この官舎とも、今日でお別れか。
私は部屋の荷物を整理して拭き掃除を終えた。
元々、私は部屋に物を置かない性質なので整理は簡単だ。
持って行く荷物も着替えと身の回りの小物だけ。
少し大きめのボストンバッグで充分だった。
よし、そろそろ行くとするか。
今朝、私は上官に退官届を提出した。
受理されたのを確認してから出立しても良かったが、
軍を辞めると決めた私だ。
すぐに出立したかった。
官舎の玄関を出て、周りを見渡す。
今の時間は、皆活動中なので人影は少ない。
アシュタロス戦の後遺症は思った以上に我々を蝕んだ。
人間界の拠点が壊滅して、その復旧活動に人員と時間を割くのは勿論だが、
我々魔族の意識も少しばかり変えられた。
アシュタロスの真の狙いを知り感化された一部の連中は、我も続けといわんばかりに活動を始めたのだ。
活動は散発的で小規模なものであったが、軍部ではこれを危険と判断し殲滅に当たっている。
活動はゲリラ的なものから、劇的なものまで多種多様。
政治的な混乱もあり、このうんざりする様な馬鹿騒ぎは、まだまだ続きそうだ。
私はボストンバッグを肩に掛けなおし、官舎を出た。
私は自由になった。
どこへ行こうか。
何をしたいのか。
まだ何も決めてはいない。
「姉さん、待ってください!」
振り向くとジークがいた。
ジークは、息を切らしている。
私の姿を追いかけて、走ってきたのだろうか。
まったく、戦士ともあろうものが息を切らしている姿を見せるなどとは言語道断だな。
「なんだ、ジーク。任務はどうした?こんな所で油を売っている場合ではあるまい」
私は肩に掛けていたボストンバッグを地面に下ろし、奴に話しかけた。
まったく、いつまで経っても私に心配をかける弟だ。
「姉さん、軍を抜けるとはどうしたのですか?!いったい何があったのですか!」
ジークは、必死の形相で私に詰め寄った。
「ああ、ジーク。私には、もう何もかもが無くなってしまったんだよ。もう軍にいたくはないし、いてはならないんだ」
私の言葉を聞いてジークは愕然とする。
当然だろうな、私もどううまく説明していいのか分からない。
「私は軍人であることに誇りを持っていたし、戦士であることが誇りだった。しかし、アシュタロス戦での私は何もできなかった・・・。横島達に全てを押し付けて、コソコソ逃げ回っていたよ。まったく無様だな」
「それは仕方がなかったんですよ、姉さん!あの時は、ああするしかなかった!」
「それに、アシュタロスの主張を理解している自分がいるのだ・・・。私も常々、自分達の役割というのには疑問を持っていたしな・・・。今、馬鹿騒ぎをしている連中もそんなところだろう。もっとも、私はそんな馬鹿共に付き合う気は、更々無いがな。しかし、こんな中途半端な気持ちでは任務を遂行できまい。自分が命を落とすだけなら良いが、仲間を危険にさらすわけにはいかないからな。それに私は軍人であること、戦士であることに疲れてしまったんだよ」
私がそう告げると、ジークはとても悲しそうな顔をした。
馬鹿だな。
男がそんな顔をしては駄目だぞ。
「姉さんが抜けるというのなら、僕も抜けます!一緒に連れて行ってください!」
ジークはとんでもないことを言い出した。
おいおい、いつまでも姉の後ろを歩いていては駄目だぞ、ジーク。
お前はもう一人前の戦士なのだから。
「ジーク、お前はお前の信じる道を行け。今の中途半端な私に付き合うな。
それにお前には、ベスパの面倒を見てやらないといけないだろう」
ジークは一瞬ウッと言葉につまり、複雑な顔をした。
アシュタロスが生み出した魔族、彼の娘でもあるベスパは、
今魔軍の一兵士として所属している。
後見として私はジークを推薦した。
一度、何やら2人が揉めている所を見たことがあったが、
なかなか良いコンビだと思う。
ベスパは腕も立つし、直情的だが戦士としてはなかなかの力量。
性格も私好みだ。
おっとりしたジークとは、馬が合うだろう。
彼女の妹であるパビリオは、妙神山に預けられている。
妙神山は、小竜姫の管理下だ。
その小竜姫の後見人は、天界の実力者の斉天大聖老師。
それなら、元アシュタロス派で魔族の彼女が迫害を受けることも無いだろう。
本来なら姉妹同士、一緒の所に居させてあげたいのが人情だが、政治的な判断で彼女達は引き離された。
ベスパの姉であるルシオラは、戦いの中で散った。
詳しいことは分からないが、今は横島の中にいるらしい。
この戦いでは、横島に多大な苦労をかけてまった・・・。
奴には感謝しても感謝しきれないし、
どう謝っていいのかも分からないくらいだ。
ジークが入手した情報によると、横島についても上層部で色々と動きがあるらしい。
まったく・・・。
どこまで行っても政治、政治だ。
「なら、そろそろ行くぞ。ジーク達者でな」
私は地面に置いていたボストンバッグを肩に掛けなおす。
「姉さん、やはり行ってしまうのですか・・・。でも、どちらへ・・・?」
「さあな・・・。まだ何も決めちゃいない。なに、別に今生の別れじゃないのだから、そう心配をするな。落ち着いたら連絡を入れるよ。そうだ、私の心配をするよりベスパの心配をしてやれ。彼女は意外と繊細だぞ。じゃあな」
「・・・姉さん、お元気で」
ベスパのことを出されてドキリとしたジークだったが、私達はお互いに敬礼をして別れた。
ジーク、お前も元気でな・・・。
さて、除隊したとはいえ私は魔族だ。
天界に行くわけにもいかないし、そうかといってこのまま魔界にいるのも間の抜けた話だ。
やはり人間界だろう。
しばらくは、あちこちを見て廻るとするか。
自分のルーツを訪ねるのもいいだろう。
路銀が尽きたら、そうだなやはり何処かで働こう。
ほんの一時ではあったが、人間界では美神令子の事務所で秘書として働いたこともある。
あんな感じで、どこかに就職でもするのも良い。
この私がデスクワークをするとは、何とも笑える話だが。
せっかく人間界に行くのだ、美神令子の事務所に顔を出してそれから横島の様子でも見ていこうか。
そう思った私はそのまま彼女達の住む地、東京へ足を向けた。
今、私は美神令子事務所の近所にある公園のベンチに腰掛けている。
都内にしてはなかなか広い公園だが、人影は少ない。
ここから数分歩いたところに美神令子の事務所がある。
先ほど事務所を訪ねたら、彼女は留守だった。
昼のこの時間帯なら、横島もまだ学校だろう。
じゃあ時間でもつぶすかと、この公園にやってきたのだ。
私はベンチに座り一休みをする。
コクリと先ほど買ったコーヒーを飲み終えた。
そして、2本目の缶のプルをはずす。
自動販売機でコーヒーを買ったらラッキーチャンスのファンファーレが鳴り、当たりが出た。
もう1本、タダでもらえたのだ。
ささやかな幸運だが、幸先の良い旅になりそうだ。
ちなみに、当たりのジュースは「お汁粉」を選んでみた。
甘くてねっとりとして、独特な味わいだ。
悪くない。
うむ、お汁粉もなかなかの実力者だが、やはり私はぜんざいの方が良いな。
以前、小竜姫のお手製ぜんざいをご馳走になったが、あれは美味かった・・・。
またご馳走になりたいものだ。
ベンチに背中を預けて、暖かいお汁粉の残りを飲み込んだ。
ほうと見上げる、秋の空はとても高くて広い。
横島の奴、あの戦いで生き残るとは本当に大した奴だな・・・。
最初に奴の素質を見出したのは、小竜姫と聞く。
私には人を見る目がなかったのかもしれんな・・・。
そうだ、この後は妙神山にも足を運んでみるか。
久しぶりに小竜姫と会ってみるのも良い。
ずうずうしいかもしれないが、ぜんざいもご馳走になれたらいいな。
そうだ、パビリオもそこにいるだろう。
姉の健在ぶりを伝えてやるのも、いい土産になるだろう。
ぼんやりと考え事をしていたら、何やら噴水の向こう側が騒々しい。
喧嘩か?
私がそちらに気配を向けると、若い男と老人がにらみ合っていた。
やれやれ、面倒ごとは嫌いだが放っておく訳にもいくまい。
私はベンチから腰を上げて、そちらの方向へ歩いて向かう。
「おい、じじい!てめぇぶつかっておいて、挨拶もなしかよ!」
威勢よく声を荒げている若い男は、まだ横島と同じくらいの年齢だ。
制服を着ているが、高校生だろうか?
こんな時間帯にブラブラしているとは、たるんだ奴だ。
「やっかましい!ぼけ!おどれがチンタラ歩いてけつかるから、わしが転んでもうたんやないけ!いてまうど、ワレっ!」
一方の老人は、なんとも・・・。
元気がいいというか口が悪いというか・・・。
なかなか壮健なご老体だ。気持ちが若いのかもしれないな。
着ている服は上下共に赤で、帽子も赤だ。
派手だな。
ところどころ白い縁取りがあって、なんとも洒落たセンスをしている。
大きな袋も抱えていて・・・あれは、そうだ。
サンタクロースの格好だ。
近くでおもちゃ屋の売り出しでもあるのだろうか。
寒くなってきたとはいえ、まだクリスマスには時期が早いのだが。
戦と同じく、商売も先手を打つものかもしれないな。
うん?何やら、2人とも熱くなっているようだな。
「なっ・・・、なんだと!じじい!やるってのか!」
「おーう、やったろやないかい、われっ!なんやオモロなってきたやんけ。」
若い男はともかく、老人もやる気満々だ。
これは両方がケガをしないうちに止めた方が良いだろう。
「あー、2人とも。こんな公園で喧嘩とは感心できんな。先手必勝の気持ちは分かるが、まずは話し合いが肝心だ。いきなりの会戦は、まったく品がない」
私が声をかけたら二人が振り向いた。
「な、なんだよ、あんた。放っておいてくれ!このじじいが、メチャクチャ腹立つこと言いやがるんだ」
「なんじゃとー、このクソガキ!わしはさっきから、お前のその態度が気に食わんっちゅーんじゃ!なんじゃ、真っ昼間に煙草ふかしてブラブラしおってからに。学校行け!学校に!」
そして二人はまたお互いを罵り合った。
私は「ふう」とため息を一つついてから、二人の間に割って入った。
そして、私は自分の右の手のひらを若い男の顔面に、
左の手のひらを老人の顔面に押し当てた。
「え?」とキョトンとする2人。
私はスーッと息を吸い込んで、ムンと両手のひらに力をこめる。
メリッ、メリメリメリメリ・・・。
私の指が食い込んでいく。
2人の顔面は、私の握力できしむ様な悲鳴をあげた。
「あだだだだだだーーーーーー!!」
「うぎゃゃゃゃぁぁぁぁぁああ!!」
「どうだ、2人とも。少しは、落ち着いて話ができるか?」
私がニッコリと微笑んで地面にへたり込んでいる2人に問いかけたら、
ものすごい勢いで頷いた。
「あたた・・・。あんた、メチャクチャだな・・・。超怖え」
若い男は、自分の顔がひん曲がっていないかを確かめるように、自分の顔を撫で回している。
「うう・・・、年寄りを大事にせんかい、ねーちゃん・・・。わしの顔は熟れたての桃のように繊細な造りなんじゃ」
老人は熟れた桃というよりも、リンゴのような赤ら顔をして不満を漏らした。
酒の飲みすぎだな、このご老体は。
「おい、わしはただのジジイじゃないぞ。サンタじゃ、本物のサンタクロースじゃ!」
「何訳分からんこと言ってやがる。サンタのバイトだろ!ジジイ!」
サンタクロース。
私は、まじまじと老人を見つめる。
確かに、人間ではない霊気を感じる。
老人は、フンと鼻を鳴らす。
「まったく・・・、近頃の若い者は年長者に対する礼儀っちゅーもんを分かっとらん。
大体お前、ガキのくせして煙草ふかすなんざ生意気やな」
サンタは若い男が捨てた、まだ長い吸殻を見てニヤリとつぶやく。
「お前さんに煙草が似合うようになるには、まだ10年はかかるな」
そう言ってサンタは青い煙草缶を取り出し、両切りのピースに火を点けて美味そうに吸った。
この煙草特有の甘い香りが、周りにぷかぷかと漂う。
若い男は、ぐぅと悔しそうな顔をした。
「ちっ、うっとーしいジジイだ。くそっ、覚えてろよ!」
若い男は学生服を翻して立ち去ろうとした。
それをサンタがぷかりと煙を1つはいてから呼び止める。
「ああ、兄ちゃん。言っておくがな、わしはお前さんをずっと覚えておるし、前から忘れとりゃせんぞ。初めて会った時は、そりゃ可愛い寝顔だったわい」
サンタが懐かしむように言葉を続ける。
「今まで何があったかは知らんが、自分の気持ちに素直になるこっちゃ。人間ガチャガチャ考えとっても、しゃーないで。考えがまとまらんかったら何でもええ、屁理屈を並べとらんと動いてみるこっちゃで」
サンタは、唖然としていた若い男にガハハと笑いながら歩み寄る。
「ほれ、この袋に手ぇ突っ込んでみい。クリスマスにはまだ早いが、兄ちゃんには特別や。
お前さんが忘れてきたもん、わしがもう一度プレゼントしたるわ」
そして、呆然としている若い男の手を強引に袋の中に突っ込ませた。
そして袋から彼が取り出したものは、ぼろぼろになったグローブ。
その若い男の目に輝きが宿った。
「あ、これ・・・。すげえ昔、父さんが買ってくれたやつだ・・・」
若い男は懐かしそうにグローブを眺めて、そして自分の手にはめようとしたがサイズが小さいのだろう。
はめることはできなかったが、大事そうにグローブをなでている。
「なぁ、じいさん・・・。これ、もらってもいいのか?」
「もちろんやとも。今回は特別にタダや。ラッキーやったな、坊主!」
おずおずと尋ねる若い男に、サンタは気さくに答えた。
若い男は深くお辞儀をして去っていった。
最初見たときより、彼の姿勢が少し伸びた気がする。
サンタはやれやれと言いながら、吸っていた煙草を携帯灰皿にしまいこみ(また後で吸うらしい)、私に話しかけた。
「どや、あんたもいっぺん袋の中に手え突っ込んでみいひんか?今日は特別サービスの大盤振る舞いやからな」
突然の申し出に私は一瞬躊躇したが、興味の方が勝った。
私は魔族なのでクリスマスという行事には全く関係がないどころか、表向きは毛嫌いすべきなんだろうが・・・。
今はデタントの時代だ。
少しくらい付き合ってみても構わないだろう。
私は、誘われるまま右手を袋に突っ込んだ。
何かをつかんだ。
取り出したものを見ると、それは一枚の封筒。
ふむ。封筒とは予想外なものが出てきたな。
それには何か入っているようだ。
開封してみると手紙と地図が入っていた。
「○月○日、午後6時、○駅前に集合・・・」
手紙に指定された日付は今日だった。
地図には、待ち合わせ場所なのだろう。
都内の駅前のところに印がしてある。
「ほう、やはりそれをひいたか。ワルキューレ」
私はハッと驚く。
サンタが、私のことを知っている?
警戒する私に、サンタはニタリと笑いかける。
「なんもそう警戒することはないぞ。あんたはべっぴんさんで勇猛ちゅーことで有名人やしな。わしが知っておってもおかしくないやろ?それにな、その手紙はあんたに出会えたら渡してくれって、ある人から言われてたんや」
「私にこの手紙を・・・、一体誰が?」
「まぁ、それはその場に行ってみたら分かるこっちゃ。そういう遊び心が人生には必要やで。わしが偶然このあたりを通ったら、あんたが公園にいるやろ?ラッキーやったわ」
私は改めて手紙と地図を見る。
遊び心か・・・。
私の生活には縁のなかった言葉だな。
「預かっていた封筒は、そのままあんたに渡しても良かったんやけどな・・・。わしも遊び心が働いたいうやっちゃ。あんたが自分の手で封筒を引き当てたの見て、わしも確信したわい。これはあんたにとって、いい縁じゃよ。間違いない」
サンタの言うことはあまりにも唐突な話であったが、私は興味がわいた。
「あなたに手紙を渡した人物は、私に何を期待しているのだ?」
「それも会ってからのお楽しみやな。まぁ、胡散臭い人物ではあらへんから、安心してくれ。それと、なんぞ仕事があるからあんたの力を借りたいみたいやな。ああ、変な仕事ではないみたいやぞ。これは保証しとくわ」
ほう、仕事か。
まぁ、何もあてがなかった身の上だ。
付き合ってみても良いかもしれないな。
もし身の危険があれば、力づくで突破するだけだ。
「そうや、仕事や。酒も煙草もやっちゃってさあ、競馬もパチンコもやっちゃってさぁ、そんで思いっきり働くんや!!それが男やないけ、われっ!!」
私に封筒を渡し終えたサンタは、豪快に笑って去っていく。
相棒のトナカイと待ち合わせをしていたらしい。
合流したら、そのまま帰っていった。
うむ、私は男ではないがこれも乗りかかった船だろうな。
思いっきり働くことには依存はない。
この公園に来るまで思いつめていた私だったが、後から思うとこの封筒を引き当てたことが私の人生を大きく変えた。
本当に、ラッキーだったと思う。
待ち合わせの時間までは、まだ余裕がある。
私は封筒を懐にしまい、秋の空を見上げて思いっきり深呼吸をした。