「なぜ、あのような戦い方をした」
ムダに広い司令室の、やたらに立派そうな席に着いて、シンジのパパは指を組んで口元を隠してた。
この部屋の広さを目一杯使おうとするかのように、2人の距離が遠い。まるで、そのココロの隔たりをそのまま表しているかのよう。
「最初の一撃を受けて、初号機はろくに戦える状態ではありませんでした。だから使徒の攻撃を封じることにしたんです」
立場が立場、状況が状況なんだから、口調が事務的なのは当然だと思う。だけど、親子の会話の声音とは、とても思えないわ。
皮肉にも、部屋の広さが声を響かせてくれてる。そうでなければ、この距離でこんなテンションの会話、成立しないでしょうね。
「そもそも弐号機を庇おうとしなければ、そんな状況に追い込まれなかったはずだ」
それにしても… 作戦課長を無視して、総司令が直々にパイロットを尋問?
「アスカが避けられなかった攻撃を、僕が避けられるはずがありません」
シンジが、こぶしを握り締めた。
「弐号機が攻撃されている間に、攻撃すればよい」
「っ!…」
シンジが絶句したのをよいことに、総司令のオコトバが続く。
「弐号機パイロットが躊躇ったために初号機の損傷は増した。ならば、庇わずに攻撃したほうが損害は少なかっただろう」
確かに、シンジのパパの言う通り。弐号機を見殺しにすれば、トータルでの損耗はもっと少なかったでしょうね。
だけど、そんな戦い方をシンジがするワケないじゃない。アンタ、自分の子供のこと、ナンにも解かってないわ。
「おまえには失望した。もう会うこともあるまい」
「…どういう、意味ですか?」
「おまえの登録は抹消する。もうエヴァに乗らなくてもいい」
どういうコト? ちょっと初号機の損害が酷かったからって、貴重なチルドレンを解任だなんて。
「かっ!勝手だよ!乗れと言ったり降りろと言ったり」
シンジのパパが目配せするや、黒服が2人がかりでシンジを引きずり始めた。
「父さん!また僕を捨てるのっ!?」
必死で手を伸ばすけど、届くはずもなく。
「父さん、僕はいらない子供なの?」
懸命に呼びかけるけど、ブ厚いドアに遮られて。
「放してっ!放してください!僕はまだ父さんに話すことが」
「仕事なんだ。悪く思わないでくれよ」
なんて言った黒服の顔を、飛んできたエナメルのハイヒールが襲った。駆け込んできたミサトが、勢いもそのままに回し蹴りでふっとばす。
もう一人のアゴに左腕のギプスを突きつけて、
「性分なの、悪く思わないでね」
と、急所に膝蹴りを叩き込んだ。
あ~イッタそ~!体育の時間とかにシンジも2回ほど打ってるけど、名状し難い痛みなのよねぇ。息が詰まるって言うか。腰が砕けるって言うか。
「…ミサトさん。やりすぎです」
同感。
「え? あっいや、その。だって、シンちゃん、なんか必死だったでしょ。…すわ、一大事と思って…」
シンジの嘆息に、なんだかミサトが傷ついたって顔してる。
気持ちは嬉しいですけど…。と屈みこんだシンジが、ハイヒールを拾って、履きやすいトコに置いてやった。
そもそもアタシはシンちゃんを叱りに来たのよ。なのに救けたげたってのに…。とかなんとか、ミサトがブチブチと呟いてる。…いいトシした大人が、人差し指を突き合わせながらグチ言わないでよ。うっとうしい。
「あの…大丈夫ですか?」
屈みこんだままでにじり寄ったシンジが、急所を蹴られた方の腰の辺りを叩いてやる。
「うちのミサトさんがすみません。分別つかなくて申し訳ありません」
「シンちゃん、そんなの放っときなさい」
たぶん照れ隠しなんだろうけど、ミサトがシンジを引きずりだした。
「そんなこと言ったって…」
本当にごめんなさ~い。よ~く言い聞かせておきますから~。と声を張り上げるシンジの口を、ミサトが塞ぐのも時間の問題だったわ。
『…そいえば、シンジ。パパになんか言いたいんじゃなかったの?』
え? 気が抜けた? …あら、そう。
****
シンジは明るく振舞ってたケド、思い悩んでいるのは確かだった。口数が極端に減っていたもの。
驚いたのは、押しかけるようにミサトのクーペに同乗してきたアスカが、そのままマンションの部屋まで上がってきたことだった。こんな時間まで居るくらいだから、今晩はヒカリんちに泊まるつもりはないんでしょうね。
きっと、チルドレンを馘になってしまったシンジが気になるんだと思う。アスカにとっても、思いがけないコトだったと思うもの。とはいえ、さっきの今で声のかけようがあるワケがない。ちらちらとシンジの様子を伺うばかりで、ずっと黙りこくってたわ。
レイはいつもの通りだし。
おかげで、ひとりでテンション上げようとするミサトの浮くこと浮くこと。憐れを通り越して、ぶざまね。
早々に自分の部屋に引き上げてきたシンジが、引き戸を閉めた。ほんのわずか隙間を開けてあるのが、痛ましいわ。
♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪…
ベッドに寝転んで裸電球を見上げたシンジの耳に、携帯電話の呼び出し音。
♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪…
のろのろと手にとって、寝返りを打ちながら通話ボタンを押す。
≪シンジか? パイロットを辞めさせられたってホントか?≫
ってバカケンスケ!? こんの大バカ!このワタシでさえ声をかけづらいってのに!
「…相変わらず耳が早いね」
てっきり絶句すると思ってたのに、シンジは失笑すらしたようだった。
≪……ホントなんだな?≫
「そうゆうこと、喋っちゃダメなんだよ…」
≪なぁシンジ、お前からもミサトさんに頼んでくれよ。俺をパイロットにしてくれるようにさぁ≫
「前に言ったよね。家族に心配かけるから、やめた方がいいって」
≪なんでだよ!畜生…、トウジまでエヴァに乗れるって言うのに、俺は!…≫
ぶつっ。って音がして回線が途絶えたもんだから、てっきりシンジが切ったもんだと思ったわ。
≪ この電話は盗聴されています。機密保持のため回線を切らせていただきました。ご協力を感謝いたします ≫
つー。と不通音。
…
通話ボタンを切ったシンジが、取り落とすように携帯電話を放った。
…
…
…
……
…
…バカケンスケのせいで、声をかけづらいったらありゃしない …
…
… …
…
「…ホントのところ、自分でもよく判らないんだ」
『シンジ?』
「エヴァに乗らなくてよくなって、嬉しいのか、悲しいのか」
…
「もう、あんな痛い目見なくて済む、あんな恐い思いしなくて済むっていうのに、…それが自分の選択の結果じゃないってだけで、なんだか納得がいかないんだ」
相槌を差し挟むことすら憚って、ただ聴くことに徹する。
シンジが口に出してるのは、自分で自分の考えを反芻するためだと思うから。ただ、誰かに聞いて欲しいだけだと思うから。
「それは多分、僕が何のためにエヴァに乗るか、はっきりさせてなかったからだと思う」
…えっ?
シンジは、パパに褒められることにその理由を見出してたんじゃ…?
「…乗らなくていいって言われて気付いたんだ。…僕が考えてたのは、乗せられたことへの言い訳に過ぎなかったってこと」
シンジが再び仰向けになる。見上げる裸電球が、なんだか侘しい。
「僕が求めるべきは、自ら乗るための動機だったんだと思う」
睨みつけるように、目元がしかめられた。いったい、あの裸電球にナニ見てんのかしら?
…
「ほかの人間には無理だから。って父さんが言った」
「ミサトさんはそんな気持ちで乗られちゃ迷惑だって言った」
「アスカは自分の存在を知らしめるために乗るって言った」
「綾波は絆だから乗ると言った」
「ケンスケは憧れてるって言ってた」
「トウジは…、訊きそびれちゃったな…」
… 「僕は、何のために乗ればいいんだろう?」
…
……
シンジの独白はとめどなく、けれど答えの出しようもなく続いた。
そうこうしてるうちに次第にまぶたが重くなって。って、こらシンジ!ちゃんと着替えてフトンに入んなさい。いくら常夏だからって風邪ひくわよ。
こら~!
!
って!!今のみしりって音、ナニ? 廊下? 誰か居るの!なんでワタシ気付かなかったの!?
そうか!バカケンスケからの電話、きっとあれに気を取られてた間だわ!…なんてこと考えてるうちに、忍び足が遠ざかっていった。
…間隔からしてミサトの体格じゃないわ。ううん、ミサトがその気になって、気配なんかさとらせるとは思えないわね。
レイは、そもそもそんなトコに気が回るワケがない。
とすれば、残るはもちろんアスカ。
いったいあのコはナニを考えてここまで来て、ナニを思って立ち去ったんだろう?
ただ一つ判るのは、厳然たる実績を持つシンジがあっさり馘になったと聞いて、あのコもきっと煩悶してたんだろうってコト。自分たちの立場がいかに危ういモノなのか、今度こそ実感したんじゃないかしら。
だからこそ、当事者と話をしてみたいと帰ってきたんだと思う。シンジの部屋の前まで来たんだと思う。
なのに、なぜ引き返していったんだろう。ここまで来ておいて臆するなんて、惣流・アスカ・ラングレィの名折れじゃない?
…
ううん、違うよね。
もし、引き戸の向こうでシンジの言葉を聞いてたんなら、あのコだって想うトコロがあったはず。その上で引き返したってんなら、それはきっと逃げたんじゃないわ。
…アスカ。アンタ、ちゃんと考えていたのね。エヴァとかチルドレンとかそう云うことを抜きに、自分と向き合ってきたのね。だからこそ、そこで引き返せる。
アンタがどんな答えを見出したのか、それとも、答えを急がないことを選択したのか、それは解かんない。
だけど、これでもう。たとえシンクロ率がゼロになったってアンタは壊れたりしないだろうって、それだけは判る。
…嬉しいわ。とても
****
花束抱えて、ファンシーな柄の紙袋を提げて。
…
トウジの後について病室に入ろうとして、シンジがつまづきそうになる。戸口に手をついて、軽く深呼吸。そんなことには気付かずとっとと歩いていったトウジの体の陰から女の子の姿が覗いて、シンジが固唾を呑んだ。
「ナツミぃ、加減はどないや」
「なんや、ニィやんか」
見出しようのない答えを求めたシンジは、参考例を求めて、トウジにエヴァに乗った理由を尋ねた。
「なんや。たぁ、ご挨拶ゃないかい」
「せやかて、みあきたわ」
妹の転院のため。って答えを聞いたシンジに、お見舞いに行ってみれば。って提案したのはワタシ。
『あれって仲悪いの?』
『そういうわけじゃないと思うよ』
「…あれ? おきゃくはん?」
「せや。わしのツレの、碇シンジや」
ベッドの横たわった女の子が、懸命に体を起こそうとする。それを無言で押し止めて、トウジがリクライニングを起こしてあげてた。
「碇って…まさか、ニィやんが どついたっちゅうてた、ロボットのパイロットの人?」
「せっ…せや」
似てない兄妹ねぇ。まぁ、このコにしてみれば似なくて幸いだったんだろうケド。…トウジの妹っていうんで、ちょっと想像が暴走してたわ。
なんとかベッドサイドまで歩いていったシンジが、精一杯の笑顔を。
「はじめまして、碇シンジです」
「はじめまして。鈴原ナツミです。ウチんくのニィやんがなんやヤタケてもうたそうで、ホンマにごめんなさい」
トウジの妹が、頭を下げる。口調の真摯さのワリに申し訳程度だったのは、そうしないと突っ伏しちゃうからでしょうね。…確か、半身不随だとか言ってた。
「もう済んだことだから、気にしないで」
校舎裏に呼び出して、殴ってくれだなんて。男ってホントにバカね。呼び出す方も呼び出す方だけど、受けて呼び出される方も呼び出される方だわ。そこまでしなきゃオシマイにできないってのが、なんとも…ねぇ?
「そうだ。これ、お見舞い。…気に入ってもらえると嬉しいけど」
シンジが、花束と紙袋を差し出した。紙袋の中には、ヒカリの指導のもとに手作りしたマフィンが入ってるわ。
「わあ!おおきに!」
受け取った花束に顔を埋めるようにして、香りを楽しんでる。本当に嬉しそうね。
「うれしいわぁ♪ウチんくのニィやん、ホンにネムたいお人やから、気ぃの利いたお見舞いなんて期待できひんくて」
「なんやてぇ」
「なんやのん」
にらめっこするみたいに睨み合っちゃって。っていうか、小学生と同レベルで張り合うんじゃないわよ…
『…やっぱり仲悪いんじゃない?』
『そういうわけじゃ…ないと思うよ』
「あっ、せっかくだから花束、活けてくるね」
手を差し伸べて花束を受け取ったシンジが、そそくさと病室を後にする。…なによ、シンジも居心地悪くなったんじゃないの?
ナースステーションで花瓶と花鋏を借りてきた。
流しに水を溜めて、浸しながら茎を切る。
花屋さんにオマカセで作ってもらった花束。いろんな花が取り混ぜてあるけど、この鮮やかな黄色はランタナの花かしら。
一体化した花弁が、まるでジグソーパズルのピースみたいね…
…
冷たい水に手を漬けたまま、シンジの動きが止まってた。
…
『…どうしたの?』
我に返ったらしいシンジが、花鋏の水気を切って棚に置く。
…
『…ナツミちゃんの足、ぴくりとも動かなかったね』
…居心地が悪くなったんじゃなくて、居たたまれなくなったのね。
『アンタが悪いわけじゃないでしょ。…それに、トウジだって謝るのはナシって言ってたじゃない』
『それは、…そうだけど』
水揚げした花束を花瓶に活ける。
『…僕がしっかりしてれば、防げたかもしれないかと思うと』
『ヤめなさい、碇シンジ』
バランスを整えるために差し入れられていた手が、止まった。
『あのコの笑顔、見たでしょ。一所懸命に受難と戦ってる。そこへアンタが被害者面して出て行って、どうなるって言うのよ』
「被害者って? 僕が!?」
こらこら、声に出てるわよ。
『アンタがここで出て行けば、相手を傷つけたことで傷ついた、被害者ってコトになんのよ。アンタは謝って気が晴れるかも知んないけど、そんなことされたってあのコのケガは治んないわ』
…
……
…
『…そうだね』
シンジが花瓶を抱きかかえた。病室に戻る決心がついたんだろう。
『あっ、ちょっと待って。10円玉、あったわよね?』
『あったけど…なに?』
『せっかくのお花だもの、長保ちした方がいいでしょ?』
病室に戻ると、マフィンの入った紙袋を巡って攻防戦が展開されてた。
もう食べてしまおうって言うトウジと、シンジが帰ってきてからと主張する妹の間で、熾烈な争奪戦が繰り広げられて… だから、小学生と同レベルで張り合わないでよ。そもそもアンタ、マフィン作る時に同席してて、散々食べたじゃない。それも、ヒカリのお手本を…
シンジが花瓶を窓際に置く。
「わぁ♪すてきやわぁ。
さすがに世界をまもるロボットのパイロットはんは、センスがええんやねぇ。
ウチんくのニィやんとは天地の差ぁやわ」
あれ? と、シンジも思ったんだろう。視線がトウジを向いた。
向けられたトウジはというと、視線を逸らしてトボけてる。
…そっか。アンタ、妹に話してないのね。
心配かけさせたくないし、負担だと思わせたくないから。…アンタ、他はともかくお兄ちゃんとしては合格よ。
また来て欲しい。っていうトウジの妹に、今度はもっと大勢で来るね。って約束して、病室を後にしたわ。
シンジは、何か得るところがあったみたいね。なんだか足取りがしっかりしてるもの。
****
ミサトがパスコードをそのまんまにしておいてくれたから、ケィジまで来るのは簡単だったわ。
弐号機も零号機も搭乗が済んで、出撃を待つだけになってる。
弐号機のレンズが焦点変えたのは、キャットウォークを走るシンジに気付いたからでしょうね。
≪アンタ、なんで…≫
エヴァの外部スピーカーは、この距離では雷鳴のようだわ。思わず耳を塞いだシンジの、足が止まる。
≪ 零号機発進、超長距離射撃用意 ≫
その爆音が、ケィジのスピーカーによって遮られた。
≪ 弐号機、アスカは、バックアップとして発進準備! ≫
≪バックアップ? ワタシが? 零号機の?≫
外部スピーカーの音量、下げなさいよ。シンジの鼓膜が破けちゃうじゃない。
≪ そうよ、後方に廻って ≫
耳を押さえたシンジが、早くケィジから退散しようと再び走り出す。
≪こら!バカシンジ。逃げんじゃない!≫
なんて音波をシンジの背中にぶつけてる間に、零号機が発進してしまった。
≪アンタがそんなトコうろちょろしてるから、ワタシの出番が奪われちゃったじゃない!≫
結局ケィジから逃げ出すことは叶わず、こうしてアスカの怒りの捌け口にされてしまった。
「僕のせいじゃないと思うなぁ…」
≪ナンか言った!?≫
びしゃっ。と打ちつけるような音の暴力に、シンジの全身が総毛立つ。
「…なんでもありません」
≪…だいたい、なんでアンタこんなトコに居んのよ≫
腕組んで見下ろしてるアスカの姿が、目に見えるようだわ。
「だって、使徒が来てるんだよ?」
≪それで? 心配して来て下さったって言うの≫
うん。って頷いたシンジが、手すりに映りこんだ弐号機を見つめる。
≪はんっ。アンタなんかに心配されるだなんて、このワタシもヤキが回ったわね~≫
…
「だって…」
≪なに?≫
こんな小さな呟き、よく拾ったわね。エヴァの外部マイク。そこまで性能良かったかしら…?
「心配なんだから、仕方ないじゃないか」
きっ。と見上げた視線はまっすぐに弐号機を見据えて、ゆるぎない。赤い巨体が、心なしかたじろいだように見えたわ。
…
アスカがどんな反応をするか、とっても興味があったけど、それどころじゃなくなった。
ワタシが良く知ってる光が、こともあろうにシンジに降り注いできたのだ。
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
シンジを照らした光は体の表面で解けると、細い針金のようになって侵入してくる。
痛みはない。痛みはないケド、自分の殻をむりやり剥がされるような不快感は、心が直接感じているとでもいうの?
体中の毛穴という毛穴から侵入した針金は体内をまさぐりながら中心部を目指してる。あらゆる感覚が薄れつつある今、それは肉体的な意味合いじゃないわ。
≪ 敵の指向性兵器なの? ≫
≪ いえ。熱エネルギー反応無し ≫
周囲の音が遠い。
≪ 零号機に異常無し。攻撃手段ではない模様 ≫
≪ いったい使徒は何がしたいの? ≫
まずい。シンジが攻撃されてるってコト、発令所が認識してないわ。
…暗闇の中、差し込む光芒。圧迫と開放。まだ開かないまぶたの上から襲いかかる暴力的な光の渦。周囲から失われた温もり。…奪われた安寧。
いきなり見せ付けられたのは、この世に生まれたときの苦痛だわ。楽園から放逐されたことへの絶望…ってヤツ?
…なにこれ? 使徒は何でこんなものを…
≪ アンタたちナニやってんの!ここよ、ここ!ケィジでシンジが襲われてんの!! ≫
≪ なんですってぇ! ≫
≪ エヴァに乗ってない。無防備なパイロットを狙ったっていうの!? ≫
次に見せつけられたのは、ガラスシリンダーの中に消えてゆく女性の姿。見下ろす窓に押し付けられる手は幼いもので、…あーたん? あーたんって、もしかしてお母さん? あれ、シンジのママなの!?
置き去りにして去っていく背中。…あれってシンジのパパ?
妻殺しの子だと、なじる声。
…ワタシ、シンジの過去を見てるの?
≪ 使徒が心理攻撃? まさか使徒に人の心が理解できるの? ≫
≪ 光線の分析は!? ≫
≪ 可視波長のエネルギー波です。ATフィールドに近いものですが、詳細は不明です ≫
砂のピラミッドを蹴り崩す、足。
3年前の墓参り。逃げ出したあとの後ろめたさまで、ワタシの心に湧き上がらせて。
初めて第3新東京市に来た時の思い出が、飴玉をしゃぶるように丹念に再現されてる。
トウジに殴られた、痛み。
エントリープラグに2人を乗せた時の、不快感。
≪ 冗談じゃないわよ…エヴァ弐号機、発進します! ≫
≪ アスカ! ≫
≪ いいわ、ポジトロン・スナイパーライフルを出して ≫
レイと話してる、シンジのパパ。
ミサトのカレーの、味。
レイに叩かれた、驚き。
荷電粒子砲の、熱。
溺れた時の、苦しみ。
第12使徒に呑みこまれた時の、心細さ。
ガラクタを掘り分けるようにシンジの記憶を食い散らかした光の針が、奥底に沈んでいた獲物に手をつけた、その時だった。
≪ 第7ケィジにて エヴァ初号機起動!! ≫
≪ そんなバカな!シンジ君は!? ≫
急に襲ってきた揺れに、シンジのまぶたが緩む。
≪ 第7ケィジです。確認済みです ≫
≪ 初号機に乗ったの? ≫
眼前に…3本の柱? …むらさき、色の?
≪ 初号機は無人です、エントリープラグは挿入されていません! ≫
≪ 左腕の拘束具を引きちぎっています! ≫
いや、これって初号機の指ぃ!? 手のひらをキャットウォークに叩きつけるようにして、シンジに手を差し伸べたっていうの? あっぶないわねぇ、一歩間違えればシンジ潰れちゃってるわよ。
≪ まさか、ありえないわ!停止信号プラグが挿入されているのよ。動くはずないわ! ≫
≪ パルス消失!停止信号、拒絶されてます! ≫
…確かに、使徒の光の圧力は減ったけど…
白い闇の中から、子供の泣き声が聞こえてくる。
歩み進む先に、小さな人影。
泣いてるのは、幼い男の子。…それがシンジだって、すぐに判ったわ。
目前まで歩いていって、しゃがみこむ。
「こ~ら。男の子がそんなに泣くもんじゃないわよ」
頭を撫でてやると、泣き腫らしたまぶたを上げて、見つめてきた。
「…おねぇちゃん、だれ?」
「ワタシ? ワタシはアスカ。惣流・アスカ・ラングレィ」
視界の隅に見覚えある色の髪が流れていたから、ためらいなく言い切ったわ。
「あすか…おねぇちゃん?」
「そうよ。それで、アナタはだあれ?」
もちろん、知ってるケドね。
「いかり…いかりシンジ」
「そう。それで、そのシンジはどしたの?」
一度は止まってた涙が、またぽろぽろと…
「ぼく…いらないコなの…」
火がついたようにって言うのは、こういうことなのかしらね。なにものをも憚らずに、こんな風に泣けたら、ワタシももっと楽だったのかもしれないわ。
「こ~ら、そんなに泣かないの」
心まで埋まれ。とばかりに、力いっぱいに抱きしめてやる。ワタシが泣くのを我慢してた時、つまんない慰めなんかかけるより、こうしてむりやり抱きしめてくれる人が居れば、…すがりついてでも抱きしめて貰いたい人が居れば、ワタシはもっと素直になれただろうに。
とんとんと、背中を叩いてやる。こんなこと誰にもされたことないのに、なぜこうしてやるべきだとワタシは思ったのかしらね?
……
…
「シンジみたいに捨てられた女の子と逢ったことがあるケド、そのコは泣いてなかったわよ」
…
「…ホントに?」
「ええ。ワタシは、嘘はつかないわ」
他ならぬ、自分のことですもの。
「…」
ぐしゅぐしゅと、一所懸命にすすり上げてる。
「そのコ、つよいコなんだね」
「…そうかしら? 弱いから、泣くことも出来ないのかもしれないわ」
やさしくチビシンジを引き剥がすと、泣いてたことなど忘れたかのようにぽかんとしてる。
「…よわいのに、なかないの?」
「たぶんね」
…
その小さな頭の中で、なにをそう一所懸命に考えているのだろう。必死に眉根を寄せてた。
…いや、幼いからといって何を侮ることがあるだろうか。ワタシだって幼いなりに考えたし、悩んだわ。子供だから無憂だ。幼いから無邪気だ。なんてのは、子供だったコトを忘れてしまった大人の傲慢だもの。
…
「…そのコと、あいたい」
「そう? …そうね。シンジが泣かないようになれば、逢えるわよ」
自分でも眼差しがやさしいのが判る。弟って、こんな感じかしら?
「…なかないように、なれば?」
「ええ、きっとね」
ぐしぐしと目元を拭って、涙の跡を消そうとしてる。
「ぼく…がんばる」
「そう? じゃあ、いつかきっと逢えるわ」
…
あれ? 白い闇が薄れて…きた?
「…もう時間みたいね」
「あすかおねぇちゃん、もうおわかれなの…?」
立ち上がったワタシを見上げるチビシンジの目に、また涙。
「こ~ら、もう泣かないんじゃなかったの?」
涙は止めどようもないケド、懸命に拭ってる。
「よしよし。泣かないで前をしっかり見てれば、また会えるわ」
がしがしと頭を撫でてやって、にっかりと笑ってやる。
「またね、シンジ」
「うん、またね。あすかおねぇちゃん」
チビシンジが、むりやり笑顔を作った。
≪ 加速器、同調スタート ≫
戻ってきた視界は狭くて、ひどく霞んでる。シンジはまだ、意識を取り戻してないのね。
≪ 電圧上昇中、加圧域へ ≫
キャットウォークとは反対側、ケィジの奥のほうに丸く切り取ったような闇があった。
≪ 強制収束器、作動 ≫
≪ 地球自転および重力誤差修正0.03 ≫
LCLや空気、固定されてない軽い物が、その闇に吸い込まれていってる。
≪ 超伝導誘導システム稼動中 ≫
≪ 薬室内、圧力最大 ≫
シンジは何かに守られてるのか、髪の毛の一本すらそよいでないみたいだケド。
≪ 最終安全装置、解除 ≫
≪ 解除確認 ≫
闇に突っ込まれた初号機の腕が、なにか光り輝くモノを鷲掴みにしていた。
≪ すべて、発射位置 ≫
闇の中、光り輝くモノの向こうに見えるのは、…月? じゃあ、あの闇って宇宙空間で、光ってんのは使徒? エヴァって、こんな真似も出来るの!?
≪ 撃てぇい! ≫
≪ いっけーーーー!! ≫
聞こえるはずのない破砕音をシンジの耳に残して、使徒の中心部が潰れる。
不機嫌そうな唸り声を転がして、初号機が闇から右腕を引き抜いた。
抉りきるように捻った指先は、まだ引き絞られたカタチのまま。まるで力を振るい足りないとでも云うように震えていて、なんだか怖い。
蒸発する水溜りのように縮んでいく闇の中で、使徒の残骸が青白い光線に貫かれた。
つづく
2007.08.15 PUBLISHED
2007.08.22 REVISED