本部棟内の四ツ辻で、アスカと鉢合わせる。
「居た?」
「ううん、コッチには居なかった」
今朝、朝食の時間にレイが食卓に現れなかった。アスカに様子を窺わせたが、自分の部屋にも居なかったのだ。
本部に来てることは記録から判ったケド、その後の行方が杳として知れない。MAGIですらトレースできてないっていうから驚きだわ。
戦自が攻めてきてる今、それは命にかかわる問題だった。
「じゃ、僕はこっちを」
「うん、ワタシはコッチ」
それぞれの針路をそのまままっすぐに、交差しようとした時だ。
≪ シンジ君、アスカ。ゴミンね、時間切れよ。そろそろテキが本部棟に取りつくわ。早くエヴァに乗って! ≫
問答無用の全館放送は、ミサトの声で。シンジの無理を聞いて、こうしてレイを探す時間を作ってくれてたのだ。
…
アスカと顔を見合わせ、ケィジに向かって走り出した。
****
弐号機はジオフロント内に、初号機は第3新東京市に出撃して、それぞれに侵攻してきた戦自部隊と対峙することになった。
ところが、第3新東京市にはまだ戦自部隊が入り込んでいない。本部棟では、もう発令所にまで取り付きだしてるってのに。
だから初号機は、第3新東京市周辺のゲートを潰して回ってた。敢えて戦自部隊を撃退しなくてもイイ。ってのがミサトの指示。後続を断ってくれればそれで充分、だと。
だから外輪山の麓に沿って、東南から反時計回りにゲートを潰してきた。
案外この配置は、こうなるコトを判ってたミサトの配剤かもしれない。ジオフロントでは、戦自部隊相手にアスカが容赦ないらしいもの。
だけど、何かがおかしい。って思いが拭いきれない。ジオフロントを陥とす気なら、もっと進出してこなくちゃ…。郊外のゲートが使えなくても、市街までくれば侵入ルートには事欠かないのに。
ヤツらが展開して来ない理由が、ナニか…
第3新東京市の西南部まで来て芦ノ湖に突き当たる。ケーブルを付け替えたシンジがふと見下ろした先には、例の運河。…って、ナニ? 今、水面に映った光は?
『シンジ、上!!』
「なに?」
見上げる初号機の視界の中。プラグのスクリーンのド真ん中に、空から落ちてくる光点。たった一つなのは、きっと…
『N2!?』
「えぇっ!!」
そうか、そういえばあの時ジオフロントの天井がなくなってた。てっきり零号機の自爆の時だと思ってたケド、N2兵器だったのね。
『シンジっ!!』
「フィールドっ!全っ開!!」
空が歪んで見えるほどのATフィールドを展開しながら、ケーブルをパージさせて初号機が駆け出した。
第10使徒戦をはるかに超えるスピードで、その落下地点に廻り込む。
N2だろうがナンだろうが、爆発物ってノは基本的に上に向かって爆炎を上げるモノだ。完全に密封しろってんならともかく、爆圧の底を支えるぐらいエヴァなら、そのATフィールドなら朝飯前だった。
『シンジ、まだ来るかも知んない。パレットライフル』
頷きだけ返したシンジが、構えようとして初号機が手ぶらなのに気付く。
あれ? と振り返る初号機の視線の先、パレットライフルが例の運河に半ば沈んでた。さっき駆け出したとき、思わず投げ捨ててたんだわ。
『あれはダメね。新しいノ、出してもらいなさい』
うん。と頷いたシンジが、発令所への回線を開いた。
「ミサトさん。ライフルをお願いします」
…
映像が繋がんない。
≪ …解かったわ、シンちゃん。悪いけど、こっちはこれから… ≫
発砲音
≪ 言い寄る男どもをあしらわなきゃなんないから、手が離せなくなりそうなの… ≫
今度は爆発音
レイを探す時間を作ってくれた分、戦自のジオフロント進攻は容易くなったんだろう。そのツケを、ミサトはきっと今、支払ってる。
≪ …兵装は適当に武器庫ビルに上げとくから、そっちはお願いね ≫
この間も、シンジはぼうっとしてない。手近の電源ビルからケーブルを繋いだ。
「…解かりました。気をつけて」
≪ シンちゃんもね… ≫
回線が向こう側から切られた。…ううん、切れたんだわ。
間近、9番の武器庫ビルが開く。収められてたライフルをシンジが取り出した。
『シンジ、来たわ』
今度はものすごい数。もしあれが全部N2なら、芦ノ湖が芦ノ湾になっちゃうわね。
さっきより落下速度が速い。ICBMだとしたらマッハ30を超えるんだろうから当然だケド。
シンジがライフルを斉射し始めた。…だけど、効果があるようには見受けらんない。ターミナル・フェイズのICBMを迎撃するのは至難だって、レクチャー受けたことあったっけ。1万発の弾体をバラ撒くスウォーム・ロケットを何基も投入してやっとだとか。
ぎりぎりまで粘って、シンジがライフルを捨てる。
「フィールド!全開!!」
幸い、N2弾頭じゃなかったみたい。だけど、小さな爆発でもこう連続して、立て続けに爆発されると堪えるみたいね。
シンジが呻いてるもの。
…
N2、ICBMと来て、次は… もしかして、そろそろエヴァシリーズ?
『シンジ、15番のスナイパーライフル。弾倉も持って外輪山に登ってみましょ』
「うん」
スナイパーライフルを担いで、初号機が郊外に向かう。東の尾根なら、ぎりぎりケーブルが届いたハズだ。
威力の点でホントはポジトロンライフルを使いたいトコだけど、陽電子はデリケートすぎてMAGIの支援がない状態では命中率に不安がある。
…ポジトロンスナイパーライフルに至っては、そもそも専用ケーブルが届きっこないだろうし。
N2やICBMでの攻撃は、もうないと思う。だけど、遠巻きに展開してる戦自部隊は進攻を始める様子がない。それこそが、エヴァシリーズが出てくる証拠なんじゃないかと思うんだけど…
落ち着かなげにシンジが見やってる。
『どうせ大したことは出来ないわ。念のためフィールドだけ展開しておいて、無視しなさい』
今は、それドコじゃないのだ。
頷きつつも不安を拭いきれないらしい。シンジがしきりに振り返りながら外輪山を登った。
外輪山の稜線から顔を出した初号機の視界に、九つの輝点が映る。シンジも気付いたんだろう、拡大画像に切り替えた。陽光を反射して鈍く輝く黒い機体は、ウイングキャリアー?
『…思った通りだわ。シンジ、撃ち落とすわよ』
解かった。との返答もおざなりに、スナイパーライフルを下ろした初号機が二脚を設える。
バイザーを下ろし、先頭のウイングキャリアーがレチクルの中に納まるのを待った。MAGIの支援がないから、遅々として進まない。
…
いらいらするけど、ここはガマン。なんたってこの距離だと、射撃というより砲撃になる。素人照準では当たりっこないから、コンピュータにお任せするしかないのだ。
ようやくレチクルがウイングキャリアーを捉えた。すかさず放たれた砲弾は、先頭をそれて2番手の翼端を削る。…どうやら風に流されたみたい。
だけど、エヴァと云う重量物を抱えて力技で飛んでるウイングキャリアーには、それで充分だったようね。途端に隊列を離れて、高度を落としてく。密集して飛んでてくれたから、ラッキーストライクだったわ。
慌ててウイングキャリアー達が散開し始めたケド、そういう機動が出来るような機体じゃない。のろのろと拡がっていくさまは、せいぜい微速度撮影したツボミの開花ってトコ。…なんでエスコートが付いてないんだか、理解に苦しむわね。
初弾の結果を元に、コンピュータの計算も早い。2発目は見事に先頭の機体を撃ち抜いた。
このままターキーショットで大半を撃ち落せるか。と思った途端に、アラート。
「内部電源に切り替わった?」
ケーブルが切られたらしい。きっと戦自部隊の仕業ね。ちょっと侮りすぎたか。
『次の照準に向けてありったけ撃っちゃって。それからケーブル繋げ直しにいくわよ』
解かった。と言い終わるころには弾倉が空になった。ソケットをパージしながら、山肌を駆け下りる。
…エヴァシリーズ。
あん時、一度は斃したと思ってたヤツらは、そのあと平気で飛んでいた。よほどの回復力があるのか、そもそも些細な損傷など気にしないのか。
…と、すれば、起動前に潰しとくのが一番。
今ので数を減らせたなら、…いいんだけど。
市街に戻ろうとする初号機を、砲撃が出迎える。1万2千枚の特殊装甲にモノをいわせて強行突入した初号機が、器用に戦自部隊を跳び越えた。
電源ビルに取りついて、ATフィールドを張りながらケーブルを繋ぐ。
振り返って見上げる先、外輪山の上空にエヴァシリーズ。…墜とせたのは2体だけ、か。
「なに…、あれ?」
『さっきノが運んできた、エヴァシリーズよ』
「エヴァ!? どうして?」
『戦自が…、つまり日本政府が襲ってきてんのよ。他の、エヴァ建造国が敵に回ったっておかしかないわ』
やはり戦自部隊は進攻してきてない。遠巻きに包囲したままだ。…エヴァシリーズはここを戦場にするつもりなのね。
「…なんで?」
『シンジ、そういうのは後。今は、ここを護ることだけ考えて』
「でも、エヴァってことは、あれにもやっぱり、人が…子供が乗ってるのかな? 同い年の…」
…
第3新東京市上空に到達したエヴァシリーズが、ぐるり。と輪を描き始めた。
『…多分、あれはダミープラグよ』
「ホント!?」
嘘だ。そんなコト、判りっこない。
『ええ。カヲルを別格とすれば、10年で4人しか見つからなかったチルドレン。今さら9人も、集めよったって集まるもんじゃないわ』
口から出任せってヤツ。もちろん、まるっきり根拠がないわけじゃないわ。もしパイロットが乗ってるなら、あれほどの損傷を受けて意識を保っていられるはずがないもの。
「そっか…、そうだよね」
『それより、7体も初号機だけで相手してらんないわ。アスカと連絡つけてみて』
開いた通信ウィンドウは砂嵐で、かろうじて音声のみ。アンビリカルケーブルに仕込まれた有線通信がこの有様だとすると、かなりインフラを潰されたんだろう。どれだけバイパスされてんだか…
≪ …なによ。こっちは手一杯よ ≫
「エヴァが7体も出てきたんだ。僕だけじゃ手におえないよ」
≪ エヴァ…シリーズ!? 完成していたの? ≫
みたい。とシンジが頷く。
≪ ミサト!エヴァシリーズが7体も出て来たってシンジが言ってるわよ ≫
発令所との通信が復活してたらしいと見て、シンジも繋ごうとする。
≪ …ごみ~ん。こっからじゃあ、地上の様子が確認できないわ… ≫
弐号機越しのミサトの声は、案外元気そう。いや、ミサトのことだもの…
≪ …いいわ、アスカは地上に出て。21番が確保できそうだから、そっちに… ≫
≪ 大丈夫なの!? ≫
発令所と繋ごうとした通信ウィンドウは砂嵐で、音声は土砂降りだった。
どうやら、地上から直接の通信は無理みたいね。案外、ジオフロントはまだレーザー回線が生き残ってんのかも知んない。
≪ …やつら、MAGIが欲しいみたいだから、あんまり手荒なことして来ないわ。大丈夫よん♪… ≫
≪ 解かった、気をつけなさいよ。…シンジ、今上がるから、無理すんじゃないわよ! ≫
うん。とシンジが頷いた途端、初号機を囲むようにしてエヴァシリーズが降り立った。
アンビリカルケーブルを電源ビルから引き出せるだけ引き出して、武器庫ビルからパレットライフルとスマッシュホークを取り出す。
翼をしまいこんだエヴァシリーズがにやりと嗤って、一歩踏み出した。
21番からだと、選べる出現位置は5ヶ所になる。ミサトのことだから…、
『シンジ、南側に強行突破!』
「? …そうか!」
パレットライフルを乱射しながら、初号機が駆け出す。
ワタシの意図を、シンジは理解したらしい。囲みを抜けるや身を翻して、牽制の銃弾をバラ撒きながら後退さっていく。
まんまとエヴァシリーズどもがこっちに惹きつけられた瞬間、21番の射出口から弐号機が躍り出る。
案の定ロックをかけてなかった弐号機が、上空でソニックグレイブを振りかぶった。
≪ ちゃ~んす♪ ≫
映像は繋がんないけれど、どんな顔してるか見るまでもないわね。
初号機から見て最後尾に居た1体の正中線に、光が走る。きれいな一直線。
左右に泣き別れる白い体躯の向こっ側で、ゆらりと弐号機が立ち上がった。
≪ エーステ! ≫
異変に気付いたエヴァシリーズどもが、無防備に振り返る。それを見過ごすほど、シンジももうアマチャンじゃあないわ。
すかさず先頭の1体に駆け寄って、スマッシュホークをその頭に叩き付けた。
『まだっ!』
「えっ?」
『あのダミープラグよ。きっと、この程度じゃ止まんないわ』
そっか…。と呟いたシンジが、スマッシュホークを引き寄せる動作でエヴァシリーズを引き倒す。
『首を刎ねるか、プラグを潰すか』
一瞬躊躇したシンジが、スマッシュホークを白い首に振り下ろした。位置的にプラグにはかすってもないだろう。ヒトが乗ってないと思ってても、やっぱりできないか。
切断しきれなかった頸椎を絶つために、スマッシュホークの峰にかかとを落とす。
『下がって!』
跳ねるように退いた初号機をかすめて振り下ろされた刃が、横たわったヤツに止めを刺した。
≪ ツヴァ~イト! ≫
頭部を半ば斬り飛ばしたエヴァシリーズを蹴倒して、弐号機が次に襲いかかる。
…やはり、あれで斃したと思ってるわよね…
『…シンジ、アスカにっ』
「アスカ、もっと徹底的にやったほうがいいと思う」
≪なによ、ワタシに指図しよっての!?≫
そういうわけ…じゃないけど…。と刃をかいくぐったシンジが、スマッシュホークの天面でアゴをカチ上げた。横手から斬りかかってきたヤツから隠れるように、のけぞったヤツの横手に。
「こいつら、…ダミープラグってヤツだと思うから」
同士討ちしそうになって戸惑ったヤツに、のけぞったヤツを蹴りつける。
≪ …そう? ≫
その声音に、不快感を滲ませて。
≪ そうかもね ≫
今しがた顔を握りつぶしたヤツをそのまま引き寄せて、延髄にソニックグレイブを突き立てた。柄を短めに持って、捻るようにエントリープラグを抉り出す。
真っ赤な…、あれがダミープラグ?
≪ こんなモンにっ! ≫
掴み取ったプラグを、弐号機が躊躇なく握りつぶした。
≪ ドリ~ット! ≫
…さっきの不機嫌さは、ダミープラグに対してか。自分の存在意義を奪いかねないモノが、今まさに目の前に具現化されてるってワケね。
振るわれた刃をバク転で躱した弐号機が、そのままの勢いで蹴り倒してたヤツを踏み潰す。
≪ あらためて、ツヴァイト ≫
牽制に片手でソニックグレイブを大振りして、エヴァシリーズが怯んだ隙にケーブルを繋いでる。ソツがないわね。
『シンジっ!』
ワタシが弐号機の様子を見てるってコトは、シンジがそれを目で追ってるってコト。
…エヴァシリーズから目を離して。
起き上がった2体が、挟み込むように刃を振るってきた。
「ぅわっ…!!」
片方をスマッシュホークで受け止め、片方には弾丸を撃ち込む。
右側はいい。スマッシュホークがかろうじて受け止めた。
だけど左側は、ストッピングパワーなんかないパレットライフルじゃ、多少蜂の巣にしたって刃の勢いは止めらんない!
ライフルを真っ二つにした刃が、初号機の左腕に喰いこんだ。
「ぐっ…がぁああ!」
シンジが左手に力を篭めて、初号機の、半ば絶たれた筋肉で刃を押さえ込む。
スマッシュホークを半回転させて右側の刃を巻き込み、左側のエヴァシリーズに向けて押し込んだ。
引き摺られて体を泳がせた右側のヤツの方へと踏み込むと、避けようとした左側のヤツの動きとあいまって、左腕の刃が抜ける。
痛みと血の噴き出す感触に、シンジが顔をしかめた。だけど怯むことなく、スマッシュホークを右側のやつの首元に叩き込む。
≪ そいつらでっ!ラストぉ~!! ≫
シンジの目の前に、真っ赤な手のひらが突き出された。
弐号機が、2体まとめて貫き手でブチ抜いたらしい。ぐっ、と握り締められる。
引き抜いたその手を、勢いもそのままに背後にかざす。
空気をゆがませるほどのATフィールドで受け止めたのは、飛来してきた刃!? あれって!!
『シンジ!あれっ!!』
刃が、たちまちロンギヌスの槍に変形した。
≪ なに!? ≫
弐号機のATフィールドを貫いた槍を、スマッシュホークと添えられた初号機の左腕がかろうじて受け止める。
「ぐっくぅうう!」
≪ シ…ンジ… ≫
それにしても、コイツ…どこからやってきたっての?
痛みにしかめられた眉の下の、狭い視界で、槍の飛来してきた方向を見据えた。
投擲体勢から身を起こしたエヴァシリーズが1体。いやらしい嗤いを浮かべる。
無傷? …こんなに見事に回復するっていうの? この短時間で?
…いや、違う。あんな位置で斃したヤツ、居ないもの…
そうか!ウイングキャリアーごと墜としたヤツ!起動できたヤツが居たんだ!!
≪ どっから涌いて出たの! ≫
初号機の陰から出て駆け出した弐号機が、≪ きゃっ! ≫ たちまちコケる。
「アスカっ!?」
倒れた弐号機の、その足首を、エヴァシリーズが掴んでた。
首なしのソイツは、きっとシンジが最初に斃したヤツ。
「!っつぅ…」
駆け寄ろうとしたシンジは、鋭い痛みで引き留められた。見やる右の二ノ腕に、噛み付いてるのはエヴァシリーズ。左のふくらはぎも噛み付かれてんだろう、痛みが同じだから見るまでもない。
≪ ぐぅっ!こんのっ…放せってのよ!! ≫
慌てて見やった先で、弐号機が組み伏せられていた。足首を掴んで倒したヤツ以外に2体。蹴り潰したヤツとプラグを握りつぶしたはずのヤツ。その向こうで、アスカが4体目として斃したであろうヤツが、顔をヤマアラシにしたまんまで起き上がった。
…あそこまでやって、回復すんの。こいつら…
…
そうか…、完全に胴体を分断したヤツだって居たのに回復してたことを思えば、この程度の損傷、問題じゃないってコトなんだ。
弐号機を押さえ込んでるエヴァシリーズどもがそろって、ぐひぃ。と嗤う。首のないヤツまで嗤ったように、見えた。
「アスカっ!!」
不穏な空気を感じ取って、シンジが駆け出そうとする。だけど、2体のエヴァシリーズを振りほどけるほどのパワーが出ない。
「やめろぉぉぉおおおお!!!」
今まさに、弐号機に喰いつこうとしてたエヴァシリーズどもが、不意に動きを止めた。
のろのろと、西のほうへと顔を向けていく。初号機に噛み付いてるヤツもそうしようとしたので、初号機も一緒になって西を向かされる。
…
例の運河に、なだらかな白い丘が2つ現れた。その向こっ側、外輪山のふもとにモひとつ、少し鋭峻なのが。
三つの丘は盛り上がって、たちまち地続きになる。これって…? このラインって…?
…
地面も水面も無視して起き上がってきたのは… …巨大な、エヴァより巨大な女の肉体。その上半身だった。
起き上がった勢いで俯いたソレが、耳障りな呼吸音を響かせる。
…
シンジの両手が顔を覆った。…だけど、大きく開いた指の隙間はロクに視界を遮んない。きっと、見ないほうが恐いんだろう…ううん、ワタシも恐い。…恐いわ。
ゆっくりと面を上げた、その顔は…
「あやなみ… 」
真っ暗な洞窟そのものの眼窩に申し訳程度の瞳を赤く灯してるけど、それはレイだった。
「 …レイ!」
ぐっと下ろしたまぶたが見開かれたとき、レイのあの赤い瞳がシンジを見詰めてた。髪も眉も、何もかもが作り物めいて白い中で、そこだけが赤い。そのなかに初号機が、なぜかシンジが映っていて…
「うわぁぁぁぁああああああああああ!わぁあああああああああ!!ぁああああああああああっ!!!」
≪ なっなに? なにが起きてんのっ!? シンジ? どうしたの!? ≫
組み敷かれてる弐号機からでは、状況が判んないんだろう。今のインフラ状況では、初号機視点の映像にリンクすることも出来ないだろうし。
シンジの悲鳴からただならぬ事態だと推測はしたんだろうけど、ちょっと緊張感が足りないみたい。
ま、おかげでワタシも冷静になれたんだけどさ。
「ああああああああああ!」
『シンジっ!落ち着いて!』
≪バカシンジ、なにが起きてるか訊いてんでしょ!≫
シンジの目は、レイの赤い瞳に吸い寄せられて、微動だにしない。
「わぁあああああああああ!!」
『シンジ!話を聞きなさい!!』
≪こらっ!いつまでも悲鳴あげてんじゃないわよ!!≫
こんなとき、声をかけることしか出来ない自分が歯がゆくなる。…だけど、だけど…
「ああああああああ!くわぁっ!ぁああああああああああっ!!」
『シンジっっ!!アンタには、ワタシが居るでしょっ!!!』
≪シンジっっ!!いい加減にしないとぶつわよ!グーよグー!≫
…
詰まらせた悲鳴を、ゆっくり呑み下して、シンジの視界が閉ざされた。
…
『…シンジ?』
≪…シンジ?≫
「…ごめん。もう…大丈夫」
暴れまくる心臓を押さえながらじゃ、説得力ないわよ。…だけどまあ、よく踏みとどまったわね。
呼吸を整えたシンジが、ゆっくりとまぶたを上げる。
初号機が見上げる目前に、巨大なレイの顔。落ち着いて見れば、ひどく優しいまなざしで見下ろしていた。
…
『…これって、綾波なのかな?』
『それは判んないわ。使徒の擬態かもしんないしね』
≪ちょっとシンジ!ホントに大丈夫なの? いったいナニが起きてんのよ!≫
訊かれたシンジが困ったように周囲を見渡すんだケド、そんなトコに答えが落ちてるワケがない。結局また、妙にほほえましげなレイの顔を見上げる。
「…ごめん。どう説明していいか、よく判んないよ」
≪アンタ、バカ~!? 見たままを言えばいいのよ見たままを!≫
って…言われても、ねぇ?
…
「ねぇ…綾波? …綾波なの?」
おずおずとシンジが語りかけると、おっきなレイが2度3度とまばたきした。そういえば、さっきまでしてなかったような…?
「…碇…君」
呟いたレイは、その大きさとウソ臭い白さを別にすれば、いつものレイだった。
それにしても、浮世離れしてるとは思ってたけど…。レイ、アンタ。人間離れまでしよっての?
「綾波? …どうしちゃったの? …使徒に乗っ取られた…とか?」
≪えっ!? レイ? 見つかったの? って、使徒に乗っ取られたとかってナニよ!≫
ひとり事情が呑みこめないアスカが声を荒げるケド、目の当たりにしてるワタシたちだってなにが判ってるってワケじゃない。
「…私は、このときのために作られた道具だったわ」
「道…具? 綾波が? …なんの?」
…これを…。と右手で押さえたのは自分の胸元。
「…思いのままにするための」
そっ…。って声を張り上げかけたシンジが、ぐっ。と、呑み込んだ。
「何を…、綾波。…君が何を言っているのか解かんないよ。綾波…」
僕はこんなのばっかりだ…。って、シンジが口ん中で言葉を殺した。通信越しに喚くアスカの声も、聞こえてないみたい。
シンジの視線が右手に落とされた。ゆっくりと握りしめたのは、カヲルのときのコトを思い出してるからだと思う。
なにもできずに、殺めることしか出来なかった友達のことを…
『もういいの?』
応えることに抗ったのか、シンジの視線がこぶしから逸らされる。
…
『諦めても、いいの? …カヲルのときと同じで、いいの?』
力を篭めてしまった右手を、慌てて開いて、
「カヲル君…」
なにを拭おうとしてか、左手で懸命に擦ってる。
…
「僕は、君のことを…」
…
そうしてシンジは、確かめるようにゆっくりと、こぶしを握り締めた。
「それを思いのままに出来るっていうんなら…」
見上げたレイの顔を、まるで睨みつけるように。
「綾波、帰ろう!一緒にミサトさん家に、帰ろう!」
…
「…それが、碇君の願い?」
こくん。と、レイから目を逸らさずに頷いた。
…
「…ヒトの姿をとることは出来る」
じゃあ!と意気込むシンジを拒むように、わずかにかぶりを振って。
「…この力を宿したままでは、諍いを呼ぶもの」
ソレがなんなのか判んないけど、こんなのがあると判れば、こんなものを使えるとなれば、それは確かに争いの種になるでしょうね。
使徒との生存競争じゃなくて、ヒト同士の欲塗れの戦いが始まるってコトか…
…
そんな戦いにシンジを巻き込みたくない。そう、考えてんのね?
「綾波が道具だとか、諍いが起こるとか、そんなことは僕には解かんないよ!」
固く握りしめたこぶしを突き出して、…開く。
「だけど、綾波。君が簡単に諦めようってんなら、僕はまた、ぶつよ」
レイが、その左頬を押さえた。第16使徒戦後に、シンジにはたかれた時みたいに。
「僕だけじゃない、アスカもぶつよ。きっとグーで」
おっきなレイが、そうと判るくらいたじろいだ。
≪ちょっとシンジ!ホントに大丈夫なの? なに独り言喚いてんのよ!≫
…レイの言葉、アスカには届いてないみたいね。まあ説明のしようもないし、いっか。
でも、アスカの言葉はレイにも届いてるみたい。ちょっとしかめてた口元を、徐々に綻ばせているもの。
…
口を開きかけたレイが、なぜか閉じた。
『…ひとつだけ、手があるわ』
『『えっ??』』
あれ…? 今の…
『今の、レイ?』
『ええっ?? …さっきのが、綾波?』
ココロの声は肉体的特徴を伝えないみたいだから、性別すら判然としないケド。
『…ええ。直接、語りかけてるわ。貴女と話さなければならないから…』
『つまり、ワタシに関わるのね?』
『どういうこと?』
おっきなレイは頷くと、視線を少し、初号機の周囲に巡らせた。
急に戒めから開放されて、初号機がつんのめる。
見れば、エヴァシリーズが倒れてた。どうやらレイの仕業みたいね。
『…貴女は、この宇宙で生まれたココロじゃない』
差し出されたレイの右手。誘われるままにシンジが初号機を載せた。
そうなの? ってシンジが訊いてくるけど、ワタシに答えようがあるはずがない。
『…貴女は、他の宇宙からやってきたココロ』
そうなんだ。そっか、幽霊じゃなかったのね。
ん? …だからって、幽霊じゃないってコトにはなんないか。
『…その貴女にこの力を託せば、貴女は元の宇宙に戻れる。この力を持ち去ってくれる』
なるほどね。
『レイは力を失って、普通の人間として暮らせる?』
初号機を載せた右手をそっと引き寄せながら、『…たぶん』と頷いた。
…
『ちょっと待って。それって、アンジェが居なくなっちゃうってこと?』
『そう…なるんでしょうね』
『ヤだよ!ずっと一緒に居てくれるんじゃなかったの!?』
憤りをどこにぶつけていいのか、判んなかったんでしょうね。握り締めたこぶしを、レバーに叩きつけた。
『シンジが望むなら、それでもいいわ。…でも、レイの話しを聞いてたでしょ。レイかワタシか、二者択一なのよ』
『そんな…』
できるものなら、このままシンジの心を見守って居たい。…だけど、ここではワタシは異物なんだ。本来、居るはずのないココロなんだ。
…だから、シンジにはレイを選んで欲しい。この世界で、独力で生きていくことを決意して欲しい。
…
鼻の奥が、熱い。
固く閉じたまぶたから、涙が溢れて溶けていく。
お願い、シンジ。泣かないで…。アンタが泣くと、ワタシまで悲しくなっちゃう。決意が揺らいじゃうじゃない。
『アンジェには、帰るべき場所があるんだね…』
『…そうみたいね』
…
シンジが、目頭を強く擦る。
『カヲル君が言ってたよ。帰る家があるのは良いことだって。幸せなんだって』
…
必死で涙を押し止めようと、強く強く擦ってる。
…
……
結局止めようがないまま、シンジがむりやり微笑んだ。
『だから、アンジェ。…今まで、ありがとう』
『…シンジ』
…
決然とシンジが見上げると、レイが頷いた。
…
ゆっくりとまぶたを閉じたレイは、祈るように面を上げる。
…
?
その身体が、小さくなっているような? …ううん、見間違いじゃない。みるみるうちに小さくなっていったレイが、初号機の真ん前で宙に浮いてた。
おずおずと差し出された初号機の手のひらに、ふんわりと着地。身体はまだ白いままだけど、普通の人間サイズに戻ったみたいね。
巡らせた視線は、初号機の背後に。
≪あれ…? どうしちゃったの? こいつら?≫
弐号機を組み伏せてたエヴァシリーズも擱座したのね。
しゃがみこんだレイが、初号機の手のひらに両手をついてる。その身体が、徐々に色付いてきた。いや、あの作り物めいた白さが抜けて、本来のレイの色を取り戻していってるのね。
…
今頃になって、レイがあられもない格好してるって気付いたらしいシンジが顔をそむけた。…まぁ、さっきまでの真っ白い身体じゃ、石膏像みたいでそうとは思わないわよね。
視線をそむけた先に、弐号機。エヴァシリーズを振り落とそうとしてる。
その姿が、ダブって見えた。
あれ? っと差し伸べたシンジの手が、残像を残す。…いや、残像じゃない。染み出すようにして白い手が浮き上がってきてんだわ。シンジの手から。
視界がダブってんのは、同じモノを違う距離から見てるから…みたい。
驚いて視線を戻す先で、左手からも脚からも、白い肉体が浮き上がろうとしていた。
ぅわっ。と口を開いたみたいだけど、声にならない。その時には顔からも浮かび上がってきてたんだろう。
…
ダブってた視界から、距離が遠い方の映像が消えていく。
…
さっきより、プラグの内壁が近い。
視界の端をたなびく、伸ばした髪。不自然なまでに真っ白だけど、見覚えのある長さで。
そして、背中に感じるぬくもり。
「…アンジェ?」
久しぶりに、シンジの声を聞いた。
ココロの、無機質な声ではなく、伝導の関係で聞こえる低い声でもない。…あの、頼んない声。LCL越しの声を直接聴くのは、弐号機に一緒に乗ったとき以来ね。それでもシンジの肉声には違いなかった。
とっても懐かしくて、目頭が熱くなる。
…視界の端に、歩いてくる弐号機の姿。シンジには見えないように通信のボリュームを絞った。今は、邪魔されたくない。
「…アンジェ、だよね?」
返事はせずに、ただ頷いた。
「…その、…今までありがとう」
かぶりを振る。
今なら万感の思いを篭めていろんなコトを言ってやれるはずなのに、喉が詰まって言葉が出ない。
ううん。なにを言ったって、言葉はしょせん言葉。伝えられるものには限りがある。
だから…、
振り返るなり、ぎゅっとシンジを抱きしめてやった。
長い髪が邪魔して、顔は見えなかっただろう。…それでいい。
かき乱されたLCLに誘われて、涙が溶け流れた。
シンジの温もりのせいで、きっと涙腺が緩んだんだと思う。でなきゃ、このワタシがこんなことくらいで…
…
あれ?
なんでワタシ、こんな意地っ張りに戻ってるの? ワタシのココロなのに、自分の気持ちに素直じゃない。せっかく自由になる肉体を手に入れたってのに、こんな意地っ張りなココロじゃ意味がないじゃない。
…もしかして、この身体のせい? それとも、肉体を手に入れたから?
ううん、そうじゃないわ。ワタシのココロがシンジから離れたから。きっと、シンジの弱さや優しさや内向性ってモノに、…シンジのココロに、少なからず影響されてたんだと思う。
だから、こうして肉体を得た今。ワタシのココロは、昔の意地っ張りなワタシに戻りつつある。
ダメ!アスカ。素直にならなくっちゃ。
今の自分を肯定できなきゃ、次の一歩は踏み出せないもの。
なによりワタシは、今のワタシが弱いってコトを知ってるじゃない。泣くぐらい当然だって、判ってるじゃない。…ううん。泣けるぐらいに毅くなってるって、自分のことを信じられるじゃない。
だからこの涙は、別れを惜しんで寂しいワタシの気持ち。認めなさい、ワタシのココロ。
…
頬を寄せていると、お互いの涙が溶け合うようだわ。
こういう距離を、オトコノコと共有する。それもまた幸せかもしれないって実感させてくれる。オンナだってことを厭わずに居られるかもしれない。
今なら、いろんなコトを受け入れられる気がする。
…
このまま、ここに残りたい。って気持ちを振り払って、さらに強くシンジを抱きしめた。
ようやく、ようやくシンジが、おずおずと背中に手を廻してくれたから、その感触を充分に味わって、…そしてシンジを突き抜けた。
インテリアを抜け、プラグを抜け。初号機をすり抜ける頃にはもう、この身体は物質的なものじゃなくなってたんでしょうね。
地球がみえる。
太陽系が見える。
銀河系が、この宇宙が視える。
そして、この宇宙の外。世界のカタチが観えた。
そっか、宇宙ってたくさんあるのね。
寄り集まって花開こうとしてる…まるで花束だわ。
その中に、いわば枯れた花がある。…それがワタシの世界だってコトが、なんとなく判った。
きっとそこには、あの真っ黒な空が待ち構えてんだろう。
だけど、帰らざるを得ない。
そこが、ワタシの世界なんだから。
「シンジのシンジによるシンジのための補完 Next_Calyx 最終話」に つづく