第52話 「プロメテウスの晩餐(後)」【2001年5月19日夜 帝都 銀座8丁目・日本料理屋 吉祥】「大きな問題…? その中心に諸星大尉が?」沙霧君が何のことだ?という顔でそう呟く…まあ無理も無いよな、彼のように心が清らかな人間には(いや皮肉とかじゃなくて)こんな薄汚れた問題は想定の外だろうし。「沙霧大尉、さっきの話でどうして内務省だけでなく外務省までが…いや、実際には外務省こそが私をワシントンに売却したがっているのだと思いますか?」「それは…何か仕事の上で霞が関(外務省)の領分を侵すような事でもあったからか?」その沙霧君の言葉を院辺次官が苦笑しながら訂正する。「いいや大尉、領分を侵す…などという生易しいレベルの話ではないのだよ、どうやらこの諸星大尉は米国のコルトレーン大統領との直接交渉を切っ掛けに榊総理かさもなくば煌武院殿下ご本人との日米首脳会談を画策しているらしいのだ……それも外務省を通さずにね」「………な!?」おお沙霧君、そんな鳩が豆鉄砲でも喰らったように目を点にして驚かなくてもいいじゃないか(笑)「それを察知した霞が関のお歴々が半狂乱になってしまってね、私の許に怒鳴り込んで来たんだよ…『諸星という男をどうにかしてくれ!』とね」いやいやいや、なんと言うか自分たちが直接私を締め上げようとはせずにこの院辺次官殿に手を汚させようと考えるあたりが如何にも『あの省』らしいと言えば言えるだろうなあ……世界が変わってもあそこの連中が考える事は同じらしい…まったく(溜息)「いかにもあの省の方々らしい対処法ですが次官、あなたはそれを鵜呑みにされるような方ではないと思っていましたが?」「もちろん、これまでの君の国家や殿下への貢献を考えれば米国に売り飛ばすなどという選択肢は馬鹿げているとは思う…しかし外務省にしてみれば君のやっている事は事実上彼らの存在意義を無くしてしまいかねない物なのだ、それを理解してくれたまえ」「それはそうでしょうが…しかし院辺次官、今のままで外務省に日米交渉を任せていたら来る佐渡島攻略戦において再び明星作戦の時の二の舞になりかねないのではないですか?」「……」「……」その言葉でまたしても押し黙る次官殿と沙霧君、おそらくこの二人の脳裏には明星作戦の際に発生した様々な問題…作戦の指揮系統を巡っての日米間の駆け引き(もちろんこれは軍部と外務省だけでなく内務省も加わった)やあのG弾投下の事が駆け巡っているに違いない。 米国が明星作戦において予告もなしにG弾を使用した理由…それはもちろん自分たちが推奨するG弾戦略を加速させるための強硬手段という側面があったのは事実だがそれだけではない。明星作戦当時、今の人類の通常戦力ではハイヴ攻略は不可能だと考える人間が多かったせいでもあったし、またそれは事実だと言ってさしつかえなかっただろう。だからこそ米国も作戦の立案時点からハイヴへのG弾の使用を強く提案したのだろう(米国は米国なりにそれが最善の選択だと信じていたのだろう、G弾の危険性はまだ未知数だったから尚更だ)だが当然国土に向かってそれを使用される側の帝国と帝国軍は強く反発し、議論が平行線を辿った結果G弾の使用は見送られたがお互いに納得のいかないしこりを抱えたままで作戦の開始、そして予想外のフェイズ4相当の深度があると分かった時点で米国はG弾の使用に踏み切った…もう少し事前の調整をきちんとやっておけばこうはならなかっただろうし、光州作戦の場合も似たような物だとそう思わずにはいられない。…まあ言うは易しで、実際には議論を煮詰めたりお互いが納得出来る結論を出すための材料が不足していたのが最大の理由なんだろうけど(別に外務省が無能だったのではなく交渉の基本条件が悪すぎたのだろう) …逆に言えばお互いが無理矢理にでも納得出来る(せざるを得ない)動機があればいいわけだ。さて、それをどうやって仕込むかだが…もう一つの件とセットでやっちゃうのが一番かな♪ 「…話は変わりますが次官、私が原因でお困りの理由は米国だけではないのではありませんか?」ほう?と言った表情で院辺次官が私を見据える…多分彼はこのタイミングで私の方から切り出すとは思っていなかったのだろう。「最近、永田町や霞が関界隈では『横浜不要論』が囁かれ始めているそうな…」その一言で沙霧君が微かに動揺を見せるが、まあ彼の懸念(彩峰慧の身上)とは別の所にある話だしね(…いや全くの無関係とも言えないが)『横浜不要論』…最近政官の間でとかく口の端に上っている意見だが、要するに「もう第4計画とか要らないんじゃね?」というものだ。この国の政府や官庁が第4計画を推進して来たのは別に人類に対する貢献とかいう理由ではもちろんない(一応、お題目としてはそうなっているがそれは無論建前だ)歴代のオルタネイティヴ計画はその目的達成こそならなかったが、実に多くの見返りを人類に提供してきた。軍事、医療、食糧品…現在の人類社会を支える様々な技術の源泉でもあり、とりわけ各計画を主導した国家に与えた見返りは絶大な物がある。(ソ連があそこまで追い詰められながらなおも国連の中で大きな発言力を有しているのは常任理事国の地位だけでなく、AL3の成果によってもたらされた利益によるところが多いのだろう)当然AL4を推奨した日本帝国もそういった『見返り』を期待していたと思うのだが…残念ながら二つの障害がその期待を裏切る結果を招いた。まずAL4の内容だがこれは過去のAL計画をシェイプ…つまりは目標を(00ユニット製作に)絞った、つまりは『余分な贅肉を切り落としてダイエット』した物であった事だ。そして余分な部分がないという事は同時に余裕がない…当然その余裕が無い分計画によって生み出される『見返り』も減って来る事になる。AL3が主に生化学を中心に広範囲な研究成果を上げられたのに対しAL4ではそれが難しい状況にあったのだ。だがそれならそれで大量の人、モノ、金をつぎ込めばそれなりの成果を出せたであろうが、そもそも過去のAL計画と同規模の資金や物資など帝国の国力では…いやそれ以前に例えそれらを用意する余力があったとしても帝国の国家予算を預る『あの』大蔵省がそんな巨額の予算を認めるなど断じてあり得ないだろう。(おそらく彼ら官僚が期待していたのはいかにも日本人らしい『最小限の予算で最大限の成果を』という物であり、実際に香月博士が使った分の費用ですら彼らの皮算用を大きくオーバーしていたであろうことは確実だ)そしてとどめは肝心の香月博士の性格…というかそれらの事情を踏まえれば当然と言える話だが、早く成果を出せと言いたてる帝国軍や官庁に対して彼女は『駆け引き』を仕掛けたのだ。つまり『こっちの成果が欲しければもっとお金を出しなさい』という訳だ。(電磁投射砲に関しても一見条件抜きで提供したように見えるだろうが、実際には横浜の技術やG元素抜きでは成立しない物だし、XM3のトライアルも帝国軍に(政治的な)高値で売り付けるためのデモンストレーションだったのだろう) …まあこんな事ばっかやってれば確かに『女狐』とか呼ばれても仕方ないよね~~(困った人だ) 香月博士にしてみれば金も物も碌に与えずに成果だけよこせと言う方がどうかしてると言いたかったのだろうが、資金を出した側の帝国は帝国で出来る限りの予算を出したのだ(少なくとも大蔵省関係者はそのつもりだった筈だ)その結果ただでさえ米国との関係で悪化していた横浜(香月博士)と帝国の間は極めて険悪になった。もちろんAL4の真の価値はそんな物とはかけ離れた所にあった訳だがそれを知っているのはごく少数の人間だったし、ましてやAL計画の『戦略的価値』に本気で期待をかけていたのはその中の更に少数だろう。…そして困った事にそこに更なる亀裂を入れたのがこの私だったのだ(そんなつもりじゃ無かったんだけどなあ…)え?何がどうしてだって? いやそりゃ考えてみれば当然なんだが、私が提供した様々な技術がその原因なのだよ。つまり私が用意したX1や撃流を始めとする各種軍事技術が帝国軍の力となって行くのに対して一体横浜はオレたちに何をくれたんだと言いはじめる人間が増え始めたのだ。電磁投射砲の改良とかも私がしちゃったし、例の新型地中探知システムももちろん帝国に供与はされるが、それ以前に(色々と口実を設けて)米国に提供される事が許せないと仰る方々が多いらしいんだよね…まあXG-70の入手を円滑に進めるために香月博士はそうしたのだが、頭の固い人たちは納得してはくれなかったらしい(あの巌谷中佐ですら私が帝国軍と横浜の関係改善のために提供したネタで米国相手に取引をされた事に腹を立ててたし…) だ、か、ら、ちゃんと帝国軍の皆さんの御機嫌をとっておけと忠告したんですよ香月博士… どうやら駒之介君からの情報ではあの人は私にこの件の埋め合わせをさせる腹積もりらしいが…博士、アンタそりゃ周りの人から恨まれても仕方ないですよ…まったく。まあ愚痴をこぼすのは後にして今はこの問題をどうにかしないと(イヤ別に博士が怖くて言いなりになってる訳じゃないからね!?)「院辺次官、あなた方の間では横浜の計画に関して今後の事をどんな風に考えておられるのでしょう?」「ふむ…確かに横浜の第4計画は重要な物ではあるが、国家に対する見返りがあまりにも少ないとなれば今後は縮小か最悪中断という事態も考えられるだろう…あの計画の真価を知っている人間はごく少数だし、ましてや成功の目途が未だに立っていないのではね」惚けた表情でそう言ってのける院辺次官殿だが、もちろんそれは本音ではないだろう。あの計画を止めるなら止めるで様々な厄介事が帝国の政府や官庁に押し寄せて来るであろう事は部外者の私ですら容易に想像出来るし、この人は第4計画の『本当の価値』を知っている数少ない人間の一人なのだ。どうにかして第4計画を存続させ、成功へと持っていくためにこの私を利用出来ないか…そう考えておられるのだろうねこの次官殿は多分。 …よろしい、その思惑に乗って差し上げましょう院辺次官殿♪「院辺次官、その横浜と帝国の関係修復と更には先程の米国と帝国との間の溝、この双方を同時に解決出来る策があると申し上げたら…?」その言葉を聞いた沙霧君と院辺次官殿の二人は同時に眉をはね上げた…見事なユニゾンですな(笑)「…本当にそんな都合のいい代物があるのかね、諸星大尉?」「都合がいいかどうかは別にしまして、これをご覧下さい」そう言って私が差し出した幾つかのファイルに目を通し始めた院辺次官殿だったが…… 「これは…冗談ではなく本気で提案しているのかね?」おや、どうかしましたか次官殿? お顔の色が優れませんが、何か悪い物でも食べたのでしょうかね? …それなりに高価な食材を提供した筈なのですが(笑)「…それでは不足でしょうか?」私のその台詞を聞いた院辺次官殿のこめかみがびくっと震えたのが見えた。そのまましばらく沈黙を続けた次官殿だったが、ついに顔を上げて私を正面から見据えた。「確かにこの提案を上手く使えば問題の解決にはなるだろう…しかし大尉、その場合君は本当にプロメテウスの役を演じる羽目になるかも知れないという事を承知の上で提案しているのかね?」…なるほど、さすがに内務次官を務めるだけあってこのプランが実行に移された場合、どこのだれを敵に回す事になるかまで良く分かっておいでのようだ。「残念ながら他に上手い手が思いつきませんでしたので…まあ覚悟はしていますし、一応自分の身は自分で守れるつもりです」「ふむ、それで香月博士は何と言うと思うかね?」「彼女にしても第4計画の存続とバーターだと言われればNOとは言えないでしょう、まあそれを彼女に伝える役は私とあなたをここで会わせるように誘導したどこぞのタヌキ殿にでもやってもらえばいいかと」その言葉を聞いた院辺次官殿は一瞬だけ面白くて仕方ないとでも言うように顔を歪めたが、すぐにそれを引っ込めて次の質問を出して来た。「ではもし、この提案を我々の手には余るという理由で米国側に売り飛ばしたとしたら…?」「…!」その瞬間、ハッキリと聞こえるほどの歯軋りの音と共に沙霧尚哉の全身から怒気と殺気があふれ出した。…こらこら沙霧君、まだ早いよそれは。「まだだよ沙霧大尉、まだ私はこの人の結論を聞いていないし…別に君がここで刃傷沙汰を起こす必要もない」「…」「ほう、この沙霧大尉を連れて来たのは話の内容次第では私を始末してもらうためではなかったのかね?」 「…ご存知でしょうか院辺次官、人間の身体というのはさほど頑丈には出来ていません。例えば頭上10メートル程度の高さから水を満杯に湛えた直径2メートル程度の大きさの金ダライが落ちて来たらその下にいる人間がどうなるか想像してみては如何でしょう?」「…なに?」「…なるほど」沙霧君には何の事だか理解出来なかっただろうが、あの御前会議に出席していた院辺次官殿には分かった筈だ…私がその気になれば武力や暴力に頼らなくても彼や他の人間を『物理的に』叩き潰す事が出来るのだという事が。…まあ、正当防衛以外ではルール違反だからやらないけどね(笑)「次官、私は別にあなた方と駆け引きや脅し合いをしたい訳ではありません、しかしあなた方があくまで単なる現状維持のために私や殿下を邪魔者扱いされるというのであればそれなりの対処をしなくてはならないでしょうし、あなた方に刀を抜いて襲いかかって来るのは別にこの沙霧大尉たちだけではないと思った方がいいでしょうな」「…」私の言葉に院辺次官は溜息で応えた……どうやら上手くいったかな?「どうやらこちらに選択の余地はないという事のようだな…分かった、君のプランを使わせてもらおう」「ありがとうございます次官、それでついでと言ってはなんですがもう暫くの間霞ヶ関(外務省)の皆さんに『何もしないように』お願いして貰えませんか?」とんでもない掟破りのお願いだが、もしも彼ら外務省が私を危険視するあまり米国相手に交渉を急ぎ愚かな譲歩などしてしまっては元も子もない…それを防いでもらうためのお願いなのだ。「その心配は無用だ、このファイルを見せれば彼らはその利用価値を見極めるためにしばらくは君のする事を静観してくれるだろう」なるほど、ではもう一つ… 「…ついでに襖の向こうにおられる方やその友人の皆さんにも同じ事をお願いしてもよろしいでしょうか?」 その言葉を聞いた沙霧君は座敷を隔てる襖の向こうにじろり、と視線を向けた。彼もそこに誰かがいて話を聞いていた事は気配で察していたのだろう。「ふむ、顔を会わせて行くかね?」「いえいえそれには及びません、そちらの方とはまた別の機会にお話する事になるでしょうし…今日の所はこの辺で失礼させていただきましょう」「そうか、では近い内に総理や殿下にこのファイルの件について我々の意見を纏めた物を提出しよう」「分かりましたそれじゃ沙霧大尉、もうこれで失礼をさせて貰いましょう……ああ忘れていました、もう一つだけ用件があったんです」「む、何を忘れたのかね?」…さて、トドメの一撃だ。「実は大咲大尉の事なのですが…」「…姪がどうかしたのかね?」「あまり彼女に難しい『内職』を押し付けない方がいいと思いましてね」「はて?君への繋ぎが難しいのかね?」「2月の相馬原基地防衛戦で彼女の機体は跳躍ユニットを損傷させ、もう少しで命を失う所だった…この件はご存知ですよね?」「うむ、その時は君の部下に命を助けて貰ったそうで心から感謝している」「…何故跳躍ユニットが損傷したと思いますか?」「なに?」「後で調べたところどうやら跳躍ユニットに小細工がしてあったらしいのですよ、おそらくは相馬原基地防衛に出撃する直前に誰かがそれを施したと思われます」「馬鹿な…そんな話は…もしそれが事実なら何故問題になら…!」途中まで言いかけて院辺次官は黙りこんだ…どうやら気付いたか。「その不良個所を隠蔽したのは大咲大尉自身です、おそらく彼女はそれがどの辺からの指示で仕込まれた物かを分かった上で直接工作をした人間が罰せられないように配慮したのでしょう」大咲大尉はあの跳躍ユニットの不良を仕込んだのが誰であれ(おそらく彼女はそれが誰かも知っていて)単に上の命令でやらされたに過ぎないし、命じた人間をどうこうする事は出来ない以上実行犯だけがトカゲの尻尾として処分されると考え自分の胸にしまい込んだのだ。…多分彼女は自分の叔父から本土防衛軍上層部との駆け引きや軋轢の調整の為の情報収集や工作を命じられた結果、一部のお偉方から命を狙われる破目にまでなったのだろうね。「いくら他に人がいないからと言っても自分の姪御さんをそんなくだらない理由で死なせるのは流石にどうかと思いましてね……それでは失礼します」 「…何とも奇天烈な男だな」客の二人が帰った後、座敷で一人物想いに耽っていた院辺の前に座ったのは隣の座敷で話を聞いていた男…帝国衆議院議員 古泉准市郎であった。「つくづく化物だ…初めから分かっていた事ではあるがね」何処か呻き声にも思えるような口調でそう言った院辺は先程モロボシから渡されたファイルを古泉に見せた。「!! なるほどな、確かに化物…いや、正真正銘の『プロメテウス』かあの男は…」ファイルを一読した古泉の声も呻き声に近かった。 やがて全てのファイルを読み終えた古泉は深刻な表情で院辺の方を見る。対する院辺もまた顔を顰めて苦悩していた。「…確かにこのファイルの内容を現実に出来るとすれば我が国は佐渡島を取り戻せるだけではない、BETA大戦後の世界において米国に次ぐ…いや場合によっては対等の地位を築くことすら可能だろう」「だがそれを彼の強欲な大国が良しとする事はあり得ない…ならばどこかで妥協してこのファイルの中に記された代物の『利権』を彼らと分かち合うのが上策だが…」「しかしそれで彼らが満足してくれるのかね?」「現職のコルトレーンは理性的で無駄な争いや謀略はあまり好まない質の男だ、彼と榊さんが腹を割って話し合う事が出来れば上手く妥協点を見出せるかも知れん」「成程な、結局はあの男の提案に乗るしかないという事か…」「だがアンタはどうだ? 上手く外務省の連中を抑えておけるのか?」「そっちは心配ない、それよりも君のお仲間たちが余計な誘惑に引っ張られて馬鹿な真似をしないようにちゃんと見張っていてくれ…将来の米国とのパイプは絶対に必要だからな」「分かっている、がしかし…」「…何かね?」「あの諸星という男、一体どこまで突っ走る気なのか…将軍家や榊さんは知っているのか?…あの男が本物の怪物だという事を」古泉のその言葉にしばらくの間院辺卿一郎は答える事が出来なかった…彼にもそれは分かってはいなかったからである。同時に院辺の胸中にはもう一つの不安材料が湧き上がっていた…相馬原基地攻防戦において自分の姪を抹殺しようとした人物の心当たりが彼にはあったからだ。(…そこまでやるか、大北中将!)院辺次官と大北中将…そこにモロボシを加えた因縁が決着を見るのはまだ数カ月先の事である。 「…何故私を連れて来た?」店を出てしばらく歩いてから沙霧君が言った言葉がこれだった。「はい?」「先程の会談、何も私が同席すべき理由はなかった筈だ…それなのに何故私を同席させたのだ?」…そう怖い顔をしなさんな沙霧君、後ろについて来てる駒木中尉が心配してるだろ?「理由はちゃんとありましたよ、彼に…院辺次官にあなたやあなたのような人たちがどんな思いを抱えているかを直接見せるという意味がね」「…」「ああいう人達は確かに国家全体を見渡して最善の判断を下すにふさわしい見識と能力を兼ね備えてはいます、しかし同時にそういった人は個々の人間が抱く苦悩や怒りが時としてどれ程の結果を生みだすかといった事には疎いのですよ。だからこそあなたの怒りを彼に見せる必要があった…ついでに彼自身の身内に関する話をしたのもそれを実感してもらうための一手でしたがね」自分たちのしている事が個々の人間、それも自分の姪にまでそんな累を及ぼすのか…頭で理解しているのと実感しているのではおのずと違って来る物だ。「…それで、それがあの男を殿下に従わせるための布石になるのか?」イマイチ納得がいかないという顔で沙霧君が聞いてくるが…「まあ多分大丈夫でしょう、彼も帝国が現状維持を続けるだけではジリ貧だという事は誰よりも良く分かっているでしょうし、さりとて上手い策もないので身動きがとれなかった…という所でしょうから」「…」「…あなたを連れて来たもう一つの理由がそれですよ大尉、あなたにも『彼ら』の苦悩を感じ取って欲しかったからです」私のその言葉に沙霧君は何も言わない…ただ黙って顔を強張らせているだけだ。まああんまりイジメても逆効果だろうし…「まあ後は彼と総理や殿下との間のお話になるでしょうし、横浜との調整はその後でしょうから…ですから香月博士への事前の言い訳はあなたがやって下さいね、一部始終を盗み聞きしていた鎧衣課長?」そう私が後の暗がりに向かって声をかけると…狸が一匹出て来たよ、しかも今日は連れまでいるし。「はっはっは、見つかってしまいましたか」「ふおっふおっふぉ…お主の業も衰えたかの左近よ、こんな若造に見破られるとはのぉ」なんとまあ一緒にいたのは流山の九十九里老人だった…何しに来たんだこの人?「! これは…御無沙汰しております九十九里先生!!」…と、沙霧君が頭を下げる…どうやら知り合いらしい。「久し振りじゃのう尚哉よ、それに諸星さんもしばらくじゃったの」「はい、九十九里様も御壮健でなによりです…がしかし、本日は何故ここに?」「いやなに先日お前さんから聞いた話が色々と気になっての、この左近と醍三郎めをちいと締め上げて色々と聞き出したんじゃよ、ほっほっほ」…吐いたんかい、アンタらわ?私の視線に鎧衣課長はふいっと顔を逸らす…こらオッサンよ、こっち見んかい!「それにの、今朝がた萩閣めが儂の夢枕に立ってのお、尚哉とお前さんの事をくれぐれも頼むとそう言うたんじゃよ」…先生、あなたまでグルですかあ~~~!?「そういう訳で諸星大尉、私がそのファイルを横浜まで届けるから御老人の御相手は…」「私たちがしろと?」「はっはっは…ではよろしく」そう言って私とそして半ば呆然としている沙霧大尉や駒木中尉を置き去りにして鎧衣課長(このスットコタヌキが!)は去って行った。「…さて尚哉よ、それから諸星さんや、今夜はちとお主らに言うて聞かせる事があるでな」そう言って九十九里老は私たちの方をじろりと睨む…いやちょっと待て、OHANASIが必要なのは沙霧君だけでしょ? 何故私の事も睨むんですか!? 【10:30PM 帝国軍横浜基地・B19F】「へええ~~~~随分と面白い事言ってくれるじゃないのあのオッサンは~~~」「はっはっは、いやなにせあの御仁も色々と多方面の調整をしなくてはならない立場の方ですからなあ~~~」地下19階の執務室の中では狸と女狐の間で心が冷え冷えとするような会話が交わされていた。「つまりなに? あのコウモリが提案したこのファイルの中身を実現するのに協力しなきゃ第4計画は打ち切りって訳?」口元を不気味なまでにつり上げ目から火を噴きそうな表情で香月夕呼は鎧衣左近を問い詰めるが、もちろん狸は意に介さない。「いえいえ、何もそこまでは言っておられないと思いますが…ですがこの先の計画への支援やあのXG-70の購入にも赤信号が灯りかねないのではないですかな?」「…どっちの差し金よ?」「はて、どっちとは?」ほとんど歯軋りに近い口調で質問する夕呼を更に苛立たせるかのような惚けた口調で鎧衣は聞き返す。「あのコウモリ男と内務省の妖怪オヤジのどっちがこれを仕掛けたのかと聞いてるのよ!!」「さてさて…なにせこの帝国の行政を握る大物次官殿とあの合衆国政府にさえ脅威を感じさせる本物の怪物との間での駆け引きの結果ですからなあ~~、一介の情報省の課長職に過ぎないこの鎧衣ごときにはどちらの意向だのと大それた事はとてもとても…」(よくもまあそんなふざけた言葉が口から湧き出すわねこの糞狸オヤジが!! どうせアンタがあの二人を上手く誘導して談合させるように仕向けたんでしょうが!)心の中で目の前にいる優秀な不良諜報部員をののしりながら香月夕呼は彼の持って来たファイルに目を落とす…「つくづくふざけた事を考えるわよねえあのコウモリは…でもいいのかしら?もしこれが実現したらそれこそ大変よ、なにせあの国の原動力を支配するあの『強欲な姉妹』を怒らせる事にもなりかねないでしょ?」「確かに、ですが諸星大尉もその辺は覚悟の上での提案だったようですな」鎧衣の返事を聞いた夕呼は少しの間考えてから返事をした。「いいわ、この話に乗って上げても…だけどあのコウモリには必ず近い内にここに来るように言っておきなさい! 埋め合わせはキッチリしてもらわないとね!」「承知しました、それではまた…」 鎧衣が消えた後、一人になった夕呼はぼんやりとした目でモロボシのファイルを見ていた。取りあえず第4計画の存続は守られた…だがその代わりに降りかかって来た予想もしない技術開発、いや実際にはモロボシが提供する設計図に基づいて自分が建設する事になるであろう代物の事を考えながら…(これを推進しようとすれば間違いなくあの強欲姉妹たちが騒ぎだすのは確実…でもあのコウモリはそれを逆手に取って帝国と合衆国との間に新しい力関係を構築しようと考えた訳か…だけどその結果アンタ自身がどうなるか分かってるのかしらね?あの姉妹は自分たちの利権を脅かす者を絶対に許しはしないし、それを潰すためならどんな手段でも使うわよ?いくらアンタでも連中の執念からそう簡単には身を守る事は出来ないんじゃないかしら?自分の臓物をあのハゲタカ共に喰われる覚悟は出来てるのコウモリさん…いえ『プロメテウス』さんと呼ぶべきかしら?) 香月夕呼の手許にあるファイルには『核融合炉建設計画』というタイトルが記されていた。 【同時刻 深川・小料理屋『小鉄』】 あそれ、 じょ~じょ~ゆうじょ~マジマジかいちょ~~あれこれいっててもともだちワッショイ!!(ヤケ)「ふぉほほほ…相変わらず面白いのお~、お前さんの芸は」…何のかんのでこの店まで連れてこられた挙げ句、私と沙霧君は九十九里老に説教されながらお酌をするという珍妙な破目になっていた。クーデターの事から大堂大尉の件まですっかりご存知のようだ…私に関する秘密も多少は聞いたらしい(あとで狸と怪獣に苦情を言っておく必要があるな)その挙げ句に「何か芸を見せてくれんか?」というリクエストにお応えして今の状況になってる訳だ。いやもう沙霧君の方はすっかり酔い潰れて駒木中尉に介抱されてるけどね(お説教されながら九十九里老のお酌も受けなきゃならなかったためだ…アルコールと精神攻撃のダブルパンチはキツいんだよね)「…まったく、この程度で潰れるとは情けないのお」「…疲れておられたのだと思います」「むう…?」「大尉はずっと自分を責めておられました、彩峰閣下をお救い出来なかった事や本土防衛戦、それから明星作戦の結末…それら全てが大尉の肩に圧し掛かっていたのだと思うんです」「昔から不器用な所がある子供だったからのお…」駒木中尉の独白にも似た言葉に九十九里老もまたしんみりとした口調でそう言った。どうしてそんなに良く知ってるのかね? まあ大体予想は付くけど…「御老人はこの沙霧大尉とはどうしてお知り合いに?」「なあに、こ奴が子供の頃に萩閣がワシの所に娘の慧と一緒に連れて来た事が何度もあったんじゃよ」「ああ、やっぱりそうでしたか」「だが萩閣が死んでからはこ奴の話をあまり聞かなんだが、まさかこんな事になっとろうとはの……しかもこ奴に憑いたモノはまだ落ちてはおらんぞ」「殿下が復権された以上もう無茶を仕出かす理由はない…だが、彼やその他多くの人間たちの心に圧し掛かったおもりを外すにはそれだけではダメという事なのでしょうね」「ふうむ…だがの諸星さんや、お前さんもこ奴とそうは変わらんように見えるがのお?」 ……はい? 「自分では気付いておらんかったかも知れんがの、酒を呑んでおるとお前さんの目に時おりこの尚哉と同じ色の鬼火が灯るのをワシは見ておったのだよ」……「本土防衛戦直前にお前さんに何があったか…あの男からおぼろげな事情は聞いた」先生、話したんですか…自分の方が胸が痛いだろうに。「だがの…だからと言うてこの尚哉と同じような真似を仕出かすのは止めておけ、あ奴とてお前さんにそんな事をして欲しいとは思わんじゃろう」…いや御老人、流石にそこまでスプラッターな事をやろうとは思っていません、ただ私は『少しだけ大きめの土管』を連中の頭上に落っことしたらさぞ痛快だろうと思っていただけです(思ってただけだよ?本当にやる気はないよ!?)けど確かにこの人の言う通りだろう、沙霧君を止めようとした私が『あの連中』に実力行使をしては本末転倒だ。「仰るとおりですね…では暴力はやめて『お灸』を据える程度にしておきます」「それでええ…それでな」さて、それではもう一つ二つ芸を披露しましょうか…沙霧君の酔いが醒めるまでね。 第53話に続く 【おまけ】「…どうやら恙無く終わったようですね」《はい~~、後は摂家の方をどうにかすればってモロボシさんも言ってました~》「そうですか、それではいよいよアレを使う日も「殿下」…どうかしましたか真耶さん?」「先程お部屋を掃除しておりましたらこのような物が出てまいりましたが…?」「! そ、それは駒太郎たちが私の為に作ってくれた『変身キット』では…いえその…」《うわあ~~~みつかっちゃった~~~~》「…かような代物は殿下の威厳を損ねかねませんのでただちに処分致します」「ま、待って下さい真耶さん! それが無ければ『まほうしょうじょ』にも『せんたいひろいん』にも変身する事が…」「…不要でございます」「はい…」(ショボン)《そんなあ~~~せっかく殿下がボクと契約して変身ヒロインに…》「…貴様はちょっと来い!!」《ひえええ~~~!!!》 [30分後]《あ~~酷い目にあった~~~~》「大丈夫でしたか、駒太郎?」《はい~~、でもこれで上手くいきましたね~~~》「そうですね…まさかアレが囮だとは流石の真耶さんも思わないでしょう」《でもでも殿下~~、『あの方法』だと大騒ぎになっちゃうんじゃないですか~?》「そうですね、それは好ましくありません…全ては隠密裏に為されねば…何か上手い方法はありますか駒太郎?」《そうですね~~、知り合いにアレのオリジナルを造った人がいますからちょっと聞いてみます~》 知らなかった…本当に知らなかったんだ、駒太郎の奴が『誰』に相談していたのかを…