榊と二機連携を取って進撃するBETA群を相手しながら、神宮司は受け持ちの教え子達に注意を割いていた。本来ならば、戦闘に全ての意識を割くべきなのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。 15分程前、帝国軍の後続の部隊―――第12師団所属の第6大隊に合流した207B分隊と第19独立警備小隊は、補給もそこそこに撤退する予定だった。これは神宮司の案だ。白銀がいない以上、そして第19独立警備小隊がただの随伴である以上、決定権は神宮司にあるのだ。 ―――207B分隊は、既に『死の八分』を超えた。 戦場の風を肌で感じる、という名目ならば既に果たしていた。もしも―――もしも、未だ第195中隊が存続していたならば、神宮司も撤退ではなく継戦を予定したかもしれない。だが、彼女達は『死』を背負ってしまった。 断末魔などは開戦当初からオープンチャンネルで流れていて、それに付随する精神的負担も『死の八分』に含まれる。であるならば、彼女達は既に死を知っていると言っても過言ではない。―――識者を気取る、アナリストならばそう言うのだろうか。 現場の意見からしてみれば―――そんなモノは、死ではない。 同軍と言えど、よく知りもしない仲間が死んだことに悲しみと悼みを覚えても『死を想わない』。そう、想わないのだ。 Memento mori―――『死を記憶せよ』。 今、彼女達の脳裏には第195中隊の最期が―――『死』が記憶されている。 こんな時代だ。身近な人間を亡くすことなど衛士でなくとも珍しくはない。だが、戦場で知り合い、そして共に駆け抜ける事によって、一種の連帯感―――仲間意識が生まれる。それが例え三十分にも満たない邂逅であったとしても、彼等はその最期を自分達の為に使ってくれたのだ。ならば尚更、そして今まで戦場を知らなかったが故に―――強烈なまでに彼等の背中は207B分隊に刻み込まれる。 傷として。 楔として。 そして何よりも―――責任として。 自分達はまだ戦える―――。 合流した第6大隊の大隊長に撤退の打診をしようとした神宮司に、彼女達はそう意見した。 神宮司は彼女達の教官だ。だから207B分隊の管理も職務の内である。本来ならばそんな意見などねじ伏せて、さっさと撤退していただろう。今の彼女達は身体的にも―――そして何より精神的に消耗しているはずなのだから。 だが、今、彼女達は未だ戦場にいた。 第195中隊が最期まで守り抜いた戦線までBETAを押し返す為に、第6大隊の随伴として戦っていた。 それは何故か―――。(もう、半人前とは言えないわね………) 『戦場に出れて半人前、無事に生きて帰れて一人前』―――。 神宮司は、かつて教官にこのように教わった。だから、あるいは207B分隊がただの責任感のみでまだ戦うと言っていたならば、首根っこを引きずってでも撤退していただろう。 だが違った。何故まだ残って戦おうとするのか問う神宮司に、彼女達は責任感だけでまだ戦うなどとは言わなかった。ただ一言、声を揃えてこう言い切ったのだ。(―――生きて帰る為に戦う、か) 207B分隊は、第195中隊の命を『喰った』。彼等の命と引換えに、生き長らえた。 ならばこそ、ここで死ぬことは彼等に対する冒涜だ。 撤退することは、自らが掲げた信念に対する背信だ。 そして、故にこそ―――彼女達はまだ戦う事を望む。 後悔を積み上げ、経験を積み上げ、そして生きて帰ることを望む。自分達が『喰った』彼等の命を無駄にしない為にも、ここで得られるものを全て得て、磨けるものを磨いて、次の戦場で同じことを繰り返さぬよう―――生き残る。 そしていつか衛士の流儀に従って、誇らしく語るのだ。自分達が今ここで存在できるのは、第195中隊の挺身があってこそだと。 彼女達は、既に生き残ったその先のことを考えている。ただの死にたがりであるために戦いを望んではいない。生きる覚悟を、生き残る覚悟を決めた上で―――戦いを望んだ。 白銀と同じだ、と神宮司は思う。 後悔をしても悲しむのを後回しにし、前に進む。 後悔に縛られ。 後悔を縛り付け。 そして後悔と共に征く。(まさに、中尉の子供達ね………) 苦笑して、神宮司は正面を見据える。 状況は少しずつではあるが好転してきた。追加で現れたBETAも、後方からの多重砲撃によってかなりの数を削られ、そこで残存したBETAも一大隊の戦力投入で随分楽になった。今は戦線を押し返している最中で、もう少しで第195中隊と別れたポイントへと押し戻しそうだ。 207B分隊が担当しているのは大隊の中衛にあたる。これは第6大隊の隊長による指示で、敵のどのような行動にも即応出来る位置に配置することによって、訓練兵の心を落ち着けようという配慮だった。だが、それも必要ないかもしれないと神宮司は思う。 もう、彼女達は落ち着いている。 第195中隊の最期がどれほど深く心に突き刺さっていようとも、歯を食いしばって前を向く事を忘れていない。かくあることこそが、彼等の挺身に報いることだと、きちんと理解している。 だから―――。(あの子達は、もう大丈夫………) ならば、後は生き残るのみ。 そして神宮司は敵をロックし―――。『跳べぇっ!彩峰ぇえぇええぇっ!!』 戦場の風を切り裂くような、榊の叫びを聞いた―――。 時間はほんの数十秒だけ遡る。 鎧衣美琴は後悔の中にいた。思うのは、第195中隊の最期だ。(まただ………また、ボクは………!) あの一瞬。 BETAが地下から侵攻してくるあの瞬間、鎧衣は事前にそれを察知していた。探知による精査はしていなかった。ただ、来るかもしれないという、漠然とした勘―――そう、あくまで勘でしか無い。だが、その勘がいざという時に最も頼りになるのだというのにも関わらず―――確信がなかったために、鎧衣は見送った。 その結果がこれだ。(あの時もそうだ………!) 数日前の実機演習。ベテランが何かを仕掛けているかもしれないという粘っこい危険予測があったのにも関わらず、一回戦目の快勝に気を良くして見逃した。 ―――今回も同じだ。 『死の八分』を超えたという達成感があって、何処か楽観があった。自分達は戦える。だから大丈夫だと、根拠のない安心感があった。彼奴等は、そんな自信など粉々に吹き飛ばすというのに。 ほんの少し、ほんの一言でも良い。もしも、もしもあの時に注意を促せていたらならば―――こんな事にはならなかったのではないだろうか。そんな愚にもつかない妄想が、先程から彼女の脳裏にこびり付いて剥がれない。(分かってる………半人前のボク達がいたって、大して力にならないってことは………!けど………!!) 護りたい場所があって、護りたい人達がいて―――例え現実を知らない訓練兵であったとしても、その力の一端を担うことができた。だから、自分達は戦えるのだと思った。だが結果は逆で―――自分達は、彼等に護られた。(タケル………ボクは悔しいよ………) きっと、207B分隊の誰もがそう思っているだろう。そして、この思いは皆が―――衛士だけではなく、戦場に立つ全ての者が抱えている感情だ。それこそ、あの白銀だって抱えた感情だろう。そしてそれを乗り越えたからこそ、彼は強くなれたのだ。 ならば、自分も―――自分達もそうならねばならない。 彼等の事を忘れない為に。 彼等の事を語り継ぐ為に。 では、自分の出来る事とはなんだろうか。 自分の役割とはなんだろうか。(ボクは、ボクの役割は―――感覚だ) 207B分隊を身体に例えるならば、鎧衣は五感だ。分隊の脳である榊に情報を伝える為の、最初の情報発信源。であるならば、鋭く、繊細に、この雑多な戦場の中で誰よりも疾く状況を本能で理解しなければならない。 ―――そう、定めた時だった。 ちり、と首筋に違和感。 鎧衣はそれが何だか知っている。 何が起こっているのかは分からない。 だが本能が、それを回避せよと訴える。「―――千鶴さん!10時方向!!」 だから鎧衣は叫ぶ。 もう二度、過ちを踏まぬために。 そして―――最上の未来へ至る光明を、彼女は見つけた。 榊千鶴は鎧衣の声を聞く。 直ぐ様10時方向に視線を向け、何が起こっているか把握する。(これは―――!) 視線の先、BETAの谷が出来ていた。まるでそこだけ存在を消し去ったかのように、BETAが左右に分かれ、谷の終着に―――緑の壁があった。 ―――光線級。 状況を理解する。 光線級がレーザーを放つ為に、他のBETA群が射線を確保すべく道を譲ったのだ。そしてその射線の先には―――第6大隊の中衛がいる。しかも、運の悪いことにあの数を以てすれば殆どが撃墜可能だ。(どうする………!?) 思考が高速化するのを榊は感じた。まるで全ての情景がコマ送り再生でもしているような感覚だ。 最早迷っている時間はない。今ここで第6大隊に乱数回避を促せば、自分達を含め半数は生き残るかもしれない。 ―――しかし、それでいいのだろうか。(その選択を―――私が出来るのっ………!?) 生き残る為に、何かを切り捨てる。 分隊長になった時から―――いや、軍人になった時から、ある程度の覚悟はしていた。大事な何かを護るために、時として別の何かを切り捨てなければならないことは理解していた。例えそれが、後に遺恨を残す結果となろうと、誰かがやらなくてはならないことならば手を下すのは自分の役割だと。 今―――選択の時が来ている。 誰が切り捨てられることになるかは分からないが、ただ乱数回避と叫ぶだけで―――きっと何人かは救われる。反面、残りは光線級の餌食になるだろう。よしんば生き残ったとしても、機体に損傷はしているだろうから、どこまで戦えるか分からない。ある意味で、もっと過酷な地獄を見ることになるかもしれない。レーザーで死んでいればと、悔やむような未来が待っているかもしれない。 それを選ぶことが出来るのか。 一部の人間だけが生き残る未来を、自分は選べるのか。 自らを切り捨てることによって、207B分隊を生き長らえさせた第195中隊のような選択を取ることができるのか。 ―――自問する。(―――無理よ………!!) 冗談じゃない、と榊は奥歯を噛み締める。 何かを得るために、何かを犠牲にする。きっとそれが賢い大人の生き方なのだろう。今まで自分があろうとした、理想の軍人のあり方なのだろう。だが、今の榊はそんなモノを認める気にはなれなかった。 これもきっと、あの中尉の影響なんだろうな、と苦笑する。同時に、軍人としては失格なのかもしれないな、と自嘲する。だがそうであったとしても―――。(私は、諦めないわ………!!) 生きる為の、生き残る為の覚悟は決めている。そして分隊長として―――生き残らせる覚悟も決めたのだ。 あの時、自分は何もできなかった。 ただ、第195中隊が食われていく様を、戦況表示図の光点が消えていく様を淡々と見ているだけだった。 何も出来ないことが悔しかった。 その力があるはずなのに、手を伸ばすことすら許されない自分が歯がゆかった。 だから―――今度は。(皆を、救うわよ………!) 切り捨てるのではなく、全て抱えてこの苦難を飛び越える。その為の唯一の可能性を、榊は知っている。XM3が搭載されている207B分隊しか―――もっと正確に言うならば、『彼女』しか次に迫る危機を乗り越える手段を持っていないだろう。 そして多分、『彼女』は待っているはずだ。 自分が、分隊長として指示を下すのを。 そしてこう言うに違いない。『榊はいつも一呼吸遅い』と。全く以て不愉快だが―――榊は知っている。『彼女』とは性格が合わないが、その能力は分隊の中でも最高レベルなのだと。 だから叫ぶ。 他人から見れば自殺行為である命令を。 しかし自分達から見れば、最上の未来へと至る第一歩である命令を。「跳べぇっ!彩峰ぇえぇええぇっ!!」 そして彩峰は榊の声を聞いた。 思うのは唯一つ。(やっぱり、榊はいつも一呼吸遅い………!) 言われるまでもなく、既に行動を起こそうとしている。この状況の中、危機を回避するための道を切り開くことが出来るのは、XM3を搭載した207B分隊の吹雪か、神宮司の撃震のみ。その中でも、『それ』が可能な程の精度を持っているのは、彩峰を置いて他にいない。(でも、状況判断力はやっぱり優秀………!) 自分の能力ではなく、他人の能力を正確に把握出来る人間は、榊のようなリーダーシップを持つ人間には、割と多い。だが、こうした突発的な場面でそれを素早く、そして的確に活かすための状況判断能力を持つ人間というのは、実の所一握りだ。 何かと反発する仲ではあるが、その一点に関しては認めざるをえない。 彩峰は10時方向―――モーゼの海割りよろしくBETAが分かたれたその先に、二つ目の化物を見据える。光線級―――数は24体。そしてそれを護るようにして要塞級が3体。 既に、榊の中ではこの状況を乗り切る策が組みあがっているはずだ。でなければ、自分に跳べなどという指示を出せるはずがない。だから、彩峰は後のことは仲間に任せる。 今自分がすべきことは―――。(全ての光線級を引き付けること………!!) そして彩峰は吹雪を跳躍させた。高めの放物線を描くように、そして、光線級の方へと向かうように。 自殺行為だと誰もが思うだろう。 光線級のレーザー照準能力は極めて高い。この照準能力には優先順位があり、基本的にミサイルなどの空間飛翔体を最優先で撃墜する。つまり、今第6大隊を狙っていた光線級の全ては、空高く上がった彩峰の機体を再捕捉することになる。都合24条の光の槍が彼女を狙うことになるのだ。そして、光線級の追尾性能はマッハ7~8に達する極超音速の軌道爆撃に対してさえ有効で、一度認識されれば全長1m未満の小型弾でも撃墜してしまう。 故に、光線級のレーザーを避けることは物理的に不可能であり、戦術機に塗られた蒸散塗膜加工が比較的小出力の照準用初期照射を抑えている間に照射源を叩くことが最良とされている。 しかしながら、ここに一つの落とし穴がある。(近距離なら―――避けられる!) レーザーも一つの射撃武器である以上、どうしても射角というものが存在する。つまり、光線級の正面に備え付けられた目玉からしかレーザーは発射できず、その調整には身体を動かすことが必要とされ、そしてそれには若干の時間を要するのである。 先述した軌道爆撃などは、距離が離れているため相手がどれほど機敏に動いたとしても、僅かな調整で再捕捉が出来る。しかし、対象との距離が近すぎれば―――再捕捉には時間がかかり、場合によっては回避不可能のレーザーが『外れる』。これにはキャンセル必須であるが、状況次第ではノーマルOSでも可能だろう。 これを教えた白銀自身も、『前の世界』での甲21号作戦中、光線級の不意打ちを食らったが乱数回避で初期照射を、マニュアルで本照射を切り抜けている。 理論上、数百メートル圏内ならば、700km以上の水平移動で照射回避が可能なのだ。尤も、吹雪には700kmも推進速度は出せないが―――しかしそれをカヴァーし、任意でレーザーを『外す』ための技がある。XM3にコンボがあってよかったと本気で思う。そして今までレーザー照射地帯での回避訓練をきちんとやってきてよかったと本気で思う。 207B分隊の中で、白銀の変則機動に最もついて行けるのは自分だ。そしてその変則機動を最も習熟しているのも自分だ。だから、此の場を切り抜けるためには、自分の力が絶対に必要なのだ。 そう信じる。 いつまでも、護られてばかりの自分ではないと、先に逝った第195中隊の面々に誇るためにも。 今はただ―――自分の力と、仲間を信じよう。「白銀直伝の………!」 跳躍後、彩峰は失速域機動状態に持って行き、機体を倒立させる。網膜投影の中、照射警報が鳴るが無視。 蒸散塗膜で3秒ならば耐えられる。 そして3秒あれば大丈夫だ。 全ての行動をキャンセル。宙ぶらりん状態にしてからの―――。「―――稲妻落としっ!!」 叫ぶと同時、跳躍ユニットを吹かす。同時に、では無く二つある跳躍ユニットをキャンセルを用いつつ『交互』に、だ。 結果どうなるか。 それこそ稲妻が落ちるが如く、左右にブレながら吹雪は地面に向かって落下するのだ。 途中、ボン、という音と振動が機体を揺らし、網膜投影の機体ステータスチェックを見やれば右主脚部が赤くなった。回避しきれずに被弾したようだが、跳躍ユニットはまだ生きている。 ならば大丈夫だ。(余裕………!) 視界の端を抜けてく幾条もの光の槍には目もくれず、彼女は口の端を三日月に釣り上げる。この程度の被害は想定内だ。幾らでもフォローは効くし―――あの分隊長が絶対に効かせる。 だから―――全てのレーザーを避けきってBETA群のど真ん中に降り立った彩峰は叫ぶ。自分が稼いだ僅か12秒。これを有効に活用できる仲間に向かって。「珠瀬………!」 そして、最上の未来へ至る道を歩いた彼女は願う。ゴールへと手を伸ばせる彼女が、自らの殻を破って突き抜けるのを。『鎧衣、御剣!―――珠瀬!!』 彩峰が飛んだ直後、榊から指示とも言えぬ指示が飛んだ。だが、今の自分達にはそれで十分だった。 彼が来て三週間近く。あっという間に過ぎ去っていく日々の中、自分達は確かに絆を深めていった。だから分かる。 鎧衣と指示を飛ばした榊は稲妻のように落下してレーザーを避けていく彩峰のフォローを。 御剣は彩峰の回収率を高めるための陽動を。 そして自分は―――。(光線級の撃破………!) 支援突撃砲を構え、珠瀬は集中力を高める。敵は都合24体。支援突撃砲の連射速度では、12秒のインターバルの間に24体を仕留めることは不可能だ。更に、この距離では突撃砲の36mmでは届かせることは可能だが、正確な射撃は難しいだろう。 だが案はある。だから珠瀬は待つ。始まりの合図を。 そして―――。『珠瀬………!』 時は来た。彩峰の呼びかけを合図に、珠瀬は跳ぶ。より正確な射撃を行う為には、地上よりも上空のほうが勝手が良い。彩峰の働きによって僅かだが制空権の戻ったその空間に機体を滑りこませ、珠瀬は思う。(―――怖いな………) 彼女は思う。 ここ一番という瞬間は、何時だって怖いと。自分があがり症なのは、最早確認するまでもなく分かっている。彼が来てから、それは少しずつ改善されてきているが、だからといって完全に克服したわけではないのだ。 ここで自分が失敗したら、皆がどうなるだろうか。 そう考えただけで、怖くて逃げ出しそうになる。(でも………!) そんなのは、みんな一緒だ。207B分隊だけではない。第6大隊だって、第195中隊だって、あの白銀であっても恐怖と不安を抱えている。それに押し潰されないように、何時だって足掻いている。 臆病であっても、前へ進めるように。 だから―――。(壬姫がやらなきゃ………!) 光線級をロックする。狙うのは端の方から。12秒と言う極端に短い時間の中で全て排除するには、おそらくコレしか無い。そして跳躍のために既に数秒使っている。 本当に、時間がない。「壬姫の狙撃は………」 日本一。―――そんなモノでは足りない。 極東一。―――そんなモノでは足りない。 だから、過剰でも良い。 今は、持てる最大の自信を―――この腕に掲げよう。 そして今こそ、自分の不安とコンプレックスで出来た殻を突き破るのだ。「―――世界一なんだからっ!!」 トリガを爪弾く。 それも単発ではない。連発だ。引くと同時に次のロックへ。勘で射角調整を加えて自動補正も掛けずに次々と連射していく。 乱射―――。 何も知らない人間ならば、そう見えただろう。だが、では何故ただの乱射で光線級が次々と肉塊へと変わっていくのか。 決まっている。これは乱射ではなく、高速狙撃なのだ。 珠瀬壬姫という少女が積みあげてきた、本人ですら気づいていない桁外れの努力。それも、コンプレックスが生んだ努力だ。その努力が実を結び、一人の人間が行える狙撃の限界性能を極限にまで引き上げる。 ほんの僅か―――それこそ、ほんのコンマ一ミリずれれば外れてしまうような調整を、ほぼ一瞬―――それも機械に頼らず自らの感覚のみで行い、同じく感覚のみのタイミングでトリガを爪弾く。 まるで精密機械のような繊細な狙撃を8発―――全弾命中させ、光線級を残り16体へと減らす。だが、もう時間が無い。残り時間は既に4秒を切っている。残り16体を4秒で仕留めることは物理的に不可能だ。 ―――支援突撃砲では。「―――ごめんね」 珠瀬は誰ともなく謝罪の言葉を口にし、担架を起動させ左の主腕で突撃砲を構える。それは、普段彼女が得意としている砲撃支援装備には無いもの。 ―――120mm。 しかも、小型種掃討用に装填していたキャニスター弾。「今日の壬姫の装備は―――打撃支援なんだ」 高速狙撃によって光線級の一団、その端の方は削った。残っているのは中央―――即ち、『固まって』いる光線級のみ。 キャニスター弾ならば、纏めて全てを吹き飛ばす。 だから―――。「いっけぇっ!!」 そして珠瀬は最上の未来へと手を伸ばした。 御剣は見る。 レーザーを放つ為に空けられたBETAの谷を噴射滑走しつつ、自らの上空をキャニスター弾が通り抜けるのを。光線級がインターバルを終え、迎撃するよりも速くそれは散逸し、雨のように光線級へと降り注ぐ。 しかしそれは雨のように優しくはない。雨粒のように弾かれること無く、一瞬にして全ての光線級を肉塊へと変貌させる。まさに一掃という言葉がふさわしい。(流石だ………!!) 御剣は胸中で珠瀬を褒め、機体を跳躍させる。 自分の役目は、損傷した彩峰機の回収率を高める為にBETAの注意を逸らすこと。それを可能とする為に、自分の最も得意とする分野で勝負を掛ける。 それは―――。(要塞級を狩ること………!) 白銀曰く、BETAの危機識別認識の順位付け条件には幾つかあるが、基本的にはより脅威度の高い兵器を優先的に破壊する。そして、その脅威度を引き上げるためには、より多くのBETAを倒すか―――大物を狙うかの二つの方法がある。だが、単機では多くのBETAを倒すのには時間が掛り過ぎる。故に大物―――即ち、要塞級を狩ることによって瞬発的、強制的に自機の危険度を引き上げるのだ。 そして、ここ数日の訓練で身につけた、自分が最も得意とする技が―――要塞級の首狩りだ。 御剣は長刀を抜き放つと、水平移動。3体の要塞級の側面に回りこむ。正面からでは衝角による攻撃を躱さねばならないし、一撃必殺である首刈りは難しい。だから、側面から狙うのが最も容易だ。 しかし、事はなかなかうまく運ばない。 瞬間的に警告音が鳴ったのだ。レーザー照射の警告だ。だが、不思議なことがそこで起こる。 網膜投影にレーザー照射警告が一瞬だけ点って―――消えたのである。「なにっ………!?」 絶句し、一体何があったと疑問の声が沸く。だから周囲を探る。御剣から見て3時方向―――ここより、後方だ。視界の隅に息を呑む光景があった。 崩折れた要塞級。その頭部に、長刀を突き刺したままの撃震がいる。その撃震の管制ユニットが融解していることから、どうやらその要塞級の足元にいた光線級に撃墜されたのだろう。 目を見張ったのはその状況―――そして肩部だ。 撃墜され、既に物言わぬガラクタと成り果てたその撃震に、如何なる力が働いたのかは分からない。だが―――何故か、左主腕の下腕部分が落下し、足元にいたであろう光線級を押し潰したのである。 そして―――その肩部には、隊長機のエンブレムがあった。ここで戦闘が起こり、そして隊長機に搭乗していた人物など、御剣は一人しか知らない。(宮本大尉………!?) それは、ただの偶然か―――それとも、死して尚契約を果たそうとした英霊のなせる業だったのだろうか。御剣には分からない。だが、高速化した思考の中、一つの言葉を聞いた気がした。 ―――征けよ、若者。 奥歯を噛み締める。(―――貴官に、最大級の感謝を………!) 最早言葉は必要ない。ここには彼等がいる。彼等が見守ってくれている。ならばこそ、無様な姿を見せられるはずがない。 長刀を肩に担ぐようにして、噴射滑走。 そして彼女は叫ぶ。「―――推して参る!」 駄目押しの加速をぶち込み、御剣は更に速度に乗った。 最初の一匹目の要塞級の顎の下を潜るように通り抜ける。その際、肩に担ぐように構えた長刀を振り切り、その速力を以て要塞級の頭部を断頭する。 結果など見なくても分かる。 だから既に御剣の視線は二匹目に移っていた。 振り切った刃を返して下段、地摺り八双のまま加速。ただし、二匹目の足元へ来る前に接地―――そのまま跳躍する。当然、跳躍の際に長刀を振り上げるのを忘れない。二匹目の首を狩る。 上空に躍り出た御剣は、機体を後方に倒して倒立させる。そしてもう一度肩に担ぐように構え―――。「ぉおぉおおおおおおっ!!」 全力降下噴射。 まさしく隕石落としの如く落下してきた御剣機は、三匹目の首を斬り落としたのだった。 旧魚沼市にて展開していた斯衛軍第2連隊は危機的な状況下にあった。本丸の一つ上の戦線展開部隊である彼等は、開戦当初から抜けてきた小型種の掃討だけを担っていた。これは別に尻込みしたわけではなく、前線が思った以上に優秀で小型種以外が抜けてこなかったためである。 しかし、状況は一転する。 地下からの強襲―――。 その上、此処に至って数が5000の旅団規模による増援。 当然、旧魚沼市の最終防衛線は即座に混乱状況に陥る。第2連隊に所属する衛士達も瑞鶴を操って必死に抗戦するが、味方のど真ん中に出現されたのが非常に痛い。まともな連携を取れないままに戦線自体が北南に分断されたのだ。 だが、そんな乱戦を吹き飛ばすように―――嵐を纏った救世主が降臨する。『国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武中尉―――吶喊します!!』 国連カラーの不知火が今、最後の戦場に舞い降りた。 白銀はBETAの危険認識度が変わること無く、自機を優先していることを確認するとオープンチャンネルで叫んだ。「ここは一度後退してください!一時的なら、オレだけでも奴等を引き受けれます!その間に戦線を立て直してください!!」『しかし貴官は………!!』「―――うるせぇっ!グダグダ言ってる暇があったらとっとと動け!!こっちは問答してる余裕なんかないんだ!!」『りょ、了解した………!!』 思わず怒鳴るが、事実である。 あの砲撃による掃討の後、白銀は帝国軍の好意で旧津南町に展開した補給部隊で弾薬と推進剤の補給を受けた。その後、207B分隊に合流する予定だったが、本丸の目と鼻の先にBETAが地下から強襲してきたとあっては放ってはおけない。 幸い、207B分隊の方は第6大隊がついていて、データリンク経由で彼女達の状態も多少なりとも知れた。第195中隊が全滅したことも―――結果的に、彼等の死が207B分隊の成長を促すことになったのも知った。(ありがとうございます、宮本大尉………) 今は、それだけの言葉を彼等に送る。感傷は後回しだ。今自分がすべきことは―――。「―――精精暴れてやるさ………!!」 そして闘神は征く。 5000ものBETA群の真っ只中に飛び込んで尚、猛禽を彷彿とさせる笑みを浮かべたまま。 一方、三神と沙霧率いる第3中隊は旧上越市に展開した補給部隊による弾薬と推進剤の補給を受けていた。そんな中、三神は言葉を発する。「―――何か空気が妙に硬いので、ギャグを言ってもいいかね?沙霧大尉」『―――どうして補給中に騒々しくする必要があるのですか?三神少佐』「粛々と補給を受けてるとどうも葬式の参列を彷彿とさせるだろう?それでは空気が暗くなる。皆のテンションが下がる。そこで私がギャグを言う。そして君は今は少なくなって久しい関西人ばりのコテコテの突っ込みを入れる。こう………戦術機の主腕を使ってスナップ効かせて―――なんでやねん、と」 どうかね?と尋ねる三神に網膜投影に映った沙霧は一つ頷いて。『控えめに言いますが、貴官―――頭は大丈夫か?』「落ち着きたまえ沙霧大尉。それは控えめではなく率直というのだよ沙霧大尉。そしていいかね沙霧大尉。君は中隊長だ。この隊を率いる者だ。故に、部下達の身体状況や精神状況は逐一把握しておかねばならない。身体状況は強化装備のバイタルデータでなんとかなるかもしれないが、精神状況はどうにもならない。だから、ここで漫才を行うことによって皆のテンションをアッパーに入れておくのだ。―――いつでも戦闘が起こってもいいように」 捲し立てるように屁理屈を並び立てると、沙霧はやおら何かを考えるように腕を組んで瞑目。そしてややあってから不知火の右主腕を動かし、突っ込み準備をする。『―――了解した。では三神少佐。何かしら冗句を………』「む。戦況に変化があったようだ。―――どうしたのかね沙霧大尉?まるでボケ待ちの突っ込み芸人のようだが」『いえ、何でもありません………』 何処か憔悴した表情の沙霧と、それを励ますように声を掛ける第3中隊の面々。『大尉!頑張ってください!』とか『負けないで!』とか『今度自分がボケますから!!』とか何故か心温まる激励の言葉が彼に掛けられているが何であろうか。(流石はクーデター部隊の中核………理由はわからないが統率はしっかり取れているようだ) 感心感心としたり顔で三神は頷くと、戦況表示図に視線をやる。 動いたのは本丸の北の旧魚沼市。そこに展開していた最終防衛線のど真ん中にBETAが地中から湧いて出た。その影響で防衛戦が北南に分かたれている。それだけでも最悪なのに、もう一つ最悪な状況がそこにあった。(―――武っ!?) 20700―――即ち、白銀武の駆る不知火が湧いてでたBETA群の中で小刻みに動いている。考えうる状況は一つ。崩壊した戦線を立て直す時間を、白銀が単機で稼いでいるのだ。だがしかし、上下無作為に分断されてしまっている以上、再編成には時間が掛かる。この間にも、BETA群の包囲網は完成していき―――やがては跳躍して抜け出ることも不可能な魑魅魍魎の檻が完成することだろう。 その前に抜け出す必要があるが―――。(帝国軍はどう動く………!?) 悠陽がいる以上、最大限の便宜は図ってくれるだろう。だが、それにも限界がある。彼女や斑鳩などは白銀の正体を知っている以上、極力助けようと動くだろうが―――事情を知らぬ帝国軍に取っては、白銀は国連軍の一衛士でしかない。そんな末端の人間を助けるために、軍を動かしたりはしない。一人を助けるために、どれほどの犠牲が生まれるのか分からないのだから。 そしてどうせ犠牲が生まれるのならば、彼が死んで、後顧の憂いが無くなったところで残存BETA群を包囲殲滅すればいいのだ。そちらの方が結果的に安くつく。 そして悠陽達が説得して時間を掛ければ掛けるほど状況は不利になり、最終的には白銀を見捨てるという選択肢しかなくなる。(となると―――残る手は………) 三神は思考を巡らせる。 やるとするならば、必要なのはネゴシエーションではなくアジテーション―――即ち、煽動だ。決まればおそらくなし崩し的に全てが動き出す。決まらなければ、三神一人で白銀を救出するしかなくなる。しかしながら如何に尋常ではない経験を積んだ三神といえど、所詮は凡人だ。5000ものBETA群の中に吶喊し、白銀に辿り着くだけならばまだしも、無事に救出して脱出できるとは思えない。 だが―――。(―――うだうだと躊躇っている暇はないな………!) こうしている間にも包囲網は完成へと近付いている。幸いにして、たった今、補給が終わったようだ。機体に張り付いていた整備兵達が離れていく。 だから三神は直ぐ様機体を跳躍させた。『少佐!?どちらへっ!?』 驚きの声を上げる沙霧に、三神はいつものシニカルな笑みを浮かべた。「何、少しばかり―――恩師の魂を継ぐ者を救いに、な」 本丸にて紫の武御雷に乗り込んでいる煌武院悠陽は、ままならぬ状況に歯がゆさを感じていた。(このままでは―――白銀がっ………!) 戦況表示図の中、彼は旅団規模のBETA群に囲まれて、たった一人で足掻いている。それに対し、悠陽は何もすることが出来ない。いや、何をするにしても一手足りないのだ。斯衛軍を動かすためには戦線を立て直さねばならない。帝国軍を動かすためには、白銀一人を救うことにメリットがあるのだと提示しなければならない。 だが、斯衛軍は現在立て直しの最中で動けず、白銀の持つ未来情報は下手に外部に漏らせないし、よしんば漏らしたとしても常識では信じがたい。 事実、悠陽達ですら実際にBETAが侵攻してくるまでは半信半疑だったのだから、事情を知らぬ他の者に至っては何をいわんやだろう。(後一手………!後一手何かあれば―――!) 必要なのは切っ掛けだ。それさえあれば、後は自分でも動かしていける。 後一手―――能動に至る何かがあれば。(誰か―――!) そして―――悠陽が願ったその直後。それに応えるように、『彼』は全周波数でこの戦域にいる全ての者に呼びかけた。『―――諸君!聞こえているかね!?』 何もかもを動かしていく為の最初の一手を打つべく―――道化を演じる古き狼が、最後の戦場へと遂に来たる。 全ては―――かつての恩師を救うが為に。