と雪風が再編成された場合もまた、保有試験を受けなくてはいけない。帝国海軍の規則にもそう書いてある。
「やっぱり、そうなるんですね……沖縄での戦闘は証拠にならないんでしょうか?」
「すまないが、こればかりはどうにもならん」
そしてその試験に万が一落ちた場合、この旧ラバウル所属の雪風は輝の元から引き剥がされ、輝には適当にあてがわれた艦娘がやって来る事になる。
もちろん、軍隊用語の適当ではなくて悪い意味での適当だ。
「……分かりました。ですが、なるべく試験の期日は遅らせてもらいたいです。輝君もあんな調子ですし」
「了解した」
かつては南方海域のラバウル基地に所属しており、今は帝国本土の有明警備府の厄介となっている艦娘式陽炎型駆逐艦娘『雪風』に言わせれば、超展開を上手くやるコツというのは心の中での握手ができるかどうかだ。
目を閉じて脳裏にイメージ。
真っ暗闇の中、自分と自分の提督だけが天井からのスポットライトに照らし出された舞台の上に並んで立っており、互いが前を見据えたまま、硬くしっかりと手を握りあう事さえできれば、超展開は上手くいく。間違い無く上手くいく。
今はもういないラバウルの提督も、最初は自分との超展開が出来なかったが、この方法を教えてやると、拍子抜けなほどすんなりと成功したものだ。
『それでは、今日の超展開実行訓練を開始する。2人とも、準備はいいか?』
「はい!」
【はい】
故に、自分とほぼ同じ背丈しかないこの小さな少年提督にもそのコツを伝授したのだが、どうにも上手くいかない。頭の中に浮かべた暗闇の舞台の上で並んで立ってスポットライトに照らされているのは良い。自分の隣に並んで立っているのも良い。
だが、この少年――――目隠輝は、自分と握手をしていない。
輝を挟んで反対側の暗闇の向こうにいる誰かと、特Ⅰ型のセーラー服を着た、雪風ではない別の誰かの方を向いて、ソイツと握手をしているのだ。
「深雪、超展開!!」
【雪風、超展開!!】
そんな事だから、機械で測った数字がどれだけの好適性を示していようが、超展開が上手くいく道理など何処にもありゃしないのだ、と雪風は考えている。
この間の沖縄の時は例外中の例外で、追い詰められた生存本能が余計な雑念の一切合切を押し流してくれたから上手くいったのだ。
超展開する度に毎回毎回あんなピンチに頼っていたら、奇跡の不沈艦と言われた自分でも、いつか何処かで致命的なヘマやって死ぬ。絶対死ぬ。だから今ここで、普通のやり方の超展開を出来るようにしとかなければならないのだ。
のだが、とりあえずは。
【雪風、超展開完了。機関出力180%。維持限界まであと300秒】
――――うぐぇ……み゙深゙雪゙……超、展開完、りょ……ぅぇぷ。意地限界まで、あとさんびゃくぅ……ぅぷ、ぷぺぺぺぺぽぉ
スピーカー越しに聞こえてくる長門の『訓練中止、中止!!』の叫び声を余所に、とりあえずは艦内の掃除と消臭から始めようと、酸っぱい匂いと音が木霊する中雪風は思う。
「うぅむ、今回も駄目だったか。計測器の数字はかなり良いはずなのだが……やはり、トラウマが悪影響を及ぼしているのか」
マイクのスイッチを切り、スピーカー越しに聞こえてくる輝の酸っぱい水音を意図的に無視しながら、デスクワーク用のフレームレスのメガネをかけた長門が呟いた。
そんな長門の隣で、雪風達との通信を繋げたまま2人のステイタスを確認していた叢雲が長門の方を振り向いた。
「ねぇ長門。あの子もう一回やらせてくれって言ってるけど、止めさせとくわよ」
「ああ、そうしてくれ」
「了解。聞こえてたわね、今日の訓練はここで終わり! 掃除終わったら上がって来なさい。デブリーフィングやるわよ」
『ま、待ってください! ぼ、僕は、じゃなくて。じ、自分はま』
叢雲は無言で人差し指一本で接続を切る。
「昨日は眩暈と頭痛、今日は嘔吐……日に日に拒絶反応が悪化しているわね」
「昨日も今日も、酔い止めの薬は効果が無かったな」
「この調子で行くと明日は幻覚と幻聴、明後日は目耳鼻からの出血と意識錯乱、明明後日は噂のプロトタイプ古鷹のように身体を『喰われ』て、最後は――――」
長門と、その隣に座っていた叢雲がそれぞれ小さな溜め息をついた。
眩暈も嘔吐も、そのどちらも拒絶反応の一種であり、乗艦中の艦娘との超展開適性の低い提督が『超展開』を強行した際によく見られる諸症状でもある。
これら拒絶反応が出ているのに超展開を強行した場合、実行者の脳と精神が焼き切れる可能性が極めて高いため、理由なき超展開の実行は厳に禁止する、と艦娘の開発元であるTeam艦娘TYPEからもお触れが出ている。出ているが、理由さえあればOKというあたりが彼らTeam艦娘TYPE、略してTKTクオリティである。
閑話休題。
「このままでは試験どころの話ではない。今来てる任務に同行させて時間稼ぎでもするか?」
「……それしかないわね。今警備府宛に来ている中で、本土から一番距離が離れてて、時間がかかりそうなのは?」
「これだな」
長門がノート型端末にインストールされているメールボックスの中身をデスクトップにぶちまけ、その中から一件をピックアップし『もっと綺麗に開きなさいよ』と愚痴る叢雲が顔を寄せて画面をのぞき込む。
そこに表示されていたメールの送信元はチューク諸島のトラック泊地からとあった。叢雲は、ふと思い出したように長門に聞いた。
「ていうかそもそもひよ子は今何してるのよ。朝から見てないけどサボり?」
「TKTから召喚されたそうだ」
「。」
今度はどんなヤバい奴に目ェ付けられたのよ、あの子。と軽く顔をしかめた叢雲が言うより先に長門が続けた。
「先のプロトタイプ伊19号との超展開を終了させた際、2人の肉体の一部が混在したまま分離してしまったそうで、今日から精密検査だそうだ」
「ああ、あの戦闘報告書の被害報告欄にあった」
「そう、それだ。潜水娘と何度も『超展開』している提督の間ではそう珍しいものでは無いそうだが、初回だし念のためという事で1、2週間ほど泊りがけで検査が行われるそうだ。北上と不知火はその護衛、プロト足柄とプロト金剛と川内はその護衛の護衛だな」
「ふぅん……ほんとに検査だけで済めばいいけど。で、肝心の要件は?」
『今出す』と長門がマウスを操作して、次のメールを表示させる。
「トラックからのはミッション依頼。内容は、MIA艦の捜索だそうだ」
「……へぇ。時間稼ぎには持って来いね。雪風試験のメールが来るより先にこっち行ってた事にして、2~3ヶ月くらいゆっくりさせときゃいいでしょ」
叢雲のその発言に長門が眉をひそめた。
「叢雲、それは流石に――――」
「もちろん、捜索には言い出しっぺの私が出るわ。あの二人は完全に休養。ひよ子達も、検査が終わった後で様子見の名目でしばらく休養させてあげましょ」
多分、あの腐れ開発チーム共が絶対検査だけで終わらせるとは思えないし。と叢雲は告げた。
ボーディング・ブリッジなどという民間向けの気の効いたアイテムなど軍がレンタルしている滑走路には無かったので、飛行機から滑走路に直接降り、トラック泊地の空の入り口、ウェノ島(帝国呼称『春島』)に到着した輝と雪風を出迎えたのは、南国特有の強烈な日差しと、うだるような熱い空気だった。
「ここに来るのも二度目だね、深雪」
「雪風ですってば。そうですね。でも飛行場まで来たのは初めてですね。あの時はすぐ飛行機に乗っていっちゃいましたし」
そんな二人を数歩離れた距離から見ていた叢雲は普段通りの、一歩間違えればつっけんどんにも見える口調と態度で二人をたしなめた。
「懐かしがるのはいいけど、2人ともまずは入国手続き済ませてきなさい。帝国の色が強いとはいえ、ここはもう余所の国よ。ていうか滑走路のど真ん中で立ち往生しない」
「「はい!」」
その滑走路の脇にあるターミナルビルの内部は、ほぼ無人であった。
当然と言えば当然かもしれない。かつて、対深海棲艦戦争が公表されておらず、普通に帝国や諸外国からの観光客がいた頃ならばまだしも、それが公表された今となっては、最前線にほど近い小さな諸島群になど誰が好き好んでくるというのか。
飛行機を降りロビーに降り立った三人の目に移ったのは、広く閑散としたフロア、多目的窓口に頬杖をついてイビキをかいていた初老の現地人男性と、外部から雇われたと思わしきやたらと恰幅の良い掃除婦のおばちゃんが旧式の掃除機をガーガーと唸らせている姿、そして、ロビーの中央付近に『Welcome come-on Ariake guard center』と書かれたスケッチブックを手にした、1人の若い黒髪の帝国人女性が立ちつくしている姿だけだった。
3人と1人が互いに近寄る。叢雲と雪風と女性が同時に敬礼。半秒遅れて輝もそれに倣った。
「失礼します。有明警備府の方々でしょうか?」
「そうよ。有明警備府。第二艦隊副旗艦の叢雲よ」
「同じく雪風です」
「お、同じく目隠輝インスタント少……准将です」
「トラック泊地。第一艦隊秘書艦の加賀です」
黒のショートヘアと左に短く纏めたサイドテール、真っ白い弓道着と胸当てと青いミニスカート状の袴、真っ白い弓道着の右肩部分に縫い付けられた黄色い雨傘のワッペン、左肩から生えた肩盾状の飛行甲板と、その先端に書かれた『カ』の白一文字。
艦娘式加賀型航空母艦娘『加賀』だった。
叢雲は、その加賀の背後をまじまじと見つめて、
「……シャモジも横断幕も無いのね」
「は?」
「いえ、何でも無いわ。こっちの事」
「……そう。では提督の元までご案内しますので、こちらへ」
3人に背を向け、加賀がターミナルの外に向かって歩き出す。数歩離れて叢雲、輝、雪風の順番でそれを追う。
「黄色い傘のワッペン……まさか『トラックの雨傘』が直々にお出迎えとはね。本土でも武勇伝はよく聞くわ」
「有名なんですか?」
「有名よ。特に直援機の運用にかけては。今使われてる空母娘用の映像資料、多分半分くらい彼女の交戦データからじゃないの? ていうか有名だって言うならアンタが前にいたブイン基地の水野准将だってそうじゃない。たった一人で20匹以上の戦艦ル級やヲ級相手に24時間ぶっ続けで戦い抜いた挙句に一匹残らず全滅させる奴なんて、探したってそうそういないわよ」
「本土の方にそう言ってもらえるとは。流石に気分が高揚します」
叢雲の発言の前半分に気分を良くした加賀は顔にも声にも出していなかったが、そのサイドテールだけがご機嫌な子犬の尻尾よろしく左右にブンブンと振られていた。そんな世にも貴重なシーンを、雑談していた輝と雪風と叢雲の3人は運悪く見損ねた。どうやら幸運艦雪風にも好不調の波はあるらしかった。
そんなご機嫌な加賀が運転する、どてっ腹に『トラック泊地』と達筆に書かれた軽トラに揺られることしばし。加賀は島の東側にあったフランシスコ高校前通信所の前にある駐車場で軽トラを止めた後、3人を通信所の中にある一室に案内した。加賀がノックを4回、部屋の中からの『どうぞ』の声を待ってから叢雲達が入室する。
その部屋の中でパソコンに接続されたプロジェクターを弄っていた一人の男が背筋を正し、それを待ってから叢雲達が敬礼。互いに挨拶を交わした。
「有明警備府。第二艦隊副旗艦の叢雲です。現時刻をもってトラック泊地に着任しました」
最初に口を開いたのは、余所行き用の口調で武装した叢雲からだった。続けてトラック泊地の提督。
「トラック泊地。第一艦隊総司令官の山本です。有明警備府の『黒い鳥』尾谷鳥少佐のお話は、よく」
「はい閣下。光栄であります。ですが少佐はもうずっと前に退役しました。今は比奈鳥少……准将が警備府唯一の提督です。それと、私は尾谷鳥少佐の麾下ではありません」
「それは失礼しました。いや、本土から離れているとどうにも情報が遅れていけませんな。ところで、そちらの2人はもしや、輝君と雪風か? 以前ウチの潮が拾ってきた」
「あ、はい。そうです! 山本さ……ぇと、閣下も変わらずご健壮で」
「(あ、輝君階級忘れたな)旧ラバウル、現有明警備府所属の雪風です。お久しぶりです、山本大佐」
「(さては階級忘れてたな)おお。二人とも元気そうで何よりだ……さて。着任早々で申し訳ないが、任務の話をさせてもらっても良いだろうか」
「はい。お願いします」
「「はい、おねがいします!」」
山本が入り口付近に待機していた加賀に合図。無言で頷いた加賀は部屋のドアを閉め、全ての窓のカーテンを引いた。常夏の島の真昼でもこうするだけで相当薄暗くなる。そして山本がプロジェクターの電源を入れ、壁にデスクトップ画面が大きく映し出された。
「ここ最近、トラック泊地近海で艦娘のMIAが続発している。単独でいる所で、戦闘も無しに、次の定時報告までの間に突然だ」
『哨戒に回す娘を複数にしてないのでしょうか?』と叢雲がもっともな疑問を発し、山本は『やっているが警戒ラインに穴が開く。どうしても一人になる航路が出来る。人手が足りな過ぎる』と至極もっともな返事を返した。
「話を続けるぞ。事態は深刻化の一途を辿っている。つい先日も、新生ショートランド泊地からやって来た応援部隊も行方不明になった。だが、敵の正体は断片的ではあるが掴めた」
ここで山本がパソコンを操作し、一つの映像ファイルを再生させ始めた。
「先日MIA認定された、ショートランド泊地の神通改二とその提督が最期に送ってきたデータの内、修復が終わった部分だ」
【どこに……どこに消えた……?】
【あの、提督。PRBR値の解析、速報出ま】【未確認識別】【ですが、類似した波形が一つ。鬼です】
デジタルノイズにまみれた映像。データの欠落が激しいのか、音もシーンも途切れ途切れになっていた。もっとも、映像の方はほぼすべてが真っ暗で、時折遠くで青白い光が見え隠れしている以外には何も見えなかったが。
そのデジタルノイズの映像に、輝が反応した。
「……歌?」
「? 何にも聞こえないわよ?」
「雪風にも聞こえないです」
【提督、歌が、歌が聞こえます】
画面の中の神通のこの一言の後、画面は急激に乱れ、音声も不快な電子ノイズで埋め尽くされた。
そしてしばらくその乱れが続いたかと思うと、何の前触れも無く音と映像が一瞬だけ回復した。そこには、肉色の触手の群れを背景に、画面いっぱいに少女の顔が映されていた。
死人のように青白い肌。同色の輝きを放つ勝気に吊り上がった両の目。両サイドでお団子に結わえた黒髪。
山本はそこで映像を一時停止。
「……この背後に映っている触手の群れは、資料によると輸送ワ級の格納嚢胞の内部から生えている器官であるそうだ。また、送られてきたデータ片を修復・解析した結果、PRBR検出デバイスはこの映像のこの距離でようやく反応していた。つまり、今まで行方不明になった艦娘達はこの第四世代型のワ級によって何処かに拉致されたという事に他ならない。そして――――」
そして、コイツだ。と山本が憎々しげに一時停止中の少女の顔を見やった。
「この深海棲艦は、パゼスト逆背景放射の周波数と波形から鬼の新種、あるいは近縁種と判断された。また同時に、軽巡種としての波形も確認できたことからこの深海棲艦を『軽巡棲鬼』と呼称し、この個体識別名を『ローレライ』とした。詳細な方法は不明だが、ここ最近のMIA艦の多発にはこのワ級と軽巡棲鬼、この二隻が関与している事はほぼ確実であると推測される」
山本は一度間を置いて、カーテンの隙間にだけ強い光が差し込む薄暗い部屋の中をざっと見回してから続けた。
「今回の作戦は、調査と捜索のみに専念する。この二隻の所在地と、拉致の方法の究明。そして何より、拉致された艦娘達の所在地の発見。それが今回の作戦の大目標だ」
「ちょっと待ちなさい。私達が受けた任務はMIA艦の捜索のみのはずよ。依頼文にもそう書いてあったわ。積極的な戦闘は依頼外よ」
「了解している。だが、有明警備府に依頼が受諾され、君たちが飛行機の中で揺られている最中にこの情報が入ってきたのだ。本来だったら依頼通り捜索のみだったのだが、事態が変わったのだ」
「……でしたら、この子達2人は外させてもらいます。あの『鬼』の後継ぎかもしれない奴の相手は無理です」
叢雲のこの言葉は、半分は嘘で、半分は本当だ。元々、叢雲は一人でこの任務を受けるつもりだったのだ。大規模かつ積極的な戦闘もないし、有明警備府から離れている間は同警備府所属の戦艦娘『比叡』手製のカレー食わなくて済むし。今ここにいる輝は完全に休養目的で連れてきていたし、雪風はその護衛だし。
そんな叢雲の思惑を外したのは、当の輝本人だった。
「い、いえ! 僕、じゃなくて自分も参加させてください! 戦闘は無理でも、自分と深雪も捜索ならやれます、やってみせます!」
――――輝君はまだ、あの家の人間に認められたがっているのだろうか。
あの沖縄から生きて帰ってきても、敷地を跨がせるどころか顔すら見せなかったあの家の連中に。その一瞬の想像に雪風は一瞬だけ顔をくしゃりと歪めると、今まで通りの笑みに戻った。
そして、輝の言葉に対して、気付かれない程度に小さく顔を歪めたのは、山本も同じだった。
「……目隠輝少佐。君は、君と、そこにいる艦娘の “雪風” の2人も出撃する。そう言っているのだね? 陽炎型の “雪風” ではなくて、君の、隣にいる “雪風” と」
「は、はい! そうであります!!」
「……」
「ていうか、あの、自分の秘書艦は今も昔も深雪だけでありますし、雪風なんて最精鋭部隊用の艦娘なんて見た事しかないんでありますが……?」
「……」
『雪風』の一単語をわざとらしいまでに強調した山本は、今にも泣きそうになっている雪風を一瞬だけ見やり、誰にも気付かれないような小さくため息をつくと、輝と叢雲に対してこう告げた。
「……どうやらこの子には、まだ休養が必要なようだ」
「ありがとうございます。閣下」
何故輝を連れて来たのか、山本がその意図を察してくれた事を理解した叢雲が敬礼。その後加賀が『では部屋の準備は五の字にでもやらせておきましょう』と告げて、その場はお開きとなった。
軍事関係の建造物といえば、基本的には鉄筋コンクリート製である。
毎年毎年夏と冬の年二回、民間に開放されている有明警備府にしたってもそうだし、ここトラック泊地だってそうだ。元々が二級戦線かつそのドン詰まりのような場所にあった旧ブイン基地は例外的にプレハブ(※運営開始当初にいたっては丸太小屋)だったが、それでも弾薬保管庫やドックの類はやはりコンクリートで出来ていた。
そして、基本的じゃあない所は各基地や泊地の諸事情によってまるで異なってくる。
旧ブインのようにエアコン完備のプレハブ小屋という極端な例外はさておくとして、ここ、トラック泊地の部屋の内装の話をしよう。
艦娘寮の那珂の一室にあるこの部屋を入り口から見まわしてみると、寮の一室というだけあってか壁紙は安っぽい材質のくすんだ白灰色の無地なやつで、扉のすぐ内側真横に下駄箱と壁掛け式の電話があり、一面畳敷きとなっているこの部屋には各提督の執務室のような立派な執務机は無く、代わりに丸いちゃぶ台が中央に一つと、小さな遮光布が付いた三段ベッドが部屋の奥の角に一つ、網戸付きの大きな窓には支給品の蚊やり豚が置かれており、ベッドの反対側の壁際には木製の大きなクローゼットが鎮座しており、中には何故かジュークボックスとカラオケセットと家庭用焼き鳥セットと『祝! CDデビュー!!』と達筆で書かれた横断幕を掲げたスーパー海鷲君人形が押し込まれていた。何の儀式に使うのだろうか。
そして、そんな部屋の真ん中で輝と雪風と叢雲は丸ちゃぶ台を囲んで、その上に広げられた紙媒体の資料とにらめっこしていた。
「山本さん、何か焦ってる感じでした」
「そらそうでしょ。自分の縄張りでこれだけの数がMIA。かつ余所から戦力借りておいてそれすらMIA、っていうか事実上のKIA。面子丸潰れどころの話じゃないわ。こういう事情でもなきゃ切腹よ、切腹」
輝の右隣りに座る叢雲が自我コマンドを入力。この部屋のぬるい空気を掻き回し続ける小型の扇風機に首ふり命令。そのついでに自身の右隣りに座る雪風にデータ送信。
雪風の視覚に上乗せするようにして、彼女が眺めているこのトラック泊地周辺の海域図の上に、行方不明となった艦娘達の航行記録が赤い数字と矢印になって表示された。その赤い矢印は例外無く赤いバツ印で終わっており、バツの少し手前には最後の定時報告の時刻が記されていた。
続けて、叢雲達が明日から受け持つことになる警戒航路の青い矢印が赤の上に表示された。
「これ見てもらえばわかると思うけど、消えたのはどの娘も大体この辺りの海域で、孤立した時を狙われてるわ。定時連絡と定時連絡の間に消えてる事から正確な消失地点は不明だけど」
「えと……どれなんですか?」
視覚情報を共有していない輝のその一言に、叢雲と雪風が同時に「あ」と声を上げた。
そして即座に雪風は右手に赤の、左手に青のマッキーを持って、海図の上に二色の矢印と二色の数字をきゅっきゅっきゅにゃーとなぞり書きする。
「これです。青が私達の巡回予定航路です」
「私達、じゃなくて私のよ。アンタはお休み。雪風はアンタの護衛」
「そ――――!!」
「アンタ、有明に来た時言ってたわよね。初航海時に思いっきり迷子になったそうじゃない。そんな奴を夜間単独捜索になんて出せないわ」
輝が言葉に詰まったのを見て、叢雲は決断的に告げる。
「そう言う事だから、アンタはここの他の艦娘達と一緒に殲滅部隊として待機。いいわね」
そこで話は打ち切られ、就寝となった。
そして次の日の夜、出撃した叢雲達は誰一人欠ける事無く、何の成果も得られずに戻ってきた。
その次の日も。その次の次の日も。その次の次の、その先もずっと。
そして、輝達がトラックにやって来てからおよそひと月後。雪風が食堂横の赤い自販機の中のパウダー・フレーバーを全種攻略し、輝が工廠の中に入り浸って軽巡娘の『夕張』や手すきの整備兵らと機械弄りやってるのが当たり前の光景になって来た頃。いつでも出撃できるようにと気合を入れて後詰め待機していた殲滅部隊の面々と、輝&雪風の士気が目に見えてダレ始めてきた頃の事だった。
その日は珍しい事に、朝から続く大雨だった。天気予報によると夜には晴れるが、日中はスコールとか関係無しに振り続けるとの事だった。
機械弄りと並んで日課となっていた砂浜ジョギングを中止させられた輝は、ちょうど簡易メンテナンス中につき、駆逐艦本来の姿形とサイズに戻ってウェルドックの中に停泊していた『雪風』の中に入り浸り、整備マニュアルをナナメ読みしたり、図面を呼び出して重要なパイプやケーブルがどこを走っているのかを確認して、もしも戦闘中に損傷を受けて、自分一人で緊急整備する事になったら何処からどうやろうかとニヨニヨと気持ち笑い薄ら笑みを浮かべつつ妄想したりしていた。
ついでに言っとくと妄想の中の輝は、どんなに深い損傷箇所でも工具箱片手に涼しい顔したまま、カンフーだか変な踊りだかよく分からない謎のキレッキレな動きで完璧に元通りに修復していた。
「ん? でもなんで深雪のデータベースに陽炎型の整備マニュアルとか図面が入ってたんだろう?」
【何でって、雪風は陽炎型の8番艦ですよ】
「あはは。深雪は面白い事言うんだね。深雪は特Ⅰの4番艦でしょ?」
【……】
『山本より業務連絡。業務連絡。本日の昼食後に緊急のブリーフィングを行う。昼食終了後、全員通信室に移動せよ』
「あ、ちょうどお昼ご飯の時間だね。行こっか、深雪」
雪風の隣で、誘導灯の交換と艦載機に何かの機材の積み込み作業を行っている『加賀』を横目に、輝と圧縮保存(艦娘)状態に戻った雪風は食堂へと歩を進めていった。
「捜索は打ち切りって、どういう事よ!?」と瑞鶴が叫んで山本の右頬に右ストレート。
「提督。それはあまり健康的な冗談ではないわ」と加賀が平淡に呟いて山本の左頬に左ストレート。
「話は最後まで聞け」そう言い切る前にダブルストレートをもろに喰らった山本が壁に向かって吹っ飛ばされた。
その昼食後。通信室は荒れに荒れた。
さもありなん。今朝まで一日の休みなく警戒と懸命な捜索を続けてきたのに、何の前触れも無くの打ち切り宣言である。
部外者の叢雲は『随分と諦めが早いのね』と皮肉を言っただけで済んだが、トラック所属の他の艦娘達は血相を変えて一斉に山本に詰め寄った。加賀と、今まで顔を合わす機会の無かったもう一人の正規空母娘『瑞鶴』に至っては、先のセリフを言いながら2人同時のタイミングで山本を殴り飛ばした。睦月型を始めとした見た目年少組な駆逐娘達に至っては大泣きし始め、近くにいた軽巡娘らに慰められていた。
そして、輝は考えても分からなかったので聞いてみた。
「あの。だったらなんで先程加賀さんの艦載機に夜戦デバイス積み込んでたんですか?」
「……だから、最後まで、聞けといった」
打ち切るのは捜索だ。ここからは救出作戦を開始する。
両手で自身の頬をさする山本のその言葉に、誰もが注目する。
「最近の深海魚共は知恵を付けてきている。人工衛星が真上を通過する時間になると海中に潜って姿を消したり、こちらの捜索部隊が動いている時はどこかに身と息を潜めたりとな。まるで誰かに教えられたかのようにな。だからこれまでの捜索でも敵の姿は見当たらなかった。海上からでも、件の人工衛星からでも。だが、連中の知恵には抜けがあった。これを見ろ」
山本がパソコンを操作し、一つの画像ファイルを表示させ、パソコンに繋げられたプロジェクターがそれを通信室の白い壁に大きく映し出した。
そこに映し出されていたのは、トラック諸島周辺の広域海図だった。何の変哲も無い、水色の海とグリーンで表示された島々。
再びパソコンを操作。一枚目に重ねる様にして表示された半透明な二枚目には、真っ黒の下地に赤交じりのオレンジ色に塗りたくられた光の帯が歪んだ放射状に小さく伸びていたのが映っていた。
パゼスト逆背景放射線――――生きている深海棲艦や、その繭が発する特殊な力場――――を可視化したものを、先の海域図に上乗せしたものだった。
そしてその歪んだ光の帯の中心は、先の海域図の中にあった一つの小さな島、そこのすぐ真横を起点として放射状に延びていた。
「連日の捜索活動で、連中がずっとねぐらに押し込められていたのが功を奏したようだ。本日未明、衛星搭載のPRBR検出デバイスが、今まで反応が薄かった地点に異常な残留線量を検出した。それがこの画像だ」
「――――!」
「この、名もなき小島への攻撃作戦は3部隊によって、夜間に行われる予定だ。本作戦の第一目標は拉致された艦娘達の発見と救出。第二に、可能な限りの敵泊地の情報収集である。鬼の撃破はこれらに含まれない。なお、本作戦は当日の気象条件に関係なく実行される」
空気が変わる。加賀も瑞鶴も大泣きしていた睦月型の面々も、部外者である有明の叢雲達でさえ。山本は、一度部屋の中の面々の顔を見渡してから続けた。
「3部隊の内訳は敵主力との直接戦闘を担当する決戦部隊と、拉致された艦娘らの捜索・救助を担当とする上陸部隊、そして、夜戦仕様に改装した加賀とその護衛からなる航空支援部隊だ。先程、目隠准将が言ったとおり、加賀はすでに着艦誘導灯の全交換を始めとした夜間航空戦闘の準備を進めている。彼女は後方からの航空支援を担当してもらう。夜戦を前提とする理由は、被発見のリスクを少しでも下げるためであり、敵拠点にいるであろう空母種からの航空妨害を回避するためでもある。では、順を追って作戦を説明する」
山本がパソコンを操作。
元の海域図に戻った画像の上に、島に向かって伸びる赤と黒の二つの矢印と、それらとは別の個所にデフォルメされた空母のシルエットが表示される。シルエットには、白抜きで『加賀&瑞鶴』と書かれていた。
「赤は決戦部隊。黒は救出部隊の侵攻ルートを示している。作戦自体は単純だ。決戦部隊が鬼を含めた敵主力を島沖合に釣り出し、救出部隊がその隙に島内を捜索。拉致された艦娘らを保護して即座に撤退。救出部隊が安全海域まで撤退した事を確認した後、加賀は完全爆装した攻撃機を発艦。決戦部隊の撤退を支援する。ただし、救出部隊の状況次第ではそちらを優先して支援する。これがプランAだ。また、決戦部隊に敵が誘導されなかった場合はプランBに移行。決戦部隊は島に向かって侵攻し、敵戦力の漸減と同時進行で救出作戦を行う」
そこまで言い切った山本が一度大きく呼吸して、部屋の入り口付近に待機していた加賀に手で合図。部屋の電気が灯されたのと同時に『何か質問は?』と部屋の面々に問いかけた。
有明の叢雲が真っ先に挙手。問う。
「部隊の割り当ては決まってるの? あとこの作戦の予行演習は? ていうか作戦決行はいつ?」
「決行日時については加賀と瑞鶴への夜戦デバイスの換装が済み次第、あるいは今週中までに夜戦デバイスの改装が完了しなかった場合はその時点で換装作業を中止し、予定を前倒して作戦を決行する。演習についてだが、敵方にこちらの動きを感知され、撤退される可能性があるため、大々的な演習は行われず、訓練に割り当てられる日数も限定される。故に、諸君らは作戦決行前日までは、今まで通りの捜索活動を続行し、敵にこちらの動きを察知されない様に、また、敵がこの島から離れられない様にせよ。……そして、部隊割り当てはこの通りだ」
山本が三度パソコンを操作。矢印とシルエットの隣に艦名がそれぞれ記載されていた。
大方の予想通り、加賀&瑞鶴と白抜きで書かれたシルエットの方には当然、加賀と瑞鶴の2人の名前があった。
大方の予想を裏切り、決戦部隊の出撃メンバーの中に輝&雪風の名前があった。
どよめきが部屋の中に伝播するよりも早く、山本が当の2人をしっかりと正面から見据えて口を開いた。
「言いたい事は分かっているつもりだ。だが、私は打てる手を全て打つ。否、打たねばならない。部下の命が懸かっているのだ。沖縄の救世主と奇跡の不沈艦。頼む。出撃してくれ」
部下と言い切った艦娘達が見ている前で、山本は何のためらいも無く輝と雪風、そして叢雲の三人に向かって土下座する。
気圧された三人には、否と言えなかった。
そして次の日の夜。輝と深雪も参加する事になった捜索活動中での事である。
『アンブレラ88(エイトエイト)およびアンブレラE1。本日は晴天なり』
『バンガサ00 。了解』
『アンブレラ88よりバンガサ00。リクエストコール。周辺の天気を知りたい。送れ』
『バンガ サ00。天気予 報了解。周辺一帯は晴 れ。アンブレラ33 に霧雨1分間、既に晴れ。時化の 気配も無し。以上 』
『アンブレラ88了解。感謝します。通信終了』
輝達とは別航路で捜索中のアンブレラ88ことトラック泊地所属の駆逐娘『白雪改』とE1こと有明の叢雲の2人は、駆逐艦本来の姿形とサイズに戻った状態で周囲を捜索していた。
周囲一帯はブ厚い曇り空。月明かりどころか星明り一つない完全な暗闇。そして灯火管制中の二隻。
光源無し。PRBR検出デバイスに反応無し。ソナーに反応無し。
記録にあった歌声、無し。
「どう、白雪?」
『……アンブレラ33が駆逐イ級一隻と遭遇。撃破した以外には何も無かったそうです』
「そう」
もしも今が晴れの昼間なら、海底まで見渡せるほど澄み渡った青とサンゴ礁が見れたのだろう。もしも今が晴れの夜ならば、写真集にして売れるほどの満天の星空が頭の上に広がっているのだろう。
だが今は曇りだ。それも月明かりどころか星明り一つない、完全な真っ暗闇だった。
夜空と水平線の境目すら分からぬ黒の中、白雪と叢雲は、艦体各所に増設された親指大の赤色ダイオードが発する微かな光――――赤は可視光の中では最も容易に闇に溶け込む――――を艦艇用の大型暗視装置で増幅して何とか互いの距離と位置と己の喫水線を把握していた。
『今までのデータでは、鬼が現れたのはいつもこんな夜。波も風も無い曇りの時だそうです。だから、きっと、今日も来るはずです』
「だといいけど……でも、鬼って言ったらアレでしょ。ハワイの白鬼」
『あれとはまるで違う姿形でしたから……戦闘能力も別だと、思いたいですね』
「同感ね。たった一匹で合衆国海軍全軍を返り討ちにするような奴がそう何匹もいてたまるものですか」
眠気覚ましに単距離光学接続による雑談を行いながら、叢雲が自我コマンドを入力。索敵系に質問信号を送る。ゼロコンマ秒後に索敵系より返答。
光源無し。PRBR検出デバイスに反応無し。ソナーに反応無し。歌声無し。
出撃後からまったく変わらぬ、むしろ不気味さすら感じる平穏無事さ。深海棲艦がいる事は、衛星からでも確認されているというのに。
『定時ほ う告。定時報告。バ ンガサ00よりアンブ レラE1。バンガサ00よりア ンブレラE1。送れ』
「アンブレラE1よりバンガサ00。本日は晴天なり。本日は晴天なり」
鬼の人攫い対策として、定時連絡の間隔は今まで五分に一回のハイペースに設定されていたが、今日からは鬼の警戒心を刺激させないために本来の間隔に戻されていた。
気付く。
『バン ガサ00了解 。通 信終了』
「ねぇ、白雪」
『何、叢雲ちゃん?』
「そっちの索敵系、特に逆探に反応ある?」
『逆探ですか? いえ、反応はありませんけど』
隣の白雪との単距離光学通信は何ら問題なく通信ができるのに、バンガサ00――――トラック泊地本部との電波通信には変な干渉が入っている。
『あの、どうしたんですか?』
音が欠けるほど酷くは無いし、無視できる範囲の干渉だったが、叢雲のゴーストはそこに引っかかりを覚えていた。
何となくという理由で叢雲が自我コマンドを入力。索敵系にリクエスト。索敵系が拾った情報を全て脳裏にブチ撒け、干渉要因を逆算する。原因はすぐに見つかった。
PRBR検出デバイスにhit.
センシングリミットをぎりぎり下回る微弱な反応。だから今まで警報が出なかった。
それも無茶苦茶に近い。叢雲の真下。喫水線よりマイナス数メートル地点。
叢雲の生存本能がシステムのコントロールを乗っ取る。1秒起爆での爆雷散布。機関出力を戦闘領域に上昇。精密索敵系の起動。砲弾と魚雷の弾頭の冬眠解除。4つ全部をいっぺんにやった。墨色の静寂の那珂に突如として発生した瞬間的な大音量と爆発と水柱。
その水柱の一部。
吹き飛ばされ、叢雲の無人の甲板上に落っこちてきたひと塊は、およそ海水らしからぬ粘ついた音を立てて甲板の一部にべしゃりと張り付いた。
叢雲が追加で自我コマンドを入力。叢雲の内部に搭載された妖精さんの空きチャンネルに割り込み。圧縮保存――――艦娘状態の叢雲の立体映像を2191人目の妖精さんとして出力させる。
物に触れるほどの超高速・超高密度の情報体として出力された叢雲の立体映像が甲板の片隅にへばり付いた海水の元にしゃがみ込み、その一部を指先になすり付ける。
PRBR――――パゼスト逆背景放射線――――は、このネバネバから発せられていた。
叢雲には、つい最近、見覚えのある物体だった。
帝都湾のバビロン海ほたる地下で建造されていた新型艦娘、プロトタイプ伊19号。
それに搭載された深海棲艦由来の新物質――――DJ物質。
TKTが次世代の新素材として注目している、夜になると何かヌメヌメするこの粘液は、駆逐娘達のアクティヴソナーを吸い取り、PRBR検出デバイスに干渉して、海中に逃げたプロト19の行方をくらませる手伝いをしていた。
あの時は電波攪乱などしていなかったはずだが、あの時見たのとはきっと鮮度が違うのだろうと叢雲は勝手にそう結論付けた。
兎に角、最近手に取り始めた人類ですら、そのような使い方をあっさりと思いついたのだ。
だったら、元の持ち主である深海棲艦達なら、もっと高性能なジャミングデバイスとして改良していても――――
「――――――――!!」
『ね、ねぇ叢雲ちゃん! いきなりどうしたの!?』
ここでようやく我に返った白雪が、光学接続された叢雲の通信系越しに動揺した声を上げる。深海棲艦からの攻撃は予兆も含めて無し。どうやらこの近くにはいないようだった。
「白雪! 今独りなのは誰!?」
『え、えと……今の時間と航路だとたしか……夕張さん! あの輝君って子を私達に合流させた後、しばらく独りの航路になるはずです』
「そう……」
回線を開いたまま、叢雲がしばし沈黙する。そして、白雪の脳裏の片隅に浮かんでいる会話ログが再び流れ始めた。
「白雪、よく聞いて。このネバネバ[添付file:send001.bmp]は深海棲艦のジャマー。敵はこれを使ってこちらの目と耳から隠れつつはぐれ狩りをしていたんだわ、きっと。このままだと夕張も危ないわ。だから今すぐトラック本部と夕張に連絡を取って、飛ばせる奴らだけでもいいから加賀に航空支援(エア・ストライク)の要請を――――」
『もしもし、繋がってる!? こちら夕張!!』
光学接続ではなく無線での割り込み通信。件の軽巡娘『夕張』から。
『輝君と雪風ちゃん、先こっち来てない!? いつの間にかいなくなってたの!!』
「……迷った」
【……最大感度でも真っ暗です】
ちょうどその時、哨戒捜索任務に同行する事になった輝と雪風は、先導役の夕張のLEDの微かな輝きを追っかけていたはずである。
その微かな赤色LED光以外の光源などどこにも存在していないはずなのに迷子である。
以前ブイン基地での単独往復航海訓練の際に似たような事をやらかしたこのチビガキ、学習能力はあるのだろうか。
【この暗闇だと、どっちが航路間違えたのか分からないから、兎に角合流しないと……輝君、泊地に連絡を――――】
「あ、あった! あったよ深雪、光だ! きっと夕張さんのだよ! 早く合流しようよ!」
【雪風ですってば。でもなんだかあの光、さっきまでとは色も発光パターンも全然違う、ような……?】
「うん、そうだね深雪。あの光なんだね」
【……輝君?】
輝の視線は、雪風の立体映像に向けられていなかった。そのすぐ真横、何も無いはずの空間に向けられていた。輝が視線を向けている自分の真横。誰もいないはずのそこに、雪風は誰かの気配と息遣いを感じたような気がして背筋が泡立った。
「うん、わかったよ深雪。あの光を見ながら、深雪の言う事を聞けばいいんだね」
【輝君、誰と話してい――――ッ!?】
たった今、確かに、聞こえたのだ。
消えた神通が、そして現在進行形で異常をきたしているこの輝が聞いたという、
耳元で囁くような、小さな音量の、
歌が。
それと同時に、遠くで揺らめいていた青白い光――――輝は夕張のLEDだと言っていたが、明らかに違う!――――の輝きが段々と大きくなっていった。明らかに雪風の航行速度だけでは足りなかった。向こうからも近づいてきていたとしか思えない速度だった。
PRBR検出デバイスにhit. 索敵系が脅威ライブラリに自動照合。
検索結果はクロ。
トラック泊地で採取された、例の鬼の新種と同一の波形と周波数を検出したと雪風の脳裏に警報を出した。
最悪だ。
鬼が出た。
まだ何の準備も出来ていないのに、仲間もいないのに。よりにもよって自分が狙われるとは。死神呼ばわりされた自分の幸運もここでケチがついたかという愚痴は全て心の片隅に追いやり、この状況を打開するべく生身の脳ミソと電子頭脳の両方をフル稼働して状況をシュミレートしていた。
結論:殺られる前に殺れ。
その演算結果が脳裏に表示されるのとほぼ同時に、雪風はマイクのボリュームを最大限に引き上げ、艦内放送で力一杯に叫んだ。
【輝君起きて! 起きなさぁぁぁい!!】
「ふぇ!? ……ぇあ? あ?」
肺腑の奥が物理的に震えるほどの大音量に輝は目を覚ましたが、まだ明らかにピヨっていた。もしかしたら音量が大きすぎたのかもしれない。もしもこの作品が漫画かアニメだったなら、輝の頭の上で輪になってブレイクダンスをするひよ子もといヒヨコが複数匹見えているはずだ。
【輝君出た! 鬼! 鬼が出ました!!】
「え? え? えっ?!」
【だから超展開! 早く超展開しましょう!! このままだとマズイです!!】
「え、あ、あ、ぁ、うん? うん! 分かった!」
ここでようやく事態を飲み込めた輝は即座に行動を開始。超展開中のG対策として艦長席に増設されている複雑怪奇なシートベルトの迷路を一度も迷う事無く締め、むち打ち対策用のネックエアバッグを展開。Cの字型エアバッグは輝の首の両側を覆うように膨張し、軽く首筋に触れたところで大きさが固定された。
それとほぼ同時に、輝の乗る駆逐艦『雪風』が何の損傷も無いのに天に向かって傾いていく。艦首は天を向き、ついには船腹が大気の中に曝された。
輝は席の真横に出力された雪風の立体映像と手を取り合い、頷く。
叫ぶ。
「深雪、超展開!!」
【雪風、超展開!!】
天を向いた『雪風』から轟音と太陽の様な閃光が発せられる。
そして、輝の健康な意識は、力一杯ハンマーを叩き付けられた窓ガラスのように一瞬にして砕け散った。
――――みゆ……、ゆき? え、ぁ?
『雪風、超展開完了!! 機関出力180%、維持限界まであと300秒!!』そう言おうとしていた雪風の意識もまた、自身と同調している輝の不調に連れられてドロドロの幻覚の中に沈み込んだ。
さもありなん。有明警備府にいた時の訓練ですら昏倒一歩前まで逝ってた有様だったのだ。それよりもはるかにストレスの掛かる実戦でのそれがどうなるかなど言うまでもない。
輝と雪風はまともに立ち上がるどころかちゃんと前を見る事すらまともにできなかった。そもそも今見えている物がまっすぐなのか曲がっているのか、白いのか黒いのか、それすらもまるで判断できなかった。索敵系が鳴らしている緊急警報も聞こえてはいたが何を言っているのかまるで理解できていなかった。
そんな事だから、いつの間にか目の前にまで接近していた深海棲艦の存在にも輝と雪風は気が付かなかった。
「エ。チョ、チョット大丈夫アナタ達!?」
おまけに、その深海棲艦から心配までされる始末である。
完全な少女型の上半身と異形の大口を模した機械の下半身、青白い肌、ボタン止め式の真っ黒なセーラー服、顔を模した胸元の黒いアクセサリー、腰まで届くストレートの黒髪は頭部の両側でお団子状にまとめられており、鬼火のような青白い微かな輝きを放っていた。
そして、異形の下半身の両側舷に接続された連装砲の砲身から、イソギンチャクの触手のような物体が何本も雪風の方に向かって柔軟に伸びており、ゆらゆらと揺れるそれの先端が青白く明滅していた。
新たなる鬼、軽巡棲鬼。
「ナンカ最近、ココラモ危ナクナッテ来タカラ、今日デ引キ揚ゲル事ニシタンダケド、大物ガ、マタ釣レタワネェ。……テイウカ本当ニ大丈夫? スゴク顔色悪イワヨ? 少シ休ンデク? ホラ、膝貸シテアゲルカラコッチキナサイ」
コイツの膝は何処なのだろう。ボブもそうだが筆者も訝しんだ。
軽巡棲鬼は異形の頭部にしか見えなかった下半身のウェポンユニットを脱ぎ、青白くすらりとした両の素足を空気に曝すと、脱いだウェポンユニットに腰掛ける様にして座り、言葉通りに雪風を膝枕した。
ウェポンユニット足部の砲塔から伸びているクラゲあるいはイソギンチャク状の触手が揺らめき、先端が青白く明滅し始める。
それと同時に、軽巡棲鬼の両目もまた、触手と同じ青白い光を発し始めた。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫ダカラ、マズハ、コノ光ヲ、見テ。目デコノ光ヲ見ルノ。光ヲ、見ルノ。光ヲ、光ダケヲ、見ルノ」
ネガティブな極彩色に歪む意識と感覚の中で、軽巡棲鬼が発する声と青白い光だけが、一抹の清涼感となって輝の心の中に染み込んできた。グジャグジャに乱れ切った輝の心には、それを防ぐどころか疑問に思う事すらできなかった。
光が目の前で左右にゆっくりと振られる。艦体としての雪風の視線もそれにつられて左右にゆっくりと動き出す。
「サァ、ワタシノイウトオリニシテ。何モ考エナイデ、頭ヲ、空ッポニスルノ。頭ヲ、空ッポニ。空ッポニ」
膝枕の状態のまま、超展開中の雪風は半開きになった口の端から一筋の涎を垂らしながら、意思を感じさせない瞳を左右に動かしていた。それに連れられて、雪風の首も微かに左右していた事に軽巡棲鬼は太腿の感触から気が付いた。
それを確認した軽巡棲鬼は頃合いだと判断。概念接続で海中に散布してあったDJ物質の中に隠れ潜んでいた手すきの輸送ワ級を一匹召喚する。ワ級は格納嚢胞の中から、それ専用に改造された特製の触手を二本取り出すと、雪風のヘソにそれらの先端を当てる。
以前拉致した駆逐娘達から聞き出したメンテナンスコードを打ち込んでオヘソ・コネクターを解放させ、周辺を傷つけないようにとの配慮からヌルヌルの粘液に包まれた触手をゆっくりと挿入していった。
最奥まで触手を突き刺された輝と雪風の脳裏に『外部電源供給』『過冷却中』というシステムメッセージが浮かんだが、今の2人にはそれを理解するだけの余裕は無かった。
これで時間を気にせずに出来るようになったと、雪風に膝枕する軽巡棲鬼は見る者の背筋を凍らせるようなサディスティックな笑みを浮かべ、それとは真逆の優しい声で囁き続けた。
「サァ、ワタシノイウトオリニシテ。ソウスレバ、気持チ良ク、気持チ良クナレルカラ」
その言葉を理解した輝と雪風が微かに頷いた。
「ソウ。イイコイイコ。ヨシヨシ」
軽巡棲鬼が雪風の頭を優しく撫でる。輝と雪風が幸せそうな笑みを浮かべた。まるで幸せな夢を見て眠る少年少女のような笑顔だった。
「ソウシタラ、次ハソノ娘ヲ、しすてむカラ切リ離スノ」
何の疑問も無く輝は状況D2を発令。艦内で謀反が発生したという事にして艦娘としての雪風から駆逐艦『雪風』に関する全ての権限を剥奪し、雪風もそれに従った。雪風の意識はメインシステムより隔離され、システム領域の片隅に押しやられた。それに付随する形で妖精さんシステムも全てロックが掛けられた上でプログラムを終了され、正規の手順に従って全ての電源を落とされた。
皮肉な事に、雪風の意識はそれで覚醒した。
【メインシステムデバイス維持系より報告:状況D2発令。内装デバイスK01の完全隔離を完了しました】
(!? 何、何が起きたの!?)
一瞬だけパニックになった雪風だったが、即座に前後の状況を思い出し、システム全体に質問信号を送ろうとして失敗した事で現状を大雑把に把握。何とかして輝とコンタクトを取ろうとしたが、無駄に終わった。戦闘系どころか艦内マイクの電源のオンオフすら出来なかった。
「ヨシヨシ。ソレジャア、中ノ提督ハソノママ、ズット夢ヲ見テテ。幸セナ、夢ヲ。デモ、私ノ言ウ事ハ、チャアント、聞イテテネ」
――――うふふ、あはは。まってよ、待ってよ深雪~☆
超展開中とはいえ、システムから隔離された雪風に、今の輝の心を知る術は無い。無いが、きっと今、輝は幸せな夢を見ているのだろうとは想像がついた。
だが、デートでワープで秩父山中とはいったいいかなるシチュエーションなのだろう、と雪風は迫る危機にも関わらず無性に気になった。
「ヨシヨシ。イイコイイコ。ソレジャア、チョット移動スルカラ、ツイテ来テ」
雪風自身の意思とは裏腹に、艦体としての『雪風』は敵であるはずの軽巡棲鬼の指示に従って立ち上がり、その後を追って歩いて行った。
触手を伸ばしていた輸送ワ級が格納嚢胞を完全に開く。その内側一面にびっしりと生えた荷物固定用の吸盤触手が蠢く様と、そこからほのかに漂う生暖かい異臭と、したたり落ちる硬化粘液に雪風の生理的嫌悪感が限界まで慄いた。
(ひぃぃぃ!!?)
「ホラ、コッチ、コッチヨ」
(嫌です! キショい、気色悪いです! 輝君起きて! 助けて!!)
――――あはは。そんな事言わないでよ、深雪。もっとゆっくりしていこうよぉ。
そんなおぞましい空間の中に、軽巡棲鬼は自ら入っていき、雪風の艦体もそれに従った。不幸な事に、雪風の頭の上に一塊の粘液がべちゃりと滴り落ちてきた。どうやら幸運艦雪風にも好不調の波はあるらしかった。
雪風が中に入った事を確かめると、軽巡棲鬼が指で合図を送る。
触手と粘液が二人を包み込むようにして固定し始める。隔壁が閉ざされていく。隔壁が閉じ切るその直前まで、軽巡棲鬼は雪風に光と音を与え続け、囁き続けていた。だが、システムから隔離された雪風には何ら影響を及ぼさなかった。
そして、再びその格納嚢胞が解放され、雪風が外に出た時、周囲の景色は一変していた。雪風の目の前には、軽巡棲鬼の触手の先端に灯る鬼火に照らし出された島が見えた。
おそらくは、ブリーフィングで山本が言っていたあの小島なのだろうと雪風は見当を付けた。ついでに言っておくと、雪風を運んできたワ級は先程よりも何だかやつれて見えた。きっと、雪風へのエネルギー供給と冷却を行いつつ、それなりの距離を泳いできたためなのだろうと、これまた雪風は見当をつけた。輝は今にも泣き出しそうな表情で無理矢理に笑いながら『あはは……そう。深雪、やっぱりそうだったんだね』と寝言を吐いていた。
「ア、チョット待ッテテ」
軽巡棲鬼は雪風にそこに腰掛けて待機するようにと命ずると、雪風の艦体は粛々とそれに従った。艦娘としての雪風が抵抗しようとして自我コマンドを送信したが、無駄に終わった。受付拒否どころか受信用以外の全ての回線が切られていた。
座ろうとして艦体を捻った際に、ワ級がずっとおヘソに突き刺していた触手が雪風の内側のパーツをいくつか引っ掛けたまま抜け落ち、輝と雪風の脳裏に『外部接続カット』『維持限界までおよそ300秒』というシステムメッセージが浮かんできたが、どうする事も出来なかった。
そのワ級は死ぬほど疲れ果てていたのか『もう……ゴールしても、いいよね?』とでも言わんばかりの雰囲気で雪風の方を見上げ、雪風が小さくうなずいたのを見て、救われたかのような雰囲気で崩れ落ち、静かに寝息を立て始めた。輝は『ごめんね、深雪……でも、ありがとう』と寝言をほざいていた。夢の中で痴話喧嘩でもしていたのだろうか。
「ミンナ、コッチ、コッチヨー」
軽巡棲鬼が島影にいた誰かにこちらに来るように呼びかけた。
現れたのは、数隻の超展開中の艦娘――――1人につき一隻の輸送ワ級(かなりゲッソリ)と有線で接続されていた。おそらくは冷却とエネルギー供給を兼ねているのだろう――――と、一際巨大な輸送ワ級を一隻引き連れていた。
その艦娘達は、まるで幸せな夢でも見ているかのような蕩けた笑みを浮かべ、何事かをブツブツと呟いており、とても正気であるとは思えない様相だった。
そして、そのいずれもがトラック泊地のIFFを発行していた事から、彼女達がMIAとして扱われていた艦娘達だった事に雪風は気が付いた。
この時点で、雪風のメインシステムデバイス維持系は『超展開の維持限界まであと240秒』と告げ、輝は『そう。深雪、上手上手ー、いいよいいよー。じゃあ次はねぇ』と寝言を吐いていた。
「本当ハ全員連レテ行キタカッタンダケド……ココ最近ノ警戒具合ダトソレ無理ダシ、ドウセ処分スルナラ派手ニヤッチャオウカシラト、思ッテネ?」
何をする気だと訝しむ雪風の事など知る由も無い軽巡棲鬼は背後の艦娘たちに向けて合図する。
その合図を受けて艦娘達は次々と主砲や射突型酸素魚雷など、己の獲物を構えて、互いに相対する。今まで浮かべていた夢見心地の表情は既に無く、浮かべていたのは戦闘中の深海棲艦相手に浮かべるような、怒りと憎しみに支配された表情だった。
そして、何のためらいも無く火を噴いた。
『死ね! 死ね深海魚共!』
『返して、私の提督を返してよ!!』
『クソが! 雑兵だらけかここは!!』
何の前触れも無く始まった艦娘同士の殺し合いに、雪風は心と脳の処理が一瞬止まった。
(……え?)
「アア。心配シナクテモ、イイワヨ? 貴女ハ、モトイ雪風ハ特別ダカラネ。最後マデ生カシテオイテアゲル」
いつの間にか雪風の隣に腰掛けた軽巡棲鬼が、雪風の髪を指で梳かしながら、自らが作り出した目の前の惨劇を楽しそうに鑑賞していた。
両腕に射突型酸素魚雷を装着した駆逐娘の満潮が重巡娘の古鷹をリバーブローで打ちすえる。悪鬼羅刹のような表情を浮かべた別の古鷹改二が提督を返せと叫びながら左眼からCIWSレーザーを発射。摂氏マイナス一兆二千万度の極超低温の光線がその満潮とその他数名の艦娘の真横をかすめ、射線上にいた数匹のワ級(かなりゲッソリ)を物理法則レベルで粉砕していく。ワ級(かなりゲッソリ)達がその瞬間『もう、これで時間外超過勤務しなくて済む……』というような安堵の雰囲気を浮かべていたような気がするが、きっと気のせいだ。
隼鷹が、五月雨が、千歳が、吹雪が、有線接続されているが故に巻き添えを食ったワ級(かなりゲッソリ)達が。
ただひたすらに傷付け合い、殺し合い、一人また一人と倒れて動かなくなっていく。
「ヘェ……アノ娘達クライ深ク暗示ヲ掛ケルト、戦闘ノ音ヤだめーじ程度ジャア、解除サレナイノネ。コレハ使エルワネ」
最後まで立っていた古鷹改二も、五体満足とは言えない有様だった。誰が何をするよりも先に膝から崩れ落ち、そのまま沈黙した。
この場で無傷なのは、軽巡棲鬼と雪風のただ二人だけだった。
『ジャア次、行ッテミマショウカ』と心底楽しそうな笑顔を浮かべた軽巡棲鬼が合図し、夢見心地の別の艦娘達が雪風達の目の前に整列する。軽巡棲鬼の『ハイ、スタート☆』の掛け声一つで先程の悪夢が繰り返される。今度は6人同時による大乱戦だった。
(……て)
その悪夢のような光景を、何も出来ないままただひたすら見せつけられている雪風の心が悲鳴を上げ始める。それと連動したかのように、黙って座り続ける『雪風』の両目の端から、透明な洗浄液ではなく、統一規格燃料の真っ黒い涙が流れ落ちる。
次に最後まで立っていたのは、トラック泊地の『雪風』だった。
それを見て、かつての世界大戦当時、どこかの誰かに言われた言葉が雪風の脳裏にフラッシュバックする。
死神。
(……めて)
統一規格燃料の真っ黒い返り血を全身に浴びたトラックの雪風には、およそ損傷らしい損傷は見受けられなかった。
かつての世界大戦当時、どこかの誰かに言われた言葉が雪風の脳裏にフラッシュバックする。
アイツは死なない。アイツだけは死なない。
(止めて!!)
砲弾はトラックの雪風を避ける様にして他の艦娘に向かって飛び交い、結果としてトラックの雪風は最後まで何をする事も無く立っていた。
かつての世界大戦当時の記憶がフラッシュバックする。
他の誰かに不幸を押し付けて、どんな戦場からでも自分だけは無傷で生き残る幸運艦。
(止めて! もう止めてください!! こんなの……こんなの見たくない!! 見たくない……見たくないよぅ)
だが、今の雪風は目を閉じる事も耳を塞ぐことも出来なかった。精々が自分の心を殺して、可能な限り無感動になる事くらいだった。
そして、雪風の願いを聞き届けたかのようなタイミングで、雪風のメインシステムデバイス維持系は『超展開の維持限界です。デバイスとシステムの保護のため、超展開を強制解除します』と言い、そうなった。超展開中の艦娘としての雪風が色の無い濃霧に包まれたかと思うと、一瞬にして駆逐艦『雪風』本来の姿形に戻っていた。
超展開さえ終わってしまえば、輝との接続も切られるから今度こそ全てのシステムから切り離されて何も見えない、何も聞こえない暗闇の中に逃げられる。トラウマで死に始めた雪風の心は待ち望んだ暗闇がやって来た事に安堵した。
「アラ。駄目ヨ最後マデチャント見ナキャ」
だが、システムが許しても軽巡棲鬼が許さなかった。寝ぼけてる輝に命じてカメラと音声のみ再接続。地獄の光景が雪風の心を再び焼く。
おまけに、先のワ級が触手を抜く際に引っ掛けて壊したパーツが何か重要な役割を持っていたらしく、超展開は解除されたが、動力炉の暴走稼働が終わっていなかった。
結果、艦娘達の魂の座である艦コアを中心として、艦内各所の温度が不気味な上昇を始め、所々の配線がショートして火花を散らして断線し、小火まで起きた。デバイス維持系より次々と警告が上げられる。
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:コア内核、抗Gゲルの温度が急速に上昇しています。ただちに超展開を終了し、冷却してください】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:動力炉、出力が急速に上昇しています。機関出力120、125、135%……なおも上昇中】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:動力炉のフェイルセイフ回路が作動していません。即時退避してください】
【メインシステムデバイス維持系より緊急警告:免疫パイプ[B1, B2, B17, B29]に動作不良。ゲルが循環していません。ただちに修復してください】
【メインシステムデバイス維持系より警告:超展開用大動脈ケーブルに異常加熱発生。断線の恐れあり】
【メインシステムデバイス維持系より警告:艦内ケーブル[F4, F6F, F14, FA18, F22]より漏電火災発生。自動消火システム作動しません】
【メインシステムデバイス維持系より警告:配送ケーブルに破損発生。冷却液の漏洩を確認。調理室の温度が急速に下降しています】
【メインシステムデバイス維持系より報告:動力炉内、コア安置室の温度は下降中です。現在要警戒閾値内】
――――そうそう。すごいよ深雪! 初めてなのにすごいじゃない! じゃあ次のところに行こっか。
幸か不幸か、冷却液漬けになった調理室の真下を走っていた艦コアに直結しているエネルギーケーブルが冷やされ、動力炉の大爆発という最悪の事態は避けられたが、それ以外の危機は依然として続いていた。特に、生体パーツの保護と殺菌を担当している免疫パイプの循環が止まったのがマズイ。今はまだ大丈夫だが、コア内核に直結しているどこかの回路が破損して雑菌汚染でもされようものなら、殺菌洗浄できずに全てのシステムが発狂してそのまま腐って死ぬ。
だが今の雪風のには、それなりに魅力的な結末に思えた。これ以上見たくないものを見ないで済む、と。
輝はまだ夢を見ているようで『この次はね、B系列パイプをB7以外を閉鎖してから、C2機関の送圧パイプを解放するんだよ。そうするとCの余剰圧力でBの中身を押し出せるんだよ。マニュアルには書いて無かったけど、きっと大丈夫だよ』だのと寝言をほざいていた。夢の中で艦内デートでもしているのだろうか。
【メインシステムデバイス維持系より報告:免疫パイプ[B1, B2, B17, B29]は再稼働しました】
(!?)
雪風は、今自分の中で起こっている事態が全く分からなかった。送圧パイプは昔ながらの手動式のはずだ。あれを開け閉めするには、人力か、妖精さんの力に頼る他ない。
では、誰が。
――――じゃあ深雪、次だよ。電算室で、妖精さんシステムを起動するんだ。ユーザー・コードとパスワードはね――――
【メインシステム統括系より報告:メインシステム電子免疫系の起動を確認しました。妖精さんシステムは現在、スタートアップ中です】
【メインシステム統括系より報告:状況D2を終了。内装デバイスK01より剥奪した全ての権限を返還します】
【メインシステムデバイス維持系より報告:内装デバイスK01の再接続を確認しました】
妖精さんシステムの立ち上げにも絶対人の手がいる。雪風は確信する。
間違いない。誰かが今、雪風の艦内にいる。どうにかして確認しなくては。そうこう考えている内に何者かの手によって雪風は隔離状態からようやく解放された。
システム全体を掌握するよりも先に自我コマンドを入力。実体化して艦内各所の復旧に走り回っている妖精さん(の立体映像)の空きチャンネルに割り込み、圧縮保存――――艦娘状態の雪風の立体映像を2391体目の妖精さんとして出力させる。
失敗。
自分用に取っておいた2391体目のステイタスには【使用中】の文字が表示されていた。
自我コマンドを連続入力。表示させたログには2391の使用履歴は無く、再起動させた電算室の監視カメラは、閉じる自動ドアと、その外を走り去る、セーラー服を着た誰かの後ろ姿を一瞬だけ映したような気がした。
――――じゃあ深雪、次だよ。次はエネルギー配給回路とチェッカーのバイパス処理をして……その次は……次で……、次で……最後だよ。
そう呟いた輝の閉じたままの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
数分後、2391体目のステイタスが【使用中】から【空】に切り替わった。同時に艦橋の監視カメラが復活。雪風は間髪入れずに立体映像を出力。輝の元へと駆けよる。
ややあって、輝が意識ではなく、口を開いて雪風に言った。
「雪風、システム再起動。もう一度超展開いくよ」
【……え?】
「普通は無理だけど、熱溶式フェイルセイフ回路はさっきワ級に壊されたからもう無いし、バイパス回路も今さっき通してもらった」
【輝君】
「リミッター無しでも温度管理しながらの超展開は前にも深雪でやった事あるから大丈夫」
【輝君……雪風のこと、分かるんですか?】
2391番目の空きチャンネルから出力された雪風の立体映像がその瞳を潤わせる。映像そのものはプログラムでも、その感情は本物だ。それを知っている輝は、少しバツが悪くなったかのように少しだけ雪風の立体映像から視線をそらした。
「……今までずっと深雪だと思い込んでてごめん、雪風。でももう大丈夫……大丈夫。だから」
【輝君……】
「だから、雪風、力を貸してほしい。僕のワガママだって事は解ってる。だけどお願いだ。僕は、死にたくない。死なせたくない。こんな僕にずっと付き添ってくれた君と、僕の目を覚まさせてくれた深雪を、こんなところで死なせたくないんだ」
【輝君……!】
雪風の立体映像が両手で口を押える。その瞳は透明な涙で揺らめいていた。
そして、雪風は大きく頷いた。
【……分かりました! 雪風、お供します!!】
そして、艦長席に座ったままの輝と、その隣に立つ雪風の立体映像が互いの手を握りしめ合う。見つめ合う。
同時に頷き、叫ぶ。
「雪風、超展開!!」
【雪風、超展開!!】
超展開が完了するまでのほんの一瞬。雪風の脳裏には、真っ暗闇の中、自分と輝だけが天井からのスポットライトに照らし出された舞台の上に並んで立っており、互いが前を見据えたまま、硬くしっかりと手を握りあう光景が浮かんでいた。
そして、2人の背後の闇の中から伸びた3人目の手が、握り合った2人の手の上をそっと包み込んでいた。
――――司令官の事、よろしくなっ。
超展開が完了するまでのほんの一瞬。雪風は、確かにそんな声を聞いた。
お持ち帰り予定の雪風二隻以外の全員の処分は終わったし、派手にやらかしすぎたし、そろそろ引き上げ時かしらと思っていた軽巡棲鬼の真横で、駆逐艦本来の姿形に戻っていた『雪風』に動きがあった。
音もトリックも無く艦首が天を向き、船底を大気の中に曝していた。何か動くものの気配を感じてそちらに振り向いた軽巡棲鬼は何が起こったのか一瞬理解できなかった。
直後、爆発。
「何!? 何ナノ!?」
暴走稼働が収まっていない状態でさらに超展開したのが原因なのかは不明だが、一瞬で終わるはずの閃光と轟音は優に5秒間は続き、光の根元からは炎の柱まで噴出した。
通常の超展開では有り得ない閃光と轟音が過ぎ去った後、そこには駆逐艦としての雪風は無く、代わりに、艦娘としての雪風がいた。
ただ、そのサイズと状況が異様だった。
――――【雪風、超展開完了! 機関出力∞%!! 維持限界まであと不明!!!】
特撮映画に出てくる巨大ロボットのような巨大さで、己の生み出した熱と周囲に漏れ出していた自他の統一規格燃料に引火した炎の中で、雪風は両腕を組んで仁王立ちしていた。
真っ白なマイクロミニのワンピースは自爆寸前の領域で稼働している動力炉の余波を受けて炎色に輝いていたし、その動力炉から想定以上のエネルギーを過剰供給され続けている全身の運動デバイスは異常加熱で灼熱化していた。目から涙として漏れ出していた統一規格燃料は熱で自然発火しており、熱波に煽られて流されて、まるで火の涙を背後に向かって流しているように見えた。セーラー服の胸元で熱波に煽られてたなびく黄色のセーラータイの先端の裏表にはそれぞれ赤糸で『望希』『陽丹』『非是』『二改』と刺繍されていた。
――――深雪は死んだ、もういない! けど、僕の心の中で深雪はまだ生きている! 深雪は死なない、僕が生き続ける限り! だから……!!
「イキナリ何ヲ言ッテイル!?」
突然の閃光と轟音で意識と耳が遠くなっていた軽巡棲鬼が涙目で復活。耳をマッサージしながら叫び返す。
そんな鬼の事など知らぬ輝が叫ぶ。
――――だから、お前なんかに! こんなところで! やられてなんてやるもんか!!
輝が自我コマンドを入力。自爆寸前の領域で回され続けている動力炉から想定以上のエネルギーを供給され続けている脚部運動デバイスが灼熱を通り越して白熱化する。屈伸、
跳躍。
ほんの一瞬で雪風は、通常の駆逐娘どころか並大抵のクウボ娘でも辿り着けないような高高度に到達していた。一瞬前まで雪風が立っていた箇所に、濃い陽炎と衝撃波が揺らめく。
未だ視力全快せぬ軽巡棲鬼はその消えゆく陽炎の向こう側に、特Ⅰ型のセーラー服を着た誰かがバレーのレシーブの要領で雪風を打ち上げた姿を見たような気がした。
――――雪風! カカト・スクリューピッチ角変更! マイナス90!!
【! 了解ですっ!!】
輝が命令を発するよりも先に、輝のイメージを受け取った雪風が自我コマンドを入力。
かつて、ブイン基地に居た頃の輝が戦艦ル級に繰り出したその場凌ぎの必殺技。
通常なら常に水平状態に保たれているはずのカカト・スクリューの取り付け角を、遠洋での作戦行動用のマイナス90度こと、足の裏に移動させる。
雪風がピッチ角の変更と同時に、スクリューに全力運転をコマンド。その前方眼下では、軽巡棲鬼がこちらを警戒しながら後退して距離を取っているのが見えた。
本能的に背後の虚空をキック。
虚空を蹴ったとは思えない重たい反動を輝と雪風は足の裏に感じ、真下への自由落下は前方下へ向けての跳躍に切り替わった。
輝達からは見えなかったが、キックの瞬間、雪風の足の裏で濃い陽炎が揺らめいていた。
輝達からは見えていなかったが、軽巡棲鬼はその陽炎の向こう側に、特Ⅰ型のセーラー服を着た誰かが2人に合わせて足裏をキックしたのを、確かに見た。
「誰ダ……! 誰ダオ前ハ!?」
――――僕は僕だ! そして!!
【雪風も雪風です! そして!!】
全力運転するカカト・スクリューにも漏れ出した統一規格燃料が引火する。回転の勢いに引きずられて炎はドリルのように渦を巻いて雪風の身体を包み込む。
――――これが、僕の、僕達の!!
炎の螺旋となった雪風が軽巡棲鬼に向かって砲弾のような速度で突撃する。
――――【深雪スペシャル!!!!】
真下を向いたカカト・スクリューを全力運転させた状態で雪風が軽巡棲鬼に直撃する寸前、彼女の座っていたウェポンユニットがかばう様に横転。軽巡棲鬼が可愛い悲鳴を上げつつ盛大な水柱を立てて後頭部から海中に倒れ込むのと同時に、ウェポンユニットに雪風が直撃。着弾した雪風ごと後方へと恐ろしい勢いで押し出され、一条の炎の轍を海面に残した。
炎のドリルと化した雪風のカカト・スクリューとの接触面は盛大な火花を散らしつつ赤熱化し、そして最後にはドリルと同じ口径の大穴を開けられて、盛大に爆発四散。そして、当然のことながらその爆心地にいた雪風は、それでもなんとか二本の足で立っていた。
爆発の余波も収まり、元の真っ暗闇の中に立ち尽くす雪風を、炎の消え残りが照らし出す。ようやく正気に戻った艦娘らが雪風を呆然と見やる。そしていつの間にかいなくなっていた軽巡棲鬼に対して、輝は届かぬと知りながらも呟く。
――――ありがとう。夢の中だけでも、もう一度深雪に会わせてくれて。
「ねぇ、雪風」
【何でしょう、しれぇ】
「今までみたいに輝で良いってば。あのさ、本当に申し訳ないんだけど、君と出会ってから今までの事、あんまり覚えていないんだ……」
【……】
「だからさ、泊地に着くまでの間、お話してもいいかな……?」
【! いいですとも! もちろんです!!】
満身創痍の艦娘達が、輝く曙光の中を粛々と進行する。
その先頭を行く駆逐艦『雪風』――――全身が真っ黒に燃え焦げている――――の艦橋からは、トラック泊地に着くまでの間、2人の少年少女の楽しげな語り声が途切れることなく聞こえてきていた。
本日の戦果:
MIAとされていた艦娘達の発見・救出に成功しました!
トラック泊地所属の全艦娘の生存を確認しました!
軽巡棲鬼と交戦、これの撃退に成功しました。
トラック泊地の雪風が、軽巡棲鬼が催眠暗示に使用していた音声・映像データを入手しました。
これにより対抗催眠の開発に成功、今後の被害再発を防ぐ事が出来ます。
軽巡棲鬼 ×0(中破させるも逃走)
輸送ワ級(大型種) ×0(同じく逃走。無傷)
輸送ワ級(だった干物)×10
輸送ワ級(だった干物)×1(有明の雪風と接続していた個体。鹵獲後、衰弱死)
各種特別手当:
大形艦種撃沈手当
緊急出撃手当
國民健康保険料免除
本日の被害:
トラック泊地のMIA艦娘達:全艦生存
駆逐艦 『雪風改』:大破(有明警備府所属。コア内核内抗Gゲル劣化、主機異常加熱による損傷、主装甲全破損、電子兵装半壊、艦内火災多数、超展開用大動脈ケーブル断裂etc, etc...)
軽巡洋艦 『神通改二』:MIA(新生ショートランド泊地所属。今作戦では発見できず)
各種特別手当:
入渠ドック使用料全額免除
各種物資の最優先配給
特記事項:
救出作戦は予定通り決行されました。
逃走した軽巡棲鬼、超大型の輸送ワ級、および新生ショートランド泊地の提督及び神通改二は発見できませんでした。
雪風(有明警備府所属)の監視カメラには、誰も映っていませんでした。
以上
雪風は夜の海の夢を見る。
月明かりがふんわりと落ちて来そうなほど穏やかな、満天の星空と凪のように静かな海を、背後に付き従う様に隊列を組んだ大艦隊と、その周囲を完全包囲しているイルカの群れらと共に、月の出ている方角に向かってどこまでもどこまでも進んでいく夢だった。あの日あの夜の帰り道の夢だった。
輝が初めて自分の事を雪風だと認識してくれたあの哨戒任務、何の前振りも無く軽巡棲鬼と遭遇したあの夜。
これは夢だと雪風は理解している。
何故ならば、あの曇り空の夜の海は帰り道でもやっぱり曇り空のままで、自分もそうだが他の艦娘達も大破中破が当たり前の大損害だったはずだ。それに戦闘の影響か、イルカどころかサメ一匹すらも寄って来る気配がなかったし。そもそも月が出てるのに満天の星空とはどういう矛盾か。
それに、あの時は二人ともトラックに着くまでずっと喋り通しだったはずだ。今みたいに舳先の甲板の上にイスを二つ持ち出して来て並んで座って、ただ二人で夜空を眺めているだけだったなんてことは無かったはずだ。
不意に、夢の中の輝がこちらに首を向ける。口を開く。
発せられた言葉に被せる様にして目覚ましが鳴る。布団に包まっていた雪風の頭の上でジリリリリ、とけたたましく鳴るそれの頭を叩き付ける様にしてストップさせる。
「……ん~むゅぅふぅ」
布団の中から片腕を伸ばした姿勢のまま数十秒。
普段の雪風ならばもうパジャマを脱いで制服に着替え終わっている秒数なのだが、夢見が良かった雪風は実にご機嫌そうに目を閉じたまま笑みを浮かべ布団から動こうとしていない。それでも何とか這い出したところでようやく、目覚ましを止めた自分の手の甲に、別の誰かの手が置かれている事に気が付いた。
いつの間にか同じ布団の中に入り込んでいた輝の手だった。
驚きだった。まさか、かつてラバウルでニワトリ起こしの二つ名で呼ばれた事のある自分に追いつくとは。
半分以上目を閉じたままの輝が上半身を起こす。寝ぼけ眼をこすり、ちゃんとこちらを見ていった。
「おはよ、雪風」
何気ないその一言の挨拶が、雪風にはたまらなく嬉しく思えた。ちゃんと自分の事を分かっていて、見ていてくれている。我慢していても唇がモニョモニョと動いてしまっているのが自覚できた。途端に恥ずかしくなった。
だから雪風は超機敏艦の名に恥じぬ速度で背後を振り向きつつ着替え終わると、輝に背中を向けたまま口早に告げた。
「お、おはよ輝君。さ、輝君行こっか。今日は比奈鳥准将達がこっちに視察(という名の長期休暇)にくる日ですよ」
トラック諸島近海から鬼の歌声が消えて二週間後。なし崩し的にとは言えMIA艦捜索が終わった有明の叢雲は既に本土に帰還しており、突発的な大規模戦闘後の休養という名目で輝と雪風だけがトラックに残っていた。
そんなある日、そのトラック泊地の空の入り口、ウェノ島(帝国呼称『春島』)に、輝達が来た時と同じように一機のセスナ機が降り立った。そして輝達の時とは違って青い顔をした3人組がゾンビのような危なっかしさで右へ左へとふらつきながらトラック諸島の地に足を付けた。
「……私、もう、絶対このセスナには乗らない」
「えー? 私結構楽しかったけど?」
「不知火も、出来るなら、もう乗りたくありません……」
「ぬいぬいちゃん、吐くならあっち行って」
「司令、私はぬいぬいなどという名前ではなくてですね……ぉぇ」
そのセスナ機から降り立ったのは、眼鏡をかけた若い女性提督が一人と2人の艦娘だった。艦娘の方はベージュ色のセーラー服を着た黒いおさげの三つ編み少女こと重雷装艦娘の『北上改二』と、セミロングの薄ピンクの髪を水色のゴム紐で結わいたブレザー姿の駆逐娘の『不知火改』だった。
「何でわざわざ積乱雲の中に突っ込んだり、着陸直前でウミドリ・ダイブやらかすんですかあのパイロットは……ぅぷ」
「ていうかさー、ひよ子ちゃん。休暇終わったら飛んでくんじゃなかったっけ? またこのセスナで」
「やめて。やめて北上ちゃん。私そんな絶望聞きたくない……あ!」
青ざめた顔をさらに青くして両耳を両手で塞ぐ女性提督こと、比奈鳥ひよ子准将(※翻訳鎮守府注釈:もちろんインスタントです)が、遠くからこちらに歩み寄る2人組の姿を見つけた。
「二人とも久しぶり。元気してた?」
「「はい!」」
一人は艦娘の雪風。もう一人は輝だった。
もう一月以上2人の姿を見ていなかったひよ子は最初、輝の姿に違和感を感じた。
「……あれ? 輝君。もしかして背伸びた?」
そして、時は流れる。
(エピローグ)
南方海域、新生ブイン基地。
それが今日からこの女性提督こと、比奈鳥ひよ子がお世話になる寝床の名前だ。書類上の話では。
「さて。一番マシそうなのがここね。前の住人の方には申し訳ありませんけど、勝手に使わさせてもらいます」
書類の上だと着任先は新生ブイン基地になってるはずなのに、どうして基礎工事すら終わってないのかしら。とひよ子は愚痴る。ひよ子以外も愚痴っていた。
だが、住民が疎開したまま、年単位で放置されていたこの島に来てしまった――――乗ってきたセスナは到着して、飛行場にストックしてあった燃料を補給してそのままとんぼ返りしてしまった――――以上はどうにもならない。かといって工事現場のガテン系のアンちゃんオッちゃん達に混じっての雑魚寝は遠慮したいし、そのまま薄い本指定な事に突入など断固お断りというのがうら若き乙女達の本音だ。ならばもう自前で食う寝る所に住む所を用意するしかない。
そこで白羽の矢が立てられたのが、新生ブイン基地の工事現場から歩いて五分の所にある、旧ブイン基地(という名のプレハブ小屋の遺跡)だ。
一通り中を見聞して、一階の食堂の次にまともな荒廃具合を示していた――――食堂は床の所々で雑草が繁茂し、名も知らぬ虫がそこかしこを闊歩していた――――201号室を仮のねぐらとして使う事に決めたひよ子達が最初に手を付けた事は、通信機器の設営やら出撃港の確認やらではなく、掃除と防犯設備の設置だった。女子の人生の基本である。そして201号室の掃除開始から数分も経たぬ内に、部屋の中を漁り出したのもまた、お掃除の基本である。
「えっとこれは……旧ブインの人達の集合写真……?」
ひよ子は知る由も無かったがそれは、輝と深雪の2人が鉄底海峡へ出撃する直前にポラロイドカメラ(漣個人の密輸品その2)で撮影された、あの集合写真だった。
旧ブイン基地の全戦力とショートランド選抜部隊、TKTラバウル支部、ラバウル聖獣騎士団が一堂に会した、ちょっと人員ギュウギュウ詰めの集合写真だった。
「へぇ~、田舎の基地だって聞いてたけど、いっぱい人いたのね」
写真の中でも特に目立つ連中を順に挙げていくと、写真の中央最前列で敬礼している204艦隊当時の輝と深雪、その左隣に井戸少佐と天龍と203艦隊の面々が、輝の右側には今現在ひよ子がお掃除中の201号室の主だった201艦隊のファントム・メナイ少佐と秘書艦の重巡娘『愛宕(メナイ少佐はハナと呼称)』が写っていた。
特に目立つ連中は今挙げたが、まだもう少し他にも挙げるとしたら、輝と深雪の真後ろではTKTラバウル支部のむちむちポーク名誉会長大佐が厳めしい表情のまま誰も映っていない遺影を胸に掲げており、その左右には重巡娘の『妙高』『那智』『足柄』『羽黒』が控えるようにして立っていた。写真の前列右端では基地司令の座る車椅子を駆逐娘の『漣』と『敷波』の2人が押しており、写真の後列左端では旧ブイン基地202艦隊の水野と金剛が新婚ホヤホヤのような幸せそうな蕩けた笑顔で抱き合っており、同じ202艦隊所属の駆逐娘『電(202)』『雷』『響』『暁』はまたかよとでも言いたげな呆れた表情を浮かべており、その二人のベッタリと引っ付いた頬と頬を何とか引っぺがそうとして朝潮型軽空母娘『龍驤』が嫉妬色の炎をその目に爛々と輝かせた怒りの形相で2人の間に割って入ろうとしていた。今挙げた連中以外のスペースには201艦隊の幹部クルー連中とショートランド選抜部隊、ラバウル聖獣騎士団所属の艦娘達と提督達がみっしりと詰まっていた。
因みに当時ラバウル所属だった雪風は、普通に立っているとこのみっしり軍団の中に完全に埋もれてしまうため、後列右端の戦艦娘の『陸奥』に肩車されていた。いたのだが、写真のアングルが悪かったのか雪風の口から上が見切れていた。どうやら奇跡の幸運艦にも好不調の波はあるようだった。
そしてその写真の裏側には『俺さ、この戦いが終わったら……』だの『ん、今何か物音が……?』だの『こんなブラックな作戦に付き合い切れるか! 俺は天龍と一緒に帰らせてもらう!』だの『輝君おかえりー!!』だのと言った、あからさまなキーワードの数々が書き殴ってあった。
「あ! この写真の中の輝君、まだ背小っちゃ~い!」
「司令。対人センサーの設置とカモフラージュ終わりました。本体にもバッテリーにも異常無し。北上さんもご自身の対人索敵系にセンサー群のステイタスをリンクさせたそうです」
「うわぁっ!?」
掃除を完全にサボっていたひよ子の背後にいつの間にか立っていた一人の少女の声に、ひよ子の両肩が発作的に跳ね上がった。
「ぬ、ぬぬいぬいちゃんごごごご苦労様ー。これで安心して夜眠れるわねー。よーし私もガンバルゾーガンバルゾーガンバルゾー」
「……ですから司令。私の名前はぬいぬいではなくてですね」
こいつ掃除サボってやがったな。というぬいぬいもとい不知火が白けた視線をひよ子の方に向けるのと同時に、ひよ子は掃除をサボっていた事を誤魔化そうとして禍々しいチャントを唱えつつ乱雑に掃除を再開。大雑把にどけたガラクタから舞い上がったホコリの雲が自身の顔面に直撃。口の中どころか目と鼻の穴にも入ってきた。咳き込んだ拍子に肘で机の上に積まれていた本の山を突き崩してしまい、更なる被害を発生させた。
「むえぶ!?」
「何やってんですか、もう……」
「うえぇ、じゃりじゃりするぅ……ん?」
舌の上と唇の裏の粘膜にへばり付いたホコリを袖口で拭い去っていたひよ子が、ふと何かに気が付いたかのように不知火の後ろに注目。不知火も釣られて廊下の方を見やった。そこには輝が1人で立っていた。
「輝君、もう少しゆっくりしてても良いのよ?」
「いえ。もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
最近ちょうど成長期に突入したのか、雪風よりも頭一つ分だけ背が高くなった少年提督は、薄汚れた大きな布きれを大事そうに腕に抱いていた。
ひよ子達からは輝の腕に隠れて見えなかったがそれは、ホコリと枯れ葉で薄汚れ、程よく風化し始めた、一枚のタオルケットだった。
ひよ子たちはそれが輝にとってどういう意味を持っているのかは分からなかったが、彼の雰囲気から何か重要な物である事は察せられた。だからそれ以上の詮索はせず『そう。じゃあそろそろいい時間だし、夕ご飯にしよっか』と話題を切り替えた。
「よーし! それじゃあお掃除の続きはお夕飯の後でやりましょ! お腹空いてると効率でないし、ね!?」
「……それもそうですね。では司令、その後で部屋の清掃が進んでいない理由をお聞かせ願いたいものですね」
「うぐぅ……誤魔化せなかった」
「では不知火は雪風を呼んできます。因みに食事はどこで?」
「そうねぇ、一階の食堂はアレだし、他の部屋もちょっとねぇ……あ、折角だから浜辺にしましょう! さっき見つけた、この基地の裏にあった小さなビーチ、桟橋付きの! 今日晴れだし、南国だから夕焼けも星空もすごそうだし、きっと素敵よ!」
「あ、自分204号室から蚊取り線香持ってきました。封切ってなかったから多分まだ使えると思います」
「輝君ナイス! じゃ、行きましょ」
ひよ子たちが賑やかしげに立ち去った201号室に、再び静寂が訪れた。
その床の上に放置された本や書類の崩落跡。ひよ子たちの先のドタバタで崩落した際に、一冊の本が上向きに、ページを開いた状態で床の上に崩れ落ちていた。
その本――――ファントム・メナイ少佐の個人的な日誌は、時間と湿気と日光と虫とカビでほとんど完全に劣化しつくしていて、とても中身が読めたものではなかった。
だが、それでも見開かれたページの中の一行だけは何とか読める程度の劣化具合で済んでいた。
そこには英語でこう書かれていた。
『レンケン二等兵の動向にはしばらく注意(大丈夫という奴ほど大丈夫ではないケースが多い。おそらく彼もそのパターン)。投薬治療の可能性も入れてドクターに明日相談』
ねえ、輝君。ほんとのほんとに大丈夫?
大丈夫ですよ。僕は。もう。決めましたから。
(あとがき)
これ読んでる人初めまして、あるいはお久しぶりです。abcdefです。
前回の投下(番外編を除く)より数えて半年と少々。何とか完成まで漕ぎ着けました。
当初の予定では五月くらいの完成を予定していたのですが、モチベーションの低下や話中の矛盾の解消に頭捻ってたりスランプ陥ったりで気が付けばこんなに時間がかかってしまいました。斯様な拙作を待っていて下さった方もいるというのに、汗顔の至りです。
ですが、何とか完成にまで漕ぎ着けたのも本作にお付き合いしてくださった皆様方のおかげです。ありがとうございました。
さて、2013年よりダラダラと続けてきた本作ですが、これで第一部はようやく完結です。
ですが以前にも書いたとおり、ちょっと書きたいシーンやお話が脳裏がいくつか浮かんできたので、これでお終いといった自分を裏切って続き書く事にしました。第二部第一話の構想を頭の中で練ってみたら、何故か話の流れや作りがE.G.コンバット第一話の丸パクリになってしまい、やはり脳内で考え直してる最中ではありますが。
ですので『次話からは第二部です』とは書きましたがうpがいつになるかは不明です。大変申し訳ありません。ですが、最終話のラストシーンだけは考えてあるので何とか終わりまで漕ぎ着いて見せる所存です。出来るかどうかは別として。
次話投稿時にはその他板に移っていると思います。その際にちらりとでもお目通ししていただければ幸いです。
これ以上は冗長になりそうですので、ここで筆を置かせていただきます。
それでは皆様、またお会いしましょう。
さよなら。さよなら。さよなら。
あ、こないだPolaと伊13来ました。
(本日のOKシーン)
「ねぇ輝君、この写真に写ってるのって、昔の輝君だよね」
「あ、はい。そうで……ん? この写真、なんか? ? あれ? 何人か多い気が……? ? ?」
(本日のNGシーン)
炎のドリルと化した雪風のカカト・スクリューとの接触面は盛大な火花を散らしつつ赤熱化し、そして最後にはドリルと同じ光景の大穴を開けられて、盛大に爆発四散した。だがその対価として、軽巡棲鬼本体は頭っから海水を被ってずぶぬれになった以外の被害は発生しなかった。
「ップハァ!! イ、一体ナンナノヨ、モォ……オ?」
そして、海面から顔を上げて立ち上がろうとした軽巡棲鬼の周りを、今までに拉致してきたトラック泊地の艦娘達が完全包囲していた。どうやら今の雪風の超展開の光と音で完全に目が覚めたようだった。
古鷹、古鷹改二、満潮、トラックの雪風、隼鷹、五月雨、千歳、吹雪、そして彼女らといまだ有線接続され、超展開に必要なエネルギーを強制的に供給させられ続けている輸送ワ級ら(ほとんど干物)が。
その誰も彼もが満身創痍では済まされないような損傷だったが、誰も死んではいなかった。そしてその目だけは死体のような有様と反比例して憎悪と殺意で爛々と輝いていた。やもすれば先程の催眠中よりもずっと濃いやも知れなかった。
状況を理解した軽巡棲鬼が硬直まる。元より死人色をしていたはずの顔色が真っ白になる。
「ア、アラ……皆サン、オ揃イデ……ドウナサッテ?」
『ええ、ちょっと貴女に逢いたくて。いろいろして下さったお礼がしたくて』
最先頭にいた古鷹改二からだった。
人は、どうしようもない状況におちいると笑うしかなくなるという。だから軽巡棲鬼も笑った。
『大丈夫です。人型相手は貴女のおかげでもう慣れましたから。ちゃあんと手足をもいで、アゴの骨を外して、逃げたり喋ったりできないようにしますから。あ、止血もしてあげますから大丈夫ですよ。情報なら殺して脳や内臓から吸い出せばいいですし』
笑えなくなった。
「セ、セメテ痛クシナイデネ……?」
『検討はします』
ついに観念したのか、がっくりとうなだれた軽巡棲鬼が肩幅に広げた両手をゆっくりと上げ始める。
この真っ暗闇の中では、うな垂れたままの軽巡棲鬼が固く両目を瞑っていた事も、その両手に填めていたガントレット状の黒いグローブの手の平部分に特殊な鉱石が仕込まれていた事にも、包囲していた艦娘達は最後まで気が付かなかった。
「本当ニ、本当ニオ願イ……ヨォ!!」
軽巡棲鬼が頭上で両手を勢いよく打ち合わせる。
衝撃で押しつぶされた鉱石は圧を加えられた石英と似たような原理で瞬間的な閃光と高周波を発生させ、包囲していた艦娘達の心に一瞬の空白を作る。
その最後のチャンスを逃さず叫ぶ。
「何ヲシテイル!? 横ニ敵ガイルゾ!! 撃テ、撃テ!!」
『『『えっ、え。あっ、はい!!』』』
軽巡棲鬼の叫びで我に返った艦娘達が殆ど反射的に真横に向いて砲を構える。そして激発信号を送る直前になって、そこにいるのが味方だと気が付いて混乱し、硬直した。
そしてその隙をついて、軽巡棲鬼は包囲網を突破。浅瀬を走破し、勢いそのままに深みに向かって飛び込んだ。
本当は伸ばした両腕から飛び込もうとしたかったのだろうが、踏み込みの瞬間、取り除くのを忘れていた海底の小岩を踏んづけて足を滑らせバランスを崩した。巡洋艦クラスの体積と質量がお腹と顔面からダイブしたに相応しい水柱と轟音を上げて軽巡棲鬼はダバーンザバザバと潜水を開始。
有明の雪風を連れて来た特大サイズの輸送ワ級もその後に続いて急速潜航。格納嚢胞に残っていたDJ物質と貨物固定用の硬化粘液を混ぜて固めた塊を即席のデコイとし、正気に戻った誰かがそれに砲撃を開始した時にはもう、軽巡棲鬼も特大サイズのワ級も、ソナーに消えゆくエコーを残すだけとなっていた。
【畜生、逃げられた!!】
何とか逃げおおせた軽巡棲鬼は、死の恐怖から解放された反動で全身から油汗をかき、過呼吸に陥っていた。
死人よりも真っ白な顔色になった彼女が脳裏に浮かべているのはつい今しがたの光景ではない。輝と雪風が最期に呟いていた一言だ。
――――ありがとう。夢だけでも、もう一度深雪に会わせてくれて。
「……」
ありがとう。
場違いなはずのその一言が、妙に心の中に引っかかっているのだ。
「……」
軽巡棲鬼は思考する。何がありがたかったのだろう。自分の何に感謝していたのかといえば、一つしか浮かばなかった。歌だ。
だが、歌の何がどう感謝されているのかまでは分からなかった。だから試してみる事にした。
「ヨシ。ソコノ輸送ゆにっとト鹵獲艦娘。チョット私ノ――――」
そして、時は流れる。
『タナトニウム砲弾、プラネタルサイト砲弾、全弾射耗!! 46センチ3連装砲、通常弾に切り替えます!!』
『合衆国の攻撃衛星『アダム・フェニックス』の全力照射が始まります! 総員退避してください!!』
長年の捜索活動と、近年の人類側勢力破竹の快進撃により、深海棲艦の中枢的存在がハワイ諸島オアフ島に居を構えている事が判明した。
中枢棲姫と名付けられたその存在に対し、人類側は全世界規模の攻勢作戦を展開。中枢棲鬼の存在するハワイ諸島以外の全ての深海泊地に対し、同時攻撃を開始。これらを陽動として敵中枢殴り込み艦隊は対した被害も無く全艦が中枢棲姫の元へと到着。これまでの深海棲艦とは隔絶した戦闘能力を持つ中枢棲姫だったが、我々人類は最後の戦いには何とか勝利した。
かに見えた。
『駄目です! 中枢棲姫は依然健在!』
中枢棲姫は強かった。おまけに、ここに来るまで大した抵抗が無かったのも罠だった。
いつの間にか敵中枢殴り込み艦隊は、温存されていた敵の主力部隊に逆包囲されていた。
「ぬぅ……! 最早これまで、か。副長、減速材を全投棄。動力炉を限界出力へ。弾薬庫にも導火線を引いておけ。いざとなればこの娘もろとも奴にぶつける」
『て、提督! 第七ハッチは閉じてますけど後方より敵増援! 数1!!』
熟練見張院からの報告を受けて、光学デバイスの1つをフォーカスさせる。そこに映っていたのは、一体の人型深海棲艦だった。
「こらー! あなた達ー!!」
完全な少女型の上半身と異形の大口を模した機械の下半身、青白い肌、顔を模した胸元の黒いアクセサリー、那珂ちゃん改二とよく似たオレンジ色基調のドレスとフリルが一杯のミニスカート、腰まで届くストレートの黒髪は頭部の両側でお団子状にまとめられており、鬼火のような青白い微かな輝きを放っていた。
そして、異形の下半身の両側舷に接続された連装砲の砲身から、イソギンチャクの触手のような物体が何百本も天に向かって柔軟に伸びており、リズム良く左右に振られるそれの先端はサイリュームライトめいて赤だの黄色だの青だのに淡く発光していた。
「戦争なんて下らない事やってないで、私の歌を聞きなさぁぁぁい!!」
鬼、軽巡棲鬼その人だった。
しかも出現した頃に比べてずっとずっと滑舌が良くなっていた。
軽巡棲鬼の存在に気付いた敵味方は、信じられないものを見たかのように目を見開き、思わず戦闘の手を止めてしまっていた。
「軽巡棲……那珂野ちゃん? 何でこんなとこに……?」
『私、今日ノらいぶ、絶対行ケナイト思ッテタノニ……』
この鉄火場に相応しくない存在に対して提督が『誰あれ?』と呟き、副官に『ご存じ、無いのですか!?』と驚愕の表情で返された。ついでに言っとくとその呟きが聞こえた他の艦娘や深海棲艦達も驚愕の表情で提督を見ていた。
「彼女こそ、戦いもせずに歌ってるだけという深海棲艦のイレギュラー扱いからチャンスを掴み、スターの座を駆け上がっている、超航海シンデレラ、那珂野ちゃんですぞ!?」
そんな彼らの間をすり抜けて、軽巡棲鬼の那珂野ちゃんは中枢棲姫の足元まで進み出る。
両手の十指でハートマークを形作り、喉の前に掲げる。
「私の喉が光って唸る! 銀河のはちぇまで轟き叫ぶ!!」
いったいいかなる理屈か、そのハートマークの中にハートを模した輝くエンブレムが浮かんでいるのが見えたような気がした。
軽巡棲鬼自身からは見えなかったが、立ち上る金色のオーラが軽巡棲鬼自身をシュインシュインと包み込んでいたような気がした。
軽巡棲鬼自身からは見えなかったが、それ以外の面々からは、軽巡棲鬼の背後にてカラオケマイク片手に両腕を組んだ、お髭が豊かなハートの王様が厳めしい顔つきで仁王立ちしている幻影を確かに見た。
「トップ・オブ・アイドルの名に懸けて!!」
(この後、中枢棲姫がヤックデカルチャとか叫びながらゾクゾク美して何やかんやの末に和解してEDの予定で、ここで軽巡棲鬼に『星間航行』か『備蓄資源の残数、覚えていますか』のどちらを歌わそーかなーとか考えてたけど、そもそも本編からの逸脱甚だしいので没に)
(本日のOKシーン その2)
……長い夢を見ていた気がする。とても楽しくて、でも寂しい夢を。
司令官の心が治ったのは嬉しいけれど、そこに私はいなかった。
?
あの子が、輝が私の艦中にいない?
……
あ、そうだった。あの子はもう脱出させたんだった。
そうそう、だんだん思い出してきたぜ。
あとは、脱出用ボートが安全な場所まで逃げきれるまで時間を稼がなきゃな。こんな海の底で寝ボケてなんていられないぜ。
さぁ、深雪さま最後の大勝負だ! 行っくぜぇ!!
(今度こそ終れ)