明城学院の合格発表後、無事に合格を決めた碇シンジは一人、都内の海に足を運んでいた。
2015年に起きたサードインパクトにより、たくさんの行方不明者が出た。シンジの父、ゲンドウもその一人だ。
もう感傷的になる事もないが、その爪跡は大きい。
まだ修復されていない町や建物もたくさんあるし、残ってしまった物もある。
海辺に刺さった十字型の大きな遺跡もその一つだ。
シンジはバッグにつけたお守りの十字のネックレスに少し触れると、改めて夕日が当たる遺跡を見上げた。
したい事も夢も無い自分が、この先何かを見つけられるだろうか。
最近はそんな事ばかり考える。ちょっと前までどうでもいいなんて考えていたシンジには自分でも驚くような変化だった。
更に「未来は無限に広がっている」なんてポジティブな考え方まで出てくる自分がおかしくて、もしかしたら海で少し頭を冷やしたかったのかもしれない。
潮風の匂い、ゆっくり聞こえる波の音は思考をクリアにしてくれる。
そんな中、どこからともなく鼻歌が聞こえてきた。
「…フンフンフーンフフン」
シンジは声が聞こえる方に視線を動かすと、ポケットに手を突っ込んで遺跡に寄りかかった銀髪の少年がゆっくりと目を開いた。
「歌はいいね。歌はリリンが生んだ文化の極みだよ。そう思わないかい?碇シンジ君。」
「えっ。僕の名前を?」
「本当に忘れてしまったんだね。僕はカヲル。渚カヲル。君と同じ明城学院に通う予定なんだよ。」
「そうだったんだ。4月からよろしくね。…でも昔、どこかで会ったっけ?」
「そうなる。少し話さないかい?とっておきの場所があるんだ。」
カヲルはそのまま歩き出した。カヲルの名前すら知らないシンジは戸惑うしかなかったが、ついていく事にした。
もうかれこれ1時間くらいは歩いている気がする。すっかり夕日も落ちて暗くなり始めた頃に2人はその場所にようやく辿り着いた。
「わぁ、綺麗だね。」
「ここは一面L.C.Lだからね。まるで雪が光っているようだろう?」
「えるしーえる…?それで君は何を話したかったの?」
「『君』じゃない…。君は『渚』って呼んでいたけれど。」
光の海に感動を覚えたシンジだったが、少し不機嫌そうなカヲルを見て「ごめん」と謝った。
しかしシンジは本当に彼と面識があったか思い出せない。何故ここに連れて来られたのかもわからなかった。
少しの時間だけ沈黙していると、カヲルはシンジを海に突き飛ばした。
「ゲホゲホッ!何するんだよっ!」
「思い出さない?L.C.Lには魂だけじゃなくて記憶や肉体、遺伝子情報まで全て溶け込んでる。だから僕はここに君を連れてきたんだ。」
「な、何を言って…」
「君が僕を殺したんだよ。僕がそう願ったからね。なのに君は忘れてしまった。」
「殺した…?何を言ってるんだよ。君は生きてるじゃないか!」
混乱したシンジは声を荒げたが、カヲルが泣きそうな表儒をしている事に気づいた。
「渚…だっけ。…泣いてるの?」
「わからない。こんな気持ちは初めてだから。」
「そっか。ごめん。サードインパクトの辺りの事、あんまり思い出せないんだ。」
「それは君が悪い訳じゃない。でも、これで僕を知っている人間は誰もいなくなった。」
「家族とか、友達とかいないの?」
「いないよ。僕には何もない。」
シンジは言葉を返す事が出来なかった。孤独を感じる不安や恐怖はシンジにも判る事だった。
引き取って育ててくれた親戚とも仲がいい訳ではない。親ではない以上、遠慮してしまうしシンジ自身、友達を作るのが上手な訳ではなかった。
それでもサードインパクトの後は少し人とうまく話せるようになってきた気がしていた。
「ならさ、僕は今から君の事をカヲル君って呼ぶ事にするよ。」
「何故?」
「4月から明城学院に通うんでしょ?なら3年は一緒な訳だし、記憶どうこうじゃなくてこれから始めればいいよ。友達として。」
「友達…?君と?」
「そうだよ。『君』って呼ばれるのも友達っぽくないし、僕の事はシンジでいいよ。」
「シンジ君…君はそれでいいのかい?」
「僕も人付き合い上手じゃないし、同じ悩みがある人がいてくれるのはうれしいよ。よろしくカヲル君」
「ありがとう。シンジ君。君は変わったね。」
少し涙ぐんだカヲルにシンジは答えた。
「なんか少し前向きになれた気がするんだ。何故かはわからないけれど。『しっかり生きてそれから死になさい』ってミサトさんに言われ…あれ?」
「…!」
突然シンジは大量の映像と感情に脳を支配され、立ってすらいられなくなってしまった。
とてもではないが感情と記憶が整理できない。
「ミサトさん…?アスカ…?あれ、この娘って受験の時に会ったよな…。なんだこれ…頭が痛い。」
「何かがトリガーになって一気に記憶が流れこんできてしまったから処理が追いついていないのさ。僕の家に今日は泊まりなよ。」
シンジはお礼を言うと辛そうに息をゼーゼーさせていた。
カヲルは路上まで出てタクシーを呼ぶと自宅へ戻ってシンジをベッドに横にならせた。
「少し眠るといい。寝ている時に一番脳が記憶の処理をしてくれる。」
「うん。渚…カヲル君の事も思い出したよ。」
「明日でいいさ。会わせたい人もいるしね。」
シンジは答えないまま意識を失った。
しばらくして寝息を立て始めたシンジに毛布をかけてあげると、カヲルは「シンジ君、ありがとう。」と囁くと電気を消して自分もベッドの下で横になった。
もうカヲルに不安は無かった。
翌朝、カヲルが目を覚ますとシンジの姿がベッドには無かった。
少し青ざめたカヲルだったが、ベランダから外を見つめるシンジを発見すると安堵した。
ベランダを空けて「昨日はよく眠れたかい?」と声をかけるとシンジは頷いた。
「思い出したんだ。君を手にかけた事。握り潰した感触…絶対忘れないって思ってた。」
「シンジ君にとっては辛い記憶だったね。ごめん。」
「いいんだ。君がこうして今生きていているんだし。どちらにしても忘れちゃいけない事だったんだよ。でも使徒なんだよね?これからどうするの?」
「僕はもうリリンとしてしか生きられない。この肉体はリリンその物だよ。使命もないし目的ももう達成したしね。これからの事はおいおい考えるさ」
「僕も正直昨日の今日だしこの先どうしたらいいか判らないんだ。きっと誰も当時の事を覚えてる人もいないだろうし。正直、まだ心の整理がついてない事もたくさんある。」
「…もっと錯乱するかと思ってたよ。本当に強くなったねシンジ君は。」
シンジはバッグについているミサトの形見を見ると顔を引き締めた。
「約束したんだ。しっかり生きて、それから死ぬって。あと、自分の足で立って歩くってね。」
◆
少し落ち着いたのか、2人でコーヒーを飲んでいると、カヲルが意を決して話した。
「シンジ君。もう一人、これからの事について話さないといけない人がいるんだ。これからその人に会いに行こうと思うんだけど一緒に行かないかい?」
シンジは驚くとすぐさま質問した。
「覚えてる人がいるの?誰?」
「会ってからのお楽しみさ。すぐにわかってしまってもつまらないだろう?」
「ちぇっ。じれったいな。」
少しむくれながら上着を着たシンジだったが、これからの事を話せる人がいるのは嬉しかった。
家で出て歩いてる内に駅とは逆方向である事にシンジは疑問を抱いた。
「駅じゃないんだね。家近いの?」
「遠いよ。潜らないと行けないからね。当時はたくさんルートがあったんだけど今、電源が生きている所は限られているから。普通の人は知らないと思うよ。」
「電源って…もしかして…」
「そう、ジオフロント…黒き月さ。」
「残ってたんだね。生存者がいるの?」
「補完されたリリンは記憶と引き換えに日常を取り戻してるんじゃないかな。補完される前に死んだ場合はわからない。」
「そっか。父さんがいないのはきっとそういう事なんだね。」
「ついたよ。ここから黒き月に降りれる。ここはソーラーパネルからの電力供給だから死なずに動いてるんだ。」
手動モノレールに繋がるハッチを空けて乗り込んだシンジはジオフロントがあった黒き月へのと近づいていく中、とてつもない物を発見した。
「あれは…リリス?」
「そう、上半身は無くなってしまったけど、今も下半身が地上での地面となって支えてる。だから黒き月の存在がバレていないのさ。」
巨大な綾波レイの姿をしたリリスの足から腰は黒き月を覆うように埋まっており、胴体部分から上は見当たらなかった。体からたくさんの草木が生えている。
「リリスを蔦っていくよ。直通の移動手段は黒き月が一度浮いてしまったからもう無いんだ」
「遠すぎるんじゃないの?」
「地表には前より近くなってる。大丈夫さ。途中まで行けば僕が移動用に使っていたヘリがある。全くリリンって不便だよね。今まではATフィールドで空も飛べたのに。」
「人間と使徒は99.89%酷似してるって話があったけど、0.01%の違いだけでこんな違わないよね普通。」
馬鹿な会話をしている内にヘリまで辿り着いた。カヲルの運転でネルフ本部跡近くに降りるとそこはもう廃墟だった。長いエスカレーターを階段のように自力で降り、静かで暗いケイジを通りすぎ、エレベーターで更にターミナルドグマへと降りていった。
「ついたよ。ここだ。」
「ターミナルドグマ…」
開放されたままのドグマを進んでいくと、そこにはシンジもよく知っている女性がいた。
「綾…波…?」
綾波と思しき少女はネルフ指令服とメガネを持ちその場に座っていた。
「その服は…父さんの?」
「…そう。碇指令の。」
「父さんはここで死んだんだね。」
「赤木博士に撃たれたわ。赤木博士も碇指令に撃たれて死んだ。」
「そっか。この世界に帰る前にさ、父さんに『生きろ。自分の足で立って歩け』って言われたんだ。だからもう会えない気がしてた。」
「そう。全部思い出したのね。私は忘れていて欲しかったわ。」
レイはこちらを向かない。
「忘れたままじゃいられないよ。僕が決断したんだ。『生きて、本当に人間が分かり合えないのか、見定める』って。言葉には責任を持たないとね。」
「……。」
「それにさ。また会いたかった。綾波に。僕にとって一番大切な人だから。」
シンジはレイに近づくと、後ろからレイの手を握った。
「だから綾波、一緒に探そうよ。僕達に何が出来るのか、分かり合えるか。色んな事をさ。」
「うん…。ありがとう。」
レイもシンジの手を握り返すと、しばらく2人は余韻に浸った。
しばらくぶりに繋いだ手に、今の2人はどういう気持ちを持ったのだろうか。
今まで黙っていたカヲルは仲間はずれにされたような疎外感を受けて思わず口出しした。
「どうせ君も明城学院受けたんだろ?」
「当たり前だわ。」
シンジは驚いた。明城学院に受けた事なんて当然言っているはずもなかったからだ。
「なんで僕が明城学院受けたの知ってるの?」
「私は世界として碇君の事見守っていたもの。知らない事なんてないわ。ちなみにこの体はL.C.Lから復元したヒトの体よ。」
「今までと何か違うの?」
「今までの体はクローンとして作られた体。偽りの体に魂を無理やり閉じ込めていたから薬を飲まないと生きていられなかったの。」
「じゃあよかったんじゃないか。」
「…いいことばかりじゃないわ。生理ってあんなに辛いものなのね。」
シンジは少し赤面した。
「き、急に恥ずかしい事言うなよ。でも生理がくるって事は人として大事な事だろ?子供も産めるしよかったじゃないか。」
「子供…。」
「そう子供。それも選択肢に入れられるのって嬉しくない?」
「そうね。そうかもしれない。」
「きっとそうだよ。誰かと家族になれるって幸せな事だよ。あの父さんが母さんにあれくらい入れ込んでいたくらいだしね。」
「碇君は結婚したら同じようになる?」
「し、した事ないからわからないけど大切なのは間違いないよ…。」
恥ずかしい会話になってしまった事を後悔する間も与えてもらえないシンジは赤面してどもるしかなかった。
しかし、レイはそんなシンジに関係なく畳み掛けていった。
「碇君は子供好き?」
「~~っ!!」
そんな会話に飽きたのかカヲルはいつの間に散歩にでかけていた。
その間行われた2人の会話はとても人には言えないようなレベルであったようだ。
3人で地上に戻ってきた頃にはもう日が暮れていた。
サードインパクトを知る3人。これから起こる事はわからなくても、その顔は少しスッキリしたようだ。
シンジは2人に向かって笑顔を向けた。
「とりあえず生きてみようよ。僕達に何が出来るのか。人が分かり合えるのか。それらを確かめる為に。」
「3人でなら見つけられるさ。無理なら僕らで人類補完しちゃおうか?」
「え、縁起でもない事はやめてよ!」
その2人を見てレイは笑った。
シンジとの再会、そして未来がある事がこんなに自分を満たしてくれるとは思わなかったのだろう。
これからの未来に不安は無かった。
「綾波も笑ってないで何か言ってやってよ!」
「私の事、レイって呼んでくれたら考えるわ。」