「ふっ……ここか。今度のやつは」
男は、サングラス越しに高校の校舎を見つめた。
情報によれば、ここは妖怪の巣と化しているのだと言う。
机妖怪や、ピアノ妖怪、そして、好都合なことには、魔力を持ったものさえ居るのだと言う。
俺がしようとする仕事にとっては、実におあつらえ向きの場所だ。
俺が何をしようとも、彼らの気に紛れて、やつらは何も感知できないだろうからな。
まあ、まだ感知できるやつが居るとして、だ。
だが、数が減ったとは言え、いつ何時、追っ手が掛かるか分かったものではない。
しかし、それまでは、ここで仕事させてもらうさ。
なにせ、人間界での仕事って、これしか分からないからなぁ。
男は苦笑すると、黒スーツに身を包んでいる身を踊らせた。
長く垂らした黒髪も、ぱっと跳ね上がり、その辺一帯が黒一色に染まる。
まず行くのは、職員……いや、校長室か。
仕事は、それからだな。
そして彼は、堂々と校門から進入していった。
校長室で彼は、一人の男と向き合った。
「歴戦の人物が、まさかこんな若い男性だとは思わなかったな」
「既に、十年以上になるかな。俺はプロだから、歳は関係ないだろ?」
「経歴は読んだよ……見事なものだ。これなら妖怪が巣くう我が高校も、少しは綺麗になるだろう」
「では、雇ってくれるのか?」
「もちろんだよ。ここは、君のようなプロフェッショナルを待っていたんだ」
男たちは、にやりと笑いあうと、契約書を整えた。
「明日には……いや、これから取りかかろうか?」
サングラスの奥から鋭い眼光を飛ばす男に、もう一人の男は、少し考えてから答えた。
「少し待ってくれ。仕事をスムースにするため、明日、ちょっとしたことをしてからだな。それから頼む」
「分かった」
男たちは納得して、別れた。
そして翌日。
男は、昨日の格好のまま、体育館の壇上に立たせられていた。
横島は、生徒たちと一緒に立ちながら、黙って男を見ていた。
「あいつ……俺と同じ? いや、まるっきり正反対……? しかし、妙に気になるのは何故だ?」
男からは、魔界出身の匂いがする。横島には、彼は悪魔族なのだろうと思われた。
しかし、何故か魔力が感じられないのだ。
人間なのに、ルシオラの因子で魔力を感じさせてしまう横島とは、反転した存在のようである。
どんなやつなんだ? そして、どんな理由で、この高校に?
戸惑う横島らの前で、男は、堂々と挨拶した。
「こんど採用された、伊藤妖火堂です。よろしくお願いします」
ざわめく生徒を前に、校長が補足する。
「伊藤さんは、今度、我が校の用務員として採用されました。掃除のプロだから、みんなも教えを請うようにな。とくに横島は!」
最後の一言で、どっと笑い声があがる。
横島が掃除をさぼっていることを、校長までもが知っているのだ。他の生徒も、噂くらい聞いている。
そして、受けたと思った校長は、更に続きを言った。
「そうそう、伊藤さんのことを、ダイ○ーさんとか、西○さんなどと言っちゃいかんからな」
それを聞いて、体育館の中は、ますます笑い声で包まれた。
やはり、言う機会を確保して良かった……
校長は、心の中でガッツポーズをすると、大歓声に、満足げに頷くのであった。
一方、伊藤は、サングラスの奥で、恥ずかしさで顔を赤くしながら、拷問に耐えていた。
何でギャグになってしまうんだ……?
俺はもう、ギャグとは縁を切ったはずなのに……
最初の際の経験から、身を隠す場所として高校を選んでいた伊藤は、この高校の存在を知って喜んだ。
こんなにも力のたまり場になっているここなら、俺なんか些細なものだからと。
かつて『魔王後継者』の一人とされ、しかし逃げ出した、はぐれ悪魔――伊藤妖火堂(いとうようかどう)。
魔界から追われる日々だった彼は、ここなら追っ手も掛かりにくいだろうと考え、ここに来た。
しかし、彼は知らない。
横島のギャグワールドがここを包み、今までのハードボイルド路線が、ものの見事に壊されていくのを。
そして、元ネタがギャグ出身者の常として、自分が以前の笑われる存在に変わろうとしているのを。
今までの比でない苦難は、いま、まさに始まったばかりなのだ。
負けるな伊藤。頑張れ伊藤。いつかきっと、シリアスに戻れる日まで……ありえないけど。
―続く―