「えぇ~? また脱ぐのぉ?」
その気持ちはよっく解かるわ。たとえ、今はオトコノコの体の中に居るこの身としてもね。…いや、だからこそ、かしら?
≪ ここから先は超クリーンルームですからね。シャワーを浴びて下着を替えるだけでは済まないのよ ≫
リツコの声は淡々としてる。それが余計に神経を逆なでしてるって、気付いてナイんでしょうね。
「なんでオートパイロットの実験で、こんなことしなきゃいけないのよ~」
我ながら不思議なのは、不満なのはこの扱いについてであって、オートパイロットの存在そのものには無頓着だったってコト。
完成したら明らかにお役御免になるって、解かってたはずなのにね。修学旅行のときにも感じたけど、ワタシ、心のどっかではエヴァに乗りたくないって思ってるのかしら。
≪ 時間はただ流れているだけじゃないわ。エヴァのテクノロジーも進歩しているのよ。新しいデータは常に必要なの ≫
「「えぇ~!?」」
シンジとアスカが、お互いの姿を認めて更衣室に逃げ戻った。
更衣室のドアの向こうは、ミサトんちのリビングほどの広さの小部屋になってる。申し訳程度に衝立はあるけど、目隠しとしては役に立ってない。素っ裸になって踏み込んだのがこんなトコで、そこによく知る異性が同時に踏み込んできて驚かないワケがないわ。
「どういうことよ!」
「僕に訊かないでよ!」
ひとり。頓着しないレイが、平然と小部屋へ歩み入った。思わずそっちを見ちゃったシンジが、あわてて視線を逸らす。
≪ 2人とも早くして、時間が押してるわ ≫
「なんで3人一緒なのよ!」
≪ 施設を別々に造れるような余裕はないの。これが今のネルフの限界って訳 ≫
そのわりに、更衣室とドアはちゃんと3人分あるんだケドね。
となりから、肉食獣ばりの唸り声が聞こえてくる。当時ワタシがどれだけ機嫌が悪くなったか思い出して、シンジにささやく。
『…』
「アスカ。僕が先に出るから。それに、絶対そっち見ないから」
前回は、ワタシがそう命令したんだけどね。
「ト~ゼンよ!」
シンジが小部屋に進み出てしばらくすると、アスカも踏み入ってきた。左を向いたら殺されかねない。右のレイは何も言わないだろうが、それだけに罪悪感が増す。右も左も見るわけにいかないシンジが、ぎゅっと固くまぶたを閉じた。
…シンジを端にして、アスカを反対の端に、それでレイが真ん中ならちょっとはマシだったかしら? シンジの精神衛生上。
≪ シンジ君。 洗浄ができないから、前を隠さないで ≫
…
シンジ、ご愁傷様。
観念したシンジが手を離した途端、消毒液のシャワーが降り注いだ。
****
「ほら、お望みの姿になったわよ。17回も垢を落とされてね!」
超クリーンルームとやらに入室するために、6つの部屋で、17もの手続きを踏まされたんだもの。2度目のワタシでもうんざりする。
≪ では3人とも、この部屋を抜けてその姿のままエントリープラグに入ってちょうだい ≫
「えーっ!!」
やっぱりリツコは、思春期ってモノを解かってないと思うわ。14歳のオトコノコとオンナノコが、衆人環視の中へ裸で出て行けって言われて、はいそうですか。なんて言うワケないじゃないの。
大体、自分がそうしろって言われたらどう思うか、考えなかったのかしら? …まさか乳幼児と違わないなんて考えてんじゃないでしょうね? 14歳になれば充分に羞恥心てモンが発達… …してないコが居たんだっけ…
…まさかレイを基準に14歳の羞恥心を量ってたり、してないわよね…
≪ 大丈夫。映像モニターは切ってあるわ。プライバシーは保護してあるから ≫
「そーいう問題じゃないでしょう!気持ちの問題よ!」
「そうですよ、リツコさん。僕たちはエヴァの部品じゃないんですよ」
≪ シっ、シンジ君!? …この実験はね、成功すれば貴方達の為になるのよ ≫
シンジは普段、従順と言っていいホド協力的だから、まさかアスカの味方をするとは思ってなかったんでしょうね。
「それは聞きました。だからアスカだって、そのことそのものに文句は言ってないでしょう?」
そうよそうよ。とアスカがはやしたてる。
「僕たちは、僕たちの人格を無視したこの扱いに抗議してるんです」
シンジの発言は、延々とシンジに聞かせたワタシのグチを、シンジなりの言葉に変換したものだ。いや、この語調の強さからすると、シンジ自身もけっこう怒っているのかもしんない。
「ほんの少し配慮してくれて、例えば男女で時間差を作ってくれるとか、衝立をもうちょっと大きくしてくれるとかしてくれれば、それで充分だったんです」
問題は、コイツの本性は生意気で反抗的な皮肉屋だってコト。
「それとも、裸にした僕たちを一緒に放り込むところまで実験のうちなんですか?」
≪ シっシンジ君!!貴方ねぇ… ≫
さすがのリツコもこれには怒ったらしい。驚いたらしいアスカも、シンジの顔をまじまじと。…レイは? っていうと、何を思ったかぽつぽつと呟いてる。
≪ は~いはいはいは~い。リツコの負け~。シンちゃ~ん、そのくらいにね♪今度から気をつけさせるから、今回はチョ~ッチ、ね? ≫
「ミサトさんが、そう言うなら…」
溜息ついたシンジは、そのまま無雑作にブースを出てエントリープラグに向かった。
…
どうでもいいケド、ケンカすんならマイクのスイッチ切りなさいよ。三十路女同士の言い争いなんて、ほとんど公害なんだから。
****
若干リツコの機嫌は悪かったものの、実験そのものは順調だったと思うわ。
基本的にチルドレンってのは蚊帳の外だから、何が起きてるのか判らなかったのは今回も変わりないんだけどね。
判ってるのは、レイが悲鳴をあげて、プラグごと射出されたってコト。前回の経験からすると、放り出されたのは地底湖だと思う。
「何がどうなってるんだろう?」
『状況を確認する必要があるわね。ハッチ開けてみましょ』
そうだね。とシンジがプラグの内壁に埋め込まれたレバーに手をかける。伝わってきた軽い振動は、イジェクションカバーを弾き飛ばした爆発ボルト。
インテリアから立ち上がったシンジが、天面のハンドルを回し始めた。
幸いにも、と言うべきなんでしょうね。ジオフロントでも夜は暗いってことを。でなけりゃ、プラグの外に裸で出るようなことをシンジが承服するワケないもの。
脱出ハッチのフチに腰かけたシンジが、手慣れた感じでLCLを吐いた。
「…ジオフロントの、地底湖?」
『みたいね。何か緊急事態が発生してプラグを射出したのかも』
問題は、前回と同じなら3~4時間は放っとかれるってことなんだけど。
あの時の心細さを思い出して、ちょっと胸が痛い。
…ここはひとつ、
『ねぇシンジ。夜の地底湖って、泳いだら気持ちいいと思わない?』
『…何が言いたいの?』
大体のところは察しただろうに、シンジは儚い抵抗を試みた。
…
『レイとアスカのために、ひと泳ぎしてくれないかなぁって』
『ここで救助を待ってちゃ、ダメなの?』
ダメってワケじゃ、ないんだけどね。
『これってシミュレーションプラグでしょ。サバイバルキットも積んでないし、バッテリだって最低限。保って2時間ってトコロかしら?』
余分な機器が積まれてない分LCLの容量だけはあるから、実際にはもっと保ったケド。
『裸でこんなモノに乗っていて、纏う布切れの一枚とてない。もしこのまま何時間も救助がやってこなかったとしたら、レイやアスカがどうなると思う?』
…まさか窒息するまでってことはないよね。なんて訊いてくるもんだから、さあ? ってそっけなく返しちゃった。
『女の子が、こんなところで肌をさらしたいかどうか、シンジはどう思う?』
「…そうだよね」
さっきの顛末でも思い出したか、シンジの呟きはなんだか実感が篭ってるわね。っていうか、こういう時まで、逃げちゃダメだ。って唱えんのヤメてよ。
…
『わかった、行くよ。…行くけど、泳ぎきれるかなぁ…』
『大丈夫、ワタシが保証するわ』
幸い、シンジのプラグは最も岸まで近い。目測で20メートルってところだから、今のシンジなら何とかいける。これがもし岸から一番遠いプラグだったら、ほかのプラグを迂回するのに100メートルは泳がされたところだ。
あとは泳いでる最中に方向を見失わないよう気をつけるぐらいね。ま、今のワタシの感覚なら大丈夫だと思う。
息も絶え絶えに岸にたどり着いたシンジに、次にさせたのはその辺のボートとかを物色させることだった。こんなトコロで裸で居ることの恥ずかしさは、男の子だからって変わるもんじゃないと思うもの。
『救命胴衣があるじゃない。よかったわね、シンジ』
『裸でこんなの着てたら、余計恥ずかしいよっ!』
『バカねぇ、腰に捲くのよ。それとも、そっちに落ちてるシーアンカーのほうがイイ?』
…なんてやりとりしてから、本部棟に向かったんだけど。
…
そ~っとエントランスに入ったシンジが、すぐ傍のインターフォンを取った。
裸で救命胴衣を腰に捲いてる姿が、ヒトの体とはいえ気恥ずかしい。あっさり言い放っておいてナンだけど、ワタシ自身、意識としては女の子のままなんだから、シンジより恥ずかしかったかもしんないわ。救命胴衣、胸の辺りから捲いてもらうべきだったかしら…
発令所をコールしようとしたんだけど、うんともすんとも言わない。電力は供給されてるみたいなのに、奇妙にしんとして。こないだの停電騒ぎみたいな不気味さを感じるわね。
シンジと相談して、服とタオルを確保するために更衣室に向かうことにした。ありがたいことに本部機能のほとんどが死んでるらしく、IDなしでもナントカなったわ。
シンジの服とタオルはすんなり手に入った。また濡れるかもしんないからってことで、プラグスーツなんだケド。
問題は、レイやアスカの服を調達するために女子更衣室に入ることを、シンジが嫌がった。ってことね。
『緊急事態なんだから、仕方ないじゃない』
『ヤだよ。それに勝手に着替えとか物色したら、それだって嫌がるでしょ?』
女の子へのデリカシーってモンを理解してくれたからここまで来てくれたんだろうけど、それだけに頑ななのよねぇ。
『…そりゃまあ、ねぇ』
だからってタオルだけってワケにはいかないんだけど…
なにかいい案はないかと、シンジの視界をまさぐる。
男子更衣室のドアがあって、向こうに女子更衣室のドア。その間に…
『ランドリー!シンジ、あそこならいいでしょ』
ランドリーってのは、使い終わったプラグスーツを洗浄して保管するための作業室のコト。ここなら、洗い終わったプラグスーツがビニルパックになって置いてあるはずだ。
シンジも、なるほど。とばかりに手を打ってる。
…やれやれ、だわ。
****
さっき物色させた時に目星をつけといたゴムボートで、湖面に乗り出す。
『エンジンのついたボートなんて初めて動かすけど、ちょっと楽しいね』
世界に3機しかない決戦兵器を乗りこなしておいてその感想はどうかと思うけど、船外機での操作ってちょっと独特で面白いし、確かにけっこう爽快ね。
シミュレーションプラグにナンバリングなんてないから、手身近なのに横付けた。
半ば水没してるメインスライドカバースイッチを開き、シンジがイジェクションカバー排除レバーに手をかける。
『イジェクションカバーが落ちてくるかもしんないから、気をつけてね』
外から排除することも考慮されてるから、操作パネル側に落ちてくることはないはずだけど、用心するに越したことはない。
『そうだね、ありがとう』
睨むようにしてシンジが見守る中、イジェクションカバーはプラグの頭側に吹き飛んだ。
『いきなり開けちゃダメよ』
『わかってるよ』
念のために装備されてたオールを持ち出して、シンジが脱出ハッチを叩く。
・・ -・- ・- ・-・ ・・
打ったオールを跳ねさせるのを短点、そのまま打ち付けたままにするのを長点に見立てて、モールス信号を打たせているのだ。
・・ -・- ・- ・-・ ・・
モールス信号は前世紀には廃れたはずなんだけど、チルドレンはレクチャーを受ける。
日本の自衛隊が使ってたからという理由で、国連軍もモールス信号を使う。国連軍との共同作戦がありうるエヴァのパイロットも、一応知っとかなきゃならないってワケ。
・・ -・- ・- ・-・ ・・
もっとも、チルドレン歴の浅いシンジは習ってないから、今ワタシが教えたんだけどね。
『…出てこないね』
『シンジだと知って出てこないんだから、つまり、アスカのプラグね』
プラグの中には内壁を叩けるような物はないし、手で叩いたくらいで伝わるはずもないから返事のしようがないんだろう。
『出てきっこないから、レイの方に行きましょ』
『そうだね』
シンジがイジェクションカバーを排除すると、オールで叩くまでもなく内側からハンドルが回された。
せっかくIKARIってモールス信号、憶えたのに…。とかなんとか、シンジがぶつぶつと言ってるうちにハッチが開いて、レイが顔を出す。
「ぅわぁっ!!待って!綾波、そのまま!出てきちゃダメ!」
ハッチのフチに手をかけて身体を引き出そうとしたレイを、シンジが慌てて止める。レイは単にLCLを吐こうとしただけだろう。そこに他意はないんだろうけど、あまりにも無防備だと却って罪悪感が増すみたい。シンジの心臓が跳ね上がったもの。
「こここっこれ、これを中で着てから」
レイの方を見ないようにして差し出したプラグスーツが、不意に軽くなる。レイが受け取ったと判断したシンジが手を放すと、とぷん。と波打つ音がした。素直にプラグの中に戻ったのだろう。
何も言わなかったのは、LCLを肺に入れたままで空気中で喋ると苦しいから。…だと思ったんだけど…あのレイのことだし…ねぇ?
しばらくして出てきたレイが、ハッチのフチに腰かけた。上半身を折り曲げるようにしてLCLを吐く。空気より重いLCLを吐くには、肺を気管より高くしないとダメなのよね。
おおかた吐き終わって咳き込んだレイの背中を、シンジがさすってやる。…よしよし、気が利くじゃない。バックパックがあるから中途半端にしかさすれないケド、こんなのは気持ちの問題だわ。
「…どうして?」
慌ててシンジが手を引っ込めた。断りなしに触れたのは拙かったかと思ったんだろうケド、そんなに怯えんじゃないわよ。
「なぜ背中をさすったか、ってこと? そのほうが楽になるからだけど…、イヤだった?」
「…いいえ」
よかった。と胸をなでおろしたシンジが、タオルを差し出した。
「はい、タオル」
だけど、ネコみたいに目を細めたレイは、背中を丸めたまま起きようとしない。もっとさすって欲しいって催促してんのかしら?
もちろん、シンジがそんなコトに気付くワケがないわ。
「…」
のろのろと体を起こしたレイは、表面上はいつも通りに見える。けれど、ちょっと乱暴にタオルを引っ手繰った仕種からは、「ナニもない」と言い切った少女とは違うナニかが感じとれた。
それにしてもシンジ、アンタにはもっと女心ってモンを勉強して貰わなきゃあダメね…。
****
レイが脱出ハッチを開けた瞬間、LCLを突き破って拳が打ち出された。完全な不意打ちだったけど、ハッチの狭さとLCLの抵抗で鋭さはない。
のけぞったレイは、かろうじて避けられたみたいね。
「こんの、バカシ…」
顔を出して罵ろうとしたアスカは、肺と気管の中でLCLと空気をブレンドさせて咳き込んだ。出てきてLCLを吐くワケにはいかないから、慌ててプラグの中に戻ってる。
シンジが覗きに来たと思ったんでしょうね。インテリアの陰に隠れるとかじゃなくて、迎撃に出るところがワタシらしいって言えばワタシらしいんだけど…
何ごともなかったような顔して、レイがプラグスーツ持ってハッチの中に顔を突っ込んだ。
「それで、何が起ってんの?」
プラグの上で仁王立ちして、アスカ。ハッチの縁に跪いてるレイを従えるように、ゴムボートに座ってるシンジを見下ろすように。
「ごめん。そこまでは確認してないんだ」
「アンタ、バカ~!? 状況の確認もナシに行動してたって言うの?」
そっちを優先すればしたで、もっと文句言ったでしょうにね。
「アスカたちのほうが心配だったんだよ」
「はんっ!アンタなんかに心配されるなんて、ワタシもヤキがまわったもんね」
あの時の心細さを思えば、アスカとて嬉しくないはずはない。そっぽを向いたその顔の、微妙なゆがみは、ほころびたがる口元を叱りつけてるからだと思うわ。
なのに、こうも素直に喜べないのは、ナゼなんだろう?
結局、すべてが終わって保安部が来るまで放って置かれたワタシには、こうしてシンジに心配してもらえて救け出されたアスカの気持ちは解からない。
今のワタシなら素直に喜んだだろう。それもこれも、シンジの傍に寄り添ってきたからだと思う。
そういう意味でワタシたちは、とっくに赤の他人なのね。
「…行きましょ」
アスカの葛藤なんか興味ないって風情のレイが体勢を入れ替えて、ゴムボートに戻ってこようとする。シンジが差し出した手を一瞬不思議そうに眺めながらも、むしろ進んでエスコートされたように見えたんだケド…
「あ!こら、待ちなさいよ」
続いて降りてきたアスカにも手を差し出すが、こちらは睨みつけられた。
「ちょ~っと救けに来たからって、調子に乗らないでよ!」
「そんなつもりはないよ」
「はん!どうかしらね」
きれいにスルーされた手のひらを、シンジが所在なげに下ろす。
「とにかく発令所に行って、状況を確認するわよ!」
シンジから船外機のハンドルを奪い取ったアスカが、ゴムボートを岸に向けた。
****
発令所にはすんなりたどり着いたケド、結局ワタシたちにできることはないってことで本部棟内で待機ってことになった。
そういえば前回、どうやって使徒を斃したのかしら? 放っとかれたことに怒るばかりで、そういうことまで考えてなかったんだわ。
つづく