武装は持たない。持つ意味が無いから。
防具もいらない。身に纏う意味が無いから。
自分に必要なのは、ただの一つだけ。
マルヨンマルマル。
時計の短針が4の字を、長針が12を指す。
カチッ、と。一際大きな音が室内に響いたのを確認してから、木曾は手元の灯りを点けた。暗かった室内が照らし出され、その全容が露わになる。
医務室。 彼女の行動は迅速、且つ丁寧だった。眠っている士郎を背負い、予め破いておいたシーツで身を固定する。何度もシミュレーションをしてきたのだろう。なるべく負担を掛けないように、それでいて淀みなく、一分も掛からずに準備は終わった。彼の苦し気な吐息が髪の毛を揺らしたのは、最後の最後に背負い直した時だけだった。
一瞬だけ申し訳なさそうに木曾は顔を歪める。だがそれは、自分の至らなさと未熟さが原因で生じた、どうしようもない感情だった。
「木曾さん、忘れ物は無い?」
扉が開き、ひょっこりと望月が顔を見せる。普段は何事にも気怠げな様子を隠さない彼女だが、流石に今は勝手が違うのか、表情・言葉ともに固い。
木曾は片手を上げて、軽く揺らした。『問題無い』。二人がこの海域でコンビを組んでから、何度も交わしてきた手信号である。
「オレの準備は終わった。望月は?」
「あたしはもう済んでいる。残りは木曾さんだけさ」
「……アイツらも終わったのか?」
その言葉に望月が頷く。
意外とでも言いたげに、木曾は目を見張った。
「ま、ここら辺に関しては、皆の方が長いからね。ある程度の準備は済んでいたんでしょ」
「……それもそうか」
「じゃ、さっさと行こう。情報に変わりは無いから、あとは出るだけさ」
ぐっ、と。親指を立てる。
さぁ、脱出の時間だ。
■ 艦これ×Fate ■
マルヨンサンマル。
東の空が白みつつある、夜と朝の境目。
そんな空の下。まだ暗い海上。
暗闇を裂く様に、二つの線が真っすぐに走っていた。二つの線は等間隔を維持したまま、真っすぐにぶれることなく描かれる。
無論、自然に出来たものではない。
よくよく見れば、その線に重なるようにして、八つの影――人影が見える。
それぞれの線の先頭を走るのは、満潮と金剛。
満潮の後ろには、望月、木曾、磯波の三名が。
金剛の後ろには、雷、荒潮、三日月の三名が。
追随するようにして線を描いている。
「……っ」
「叢雲ちゃん、大丈夫?」
「……ごめん」
「いーえ、気にしないで下さい」
「木曾さん、お兄さんは?」
「今のところまだ寝ているな。吐息に乱れは無い」
否、正確には人影は十。
磯波に支えられる形で叢雲が、木曾に背負われる形で衛宮士郎が。
半ば運ばれるようにして、皆と一緒に行動していた。
とは言え、一見すればおかしなメンバーの割り振られ方だろう。
何せ一方は損傷の少ない面々で、そしてもう片方は損傷の具合が大きい面々を集めて構成されているのだから。
だがこの陣形とメンバーの割り振りは、既に昨夜の時点で決められていたものなのだ。
――――時を戻して八時間前。
フタマルマルマル。
会議室兼寝室。
「それでは、脱出する際のmemberとformationを決めまショー」
皆を集めて脱出の旨を伝える。
そこまでは木曾が考えていた通りの展開だった。
そこまでが木曾が考えていた通りの展開だった。
大きく逸れたのは、金剛からの不意の一言。
「は?」
「ですからmemberとformationを決めまショー。Mr.衛宮はキソーに任せるとして……humm……」
「いや、ちょっと待て」
おかしいおかしい。話の流れていく方面がおかしい。キソー呼ばわりは置いておいて、だ。
いつの間にかに話の主流を握る金剛に、木曾は流れを戻すべく声をかけた。
「出て行くのはオレらだけだ。面子も陣形も考える必要は……」
「何を言っているんですかキソーは。Mr.衛宮も含めれば10人いるんデスヨ。二つに分けるとして、割り振るmemberとformationを決めなくてどうするつもりデス?」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに金剛は首を傾げた。二呼吸程の間をおいて、木曾の思考は現状に追いついた。どうやら金剛の中では、全員で脱出をするものだと認識しているらしい。
いや、違う。面子は自分と望月と士郎の三人だけ。
そう告げようとし、
「はいはーいっ! 金剛さんっ! 私、衛宮さんとがいいっ!」
「いやいやいや、アンタの体躯でどうやって支えるつもりよ……」
「やる気は買うけど雷ちゃんじゃ確かに無理よね……やっぱりそこは木曾さんかしら?」
「何を言っているのよ、私だってそれぐらいは分かっているわ。衛宮さんと同じ部隊で、ってこと!」
「部隊かぁ……希望は聞いてもらえるのでしょうか?」
「humm……とりあえずのところはキソーとMr.衛宮ともっちーは同じチームで確定ネー。後は……」
一気に騒がしく、そして収拾がつかなくなる場。
なんだこれは。思わぬ展開に呆気にとられる木曾。横を見れば、同じく呆気に取られている望月。
「……ま、こうなるわね」
「満潮……」
「諦めて受け入れる方が賢明よ。何を言われても、皆行くわ」
まるで木曾が話を始める前から、こうなる事が分かっていたみたいに。
眼前で行われている騒ぎに反して冷静な満潮。
その彼女に木曾は問うた。
「……いいのか?」
主語は無い。だけど、何を問うているか分からぬほど、満潮は愚鈍ではない。
満潮は僅かに口角を釣り上げた。当然と言わんばかりの、そして僅かとは言え、珍しくも茶目っ気を含んだ笑い方だった。
「此処に居る皆は、捨て艦作戦の弊害で生き残ってしまった者たち。帰れるのなら帰りたいに決まっているでしょ」
「……」
「……勿論、仲間を沈められた怒りはあるわ。だけど今の私たちで仇を取れるほど、物事が見えていないわけじゃない」
いつかは此処に戻ってくる。志半ばで散った仲間の仇を取るために。だけどそれは今ではない。
「だからここでこれ以上待っていても意味は無いわ。それに、私の第一目標は達成できたしね」
「……金剛さんの事か」
満潮が金剛のために残っているという話は、木曾も望月も聞いた話だった。
木曾に指摘されて、満潮は若干眉根を寄せた。ここにきて初めて、彼女は自身が喋りすぎたという事を自覚したのだ。
「……私は磯波と話をしてくるわ。もう状況は変わらないから、二人とも部隊のメンバーと陣形について、協議してくることね」
やや早口でそう告げると、返事を待たずに満潮は一歩引いた。そして背後で佇んでいた磯波を連れて、部屋を出て行ってしまう。
残されたのは、木曾と望月。
本来であればメインであるはずの二人。
「それは置いておいて叢雲の事はどうする? 一人で動けないでしょ」
「ハ、舐めんじゃないわよ。これくらい――――ヅッ!?」
「小突かれただけでその様子じゃ信憑性ないわね」
「荒潮、アンタねぇ……っ!」
「はいはい、ストップストップ。話が逸れてしまいます」
「三日月の言う通りデース。これじゃ収拾つかないネー」
顔を見合わせる。
仕方無いんじゃない?
仕方が無いか。
言葉を発しなくとも、口を動かさずとも。二人は全く同じ考えを共有した。時には諦めも肝心であると言う一例だろう。ここで自分たちの我儘を押し通すことに利は無い。
「三人セットなのは決定として、そうすると残りの枠をどう埋めるかよね」
「叢雲もいるから、実質動けるのは十人中八人。戦闘行為も考慮するなら、二人のカバーで抜ける事も考慮しなくちゃね」
「……」
「……」
「……な、なによ、みんなして……」
「いえ……雷って理性的に――――むぐっ」
「はいはいストップ。叢雲ちゃん、ストップ」
「金剛さん、続きをどうぞ」
「ソウネー……重症の二人をどうするかで残りのmemberは決まりマース。二人のcoverは、なるべく軽傷の者たちで行いまショー。……例えば、Mr.衛宮は私が背負うとか?」
「……いや、待て待て待てっ! オレら抜きで話を進めるな――――っ!」
■
場面は研究所から海上へ。
時刻はマルゴーマルマル。
「そろそろ戦艦種遭遇多発海域デース。此処さえ抜ければ、あとは本国へ戻るだけですから、気合入れていきまショー」
出発から大凡一時間。スピードを緩めることなく、金剛は声を張り上げた。
計器が全損しているので、正確な位置は分からない。現在の自分たちの位置については、自分たちの進行スピードと、事前に得た情報から算出した予測でしかない。だから、そろそろ。
ちなみに情報とは、金剛隊が出撃前に事前に入手し、頭に叩き込んできた前情報の事である。海域突入から日数が経過し、情報が一分一秒と言う最中で更新されていく事を考えれば、信じるに値するかは疑問だろう。
だが、他に手立てがあるわけでもない。
金剛も多くは言わない。この海域では戦艦種の中でも危険度の高いelite級やflagship級が跋扈している事、時には装甲空母姫とも矛を交える事、多くの部隊が敵の親玉を見ずに撤退する原因の一つである事。そんな事は、今の自分たちは知っていても仕方が無いからだ。
攻撃を受けたら、沈む。
直撃しなくても、沈む。
少しの衝撃だけで、沈む。
敵の強大さについては今更であり、自分たちが逃げの一手しか取れない事を理解しているから、金剛はそれ以上何も言わない。
「……」
そして同じく。金剛隊の一員として出撃していた満潮は、金剛が最低限しか言葉を発しなかった理由を察して、何も言わずに彼女の言葉に従った。手を高く上げ、少しだけ金剛たちよりもスピードを緩める。今まで等間隔で保たれていた距離が崩れ、金剛たちが先に出る形になった。
「?」
疑問に思ったのは満潮指揮下の木曾、望月、叢雲の三名だ。昨夜に取り決めた内容の中に、こんな作戦は入っていない。
「アンタたちの状況を鑑みて、金剛さんたちが先に行くだけよ。怪我人たちを先行させられないでしょ」
木曾たちが言葉を発する前に、満潮が意図を伝える。理の通った、簡潔な説明。
だがその言葉に、何か引っかかりを望月は覚える。
作戦の全容を伝えられていない事もそうだが、それ以上に何か見落としてはいけないものがある。喉に引っかかった魚の骨のような感覚。言葉にし難い違和感に眉根を寄せた。
だが、飲み込む。
代わりに後ろに一言。
「……木曾さん、大丈夫?」
「大丈夫だ。今のところは、な」
望月の問いに木曾は簡潔に答えた。首筋にかかる士郎の吐息は、今のところ規則的に感じる事が出来る。彼が小康状態を保っている証明だ。今の状態が本国到着まで続くのならば、治療で彼が元の生活に戻る事も夢ではない。
訊きたかった事はそれだけじゃないんだけどね。一方で望月は、木曾には聞こえぬ様に言葉を呑みこんだ。彼女も士郎の事は心配であるが、同様に木曾の身も案じていた。
何せ木曾は、此処に至るまで一切気を緩めていない。敵襲は勿論、背に感じる士郎の温もりや、呼吸の変化、気配の強弱に至るまで、一つの異変も逃さす事の無いように集中していた。
当然、そんな状態が長く続くはずもない。
だが、木曾は一切緩めることなく此処まで継続している。
……ま、言っても仕方が無い、か
木曾が衛宮士郎に対して負い目を感じていることは、望月だってわかっている。楽にしろと言うのが無理な話なのだし、逆の立場なら望月自身も木曾と同じようにしただろう。
だから言わない。木曾の集中を損ねる事は言わない。違和感も、思いやりも、全て心の内に。
代わりに小さく鋭く息を吐いて、気合を入れ直す。
ギュッ、と。握りしめた12.7cm連装砲が、やけに重く感じた。
■
金剛が前方の異変に気が付いたのは、突入から数分経ってからだった。
前方に見える、黒い物体。
艦娘の中でも戦闘能力が特に高く、遠くからの砲撃戦を行える戦艦種である彼女だからこそ気が付けた、大海原の中の異変。
最初こそ深海棲艦かと考えるが、一体だけというのもおかしな話だ。
後方の満潮たちにも分かる様に、減速のジェスチャーを見せる。
早く海域を突っ切りたいところだが、焦って敵艦隊と遭遇すれば、分が悪いのは自分たちの方なのだ。
「金剛さん、何か?」
「……前方に、恐らく艦影。詳細は分かりませんガ、慎重を期するにこしたことはアリマセン」
三日月の問いに簡潔に答えると、金剛は手で陣形変更の合図を送る。複縦陣。四隻ならギリギリ出来る陣形である。
「艦影が判別可能な距離まで近づきマス。前衛は私と三日月。雷と荒潮は後衛をお願いしマス」
緊張で喉が張り付く。そんな感覚を三人は覚えた。駆逐の艦種では金剛の言う艦影はまだ見えないが、行く先に深海棲艦かもしれないと言う疑念が、道中以上の緊張感を三人に強いたからだ。特に雷と荒潮にとっては、敵艦に襲われて敗走したことは記憶に新しい。
金剛はそんな三人の状態を正しく把握した上で、しかしわざわざ緊張を解そうとはしなかった。必要以上の緊張は出足を鈍らせるが、元より戦うという選択肢の無い艦隊である。逃げの一手しか選べない以上、自身の声しか聞こえないくらいに緊張していれば寧ろ都合が良い、との判断からだった。
「……深海棲艦を見つけたのかな?」
「……進路の変更ではないから、まだ可能性は半々ってところじゃないかしら」
一方で。金剛たちとは距離を取っていた満潮たちは、まだ冷静に考察することが出来た。先を行く金剛たちに合わせて減速する。
「重巡洋艦以上を発見した場合は、問答無用で進路変更をするって決めているわ。だから、きっとまだ様子見ね」
風は穏やか。空は快晴。出てきた太陽を遮るものは何も無い。
僅かに目を細めて、望月は金剛たちの先を見ようとする。だが駆逐艦の視力では、何もない穏やかな海原が見えるだけだった。
「艦載機の一つでもあればなぁ……」
ポツリ、と。望月は言葉を零した。無い物強請りをしても仕方が無いが、愚痴の一つでも零さずにはいられない。
尤も搭乗者である妖精さんもいなければ、そもそも装備できるのは現状では軽巡洋艦である木曾と戦艦である金剛だけだ。望月をはじめ、駆逐艦では装備できない。
嫌になるね、全く。結局のところは何一つ変わりはしないという現実に、もう一度望月は溜息を吐き出した。自分の無力さに対する呆れだった。
「……止まって。様子がおかしい」
満潮の声に望月は思考を戻した。一瞬だった。先ほどまでの不真面目気味な様相は消え去っていた。
そしてそれは、望月以下の三名も同じである。
木曾も、磯波も、叢雲も。満潮の声がかかるとともに、思考から不必要なものを取り除く。
「……何が起きた?」
「……分からない。けど、金剛さんの様子がおかしい」
金剛たち、ではなく金剛のみ。遠目にも彼女の様子がおかしいことは分かった。
端的な言葉から、四人は過たず満潮の言わんとする意味を理解する。
即ち、
「私たちの捕捉範囲外に敵がいるって事かしら」
全員の脳内に浮かんでいた言葉を叢雲が口にする。
言うまでも無くそれは、最もあり得る異変にして、皆にとって最悪のパターン。
「……だったら進路変更の合図をする筈よ。何も合図が無い以上、敵とは言い切れないわ」
叢雲の言葉を満潮は否定した。だがその言葉に説得性が皆無な事は、満潮自身が良く分かっていた。
「……金剛さんたちに合わせて減速するわ。今の距離を保つわよ」
「了解。けど、この状態を何時までもは続けられないよ」
「分かっているわ。最悪の場合は、私の独断で――――」
望月に返そうとした言葉が途切れる。息を呑むような声が聞こえた。前を向いたまま、満潮は微動だにしなかった。
ひょい、と。その様子を不思議に思った望月は、視線を前に、満潮の視線の先へと向けた。
彼女の眼が捉えたのは、取り残された二つの人影と、最大速度で飛び出した二つの人影。
「ダメやああぁぁあああああああああっ!!!」
「ダメっ!!! 戻ってっ!!!」
そして遠くから聞こえる振り絞るような絶叫と、悲痛な静止の声。
――――その全てが、爆音と水柱によってかき消される。