≪テレサ≫
姉さんが横島さんを守るために自分の冷気を分け与える姿が月からも観測できた。
……姉さん。
私は迦具夜姫に向き直り、深々と謝罪した。
「姉が勝手に月の宝たる石舟を持ち出したこと、このとおり謝罪いたします」
姉さんにもわかったのだろう。
私たちの演算機は怒露目と横島さんのスピードを比較して、阻止限界点を超えることを一瞬で理解した。
理解したがゆえに姉さんは月の石舟を奪い後を追った。
過去の歴史どおり、横島さんを守るために。
「そのようなことはいいのです。私たちの力不足のためにあなた方の大切な人を失わせることになってしまい申し訳ありません」
月神達は怒露目を消し去り、重力に引かれて地球に落ちていった横島さんを英雄視しているようだ。
そして、それを守るために身をなげうっている姉さんを。
冗談じゃありませんわ。
「お言葉ですが姫、私たちは誰も失ってはおりませんわ」
「いくら竜神の装備をつけていたとはいえ、生身の人間が大気圏に突入して無事に済むわけがありません」
そう、普通であれば……今の横島さんもそうだが、過去の横島さんも相当非常識だったのだろう。
「あぁ!」
月神の一人がモニターを指差し驚きの声を上げる。
横島さんの失われた腕から鱗を持った漆黒の帯が、映像だけでも伝わるその禍々しい姿。
恐らく、あれが漆の型なのだろう。
横島さんの絶望を糧にしたそれは再び横島さんの元に戻り、タトゥーのような模様となってその身を彩った。
肘から先のない腕で姉さんを抱き寄せながら地表へと落ちていく。
しかしその身がそれ以上大気との摩擦熱で焼け焦げることはなかった。
「……あの方は、いったいどういう方なのですか?」
「ただの人間ですわ」
驚きの声をあげる月神たち。
「愛することに不器用で、愛されることに臆病な、本当にただの人間だったんですわ。ですけれども、横島さんの絶望は深かった。地獄の業火に焼かれ続けた体がいまさら大気との摩擦熱程度では如何様にもなるはずがありませんもの。本当、ただの人間でありたかった人だというのに」
ゆっくりとではあるが、大気との摩擦熱の中再生していく横島さんの腕。
恐らく地表との衝突までには間に合わないだろうが、それでもしっかりと姉さんの事を守るために抱きしめる。
「あなたは、いかなくてよかったんですか?」
自己の状態……確認。
私の表情は嫉妬18%、羨望63%、恐怖12%、その他7%といったところか。
セルフコントロール。
「……私には皆様を無事に地球に連れ帰るという役割がありますから。それにあの兵鬼のことも」
それがなければ今すぐにでも……駄目ですね。私にはそんなまねはできません。
「そうですか……ですが、我々にはあなた方にどう御礼をすればいいのかわかりません。命すら投げ出す覚悟を見せられて、いかようにこのお礼をすればよいのでしょうか?」
「それでは……」
私はかねてよりお父様と考えていた案を姫に問うた。
「……しかしそれは、いかなる要望であれ聞き届けて差し上げたいとは思うのですが、月の中立性が失われては月神族もまた戦いに借り出されてしまうやも知れません。そのようなことはつきの女王としては容認できません」
「神族でもなく、魔族でもなく私たちにお力をお貸し願いたいのです」
私の願いにしばし考え込んだ迦具夜姫はやがて重い口を開いた。
「お礼をすると申したのにこのようなことを言うのは失礼かと存じますがひとつだけ条件があります。それは……」
姫が出した条件をプライバシーを重大に侵害しない限りにおいて呑み、ヒュドラの機能を停止させると、セキュリティーを何重にも設けてそのキーを姫に渡した。
皆さんを回収後、事情を説明して大急ぎで帰りのロケットに乗り込むと途中で月の石舟を月へと帰る軌道に打ち返し、できる限り安全をはかれるぎりぎりの速度で地球へと帰還する。
横島さんが横島さんでいてくれることを願って。