閑話その2「モロボシ・ダンの述懐(二)」何故わたしが社少尉のリーディングを誤魔化せたかって? もちろん私にESP能力などはない。当然彼女のリーディングを防ぐ能力など持ってはいないし、鎧衣課長のように対ESP対策を心得ている訳でもない。私がそれを可能にしたのはひとえにこの電脳メガネのおかげだったりするんだよ。 我々の世界で21世紀前半より急速に発展した人間の脳と電子機器の連動技術、“電脳テクノロジー”と呼ばれたそれは人類のポテンシャルそのものの底上げに繋がり、そして様々な新たな問題を引き起こした…本来はサイバネティクスの肝として研究、開発が進められていた人間の思考によるコンピューターや機械の操作、それらの発達はかつてSF映画の中でしか見ることが出来なかった光景を日常生活の中に出現させることになった。そして電脳技術…脳の働きをコンピューターで補助、いやグレードアップさせる技術が開発され、個人がそれを保有する時代がきた。感覚的にはインターフェースが直接脳と繋がったパソコンや携帯が普及し始めたようなものだったのだが、やがて外科手術によって脳と電脳を一体化した人間の儀体化・電脳化が始まった。個人の能力、思考速度・感覚・身体能力などは大幅に上昇したが、同時に健常者を“生体改造”することへの倫理面での反発、特に宗教関係からの反対は大きく、またこの電脳化の副作用(?)として発生した電脳硬化症や儀体の“暴走”現象など新たな病気や社会問題も起き始めた。やがて電脳チップの高集積化・小型化により、小さな光チップ(5ミリ角以下)一枚にその機能を集約し、体内に埋め込まなくても身につけているだけで十分機能するまでに高性能化され、それに伴い人体の儀体化は医療目的や特別な用途(たとえば軍用)などを除いて原則禁止が国際条約で決まり、電脳も体外で機能するタイプが主流となって行った…その基本ルールは今日に至るまで守られている。(一応) …まあ、そんなこんなで発達した電脳技術だが、現在の我々にとってはごく当たり前の生活必需品となっている。あらゆる情報サービスに対応し個人の知的作業のほとんどをサポートしてくれる、また社会人としての必須アイテムでもある。21世紀当時のパソコンや携帯電話が極度に発達した結果の代物…と言ってしまえばそれまでかも知れないけどね。そしてその形状だが…殆んどが月並みな時計やアクセサリータイプの物だ。私のようなメガネ型は少数派だし、その殆んどが格好いいアクセサリーグラス式の物で、私のような大昔のセルフレーム型の野暮なデザインではない。言っておくが別に好きでこんなメガネをかけてる訳じゃないからね、私の仕事に必要な機能と耐久性を要求したらスミヨシ君が“なら、コナン君用のメガネやな” と言いやがったのだ。確かにこのメガネのおかげで仕事もはかどるし、記憶容量も問題ないし、霞くんのリーディングも防げるから文句はないけどね…え?だからどうやってリーディングを防いだのかって?それはだな、私の頭の中でドラマ映像を上映していたからだ。このメガネの記憶容量はゼタを超える容量のメモリーを搭載していて、映画やアニメ、TVドラマなどは数万本単位で収納出来るのだ。その中の一つを香月博士との会談中にずっと再生していたと云う訳だ。もちろん、霞くんの意識をそちらへ向けさせるような内容でなければいけないし、年端もいかない少女にあまり刺激が強過ぎる作品は倫理的に好ましくない。それらのことを前提に慎重に検討を重ねた結果、今回の上映作品は“水戸○門”に決定した訳だ。…何?なんでそうなるんだって?…いいじゃないか、20世紀後半から21世紀初頭の時代劇は私の大好物なんだよ、ちょっと趣味に走るくらい大目に見て貰いたい。まあこれはスミヨシ君たちからもお叱りを頂いたので、次からはもっと彼女の情操教育にふさわしい作品を選ぶとしよう。…そう、教育で思い出した。我々の世界の日本、『日本民主主義人民共和国』のことなのだが… かつてわが国の恥多き歴史の中でも特筆すべき(?)黒歴史“文明大改革”の終った後のことだった…それまで“文改”の最も大きな後ろ盾であった教育者組合“日○組”が世間の非難…いや糾弾の中で、事実上解体されてしまったのだ。この組織が“文改”の最中に行った“教育改革”は誰がどうみても“教育”ではなく“狂育”であったと指弾されたからだ。組織の解体に伴い教育者を副業にしていた政治運動家たちの多くも職を奪われ、社会から追放された。だがその結果、かなりの教員不足が大きな社会問題になった。たとえ片手間の副業だろうとつい先日まで教鞭をとっていた現役の教師を大量に解雇したのだ、当然の結果と言えただろう。そしてその穴埋めに大量の新任教師を必要とした全国の学校に緊急措置で教員資格を入手した臨時教師たちが送り込まれたのだが… …いや、それがなんと言うか解体された“日○組”とは正反対の主義主張を持つ“日本正道教育連合”略して“日正教連”のメンバーが大半だったんだよ。おかげでただでさえ混乱していた教育現場がさらに混乱の度を深めてしまったんだよねえ。気の毒なのは子供たちだ、つい先日まで国家体制をないがしろにすることがいいことのように教えられていたはずが、気がつくと“国家との一体感”を得るべしなどと真面目な顔で先生に教え諭されているのだからね。そして面白いことにその先生たちはそれまで悪書の代表のように言われていた“マブラヴ・オルタネイティヴ”を推薦書に加え、そのかわりに“ガン○ム”や“イ○オン”の批判を始めたのだよ。…なんの意味があるのか私にはさっぱりわからないが、“○田史観”とやらの悪影響を懸念した人達の差し金だったそうだ…まったくこの国の“右や左の旦那様や奥様”たちのすることは…まあ、このレフトからライトへの大幅な思想のブレはやがてセンターへ収束していったが、この時代に教育を受けた連中は後に“文改世代”と呼ばれ、左右共に極端な“主義者”やとんでもない奇天烈な一種のアナーキスト達を生み出した。その余波の被害をこうむった内の一人が、実はこの私だったりするんだね。…私は小学生時代によく“恒○観測員”だの“レッ○マン”だの“ミ○クルマン”だのと陰口をたたかれたものだ。なんでそんな変なあだ名を付けられにゃいかんのだと友人たちに詰め寄ったが、どうやら彼らも意味を知らず、しかも出所は担任の教師(文改世代の)だったらしい。親にそのことを相談すると、我が家は何代ごとかにその名前を長男に付けているが、何を言われてもその名前に誇りを持てと言うだけだった。どうもその担任は、アニメや特撮が子供たちに偏った思想を植付ける元凶なのだと言う考えに取りつかれ、その類のキーワードに過敏に反応する人だったらしいが、だからといって子供のイジメを煽るような真似をするのは教育者として以前に社会人としてどうなのだろうと思う。まあ、その担任は他にもおかしな言動が目立ったためにすぐに学校から放りだされたらしいが、私のあだ名はそのまま定着してしまった。…後になって名前の意味を知った時、私は思った。『この呪われた血が憎い!』 …と。一体、どこの世界に先祖代々特撮ヒーローの名前を付ける家があると云うのだ。もっとも我が家にはもう一つ伝統的に“アタル”と云う名前を付けられる風習もあったと知った時は思わず胸をなでおろしたものだ。…モロボシ・ダンの方がまだマシだと分かったからだ。(“アタル”という名前の由来は“ダン”の意味と一緒に友人に教えて貰った)そう、思えばそれらの出来事が私に過去の空想創作品に興味と反発の双方を持たせ、その中でも特に文改世代の“元凶”(?)とでも云うべき“あいとゆうきのおとぎばなし”を自分なりに研究し、同じようなことをしている人々に係わるきっかけになったと思うんだよ。そしてその結果が現在の私の境遇に繋がる訳だが…しかしなんだね、この世界の日本にはあまりにも娯楽が少ない。元々、歴史背景に違いがある上にBETAの侵攻ですっかり余裕がなくなってしまい、子供に夢を見せることすらできない有様だ。仕方がないと言えばそれまでだが、そのことが国民の意識を逆に追い詰めつつあるとしか思えない。我々の世界みたいになるのもどうかと思うが、こっち側の日本はあまりにも潤いが無さ過ぎる。ここはひとつ異次元から来た男であるこの私がその手管を駆使して子供たちに愛と希望と夢と勇気と恐怖と絶望の全てを教えてあげるべきだろうね、うん。…なに?なんで恐怖と絶望まで教えるのかって?それが正しい教育と云うものですよ諸君。…まあ、霞くんにはあまり残酷なホラー物やバイオレンス物を見せるのは自粛しますけどね…あれ?でも確かあの娘、毎日誰かさんの脳味噌見ながら仕事してるんじゃ…まあいいか。ああそれに大人たちの方も問題ですな、やはり娯楽の少なさが社会から諧謔の精神(by 池波正太郎)を奪ってしまったようだ。これの不足が結局はクーデターのような出来事の下地になって行くんだと私は考えているのだよ諸君。せめてカラオケくらいは普及させたいが、まあその前に世間や軍隊に流れている音楽に新風を吹き込みたいものだ。そしてやがては一大娯楽産業でウハウハに…《モロボシはん、なに悪徳芸能プロの社長みたいなこと言ってますねん》《そんなことしたらいけないんじゃないですか~?》…失礼な、これはれっきとした男のロマ…げふん、いやつまりクーデターを防ぐための計画の一部であってだね…なんなの君たちその目は、ボクニヤマシイトコロナンカアリマセンヨ~。《嘘やな》《ウソですね~》…酒飲もう。 閑話その2終り