「逮捕しろーっ!! 社会秩序の敵め―――っ!!」
「止まれ―――っ!! 止まらんと撃つぞっ!!」
現在、逃亡中。俺のすぐ後ろでは数えるのも怖いくらいのパトカーがサイレン鳴らして追ってきます。
Why? 不条理です。世の中なんか間違っています。この世には神も仏もいないんですか?
―――え? 小竜姫? ヒャクメ? キーやん?
はっはっはっはっは。何を言っているのやら。神なんて所詮人間が考えた『自分を助けてくれる都合のよい存在』じゃないか。信者だって救いが得られると思うから信仰するんだよ? 助けもしない神様を、一体何処の誰が信仰するって言うんだい?
俺は今の俺を救ってくれん神なんて神とは認めん。
何故だ! 何故俺が警察に追われなければならない!! 俺は無実だ!! そりゃあ、横島の場合は『雪之丞に勝つため』などと言いつつ覗きに精を出していたからパトカーに追われていたのにも納得できるさっ! しかし、俺は雪之丞に勝つために真面目に策を練り修行に取り組んでいたのだ!! むしろ誉められるべき行為ですよ? それなのに何故!?
これはきっと宇宙意思の陰謀である。自分にとって邪魔者である俺を排除するためにこんな陰険な真似をしているに違いない。俺に落ち度はないはずだ! そう、俺は悪くはない。
警察は俺よりもむしろ横島を捕らえるべきだろう。叩けばいくらでもほこりが出てくるはずだ。例えばセクハラとかセクハラとかセクハラとか。
あとセクハラ!
ひょっとしたら飢えを凌ぐためにスーパーで万引きとか弁当屋のゴミ箱漁りとかもやっていたかもしれないが、とりあえず横島と言えばセクハラである。実物を見た俺だからこそ断言できる。セクハラのしていない横島などパチモンと言っても過言ではない。そしてセクハラは犯罪だ。
世のため人のため女性のため、そして何より俺のためにも彼には是非とも何年かムショ暮らしを満喫して欲しい。美神でも可。むしろ大歓迎。
逮捕できるだけの罪状なら充分あるだろう。脱税とか脅迫とか詐欺とか労働基準法違反とか。こんなんで良いのか主人公? 素で捕まっていてもおかしくないぞこの女。問題がありすぎる。ないのはちゃんとした証拠だけだ。
―――いっそう、勝ち目の低い直接対決は避けて、その辺の証拠でも探した方が良いかもしれない。
と、そんなことを考えながら現実逃避に精を出していた。
第十一話 不良と警察と霊波砲
俺は今、横島の凄まじさを肌身で感じている。よくよく考えて見れば、彼はとんでもなく凄い。文殊などの霊能に目覚める前からその能力は人間離れをしていたのだ。
―――アイツ、こいつらに追われながら痴漢やってる余裕があったのか!?
原作では逃げながらもギリギリまで覗きをやっていたはずだ。しかも警察以外に多数の被害者(おんな)にも追われていて。
とんでもない奴だ。でも馬鹿だ。とんでもない馬鹿だ。この辺りの土地勘がないとはいえ、俺なんて逃げるだけでもギリギリですよ!?
当然の事ながら、人が走るより車が走る方が早い。「スピード違反!!」って叫びたいくらいの速度で迫ってくるパトカーの群れから逃げるのは難しいのだ。
時折、人であることの身軽さを生かして狭い小道や屋根上ショートカットを敢行しているのだが、所詮は個人対組織。数で押され、すぐに回り込まれてしまう。
いかん。このままでは捕まる。
一瞬、追ってくるパトカーに「片っ端から霊波砲ぶち込むか?」というステキアイディアが頭をよぎる。
―――殺るか?
しかし、決断は向こうの方が早かったようだ。俺のすぐ傍で何やら「パン!」とした音が響いてくる。
「ま、マジかよ………」
後ろを振り向けば、車の窓から身を乗り出して拳銃構えている警官がいたりする。
アイツら、本気で撃ってきやがった………。
「お、落ち着け白井! 何も本当に撃たなくても……」
「私は兄たちとは違う! 救う価値のない命はむしろ葬るべきだ!! 卑劣な犯罪者如きに、我々警察が敗北することなどあってはならんのだぁぁぁぁぁぁっ!!」
誰だよあんなの警官にした奴は!?
くそぉぉぉぉぉぉっ!! 絶対に逃げ切ってやるーっ!! こんなところで死んでたまるかっ!!
こうなりゃヤケだ!! 新技のテストも兼ねて奴等を振り切ってやるっ!! 練習では失敗に終わったが、自分の意思で霊波をコントロールできることに気付いた今の俺なら出来るはず!
俺は足に霊波を込めた。身体を傾け、クラウチング・スタートの姿勢へ。
それは限界まで伸びたゴムが縮もうとするかのように。それは弓が矢を放とうとするかのように――。
溜めた力を一気に放出させ、撃ち出す。そのとき、俺の身体は一陣の風となる。まるで火薬で撃ち出された銃弾であるかのように、高速で宙を駆けたのだ。
周囲の風景が流れていく。一体時速が何キロくらい出ているのか、俺に吹きつける風が凄い。『暴走上等』なパトカーたちが瞬時に遥か後方へと遠ざかった。
高速移動術・カミカゼ。
原理は極めて単純。両足から放った霊波砲の反発力を推進剤として、ロケットのように高速で突き進む技である。ひねりも何もなく、話を聞く限り誰でも簡単に出来そうな気もするが、これが相当難しい。
―――貴方は足の指ではしを持てますか?
一言で言えばそういうことだ。手で出来るからといって足で出来るとは限らない。俺自身、陰念と俺の二人掛かりでようやく実現できたのだ。正直言って、誰か他の人間がこの技を使えるとは思えない。
俺だって練習では失敗していて、今日初めて使いました。
故に、今更ながらこの技の問題点に気付く。
眼前に迫り来るどっかの家のブロック塀。このままでは頭から激突コース。
だが、俺の身体は回避出来ない。この技はロケットと同じなのだ。両足からの霊波砲をジェット噴射する勢いで加速する。その速度は大変凄まじいものだ。
しかし、スピードはあるがその所為で曲がれません。空気抵抗が激しすぎて、足を曲げることが出来ねえ。そればかりか、指一本まともに動かせられなかったり。無論、加速してから急に止まることも不可能です。
はっきりと言おう。この技、
「使えねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
ハンドルもなければブレーキもない、アクセルだけの車に乗るよーなものである。カミカゼは神風でも、実際には神風特攻隊の方だった。
「のおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
成す術もなく、そのまま轟音を響かせつつ俺の身体は塀に激突する。あっさりと堀は破壊され、意識がゆっくりと暗転する………。
「いて、いてててて…」
一瞬、気を失っていたかもしれない。全身が痛い。死ぬほど痛い。だが、幸いにも軽い打撲だけで済んだようだ。俺は埋もれた瓦礫から起きあがった。
どうやらここはあの堀の家の中らしい。辺りはまるで大砲の弾でも飛びこんできたかのように乱雑している。
危ないところだった……。俺は横島ではない。極普通の人間だ。そして、普通の人間ならあんなデタラメな速度で頭からぶつかったら間違いなく御陀仏だろう。
しかし、俺には霊能力がある。激突の瞬間、咄嗟にかけた魔装術のお陰で生きているばかりか、怪我らしい怪我をしないで済んだのだ。この技は霊波の鎧を身に纏うため、防御力もかなり上昇する。生身なら今頃顔が変形しているだけでは済まされなかっただろう。
だが、俺は自分のすぐ傍に老人が倒れているのを見て、顔を青ざめた。
そう、普通の人間ではただでは済まない速度でぶつかったのだ。周囲に与える影響も生半可なものではない。
「う、ううう…………」
老人の口元には何か赤くてドロドロとしたものがへばりついている。一瞬、最悪の事態を想定した。まさか、さっきの衝撃で飛び散った破片で怪我でもしたのか? この高齢である。打ち所が悪ければ命に関わるかもしれない。
「おい、爺さんしっかりしろっ!!」
俺は爺さんの肩を慌ててゆすった。すると気付いたのか、何かうめき声を上げてゆっくりと起きあがる。
良かった。怪我らしい怪我はしていない。これなら大丈夫だろう。俺は胸をなでおろす。
そしてその爺さんは俺の姿を見て呟いた。
「―――ば………」
「ば?」
言葉を聞き取るために彼の口元に耳を近づける。
「ばーさんや、メシはまだかいの?」
そのジジイの手には大きなどんぶり。山盛りのご飯が、真っ赤な『イチゴジャム』をつけてのっかっていた。
―――ザ・アルツハイマー!
ちなみに口元についていたものはジャムだった。
「ばーさんや、ワシの眼鏡を知らんかの?」
「……さて、いくか」
なおも呟くジジイ。眼鏡は既に掛けていた。俺は、何事もなかったかのように無視することにする。賢明な判断と言えよう。この手の輩は相手にしてもきりがない。
しかし、無視することが出来ないものもある。
「いたぞぉぉぉぉぉっ!! 絶対に捕まえろーっ!!」
俺を追ってくる熱心なストーカーの皆さんだ。
「ちっ、こうなったら仕方がない!!」
このまま遅刻で不戦敗にでもなったら笑い話にしかならない。ここは強引にでも追っ手を振り払うべきだろう。
俺は眼前の電柱に狙いを定める。霊波砲を撃つように右手に霊力を集中、霊波を放出すると同時に溢れる光りを剣状に束ねた。
手のひらに具現化される霊波刀。本来陰念のスキルではないが、二人掛かりの制御力さえあれば撃ち出さずに剣の形で霊波を固定するのは容易い。あとは集中力とイメージ力の問題だ。
「たぁぁぁぁぁっ!!」
霊波刀を振るい、傍にある電柱を斬りつけた。―――が、硬い。いくらコントロールに長けていても出力が低い所為か、刃は半ば切り込んだ所で止まった。
ならば―――
「爆ぜろっ!!」
俺の意思を受け霊波刀は爆発し、その衝撃で電柱をへし折った。
簡単な理屈である。魔装術を霊波砲に変えられるなら、霊波刀を霊波砲に変えれぬ道理がない。
名付けるとすれば『霊爆刃』と言ったところか? 一度使うと得物を失うのは痛いが、霊圧の低い一般人がくらえば間違いなく致命傷。日本刀で切りつけられて爆弾を括り付けられたようなものだ。霊能者相手でもそれなりに威力は期待できる。
一方、へし折れた電柱はというと、俺の狙い通り道路に倒れこみパトカー達の行く手を阻む。
この電柱で追跡を振り切ろうという平和的な解決手段だ。俺にも良心というものは残っている。直接霊波砲をぶつけるような真似はしないさ。
しかし、一つ計算ミスがあった。世の中には慣性の法則と言うものがある。自動車は急には止まれない。
結果、パトカーはそのまま突き進んでぶつかり、立て続けに玉突き衝突事故を引き起こす。
なにやら悲鳴とか怒声とかでかなりの大惨事っぽくなっていたが、彼等はきっとまだ幸運だったに違いない。ここが映画の世界ならば、今頃さらに爆発炎上だろう。
俺は気にしない。っていうか、気にすんな。事故だ事故。いちいち気にしていたら頭が神父のようになってしまう。
それはさておき、追っては片付いたことだし、このまま走れば何とか間に合いそうだ。
と油断したのも束の間、新たな追っ手が俺に迫ってきた。
―――しつこいっ!! って、テメーかよ!!
見覚えのある顔だった。具体的にはこの事件が生まれた要因であり、俺に冤罪(?)を被せた憎き男。公園で最初に会った警官が、必死の形相で自転車をこいでいたのだ。
「待て―――っ!! 貴様のよーな反社会的な人物は法で裁かれねばならんのだー!!」
「それは違うっ!! 絶対に違うぞっ!! 俺を横島とかと一緒にすんなっ!! 俺はアイツらと違って人生真面目に頑張って生きてんだよ!!」
俺は思わず言い返した。
失礼なオッサンである。私は奴等とは違う善良な一般市民ですよ?
それにしても不味い。試合会場には次の角を曲がれば着くのだが、こんな奴連れてきたら試合が出来ない。残りの時間もないというのに………ええい、うっとしい!! 邪魔者はさっさと消えろ!! 俺には重大なる使命があるんだ!! 俺の邪魔をするって言うのなら今すぐ相手になってやる!!
俺は迷わず手を警官に向けた。そして霊力を集中する。この辺の動作も何度もやっているからもはや手馴れたものだ。結構凶悪なくらいにエネルギーを集め―――
「吹っ飛べっ!!」
俺の意思に従い、毎度おなじみの霊波砲が撃ち出された。それなりに威力を込めていたから、たぶん岩くらいなら砕けるだろう。
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
必死の形相で悲鳴を上げる警察官。一般人相手にぶつかればたぶんそのまま三途の川。ひょっとしたら今ごろ警官の頭の中には走馬灯でも流れているかもしれない。
しかし、さすがに俺もそこまでするほど鬼じゃないぞ? 命はむやみに奪ってはいけない尊いものです。
俺の放った霊波砲は警官に迫っていたものの、その手前の地面に着弾した。砕かれたアスファルト。轟音が周囲の音を掻き消し、粉塵がその視界を塞ぐ。
俺は逃げることさえ出来れば良いのだ。目くらましをすればそれで充分。
とはいえ、至近距離からの霊波砲には驚いたのか、自転車の急ブレーキと男の叫び声が辺りに響いた。
ただでさえ、限界まで加速していたのだ。道路には砕けたアスファルトで足場が悪くなり、さらに突然視界まで失った。こんな状況でまともに走れるわけがない。
慣性の法則。自動車も自転車も急には止まれない。それは偉大なる自然の摂理だ。
問、その結果彼はどうなりましたか?
答え―――お巡りさんは壁にぶつかって、気を失ってしまいました。
まあ、そのままほったらかしにしても死にはしないだろう。あれだけボロボロだった横島だって元気だったし。
さらばだ! 我が宿敵(とも)よ!!
アンタのことはすぐに忘れるぜ。それより今は雪之丞だ!!
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そうして、数々の試練を乗り越え、俺はついに戦場へと辿りつく。
「え――、やむをえません。陰念選手は試合放棄とみなし、この試合…」
「ちょっと待ったぁ!! 俺ならここにいるぜっ!!」
全力で走っていたせいで、汗は流れたまま息を切らせながらも審判に向かって声を張り上げた。
危ない危ない。まさしくギリギリ。もう少し遅れていたら戦わずに負けるところだった…。さすがにそんな間抜けな敗北だけは勘弁してもらいたい。
命懸けの戦いなどしたくはないが、こっちも一般人なりに危険を覚悟をしてやっている。今更、戦いから逃げて生涯を気楽に過ごすことなど出来ない。ならば、俺は元の世界に帰って平和を満喫するためなら鬼でも悪魔でも魂を売ってやるまでだ。
今なら定価80パーセントオフの大安売りだ。目的のためなら『危険』(あかじ)覚悟はやむ追えない。
「フ…秘密の特訓でもしてきたか?」
「そいつは見てからのお楽しみさ…」
不敵な笑みを浮かべる雪之丞に対し、こちらも笑みを返す。内心の恐怖を見せるな。弱気になっても勝てやしない。ならば外面だけでも強気にならねばならないのだ。
もう、後戻りは出来ない。するわけにはいかない。いつまでもふざけている場合ではないのだ。
『現状を悲観しても立場は変らねぇ。認めたくないことから眼を瞑っても何も始まらないんだ。世の中いっそう開き直らなきゃ、前に進めないときもあるんだぜ』
この言葉は、何もピート一人に言った言葉ではない。自分に向けて言った言葉でもある。
俺はこの日のために用意した神通棍を強く、強く握り締めた。
……上手くやれるはずだ。策は立てた。やれるだけのこともした。あとは自分を信じて精一杯全力を尽くせばいい。
本当は戦いなどしたくはない。俺は雪之丞とは違い、強敵を前に喜ぶようなバトルジャンキーではないのだ。ジェットコースターもバンジージャンプもお断りな一般人。金を貰ったって乗る気なし。むしろ人より怖がりだと言ってもいい。
サイキック・ソーサーなら、確かに雪之丞にも通用するだろう。だが、あの技は諸刃の剣だ。霊力を一点に集中してしまうため、効果は高いがその他の部分は常人以下。下手をしたら間違いなく………死ぬ。
だが、逆に『使わなければ』試合に負けても死なずに済むのではないのだろうか? 雪之丞は香港で敵に回った勘九朗も助けようとしていたのだ。いくらあれだけ挑発したからと言っても、わざわざ相手の息の根まで止めるとは思えない。
それでも、例え勝てる可能性が一パーセントでもあるのなら………。
死ぬのは怖い。痛いこともしたくない。好んで人を傷付けられない。それらを乗り越えるための勇気なんて出やしない。
それでも、恐怖ならある。死ぬことよりも、痛みよりも、傷付けるよりも怖い、とびっきりの恐怖が。
―――『俺』は『陰念』じゃない。
―――この世界は『俺』の居場所ではない。
―――誰も『俺』の存在を知らない。
―――誰も、『俺』の本当の名前を知らない。
俺は、『胡蝶の夢』なんて認められない。
死にたくない。だけどそれ以上に、このまま『消えたくない』。
今はまだいい。しかし、一年後は? 五年後は? 十年後は? 『原作』の知識の後の世界では、『俺』は一体どうなってしまうのか?
『俺』の中にある『記憶』でしか、『俺』は『俺』の存在を『確認』できない。この世界では誰も『俺』の存在を『認識』してくれないのだ。誰も『俺』の『名前』を呼びかけてはくれないのだ。
何十年も異国の地に住み着き、日本語を忘れてしまった日本人がいるという。
走らない足が退化するように、飛ばない翼が縮むように、そして不要な尻尾が失われていくように―――
使わない『不要なモノ』はやがて消えていく。
ならば、『俺』が度重なる時の流れに埋もれて、己の存在を『忘れない』と言い切れるのだろうか?
『夢』が覚めないのならば、それはもはや『夢』ではない。もう一つの『現実』だ。そしてかっての『現実』は古き『夢』となって世界は反転する。
臆病な俺は、そうなってしまうことが何よりも恐ろしい。人は二度死ぬと言う。一度目は命が潰えたとき。そして二度目は、人々の記憶から忘れられてしまったとき……。
俺は、死にたくない。疑いたくない。自分の存在を。俺はこのまま先に『二度目の死』を迎えるのはまっぴらだ。
自分で自分の『名前』すら忘れる前に。このまま夢と現実が入れ替わる前に――。
―――自分のいた世界に戻りたい。
それだけが、今の俺を支える唯一の希望。『どうやって帰るか?』を考えている内は、俺は自分で自分を見失わずに済むのだ。
だから、俺は『前に進める』。迷うことが時間の無駄なら、俺は迷わない。『恐怖』があるなら、それ以上の恐怖で塗り潰す。
伊達や酔狂でこの世界に喧嘩売ってるわけではないのだ。ふざけることはあってもマジである。
横島はサイキック・ソーサーを使っても引き分けだった。だが、俺は! 横島の生んだ結果を超えて勝ってやる!!
俺は、雪之丞を倒す!! それが出来ずして何が『宇宙意思』を出し抜くだ!! 俺が本当に勝たなければならない相手は、雪之丞如きに躓いていいような楽な相手ではない!!
「試合開始!!」
審判の言葉に両者の間に空気が張り詰める。両者ともにまだ手は出さない。互いに出方を伺い合う。『陰念』の様子がいつもとは違う所為か、雪之丞も少し警戒しているのかもしれない。
挑発でもして相手の攻撃を誘うか?
サイキック・ソーサーはまだ『使えない』。あんな危険な技、防御用として使うのは自殺行為。あくまでも『攻撃用』として割り切る。
痺れを切らした雪之丞が動き出す寸前、どこかで誰かが叫ぶ。
何やら周囲が騒がしい。遠くから誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。その言葉が耳に届いたとき、俺は辺りにあった緊張を打ち破り、前へと走り出す。
急がねばならない。急いでこの身を潜めねば。このままでは戦わずして負けてしまう。
心臓の鼓動にせかされるかのように俺は前へと走り―――
そして―――鉄扉は開かれた!
「不審な男がこっちに逃げてきませんでしたかっ!? 人相の悪い、公共物の破壊、公務執行妨害、不法侵入、傷害罪、器物破損などの罪を犯した凶悪犯ですっ!!」
「どこだ――っ!! 米沢の仇は必ず俺が取ってやるからな…っ!!」
「探せっ! 絶対に逃がすなよ!! 例え危険な目にあっても、正義の為にも我々警察がヤクザ如きに屈するわけにはいかんのだっ!!」
「ばーさんや、メシはまだかいの?」
―――警官(+おまけ)乱入。突然の出来事に会場はちょっとした騒ぎになる。
まったく、物騒な世の中だ。今はまだ昼間だというのに凶悪犯がこの近くをうろついているとは…。
ちなみに俺は無関係。陰念は霊能力者兼GS候補。不良であっても決してヤクザなどではない。
だから彼等が追ってきたのは別の誰かだ。そうに決まってる。
「………オイ、何故俺の後ろに隠れる?」
「いや、なんとなく」
うん、私はあくまでも無関係ですよ? ホラ、世の中にはよく似た人が3万人はいるって言うし。
顔を隠しながら必死になって自己暗示。信じていれば夢だってきっと叶うんです。
まあ、なんていうか―――
確かに俺、サイキック・ソーサーは参考にしましたが、こんなトコまで横島の真似をする気はありません。
っていうか、何なんですかあの罪状。公共物の破壊? 公務執行妨害? 不法侵入? 傷害罪? 器物破損? 心当たりがないといえば嘘になりますが、ひょっとして俺、別の意味で横島超えていませんか?
わざとじゃありません。わざとじゃないんです。
折角こっちが珍しくシリアスでやろうって場面に、わざわざギャグなんかやらないって!!
とりあえず、無事に雪之丞との試合を再開できたとだけは言っておく。
犯人は結局見つからなかったそーだ。