目には目を、
そして歯に歯を。
こんな非現実的な世界に迷い込んだ以上、こちらも非現実的にならねばならない。これまでの常識を捨てなければ、何も出来やしないのだ。
腹をくくれ。一般的な道徳観など捨てろ。迷っている時間など無駄だ。無駄ならやめろ。弱者である俺に余計なモノまで背負い込む余裕など、ない。
俺はあくまでも『一般人』だ。だが、そう思うのは単なる甘えに他ならない。
自分がいくら「一般人だ」と主張しても、相手が手を抜いてくれやしないのだ。それは『事実』であってもマイナスにこそなれ、プラスになることなど有り得ない。
つまり、それは『余計な』モノだということ。
―――ならば、まずは最初に『ソレ』を捨てろ。
相手は強い。『一般人』などでは万が一にも勝機を勝ち取れないだろう。それでも勝たねばならないのなら、俺は捨てなければならない。そして変らねばならない。
故に、今この場だけは『戦士』となろう。理想的で最良の、
獣のように獰猛で―――
人形のように感情(ココロ)なく――
機械のように計算高い――
そんな、最高の『戦士』に俺はなる。
それが出来ずして、目の前の『戦士』は打倒し得ない。
「警官たちの突入で一時的に試合が止まってしまいましたが、無事試合を再開です。
さて、試合も四回戦になりましたが、やはり注目の一戦は陰念選手対伊達雪之丞選手の試合でしょう。同じ白龍会の同門同士、一体どのような戦いを見せるのか?
解説者の厄珍さん、どのような結果になると思われますか?」
「むさい男同士の戦いなど興味ないある。大体勝敗なんてやる前から見えているあるな」
「と、言いますと?」
「魔装術ある。陰念のものは霊波を纏うだけの、例えるなら『液体』。それに対して雪之丞は物理化して『固体』にまで凝縮できるあるよ。『液体』と『固体』がぶつかればどうなるかは小学生でもわかる理屈ある」
厄珍の指摘は決して間違いではない。魔装術の完成度は雪之丞の方が遥かに上で、純粋な霊力や霊波の出力も俺より一つか二つ、段が違う。
わかりやすくゲーム風に言えば、相手は攻撃力や守備力は勿論、HPとMPまでもが自分より高いのだ。
こちらが持ち得る限り最大の攻撃は相手にとって致命傷とならず、向こうのありふれた何気ない一撃が必殺の牙となって俺に襲いかかる。二人の間にある力量の差はあきらかに明白だ。
だから、この戦いは始まる前から俺の負けだといっても良い。
無論、霊波の制御力に関しては俺に分があるが、優れた物量の前には些細な小細工や器用さで覆せる程甘くはない。犠牲を承知の上で力任せに押しきられれば、それでオシマイ。戦争というものの大半は、物量が勝るものが勝利を収めてきたのだから――。
それでも、勝たねばならないのだ。勝たねばならない以上、取るべき方法は一つ。雪之丞の行動を読み、時に誘導し、騙すことで相手を『出し抜く』。
相手に決して弱みを見せるな。己の頭の中では常に勝利を描け。
実力差を変えられないのなら、せめて最後まで敗北を考えずに自分の全てを出し切る必要がある。実力で負け、心でも負けているようでは万が一にも勝ち目はない。
不要なものは全てを泥に捨て、必要なものは何があっても手放さない。弱者が強者を相手に出来るのはただそれだけだ。
恐怖など不用―――ただ身体の動きを鈍らせるだけ。
情けなど不用―――ただ腕の動きを鈍らせるだけ。
迷いなど不要―――ただ足の動きを鈍らせるだけ。
勝利に必要なのは覚悟と決意。そして追い詰められたネズミのような極限さと、狂いのない正確な策略のみ。
今なお心に残る『くだらないモノ』に告げる。
―――アレは人間じゃない。
ただの障害物だ。
ならば徹底的に叩き潰せっ!!
第十二話 不良とザリガニと霊波砲(前編)
陰念vs雪之丞
試合は既に始まっているが、まだ動きはない。二人は互いに距離を取りながら相手の出方を伺っていた。
元々、俺は霊力の消耗を抑えるためにも積極的に動くつもりはない。故に、自分から動かない。
雪之丞側としても、いつもとは雰囲気の違う『陰念』と、彼の手に持っている『神通棍』に対し、若干警戒を抱いているのだろう。
実力差を埋めるために道具を使うのは珍しいことではない。もっとも、『こんなモノ』一つで埋められるような差ではないし、そもそも俺にも『陰念』にもコレを振りまわすスキルなど持ち合わせていないが――。
無言で続く膠着状態。それは嵐の前の静けさか。張り詰めた緊張の糸が、時の流れを何倍にも引き延ばした。
「お前が何を企んでいるかは知らんが、俺はそんなものでは倒せんぞ」
やがて焦れてきたのだろう。現状を打破すべく、雪之丞が動き出す。
「だが、油断はせん。全力でお前を倒し、俺ばかりかママまでも侮辱したことを後悔させてやるっ!!」
迷いのない瞳の中に、己の力量に対する絶対的な自信を持って―――。
―――『戦士』は吠える! その手に勝利を掴むが為に!!
「おおおおっ!!」
獣のような咆哮を上げ、雪之丞の姿に変化が訪れた。溢れ出した霊波が、明確なカタチ、明確な脅威となって具現化する。
―――その術の名は魔装術。人知を超えた『魔』の力を、『人』の知性で振るう魔性の技。『禁忌』と恐れられる邪法の一つだ。
「おおーっと雪之丞選手、いきなり魔装術!! 霊波の鎧を物質化したーっ!!」
そう、それでいい! 思う存分力を出せっ!
次の試合へ向けて力を温存でもされれば、俺の細い勝機はなくなってしまう。
逆に、彼が全力を出せば―――
「虚弱で母親に甘えていた俺が、こんなに『カッコよく強くたくましく』なれたのは―――」
「喧しいっ!! さっさと来やがれ!! この、『ザリガニ』野郎ーっ!!」
・
・
・
・
・
・
そのとき、たぶん世界は止まった。
俺の言葉に、一瞬、静寂だけが全てを支配する。やがて時は動き出し、彼は額に筋が走り、肩をプルプル振るわせながらもゆっくりと再起動を果たす。
「こ…、この俺が…ザリガニだと…?」
「ああそうさ。はっきり言ってテメーの魔装術はザリガニとかの甲殻類っぽいんだよ。悪く言えば『怪人ザリガニ男』、良く言っても『無敵超人ロブスターマン』ってトコか?」
どちらにせよ、手にハサミがついていないのが実に惜しいところだ。興味を持った人は頭の中で想像してみるといい。ハサミのついた魔装術イン雪之丞(前期)。『絶対』似合っているから。
ちなみに上の言葉だが、俺的にはむしろ前者。そもそも見た目からして『悪の秘密結社』の『手先』その1。『総統』はもちろんアシュタロスだ。とりあえずトゲトゲだらけのその外見で正義のヒーローを語るには無理があると思う。子供に人気が出そうにない。
よーするに、
「俺はお世辞でもなければカッコイイなんて戯言言わねーぞ!!」
大きな声であからさまに挑発する俺。
だが、決して嘘は言っていない。私は『正直』に言いました。観客の中にはウケたのか、いきなり笑い出したりはしないものの、若干笑みをこらえている者までいる。むしろそーゆー奴の方が多いくらいだ。
―――あ、視界の隅っこで『女幹部』(メドーサ)までが笑いをこらえているし。
雪之丞は思わず怒りで顔を真っ赤変えて睨みつけている。歯軋りすら聞こえてきそうなくらいだ。ってゆーか、実際に聞こえてきた。
まあ、無理もない。プライドの高い奴が、ここまで馬鹿にされて陽気に愉快に笑っていられるはずもない。ましてや雪之丞は短気だ。彼の堪忍袋が切れるのも時間の問題だろう。
俺はさらにトドメを指すべく言葉を続ける。
「それなのに大声で『カッコイイ』? 馬鹿じゃねーの? どーゆー美的センスしてんだお前? それがカッコイイんだったら、綺麗だったらしいお前のママの顔はどんなんだ? さしずめザリガニ似か? それともカニ似? エビ似? 案外サソリ似だったりしてな。
うわ~、想像したら相当不細工だなお前の親って。うちの母親はちゃんとした人間で良かったぜ」
「き、貴様~っ!!!」
マザコンに対して禁句を連発。さすがにコレだけは許せなかったのか、雪之丞がマジでキレる。殺意すら振りまいて右手に凶悪なまでの霊力を込めていた。
「くたばれっ!!」
気合一閃。灼熱の太陽を思わせるほどの脅威が、俺を目掛けて襲いかかる!
同じ霊波砲であっても、まず大きさが違う。そして密度が違う。荒れ狂う暴威は、俺が撃つ霊波砲とは比べ物にならない。そう、それはまさに必殺の一撃――。
だが、俺は顔に笑みを浮かべていた。―――浮かべていたはずだ。内心の恐怖を隠した、虚勢の笑み。それに力強い決意と自信を無理矢理ねじ込む。
手を持ち上げ構える。使うのはその手になじんだ『霊波砲』。それを見て、雪之丞が嘲笑う。
確かに、彼の霊波砲は俺よりも遥かに上だ。まともにぶつかりあえば、弱い方はあっさりと飲み込まれてしまうだろう。
それでも―――
「……!?」
その表情に、驚愕を浮かべる雪之丞。必殺のはずの一撃は、見当違いな方向へ飛んでいく。
まともにぶつかれば飲み込まれるなら、まともにぶつけなければいい。そう、射線の軸から『ズラす』だけなら、陰念程度の霊波砲でも出来る。
それは近い未来、核ジャックを行なったアシュタロスを止めるために赴いた南極で『雪之丞』を含むGSメンバーがパピリオの攻撃を防ぐために行なった手段。
数千マイトはある魔族の一撃を、たかが百マイト前後の人間がズラせたのだ。いくら俺と雪之丞との間に大きな力差があろうとも、襲いかかる力の向きを変えることくらいなら無理ではない。
皮肉な話だが、美神たちは俺にとって最大の障害であり、そして頼りになる師匠でもある。彼女たちの戦いの多くは自分を超える強者との戦いだった。それらに常に勝利し続けてきたのは、運だけではない。相手を出し抜く優れた兵法を持ち得ていたからだ。
セコかろーが、卑怯だろうが、世の中勝ったモンが勝ちである。彼女たちの兵法は俺にとってまさに最高の教材だ。それを利用しないテはない。
「くそ! たかが一発防いだ程度でいい気になるなよっ!!」
吐き捨てるように雪之丞は立て続けに光を放つ。両手を使っての連続霊波砲。力任せに相手を押しきる彼が得意とする戦術。攻撃は最大の防御とばかりに、威力と数で敵を圧倒する。
それは策も何もない、愚直なまでな行為。しかし、それを行ない確実な勝利を手に出来るほどの自信と力量を、彼は持っている。
一発でもまともに受けたらただでは済まない。俺は神通棍を腰に刺し、執拗に攻め立てる光の群れを両手を使って辛うじて捌く。逸らすのは直撃コースのみ。力を温存するためにも避けられるものは回避した。
だが、あまりにも数が多い。俺より相手が霊波砲を撃つ速度の方が速いのだ。やがて徐々に押されていき、捌ききれなかった3条の光が俺を襲い―――
「まだまだっ!!」
叫ぶと同時に、俺は体中の傷跡から噴水の如く霊波を放出させた。陰念が最初から持っていたスキルの一つで、俺は勝手に『傷跡ビーム(仮)』(正式名称不明)と呼んでいる。身体の傷を媒体に放つ変形した霊波砲の一種で、刃のように伸びたそれは雪之丞のものと比べればやはり貧弱だが、その圧力で一瞬、攻撃を押し留めることなら出来る。
俺は、そのとき生まれた僅かな隙間に身体を滑りこませ、押し寄せる猛威から逃れた。
―――よし! いけるっ!!
この距離ならいくら雪之丞が攻撃しようとも捌けるだろう。最初は不安だった『ズラす』タイミングも大分掴んで来た。もはや、相手が手数を増やしても同じ事だ。全て避けきってみせる。
そう、『この距離』ならば………。
「互いに撃ち合う霊波砲の応酬…っ!! 両者一歩も譲りません! これは長引くかっ!!」
「どうした雪之丞!! テメーの本気ってやつはその程度か!? いや、そんなわけねーよな? 俺はまだ本気どころか魔装術さえ使ってねーんだぜ! いつまでも遊んでないで本気できやがれっ!! それが出来ないんならテメーはただ態度だけが偉そうなだけの雑魚だ!!」
このまま撃ち合いが続けば遠からず勝てる。サイキック・ソーサーを使うまでもないだろう。しかし、俺の予想に反して雪之丞は冷静だった。嵐のような猛攻が、突然途切れる。
「なるほど……お前が魔装術を使わないのはわざとだな? 挑発して相手の冷静さを奪い攻撃を誘って、テメーは最小限の力で凌いで俺を消耗させるという戦法か。
ピートとの戦いで俺が消耗していることも計算に入れての作戦ってわけだな!? さしずめ、その神通棍はただのハッタリといったところか?」
さすがに相手も丸っきりの馬鹿ではないらしい。ここまで挑発されると返って頭が冷えるか。
彼の推測は正しい。確かに、挑発を続けたのは相手の霊力を尽きるのを誘う目的もあった。魔装術は強力だが、常に霊力を全力で飛ばしている状態である為、長くは持たない。長期戦ならむしろ半端な魔装術など使わない方が勝利に繋がるのだ。
サイキック・ソーサーが通じるかどうかの確証がない以上、こちらとしてもなるべく勝算を上げておきたい。
神通棍に関しても同様。あれはただ相手の注意を惹きつける為『だけ』に用意した『ハッタリ』。別に接近戦用の武器で、如何にも『それらしいモノ』であれば何でも良かった。無論、神通棍ではなく神通ヌンチャックでも役割に違いなどない。
―――もっとも、バレたからと言っても不都合など何一つないが。
「ならば俺を甘くみすぎだ!! 間合いを詰めて連続攻撃してやる!! 全部捌き切れるか陰念!!」
はあっ? 何を言ってやがる。俺がいつお前を甘くみた?
弱者を舐めるな。力がなければ頭を使う。ソレこそが『人間』の真骨頂。策というものは複数用意して初めて意味があるものだ。先程までのは単なる『保険』に過ぎない。
つまり―――
「甘くみすぎてんのは―――」
迫り来る雪之丞に照準を向ける。
「テメーの方だ雪之丞!!」
その手から放たれたのは、やはり霊波砲。だが、あらゆる『応用』は常に『基本』の中からから生まれるモノ。
「そんなものでっ!!」
「爆ぜろ!!」
「何っ!?」
俺の叫びに反応し、霊波砲は虚空にてその力を解放させる。何もない空間で着弾し、雪之丞の周囲を爆風と爆煙が覆った。
そして俺は突き進む。右手に神通棍を握り締め、距離を詰める。その『本命』を叩きつけるために!
「陰念選手、そのまま煙の中へと突っ込んだっ! 一体、何をする気なのでしょうか!!」
煙で視界の遮られた中、俺は標的の姿を確かに捉えていた。『普通』なら相手の姿など見えるはずがない。それでも『霊能力者』ならば『視る』ことが出来る!
『霊視』―――それは何も『幽霊』だけを見る能力ではない。文字通り、『霊』的存在を見抜く力だ。
そして、『魔装術』は『霊』波の鎧を纏う術。目を瞑っていても分かる。いくら『陰念』の『霊視』能力が未熟でも、『物質化』まで引き起こすほどの、一際輝くあの霊力を見落とすことなどない!!
霊力中枢(チャクラ)より生まれ、血液のように全身に循環する霊力。俺はその大量の霊力を小さく一点に集中させ、左の手のひらに淡く輝く一筋の光として束ねた。
その技は、本来サイキック・ソーサーと呼ばれる技。だが、従来の平らな六角形とは明らかに形状が違う。
槍の穂先のような鋭さをイメージして造られたその姿は、ソーサーというよりもむしろ『投槍』(ジャベリン)。いや、大きさから言えば『投矢』(ダート)といった方が的確かもしれない。
盾としての機能を捨て、先端を細く鋭く作製。それによって貫通力を高め、攻撃のみに特化させる。霊力によって作られた面積そのものは本来のものより小さいため、技の威力を無駄に削ぐことなくコストの削減を可能とした。
サイキック・ソーサーは諸刃の刃。小さく紋りこむことで如何なる攻撃をも弾くバリヤーを形成するが、その他の部分の防御力はゼロ。
しかし、攻撃のみを前提とし、相手に投げつけるだけなら何ら問題ない。形成時はゼロのままだが、手放すと同時に欠点は消えてなくなる。無防備になるのは一瞬だけ。その一瞬も煙が覆い隠す。
俺は握り締めた光の『刃』を、渾身の力を持って投擲した。
「う……!!」
「おおっと、一体白煙の中で何があったのか、伊達選手の身体が吹っ飛んだーっ!! そのまま床に激突―――!! これは決まったか―――!!」
―――いや、まだだ! まだ終わっていないっ!!
この程度で倒せるようなら、最初から『一般人』を捨てる覚悟などしない。
忘れるな。相手は俺より『遥かに』強い!
間髪入れずに襲いかかった霊波砲を再びズラす。
ふい打ちが通じるのは弱者が強者に対してか、己の力量をわきまえぬ馬鹿だけだ。極限まで追い詰められた弱者(ネズミ)は、僅かな物音さえ敏感に反応する。油断なんて無駄なことをする余裕はない。
「…の…やろう…!! やってくれるじゃねーか…!!」
煙の中から、雪之丞がゆっくりと起き上がる。膝を突きながらも、その鋭い視線に揺らぎはない。その戦意はむしろさらに増している。
だが、肉体まではそうはいかない。彼の左腕の部分は鎧を砕かれ、血塗れた状態で力なくぶら下がっていた。
その姿を見て、少し驚く。俺が狙ったのは人体において確実に弱点となり、かつ、鎧に覆われていない無防備な『顔面』。断じて『左腕』などではない。それなのにこのような結果になったということは、視界を遮られていた状態であるにも関わらず本能的に危険を感じたのであろう。
首から上を『ふっ飛ばす』ぐらいのつもりで投げたのに、直前でガードされたのだ。さすがに大した直観力である。
だが、今の攻撃は無駄ではない。一つの、最も重要なことが証明された。
「うおおおおっ!!」
再び獣のような咆哮を上げ、雪之丞は霊波を集中させて鎧を修復する。
だが、見た目だけだ。壊れたものを直した以上、余分な霊力を消耗したはずだし、先程の傷まで治ったわけではない。ダメージは確かに与えている。
そしてダメージを与えられる以上、繰り返し使えば『陰念』であっても『雪之丞』を倒せる。
一撃で倒さなければ倒れるまで攻撃すればいい!
―――そう、勝利を掴むのは、決して不可能なことではない!!
「陰念、テメーさっき何をしやがった?」
若干、困惑を浮かべた表情で俺に問い掛けてきたが、無論、素直に答える義務などない。俺は小馬鹿にした表情を浮かべ、
「大人しく自分の手のうちを見せる馬鹿がいると思うか?」
と言い返した。
雪之丞は視線を動かす。その眼の先には、俺が右手に持つ神通棍。
優れた詐欺師は、見抜かれた『嘘』を利用してさらに相手を騙す。
「…………なるほどな。それはただのハッタリじゃねえってことか」
ミス・リード。相手を騙すのに嘘を並べる必要はない。ただ真実を隠し、代わりに『それらしきもの』を見えやすい場所に置けばいい。後は相手が勝手に誤解してくれる。手品と同じ要領だ。
「くっくっくっくっ……。面白れーっ! 見直したぜ陰念! まさかこんな奥の手を隠し持っていたとはな!!」
雪之丞は、笑っていた。それは狂気によるものではなく、諦観によるものでもない。傷付き苦痛を訴えるはずの腕など何とも思わず、子供のように無邪気に―――そのワリには凶悪そーなツラで―――笑い飛ばす! 傷付いた身体、それさえまるで快感であるかのように!!
「上等だ!! それでこそ戦いがいがあるっ!! ゾクゾクするぜ…! 強い奴をこの手で引き裂いてやれると思うとな…!!」
M……いやS? いや、こんな時までふざけている場合ではないか。
つまり、彼は生粋の、
『戦闘狂』(バトルジャンキー)。
頭をよぎる一つの単語。普通、得体の知れぬ技を受ければ恐怖の一つや二つ感じてもおかしくはないものだ。
だが、雪之丞はそれを恐れるどころか喜んでいる。己に匹敵し得る強者と戦えることを。そして、それに打ち勝つことを。
顔に獰猛な笑みを浮かべ、力強く拳を握るその姿は、まるで戦うことだけを生きがいとする一頭の闘犬のようだ。
伊達雪之丞。彼はこの試合を純粋に楽しんでいる。怪我どころか、最悪死に至る危険性もある戦いだと承知のうえで……。
―――理解できない…。理解できるはずもない!
理解できぬ感情を前に、身体に鳥肌が走る。恐れを知らぬ飽くなき闘争心。その心に返ってこちらの方が気圧された。
現状ではむしろ俺の方が優位に立っているはずだ。局面は当初の予想以上に上手く行っていると言っても良い。相手の攻撃は一度も受けず、こちらの攻撃は確かに通用している…。
しかし、その心の強度は明らかに違っていた。相手の心が鋼なら、俺はガラス細工にペンキを塗って鋼に見せただけのメッキ。それは己すら偽る素晴らしい出来だが、度重なる雨を受ければ容易く剥がれる儚いものだ。
恐れや不安などの様々なストレスが、俺の心を穿つ雨へと変わる。知らず知らずのうちに心臓が早鐘のような鼓動を響き鳴らした。
早々に決着を突けねば、おそらく先に尽きるのは雪之丞の霊力ではなく、俺の心―――。
だから、そんな恐怖を振り払うかのように、あるいは目を背けるように、俺は声を張り上げ叫び出す。
『じゃ、そゆことで!』などと言って逃げるわけにはいかない。
「引き裂かれんのは―――」
例え、『戦士』としての姿が仮初の『嘘』であっても―――
「テメーの方だ!」
最後までそれを貫ければ、紛れもない『真実』となる!
俺の放った霊波砲は再び爆煙を吐き出す。煙に紛れつつ、俺は左手に霊力を込め、サイキック・ソーサーを形成し――
それに対して、彼の行動はあまりにも迅速だった。
「二度も同じ手をくうかっ!!」
雪之丞は俺がサイキック・ソーサーを投げつける前に煙の中から抜け出す。そして俺から距離を取った。冷静な判断だ。基本的な動作とも言えるが、無防備に突っ込むのではなく、相手の手のうちを見極めるために距離を取るのは合理的と言える。俺にとっては忌々しい程に…。
ちぃ! 予想以上に立ち直りが早い!! もう一発くらいは食らわせられるかと思っていたのだが―――。
次に彼が選ぶ行動は―――――
不味いっ!
俺は慌ててソーサーを消し、魔装術を身に纏う。
『雪之丞』の性格ならば、おそらく―――
「くらえ―――ッ!!」
『問答無用』とばかりの、霊波砲による『縦断爆撃』!! 標的も何もなく、怒涛の如く押し迫る殺傷の顎!!
間一髪、かろうじて術の発動に間に合った俺は、腹をかすっただけで済む。だが、それを幸運と思うことは出来なかった。霊波の出力が違いすぎる。かすっただけだというのに、身体の芯まで響くような痛みが、衝撃が、灼熱を伴い腹部を襲う。
耐えられないわけではない。致命傷とも程遠い。それでも俺は流れた冷や汗を止めることが出来ない。
―――あと刹那遅ければ、死んでいた。
魔装術の上からでさえ、この威力。サイキック・ソーサーで無防備になっている状態でくらっていれば、相手の意思に関わらず俺の命はなかっただろう……。
雪之丞は俺の姿を『霊視』出来ないのか、それとも単にそのやり方に気付いていないのか。霊波砲は闇雲に撃っているだけだが、今だ止む気配がない。
このままではヤバイ!! 煙で視界がない所為で、この場で『ズラす』のは極めて困難! 正確な位置とタイミングが掴めない!
早くここから離れなければ―――!?
そして、己の失策に気付いたときにはあまりにも遅かった。
やり方は他にもあった。何なら、その場でじっと息を潜めていればいい。いつまでも霊波砲が撃てるはずがない。彼の霊力も無尽蔵ではないのだ。今まで相手に使わせた量から考えれば、そう長くは持たなかったはず――。
その場から離れるのも構わない。しかし、それならば牽制用に一発霊波砲を撃ってから動けば良かったのだ。
そうしたら、こんな状況に陥ることもなかったというのに―――。
彼が『ソレ』を狙っていたのか? それともただの偶然か?
その答えはわからない。だが、今の状況は隠れた獲物を捕らえるために『炙り出す』行為によく似ていた。
煙の中から『不用意』に飛び出した『俺』(エモノ)。それは『狩人』からすれば恰好の標的だ。
雪之丞が笑う。間近に迫る己の勝利を確信して――。
その手の照準は紛れもなく俺に向けられている。そして俺にその一撃を止める手段はなく、防ぐことも出来ない。
互いの位置、姿勢、そしてタイミング。その全てがシビアなもので、『ズラす』にも『避ける』にも無理がある。
何故、こうなってしまったのか?
その答えだけは知っていた。それは怖かったからだ。目も使えぬ状況で、牙をむく脅威が恐ろしくて、俺は怯えて逃げてしまった。
何も考えずに、ただ闇雲に―――。
―――『恐怖』は、身体だけではなく頭の動きまで鈍らせていた。